2008年07月20日

(三人寄れば我が師あり)高校PTA新聞作りからの気付き

(三人寄れば我が師あり)高校PTA新聞作りからの気付き

 私の関わる身の回りの活動で、昨夜は娘の通う高校のPTA新聞の夏号完成の反省会があった。今年、広報委員2年目ですが、メンバーが入れ替わり雰囲気ガラッと変わった。
 昨年のリーダーは、例年通りにして行く方で、2年間委員長をされた。熊本の新聞社の新聞コンクールに出す事が目的のような新聞作りでしたが、今年は小中学校でPTA会長や、女性部代表等の役員経験者も多く、「子供が見る、親が見たい」新聞を作ろうと、張り切っていて、短い3回の会議で一気に作り上げました。

 A3見開き4ページ、1面は、校長VS会長対談、創立記念日講演会等の文字を中心の掲載、4面は今年にPTA役員紹介、九州高校PTA大会参加の報告、人権問題のコラムと、こちらも文字の多い紙面でした。

 昨年までは、2面は、体育祭、県高校総体の報告、3面はテーマを決めた特集でした。ところが今回のメンバーは、前年踏襲など気にせず、2面体育祭写真24枚、3面県高校総体、総合文化祭に参加した全ての部を写真で紹介する紙面で、データが大きすぎてメールで送れないくらい、すごいものになりました。出来上がりに、みんさん満足、反省会をしようと言うことになりました。

 昨年の委員長は男性、職業は教師。今年は女性で、主婦ですがPTA会長経験者で、広報委員も小中でやっていたそうです。変革を起こすのは、やはり女性かなと思いました。前例にとらわれず、今の人が求めるものを提供することが、PTA新聞の意味があると、反省会の中で色々出ていました。
 
 話す中で、高校PTA組織や学校とのかかわりに、色々な疑問点が上がりました。高校PTA会費が小中に比べてはるかに高い事、PTA会費で職員を雇っていること、地方の高校でも冷房が当たり前になっていますが、冷暖房の生徒利用費が中身がわからない、・・・。
 高校PTAの役割は、中学校までような保護者が学校に関わりより、運営や予算の内容説明責任があると思いました。色々教えられた、新聞完成の反省会でした。 


佐藤一斎の言志四録に、次の一説がありました。

・我が友、我が師

徒(いたず)らに我を誉むる者は喜ぶに足らず。
徒らに我を毀(そし)る者も怒るに足らず。
誉めて当る者は、我が友なり。宜しく努めて以て其の実を求むべし。
毀りて当る者は、我が師なり。宜しく敬して以て其の訓(おしえ)に従うべし。

(解 釈)
 やたらと自分を誉める者がいても、喜ぶほどのことではない。やたらと自分をけなす者がいても、怒るほどのことではない。
 誉められて、それが的を射ているならば、その人は自分の友である。一生懸命努めて、誉められたことに応えるように実を挙げなくてはいけない。
 けなされて、それが的を射ているようならば、その人は自分の師である。慎んでその人の教えに従うべきである。


 様々な場面で、色々な人と出会い、語り、交流が生まれます。ただやみくもに、日々を過ごすのではなく、人の言葉に真剣に耳を傾け、自分のこととして考える事が大事だなと思います。たかがPTA新聞づくり、なおざりに出来ない、親たちの真剣さを感じられた昨夜の反省会でした。
 
*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎 一日一言」~『言志四録』を読む~  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:18Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年07月15日

(生きることは)後悔無きよう、いかに日々を充実させるか

(生きることは)後悔無きよう、いかに日々を充実させるか
~健康に留意、感謝する、恩返し、時の惜しむ、死後も役に立つ~

「惜命 生命への深い哀惜の念」(北尾吉孝語録) 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす 」と言う一節は、日本人なら一度は聞いた言葉と思います。
 その無常観を無常と表面的に「ああ無常だな、ものの哀れ、人間と言うものは儚(はかな)い」と感じることが多々おることと思います。
 この無常ということを考えること合わせて、どのように生きるのか考える大事な課題と思います。

 これまで何度か紹介した、江戸後期の儒学者、佐藤一斎の教示を集めた「言志四録」の一節に、「四十を過ぎて己後、始めて惜命を知る」(惜命:命を惜しむ)とあります。現代ならばさしずめ六十歳くらいでしょうか。「時間が勿体ない、あと何年生きられるかな」と言っても、後戻りはできません。
数日前に読んだ、北尾吉孝著「人物をつくる」~真のリーダーに求められるもの~、の一節が心に響きました。ご紹介します。


(本文より、抜粋)
 その域まで来ると、まず第一に、健康に留意するようになります。
第二に、感謝するという気持ちが生まれます。
第三に、生きていることに、ありがたいと感謝する気持ちが生まれると、何とかして社会へ恩返しがしたいという気持ちが生まれてきます。
第四に、時間を惜しむという気持ちが非常に強くなってきます。
第五に、人間と言うものは、死んでからのことも生きているうちに、考えなければならないと思うようになります。(中略)

 すなわち、死後にも何か世のために、人のためになるようなことを、生きているうちに準備しておかねばならないとおもうようになったのです。(中略)

 例えば、松下幸之助さんは、後世の人に多くの就業の場を。文筆家や著述家は、智恵や経験を本に。宗教家は、多くの人に救いを与えました。また、教育者は人材を育て。親は子、子は孫を育てます。(中略)
 従って、死後のご奉仕をするためには、命を惜しみ、時間を惜しみ、それから、自分の天命に向かってまっすぐに進んでいく。その覚悟がなければならないでしょう。(中略)


 北尾吉孝氏は、ソフトバンク・ファイナンスグループの代表者で、中国古典、哲学、経営学にも造詣が深く、著書を読み深く感銘を受けました。
更に、松尾芭蕉の句についての意見がありました。

(本文より)
 松尾芭蕉の辞世の句と言うと、「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」という有名な一句があります。
 しかし、(当時の社会・医療事情を考えると)これは辞世の句として創られたものでなはく、彼は、創っている句全部が辞世の句だと思ってきたと言います。
「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。
 我、生涯に言い棄てし句々、一句として辞世にならざるはなし」(中略)


 日々毎日、賢明に生きることの教えと思います。自分自身果たして、そこまで実践しているか言われると、返事に詰りますが、自分の出来うる限り、知る限りを駆使して、明日のため、未来のためにやるしかないのだと思います。目先にとらわれず、でも日々賢明に難しい課題です。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:21Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年07月11日

今,倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)

今軽視している倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)

大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。

~李登輝著「『武士道』解題」より~

・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)

 政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、かつ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」
とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、
「直ちに輪読会を中止せよ」
と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)

・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、
「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」
と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)


 私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。

 「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界の平和実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。

 明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:38Comments(1)TrackBack(0)私の意見

2008年07月09日

(大分教員汚職)汚れた教育採用、昇進人事の実態に怒り!

(大分教員汚職)汚れた教育採用、昇進人事の実態に怒り!

 大分教員汚職、教師が職務権限を振り回し、教員採用、昇進人事を、金でゆがめた事件が、毎日テレビ報道しで聞く中で、「教職員はいるが、教師がいない」の言葉を思い出した。かつて「師の陰を踏まず」と先生を尊敬した時代があります。
 教師は、次世代を育成する先生であり、先導者であったと思います。先導者とは、率先垂範の目標でないといけないのに、とても残念でなりませんし、ここまで堕落したかの思いを持ちます。

 教職員は、県職員の約3/4を占める数の多さ、安定した職業として、地方では志望の多い分野にでもあります。大都市の教員不足とは違って、地方では少子化で、学校再編により採用も役職も減る中の不祥事、人の弱みに付け込む行為に、狭い世界で生きる人種の末路かなと感じます。

 中国故事に「四知」なる教えがあります。後漢の時代の話です。新しく来た上司の楊震に、部下が深夜自宅を訪れ賄賂を差し出すと次のように答えます。

「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている、地が知っている、それに、そなたも知っている、わしも知っているではないか。」

これは楊震の「四知」として知られる教示ですが、官職にある者は、これくらいのきびしさが必用と思います。そして悪事はいつかどこからか、漏れるという教訓でもあります。

 また、今日地元紙に、教育評論家の尾木直樹法政大学教授の言葉が載っていました。

「戦後最悪の教育汚職と言える。県教委だけで立て直せる問題ではなく、文科省が早急に調に乗り出すべきだ。学校は本来真実と正義、公正と公平を学ぶ場なのに、これでは教育そのものが成り立たない。教員の世界は閉鎖社会。大分と同じような土壌は全国にあるのではないか」(中略)

 ゛戦後最悪の教育汚職゛教育界が問われる大きな事件と思います。まだ捜査中で、全容が分かりませんが、夢を持ち学校で学ぶ正直な子供たちの心をしっかりと受け止め、教師は襟を正し、゛真実と正義、公正と公平を学ぶ場゛に早く変えて欲しいと願います。

 また大分県は、教育長に知事部局から何時も就任していたと言うことですが、教育長さらには、知事の指導の足りなさ、危機意識の甘さもあるのではと思います。「人口の約100人に一人が教職員」が日本の現状、国民全体で次世代育成の場である学校にもっと関心を持つことも大事と思います。


<以前の日記>
(人物観察学)『三国志』諸葛孔明の人物鑑定法、他
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=862116569&owner_id=2182841&org_id=863645233

(現実社会)20代~50代のボーナス【30万未満】トップ
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=863645233&owner_id=2182841
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:03Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年06月21日

書込みとご返事:(教育)正解は一つじゃない、基礎学力は中学

書込みとご返事:(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分

 九州は、大雨です。昼12時前後に(熊本県)宇土市は、雨で国道意外ほとんどの道路がところどころ冠水し、その回避で大渋滞でした。
 日常10分程度移動時間が50分近くかかり、本日(熊本市で)開催の藩校サミットの地元「宇土親子論語教室」のメンバーで行う、『孝経』朗読の30分前に到着し、無事に終了することができました。今の雨が降り続けています。明日の雨のようです。

 今日は週末ですので、SNSミクシィで昨日の日記「(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分」への書き込みと私の返事の文(長文)をご紹介します。
 すごく思いも中身も深いものですので、ぜひ時間がある時にお読み下さい。

 書き込みをして頂いた皆様には、すばらしい内容だったので、了解も取らず勝手に載せました。ご容赦頂ければ幸いです。

~6月20日の日記~
(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=844459313&owner_id=2182841

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「書き込み」
 海・Tom・ガラ・チーさま
この1つ前のノグチさんの日記とこの日記を読んで自分の価値観・・・というか、経験からくる物の考え方・見方 感性の磨き方を小さい時から教えるべきだ・・・とつくづく思います。
偏った考え方をもつ事も懸念されますが、人の話を聞く事ができる人であればそれは無用な心配になります。 人として生きるために、何が良いこと・常識なのか・・・自分なりに経験し考える力を身に付けてほしいです。
でも、私のように自分の子供がいない者がこのようなことを言うと「毎日自分で育てていないから・・・」子供を育てる苦労を知らない人のいうこと・・・になってしまいます。そうですね、人を育てるってとても大変なことですよね。

そんなこと判っている、けどできない・・・
そんな風に思っている人々が「変るきっかけ」をみつける時が早くきて少しづつ、でもなるべく早く世の中が変わっていくことを祈ります。

なんだかまとまらない文章になってしまいました。思いや考えを文字にするのはとても難しいですね。長くなりすみませんでした。

「ご返事」
 海・Tom・ガラ・チーさま、書き込みありがとうございます。

>自分の価値観・・・というか、経験からくる物の考え方・見方
>感性の磨き方を小さい時から教えるべきだ・・・とつくづく思います。

私ももっと早く気づけば良かったと思います。
でも、気づいた時がその時で、行き着かないと気づかないものですね。

>偏った考え方をもつ事も懸念されますが、人の話を聞く事ができる人であればそれは無用な心配になります。

人の話を聞ける人がすばらしいと思います。
すぐ、話を途中で折って、自分の意見を言う人は、我慢が出来ない人、自分の価値観で押し通す人にも感じます。

>人として生きるために、何が良いこと・常識なのか・・・自分なりに
>経験し考える力を身に付けてほしいです。

同感です。

>でも、私のように自分の子供がいない者がこのようなことを言うと
>「毎日自分で育てていないから・・・」子供を育てる苦労を知らない人のいうこと・・>・になってしまいます。そうですね、人を育てるってとても大変なことですよね。

子供がいる、いないより、気づいているか、いないかが大事と思います。

>そんなこと判っている、けどできない・・・
>そんな風に思っている人々が「変るきっかけ」をみつける時が早くきて
少しづつ、でもなるべく早く世の中が変わっていくことを祈ります。

そうあって欲しいと思います。
原点は、家庭。そして、その心を育てるのは、自分自身と思います。
他人のせいにしない、全てが自分から始まっていると思うと、謙虚な気持ちにもなります。
対人関係:夫婦、親子、友人、知人、と地域の人たち、作用反作用の関係、
相手はこちらの出方しだいで、色んな変化があります。その場面に遭遇し、考える事が大事な経験と思います。
子供たちも、大人たちも、バーチャルの世界でなく、外へ出て人と語ることお奨めします。

>なんだかまとまらない文章になってしまいました。思いや考えを文字にするのはとても難しいですね。長くなりすみませんでした。

しっかり、思いは伝わりました。
私の方が、長くなりました。
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「書き込み」
ニゲユー さま
こんにちは。
いつも勉強させてもらっています、ありがとうございます。
萩本さんの話、大切ですね。
僕の好きなマンガの中の一節に『人は近道をしたがる、しかし近道をすると大切な物を見逃す』とありました。
学校の授業よりたくさんの素晴らしい考え方を僕は漫画に教えてもらっている気がします。

「ご返事」
ニゲユーさま

>いつも勉強させてもらっています、ありがとうございます。

いつも、アクセスいただき感謝します。

>萩本さんの話、大切ですね。

私も大切と思います。

>僕の好きなマンガの中の一節に『人は近道をしたがる、しかし近道をすると大切な物を見逃す』とありました。

気付きは、何処でも、誰でも、どんな本でも、良いと思います。
その気付きを自分のものとして行くことが大事と思います。

>学校の授業よりたくさんの素晴らしい考え方を僕は漫画に教えてもらっている気がします。

学校の授業は、自分の持ち興味の分野を捜し、学ぶときの勉強のスタイルを考えるヒントであり、方法の講習でしょうか。でも、始まりは学校であり、その前に家庭があります。
書き込みで、色々な考えるヒントを頂きます。
これからもよろしくお願い致します。
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「書き込み」
 MY.pace さま
解答に至らなくても、考えた過程が大切だった時代は来ないでしょうね。点数で判断、優劣を決める教育側、品格や個性は点数つけられないのです。
教職員の教育も必要でしょう。PTAやってて、情けない先生がいる、社会的で得ない考えがある。サラリーマンですよ。

自分で大事な事は伝えるしか無いのでしょうか。

「ご返事」」
 MY.pace さま

>解答に至らなくても、考えた過程が大切だった時代は来ないでしょうね。
>点数で判断、優劣を決める教育側、品格や個性は点数つけられないのです。

全国テストを復活させて、学力、学力と騒ぐ国民が多いから、文部科学省も復活させて推進するのだと思います。

>PTAやってて、情けない先生がいる、社会的で得ない考えがある。
>教職員の教育も必要でしょう。サラリーマンですよ。

教員(教職員)は要るが、教師が居ない。
かつて、「師の陰は踏まず」言う言葉がありました。
確かに、大学で出たての先生は、教師としては幼稚だと思います。
ただ、志を持つ教師は、その思いが伝わって来るものです。
サラリーマン化した先生は、学校現場から退席して欲しいですが、向上心を持つ教師の卵たちは、保護者や先輩たちが、「伸ばす」気持ちで、育てることも大切な気がします。都市部の教師は不足していると言いますが、地方は少子化で、なかなか教師になりたくてもなれないのが現実です。真の教師を目指す子が、学習成績優秀なだけで採用される矛盾も含め、教職員も人材と言う考えより、教師の「志」持つ若者を評価する雰囲気作りも必要と思います。

>自分で大事な事は伝えるしか無いのでしょうか。

教育の9割は、家庭に在ると思っています。
わが家も、子供読ませたい本は、小さい時から、家の目に付くところに置き、記憶の中で残る工夫をして来ました。
受け止めるのは、子供たちですが、それなりに考え、進む道を模索しているようです。

何時も関心をお持ちいただき感謝します。
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「書き込み」
 ザトキチさま
超個人的意見ですが、ノグチさんの挙げている3つの要因を妨げている最大の要因は、子供に対する「ケータイ」や「インターネット」の普及が背景にあるのでは?と思いました。以下がその理由です。

第一の要因
社会とつながる=人とつながる能力は、人間社会を生きていく上で非常に重要な能力だと俺も認識します。しかしながら、メールで顔の見えない相手とのやり取りや(我々の場合は悪意が無いので除きますよ(笑))
それに伴った表面上の付き合い、また、同じくメールや学校裏サイトなどを利用した悪質ないじめ問題等子供達も人との繋がりを求めていながら、簡単に出来てしまうところに
自分達も気づかない内に、裏切りや犯罪、孤独になったら… と言う不安を抱えているんじゃないでしょうか?そのせいで、本当の人間付き合いが出来ていないんじゃないかと
思います。
それはゆくゆく、将来的な社会不安(人間不信)になっていくんじゃないでしょうか? 既になってるのかもしれませんね。

第二の要因
情報がケータイやインターネット等から簡単に手に入る為さも自分が経験したかの様な、錯覚に陥ってしまいやすいと言う事があるんじゃないでしょうか?
昔の様に、自分の手元に何も無く欲しいものは自分で歩いて探しに行き、手に入れる→それが自己の経験知識として生きると言うプロセスが無く、画面から欲しい情報だけが手に入る結果として「あたまでっかち」が出来上がり、第一の要因に付随して、人間力の低下につながるのではないでしょうか?

第三の要因
第一、第二の要因に関係します。
我々は、情報を手に入れる為に外に出る機会が少なくなったと思います。しかし、外に出れば良くも悪くも何かしらのイベントに出会うものです。そのイベントこそが、人生の分岐であったりすることもあるでしょう。結果として、人と人との出会いが自分を育てる最大の教師では無いでしょうか?

これら三つのことを考えてみると、結論として「溢れ過ぎた情報」が、簡単に手に入ると言うところに行き着くのではないかと思いました

今は、高校、大学まで進学して、多くの同年代と触れ合うのも悪くは無いんじゃ?とは思いますが、そこにケータイやネットはいささか必要ないのでは?と思います。

「ご返事」」
 ザトキチ さま

>超個人的意見ですが、ノグチさんの挙げている3つの要因を 妨げている最大の要因は、子供に対する「ケータイ」や 「インターネット」の普及が背景にあるのでは?と思いました。 以下がその理由です。

>第一の要因
>社会とつながる=人とつながる能力は、人間社会を生きていく上で非常に重要な能力だと俺も認識します。

同感です。

>しかしながら、メールで顔の見えない相手とのやり取りや (我々の場合は悪意が無いので除きますよ(笑)) それに伴った表面上の付き合い、また、同じくメールや学校裏サイトなどを利用した悪質ないじめ問題等 、子供達も人との繋がりを求めていながら、簡単に出来てしまうところに自分達も気づかない内に、裏切りや犯罪、孤独になったら… と言う不安を抱えているんじゃないでしょうか? そのせいで、本当の人間付き合いが出来ていないんじゃないかと思います。

心を開かせるのは、膝つき合せた意見交換(対話)と思います。

>それはゆくゆく、将来的な社会不安(人間不信)になっていくんじゃないでしょうか?
>既になってるのかもしれませんね。

ファミコン時代から、もっと言えばテレビの大衆化から始まっているのかもしれません。
>第二の要因
>情報がケータイやインターネット等から簡単に手に入る為さも自分が経験したかの様な、錯覚に陥ってしまいやすいと言う事があるんじゃないでしょうか?

バーチャルと現実の錯誤(幻影)みたいなものでしょうか。
分かったと思っているのは上辺だけの情報で、真の現場で感じる体験が大事と思います。

>昔の様に、自分の手元に何も無く欲しいものは自分で歩いて探しに行き、手に入れる→それが自己の経験知識として生きると言うプロセスが無く、画面から欲しい情報だけが手に入る結果として「あたまでっかち」が出来上がり、第一の要因に付随して、人間力の低下につながるのではないでしょうか?

「人間力の低下」人間としての本分と言うか、自分で体得してこそ、成長すると思います。
>第三の要因
>第一、第二の要因に関係します。
>我々は、情報を手に入れる為に外に出る機会が少なくなったと思います。しかし、外に出れば良くも悪くも何かしらのイベントに出会うものです。そのイベントこそが、人生の分岐であったりすることもあるでしょう、結果として、人と人との出会いが自分を育てる最大の教師では無いでしょうか?

イベント=体験、実践、出会い、・・・
学びの本質は、本や知識の集約でなくて、それを教える人自身の生き方そのものが、大きく人を動かします。松下村塾は、2年弱の間に多くの人材を世に出しました。これは、吉田松陰自身が示した行動、生き方の影響と最近思います。

>これら三つのことを考えてみると、結論として「溢れ過ぎた情報」が、簡単に手に入ると言うところに行き着くのではないかと思いました。

安易に、結果を求めている社会かなと思います。
成績、成果、ノルマ、経済効果、・・・、人づくりは、結果ではなくて、過程が大事なような気がしています。
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「書き込み」
 hiro さま
こんばんは。本当にノグチさんの日記が楽しみで、毎日拝見させて頂き勉強させていただいております。

今回の幸福論について、私もここ何年か自分の幸せとは何ぞやと心の中で、自問するも、答えが中々見つからず、探求するばかりでたどり着くのかどうか思い悩んでおります。しかし、幸せについて願望を抱き、思考出来る余裕があることだけでも幸せではないのかと感じました。先頃のミャンマーのサイクロンにしかり、四川、岩手・宮城内陸地震の被災者の方々は、生活の不安や恐怖で生きるだけで精一杯で、自分が何が幸せかという事を追い求める余裕がありません。生きていることそのものが、幸せなのだと常々感じられるようになりたいと思います。

ものの見方・考え方のしっかりしていること・・・
“少年よ大志を抱け”を筆頭に、数多くの偉人が『志』を持てと語っていますね。現代の人間は、金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事が人生の目標として真の志を勘違いしているのではないかと感じます。その風潮を大人が作りだし、若者達はそのまま受け取り志違いをしてしまう。中学、高校の時期に思考の深さを学ぶこと、気づくことは中々不可能に近いと思います。社会が大人達が道を正しく行い、模範を示し、そして指導をする。それが、理想の『志』を持たせる社会ではないかと考えております。

「ご返事」」
 hiroさま

>こんばんは。本当にノグチさんの日記が楽しみで、毎日拝見させて頂き勉強させていただいております。

駄文をお読みいただき感謝します。

>今回の幸福論について、私もここ何年か自分の幸せとは何ぞやと心の中で、自問するも、答えが中々見つからず、探求するばかりでたどり着くのかどうか思い悩んでおります。

私も日々悩んでいます。人間は悩まなくなると、思考力が退化しますので、平穏、安穏な環境は良くないと、自分の環境を良しとして生きています。

>しかし、幸せについて願望を抱き、思考出来る余裕があることだけでも幸せではないのかと感じました。先頃のミャンマーのサイクロンにしかり、四川、岩手・宮城内陸地震の被災者の方々は、生活の不安や恐怖で生きるだけで精一杯で、自分が何が幸せかという事を追い求める余裕がありません。生きていることそのものが、幸せなのだと常々感じられるようになりたいと思います。

おっしゃる通りです。数年まえにNHKの朝ドラで、「生きちょるだけで丸儲け」と言う言葉が流行しましたが、幸せはその本人がどう受け止めるか、生活を考えるかだと思います。

>ものの見方・考え方のしっかりしていること・・・
>“少年よ大志を抱け”を筆頭に、数多くの偉人が『志』を持てと語っていますね。現代の人間は、金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事が人生の目標として真の志を勘違いしているのではないかと感じます。

この物欲・名誉欲は、2,500年前の孔子に教えの中にも出てくるのですが、今日の日記の白州次郎氏の言葉を、「(社用車の)後ろで踏ん反り返っているやつはバカだ」紹介しました。『大志』が何かを自分の(人間力)成長に合わせて、変える(向上させる)ことが必要と思います。

>その風潮を大人が作りだし、若者達はそのまま受け取り志違いをしてしまう。中学、高校の時期に思考の深さを学ぶこと、気づくことは中々不可能に近いと思います。社会が大人達が道を正しく行い、模範を示し、そして指導をする。それが、理想の『志』を持たせる社会ではないかと考えております。

模範を示し:率先垂範が大事と思います。
金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事よりも、何が大事なものか?
考える事、語ることを示す事と思います。
「幸福」は、自分で価値を創るしかないのかも知れません。
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「書き込み」
 山岡鉄舟に憧れる愚者さま
脚下照顧ですね.

ただ歩いていると心を奪われていると,足元を忘れて,つまづいたりする…

己の内側に眼を向けなくして,本当の悟りに至る機会は巡って来ない…自己内省の大切さ…

記載される内容に,常に喝を入れていただき,ありがとうございます。

当たり前のことを,お陰さまとし,ご自分の身を省みて多くの人の幸せを念じ,感謝の内を貫いておられると… 

「ご返事」」
山岡鉄舟に憧れる愚者さま

>脚下照顧ですね.

(転載)
脚下は単に履き物のことだけではなく、自分の足もと、自分の立っている立脚点、現実的出発点を意味しますので、脚下照顧は、「自分自身をしっかり見よ」ということになります。
 理想のみを追い求めて現実を忘れていないか。理論ばかりに走って実践をおろそかにしていないかと、常に自分を見つめ、反省する心が大切だというのです。
 現代は目まぐるしい時代です。しっかりと対処しないと遅れてしまいます。しかし、そのような現象面だけを追い求めるのではなく、自分の足もとをしっかり見よと教えるのです。(抜粋)

>ただ歩いていると心を奪われていると,足元を忘れて,つまづいたりする…
>己の内側に眼を向けなくして,本当の悟りに至る機会は巡って来ない…自己内省の大切さ…

深い教えを頂きました。ありがとうございました。
今日、自分の境遇と天候(大雨)の時、どう行動を取るか、日々自分は試されていると感じました。明日の日記にまとめて書きます。

>記載される内容に,常に喝を入れていただき,ありがとうございます。

関心ををお持ちいただき感謝します。

>当たり前のことを,お陰さまとし,ご自分の身を省みて多くの人の幸せを念じ,感謝の内を貫いておられると…

そんな立派な人間ではありませんが、日々の思いや、周りで出会った人や本の紹介しています。これからもご笑覧頂ければ幸いです。
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最後まで、お読みいただき感謝します。

野口修一  

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2008年06月19日

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」)

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~

 私心や作意というものが全くない。あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとはという評判や大変華々しく手柄をたてたというようなことなく、知らず知らずの内に人民がそのお蔭をうける。いるかいないか、わからぬような存在でいながら、人民に無事大平をたのしませる。


この言葉の真意の理解、実践までの至っていませんが、リーダーとは周りを感化し、地域住民を感化して行く光(威光:意向)のようなものと思います。一昨日書いた、鹿児島市の少年犯罪の現象の成果は、市長の思いに、市民が賛同し、住民が感化されて実現されたものと思います。

前鹿児島市長の名前すら知りません。でも、先進国中で犯罪増加率が高い日本で、少年犯罪(軽犯罪)が減少している唯一の県庁所在の活動は、リーダーとは何かを考える実績にあると思います。

校区公民制度は、昭和60年代前半に始まり、その成果が20年の時を越えた今、国内の地域づくりで少年育成環境に、大きな貢献をしています。


>「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』

宮崎県知事東国原氏の上記の発言よりも、リーダーの無言の率先垂範の行動・政策にあると思います。

今日読んだ、第一の大臣の教示から考えたことを書きました。

意見、異見を頂ければ幸いです。   

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2008年06月16日

子育て環境の現状を危惧するメッセージより

子育て環境の現状を危惧するメッセージより

この宇土親子論語教室のブログの読者から、メールを頂きました。
ご返事の一部を紹介します。


<万引きする小学校2年生>

> 実はもう一つ…小学校2年生の女児が万引きをしていて、何故かお店では気がつかれず、友人の子どもだけが気がついていて…どう対応してよいかわかりません。その姉妹がsosを出している気がしています。友だちの子どもの友だちですから、関係ないと言えばそうなのですが…

多分、何かのシグナルと思います。
心が満たされていないから、心に空いたスペースを埋める行動と思います。
魔が差す程度の内に、親がしっかり子供と蜜に向き合う時間を作ることが必要と思います。

親たちは、忙しいと思います。ずっと一緒にいることは、どこの家庭でもできません。
しかし、親子の関係は、時間の長さでなく、密な時間を作ることが大事と、子供たちが通っていて保育所の園長先生に教えられました。

シグナルを、しっかり受け止める時間を持って欲しいと思います。


<煙草を堂々と吸う中学生 高校生>

> それも上熊本駅界隈での話なので、ほおっておけなくて…煙草を堂々と吸う中学生 高校生に何も言えない大人…万引きをしているのにどう対応したらこの子が救えるか分からない…情けなさは変りませんが、事実です。

大きな事件は、小さな事件の積み重ねと言います。

今、防犯パトロールの環が広がっています。とても良いことと思います。
ただ中心は、小学校低学年の通学監視ですが、心の育成からすると中学生、高校生に関心を持つことも必要と思います。

鹿児島市は、少年犯罪がとても少ない地域ですが、これは、大人たちが夜、夕食を終えて5~10人くらいのグループになって、夜徘徊する少年たちへ「声かけ」をする活動が影響していると言われています。
その声かけグループの数が、鹿児島市内だけで100以上あるそうです。元気の良い少年たち、或いは不良グループへの対応も、訓練して夜の声かけ活動が続けられています。

事の始まりは、昭和60年代少年犯罪が急増しているのを危惧して、当時の鹿児島市長が始められた「校区公民館制度」だといわれています。これは、小学校の敷地に公民館を作り、公民館活動に小・中学校の生徒を絡めて行い、地域で子供を育てる仕組みを作り上げました。この公民館活動の回数が半端でなくて、年間100回以上に登り、多いところは120回を越えるところもありす。

この活動のお蔭で、人生のやり直しができた青年のことが、テレビで紹介されていました。ケンカ、シンナー、暴走族、とうとう鹿児島を飛び出し、関西で色々ことをしましたが、30代になり、故郷に帰って来れたのは、中高生時代に地域のおばちゃん、おじちゃんたちから、いつも気にかけ、声をかけてもらっていたからと語っていました。現在は、その青年は公民館活動や声かけの中心メンバーのなっています。

社会不安を感じるのは、社会の変化に関心を持たない多くの大人の存在が、最大の原因と思います。

やっと始まった防犯パトロールの動きが、中・高生の夜の徘徊への声かけまで広がると良いなと思います。
小学校の親父の会は、PTA活動の一部の活動ですが、小学校で終わらず、中学校、高校の心の隙間を埋める、声かけまで広がって行くと、鹿児島市の公民館活動のように、大きな成果が出て来るのだと思います。


他県の活動を移行して、そのまま合うかは定かではないですが、参考にして行くことは大事と思います。PTA活動の参考になれば幸いです。
  

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2008年04月19日

気持ちが、「繁栄の中の没落」にならない、私の方法

気持ちが、「繁栄の中の没落」にならない、私の方法

 孔子の教えの中に、毎朝、殷の湯王は、自分の気持ちを奮い起こすために、洗面器の縁に「まことに日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」と刻み、顔を洗う度に読み、心を奮い起こし日々の仕事をしたとあります。
 人間、日々同じ仕事、作業していると飽きが来るものです。気持ちを高めることに、先人たちも悩んでいたのかと分かります。

 日本の低迷気分を、一気に変える方法は、今のとこと見つかっていません。改善は、やはり一人ひとりの「やる気」に頼るしかないと、比叡山の伝教大師が弟子たちに教示しています。その言葉が、私の色々な場面で使う「一燈照隅行」です。これは、「一隅を照らす」で、自分の存在する一隅を自分で照らせば良いの教えです。

 この一燈照隅行とは、自分自身が言動に心がけて正すこと、自分を躾けることが、一番の人間の本質であり、その影響・感化を広げます。心身と実生活で模範になるよりほかにはないと、先人も説いています。
その一燈照隅行が沢山集まって、国全体を照らす「万燈照国」につながるとあります。

 今の日本は、バブル期を上回る景気の大都市の中で、繁栄から取り残される人々も増えています。伝教大師は、不安を解消する「光」で、一人ひとりの人間が、輝き周りを照らし(感化し)て行くこと、時間はかかりますが、近道と語られたと思います。

 一人ひとりが、志を持ち、自分自身を磨く(高める)努力をし続けるしかないと思います。

 私の職能である建築士たちは、一人の建築士の所業で、信頼が大きくゆがめられ、やらなくてよい作業が膨大に増えています。これには、対応して行くしかありません。社会が変れば、自分も変らないといけません。
それぞれ方が、自分の意識を高めるために、色々な工夫をしていると思います。

 私は、このブログ(日記)を書き、読んでもらい、更に色々人と会い、知らない知識を増やして行く事が、私自身の躾け(革新)につながると思い、続けています。おかげで、教えを請う、師や友がだいぶ増えて来て、その人達と語ることも、自分をとても元気にしてくれます。

 昨日の日記に書いた、陽明学者山田方谷の教示ではないですが、「地域に学ぶ人が居なければ、全国に師を探せ、それでも居なければ歴史に学べ。」とあります。
人に会い、語ることがおもしろく、興味から動き回り、人と語り、考えること、書くことが、私自身の習慣になりつつあるのかもしれません。


<以前の日記>

・貧乏をくよくよせず、富貴を求めてあくせすせず(陶淵明)

・知識の豊富さより、自分を先導する師を持つ  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:45Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年04月18日

知識の豊富さより、自分を先導する師を持つ

知識の豊富さより、自分を先導する師を持つ

 ドイツの教育の言葉に、レーゼマイスター(Lesemeister)、レーベマイスター(Lebemeister)があります。

レーゼマイスターと言うのは、Lesen(レーゼン)・本を読む。読師・本を読む先生。レーゼマイスターはいくらでも世の中に居る。

レーベマイスターと言うのは、Leben(レーベン)・生の意味。人生・生活・生命、われわれそのもの(人間そのもの)を導いてくれる師(先生)。このレーベマイスターは、世の中に乏しい。

日本にも似たような言葉があります。「論語読みの論語知らず」、つまり実践の学問でなければならない。人間的修養のできていない学習スタイルではなく、「論語』を体得して実践することが大事と、最近つくづく思うようになりました。

現在の日本の状況は、経済成長停滞期に入り、格差が開いているといわれます。こんなときこそ学び、自分自身を奮い立たせことが必要と思います。

意外と知られていないのが、バブルがはじけて以後も、経済成長が微妙に上がり続けて(一事は下降した)来たことはあまり報じられません。東アジアの経済成長と、価格破壊の中で、製造業は海外へ移転し、物づくり文化がしぼんでいます。戦後の成長期には、世界の工場と言われた日本の製造業が、その立場を変え、消費国へ転換に付いて行けずに迷走しています。

社会の価値(仕組み)が変るときは、知識だけの勉強では、付いて行けない人が出てきます。このような人達は、自分自身を改革(革新が)出来ずに、不況が普況になり、気持ちも低所も低迷することになります。新たな分野に挑戦する心の育成こそが、もっとも重要な教育ではないかと思います。

この人生の挑戦者へ心を変える教育を、教えるのでなく、導く師が゛レーベマイスター゛であります。

中国古典の「礼記」中に、西周の宰相・謝安の家庭教育の夫婦問答が載っていました。謝安は、著名な学者でもあるので、帰宅した謝安に、妻が文句を言います。

「貴方は、子供たちに何も教えない」と、愚痴をこぼすと、謝安は次のように答えました。
「私は、毎日教えている」

教育は、教えるのでなく、導くこと、行動で示す「垂範」が大事と言う教えと思います。昨日の日記ではないですが、知識詰め込みの机上の勉強ばかりでなく、徳を育てるには、体験や人と関わることで学ぶことが、必要なように感じます。

明治天皇に儒学を教示した三島中州の師「山田方谷」は、幕末の備中松山藩の宰相時代、内弟子として勉強に来ていた河井次之助(北陸戦争の英雄)に、語った言葉があります。
「(自分で学べなくなったら)人に学べ。まず地域にいる先輩、それでも居なければ全国の師、それでも居なければ歴史に学べ」と教示したと言います。

知識を学ぶのでなく、人の生き様を学ぶことの方が、人間を成長へ導くのかもしれません。郷土の偉人、国の偉人、世界の偉人の生き様、考え方を学ぶことは、自分を振り返る機会になると思います。そこには、挑戦心を気付かせる行動の記録があると考えています。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:06Comments(0)TrackBack(0)私の意見