2008年08月12日
地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える
地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える
公欲(社会に如何に役立つか)の心がどれだけあるかが、人々の関心(思い、敬慕)につながって行きます。
人の好き嫌いは、その人の生き様そのものが醸し出す雰囲気ではないかと最近、感じる様のなりました。反対に、自分の立っている位置、自分の興味(欲求)等も含め、多から見られる感覚を常に持ち続けれるかだと思います。
そこで、孔子の教示をしっかり噛しめめたいと思います。
(現代語訳)
子日わく、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。
(解 釈)
孔子が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるがよい。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるかを考えて努力をすることだ」
(感 想)
現代の日常に在りそうな、教示と思います。人との生業は、二千五百年の時を越えた今でも、人と人の関係はそう変わり無いとも言えます。
やるべきことをやり、誇らず、行動が先、言葉は後の、知行合一に努めると、だんだん、だんだん、見方も変わってくるのかもしれません。
公欲(社会に如何に役立つか)の心がどれだけあるかが、人々の関心(思い、敬慕)につながって行きます。
人の好き嫌いは、その人の生き様そのものが醸し出す雰囲気ではないかと最近、感じる様のなりました。反対に、自分の立っている位置、自分の興味(欲求)等も含め、多から見られる感覚を常に持ち続けれるかだと思います。
そこで、孔子の教示をしっかり噛しめめたいと思います。
(現代語訳)
子日わく、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。
(解 釈)
孔子が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるがよい。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるかを考えて努力をすることだ」
(感 想)
現代の日常に在りそうな、教示と思います。人との生業は、二千五百年の時を越えた今でも、人と人の関係はそう変わり無いとも言えます。
やるべきことをやり、誇らず、行動が先、言葉は後の、知行合一に努めると、だんだん、だんだん、見方も変わってくるのかもしれません。
2008年08月12日
利に放(よ)りて行えば、怨多し
利に放(よ)りて行えば、怨多し
オリンピックの開幕のパフォーマンスで、論語の勉強をする古(いにしえ)の人々の様子が表現されいた。
現実の中国国内には、論語の教えとは逆に、譲る心が薄れ、我先にの我欲の社会になっているように見えます。
昨日も、一般庶民の生活の一端がニュースで流されていました。下記の論語の教えとを読むと、オリンピックを強行に進めている中国共産党のパフォーマンスは、相当無理が見えて来ます。
オリンピックは、国を開くと思っていますが、伏せられていた色々な矛盾が、オリンピック後の中国の人々を、覚醒させることにつながり、真の民主国家への一歩につながれば良いと願っています。
論語、「里仁第四」より、
(現代語訳)
子日わく、利に放(よ)りて行えば、怨多し。
子日わく、能(よ)く礼譲)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能(よ)く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何にせん。
(解 説)
孔子が語れた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い」
孔子が語れた「礼の根本である譲る心えお以て国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか。その譲る心を以て国を治めなければ、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろう。
(感 想)
法令、決まり事を整えることも重要ですが、底辺の一般庶民の生活を充実させることが、第一の政治の仕事と思います。
国家は、色々な矛盾をはらんで存在していますが、オリンピック開催中に、国内はもとより、海外からも非難するアピールが続くけば、中国トップの威信が下がるように思います。
国は、権力者のために在るのでなく、国民のために在るとことを、今回の北京オリンピック関連の報道を見ながら考えて行きたいと思います。
オリンピックの開幕のパフォーマンスで、論語の勉強をする古(いにしえ)の人々の様子が表現されいた。
現実の中国国内には、論語の教えとは逆に、譲る心が薄れ、我先にの我欲の社会になっているように見えます。
昨日も、一般庶民の生活の一端がニュースで流されていました。下記の論語の教えとを読むと、オリンピックを強行に進めている中国共産党のパフォーマンスは、相当無理が見えて来ます。
オリンピックは、国を開くと思っていますが、伏せられていた色々な矛盾が、オリンピック後の中国の人々を、覚醒させることにつながり、真の民主国家への一歩につながれば良いと願っています。
論語、「里仁第四」より、
(現代語訳)
子日わく、利に放(よ)りて行えば、怨多し。
子日わく、能(よ)く礼譲)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能(よ)く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何にせん。
(解 説)
孔子が語れた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い」
孔子が語れた「礼の根本である譲る心えお以て国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか。その譲る心を以て国を治めなければ、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろう。
(感 想)
法令、決まり事を整えることも重要ですが、底辺の一般庶民の生活を充実させることが、第一の政治の仕事と思います。
国家は、色々な矛盾をはらんで存在していますが、オリンピック開催中に、国内はもとより、海外からも非難するアピールが続くけば、中国トップの威信が下がるように思います。
国は、権力者のために在るのでなく、国民のために在るとことを、今回の北京オリンピック関連の報道を見ながら考えて行きたいと思います。
2008年08月01日
仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む(論語・里仁第四)
仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む
(本文より)
子曰わく、不仁者は以て久しく約を処(お)るべからず。以て長く樂に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す。
子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む。
~里仁第四~
(解 釈)
孔子が言われた「不仁の者は長く逆境におることができない。又長く平安ま生活をも続けることができない。仁者は安んじて仁を実践し知者は仁の価値を知って仁を実践する」 孔子が言われた「ただ仁者だけが、先入観なく、正しく人を愛し、正しく人を悪むことができる」
(感 想)
人の行動を見るに、その心をついつい想像してしまいます。「あれや」「これや」「・・・」、仁者は、素直な心から行動しているから、落ち着きがあり、変化に動じないように思います。
新しい事を起こすと、周りのものはせん索し、あれや、これや、うわさがします。しかし、公共の欲に従っていれば、いずれ理解され、そのうわさもいずれ消えて行きます。
>仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す
仁者は、その状況に謙虚に対応し、先を見据えて行動起します。
知者は、目先の利を掴むために、近視眼てきな行動しかできません。
後には、大きな開きをもたらします。
逆境にしろ、平安にしろ、驕らず謙虚に、自分の位置を確認し、言動を反省することが大事なのかもしれません。
孔子の教示は、素晴らしいと思います。
(本文より)
子曰わく、不仁者は以て久しく約を処(お)るべからず。以て長く樂に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す。
子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む。
~里仁第四~
(解 釈)
孔子が言われた「不仁の者は長く逆境におることができない。又長く平安ま生活をも続けることができない。仁者は安んじて仁を実践し知者は仁の価値を知って仁を実践する」 孔子が言われた「ただ仁者だけが、先入観なく、正しく人を愛し、正しく人を悪むことができる」
(感 想)
人の行動を見るに、その心をついつい想像してしまいます。「あれや」「これや」「・・・」、仁者は、素直な心から行動しているから、落ち着きがあり、変化に動じないように思います。
新しい事を起こすと、周りのものはせん索し、あれや、これや、うわさがします。しかし、公共の欲に従っていれば、いずれ理解され、そのうわさもいずれ消えて行きます。
>仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す
仁者は、その状況に謙虚に対応し、先を見据えて行動起します。
知者は、目先の利を掴むために、近視眼てきな行動しかできません。
後には、大きな開きをもたらします。
逆境にしろ、平安にしろ、驕らず謙虚に、自分の位置を確認し、言動を反省することが大事なのかもしれません。
孔子の教示は、素晴らしいと思います。
2008年06月12日
(無関心の国民)政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要
(無関心の国民)政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要
政党の国民に対する責任の無さもありますが、この政治機構を作り上げてきた、国民にも責任があります。明治以来変わらない、政治機構の存続だけが目立ち、それに無関心の国民がいること。
韓国の牛肉問題の国民のアピールのような行動を起さない日本国民の現実も問題と思います。この無関心が大きな問題と思います。
孔子の教示の一説を思い出だしました。
「子曰わく、政(まつりごと)を為すに徳を以ってすれば、譬(たと)えば北辰其の所に居(お)りて、衆星之に共(むか)うが如し。」(「論語」為政第二)
(意訳)
先師(孔子)が言われた。
「仁の心から発する恕(おもいやり)の政治を行えば、たとえば北極星が真北に在って動かずに、多くの星がそれに向ってくるように、その徳を慕って集まってくるものだ。」
(感想)
色々な場面で、使われ続けて来た言葉と思います。世界のリーダーたちに知ってもらいたい(知っている)言葉と思います。でも、実行されない現実があります。
政治機構の存続を例えたことばに、「君子を船(政治)、浮かせる海(川)を民衆」と見なし、両方がバランス良い関係でないと、舟は沈んでしまいます。
社会の改善には、政治家と民衆が双方が歩み寄り、より良き未来を目指し、政治家は謙虚に意見を聞き、民も利己の事でなく公の視点で議論をして欲しいと思います。
政党の国民に対する責任の無さもありますが、この政治機構を作り上げてきた、国民にも責任があります。明治以来変わらない、政治機構の存続だけが目立ち、それに無関心の国民がいること。
韓国の牛肉問題の国民のアピールのような行動を起さない日本国民の現実も問題と思います。この無関心が大きな問題と思います。
孔子の教示の一説を思い出だしました。
「子曰わく、政(まつりごと)を為すに徳を以ってすれば、譬(たと)えば北辰其の所に居(お)りて、衆星之に共(むか)うが如し。」(「論語」為政第二)
(意訳)
先師(孔子)が言われた。
「仁の心から発する恕(おもいやり)の政治を行えば、たとえば北極星が真北に在って動かずに、多くの星がそれに向ってくるように、その徳を慕って集まってくるものだ。」
(感想)
色々な場面で、使われ続けて来た言葉と思います。世界のリーダーたちに知ってもらいたい(知っている)言葉と思います。でも、実行されない現実があります。
政治機構の存続を例えたことばに、「君子を船(政治)、浮かせる海(川)を民衆」と見なし、両方がバランス良い関係でないと、舟は沈んでしまいます。
社会の改善には、政治家と民衆が双方が歩み寄り、より良き未来を目指し、政治家は謙虚に意見を聞き、民も利己の事でなく公の視点で議論をして欲しいと思います。
2008年05月28日
『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え
『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
2008年05月28日
『孝経』天子章 第二(宇土論語教室 朗読文)
『孝経』(宇土論語教室 朗読文)
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
2008年05月25日
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
2008年04月14日
(論語3シリーズ)年長・上司と語る時に気をつける3つの教え
(論語3シリーズ)年長・上司と語る時に気をつける3つの教え
会社の上司、地域や組織の年長、親や叔父・叔母等々に話をするときに、ついつい身近な性もあり、軽率に話しを始める事があります。そんな時に気をつけることを、孔子が弟子たちの説いている教えがあります。
「君子に侍(はべ)るに三愆(けん)有り」
愆:あやまる。間違う
上記に続く言葉は、下記の教えです。
君子に侍(はべ)るに三愆有り。
言未だ之に及ばずして言う、之を躁(そう)と謂う。
言之に及びて言わざる、之を隠(いん)と謂う。
未だ顔色を見ずして言う、之を瞽(こ)と謂う。
(解説)
君子のおそばにいて、犯し易い3つのあやまりがある。
一つ、言うべきでない時に、言うのをがさつ(躁)という。
二つ、言わねばならない時に、言わないのをかくす(隠)という。
三つ、まだ相手の顔色も見ないで言うを瞽(目の不自由な人)という。
身近な人こそ敬意を払い、言葉を選びながら語ることが必要と思います。
相手が話しいている時に、途中で遮りこちらから一方的に話したり、電話をかけて相手の状況を聞かず、いきなり話し始めたり、自分を振り返るに反省仕切りですが、2,500年前にもやはり、そんな人もいたのかと思います。
重要な箴言を言わずに終わり、後で公開したり、次の機会に話すと角がたったりと、話をどこで切り出すか、どこでやめるかも、一期一会の゛チャンス゛が意外と難しいと思います。
昨日も、5人で飲食をしながらの、2時間半でしたが、5人それぞれの思いを上手く、つなぎ合わせることは、良き勉強でした。5月1日は、異業種交流会を主催するのですが、事前に多くの方と小さなグループで語ることが必要だなとつくづく昨日は思いました。
14年近くお付き合いする先輩と、数名でじっくり語ったのは今回が初めてで、良い機会だったと思います。
今回は、その先輩が開いた花祭りコンサートに参加した、私と電気工学の大学教授1人、建築構造設計の後輩、工務店を経営するスーパー職人の5人でした。話題も地元から世界の政治経済情勢まで、多彩でした。コンサートの行く前に、上記の「三愆」を読んで言ったのですが、会話のタイミングを確かめながら、楽しめた飲み会でした。
会社の上司、地域や組織の年長、親や叔父・叔母等々に話をするときに、ついつい身近な性もあり、軽率に話しを始める事があります。そんな時に気をつけることを、孔子が弟子たちの説いている教えがあります。
「君子に侍(はべ)るに三愆(けん)有り」
愆:あやまる。間違う
上記に続く言葉は、下記の教えです。
君子に侍(はべ)るに三愆有り。
言未だ之に及ばずして言う、之を躁(そう)と謂う。
言之に及びて言わざる、之を隠(いん)と謂う。
未だ顔色を見ずして言う、之を瞽(こ)と謂う。
(解説)
君子のおそばにいて、犯し易い3つのあやまりがある。
一つ、言うべきでない時に、言うのをがさつ(躁)という。
二つ、言わねばならない時に、言わないのをかくす(隠)という。
三つ、まだ相手の顔色も見ないで言うを瞽(目の不自由な人)という。
身近な人こそ敬意を払い、言葉を選びながら語ることが必要と思います。
相手が話しいている時に、途中で遮りこちらから一方的に話したり、電話をかけて相手の状況を聞かず、いきなり話し始めたり、自分を振り返るに反省仕切りですが、2,500年前にもやはり、そんな人もいたのかと思います。
重要な箴言を言わずに終わり、後で公開したり、次の機会に話すと角がたったりと、話をどこで切り出すか、どこでやめるかも、一期一会の゛チャンス゛が意外と難しいと思います。
昨日も、5人で飲食をしながらの、2時間半でしたが、5人それぞれの思いを上手く、つなぎ合わせることは、良き勉強でした。5月1日は、異業種交流会を主催するのですが、事前に多くの方と小さなグループで語ることが必要だなとつくづく昨日は思いました。
14年近くお付き合いする先輩と、数名でじっくり語ったのは今回が初めてで、良い機会だったと思います。
今回は、その先輩が開いた花祭りコンサートに参加した、私と電気工学の大学教授1人、建築構造設計の後輩、工務店を経営するスーパー職人の5人でした。話題も地元から世界の政治経済情勢まで、多彩でした。コンサートの行く前に、上記の「三愆」を読んで言ったのですが、会話のタイミングを確かめながら、楽しめた飲み会でした。

