2008年08月19日

一度しかない一生、生かさなかったら、生まれた甲斐がない

一度しかない一生、生かさなかったら、生まれた甲斐がない

 それぞれの人生、それぞれに望むもの、あるいは成りない目標があると思います。

 さまざまな事件、出来事が、日々報道で流れてきます。たぶん子供のころは、そんなことを起こそうとは、思っていなかったはずです。

 江戸期の賢人、佐藤一斎の遺訓を集めた「言志四録」に次の一説があります。

『百年、再生の我れなし』~言志四録~

 百年再生の我れ無し、其れ曠度(こうと)すべけれんや。

(現代語訳)
 百年後再び生まれてくる自分ではない。一日一日を空しく過ごしてはならない。

 また、作家の山本有三の著書にも、次の言葉があります。

「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない一生を、本等に生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐がないじゃないか」~『路傍の石』山本有三著~
 
 歴史上にも、一度しかない自分の人生、どう生きるかは、自分自身しか決めることも、行動をおこすることできないのです。

 自分に、どんな人生を贈る(送る)かは、自分の心しだい。今日の一日、大切に生きたいと思います。


  

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2008年08月11日

「三徳」~言志四録~(佐藤一斎)

「三徳」~言志四録~(佐藤一斎)

(本文)
 智、仁は性なり。勇は気なり。配して以て三徳と為す。妙理(みょうり)なり。

(読 解)
 『論語』に「智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とあるが、その智慧と仁愛は人の生まれながらに備わっている本性であり、勇気は本性の働きから生ずる気である。 『中庸』では、これらを配合して達徳と称するが、これはなかなか玄妙な理を表している。

 *仏教では、慈悲、智慧、勇猛を三徳として、貧、怒る、愚痴を三毒と言っている。

(感 想)
 男女共同参画の女性の昇進で、色々な議論が有った。
 女性の役職の少なさは、「自信の足りなさ」「政策(企画)作りに若いころから携わっていない(お茶くみばかり)」「他の男の同僚が、昇進をまっている。」
 反面に、自殺者3万人(多くが男性)、嫁いびり等々、色々な要因が女性の職業の幅を狭めています。

 自分の徳(人を引きつける力)を磨くことに必要な「向上心」が欠落しているように思います。こつこつ準備をし、何時でも役を受けれる心構え、仲間づくり、そして多様な方の連携がしっかりしていれば、どんな職能でも受容できると先人も語っています。
 要は、「準備と挑戦心」「恒産無ければ、恒心無し」、・・・、その実践に要する人の3つの資質が「慈悲、智慧、勇猛」と仏教でも教えています。
 
人に必要な゛三徳゛を生き方の基本に必要な気がします。中年の反省と、若い人へのエールを思って書きました。  

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2008年08月01日

人が従う言葉とは(斉藤一書斎『言志四録』)

人が従う言葉とは(斉藤一書斎『言志四録』)

 自分の思いを伝え、意を理解してもらうことは、なかなかむずかしいですね。企画をし、人々へ周知して、行動を共にしてもらうことがなければ、変化は生まれません。
 社会が感じる変化を起こすには、下記のような言動が大事と、佐藤一斎の言志四録にありました。

(現代語訳)
 道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。しかしながら、その言葉に激しいところがあると、聞く人は服従しない。強制するとことがあると、服従しない。私心を挟んでいると、服従しない。自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。
 およそ道理が行き届いているのに服従しない場合には、君子たる者、必ず自らに立ち返って反省する。まず自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに人はそれに服従してくれる。

(本 文)
 理到るの言は、人服せざるを得ず。然れども其の言に激する所有れば則ち服せず。強いる所有れば則ち服せず。狭(さしはさ) む所有れば服せず。凡そ理到って人服せざれば、君子必ず自ら反りみる。我れ先ず服して、而(しか)る後に人之れに服す。


>自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに人はそれに服従してくれる 
 まず、自分が納得、行動そのものが自分に意志であり、公共の利益(公欲)に即し、私心が見え隠れするようでは、人のこことはつかめない。

 昨日今日と、秋の企画のことで、先輩諸氏と調整をする中で、大きな目的は一つの方向なのですが、色々な思いを持つ方々が、アイデアを出して来ます。その投げ込まれてくる、多様なニーズを、どう企画に組み込んで行くか、そしてより良き目的と参加意識を持たせるか、明日から動き回る日になりそうな気配です。
 とにかく、18年色々な教示を受けてきたことへの恩返しと思い、関わる人々の思いを繋ぐことに関われることに充実感を感じ、更なる実践の学びの場になれば良いなと思います。企画が、決まりましたら、みなさんにもご案内致します。  

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2008年07月24日

得意の時こそ注意、能く人を容れる

得意の時こそ注意、能く人を容れる

 好調の時は、なんでもうまく行くように感じてきます。しかし、好調の時は色々な者、人も引き付けて行きます。
 良く、得意の時(好調時)は、慎重にの教えがいくも残っています。

 物事が巧く行っている時は、一歩退いてうまくいかない時の対応を考えておくべきである。一時であれ一つの事がらであれ、多区画昇りつめるた龍のように栄達を極めると、必ず衰退の恐れがあることを知っておく必要があります。

 また、得意の時は、不調へ向けた矛盾が見え隠れする現象が出てきます。これを気付き、示唆してくれる人が、厳しい意見を言う時は、謙虚に耳を傾けることが必要です。実際、好調の時は、耳障りな言葉は聞きたくない、耳に入り難いものです。

 しかし、耳障りな言葉は、自分の行動、事業への助言と思い、一歩引いて検証するゆとりが、惨事を回避する方法の一つと考えます。そのためには、日常から、色々な人の意見をうけ入れるように、心掛けることが重要と思います。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節から、

(本 文)~佐藤一斎「言志四録」~ 
 能(よ)く人を容(い)るる者にして、しかるの後以て人を責むべし。人も亦(また)其の責を受く。
 人を容るることを能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。

(解 釈)
 人を寛容に受け入れる度量の持ち主はであって、初めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。
 人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受け付けないものである。
*西郷南州(隆盛)は「男子は人を容れ、人に容れらては済まぬものとおもえよ」と訓えている。男というものは包容力がなくてはいけないということである。


 好調な時こそ、厳しい意見を受け入れることで、現況に満足せず、更なる向上心を持ち、多様な意見を受け容れる度量こそが、大事な事と先人も推しています。
 好調を維持する方法は、謙虚に現状を分析する心にあるのかもしれません。

「人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない」

今日一日、上記の言葉を心に置き、人と接してみたいと思います。

*参考資料:渡邊五郎三郎編「斉藤一斎 一日一言」より
  

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2008年07月23日

(志と向上心)憤なくして大成なし

(志と向上心)憤なくして大成なし

 憤の一字は、これ進学の機関なり。舜何人そや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)にこれ憤なり。(佐藤一斎『言志四録』)


(解 釈)
 憤とは発憤すること。「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。孔子の弟子の顔淵が発憤していった「(古代の聖人の)舜も、自分も、同じ人間ではないか」という言葉、これまさに憤である。


(感 想)
 発憤する思い「負けてたまるか」には、色々な対象があると思います。運動会のかけっこの相手、勉強で成績の競争、仕事だったら同期入社の仲間、事業を起こせば対抗する会社等々、競争相手があるものです。

 でも、こと学問(生き方)になると、現代人を対象せず、偉人、聖人が対象になることがあります。例えば、幕末の英雄の坂本龍馬、戦国の武将たち、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、古代であれば聖徳太子、大陸をみれば三国志の諸葛孔明、曹操、近代の曽国藩など、人の生き方を学ぶ対象は、事欠きません。

 要は、自分が何処を目指すかにあると思います。そして、一番の相手は自分自身、「怠け癖」を打ち消し、向上し続けるには、自分自身の弱気にたいして「なにくそ」と、発憤することが必要なように思います。  

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2008年07月10日

貧富は物にあらず、富貴と貧賤

貧富は物にあらず、富貴と貧賤

江戸後期の儒学者の佐藤一斎の残した遺訓集「言志四録」から、今日は、貧富は心の持ちようの教示を紹介します。


・貧富は物にあらず

(現代語訳) 
 物の余りが生じたら、それを富という。富を欲しがる心はすなわち貧である。貧に安んじている心はすなわち富である。このように、貧富とは心の持ち方にあるのであって、物の過不足にあるのではない。

(感 想)
 物欲、出世欲、名誉欲、等々、人は108の煩悩があるそうですが、全部を実現するには、一生では足りず、三生くらいしないと無理でしょうか。でも、浴を限りなく少なくする事で、心も平穏で、おだやかな心に近づくという教えではないかと思います。
 7月5日に私の地元で、脚本家のジェームス三木氏の講演がありました。テーマは、「爆笑人生論」でしたが、最後の言葉は、「年を取って何を捨てるか」にあると語られました。人間の欲望とは、果てしないものがあるのだろうと思います。
 謙虚に無欲な方ほど、豊かなのかもしれません。


・富貴と貧賤

(現代語訳)
 身体を苦労させて心を安楽にしている者は、貧しい人という。心を苦労させて身体を安楽にしている者を、富める人という。天の高いところからこれを見れば、どちらが得でどちらが損かわからない。

(感 想)
 幸せの基準は、自分の心が決めるものですが、あくせくと苦労し、人とは心と違ったお付き合い、策謀の中で上昇を続ける人生もあります。
 日々の暮らしを受け入れ、平穏に生きる人生もあります。
 天から見ると、人の一生は短いものです。どちらが幸福な人生かは、誰が決めるのでなく、自分が決めるものです。友人をたくさん持ち、仲良く暮らす人生の後半生をおくりたいものです。


*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」  

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2008年05月20日

敬を以って動静を貫く~四耐四不の語~(曽国藩)

敬を以って動静を貫く~四耐四不の語~


~四耐四不の語~(曽国藩)
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、繰がず、競わず、随わず以って大事を成すべし」

・敬を以って動静を貫く
 静を好んで動を嫌う者、これを臆病者、ものぐさ者といい、動を好んで静を嫌う者、これを慌て者、落ち着きのないものという。慌て者は物事を鎮静することができないし、臆病者は物事を成し遂げることができない。ただ、慎み深く、動にも静にも偏ることなく、慌てず、怖気づかない者にして初めて物事を鎮め、成就することができるのである。(佐藤一斎「言志四録」より)
  

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2008年05月09日

(リーダーとは)政治に必要な諸条件(斉藤一斎「言志後録」)

(リーダーとは)政治に必要な諸条件(斉藤一斎「言志後録79」)

政治を執り行うにあたって知っておくべきことが五つある。
第一に、財政上の軽重を計ること。
第二に、時代の趨勢を考えること。
第三に、心広く情を厚く人に接すること。
第四に、騒乱を鎮めて人心を安定させること。
第五に、おだやかな気持ちでよく我慢すること。
以上の五つである。

そのほかに、賢人を登用し、腹に一物ある人物を遠ざけ、農業を奨励し、税金を軽くし、贅沢を禁じ、倹約を尊び、老人を大切にし、幼児をかわいがるなども、みんながよく知っているようにたいせつである。

(感想)
 政治は、市民一人ひとりの思いや、あるいは社員一人ひとりの集まったものに、優先順位を付けて実行する事と先輩に聞いたことがあります。
 リーダーとは、関わる人々の思いをたくさん聴き、決断(判断)して行く、孤独な仕事も思います。常に、上記のことを頭に置き、日々の言動に気を付けて行く事が大事かを教えたことばと思いました。

*参考資料:佐藤一斎「一日一言」より

  

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2008年05月04日

大言壮語の人(斉藤一斎『言志後録』68)  

大言壮語の人(斉藤一斎『言志後録』68)  

 世の中には、好んで大きなことを言う人がいる。
 そういう人は、必ずと言っていいほど度量が小さい。

 世の中には、好んで元気のいいことを言う人がいる。
 そういう人は、必ずと言っていいほど、臆病者である。

 ただ、口にする言葉が大きくもなく、元気がいいわけでもないが、それでいて深みが感じられるような人は、たいてい見識が高く器量が大きい人物である。

 *大言:大仰なことば。 壮語:強がり


(感想)
 色々な会合で、騒々しい人がいますが、その時は目立ちますが、いざ本番のなった時に亜は、物静かになっているのがよく見受けられます。
 自分のできることを着実にやって行くほうが、無理もせず、長続きするような気がします。会議では、訥弁が良いように思います。
 やった後に、意見を述べると、存在価値が上がるように思います。

 皆様も周りでは、どんな具合でしょうか。
 静かに観察する事も結構勉強になります。
  

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2008年05月03日

学問は人を変える(斉藤一斎「言志録199」)

学問は人を変える(斉藤一斎「言志録199」)

人は天から受けるところの気は、その厚いと薄いと分け与えられている分量はだいたい同じようなものである。

身体の大小、寿命の長短、力の強弱、心の賢愚といったものは、誰でもそれほど大きな差があるわけではない。その間に、特に一箇所厚いところを授けられた者があれば、人々はみな、これを非凡という。

この非凡なる者はしばらく問題の外に置いておこう。すなわち普通の人にあっては、身体の大きさや力の強さの分け前はどうすることもできない。

しかし、心の賢さや愚かさについては、学問によって変えることができるのである。

ゆえに『中庸』に「博く学び、審らかに問い、慎んで思い、明らかに弁別し、誠実に実行する。

人がこれを一回するなら自分は百回行い、人がこれを十回するなら自分は千回行う。果たしてこの方法を実行すれば、愚者であっても必ず強くなる」とあるように、こうした方法を励行すれば、少しずつでも非凡な域に近づくことができる。

誠にこれは道理に敵っているといえる。

ただし、普通の人はたいてい遊び怠けてしまい、努力を続けることができないものである。これには何か天の算段があるのであろうか。
                       (斉藤一斎「言志録199」)
  

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2008年04月29日

正しい道を進むならば、何も危険ない(佐藤一斎『言志録』)

正しい道を進むならば、何も危険ない


「やむを得なざる勢い」(佐藤一斎『言志録』125)

(本文)
 已むべからずの勢いに動けば、即ち動いて括られず。枉(ま)ぐべからざるの途(みち)をふめば、即ちふんで危うかず。

(読訳)
 やむにやまれない勢いで活動するならば、邪魔立てされることなく自由に動ける。
 曲げようのない正しい道を進むならば、何も危険なことはない。

*吉田松陰は、「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」という歌を残している。


(感想)
 時勢の要望に、叶った「志」掲げ、やむにやまれぬ思いで、行動すれば周りが自ずと支援体制が出来てくるものです。
 また、佐藤一斎『言志録』に、「墳なくして、大成はなし」の教示が表わすように、よの矛盾や、不都合に対して、関心を持つことがとても大事と先人の言葉が教えています。
いくつになっても、やむにやまれぬ熱き思いを持ち続けたいものです。
  

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