2010年01月11日
「人材」世に人(民衆)は居るが、人(リーダー)は居ない
「人材」世に人(民衆)は居るが、人(リーダー)は居ない
ここ1週間は、正月明けと年度末締め予定の仕事準備、そして子どもの受験準備、さらに市民マニフェストの資料集と、密な時間を過しました。
3つの用を進める中で、やはりその世界(分野)に知識広き友人知人を知っているかが大事と痛感します。良く言う、「人は居るが、人が居ない」。これは答のない禅問答のように思いますが、戦国時代を収拾に導いた豊臣秀吉と部下の曽呂利新左衛門の問答にも有るそうです。
関西大学名誉教授の矢沢永一氏の著書「人間通」の一節に、次の一文がありました。全文を転載します。
(以下、「人間通」の一節を転載)
「人材」
天下に最も多きものは何か、と太閤秀吉が聞いた。それは、人、でごさります、と曽呂利新左衛門が答えた。反射神経の鋭い秀吉が畳みかけて、では天下に最もすくなきものはなにか、と聞いた。すると打てば響くように、それは、人、でごさります、と新左衛門が答えた。
この会話(やりとり)は別の太閤でもなく曽呂利でなくてもよいのであって、つまり何時の時代でも世間に傑出した人材を求めているという勘所をうまく言い現わした伝説なのである。人材とは他に秀いで世に稀なる才能の持ち主をいう。ただし勝負の世界と異なり一般社会の組織においては衆を束ねて多くの構成員に活気を吹き込む先導者(リーダー)としての役割が求められる。組織を構成する個人個人の資質が優れていようとも、全員を結集する要の位置に人材を欠いては烏合の衆に終わるのである。
民主主義の社会は、衆知に基づくとはいえ時代を先導するのは矢張り抜群の才能である。傑出した人材を多く擁する社会ほど活気を呈するであろう。一般に才能は裸で跳躍するものではない。才能は見出され引き上げられ押し出されてこそ開花する。世の中は何事も組み合わせの妙を得て進行する。才能はもとより貴重であるが、才能を見出し鼓舞し激励し得る才能もまた尊い。
そして新しい時代を切り開いて活路を見出す動きのある才能は、まだ海のものとも山のものとも判らぬ船出を待つ新興の実験的領域に、見出せるであろう。世に謂う隙間(すきま)狙いを含めて、冒険的な新規事業から明日を担う才能が芽生えるのである。
(以上、矢沢永一著「人間通」より)
>傑出した人材を多く擁する社会ほど活気を呈する
>才能は見出され引き上げられ押し出されてこそ開花する
>世の中は何事も組み合わせの妙を得て進行する
>才能を見出し鼓舞し激励し得る才能もまた尊い
>海のものとも山のものとも判らぬ船出を待つ新興の実験的領域
示唆に富んでいる言葉ばかりです。
私も50年も生きてくると、色々な人の生業の場面を見てきました。
上記の5つの示唆を、出会いの場面にも立ち会いました。
人生、「出会い」こそ人生を決めると思います。
しかし、その出会いを導く場面に作り出すのは、自分を前へ進ませる勇気ある一歩と思います。
秀吉が、曽呂利新左衛門に問うた、
「世に一番多いのは、人(民衆)であり。世に一番少ないのも人(先導者・リーダー)である」
上記の文に有る、傑出した才能の人材は、何処にいるのか?
また、反対に自分の評価は誰が決めているのか?
矢沢氏の「人間通」の冒頭の一文に、人の評価のことが書かれていました。
(本文より)
「人間通」
(中略)この場合、世間とは具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。この人たちから黙殺または軽蔑されるのは死ぬより辛い。逆に自分の周囲から認められているという手応えを得た時の喜びは何物にも替え難い。他人(ひと)の気持ちを的確に理解できる人を人間通と謂う。(中略)
(以上、矢沢永一著「人間通」より)
>世間とは、具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。
日々の自分の行動そのものが大事、という教示ではないかと考えます。
私は、「日新たに、日々新たに」の自分を省みることが今年の目標のように思います。
*参考資料:矢沢永一著「人間通」
ここ1週間は、正月明けと年度末締め予定の仕事準備、そして子どもの受験準備、さらに市民マニフェストの資料集と、密な時間を過しました。
3つの用を進める中で、やはりその世界(分野)に知識広き友人知人を知っているかが大事と痛感します。良く言う、「人は居るが、人が居ない」。これは答のない禅問答のように思いますが、戦国時代を収拾に導いた豊臣秀吉と部下の曽呂利新左衛門の問答にも有るそうです。
関西大学名誉教授の矢沢永一氏の著書「人間通」の一節に、次の一文がありました。全文を転載します。
(以下、「人間通」の一節を転載)
「人材」
天下に最も多きものは何か、と太閤秀吉が聞いた。それは、人、でごさります、と曽呂利新左衛門が答えた。反射神経の鋭い秀吉が畳みかけて、では天下に最もすくなきものはなにか、と聞いた。すると打てば響くように、それは、人、でごさります、と新左衛門が答えた。
この会話(やりとり)は別の太閤でもなく曽呂利でなくてもよいのであって、つまり何時の時代でも世間に傑出した人材を求めているという勘所をうまく言い現わした伝説なのである。人材とは他に秀いで世に稀なる才能の持ち主をいう。ただし勝負の世界と異なり一般社会の組織においては衆を束ねて多くの構成員に活気を吹き込む先導者(リーダー)としての役割が求められる。組織を構成する個人個人の資質が優れていようとも、全員を結集する要の位置に人材を欠いては烏合の衆に終わるのである。
民主主義の社会は、衆知に基づくとはいえ時代を先導するのは矢張り抜群の才能である。傑出した人材を多く擁する社会ほど活気を呈するであろう。一般に才能は裸で跳躍するものではない。才能は見出され引き上げられ押し出されてこそ開花する。世の中は何事も組み合わせの妙を得て進行する。才能はもとより貴重であるが、才能を見出し鼓舞し激励し得る才能もまた尊い。
そして新しい時代を切り開いて活路を見出す動きのある才能は、まだ海のものとも山のものとも判らぬ船出を待つ新興の実験的領域に、見出せるであろう。世に謂う隙間(すきま)狙いを含めて、冒険的な新規事業から明日を担う才能が芽生えるのである。
(以上、矢沢永一著「人間通」より)
>傑出した人材を多く擁する社会ほど活気を呈する
>才能は見出され引き上げられ押し出されてこそ開花する
>世の中は何事も組み合わせの妙を得て進行する
>才能を見出し鼓舞し激励し得る才能もまた尊い
>海のものとも山のものとも判らぬ船出を待つ新興の実験的領域
示唆に富んでいる言葉ばかりです。
私も50年も生きてくると、色々な人の生業の場面を見てきました。
上記の5つの示唆を、出会いの場面にも立ち会いました。
人生、「出会い」こそ人生を決めると思います。
しかし、その出会いを導く場面に作り出すのは、自分を前へ進ませる勇気ある一歩と思います。
秀吉が、曽呂利新左衛門に問うた、
「世に一番多いのは、人(民衆)であり。世に一番少ないのも人(先導者・リーダー)である」
上記の文に有る、傑出した才能の人材は、何処にいるのか?
また、反対に自分の評価は誰が決めているのか?
矢沢氏の「人間通」の冒頭の一文に、人の評価のことが書かれていました。
(本文より)
「人間通」
(中略)この場合、世間とは具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。この人たちから黙殺または軽蔑されるのは死ぬより辛い。逆に自分の周囲から認められているという手応えを得た時の喜びは何物にも替え難い。他人(ひと)の気持ちを的確に理解できる人を人間通と謂う。(中略)
(以上、矢沢永一著「人間通」より)
>世間とは、具体的には自分に指示を与える人であり働きを共にする同僚である。
日々の自分の行動そのものが大事、という教示ではないかと考えます。
私は、「日新たに、日々新たに」の自分を省みることが今年の目標のように思います。
*参考資料:矢沢永一著「人間通」
2009年11月24日
一人、目立ちすぎない
一人、目立ちすぎない
ホリエモン、リクルートの江副氏、等々、時の寵児と言われる人が居ます。長続帰しませんでした。これは、組織の中で起こります。守屋洋訳編「韓非子を見よ!」に次の一節がありました。
・鄭(てい)の名宰相の子産(しさん)の若いころの話
(本文より)
朝廷に仕え始めころ、懸命の働き、君主から評価も高かった。それを危惧したのは、父の子国(しこく)で、子産に厳しく言動に注意するように言った。
「大勢の臣下の中で、そなた独りだけが陰日向なく仕えている。殿が賢明なお方ならそなたの意見に耳を傾けるだろう。だが、そうでなかったら耳など貸すまい。聞いてもらえるかどうか、そんなことなど今のところわかりはしない。ところがそなたはすでに他の臣下から浮き上がった存在になっている」
この後に、ここに揚げた言葉が続いている。
「他の臣下から浮き上がってしまえば、必ずそなたは身を破滅させることになる。いや、そなた自身を破滅させるだけでなく、この父の身にも累が及んでこよう」
子国は、息子のために余計な心配をしたのであろうか、そうではあるまい。
(中略)
(解説)
臣下としてトップのおぼえがめでたいのは、一応、結構なことのように思われる。だが、それには危険もたっぷりと隠されている。
第一に、 同僚や周囲の人間のねたみ、そねみを買っている可能性がある。それがいつ、どんな形で表に出てくるか知れたものではない。
第二に、トップは気まぐれである。目をかけてもらっていても、それがいつまでも続く事は保証はない。
第三に、トップの地位といえども安泰ではない。仮に失脚した場合、目をかけてもらっていた人間も運命を共にすることにもなりかねない。
(感想)
飛ぶ鳥を落とす勢いで、先頭を走るリーダーに付き、急速に地名度を上げる人がいます。あっちのリーダー、こっちのリーダー、日和見の臣下もいたります。
確かに自分自身の信念を持ち、主義主張を強くすると反発も多い。特に若くして、トップの寵愛を受けた時は、周りの反発やねたみも起こるものです。
子国は、その予兆を感じ、子産に注意を促したのだと思います。自分の立場、周りとのバランス、周りを引き立てながら、自分を引き上げるような工夫も必要との教えと思います。
ちなみに、子産は、以後、同僚や周囲との関係に細心を払いながら、名宰相の地位を固めていったとありました。
交流は、バランス感覚が大事なように思います。ご注意を!
*参考資料:守屋洋訳編「韓非子を見よ!」
ホリエモン、リクルートの江副氏、等々、時の寵児と言われる人が居ます。長続帰しませんでした。これは、組織の中で起こります。守屋洋訳編「韓非子を見よ!」に次の一節がありました。
・鄭(てい)の名宰相の子産(しさん)の若いころの話
(本文より)
朝廷に仕え始めころ、懸命の働き、君主から評価も高かった。それを危惧したのは、父の子国(しこく)で、子産に厳しく言動に注意するように言った。
「大勢の臣下の中で、そなた独りだけが陰日向なく仕えている。殿が賢明なお方ならそなたの意見に耳を傾けるだろう。だが、そうでなかったら耳など貸すまい。聞いてもらえるかどうか、そんなことなど今のところわかりはしない。ところがそなたはすでに他の臣下から浮き上がった存在になっている」
この後に、ここに揚げた言葉が続いている。
「他の臣下から浮き上がってしまえば、必ずそなたは身を破滅させることになる。いや、そなた自身を破滅させるだけでなく、この父の身にも累が及んでこよう」
子国は、息子のために余計な心配をしたのであろうか、そうではあるまい。
(中略)
(解説)
臣下としてトップのおぼえがめでたいのは、一応、結構なことのように思われる。だが、それには危険もたっぷりと隠されている。
第一に、 同僚や周囲の人間のねたみ、そねみを買っている可能性がある。それがいつ、どんな形で表に出てくるか知れたものではない。
第二に、トップは気まぐれである。目をかけてもらっていても、それがいつまでも続く事は保証はない。
第三に、トップの地位といえども安泰ではない。仮に失脚した場合、目をかけてもらっていた人間も運命を共にすることにもなりかねない。
(感想)
飛ぶ鳥を落とす勢いで、先頭を走るリーダーに付き、急速に地名度を上げる人がいます。あっちのリーダー、こっちのリーダー、日和見の臣下もいたります。
確かに自分自身の信念を持ち、主義主張を強くすると反発も多い。特に若くして、トップの寵愛を受けた時は、周りの反発やねたみも起こるものです。
子国は、その予兆を感じ、子産に注意を促したのだと思います。自分の立場、周りとのバランス、周りを引き立てながら、自分を引き上げるような工夫も必要との教えと思います。
ちなみに、子産は、以後、同僚や周囲との関係に細心を払いながら、名宰相の地位を固めていったとありました。
交流は、バランス感覚が大事なように思います。ご注意を!
*参考資料:守屋洋訳編「韓非子を見よ!」
2009年11月09日
「人生が変わるかもしれない」という感覚を感じる時
「人生が変わるかもしれない」という感覚を感じる時
人は、出会いや、体験から、「ハッ!」とする瞬間があると思います。
「そーか、これだったのか!」
と気付きから、新たな発想や道が見つかることが、人生に何度かあると思います。
それは、危機かもしれませんし、チャンスかもしれません。
しかし、日々凡庸な感覚で生活していると、そのチャンスをつかむことができないとも言われます。世の中の変化に関心を持つこと、周りの人の語る言葉に耳を傾けることが大事と思います。
伊藤肇著「人間学」の次の一節がありました。
(本文より)
学問は人間を変える。また、人間を変えるような学問でなければならない。そして、その人間とは他人のことではなく自分のことである。他人を変えようと思ったら、まず自分を変えることである。(中略)
(感想)
「尽心」(じんしん)という言葉があります。心を尽すという意味ですが、本当の意味は、自分の心と向き合い、自分の心を育てるような努力をすることと、中国古典の解説書で読みました。
自分を変える学問、「尽心」の実践が私は大事と感じます。
心を尽し、学問に打つ込むことこそ、自分を変えて行くのだと思います。
「尽心」
心尽す、そんな日々の積み重ねを大事にしたいと思います。
*参考資料:伊藤肇著「人間学」
人は、出会いや、体験から、「ハッ!」とする瞬間があると思います。
「そーか、これだったのか!」
と気付きから、新たな発想や道が見つかることが、人生に何度かあると思います。
それは、危機かもしれませんし、チャンスかもしれません。
しかし、日々凡庸な感覚で生活していると、そのチャンスをつかむことができないとも言われます。世の中の変化に関心を持つこと、周りの人の語る言葉に耳を傾けることが大事と思います。
伊藤肇著「人間学」の次の一節がありました。
(本文より)
学問は人間を変える。また、人間を変えるような学問でなければならない。そして、その人間とは他人のことではなく自分のことである。他人を変えようと思ったら、まず自分を変えることである。(中略)
(感想)
「尽心」(じんしん)という言葉があります。心を尽すという意味ですが、本当の意味は、自分の心と向き合い、自分の心を育てるような努力をすることと、中国古典の解説書で読みました。
自分を変える学問、「尽心」の実践が私は大事と感じます。
心を尽し、学問に打つ込むことこそ、自分を変えて行くのだと思います。
「尽心」
心尽す、そんな日々の積み重ねを大事にしたいと思います。
*参考資料:伊藤肇著「人間学」
2009年10月28日
妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する
妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する
人生の本は、男と女から始まることは、事実ですが、果たして男と女、夫と妻、つれあい、等色々ありますが、現代の賢人に一人、作家の田辺聖子さんの著書から、名言を集めた本に、次の一節がありました。
~田辺聖子の著書から、「夫と妻」について~
(『花衣ぬぎやまつわる・・・』より転載)
久女(ひさじょ)が、この時期苦しんだのは、宇内(うない)への愛がさめたというより、
(――私はもう、この男を尊敬できない)
という発見ではなかろうか。
夫を尊敬できないということは、妻に静かなる絶望を強いる。
男は妻を尊敬できなくても、平気で結婚生活をつづけていける。妻への感謝を尊敬ととりちがえて平気な男も多い。
しかし感謝と尊敬はちがう。
男にあっては妻はもともと敬意を払うに値せず、義務さえとどこおりなく果していれば気にならないらしい。これは戦前はもとより戦後も現代も大方の男性の意識にあることだろう。
しかし妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する。
(以上、田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」より)
田辺さんの著書はあまり読みませんが、色々な言葉を集めた語録集や、講演集が好きで、時々本を開きます。
今日の言葉は、多くの夫婦に知って欲しい、男女間の意識の違いを、田辺さんが上手く表現しています。
「男子、一生勉強」
と、東京熊本県人会の前会長内田健三氏が、79歳の時に教示していただきました。年をとっても男は、やはり常に世に関心を持ち、学ぶことが必要と思います。
>妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する
急がず、騒がす、地道に精進をつづける姿勢こそが、周りを感化し、敬慕される基本かもしれません。学問は、「一に勉強、二に出会い」と思い、自省しながら前進あるのみと思っています。
夫婦生活も、日々新たに、発見・気付きがあるように、男も女も自分を磨くことと思います。
*参考資料:田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」
人生の本は、男と女から始まることは、事実ですが、果たして男と女、夫と妻、つれあい、等色々ありますが、現代の賢人に一人、作家の田辺聖子さんの著書から、名言を集めた本に、次の一節がありました。
~田辺聖子の著書から、「夫と妻」について~
(『花衣ぬぎやまつわる・・・』より転載)
久女(ひさじょ)が、この時期苦しんだのは、宇内(うない)への愛がさめたというより、
(――私はもう、この男を尊敬できない)
という発見ではなかろうか。
夫を尊敬できないということは、妻に静かなる絶望を強いる。
男は妻を尊敬できなくても、平気で結婚生活をつづけていける。妻への感謝を尊敬ととりちがえて平気な男も多い。
しかし感謝と尊敬はちがう。
男にあっては妻はもともと敬意を払うに値せず、義務さえとどこおりなく果していれば気にならないらしい。これは戦前はもとより戦後も現代も大方の男性の意識にあることだろう。
しかし妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する。
(以上、田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」より)
田辺さんの著書はあまり読みませんが、色々な言葉を集めた語録集や、講演集が好きで、時々本を開きます。
今日の言葉は、多くの夫婦に知って欲しい、男女間の意識の違いを、田辺さんが上手く表現しています。
「男子、一生勉強」
と、東京熊本県人会の前会長内田健三氏が、79歳の時に教示していただきました。年をとっても男は、やはり常に世に関心を持ち、学ぶことが必要と思います。
>妻が夫への尊敬と信頼を失ったら、結婚生活の基盤は崩壊する
急がず、騒がす、地道に精進をつづける姿勢こそが、周りを感化し、敬慕される基本かもしれません。学問は、「一に勉強、二に出会い」と思い、自省しながら前進あるのみと思っています。
夫婦生活も、日々新たに、発見・気付きがあるように、男も女も自分を磨くことと思います。
*参考資料:田辺聖子語録「女のおっさん 箴言集」
2009年05月27日
「この時代に生きた証しを残したい」(高橋尚子)
「この時代に生きた証しを残したい」(高橋尚子)
オリンピックのマラソンを制した、高橋選手の意志を表す言葉と思います。
この言葉を聞いて、こちらが心を躍らせるような気持ちになります。
石原慎太郎氏のエッセイ集から、この言葉を知りました。また、高橋-小出の師弟コンビは、テレビで知っていましたが、その理念や新しい練習への挑戦とは、あまり知りませんでした。
(本文)
・・・、高橋選手は自らの力を信じ、小出監督はそれを見出して認め育てて磨き上げ、そのために強いられた過酷な練習に彼女はよくも耐えつづけた。そして何よりも小出監督の言葉「二人はカケッコが好きだ」、という通り二人は自らが選んだ走るという方法を自らの人生を証すためにも愛し続けた。(中略)
上記の言葉が示すように、新しい練習と緻密な計画を組んだ。富士山より高い所での高地トレーニング、本番のコースで「引き離しを予定している場所」の近くに宿舎を構え、何度も何度も、本番の状況を想定して、引き離しの練習を重ねたとありました。
・それぞれが、自分を証しを残すには
高橋選手のような天性の運動能力は、我々は持ち合わせませんが、それぞれの特性を活かして、自分が生きた時代に何か「証し」を残すことは、とても重要が考え方だと思います。
私自身、日々書き込む日記(ブログ)は、2002年6月から始めた「(旧)日曜メール」から書き溜めたものを、整理しようと今年になり、暇を見つけて少しづつやっています。よくもまー、書き続けたものとふり返ります。
「整理をしておいたが良い」と助言をしてくださったのは、私に新エネルギー政策の指導をしてもらっている博士です。「整理しておくと、後で何でも使えるから、忙しいけどしておいた方が良いから」、と。
この文章が、ひょっとすると子どもたちへのメッセージ「証し」になるかもしれないと、こつこつやっています。
ふと、今読んでいる石原慎太郎氏のコラムに、高橋選手のことあったので紹介しました。参考になれば幸いです。
*参考資料:石原慎太郎著「日本よ」
オリンピックのマラソンを制した、高橋選手の意志を表す言葉と思います。
この言葉を聞いて、こちらが心を躍らせるような気持ちになります。
石原慎太郎氏のエッセイ集から、この言葉を知りました。また、高橋-小出の師弟コンビは、テレビで知っていましたが、その理念や新しい練習への挑戦とは、あまり知りませんでした。
(本文)
・・・、高橋選手は自らの力を信じ、小出監督はそれを見出して認め育てて磨き上げ、そのために強いられた過酷な練習に彼女はよくも耐えつづけた。そして何よりも小出監督の言葉「二人はカケッコが好きだ」、という通り二人は自らが選んだ走るという方法を自らの人生を証すためにも愛し続けた。(中略)
上記の言葉が示すように、新しい練習と緻密な計画を組んだ。富士山より高い所での高地トレーニング、本番のコースで「引き離しを予定している場所」の近くに宿舎を構え、何度も何度も、本番の状況を想定して、引き離しの練習を重ねたとありました。
・それぞれが、自分を証しを残すには
高橋選手のような天性の運動能力は、我々は持ち合わせませんが、それぞれの特性を活かして、自分が生きた時代に何か「証し」を残すことは、とても重要が考え方だと思います。
私自身、日々書き込む日記(ブログ)は、2002年6月から始めた「(旧)日曜メール」から書き溜めたものを、整理しようと今年になり、暇を見つけて少しづつやっています。よくもまー、書き続けたものとふり返ります。
「整理をしておいたが良い」と助言をしてくださったのは、私に新エネルギー政策の指導をしてもらっている博士です。「整理しておくと、後で何でも使えるから、忙しいけどしておいた方が良いから」、と。
この文章が、ひょっとすると子どもたちへのメッセージ「証し」になるかもしれないと、こつこつやっています。
ふと、今読んでいる石原慎太郎氏のコラムに、高橋選手のことあったので紹介しました。参考になれば幸いです。
*参考資料:石原慎太郎著「日本よ」
2009年05月03日
孤独でいる時、人間同士の深いつながりを思う
孤独でいる時、人間同士の深いつながりを思う
孤独とは、独りでいることですが、仲間を確認する時間かもしれません。
(本文)
人はみな、最後はひとりぼっちの人生を送らねばならない。そして、そのことを深く自覚した人ほど、人間同士の深いつながり、心の通いあう一瞬の楽しさ、ほんのちょっとした共鳴のうれしさに気づくだろう。
たった独(ひと)りで生きているのなら、それは知れたものだ。だが、点のように散らばって生きていながらも、それぞれの人生が、どこかで結びあわさっている。
(以上、「五木寛之ことばの贈り物」)
>それぞれの人生が、どこかで結びあわさっている
人と人の縁こそ、大事なのかもしれない。
独りになり、楽しい時、苦しい時、それぞれに素敵なシーンの映像を思い出すは、中間達との場面、やはり人間は、独りでは生きていけないのだなと感じる。
*参考資料:「五木寛之ことばの贈り物」
孤独とは、独りでいることですが、仲間を確認する時間かもしれません。
(本文)
人はみな、最後はひとりぼっちの人生を送らねばならない。そして、そのことを深く自覚した人ほど、人間同士の深いつながり、心の通いあう一瞬の楽しさ、ほんのちょっとした共鳴のうれしさに気づくだろう。
たった独(ひと)りで生きているのなら、それは知れたものだ。だが、点のように散らばって生きていながらも、それぞれの人生が、どこかで結びあわさっている。
(以上、「五木寛之ことばの贈り物」)
>それぞれの人生が、どこかで結びあわさっている
人と人の縁こそ、大事なのかもしれない。
独りになり、楽しい時、苦しい時、それぞれに素敵なシーンの映像を思い出すは、中間達との場面、やはり人間は、独りでは生きていけないのだなと感じる。
*参考資料:「五木寛之ことばの贈り物」
2009年04月22日
(徳育教育)真のリーダーに必要な要素「風度」とは何か
(徳育教育)真のリーダーに必要な要素「風度」とは何か
中国古典を何冊か読む中で、リーダー選びの尺度に「風度(ふうど)」なる価値観があったことを知りました。
今読んでいる童門冬二氏の著書「義塾の原点」のあとがきに、「風度」を備えたリーダーの登場が必要とありました。また、現代の若者も中堅も、そのようなリーダーの指導を受け、自分を磨く必要があろと、童門氏が語っています。
その「風度」を備えた人物とはどんな人物かというと、以下「義塾の原点」あとがきを一部転載します。
(以下、転載)
現代のリーダーに必要な要素は、「先見力、情報力、判断力、決断力、実行力、体力(健康)」といわれる。
しかし、これだけではダメだ。リーダーはやはり、「指導される者から、゛なら゛といわれなければならない」といわれる。
「この人物のいうことなら信頼できる」とか、「この人のやることなら真似してもよい」
というような影響力が必要なのである。それにはすぐれて、「ならと思わせるらしさ」が必要になる。
この゛らしさ゛のことを中国文学者にいわせれば「風度(ふうど)」というのだそうだ。したがって遠隔地の地で、「あの先生のところへ行って学ぼう」と思わせるためには、この風度が強くなければならない。
それは単に天性のものではなく、人格・風貌・風格・気品・能力・親密さ・愛嬌・魅力などが混合して、一種の雰囲気を発散するということだ。単に人を惹きつける魅力だけではない、「底が知れず、幅もわからないほどの教養」を身に付けている人物のことである。(中略)
(以上、「『義塾の原点』あとがき」抜粋)
その時代に何人も居るような人物ではないかもしれませんが、歴史を調べると、現代まで名を残している指導者が、世界各地にいます。
老子、孔子、孟子、ブッダ、ソクラテス、キリスト、などなど。日本では、聖徳太子、織田信長、徳川家康、幕末では西郷隆盛、坂本竜馬、・・。
現代の風度を備えた指導者は誰でしょうか。それは、100年後、200年後の人たちが評価することで、まだわかりません。
しかし、江戸期に全国各地に、若者を指導した色々な教育者がたくさん居た事が、日本が欧米列強の植民政策に対抗できたのだと思います。日本独自の地方の私塾は、知識だけでなく人格を育てることを中心に教育が進められたように思います。
知識だけを詰め込む現代の教育から、人の心を育てる徳育を中心にする、教育に転換をする時期に来ているように思います。
*参考資料:童門冬二著「義塾の原点」
中国古典を何冊か読む中で、リーダー選びの尺度に「風度(ふうど)」なる価値観があったことを知りました。
今読んでいる童門冬二氏の著書「義塾の原点」のあとがきに、「風度」を備えたリーダーの登場が必要とありました。また、現代の若者も中堅も、そのようなリーダーの指導を受け、自分を磨く必要があろと、童門氏が語っています。
その「風度」を備えた人物とはどんな人物かというと、以下「義塾の原点」あとがきを一部転載します。
(以下、転載)
現代のリーダーに必要な要素は、「先見力、情報力、判断力、決断力、実行力、体力(健康)」といわれる。
しかし、これだけではダメだ。リーダーはやはり、「指導される者から、゛なら゛といわれなければならない」といわれる。
「この人物のいうことなら信頼できる」とか、「この人のやることなら真似してもよい」
というような影響力が必要なのである。それにはすぐれて、「ならと思わせるらしさ」が必要になる。
この゛らしさ゛のことを中国文学者にいわせれば「風度(ふうど)」というのだそうだ。したがって遠隔地の地で、「あの先生のところへ行って学ぼう」と思わせるためには、この風度が強くなければならない。
それは単に天性のものではなく、人格・風貌・風格・気品・能力・親密さ・愛嬌・魅力などが混合して、一種の雰囲気を発散するということだ。単に人を惹きつける魅力だけではない、「底が知れず、幅もわからないほどの教養」を身に付けている人物のことである。(中略)
(以上、「『義塾の原点』あとがき」抜粋)
その時代に何人も居るような人物ではないかもしれませんが、歴史を調べると、現代まで名を残している指導者が、世界各地にいます。
老子、孔子、孟子、ブッダ、ソクラテス、キリスト、などなど。日本では、聖徳太子、織田信長、徳川家康、幕末では西郷隆盛、坂本竜馬、・・。
現代の風度を備えた指導者は誰でしょうか。それは、100年後、200年後の人たちが評価することで、まだわかりません。
しかし、江戸期に全国各地に、若者を指導した色々な教育者がたくさん居た事が、日本が欧米列強の植民政策に対抗できたのだと思います。日本独自の地方の私塾は、知識だけでなく人格を育てることを中心に教育が進められたように思います。
知識だけを詰め込む現代の教育から、人の心を育てる徳育を中心にする、教育に転換をする時期に来ているように思います。
*参考資料:童門冬二著「義塾の原点」
2009年04月15日
互の立場を思うと、憎悪は消え、高慢は減る
互の立場を思うと、憎悪は消え、高慢は減る
詩人のゲーテの言葉を集めた「ゲーテの格言集」に次の言葉がありました。
「自分を他の人の立場におけば、われわれがしばしば他の人に対して感ずる嫉妬や憎悪はなくなるだろう。また他の人を自分の自分の立場においたら、高慢や独りよがりは大いに減ずるだろう。」(「格言と反省」から)
上に立つものの「心得」になる教示と思います。
人間は、ものごとを自分の立場からだけしか見ないことが多い、相手の立場、あるいは対峙する二人、数人を、周りからみる視点が必要と師たちから、何度も訓示されます。
「自分が嫌なことは、人にはしない」の孔子の教えを、いまだにできないでいる現代人がたくさんいます。
「一般的な概念と大きな自負は、ともすれば恐ろしい不幸をひき起こす」(「格言と反省」)
リーダーの高慢や独りよがりは、害あって一利なしの気持ちを持ち、謙虚に人と接することが必要な気がします。
「出世するほど、謙虚になれ」
今日は、朝から硬い話のなりました。4月も15日が過ぎ、新しい環境になれてくる頃です。初心を忘れず、相手を思いやるゆとりが大事と思います。
*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテ格言集」
詩人のゲーテの言葉を集めた「ゲーテの格言集」に次の言葉がありました。
「自分を他の人の立場におけば、われわれがしばしば他の人に対して感ずる嫉妬や憎悪はなくなるだろう。また他の人を自分の自分の立場においたら、高慢や独りよがりは大いに減ずるだろう。」(「格言と反省」から)
上に立つものの「心得」になる教示と思います。
人間は、ものごとを自分の立場からだけしか見ないことが多い、相手の立場、あるいは対峙する二人、数人を、周りからみる視点が必要と師たちから、何度も訓示されます。
「自分が嫌なことは、人にはしない」の孔子の教えを、いまだにできないでいる現代人がたくさんいます。
「一般的な概念と大きな自負は、ともすれば恐ろしい不幸をひき起こす」(「格言と反省」)
リーダーの高慢や独りよがりは、害あって一利なしの気持ちを持ち、謙虚に人と接することが必要な気がします。
「出世するほど、謙虚になれ」
今日は、朝から硬い話のなりました。4月も15日が過ぎ、新しい環境になれてくる頃です。初心を忘れず、相手を思いやるゆとりが大事と思います。
*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテ格言集」
2009年03月23日
一番乗りは牡蠣(かき)を得るが、二番目は貝殻しか得られない
一番乗りは牡蠣(かき)を得るが、二番目の人は貝殻しか得られない
鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーの名言です。
無一文だったカーネギーが鉄鋼王にまでのしあがれたのは、誰よりも早く最新のアイデアと技術を導入していったからであり、常に一番乗りを目指す彼の考え方は、上記の言葉に表れています。
彼はただの成り上がりではなかった、1901年鉄鋼の合同が進み、USスチールができた時、あっさりすべての会社を売却し、その4億5千万ドルの莫大に費用を、「富を持って死ぬことは不名誉」という考えのもと、こんどは慈善事業につぎ込んだ。
とてもすがすがしいカーネギーの生き方を感じます。
日本にも、三方良しの考えから、社会奉仕に近い考えの商魂がありますが、行き着くところはどの国でも、同じところになるのかもしれません。
先手必勝の経済活動ですが、「自分さえ、よければ」の族が多い中、カーネギーのような経営者が、どんどん出てきてほしいと思います。カーネギーの晩年は、「鉄鋼王」から「慈善王」と呼ばれるようになったと知りました。
*参考資料:「世界の名言100選」より
鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーの名言です。
無一文だったカーネギーが鉄鋼王にまでのしあがれたのは、誰よりも早く最新のアイデアと技術を導入していったからであり、常に一番乗りを目指す彼の考え方は、上記の言葉に表れています。
彼はただの成り上がりではなかった、1901年鉄鋼の合同が進み、USスチールができた時、あっさりすべての会社を売却し、その4億5千万ドルの莫大に費用を、「富を持って死ぬことは不名誉」という考えのもと、こんどは慈善事業につぎ込んだ。
とてもすがすがしいカーネギーの生き方を感じます。
日本にも、三方良しの考えから、社会奉仕に近い考えの商魂がありますが、行き着くところはどの国でも、同じところになるのかもしれません。
先手必勝の経済活動ですが、「自分さえ、よければ」の族が多い中、カーネギーのような経営者が、どんどん出てきてほしいと思います。カーネギーの晩年は、「鉄鋼王」から「慈善王」と呼ばれるようになったと知りました。
*参考資料:「世界の名言100選」より
2009年03月19日
有能な人は、常に学ぶ人(常に初心者である)
有能な人は、常に学ぶ人(常に初心者である)
あの人に任せれば良いよね、仕事は忙しい人に頼め、と子どもが中学校の時にPTA会の先輩から、ご意見(ドバイス)がありました。多忙な人ほど、勉強するし、人ともあっています。
色々な歴史書にも多忙な人ほど勉強すると幾度となくありますが、詩人のゲーテのそのことをしてきましています。高橋健二編訳「ゲーテの格言集」から引用しています。でも私の思いは、一生勉強ですから、青年期、中年期、熟年期、老年期になっても興味と行動を忘れないようにしたいと思います。
(本文)
有能な人は、常に学ぶ人である (ローマの諷刺家マルティアス)
(意味)
よき人は常に初心者である。
ザイード氏は、「常にアマチュアであれ!」の言葉は、新鮮で、印象に残る言葉と思いました。
(本文)
三千年の歴史から 学ぶことを知らぬものは、
知ることもなく、やみの中にいよ、
その日その日を生きるとも。
(西東詩編「不満の書」から)
<本文から>
理解していないものは、所有しているとは言えない
(知行合一)知識は理解し、行動して起してこそ
(本文)
真剣さなくしては、この世で何事もしとげることができない。教養ある人と呼ばれる人 たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。
(「ヴィヘルム・マイスターの修行時代」から)
私は自営業で、そう学歴も無く、「無教養」の人種ですが、人と出会ったことで、不足な差を、補うように頑張りたいと思います。これからまた、1年よろしくお願い致します。
*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテの格言集」
あの人に任せれば良いよね、仕事は忙しい人に頼め、と子どもが中学校の時にPTA会の先輩から、ご意見(ドバイス)がありました。多忙な人ほど、勉強するし、人ともあっています。
色々な歴史書にも多忙な人ほど勉強すると幾度となくありますが、詩人のゲーテのそのことをしてきましています。高橋健二編訳「ゲーテの格言集」から引用しています。でも私の思いは、一生勉強ですから、青年期、中年期、熟年期、老年期になっても興味と行動を忘れないようにしたいと思います。
(本文)
有能な人は、常に学ぶ人である (ローマの諷刺家マルティアス)
(意味)
よき人は常に初心者である。
ザイード氏は、「常にアマチュアであれ!」の言葉は、新鮮で、印象に残る言葉と思いました。
(本文)
三千年の歴史から 学ぶことを知らぬものは、
知ることもなく、やみの中にいよ、
その日その日を生きるとも。
(西東詩編「不満の書」から)
<本文から>
理解していないものは、所有しているとは言えない
(知行合一)知識は理解し、行動して起してこそ
(本文)
真剣さなくしては、この世で何事もしとげることができない。教養ある人と呼ばれる人 たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。
(「ヴィヘルム・マイスターの修行時代」から)
私は自営業で、そう学歴も無く、「無教養」の人種ですが、人と出会ったことで、不足な差を、補うように頑張りたいと思います。これからまた、1年よろしくお願い致します。
*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテの格言集」
2009年03月11日
縁尋機妙 多逢聖因 ~今日を大事に生きる~
縁尋機妙 多逢聖因 ~今日を大事に生きる~
・縁尋機妙(えんじんきみょう)
良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙(たえ)なるものがある
・多逢聖因(たほうしょういん)
いい人に交わっていると良い結果に恵まれる
人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない。
(以上、「安岡正篤 一日一言」より)
人それぞれに、一日しかない時間、どう使うかでその後の人生を大きく左右することが多々あると思います。
>いい機会、いい場所、いい人、いい書物
四つの要素を大事に、今日も有効に時間を使いたいと思います。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
・縁尋機妙(えんじんきみょう)
良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙(たえ)なるものがある
・多逢聖因(たほうしょういん)
いい人に交わっていると良い結果に恵まれる
人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない。
(以上、「安岡正篤 一日一言」より)
人それぞれに、一日しかない時間、どう使うかでその後の人生を大きく左右することが多々あると思います。
>いい機会、いい場所、いい人、いい書物
四つの要素を大事に、今日も有効に時間を使いたいと思います。
*参考資料:安岡正泰監修「安岡正篤 一日一言」
2009年03月04日
あまりにも成長しすぎて滅亡する
あまりにも成長しすぎて滅亡する
昨日から「老子」「荘子」言葉を抜粋した解説書を読み始めた。読むほどに、自分や、現代社会の慌しさを省みます。急げ急げ、早く早く、・・・、息切れしそうな気分を持ちます。
老子は、「足るを知る」の教示を説かれた哲人ですが、50ほどの抜粋だけ読んでも学ぶところは、たくさんあります。その中に、次の一節がありました。
「もの壮(さかん)なれば 則(すなわ)ち、老ゆ」
(『老子』三十章)
~あまりにも成長しすぎるて滅亡する~
世の中全体をひっくり返すように、人情も解さないで弱者をつぶして急成長すると、みんなの恨みをかって、つぶれてしまう。
「甚を去る」(『老子』二十九章)
はなはだしく、極端な積極性は、つつしんだ方がよい。極端な積極性は、長続くきしない。
この世の中を、平穏に、かつ、自分を充実して生きたいと思うなら、「早く、早く」ではなく、「ゆっくり落ちついて」コツコツやっていくことが、鉄則なのだ。(中略)
「ゆっくり落ちついて」コツコツやっていく、老子の生き方を数日考えてみたいと思います。
*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
昨日から「老子」「荘子」言葉を抜粋した解説書を読み始めた。読むほどに、自分や、現代社会の慌しさを省みます。急げ急げ、早く早く、・・・、息切れしそうな気分を持ちます。
老子は、「足るを知る」の教示を説かれた哲人ですが、50ほどの抜粋だけ読んでも学ぶところは、たくさんあります。その中に、次の一節がありました。
「もの壮(さかん)なれば 則(すなわ)ち、老ゆ」
(『老子』三十章)
~あまりにも成長しすぎるて滅亡する~
世の中全体をひっくり返すように、人情も解さないで弱者をつぶして急成長すると、みんなの恨みをかって、つぶれてしまう。
「甚を去る」(『老子』二十九章)
はなはだしく、極端な積極性は、つつしんだ方がよい。極端な積極性は、長続くきしない。
この世の中を、平穏に、かつ、自分を充実して生きたいと思うなら、「早く、早く」ではなく、「ゆっくり落ちついて」コツコツやっていくことが、鉄則なのだ。(中略)
「ゆっくり落ちついて」コツコツやっていく、老子の生き方を数日考えてみたいと思います。
*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
2009年03月03日
(老子の言葉)生きているあなたがいちばん尊い
(老子の言葉)生きているあなたがいちばん尊い
~大患を貴ぶこと 身のごとし~(老子)
一切、世の中の運命の流れにまかせてみる
(本文)
栄誉、財貨、地位を得ようと思って、あくせく、悩み、策略をねる。多くの人は、栄誉、財貨、地位の獲得のために、患っている。人は、上へ上へと登りたがる。
「愛して身をもって 天下と為せば、及(すなわ)ち、もって天下を託すべし」(老子13
章)
まずは、自分自身の教養を高め、人格を高揚し、才智を伸ばすことを楽しみとして、栄誉・財貨・地位を得られるかどうかは、一切、世の中の運命の流れにまかせる。(中略)
世には、「俺が、俺が」の発言現場を見ることがあります。また、これは俺の実績を誇張する場面をみます。司馬遼太郎氏の著書「人間というもの」に次の一節があります。
(本文)
「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとは二分はだれでもできる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」(「龍馬がゆく 八」)
司馬氏の言葉には、老子の教示を思い出させる感を持ちます。大きな事業は、日々の色々な積み重ねでしか実現しません。しかし、社会の変化の中で、「晴れの場」にふさわしい人が、言動すると「光」を放ちます。
このことを司馬氏が教示しているのではないかと感じます。様々な社会活動の中で、良いことを広めようとして、地道な活動を起こしますが、少しばかり名が広まると、当初の目的から、自分の存在感を示したい気分をもちます。実はその変化の瞬間に、それまでの地道な活動が色あせて見えることはあります。
>その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。
成功を導いたのは自分の活動と、最後の晴れやかな場は、後世につながる人々へ託し、舞台(社会)を見物する一観衆になって、変化を検証できる視点(感覚)を持ちたいと思います。
色々ご意見を頂ければ幸いです。
*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
司馬遼太郎著「人間というもの」
宇土市 野口修一(建築家)
~大患を貴ぶこと 身のごとし~(老子)
一切、世の中の運命の流れにまかせてみる
(本文)
栄誉、財貨、地位を得ようと思って、あくせく、悩み、策略をねる。多くの人は、栄誉、財貨、地位の獲得のために、患っている。人は、上へ上へと登りたがる。
「愛して身をもって 天下と為せば、及(すなわ)ち、もって天下を託すべし」(老子13
章)
まずは、自分自身の教養を高め、人格を高揚し、才智を伸ばすことを楽しみとして、栄誉・財貨・地位を得られるかどうかは、一切、世の中の運命の流れにまかせる。(中略)
世には、「俺が、俺が」の発言現場を見ることがあります。また、これは俺の実績を誇張する場面をみます。司馬遼太郎氏の著書「人間というもの」に次の一節があります。
(本文)
「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとは二分はだれでもできる。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」(「龍馬がゆく 八」)
司馬氏の言葉には、老子の教示を思い出させる感を持ちます。大きな事業は、日々の色々な積み重ねでしか実現しません。しかし、社会の変化の中で、「晴れの場」にふさわしい人が、言動すると「光」を放ちます。
このことを司馬氏が教示しているのではないかと感じます。様々な社会活動の中で、良いことを広めようとして、地道な活動を起こしますが、少しばかり名が広まると、当初の目的から、自分の存在感を示したい気分をもちます。実はその変化の瞬間に、それまでの地道な活動が色あせて見えることはあります。
>その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。
成功を導いたのは自分の活動と、最後の晴れやかな場は、後世につながる人々へ託し、舞台(社会)を見物する一観衆になって、変化を検証できる視点(感覚)を持ちたいと思います。
色々ご意見を頂ければ幸いです。
*参考資料:境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
司馬遼太郎著「人間というもの」
宇土市 野口修一(建築家)
2009年02月26日
(他人をあてにするな)人を恃むは自ら恃むにしかず
・他人をあてにするな
「人を恃(たの)むは自ら恃むにしかず」~韓非子~
これは、中国古典の一つ「韓非子」の一節にあるのもです。政治的リーダーに心して聞いて欲しい故事の一つです。
(解説から)
魯の宰相・公儀休(こうぎきゅう)は、魚大好きで、それを知った国中の人が、魚を届けてくる。しかし、せっかくの贈り物を受け取らない。弟が訳を聞くと、
「好きだから断わる。魚を受け取れば、お世辞も言わないといけない。そうなれな、やがて相手のために法を曲げることにもなろう。そうなるたちまち免職になる。
免職になれば、だれも魚を届けては来ない。魚も買えなくなる。
いまこうして断わっていれば、免職される事もなく、いつまでも好きな魚を買って食えるではないか」と答えた。(中略)
人を恃むということは、そうしても当たり外れがありがちなものだ。自分を頼りにすれば、かりに失敗したときでも諦めがつく。(中略)
(以上、「中国古典一日一話」~韓非子~)
高い地位に就けば、すり寄って来る族が居る。自分が、どんな生き方をして来たか、しているかで、その対応が大きく変るように思います。
今だに起る、首長、政治家、官僚の不祥事、人間の生業の変らない性を感じますが、今日の故事にあるように、しっかりと自分を見つめ、律する理念が大事と感じます。
日々の色々な出来事を、自分以外の要因を探し、愚痴をこぼしている人を見かけます。振り返る(反省する)と、以外に自分自身の言動に原因があることが多々あります。天災などの不慮の事故は、避けることはできませんが、「反省と挑戦」の気持ちを忘れないで、自分を頼りにして、暮らしたいものです。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」~韓非子~
「人を恃(たの)むは自ら恃むにしかず」~韓非子~
これは、中国古典の一つ「韓非子」の一節にあるのもです。政治的リーダーに心して聞いて欲しい故事の一つです。
(解説から)
魯の宰相・公儀休(こうぎきゅう)は、魚大好きで、それを知った国中の人が、魚を届けてくる。しかし、せっかくの贈り物を受け取らない。弟が訳を聞くと、
「好きだから断わる。魚を受け取れば、お世辞も言わないといけない。そうなれな、やがて相手のために法を曲げることにもなろう。そうなるたちまち免職になる。
免職になれば、だれも魚を届けては来ない。魚も買えなくなる。
いまこうして断わっていれば、免職される事もなく、いつまでも好きな魚を買って食えるではないか」と答えた。(中略)
人を恃むということは、そうしても当たり外れがありがちなものだ。自分を頼りにすれば、かりに失敗したときでも諦めがつく。(中略)
(以上、「中国古典一日一話」~韓非子~)
高い地位に就けば、すり寄って来る族が居る。自分が、どんな生き方をして来たか、しているかで、その対応が大きく変るように思います。
今だに起る、首長、政治家、官僚の不祥事、人間の生業の変らない性を感じますが、今日の故事にあるように、しっかりと自分を見つめ、律する理念が大事と感じます。
日々の色々な出来事を、自分以外の要因を探し、愚痴をこぼしている人を見かけます。振り返る(反省する)と、以外に自分自身の言動に原因があることが多々あります。天災などの不慮の事故は、避けることはできませんが、「反省と挑戦」の気持ちを忘れないで、自分を頼りにして、暮らしたいものです。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典一日一話」~韓非子~
2009年01月23日
苦労をさせた妻を粗末にしてはならない(後漢書)
苦労をさせた妻を粗末にしてはならない(後漢書)
タレントで華々しく輝くスターが、男女の話題でテレビを賑わすことが多々あります。庶民の生活からすると、別世界ですが、一般社会でも以外に起る出来事のように思います。
若いころは、みな苦労が付きものですが、時機を得たのかうまく成功をすると、その名声によってくる族がいます。
成功気分に、良く乗せられ、ついそれまでの苦労したパートナーと分かれ、華やかな世界を歩む人がいますが、多くの人が良い印象をもたないように、人望を欠くことになるのではと思います。
このような場面は、古い時代からあるようで、中国古典の「後漢書」に次の一節があります。(守屋洋編著「中国古典 一日一話」)
(本文転載)
・糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず
若いころ糟(かす)や糠(ぬか)を食って苦労を共にした古女房は、偉くなって金がたまっても、棄てたり、粗末に扱ってはならない。
後漢の光武帝の姉が、出戻って来た。光武帝が姉を思い、重臣の宋弘にやんわりと、
「下世話に話だが、富みて交わりを易(替)え、貴くしては妻を易うというそうだが、どう思うね」
「いや、私は゛貧銭の交わりを忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず゛と聞いております」(中略)
現代は、熟年離婚、定年離婚があるそうで、時代は変わっているとうですが、苦労したパートナーは、大事にした方が良いように思うので、古い人間かもしれません。
人の生業、2000年を越えた今の十分生きている教訓、生き方があるように思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず(後漢書より)
タレントで華々しく輝くスターが、男女の話題でテレビを賑わすことが多々あります。庶民の生活からすると、別世界ですが、一般社会でも以外に起る出来事のように思います。
若いころは、みな苦労が付きものですが、時機を得たのかうまく成功をすると、その名声によってくる族がいます。
成功気分に、良く乗せられ、ついそれまでの苦労したパートナーと分かれ、華やかな世界を歩む人がいますが、多くの人が良い印象をもたないように、人望を欠くことになるのではと思います。
このような場面は、古い時代からあるようで、中国古典の「後漢書」に次の一節があります。(守屋洋編著「中国古典 一日一話」)
(本文転載)
・糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず
若いころ糟(かす)や糠(ぬか)を食って苦労を共にした古女房は、偉くなって金がたまっても、棄てたり、粗末に扱ってはならない。
後漢の光武帝の姉が、出戻って来た。光武帝が姉を思い、重臣の宋弘にやんわりと、
「下世話に話だが、富みて交わりを易(替)え、貴くしては妻を易うというそうだが、どう思うね」
「いや、私は゛貧銭の交わりを忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず゛と聞いております」(中略)
現代は、熟年離婚、定年離婚があるそうで、時代は変わっているとうですが、苦労したパートナーは、大事にした方が良いように思うので、古い人間かもしれません。
人の生業、2000年を越えた今の十分生きている教訓、生き方があるように思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず(後漢書より)
2009年01月17日
「風林火山」速きこと風の如く、静かなること林の如く
「風林火山」速きこと風の如く、静かなること林の如く
武田信玄が、戦の時のぼり旗の四文字で有名ですが、これは中国の兵法の教科書と言われる「孫子」の教示にある言葉の一節です。
「其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」
孫子は、「動」と同時に「静」の作戦行動も重視した。攻撃を中断するときは林のような静なにして次の機会を待ち、いったん守りに入ったら山のように動かない・・・つまり、動いてはならないときはの軽挙妄動を誡めている。
敵対する勢力をしっかり分析し、こちらに勝ち目があると判断できるまでは、決して動かない。しかし、動き始めたら、疾風の如くなだれ込むような行動で、相手を圧倒する。正に、風林火山の哲学と思います。
世の溢れる情報に、翻弄される事無く、真の情報を集め、着実な準備と決断がこれからのリーダーに求められると思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
武田信玄が、戦の時のぼり旗の四文字で有名ですが、これは中国の兵法の教科書と言われる「孫子」の教示にある言葉の一節です。
「其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し」
孫子は、「動」と同時に「静」の作戦行動も重視した。攻撃を中断するときは林のような静なにして次の機会を待ち、いったん守りに入ったら山のように動かない・・・つまり、動いてはならないときはの軽挙妄動を誡めている。
敵対する勢力をしっかり分析し、こちらに勝ち目があると判断できるまでは、決して動かない。しかし、動き始めたら、疾風の如くなだれ込むような行動で、相手を圧倒する。正に、風林火山の哲学と思います。
世の溢れる情報に、翻弄される事無く、真の情報を集め、着実な準備と決断がこれからのリーダーに求められると思います。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
2009年01月16日
(為政者の責任大)恒産なければ、因って恒心なし
(為政者の責任大)恒産なければ、因って恒心なし
恒産(財、地位)とは、日々の生活を十分に支えることのできる収入のこと。生活の安定がなければ、人の心はゆらぎやすく、悪事への走りやすい。経済基盤がしっかりしていてこそ、人心の安定もはかられる。
よの人々に恒心(良心、良識)を期待するならば、まず為政者が人々の暮らしを安定させなければならないという孟子の教えです。
日本は、恒産があるにもかかわらず、恒心のをなくしているかに見える人がいないでもない。国全体の経済レベルは、世界でも高くなって来たが、簡単には、人々の恒心を期待することはできないのかもしれない。
この恒心を信念と言う言葉に置き換えるならば、どんなに生活が苦しくても、それに流されて信念すらも失っては困る。できれば、晴雨にかかわらず常に、恒心だけは持ちつづ
けたい。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
恒産(財、地位)とは、日々の生活を十分に支えることのできる収入のこと。生活の安定がなければ、人の心はゆらぎやすく、悪事への走りやすい。経済基盤がしっかりしていてこそ、人心の安定もはかられる。
よの人々に恒心(良心、良識)を期待するならば、まず為政者が人々の暮らしを安定させなければならないという孟子の教えです。
日本は、恒産があるにもかかわらず、恒心のをなくしているかに見える人がいないでもない。国全体の経済レベルは、世界でも高くなって来たが、簡単には、人々の恒心を期待することはできないのかもしれない。
この恒心を信念と言う言葉に置き換えるならば、どんなに生活が苦しくても、それに流されて信念すらも失っては困る。できれば、晴雨にかかわらず常に、恒心だけは持ちつづ
けたい。
*参考資料:守屋洋編著「中国古典 一日一話」
2008年08月10日
自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から
自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から
「私は何処にいて、どれほどのものか?・・・」
今、オリンピックが開催されています。
私は、水泳が好きで平泳ぎの北島選手を応援していますが、予選でその記録を上回るニューファースが出てきました。ライバルのハンセン選手よりはるかに良い記録でした。世界は広いなと思います。
中国故事に、「夜郎自大」というものがあります。これは、史記の一節にあるのですが、地方の自分の国(領域)と漢帝国と、どちらが大きいかたずねたというものです。これは、視野の狭さから持った「自負心」を反省させる教示なのですが、これって今でもけっこうあるように思います。
私は、キッズサッカーの指導をしているのですが、「自分は、(在学の小学校で)一番上手」と思っている生徒がいます。意外とこれ多いのです。そんな生徒には、必ず他校と練習試合をさせ、「俺より上手いやつが居た」の気付きから、向上心のかき立てることも大事と思います。
大人でも「自分は、どれくらいのレベル(存在か)か知る」ことが、一番難しいのかもしれません。
大きな志を持ち、猪突猛進で若い時期は走ります。上手く行くと、「俺良い感じ、一番かも」の思い込みで成長させる手もありますが、ある年齢を越えると自覚が出てくるのも必要です。
偉人の言葉にも、「人を知るのは智(知)、自分をするのは明」とあります。自分を知っているようで、欲目もあり見間違う(見えていない)ことが多々在ります。「夜郎自大」の故事は、その最たるものと思います。
あるサイトで、私の論語の勉強不足を指摘され、更に学ぶ意欲が湧き、こりずに故事等を使い続けていきますが、そのことで日常の仕事の合間にも「学問」をしようと感じます。
「学び→ぬぼれ→気付き→反省・落胆→揺り戻し→挑戦→自信→うぬぼれ→気付き→・・・・・」
人間は、これを繰り返しながら、成長するしかないように思います。私のような凡人(小人)は、一日三省し、気付くことこそが生きる源になると思っています。
「夜郎自大」と「一日三省」は、国王でなくても大事な教訓と思います。
自分のテリトリー(会社、地域)だけでなく、たまには異分野・異文化、海外の人々と交流し、自分の立っている位置は大丈夫か? 時々検証することも長い人生では、選択の確信を持つために必要と思います。
「指摘は最大のアドバイス」と思っている私は、中国故事を更に広く・浅く知識を広めたいと思った、今夜の気分です。人の成長の大きな要因は、気付き(発憤)なのかもしれません。
*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一言」
「私は何処にいて、どれほどのものか?・・・」
今、オリンピックが開催されています。
私は、水泳が好きで平泳ぎの北島選手を応援していますが、予選でその記録を上回るニューファースが出てきました。ライバルのハンセン選手よりはるかに良い記録でした。世界は広いなと思います。
中国故事に、「夜郎自大」というものがあります。これは、史記の一節にあるのですが、地方の自分の国(領域)と漢帝国と、どちらが大きいかたずねたというものです。これは、視野の狭さから持った「自負心」を反省させる教示なのですが、これって今でもけっこうあるように思います。
私は、キッズサッカーの指導をしているのですが、「自分は、(在学の小学校で)一番上手」と思っている生徒がいます。意外とこれ多いのです。そんな生徒には、必ず他校と練習試合をさせ、「俺より上手いやつが居た」の気付きから、向上心のかき立てることも大事と思います。
大人でも「自分は、どれくらいのレベル(存在か)か知る」ことが、一番難しいのかもしれません。
大きな志を持ち、猪突猛進で若い時期は走ります。上手く行くと、「俺良い感じ、一番かも」の思い込みで成長させる手もありますが、ある年齢を越えると自覚が出てくるのも必要です。
偉人の言葉にも、「人を知るのは智(知)、自分をするのは明」とあります。自分を知っているようで、欲目もあり見間違う(見えていない)ことが多々在ります。「夜郎自大」の故事は、その最たるものと思います。
あるサイトで、私の論語の勉強不足を指摘され、更に学ぶ意欲が湧き、こりずに故事等を使い続けていきますが、そのことで日常の仕事の合間にも「学問」をしようと感じます。
「学び→ぬぼれ→気付き→反省・落胆→揺り戻し→挑戦→自信→うぬぼれ→気付き→・・・・・」
人間は、これを繰り返しながら、成長するしかないように思います。私のような凡人(小人)は、一日三省し、気付くことこそが生きる源になると思っています。
「夜郎自大」と「一日三省」は、国王でなくても大事な教訓と思います。
自分のテリトリー(会社、地域)だけでなく、たまには異分野・異文化、海外の人々と交流し、自分の立っている位置は大丈夫か? 時々検証することも長い人生では、選択の確信を持つために必要と思います。
「指摘は最大のアドバイス」と思っている私は、中国故事を更に広く・浅く知識を広めたいと思った、今夜の気分です。人の成長の大きな要因は、気付き(発憤)なのかもしれません。
*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一言」


