2024年04月04日

>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜

<目覚めに思う>足跡の連なりが人生となる。「人生は、手ぶらで生きて、手ぶらで死ぬのがいい」〜升野俊明語録〜

目覚めて天気予報、雨雲レーダーから、歩けるかも?と外を見に行ったら、霧雨が降っていました。良い時間の目覚めだったのですが、朝のウォーキングはお休みてす。

さて寝る前読んで、心に残った言葉で、禅語に、

本来無一物(ほんらいむいちもつ)

というものがあるという。意味は、

>人は本来、いっさいのものを持たない、まったくの空(くう)、絶対的な無の存在である、ということです。

"絶対的な無の存在"

禅の教えは難しい?

さらに、升野俊明著『禅、比べない生活』のどうページに以下の言葉が、

禅語に、

体露金風(たいろきんぷう)

です。「体露」とは生まれたままの姿のこと。「金風」とは気持ちのいい秋風のこと。

日本人は、世の平均生活をしている?を常に考える人間が多いように感じています。

升野俊明さんは、

(以下、本より)

 平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩調であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。
 その足跡の連なりが人生です。
 ですから、誰一人として同じ人生を歩むことはありません。人の数だけ人生があるのです。だから、自分の人生を他人の人生に比べることに意味などないのです。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)

お釈迦さまは、「この世界にわれよりも尊いものはない」ということを説いた。

意味は、私自身が1番尊い、という意味ですが、「人生を他人と比べることは意味がない、そのままで良いんですよ」と。

でも自然災害に見舞われることもある。なんでこの時期に、こんなことが起こるのか?と悔む。

これに対しても禅の教えは、

(以下、本より)

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよくて候」
 良寛さんの言葉てす。
 災難に遭遇して、「おい、おい、こんな災難に逢うなんて、平均的な人生からいったら、割が合わないしゃないか」などと嘆いていたってしかたがないのです。
 災難には正面から向き合うしかないのですし、その災難の中に自分の足跡を残していく以外にはないのです。
 それがほかの誰でもない、"あなたの人生を丹念に歩むということだ"と思います。
(参考資料:升野俊明著『禅、比べない生活より)

お釈迦様の唯我独尊には、さらに言葉があり、

「天上天下唯我独尊」

世界に唯一無二の存在が自分であること、その自分と向かい生きていくしかない。急がす、騒がす、コツコツと自らの道を歩いて行けば良い。

寝る前、起きて読んだ升野俊明氏の本から、これまでを振り返りました。早起きも、なかなか良いものです。  


2023年12月04日

<自らを鍛える>艱難辛苦は、成長するチャンスと思い立ち向かうこと。〜菜根譚〜

<自らを鍛える>艱難辛苦は、成長するチャンスと思い立ち向かうこと。〜菜根譚〜

今朝は、ゆったりの朝、読書していて、以下の言葉で、気が引き締まりました。

(以下、『菜根譚』より)

横逆困窮は、是れ豪傑を鍛練するの一副の蘆錘(ろすい)なり。能く其の鍛練を受くれば、則ち身心交々益し、其の鍛練を受けざれば、則ち身心交々損す。

【訳文】
ひどい仕打ちを受けたり、困難窮乏の苦労をすることは、すぐれた人物を鍛える天から与えられた、一揃いの金属精錬の設備のようなものである。その試練を受けることができると、身と心の両方とも利益を得ることができるし、受けなければ、身と心の両方とも損害をこうむりだめになってしまう。
(以上、『菜根譚』前編No.128)

>横逆困窮
横暴悪逆の意で、よこしまでひどい仕打ちや無法な扱いを受けること。

>蘆錘(ろすい)
蘆は金属を精錬するための火どこ、ふいご、錘は火を吹きつけて金属を鍛える器具。

>豪傑
豪は才智が十人にすぐれ、傑は百人にすぐれている意。

人間は、のんびり、ゆったり、のほほ〜んと生きていては、後々、損を受ける。鍛えられ、叩かれ、阻害され、苦しみを経験するのは、自らが鍛えられる貴重な経験となる、と教えている。

今、苦境にあることは、自らが鍛えられている期間と思い、腐らず、諦めず、明るい未来を信じて、目の前の与えられた仕事に打ち込んで行けば、新たな道が拓ける時が来る。

人には、必ずチャンスが何度かある。その時のために、常に準備を怠ってはならない、と偉人たちや古(いにしえ)の著書にも書かれている。

横逆困窮は苦しいが、それは天が与えた成長の機会と思い、立ち向かうことが大事と思い、諦めず、やり通すことが大事ですね。私も、何度もそんな時があったような、気がします。これからも、生きている間に、起こった時に、今日の言葉を思い出し、乗り切らねばと思いました。

そろそろ、朝活の準備です。今日も一日、頑張ります。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:56Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ

2023年11月15日

<心の迷い鎮めて>憧憧往来(しょうしょうおうらい)では、心は定まらない。〜易経〜

<心の迷い鎮めて>憧憧往来(しょうしょうおうらい)では、心は定まらない。〜易経〜

そろそろ外へ出かけるのですが、日々開く易経の解説本の本日の訓示は、

「憧憧往来」(しょうしょうおうらい)

意味は、思いが行ったり来たりして心が彷徨うこと。

心が迷うというのは、私心や私欲にまどわされて、物事を真ともに感じることができない状態。

そんな時は、静かにお茶やコーヒーでも飲んで休むと、心が静まるものです。

訓示の解説の最後に、

>私心を捨てて感じるところがなければ、決して思いは定まらないものである。

これから年末まで残りひと月半、今年のやって来たことを思いつつ、一日一日を大切に生きなければと、朝から思いました。

「憧憧往来」の心を鎮めて、来春の目標を定め、活動せねばと思います。

*参考資料:『易経一日一言』

#易経
#易経一日一言
#憧憧往来  


2023年09月10日

<六十にして思う>すべては「因」と「縁」によって生じる。準備あるところにチャンスは訪れる。〜禅語より〜

<六十にして思う>すべては「因」と「縁」によって生じる。準備あるところにチャンスは訪れる。〜禅語より〜

「自分にはなかなかチャンスに恵まれない」という人の話を耳にします。実は、チャンスは誰にも平等にもたらされます。ならば、なぜ掴む人と、そうでない多くの人がいるのか?

冒頭の禅語の解説から、

「因」とは、「準備」てす。準備を整えている人は、いざ、チャンス(縁)がめぐってきたとき、確実にそれをうけとめあ、生かすことができます。

他人との「比較」や「競争」ばかりに気を取られてはいけない。

心がかるべきは「因」を万全なものにしておくこと。それは他人との比較や競争とは別次元の作業です。あくまでも個人的な作業なのです。
(以上、『禅、比べない生活』より)

チャンスは、前髪を掴む、後ろ髪では間に合わない、という話を聞いたことがあります。それと大事なのは、本田宗一郎の訓示にもあります。

「人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろか」

と、世界のホンダの創業者も語っています。

徳を積むとは、魅力的な、人を惹きつけるような人間に成れているか?

準備(因)と徳(仁)が縁(チャンス)を掴む、凡人には、なかなかハードルの高い目標ですが、こんな人生訓や言葉を知っているか、知らないかで、晩年の生き方も変わってくるように思います。
  


2023年09月02日

人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜

人間、誰と付き合うか、周りは見ていることを忘れてはいない。〜『荀子』〜

20年近く、数年に一度は開く本があります。作家の守屋洋編著『中国古典一日一言』です。

6月13日の訓示は、

その子を知らざれば、その友を見よ

という見出しで、『荀子』の教えを説いています。

(以下、文を転載)

 人間は環境の動物だと言われる。環境しだいで、よくもなればわるくもなる。なかでも、大きな影響を受けるのが、人間的な環境である。とくに若いころは、友人の影響が無視できない。妙な連中と付き合っているようなら、注意信号だと受けとってよいだろう。また、親とは口をきかなくなっても、つき合っている友人関係が良好なら、心配する必要はない。
(以上、『中国古典一日一言』より)

私の社会活動の始まりは、33歳の時、最初の出会いが強烈な志士でした。当時60歳の経済学者でしたが、後にわかるのですが、政治家志望の大学教授・高宗昭敏先生でした。

キーワードは「横井小楠」でした。

以来、先生の活動に参加して学んできました。本日、そのご縁から、横井小楠の妻の実家の矢島四姉妹の記念館を訪ねました。

私は、自らの興味から、素晴らしい方々に出会うことができました。今日の防災イベントでも、女性社会活動家に再会しました。

誰と会うか、誰と仲間になるか、誰から誘われるか、

中年になっても、高齢者になっても、"誰と会うか、誰から誘われるか"とても大事な、人生のチャンス(機会)かもしれません。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:07Comments(0)私の意見故事、名言、訓示、スピーチ

2023年07月11日

悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃される。〜史記〜

悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃される。〜史記〜

今朝は、ウォーキングできるのに、昨夜遅くまで夜鍋談義の飲み会だったので、早起きができず、朝の散歩はお休みでした。やはり、そんな日もあります。そんな時の言い訳ではないですが、私のウォーキングは、週休3日制ですと。

歩かない日は、朝の読書なのですが、

冒頭のことばは、

「漢字の交わり断ちても悪声を出さず」

意味は、

かりに交友関係を断つことがあっても、「あいつはひどい奴だ」といったたぐいの非難めいたことはいっさい口にしない、これが君子の交わり、と。

詳しく解説すると、

① そんな相手を友人に持ったということは、自分に人間を見る眼がなかったからであり、それをみずから吹聴することになる。

② 悪口は必ず相手の耳に入り、いつかどこかで反撃され、一つもプラスにならない。

中国の近代の名宰相の周恩来氏は、この点には徹底した態度で、さまざまな政変にも振り回されず、自らの地位を全うしたと言われる。毛沢東との立ち位置、役割を存在感を持って生き抜いた人と知りました。

自らを守るためにも、人との交友をやめても、悪口は言わない。

このことを忘れてはならない、と朝から学びました。

*参考資料:守屋洋訳編『中国古典一日一言』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:41Comments(0)偉人故事、名言、スピーチ、等

2023年07月09日

<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜

<和光同塵>しぶとく生きる雑草の精神、どんな乱世でも生き抜いていく。〜『老子』〜

「道」は、人の道。

「光」は、才能・知識。

才能を包みかくして世俗と同調する。

要するに、才能をひけらかし、「おれが、おれが」とでしゃばっているようでは、先が無い。

人の道とは、

老子は、万物の根源に「道」の存在を認め、その「道」から万物がうみだされてくると考えた。

「和光同塵」は、(人の)道のあり方を説明している。

孔子の教えに、『中庸』があります。
中庸は、さまざまな争い事や、権利行使の中で、真ん中、中間点ではなくて、その時々の事象(事件)での収束点(納得点)のことと、私は理解しています。

『中庸』の冒頭の文にも、知識や才能は、下に煌びやか(知識・才能)絹の服を着て、上着に粗末な麻の服を着て、ほんとに時折り、下の煌びやか布を、チラッと見せるくらいが良い。

つまり、才能や知識は、必要ない時には出さない。どうしても語る(判断する)ときに、見解とともに見せるが良い、と。

「和光同塵」とは、奥の深い人の教えだと思います。

*参考資料:守屋洋編著『中国古典一日一言』より  


2023年06月20日

平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜

平々凡々。過ちなく過ごすが、真の功名。他人に怨まれないが、真の恩恵。〜菜根譚〜

週休3日が私の早朝ウォーキング、今朝はゆっくりの朝です。数日前からまた読み始めた『菜根譚』に、心がほっとなります。

平凡な人間こそが良き人生。

(以下、『菜根譚』No.28より)

 世に処りては必ずしも功を邀(もと)めざれ、過無きは便(すなわ)ち是れ功なり。人と与にしては徳に感ずることを求めざれ、怨みなきは便ち是れ徳なり。

【訳文】
 人間が現実の社会で生きていく時には、必ずしも功名を期待してはいけない。大きな過(あやまち)無く過ごすことができれば、それがそのままとりもなおさず功名である。
 また、他人に対して恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいけない。他人に怨まれるようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である。
(以上、『菜根譚』より転載)

世には、さまざまなな事件が起こる。

その中でも"怨み"からの発生した事件の多さに驚くが、意外なところに怨みや嫉みが起こる。

それは、身近な人間が、真面目にやり過ぎて、人々から評価が高くなると、それを嫉み(嫉妬)からだんだん怨みに変化して、事件に発展したりすることもある。

本日の菜根譚の訓示は、そのさささな嫉みから起こる怨みの素を取り除くことに効果があると思いました。

過(あやまち)無く過ごす、真の功名。

他人に怨まれないが、真の恩恵。

平々凡々、

平凡な人間こそが良き人生。

毎日を楽しく愉快に過ごしていければ、良いのだと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 05:35Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ

2023年05月14日

生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。

<生き延びてきた人生>有名著名が人生の王道ではない、平凡な生き方の中に道がそなわる。〜菜根譚・前編No.14〜

昨日、テレビ番組「居間からサイエンス」(録画)に、子どものようロボット「LOVOT」の制作者、林要氏を取り上げたものを見た。
 林氏は、もともとトヨタのF1レース用の車の開発をしていた。その後、ソフトバンクの孫正義氏に憧れて転職、ロボット「Pepper」開発に携わる。しかし、目標とした孫正義氏の背中は、近づくどころか、だんだん遠くに離れて行くのに気づいた。

「孫正義を追いかけても、孫正義氏にはなれない、ならば独自の道を行く」

と独立(リスクを)して、自らのアイデアで、ロボット開発に打ち込んで生まれたのが「LOVOT」でした。小さな子供を育てる感覚を持つロボットの開発に取り組み、大人気商品となっている。

その開発話を聞いていた時、私のような巷の建築士は、大した人生ではないな、と思いました。

そんな昨日の番組視聴から、今朝の読書を、読んで納得したのが、下の言葉です。

(以下、菜根譚より)

人を作りて、甚(なん)の高遠の作業無きも、欲情を擺脱(はいだつ)し得ば、便ち名流に入る。学を為して、甚の増益の功夫無きも、物塁を減除し得ば、便ち聖境に超ゆ。

【訳文】
 平凡な人間と生まれて、特別なにも高尚で遠大な事業をしなくても、ただ名誉や利益にひかれる世俗的な心を払い落とせたなら、それでも名士の仲間に入ることができる。
 学問をなして、特別になにも学識を増す努力をしなくても、ただ外物によって心をわずらわされることを減らし除くことができさえすれば、それでもう聖人の境地に到達できる。
(以上、『菜根譚』前編No.14より)

ソフトバンクの孫正義氏や、「LOVOT」の林要氏とは違いますが、私は22歳から学び始めた建築士の勉強から一級建築士になった30歳までの8年の建築知識をベースに、コツコツと施主(建主)のニーズ(ソフト面)を、私のアイデア(ハード面)で実現してきた歴史しかありませんが、菜根譚を読み、気持ちがホッとします。

この世の中には、何千万人、何億人と人が生きています。それぞれに、生きた歴史があります。その生きてきた(生き延びてきた)歴史こそが、道(人生)なのだから、臆すことなく、これからも自らの考えで、生きれば良いのではと、思いました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:16Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ

2023年05月11日

<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜

<古い教え>知識や教養は、周りへは光らかしてはならない。〜菜根譚〜

朝読書は、洪自誠著『菜根譚』の解説本から、前編の第3の訓示を読んでみた。

(以下、本より転載)
 君子の心事は、天青く日白く、人をして知らざらしむべからず。君子の才華は、玉韞(たまおさ)め珠蔵(たまかく)し、人をして知り易からしむべからず。

【訳文】
 君子の心のありようは、青天白日のように公明正大であって、常に人にわからないことがないようにさせるべきである。
 一方、君子の才能のすぐれたところは、珠玉を深くつつみ隠しておくように、常に人に知られやすいようにしてはならない。
(以上、『菜根譚』前編No.3)

中国古典の『中庸』には、

知識や教養は、錦の衣の上に質素な麻の服を着て、時折、チラッと見せる(知らせる)くらいに、周りに示す程度が良い、の訓示がある。

知識や教養は、周りへ光らかすものではない、と古代の人たちも語っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:43Comments(0)菜根譚故事、名言、訓示、スピーチ易経

2023年05月06日

<苦中に楽しみを得る>毎日が忙しい人ほど、自らを検証する心の静かさを持っている。〜『菜根譚』〜

<苦中に楽しみを得る>毎日が忙しい人ほど、自らを検証する心の静かさを持っている。〜『菜根譚』〜

年に一度は開く本が、江戸時代の庶民によく読まれた人生の指南書『菜根譚』てす。この解説本は、いくつもありますが、一つの文を解説しているのが、

谷沢永一著『名言の知恵、人生の知恵』に、以下の一節があります。

(以下、本より)

 静中の静は真静にあらず。動処に静にして得来たりて、わずかにこれ性天の真境なり。
 楽処の楽は真楽にあらず。苦中に楽しみを得来たりて、わずかに心体の真機を見る。

【現代語訳】
 環境を静かにして、ようやく心の静けさを保つというようではまだまだ。活発な活動の中でなお心の静けさを保ってこそ、道を体得した者といえよう。
 楽しい場所で心を楽しませるというのではまだまだ。苦労の中に楽しみを見出してこそ、心の不思議な働きを生かした者といえよう。

[解説]
 人間は精一杯仕事をして、今日の自分には何も言うことがない、よくやったと、自己評価したときに、心の平静を得ることができる。
 そして、その一日にいい緊張感があったときに、充足という大切なものがやってくる。その緊張感の中で、時にやすらぎ、充足感を味わう、それが人生の味わいではなかろうか。
(以上、『名言の知恵、人生の知恵』より)

『菜根譚』は、中国古典なのですが、元の作家は、「洪自誠」という人物です。この解説本が、江戸時代によく読まれた。上記は、その一文ですが、他にも現代に通じる教えがたくさんあります。
 連休の二日間、自宅で静かにと思われる方は、『菜根譚』という言葉と本を知って、手にとってお読みいただき、感想でも頂ければ嬉しいです。

朝読書で、私自身も、気持ちの充足感とは、いつ、いかなるときに、得れるのかを朝から考えました。

ゴールデンウィークも残り2日間、私が仕事を始めた頃に3連休が始まったような記憶があります。
 日本人も、よく休みを取るようなりました。休日の意味もまた、考えることが必要と、『菜根譚』の言葉で教えられます。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:41Comments(0)故事、名言、スピーチ、等

2023年04月24日

<人間の評価は、いつから始まる?>私は、地域社会に役立っているだろうか?の疑問を持つこと。〜易経〜

<人間の評価は、いつから始まる?>私は、地域社会に役立っているだろうか?の疑問を持つこと。〜易経〜

久しぶりに『易経一日一言』を開き、本日の訓示を読んだ。

大畜は、貞(ただ)しきに利あり。家食せずして、吉なり。〜山天大畜〜

【解説】
 山天大畜の卦は、山に天の気を蓄えるほどの大きな蓄積の時を説く。
「家食せずして吉なり」とは、家業のためだけでなく広く社会に役立つことを目指すのなら、自らを大きな器に養い育てて、将来、大業を成し遂げることができる、ということ。
(以上、『易経一日一言』より)

熊本の偉人の一人、元熊本日日新聞新聞社の故永野光哉社長と敬慕していますが、生前に聞いた言葉に「人間は、棺桶のふたが閉まってから評価が始まる」と話されていました。

また、これは他の歴史家らから聞いた話ですが、人の伝記は、亡くなって100年くらい経たないと書けない。
 それはなぜか?、子や孫が生きている間は、書けない(賛否あり)とお聞きしました。

今の人間は、生きてる間に評価を急ぐのが目立つ気がします。

「人間の評価は、棺桶のふたが閉まってから」

急がず、騒がす、我が道を歩いて行けば良いのかもしれない。

山天大畜

人間の生きる道には、なかなか深い意味があると、朝から読みました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:48Comments(0)故事、名言、スピーチ、等易経

2023年03月26日

<死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜

<死中有活・忙中有楽>『六中観』〜安岡正篤〜

死に物狂いの活動の中に、新たなヒントを発言する。

忙しい人ほど、何かの楽しみを知っている。

日々読む『安岡正篤一日一言』には、無い「六中観」の漢語は、以下です。

死中有活
苦中有楽
忙中有閑
壺中有天
意中有人
腹中有書

【意訳】
ときには死んだつもりになってがんばりたい。
苦労のないところに楽しみはない。苦しみと楽しみは紙一重。
忙しい人の方がたくさん本を読むし、人生を楽しんでいる。
現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。
私淑できる人物を、あるいは、理想的人物像を心の中に持っている。
断片的な知識ではなく、しっかりとした哲学を腹の底に納めている。
(以上、谷沢永一著『名言の知恵、人生の知恵』より)

勝海舟の座右の銘とも言われる「六中観(りくちゅうかん)」の話を、深澤賢治先生から贈られた『陽明学のすすめⅡ 人間学講話「安岡正篤・六中観」』 で読んだ。

私はまだ現役の建築士であり、地方議会議員ですが、六中観の「死中有活」「忙中有楽」が、今の自分に必要と思っています。

本日は、春のフットパスの「花園・桜コース」モニターツアーの開催日、朝から霧雨ですが、スタート頃には止む予報なので、開催はいたします。私も歩いた『日向往還・歴史ウォーク21㎞』も早朝から霧雨の中を歩きました。日焼けせず、気持ちよく桜の下を今日は歩きます。

>忙中有楽

忙しい日々ですが、ちょっとばかりの楽しみも大事です。フットパスモニターで、非日常を楽しみたいと思います。

〜以下、Wikipediaより〜
一、忙中閑あり 「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」
二、苦中楽あり 「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある」
三、死中活あり 「死地に入って活路が開け、全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すのである。のらくらと五十年七十年を送って何の生ぞや」
四、壷中天あり 「世俗生活の中にある独自の別天地をいう」 (後漢書)
五、意中人あり 「常に心の中に人物を持つ。或いは私淑する偉人を、また要路に推薦し得る人材をここというように、あらゆる場合の人材の用意」
六、腹中書あり 「目にとめたとか、頭の中のかすような知識ではなく、 腹の中に納まっておる哲学のことである」

深澤賢治先生のコラム「六中観」
https://alvas-design.co.jp/column/9943/
  


2023年03月10日

<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜

<仁とは、恭•寛•信•敏•惠なり>子張仁を孔子に問う。孔子曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。〜論語〜

朝読書・・・
年に数度は読む作家の谷沢永一さんの中国古典の解説本、その一つが『名言の知恵 人生の知恵』に、論語の真髄とも言える「仁」の解説がある。

仁とはーー『論語』

子張の5つとは何かの問いに、孔子先生は以下のように答えている。

恭:上に立ち者が己れを慎んで恭(うやうや)しいなら侮(あなど)りを受けない。

寛:寛大であれば衆望が集まる。

信:信義を守って行動するなら、人が信頼する。

敏:鋭敏に努めれば仕事の成績があがる。

惠:上に立って恵み深ければ、人民もその恩義を感じて、快く動いてくれる。

すなわち、この五つを行うことが仁道ということになろう。
(以上、本より抜粋)

>恭•寛•信•敏•惠

朝から、五つの言葉の意味を考えました。

そろそろ朝活の準備です。五つていうと、

敏、サッと準備して、出かけたいと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:49Comments(0)孔子の教え故事、名言、訓示、スピーチ

2023年03月08日

胸臆虚明(きょうおくきょめい)なれば、神光四発す。〜言志四録161〜

胸臆虚明(きょうおくきょめい)なれば、神光四発す。〜言志四録161〜

朝から佐藤一斎の訓示録「言志四録」から、

【訳】
 心の内にわだかまりがなく明瞭であれば、心の霊妙な働きが四方に輝きわたるものである。
(以上、『佐藤一斎一日一言』3月8日より)

未明の月明かりは、快晴の空にあり、下界を照らす。心も快晴のように澄み渡っていれば、周りの風景もよく見える。心に悩み事があれば、良いこともぼやけて見える。

未来の目標に向かい、目の前の仕事をしっかりやっていけば、悩み事やわだかまりも、少しずつですが消えていくものです。背伸びせず、地道に与えられたことに取り組むことに、3・4月は専念したい。

胸臆虚明(きょうおくきょめい)の心境で、取り組みたいと思います。  


2023年02月13日

<漸進する"じっくり">若かして藩主となった上杉鷹山公は、藩士に求めた"自己改革"の手法とは?〜『上杉鷹山と細井平洲』〜

<漸進する"じっくり">若かして藩主となった上杉鷹山公は、藩士に求めた"自己改革"の手法とは?〜『上杉鷹山と細井平洲』〜

今朝は、雨が降り気温も冬の寒さはありません。いつもの時間に目覚めて、枕元の本をパラパラしていて、日々読む『易経一日一言』を手にして、2月12日の訓示、

「漸(ぜん)」は、段階を経て、順序正しく段々に進んでいくこと。

(以下、本より)

風山漸の卦

苗木が大木に育つような、ゆっくりとした進み方を勧めている。大地にしっかり根を張り、結果を焦らず着実に一枝一枝、成長によって大木となる。これは人間にもあてはまる。
(以上、本より)

成長は遅い、急がすゆっくりとやりなさい、という教えと思います。

一昨日、宇土市サッカー協会の理事会に出席して、ここ1ヶ月の活動報告を聞く中で、鶴城中サッカー部が熊本県の新人戦で、準決勝まで進んだ。コーチから、子どもたちは、試合(実践)で成長することを改めて確認した気がする、と語っていました。

新チームになり、なかなか勝てない時期が長く続いていたのは知っていたので、県下で実力No.1の強豪校に臆することなくチャレンジしている姿を私も観戦していたので、「(中体連まで)まだ半年有る、頑張れば大きく成長する」と期待を込めて感想を述べた。

チーム強化は、生徒一人ひとりの成長の集合にあると思います。一人ひとりが、努力して自己変革して、少しずつ成長を続けることと思います。

では、自己変革とは何か?

昨日紹介した作家の童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』に以下の一文がありました。

(以下、本より)

「自分のいいたいことばかりいわずに、他人のいうこともキチンと聞く」
ということと、
「反対者や対立者を、真っ向からやっつけるのではなく、時間をかけて柔軟に理解と協力を求めて行く根気強さを養おう」
ということが、かれらの自己変革の内容であった。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)

よく"個性を伸ばす"という言葉を聞きます。

この個性こそが、一人ひとりを成長させるヒントではないかと考えています。

一人の人間の生きる長さ(人生)は違います。しかし、今を生きている人の時間の流れは同じです。1日、1日をいかに大切に過ごすか、その積み重ねが、自らを成長(変革)させていくと思います。

>結果を焦らず着実に一枝一枝、成長によって大木となる。

>時間をかけて柔軟に理解と協力を求めて行く根気強さを養おう。

人は、人と関わりながら成長すると考えいます。スポーツにしろ、学問にしろ、縁ある方々の意見に耳を傾け、それを受け入れて実践し、反省して、さらに努力を積み重ねる。そうすると、必ず結果が出る。

急がす、騒がす、地道に、じっくり、ゆっくりと成長すれば良いと思っています。

朝から、長くなりました。お読みいただきありがとうございます。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:25Comments(0)故事、名言、スピーチ、等教育問題

2023年02月12日

<上杉鷹山と細井平洲>今でこそ良く使う「まちづくり」とは何か?

<上杉鷹山と細井平洲>今でこそ良く使う「まちづくり」とは何か?

江戸時代の明君と尊敬集める上杉鷹山公が目指した"まちづくり"とはなにか。作家の童門冬二著『上杉鷹山と細井平洲』に、以下の一文がありました。

(以下、本より)

上杉鷹山のまちづくりの指標とは?

そこに住む人々が安心して住め、死に甲斐と生き甲斐を同時に感じ、同時に自分の子孫も住まわせたいと願い、さらにいえば他地域に住む人々を呼び寄せたいと思うような魅力を皆の手でつくろう、というのが鷹山のまちづくりの指標であった。
(以上、『上杉鷹山と細井平洲』より)

まちづくりの二本立て

1.都市基盤整備に力を入れる
 道路、橋、上下水道、ゴミの処理場、保育園、公民館、図書館、あるいわ福祉施設、住民が必要とする施設の整備。

2.人づくりに力を入れる
 教育機関、藩校「興譲館」の設立だった。学長に就任したのが、細井平洲でした。細井平洲は、儒学者・丸山玉山と交友があり、興譲館を作るにあたり参考にしたのが、熊本藩の細川重賢公の「宝暦の改革」の命で、丸山玉山が担当して設置したのが藩校「時習館」だった。

まちづくりの基本は、人づくりと基盤整備の二本立てで、上杉鷹山公は考え実践していった。

細井平洲と丸山玉山

上杉鷹山と細川重賢

ともに財政政権に取り組んだ明君と後々の方から尊敬されていますが、両藩は情報交換しながら、それぞれに取り組んでいたのでは、想像します。

まちの発展には、ハード整備だけではダメ、人の育成が大事です。日々の困りごと解決の場当たり的なまちづくりの発想ではなく、長期のビジョンを持って、基盤整備や人材育成に取り組まなければ、将来の発展は無い。

>ば他地域に住む人々を呼び寄せたいと思うような魅力を皆の手でつくろう

上杉鷹山。300年前の行政改革に学ぶことは多いと思いました。  


2023年02月07日

<教育の中心は、人の道を教える>広域強盗事件。金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思う。

<教育の中心は、人の道を教える>毎日報道されるフィリピンに滞在中の広域強盗容疑の日本人4名を見て思うに、凄い知恵者なのだろうと思うが、知恵の使い道が間違っている。
 自らをどう活かすのか、人生の最初の一歩を間違うと、人の命も、相手の状況も、想像すらしなくなる恐ろしい人間となる。既に、詐欺容疑でも、60億円以上の被害容疑もあり、金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思います。

 今朝の読書は、幕末の儒家・佐藤一斎の訓示をまとめた『佐藤一斎一日一言』に、以下の言葉があります。

才能は両刃の剣

才は猶お剣のごとし。善く之れを用うれば、即ち以て身を衛るに足り、善く之れを用いざらば、即ち以て身を殺すに足る。

【現代語訳】
才能は剣のようなものである。これをよく用いれば身を守るために役立つし、これを悪いことに用いれば自分の身を殺すことになる。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より転載)

人間、人生の踏み出す一歩をどこに踏み入れるか?
後々の人生の末路が、見えてくるのではないか、

>身を衛るに足り

自らの命を守るに足りる生き方を見つけられることは幸せなのだと知らされる。

毎日、いろんな犯罪報道を聞きながら、人の道は多岐に有り、自らの進む道は、どこへ向かうのか?
 子どもたちの教育の中心は、人の道を教えることのように思います。

#広域強盗事件
#マニラ収容施設
#容疑者4人  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:27Comments(0)意見・異見佐藤一斎「言志四録」 教育問題

2023年02月04日

<傾聴の心得>周りの誘いは、判断は必要ですが、基本的受ける主義をとっている。〜山水蒙〜

<傾聴の心得>周りの誘いは、判断は必要ですが、基本的受ける主義をとっている。〜山水蒙〜

今朝は、ゆっくりと目覚めました。といっても、6時半でしたが、新聞に目を通して、本を開いた。

『易経一日一言』の2月4日の訓示、

占いで最初に出た答えが気に入らないからといって、二度三度と占えば答えは乱れ、正しく告げることはない。
(以上、本より)

自分の意に合った意見しか聞かないリーダーでは、先行きが見えない。誰しも思うことですが、しかしその世界に入ってしまうと、周りも見えなくなるものです。

フィリピンの収容所をアジトとして暗躍した強盗団は、賄賂を使い、フィリピンの法律の規制を上手く使っている予定が、脆くも崩れた。

自らだけの視点で活動していては、周囲からの意見(捜査)に、耳を傾ける意識が薄れるのだろう。日本の捜査官たちのお手柄と言えるが、公的機関も賄賂(金で動かす)で操る犯人たちには、呆れるとともに、いつかバレることを想像できない知恵の無さが幼稚に思えます。

冒頭の言葉は、私自身の考えなのですが、周りのいろんな意見書入る仕組みを、どう構築して危機に備えるか、そのことを、今朝の読書で考えました。

初筮(しょぜい)は告ぐ。
再三すれば瀆(けが)る。
瀆(けが)るれば告げず。
貞(ただ)しきに利(よ)ろし。

解説に、

学ぶことも同じく、自分の気に入った教えしか受け入れなければ何も学ぶことはできず、進歩もない。

周りからの苦言にも耳を傾け、真摯に受け止めて、自らを改善する生き方をしたいものです。

本日は、『易経一日一言』の「山水蒙」の卦を学びました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:56Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ易経

2022年10月14日

蟹(カニ)は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。さらば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚〜

蟹(カニ)は甲に似せて穴を掘る。人は心に似せて家を営む。されば、家に大小あれば、心に大小あり。〜沢庵和尚〜

沢庵和尚は、漬物もの"たくわん"の方が有名ですが、いろんな示唆を与える言葉を残しています。

蟹の甲羅と人の心の大きさから、人間のスケールについて語った言葉ですが、人間分析の鋭さを感じます。

沢庵和尚曰く、

「とかくに身に縛られて心を狭くするなかれ、常に広い心を持て」

ということだと思います。人生は短い、さて、私は心を広く持って生活しているのか?

そんなことを考えた朝です。

*参考資料:半藤一利著『この国のことば』