2007年11月29日
白州次郎著「プリンシプルのない日本」を読んで
白州次郎著「プリンシプルのない日本」を読んで
~Principle(プリンシプル):原理原則、信念~
ここ数ヶ月本屋で「白州次郎」「白州正子」の文字が目に停まります。書籍が目に付く処にあるので、目に停まることもありますが、非常に気になる「昭和の偉人(哲人)」と思います。
太平洋戦争敗戦後の第一次吉田茂内閣下、戦後の日本の道筋を作る作業の中で、八面六臂の活躍をし、役が終わるとサッと身を引き、農業に勤しむ賢人と私は感じています。幕末の思想家の横井小楠先哲が敬慕した陽明学者(と言われている)熊沢蕃山に似た印象も持ちます。
白州次郎氏は、1919~1928年ケンブリッジで学び、留学中はヨーロッパを車で見聞して回った経験を持ち、帰国後は貿易の仕事に携わりました。戦前から、ヨーロッパに行く機会も多く、世界の政治経済情勢の見識も有り、イギリス駐在の外交官だった吉田茂氏とも交流を持っていたことで、戦後処理に関わり、占領下において「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた、見識と行動力、更に私心の無い意見は、吉田政権の中で大きな働きをした言われています。
本の中に対談が載っていました。出演者は、白州次郎氏、と友人の川上徹太郎氏、今日出海氏です。
(中略)
川上:ところで次郎さんに訊きたいけどね、これから日本て言う国は良くなるのかい。
白州:良くなるだろうと思うよ。
川上:なるかい?
白州:良くしなきゃダメじゃないの。
川上:希望的楽観はよそう。
白州:希望的楽観じゃないさ。現実にこれを良くしていくこと以外に手がないじゃないの。良くなるのかなんの考える方が、よっぽど楽観じゃないか。余計なこっちゃないか、そんなこと。だから、どうしたら良くなるか、それを工夫してゆくよりしょうがないじゃないか。
川上:こんどは非常にうまいこと言うぞ。
白州:そうじゃないさ。さっき日本の現状が悪いんだから、そのことを認識すべきだと言ったんだ。悪い現状を認識して、どうやったら国民の幸福になるかを考えるべきなんだ。良くなるとかならんとか言うよりも、良くするほかに途(みち)はないことを認識すべきだと言うんだ。
川上:判ったよ。お前の好きなプリンシプルを持てと言うことだろう。 (中略)
まるで今の日本に向かって語っているようにも思えます。他の言葉も心に響きます。
「熱意だよ。日本でも明治維新の時の政治家とか実業家は、熱意があったからあれだけに仕事ができたんだ。」
「昔の塾は塾生が塾長からものを教わること以外に、塾長の私生活に日夜ふれてその影響を享けたことが甚大であったに違いない。」
(今日出海氏評)
「小汚い野良着を着ている彼は政治的野心もなければ、金儲けも念頭にない。余り野心がなにから誤解を受けるのだ」
(あとがき:辻井喬評)
白洲次郎ほど、誤解され続けたは、珍しいのではないかと私は思う。俗人は、自分の卑しさを照らし出すような人物を前にでると、恥ずかしさからか、相手を憎むものです。
ケンブリッジで学んだ白州次郎は、本質的には極めて礼儀正しい紳士であった。彼は「身分に関係なくお互いに人間的な尊敬を払うこと」を大切と考え、そうすることこそ「本当の民主主義と言うもの」と考えていた。(中略)
幕末の偉人に西郷隆盛が居ますが、良く使った言葉に「敬天愛人」があります。白洲氏の言動と重なって見えてくる部分があります。武士道であれ、騎士道であれ、時流を謙虚に受け止め、人々が幸福を得るように思い行動することは同じなのだと感じます。
この本は、1951~1969年に白州氏本人が書いたものを集めた著書です。現代の為政者、事業家に伝えたい言葉ばかりです。人間は、なかなか反省と成長が無いのだなとつくづく思います。
最後に、占領下の中で役人はどっち向いているのかと激がとんだ一文を紹介して終わります。
(本文より)
(中略)又聞きの話で真相の程は保障せぬが、帝国ホテルの隣の東宝劇場の返還問題である。
外務省の話しによると、外務省の一役人が小林一三老(阪急の創始者)に、おそらく間接であろうが、「もしあの劇場の返還の御希望があるのなら、米軍と交渉しましょう。」と申し入れた処、小林老人曰く「希望のへちまのあるかのか、変換するのが当たり前じゃないか。」と。
これを聞いて外務省の役人が憤慨して、そんな生意気ことを言うなら変換交渉をなんてしてやらんといって、この間までほったらかしにしておったとのことだ。・・・(中略)
今でも聞きそうな役所の驕りと権力に寄りかかる姿勢、国民の幸福を手伝うのが役所だろうと言いたいですね。
白洲氏の言葉「悪い現状を認識して、どうやったら国民の幸福になるかを考えるべきなんだ。」を、全ての人が思うことが大事と思います。
日本のリーダーにも「敬天愛人」の心を持ち続けて欲しいと思います。今日は、長くなりました。お読み頂き感謝します。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<今日の言葉>
思い描かないことは、決して実現しない
思い描いたことだけが、必ず実現する
(植田正也著「電通『鬼十則』第七章」より)
~Principle(プリンシプル):原理原則、信念~
ここ数ヶ月本屋で「白州次郎」「白州正子」の文字が目に停まります。書籍が目に付く処にあるので、目に停まることもありますが、非常に気になる「昭和の偉人(哲人)」と思います。
太平洋戦争敗戦後の第一次吉田茂内閣下、戦後の日本の道筋を作る作業の中で、八面六臂の活躍をし、役が終わるとサッと身を引き、農業に勤しむ賢人と私は感じています。幕末の思想家の横井小楠先哲が敬慕した陽明学者(と言われている)熊沢蕃山に似た印象も持ちます。
白州次郎氏は、1919~1928年ケンブリッジで学び、留学中はヨーロッパを車で見聞して回った経験を持ち、帰国後は貿易の仕事に携わりました。戦前から、ヨーロッパに行く機会も多く、世界の政治経済情勢の見識も有り、イギリス駐在の外交官だった吉田茂氏とも交流を持っていたことで、戦後処理に関わり、占領下において「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた、見識と行動力、更に私心の無い意見は、吉田政権の中で大きな働きをした言われています。
本の中に対談が載っていました。出演者は、白州次郎氏、と友人の川上徹太郎氏、今日出海氏です。
(中略)
川上:ところで次郎さんに訊きたいけどね、これから日本て言う国は良くなるのかい。
白州:良くなるだろうと思うよ。
川上:なるかい?
白州:良くしなきゃダメじゃないの。
川上:希望的楽観はよそう。
白州:希望的楽観じゃないさ。現実にこれを良くしていくこと以外に手がないじゃないの。良くなるのかなんの考える方が、よっぽど楽観じゃないか。余計なこっちゃないか、そんなこと。だから、どうしたら良くなるか、それを工夫してゆくよりしょうがないじゃないか。
川上:こんどは非常にうまいこと言うぞ。
白州:そうじゃないさ。さっき日本の現状が悪いんだから、そのことを認識すべきだと言ったんだ。悪い現状を認識して、どうやったら国民の幸福になるかを考えるべきなんだ。良くなるとかならんとか言うよりも、良くするほかに途(みち)はないことを認識すべきだと言うんだ。
川上:判ったよ。お前の好きなプリンシプルを持てと言うことだろう。 (中略)
まるで今の日本に向かって語っているようにも思えます。他の言葉も心に響きます。
「熱意だよ。日本でも明治維新の時の政治家とか実業家は、熱意があったからあれだけに仕事ができたんだ。」
「昔の塾は塾生が塾長からものを教わること以外に、塾長の私生活に日夜ふれてその影響を享けたことが甚大であったに違いない。」
(今日出海氏評)
「小汚い野良着を着ている彼は政治的野心もなければ、金儲けも念頭にない。余り野心がなにから誤解を受けるのだ」
(あとがき:辻井喬評)
白洲次郎ほど、誤解され続けたは、珍しいのではないかと私は思う。俗人は、自分の卑しさを照らし出すような人物を前にでると、恥ずかしさからか、相手を憎むものです。
ケンブリッジで学んだ白州次郎は、本質的には極めて礼儀正しい紳士であった。彼は「身分に関係なくお互いに人間的な尊敬を払うこと」を大切と考え、そうすることこそ「本当の民主主義と言うもの」と考えていた。(中略)
幕末の偉人に西郷隆盛が居ますが、良く使った言葉に「敬天愛人」があります。白洲氏の言動と重なって見えてくる部分があります。武士道であれ、騎士道であれ、時流を謙虚に受け止め、人々が幸福を得るように思い行動することは同じなのだと感じます。
この本は、1951~1969年に白州氏本人が書いたものを集めた著書です。現代の為政者、事業家に伝えたい言葉ばかりです。人間は、なかなか反省と成長が無いのだなとつくづく思います。
最後に、占領下の中で役人はどっち向いているのかと激がとんだ一文を紹介して終わります。
(本文より)
(中略)又聞きの話で真相の程は保障せぬが、帝国ホテルの隣の東宝劇場の返還問題である。
外務省の話しによると、外務省の一役人が小林一三老(阪急の創始者)に、おそらく間接であろうが、「もしあの劇場の返還の御希望があるのなら、米軍と交渉しましょう。」と申し入れた処、小林老人曰く「希望のへちまのあるかのか、変換するのが当たり前じゃないか。」と。
これを聞いて外務省の役人が憤慨して、そんな生意気ことを言うなら変換交渉をなんてしてやらんといって、この間までほったらかしにしておったとのことだ。・・・(中略)
今でも聞きそうな役所の驕りと権力に寄りかかる姿勢、国民の幸福を手伝うのが役所だろうと言いたいですね。
白洲氏の言葉「悪い現状を認識して、どうやったら国民の幸福になるかを考えるべきなんだ。」を、全ての人が思うことが大事と思います。
日本のリーダーにも「敬天愛人」の心を持ち続けて欲しいと思います。今日は、長くなりました。お読み頂き感謝します。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
<今日の言葉>
思い描かないことは、決して実現しない
思い描いたことだけが、必ず実現する
(植田正也著「電通『鬼十則』第七章」より)
2007年11月29日
危うきには近寄らず
第六十八話 危うきには近寄らず (菜根譚)
公平な意見や正当な議論には、反対してはならない。一度でも反対すれば、末代まで恥をさらす。
権勢をふるい私利をはたらく者には、近づいてはならない。いちどでも近づけば、生涯の汚点となる。
(解説)
これはとくに党派を組んで争にあてはまるかもしれない。数をたのんで相手の正論を押しつぶしたとしても、正論はいずれ評価されるのである。そんなとき恥をさらすのはこちらだということになる。また、権勢の座も長く続くという保障はなにもない。すり寄っていくと、しばらくはいい思いをするかもしれないが、いずれ共倒れになってしまう。
(感想)
常に、自分の行動を第三者的な視点で顕彰をする必要を感じます。突っ込むだけでは、その姿を省みるゆとりを生まないと思います。行きつ戻りつする気持ちのゆとりが、一番重要のように思います。
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公平な意見や正当な議論には、反対してはならない。一度でも反対すれば、末代まで恥をさらす。
権勢をふるい私利をはたらく者には、近づいてはならない。いちどでも近づけば、生涯の汚点となる。
(解説)
これはとくに党派を組んで争にあてはまるかもしれない。数をたのんで相手の正論を押しつぶしたとしても、正論はいずれ評価されるのである。そんなとき恥をさらすのはこちらだということになる。また、権勢の座も長く続くという保障はなにもない。すり寄っていくと、しばらくはいい思いをするかもしれないが、いずれ共倒れになってしまう。
(感想)
常に、自分の行動を第三者的な視点で顕彰をする必要を感じます。突っ込むだけでは、その姿を省みるゆとりを生まないと思います。行きつ戻りつする気持ちのゆとりが、一番重要のように思います。
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2007年11月27日
心ある若者は、各人が人生の課題と向き合っている
心ある若者は、各人が人生の課題と向き合っている
ミャンマーでの若い僧侶たちの反政府アピール行動を取材した日本のジャーナリストが、政府軍から銃口を向けられ、命を落としました。憤りを感じる出来事ですが、この暴挙に対して日本の若者は、怒りをあらわにしない(できない)風潮を感じます。
そんな折、故司馬遼太郎氏と、今年亡くなった河井隼雄氏の対談のことを記した、河井氏の著書を読みました。その一節を紹介します。
(本文より)
(司馬氏)・・・、阪神大震災にボランティアとして活躍した若者たちのことが話題に登り、最近の若者は学生運動のような華やかなことしなくなった。すまわち、イデオロギーに頼って一本筋に集団で行動するような時代は終わり、心ある若者は各人がそれぞれじっくりと人生の課題に取り組んでいる、・・・
(河井氏が)これを例えて、「高熱で燃えあがる運動でなく、低温発酵でじわじわとした変化が生じて行く」と語ると、(司馬氏)「低温発酵はよろしいね」と大変喜ばれたそうです。
この文を検証すると、私が最近良く会う人々が語る思いと同じことを、河井氏は訴えています。ニュース報道に、少年事件や親子の関わる殺人事件等々、「良心・孝心」を疑う事件、出来事を糾弾するより、良い事をする少年たちや大人たちを、評価する記事を書いてと言う働きかけをしたいのです。
テレビを見ると、事件のスクープ競争ばかりが目立ち、暗い将来を思い描いてしまいます。しかし実際の地域では、とても心温まる出来事、頑張る少年の活躍、父母のボランティア活動、老人会の見回りパトロール等々、地域を支え、元気にする試みが数え切れないほどあります。
「テレビは、なんでこれを紹介しないのか?」
唯一やっているのは、地方の新聞だと思います。地方のテレビ局は、キー局の番組をスポンサーの言いなりで、放映するばかりで、重苦しい世相を更に暗くしています。
これからは、地方テレビ局も、地方新聞並みに足を運び、汗をかき、地方の足元の元気な活動を知らせる事をしないと、生き残れないように思います。
師の一人、木内孝氏が良く語るのですが、「感動するテレビ番組が少ない。これはスポンサーの責任が大きい。できるなら、スポンサーが「我が社やスポンサーしている番組を見てよ」と誇れる番組を、市民が見ることで応援したいですね」と説かれます。最近そんな番組が少ないように思います。
以前の日記に、「感銘を受けた本を何度も読むほうが、多読よりも効果があること多い」と書きました。テレビも、何度も見たいような番組が、最近少ないと思いませんか?
私は、心振るわせるテレビ番組を期待します。
やみくもに視聴率だけを志向する番組を支援する企業の製品やサービスは、利用しないとかするとだいぶ変わると思います。お金は、企業活動の「投票券」を思って、しっかり考えて使う事に務めたいと思います。
話が横にそれましたが、そこで新聞、テレビ、インターネット等の情報発信は、「事件」を追うばかりでなく、現在の日本の若者たちはどのようなことをしているかを示すような、記事・報告をして欲しいと思います。
(本文より、転載)
河井氏によると、
「・・・、特に日本の若者および日本在住の外国人の若者で、新しい建設的なことを考えたり、実行したりしている者の実態をコラム等で連載してはどうかと・・・」
「私が、国内外で接する日本の若者たちから考えて、一般に言われる悲観論どころか、むしろ大きな期待を若者にもっている。「近ごろの若者は・・・」とステレオタイプの嘆きをしているエライ人たちより、若者の方がよっぽど面白い(期待できる)。・・・」
と、ありました。この「(仮称)元気な若者コラム」に力を注ぐ方が、殺人ニュースの取材のために、昼夜問わず地域の迷惑を顧みずスクープを狙うより、社会改善に寄与すると思うのは私ばかりではないと思います。
地域を元気にする番組を作るジャーナリストが育つと良いな願います。
*参考資料:河井隼雄著「縦糸横糸」より
ミャンマーでの若い僧侶たちの反政府アピール行動を取材した日本のジャーナリストが、政府軍から銃口を向けられ、命を落としました。憤りを感じる出来事ですが、この暴挙に対して日本の若者は、怒りをあらわにしない(できない)風潮を感じます。
そんな折、故司馬遼太郎氏と、今年亡くなった河井隼雄氏の対談のことを記した、河井氏の著書を読みました。その一節を紹介します。
(本文より)
(司馬氏)・・・、阪神大震災にボランティアとして活躍した若者たちのことが話題に登り、最近の若者は学生運動のような華やかなことしなくなった。すまわち、イデオロギーに頼って一本筋に集団で行動するような時代は終わり、心ある若者は各人がそれぞれじっくりと人生の課題に取り組んでいる、・・・
(河井氏が)これを例えて、「高熱で燃えあがる運動でなく、低温発酵でじわじわとした変化が生じて行く」と語ると、(司馬氏)「低温発酵はよろしいね」と大変喜ばれたそうです。
この文を検証すると、私が最近良く会う人々が語る思いと同じことを、河井氏は訴えています。ニュース報道に、少年事件や親子の関わる殺人事件等々、「良心・孝心」を疑う事件、出来事を糾弾するより、良い事をする少年たちや大人たちを、評価する記事を書いてと言う働きかけをしたいのです。
テレビを見ると、事件のスクープ競争ばかりが目立ち、暗い将来を思い描いてしまいます。しかし実際の地域では、とても心温まる出来事、頑張る少年の活躍、父母のボランティア活動、老人会の見回りパトロール等々、地域を支え、元気にする試みが数え切れないほどあります。
「テレビは、なんでこれを紹介しないのか?」
唯一やっているのは、地方の新聞だと思います。地方のテレビ局は、キー局の番組をスポンサーの言いなりで、放映するばかりで、重苦しい世相を更に暗くしています。
これからは、地方テレビ局も、地方新聞並みに足を運び、汗をかき、地方の足元の元気な活動を知らせる事をしないと、生き残れないように思います。
師の一人、木内孝氏が良く語るのですが、「感動するテレビ番組が少ない。これはスポンサーの責任が大きい。できるなら、スポンサーが「我が社やスポンサーしている番組を見てよ」と誇れる番組を、市民が見ることで応援したいですね」と説かれます。最近そんな番組が少ないように思います。
以前の日記に、「感銘を受けた本を何度も読むほうが、多読よりも効果があること多い」と書きました。テレビも、何度も見たいような番組が、最近少ないと思いませんか?
私は、心振るわせるテレビ番組を期待します。
やみくもに視聴率だけを志向する番組を支援する企業の製品やサービスは、利用しないとかするとだいぶ変わると思います。お金は、企業活動の「投票券」を思って、しっかり考えて使う事に務めたいと思います。
話が横にそれましたが、そこで新聞、テレビ、インターネット等の情報発信は、「事件」を追うばかりでなく、現在の日本の若者たちはどのようなことをしているかを示すような、記事・報告をして欲しいと思います。
(本文より、転載)
河井氏によると、
「・・・、特に日本の若者および日本在住の外国人の若者で、新しい建設的なことを考えたり、実行したりしている者の実態をコラム等で連載してはどうかと・・・」
「私が、国内外で接する日本の若者たちから考えて、一般に言われる悲観論どころか、むしろ大きな期待を若者にもっている。「近ごろの若者は・・・」とステレオタイプの嘆きをしているエライ人たちより、若者の方がよっぽど面白い(期待できる)。・・・」
と、ありました。この「(仮称)元気な若者コラム」に力を注ぐ方が、殺人ニュースの取材のために、昼夜問わず地域の迷惑を顧みずスクープを狙うより、社会改善に寄与すると思うのは私ばかりではないと思います。
地域を元気にする番組を作るジャーナリストが育つと良いな願います。
*参考資料:河井隼雄著「縦糸横糸」より
2007年11月26日
成功の持続力は、才能ではなく執念
成功の持続力は、才能ではなく執念
色々な行事・用事は、なんやかやと重なるものです。予定外に私用が入り、仕事が思うように
進まない。でも諦めず工夫を続けると、道が開けることがあります。
「簡単なことです。成功するまでやめないんです」(稲盛和夫氏)
最近、色々な不祥事で頭を下げるシーンを見ますが、責任を取り辞職するより、事件解決まで
諦めず、非難を浴びながらも改善に努力し続ける事の方が、本当の責任遂行と思います。自分
自身にも言い聞かせておかないといけないと思います。
要は、諦めないこと、「何が今一番大事か、急ぐものか」を判断し、到達点に行き着くには、今
何をすべきか、考え続け、行動を積み上げて行くことと思います。
「成功するまでやめないんです。」は、執念こそが成功の基と思います。
ここ数週間、催しごとと本業の仕事が連続ていますが、無駄をいかに省き、効率よく動けるか、
足りないものは友人知人の力を借り、到達点を見失わないことが大事と思っています。先人た
ちも、自分を励ます、色々な言葉を求めていたようです。
中国では、「危機」という言葉は、二つの文字で成り立っている。
一つは、危険を意味し、もう一つは機会(チャンス)を意味している。
~元アメリカ大統領 J・F・ケネディ~
「才能では、成功は続かない。執念で成功が続く。」
*参考資料:岬龍一郎著「いい言葉は、いい仕事をつくる」より)
色々な行事・用事は、なんやかやと重なるものです。予定外に私用が入り、仕事が思うように
進まない。でも諦めず工夫を続けると、道が開けることがあります。
「簡単なことです。成功するまでやめないんです」(稲盛和夫氏)
最近、色々な不祥事で頭を下げるシーンを見ますが、責任を取り辞職するより、事件解決まで
諦めず、非難を浴びながらも改善に努力し続ける事の方が、本当の責任遂行と思います。自分
自身にも言い聞かせておかないといけないと思います。
要は、諦めないこと、「何が今一番大事か、急ぐものか」を判断し、到達点に行き着くには、今
何をすべきか、考え続け、行動を積み上げて行くことと思います。
「成功するまでやめないんです。」は、執念こそが成功の基と思います。
ここ数週間、催しごとと本業の仕事が連続ていますが、無駄をいかに省き、効率よく動けるか、
足りないものは友人知人の力を借り、到達点を見失わないことが大事と思っています。先人た
ちも、自分を励ます、色々な言葉を求めていたようです。
中国では、「危機」という言葉は、二つの文字で成り立っている。
一つは、危険を意味し、もう一つは機会(チャンス)を意味している。
~元アメリカ大統領 J・F・ケネディ~
「才能では、成功は続かない。執念で成功が続く。」
*参考資料:岬龍一郎著「いい言葉は、いい仕事をつくる」より)
2007年11月23日
自分の利益のみ追求は、やがて互に怨みあう
自分の利益のみ追求は、やがて互に怨みあう
「子曰わく、利に放(より)て行えば、怨み多し」
(解説)
孔子先生が語られた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い。」
「子曰わく、利に放(より)て行えば、怨み多し」
(解説)
孔子先生が語られた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い。」
2007年11月23日
2007年11月21日
修己治人、(儒教の)大学の講話
修己治人、(儒教の)大学の講話
今日は、中国古典輪読会の100回記念講演会があった。講師は、熊本日々新聞社の元論説委員長でした。中国古典に造詣が深く、儒学の「大学」の講和があった。
孔子、孟子の教え「儒教」の本質は何か問うと返って来るのが、「修己治人」の文言です。意味は、修己(徳を高める)
修己:個人の修養を意味する、修身と言っても良い。信頼される
社会人として世の中に立っていくために必要。この修養は
人から強要されるものでなく、自分で磨いていこうとする
自覚的な努力なくして成り立たない。
徳を高める:能力と人格の両面にわたって自分を磨くことが望ま
れるのであるが、儒教は人格面の陶治(とうや)に力点が 置かれている。
治人:民衆の思いをまとめる仕事「政治」
大学の道とは、三つの骨子でできている。
第一:人間は、天から授かった立派な徳を持っている。だが、せっ
かくの徳も人欲(様々な欲望)で、くもらされてしまうか
ら、常に磨いておかないといけない。
第二:自分を磨いたら、周りに伝えることに努めなければならな
い、自分だけが良しとして終わることはいけない。
第三:そういう努力を常に継続し、最高のレベルに保つことに努め
る姿勢が必要。
大学の教えの三綱領の趣旨です。孔子、孟子の教えの本質は、三つの理念です。己を修めることは、今までいくつも偉人の言葉で学んで来ましたが、人の生き様の基本は、2500年を越えた今も同じと言う講和に改めて古典に学ぶ意味を知りました。
人間(大人)の意味は、世に役に立つ人の資質「修己治人」の意識を常に持ち続けることだと思った、今日の中国古典輪読会の講和でした。自分の日々の生業に対して、知識と行動をどう一致させて行くかが大事と思いました。
今日の余談で、王陽明の学問的功績の話が出たのですが、陽明学の学問の昇華は日本で積み上げられ、明治維新を作った「武士道」につながっていると話がありました。
今日は、中国古典輪読会の100回記念講演会があった。講師は、熊本日々新聞社の元論説委員長でした。中国古典に造詣が深く、儒学の「大学」の講和があった。
孔子、孟子の教え「儒教」の本質は何か問うと返って来るのが、「修己治人」の文言です。意味は、修己(徳を高める)
修己:個人の修養を意味する、修身と言っても良い。信頼される
社会人として世の中に立っていくために必要。この修養は
人から強要されるものでなく、自分で磨いていこうとする
自覚的な努力なくして成り立たない。
徳を高める:能力と人格の両面にわたって自分を磨くことが望ま
れるのであるが、儒教は人格面の陶治(とうや)に力点が 置かれている。
治人:民衆の思いをまとめる仕事「政治」
大学の道とは、三つの骨子でできている。
第一:人間は、天から授かった立派な徳を持っている。だが、せっ
かくの徳も人欲(様々な欲望)で、くもらされてしまうか
ら、常に磨いておかないといけない。
第二:自分を磨いたら、周りに伝えることに努めなければならな
い、自分だけが良しとして終わることはいけない。
第三:そういう努力を常に継続し、最高のレベルに保つことに努め
る姿勢が必要。
大学の教えの三綱領の趣旨です。孔子、孟子の教えの本質は、三つの理念です。己を修めることは、今までいくつも偉人の言葉で学んで来ましたが、人の生き様の基本は、2500年を越えた今も同じと言う講和に改めて古典に学ぶ意味を知りました。
人間(大人)の意味は、世に役に立つ人の資質「修己治人」の意識を常に持ち続けることだと思った、今日の中国古典輪読会の講和でした。自分の日々の生業に対して、知識と行動をどう一致させて行くかが大事と思いました。
今日の余談で、王陽明の学問的功績の話が出たのですが、陽明学の学問の昇華は日本で積み上げられ、明治維新を作った「武士道」につながっていると話がありました。
2007年11月21日
志向を、前向きに変える言葉
志向を、前向きに変える言葉
先週購入した、スーザン・ヘイワード編/山川絃矢・亜矢子訳「人生を思い通りに生きる知恵の言葉」(PHP文庫)の一節です。
どうして我々は幸福で、豊かで、健康で、
かつ成功した人生を送れないのだろうか?
実は、いくら情報時代だからといっても、
情報だけでは十分でない。
私たちが必要としているのは、よいアイデアと積極的な思考法だけでもない。
もしそうなら、私たちはみんな子供の時から子馬を持っていただろうし、今頃は夢のような人生を送っていることだろう。
行動こそ、すべての大成功を呼込む鍵だ。
行動こそが結果を生む。
それをどのようにして効果的な行動に移せるかを知っている人の手に渡るまでは、知識は単なる可能性にすぎない。
~アンソニー・ロビンス~
この世に、不屈の精神にまさるものはない。
才能でなない。
才能に恵まれていながら
成功できない人はいくらでも居る。
天才でもない。
報われない天才というのは、
ほとんど決まり文句になっている。
教育だけでもだめだ。
学歴のある
おちこぼれはそこら中にいる。
不屈の精神と決断だけが全能なのだ。
~カルビン・クーリッジ~
上記の言葉を読みながら思うことは、
公の場では語らずに、会議・講演会後や関係ないところで、ウジウジと文句を言ったり、批評したりする人がいかに多いことか。
情報を持った(識見した)だけで、影で意見を言っている限り、「信頼」を持つ言葉(生き物)にはならない。やはり、しかるところで、精神の緊張状況の在る公の空間で語ることしか、生きた言葉に変ることが出来ないと思います。
私の尊敬する師である政治評論家の内田健三先生や、現熊本県知事の潮谷義子氏は、大観衆あろうとなかろうと、朗々と思いを語り、質問にたいしても、間を取ることなく、誠実に自分の意見を述べられます。若い頃から、緊張した公の場で、自分の心と語りながら意見を述べて来られた「すごさ」と考えます。
情報をどう扱うかは、本人の見識によりますが、これを生きた言葉に変え、周囲を動かす「信頼」を得るには、高い志と緊張感のある精神状態から繰り出される、言葉(決断・行動)しかないように思います。有言実行(=知行合一)こそが、信頼をえる唯一の手段なのだと感じています。
情報をどう料理(決断)し、効果的な言葉(行動)に移せるかを知っている人の手に渡るまでは、「知識は単なる可能性」にすぎないと言う意識を、常に胆に据えて、人と語って行きたいと思います。
先週購入した、スーザン・ヘイワード編/山川絃矢・亜矢子訳「人生を思い通りに生きる知恵の言葉」(PHP文庫)の一節です。
どうして我々は幸福で、豊かで、健康で、
かつ成功した人生を送れないのだろうか?
実は、いくら情報時代だからといっても、
情報だけでは十分でない。
私たちが必要としているのは、よいアイデアと積極的な思考法だけでもない。
もしそうなら、私たちはみんな子供の時から子馬を持っていただろうし、今頃は夢のような人生を送っていることだろう。
行動こそ、すべての大成功を呼込む鍵だ。
行動こそが結果を生む。
それをどのようにして効果的な行動に移せるかを知っている人の手に渡るまでは、知識は単なる可能性にすぎない。
~アンソニー・ロビンス~
この世に、不屈の精神にまさるものはない。
才能でなない。
才能に恵まれていながら
成功できない人はいくらでも居る。
天才でもない。
報われない天才というのは、
ほとんど決まり文句になっている。
教育だけでもだめだ。
学歴のある
おちこぼれはそこら中にいる。
不屈の精神と決断だけが全能なのだ。
~カルビン・クーリッジ~
上記の言葉を読みながら思うことは、
公の場では語らずに、会議・講演会後や関係ないところで、ウジウジと文句を言ったり、批評したりする人がいかに多いことか。
情報を持った(識見した)だけで、影で意見を言っている限り、「信頼」を持つ言葉(生き物)にはならない。やはり、しかるところで、精神の緊張状況の在る公の空間で語ることしか、生きた言葉に変ることが出来ないと思います。
私の尊敬する師である政治評論家の内田健三先生や、現熊本県知事の潮谷義子氏は、大観衆あろうとなかろうと、朗々と思いを語り、質問にたいしても、間を取ることなく、誠実に自分の意見を述べられます。若い頃から、緊張した公の場で、自分の心と語りながら意見を述べて来られた「すごさ」と考えます。
情報をどう扱うかは、本人の見識によりますが、これを生きた言葉に変え、周囲を動かす「信頼」を得るには、高い志と緊張感のある精神状態から繰り出される、言葉(決断・行動)しかないように思います。有言実行(=知行合一)こそが、信頼をえる唯一の手段なのだと感じています。
情報をどう料理(決断)し、効果的な言葉(行動)に移せるかを知っている人の手に渡るまでは、「知識は単なる可能性」にすぎないと言う意識を、常に胆に据えて、人と語って行きたいと思います。
2007年11月21日
人生の本舞台は常に将来に在り
人生の本舞台は常に将来に在り
名前は聞いたことがあると思いますが、改めて政治家尾崎行雄の生涯と語録集を読み、
下記の言葉で勇気付けられました。ご紹介します。
「人生の本舞台は常に将来に在り」
人間は、齢を重ねれば重ねるほど、
その前途が益々多望なるべき筈のものだというのが、
私の最近の人生観である。
人間にとっては、知識と経験ほど尊いものはないが、
この二つのものは年毎に増加し、
死の直前が二つ共最も多量に蓄積された時期である。
故に適当にこれを利用すれば、
人間は、死ぬ前が、最も偉大な事業、
または思想を起こし得べき時期にあるに相違ない。
*「人生の本舞台は常に将来に在り」とは、何歳になっても「これまでの人生は序幕
にすぎない。これからが本舞台なのだ」という意味である。すなわち、「人間は年をと
ればとるほど、その前途は輝かしい」という人生観である。
尾崎行雄は、75歳の時(1933年)、三重県を遊説中にひどい風邪と中耳炎にかか
り、その病床で「自分はこれまで何をやってきたのか」と考え、この思いを抱くに至っ
たのである。
尾崎行雄(咢堂)は、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた政治家
である。若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例によって東京退去を命じられるが、
国会開設(1890年)とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年、世界
議会史上の記録を打ち立てた。
彼は民主政治の確立を目指し、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に
立って闘った。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護運動が起こると、人は彼を「憲政の
神」と呼んだ。また、軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず、
国に警告することをやめなかった。そして「世界連邦」を提唱し、議会政治の父と仰が
れつつ一生の幕を閉じたのである(1954年永眠、享年95歳)。
HP 尾崎行雄記念財団
http://www.ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html
「人は、何のために生きるか」を考える機会になりました。
尾崎行雄の生き様と言葉から、「世のため人のために生きる」こと意味を学んだ気がし
ます。皆様も一度検索頂ければ幸いです。
学徒 野口修一
名前は聞いたことがあると思いますが、改めて政治家尾崎行雄の生涯と語録集を読み、
下記の言葉で勇気付けられました。ご紹介します。
「人生の本舞台は常に将来に在り」
人間は、齢を重ねれば重ねるほど、
その前途が益々多望なるべき筈のものだというのが、
私の最近の人生観である。
人間にとっては、知識と経験ほど尊いものはないが、
この二つのものは年毎に増加し、
死の直前が二つ共最も多量に蓄積された時期である。
故に適当にこれを利用すれば、
人間は、死ぬ前が、最も偉大な事業、
または思想を起こし得べき時期にあるに相違ない。
*「人生の本舞台は常に将来に在り」とは、何歳になっても「これまでの人生は序幕
にすぎない。これからが本舞台なのだ」という意味である。すなわち、「人間は年をと
ればとるほど、その前途は輝かしい」という人生観である。
尾崎行雄は、75歳の時(1933年)、三重県を遊説中にひどい風邪と中耳炎にかか
り、その病床で「自分はこれまで何をやってきたのか」と考え、この思いを抱くに至っ
たのである。
尾崎行雄(咢堂)は、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた政治家
である。若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例によって東京退去を命じられるが、
国会開設(1890年)とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年、世界
議会史上の記録を打ち立てた。
彼は民主政治の確立を目指し、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に
立って闘った。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護運動が起こると、人は彼を「憲政の
神」と呼んだ。また、軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず、
国に警告することをやめなかった。そして「世界連邦」を提唱し、議会政治の父と仰が
れつつ一生の幕を閉じたのである(1954年永眠、享年95歳)。
HP 尾崎行雄記念財団
http://www.ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html
「人は、何のために生きるか」を考える機会になりました。
尾崎行雄の生き様と言葉から、「世のため人のために生きる」こと意味を学んだ気がし
ます。皆様も一度検索頂ければ幸いです。
学徒 野口修一
2007年11月20日
人物の見分け方、自己鍛錬の妙薬、活学のすすめ
人物の見分け方、自己鍛錬の妙薬、活学のすすめ
日々人と出会い語るのですが、色々な人をが居るなと感じます。そんな時に、自分も含め人生を考えるとき、先人の訓示はありがたいなと思います。
ここ数日の出来事から、思い出した言葉で、とても尊敬する安岡正篤先生の言葉を書きました。ご意見、感想等頂ければ幸いです。
・人物の見分け方
「大事・難事には担当を看る。逆境・順境には襟度を看る。臨喜・臨怒には涵養を看る。群行・群止には識見を看る」
これは呂新吾の呻吟語(しんぎんご)に出てくる言葉であるが、大事難事が起ったときは、人の担当力を看るだけでなく、自分自身がどう対処し得るかと内省する意味がある。
逆境順境に襟度を看るは、襟は心であり、度は度量である。
臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して恬淡(てんたん)としているか、どんなに怒るかとか思っていると悠揚(ゆうよう)としているなど、平生深く養っておればそれが出ることだ。
群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をしているとき、その人の見識が現れること
・自己鍛錬の妙薬
人間はどんなことが起っても、自由自在に対応できる適応力を不断に養わなければならない。それには絶えず自力を養成しなければならないぬ。薬の力とか、医者の力とか、他物に依存して居っては段々自力が弱くなります。自然の体力、生命力が弱くなってしまいます。どんな代用品も自然の生命力に勝るものはありません。
身体ばかりではない。整理ばかりでない。精神、心理という意味に於ける性理、命理もすべてそうです。
そんなことから、病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏でるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬、否、妙薬以上のものであります。
・活学のすすめ
学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、どうしても自分の身に付けて、足が地を離れぬように、その学問、その思想をもって自分の性格を作り、これを自分の環境に及ぼしてゆくという実践性がなければ活学ではない。われわれは今後本当に人間を作り、家庭を作り、社会を作る上に役に立つ生命のある思想学問を興し、これを政治経済百般に適用してゆかねければならない。いわゆる実学、活学をやらなければならない。
*参考資料:安岡正篤著「一日一言」
日々人と出会い語るのですが、色々な人をが居るなと感じます。そんな時に、自分も含め人生を考えるとき、先人の訓示はありがたいなと思います。
ここ数日の出来事から、思い出した言葉で、とても尊敬する安岡正篤先生の言葉を書きました。ご意見、感想等頂ければ幸いです。
・人物の見分け方
「大事・難事には担当を看る。逆境・順境には襟度を看る。臨喜・臨怒には涵養を看る。群行・群止には識見を看る」
これは呂新吾の呻吟語(しんぎんご)に出てくる言葉であるが、大事難事が起ったときは、人の担当力を看るだけでなく、自分自身がどう対処し得るかと内省する意味がある。
逆境順境に襟度を看るは、襟は心であり、度は度量である。
臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して恬淡(てんたん)としているか、どんなに怒るかとか思っていると悠揚(ゆうよう)としているなど、平生深く養っておればそれが出ることだ。
群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をしているとき、その人の見識が現れること
・自己鍛錬の妙薬
人間はどんなことが起っても、自由自在に対応できる適応力を不断に養わなければならない。それには絶えず自力を養成しなければならないぬ。薬の力とか、医者の力とか、他物に依存して居っては段々自力が弱くなります。自然の体力、生命力が弱くなってしまいます。どんな代用品も自然の生命力に勝るものはありません。
身体ばかりではない。整理ばかりでない。精神、心理という意味に於ける性理、命理もすべてそうです。
そんなことから、病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏でるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬、否、妙薬以上のものであります。
・活学のすすめ
学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、どうしても自分の身に付けて、足が地を離れぬように、その学問、その思想をもって自分の性格を作り、これを自分の環境に及ぼしてゆくという実践性がなければ活学ではない。われわれは今後本当に人間を作り、家庭を作り、社会を作る上に役に立つ生命のある思想学問を興し、これを政治経済百般に適用してゆかねければならない。いわゆる実学、活学をやらなければならない。
*参考資料:安岡正篤著「一日一言」
2007年11月20日
心は静寂なるを常とす
心は静寂なるを常とす
風が起これば竹の葉がさわぐが、吹き止めばまたもとの静寂にもどる。雁が渡るとき淵はその影を映すが、飛び去ればもはや影をとどめない。
君子の心も、事が起こればそれに対応し、事が過ぎればまたもとの静かさにもどるのである。
(解説)
『荘子』にこうある。
「至人の心は鏡のようなものである。自分はじっと動かない。来るものはそのまま映し出すが、去ってしまえばなんの痕跡もとどめない。したがって、どんなものにも対応できて、しかも傷つけられることはまったくない。」
「明鏡止水」ということばがある。曇りのない鏡(明鏡)にしても静かな水面(止水)にしても、ものごとをよく映し出す。そこから澄みきった心境を意味するようになった。こういう境地を自分のものにすることができれば、大事な局面で判断を誤ることはない。
(感想)
学問は、危機管理のためにあると西郷隆盛が語っていますが、「無事は有事の如く、有事は無事の如く」の心境を常に持ち続けていたいものです。
風が起これば竹の葉がさわぐが、吹き止めばまたもとの静寂にもどる。雁が渡るとき淵はその影を映すが、飛び去ればもはや影をとどめない。
君子の心も、事が起こればそれに対応し、事が過ぎればまたもとの静かさにもどるのである。
(解説)
『荘子』にこうある。
「至人の心は鏡のようなものである。自分はじっと動かない。来るものはそのまま映し出すが、去ってしまえばなんの痕跡もとどめない。したがって、どんなものにも対応できて、しかも傷つけられることはまったくない。」
「明鏡止水」ということばがある。曇りのない鏡(明鏡)にしても静かな水面(止水)にしても、ものごとをよく映し出す。そこから澄みきった心境を意味するようになった。こういう境地を自分のものにすることができれば、大事な局面で判断を誤ることはない。
(感想)
学問は、危機管理のためにあると西郷隆盛が語っていますが、「無事は有事の如く、有事は無事の如く」の心境を常に持ち続けていたいものです。
2007年11月19日
「精神と肉体の一致は難しい」「人間の覚悟」
「精神と肉体の一致は難しい」「人間の覚悟」 ~小林秀雄語録より~
「ある目的の為に、精神と肉体とが一致するという事は、何と難しいことであろうか。僕らの肉体は、僕らに実に親しいものでありながら、実に遠いものではないのだろうか。」(「オリンピア」13-98)
「一体、現代人は、人間の覚悟というものを、人間の心理というものと取り違える、実に詰まらぬ癖があります。覚悟というものは、理論と信念とが一つになった時の、言わば僕らの精神の勇躍であります。」(「事変の新しさ」13-116)
(感想)
人間が最大に活力を出すには、「精神と肉体」「理論と信念」が、一体になってときに発揮されると思います。その時に人は輝くのかもしれません。ですから、そんなに長く続かないように思います。
しっかり、力を貯めて一気に爆発させることが重要なことと思います。
「ある目的の為に、精神と肉体とが一致するという事は、何と難しいことであろうか。僕らの肉体は、僕らに実に親しいものでありながら、実に遠いものではないのだろうか。」(「オリンピア」13-98)
「一体、現代人は、人間の覚悟というものを、人間の心理というものと取り違える、実に詰まらぬ癖があります。覚悟というものは、理論と信念とが一つになった時の、言わば僕らの精神の勇躍であります。」(「事変の新しさ」13-116)
(感想)
人間が最大に活力を出すには、「精神と肉体」「理論と信念」が、一体になってときに発揮されると思います。その時に人は輝くのかもしれません。ですから、そんなに長く続かないように思います。
しっかり、力を貯めて一気に爆発させることが重要なことと思います。
2007年11月18日
運命は志ある者を導き、志なき者を引きずって行く
運命は志ある者を導き、志なき者を引きずって行く
今日は、論語の言葉をお休みして、元気にする言葉を書きました。
GE(ゼネラル・エレクトリック)の元会長のジャック・ウェルチ氏は、次のことを語っている。
「・・従業員が毎日大急ぎで出社し、前夜から考えたことを試してみるような会社になることを望んで
いる。・(中略)・従業員が毎日改善し、仕事の経験を整理することで自らの生活を豊かにし、会社を
最良の企業にしていく。・・・」
これが、ウェルチ氏がGE再生にかけた「学習する文化」を持つ企業の目標でした。その目標が、トヨ
タ自動車です。その文化こそが「カイゼン(改善)」の志です。
この企業を文化を生んだ方が、トヨタ技術革新の先駆者・大野耐一氏で、次の言葉を良く語ったそ
うです。
「困らないと知恵を出ない」
同感です。安穏の世界に、知恵を必要ありません。安穏の世界は、日々を無事に過ごすことだと思い
ます。これも生活の一つの真理と思います。でも、人生には有為転変がありますが、その軌道修正を
するのが知恵ではないかと思います。
また、大野氏と違った立場で「知恵:危機対応」の教示の言葉は、第一次南極越冬隊長の西堀栄
三郎氏です。西堀氏は、冒険家でチョモランマ(エベレスト)登山隊長も務めています。口癖は、「完全
無欠な準備や計画はありえない」の言葉です。
また、「もちろん準備はしっかりと行うが、だからといってそれを完全なものと思うのでなく、「思いもよ
らないことは必ず起きる」と覚悟を決めて臨めば、予期せぬトラブルが起きても、人は冷静沈着に対応
できる。」
話は戻りますが、大野氏が社員に問うのは、トヨタの社員は、「いやいや仕事をする」のでなく、「わく
わくする仕事をする」のが良い。また、日々「ああすれば良い」、「こうしたらどうか?」、また「会社に、
『仕事に行く』ではなく、『知恵を出した人』のだ」の意識を持つことが大事と思います。
チャレンジ精神こそが、未来を拓くと思っています。
今日は、午前は、キッズサッカー大会に出て、午後は熊本県の知事公邸で、熊本県下の地域興し
団体の集まりに参加してきます。地域のリーダーたちから元気ももらって来ます。それと、久々に素敵
な潮谷知事との面談も楽しみです。日記で報告します。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
大概の人は、才能の故に失敗する(小林秀雄語録より)
本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さを良く知っている。その辛さが彼を救う。併(しか)し、そ
ういう人は稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな
処をうろうろしているに過ぎない。(『カラマアゾフの兄弟』14-113)
今日は、論語の言葉をお休みして、元気にする言葉を書きました。
GE(ゼネラル・エレクトリック)の元会長のジャック・ウェルチ氏は、次のことを語っている。
「・・従業員が毎日大急ぎで出社し、前夜から考えたことを試してみるような会社になることを望んで
いる。・(中略)・従業員が毎日改善し、仕事の経験を整理することで自らの生活を豊かにし、会社を
最良の企業にしていく。・・・」
これが、ウェルチ氏がGE再生にかけた「学習する文化」を持つ企業の目標でした。その目標が、トヨ
タ自動車です。その文化こそが「カイゼン(改善)」の志です。
この企業を文化を生んだ方が、トヨタ技術革新の先駆者・大野耐一氏で、次の言葉を良く語ったそ
うです。
「困らないと知恵を出ない」
同感です。安穏の世界に、知恵を必要ありません。安穏の世界は、日々を無事に過ごすことだと思い
ます。これも生活の一つの真理と思います。でも、人生には有為転変がありますが、その軌道修正を
するのが知恵ではないかと思います。
また、大野氏と違った立場で「知恵:危機対応」の教示の言葉は、第一次南極越冬隊長の西堀栄
三郎氏です。西堀氏は、冒険家でチョモランマ(エベレスト)登山隊長も務めています。口癖は、「完全
無欠な準備や計画はありえない」の言葉です。
また、「もちろん準備はしっかりと行うが、だからといってそれを完全なものと思うのでなく、「思いもよ
らないことは必ず起きる」と覚悟を決めて臨めば、予期せぬトラブルが起きても、人は冷静沈着に対応
できる。」
話は戻りますが、大野氏が社員に問うのは、トヨタの社員は、「いやいや仕事をする」のでなく、「わく
わくする仕事をする」のが良い。また、日々「ああすれば良い」、「こうしたらどうか?」、また「会社に、
『仕事に行く』ではなく、『知恵を出した人』のだ」の意識を持つことが大事と思います。
チャレンジ精神こそが、未来を拓くと思っています。
今日は、午前は、キッズサッカー大会に出て、午後は熊本県の知事公邸で、熊本県下の地域興し
団体の集まりに参加してきます。地域のリーダーたちから元気ももらって来ます。それと、久々に素敵
な潮谷知事との面談も楽しみです。日記で報告します。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
大概の人は、才能の故に失敗する(小林秀雄語録より)
本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さを良く知っている。その辛さが彼を救う。併(しか)し、そ
ういう人は稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな
処をうろうろしているに過ぎない。(『カラマアゾフの兄弟』14-113)
2007年11月16日
良心を育てる「天知る、地知る、子知る、我知る」
良心を育てる「天知る、地知る、子知る、我知る」
昨日の国会の証人喚問にまつわる、軍事商社「山田洋行」の過剰接待(贈収賄)事件を思うに、我が我がの「利」を追い求める心が、最後内部告発と言う形で、膿を出したのですが、この恩恵がもし浅く広く自衛隊内部へ浸透していれば、膿にならず交流という事になるのでしょうが、それでは大きな利益は貰えないから、一点集中で事務次官へ繰り返しの接待攻撃、人間の弱さに漬け込み、次官に「自分は特別な人間」と思わせたのだろうなと思います。
一つの企業、一人の官僚のためにゆがめられた、今回の防衛庁キャリアの実態は、どの省庁にもありえることのように思います。(本当はそうであって欲しくない)
・譲る心を以って国を治める(論語)
「子曰わく、能(よ)く礼譲を以って国を為(おさ)めんか、何か有らん。能く礼譲を以って国を為めずんば、礼を如何にせん」
(意味)
孔子先生が語られた、「礼の根本である譲る心を以って国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか、その譲る心を以って国を治めれば、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろ」
・四知の精神
中国故事に、「天知る、地知る、子知る、我知る(十八史略)」の故事にあるように、官職に有るものは、このくらいの厳しさが望まれるかもしれません。そしてこれまた、悪事はいつかは漏れるという教訓でもあります。
この故事の冒頭に言葉に、深夜に賄賂を持ってきた人が、「こんな夜更け、このことはあなたと私の二人だけしかしりませんから。」それに対し、楊震(後漢時代の人物)は、「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている。地が知っている。それに、そのたも知っているし、わしも知っているではないか。」その言葉を聞いた贈賄がわの人は恥じ入って引き下がったとありました。
四知の精神を思い出し、まず自分の心に恥じない生き方を心がけたいものです。
昨日の国会の証人喚問にまつわる、軍事商社「山田洋行」の過剰接待(贈収賄)事件を思うに、我が我がの「利」を追い求める心が、最後内部告発と言う形で、膿を出したのですが、この恩恵がもし浅く広く自衛隊内部へ浸透していれば、膿にならず交流という事になるのでしょうが、それでは大きな利益は貰えないから、一点集中で事務次官へ繰り返しの接待攻撃、人間の弱さに漬け込み、次官に「自分は特別な人間」と思わせたのだろうなと思います。
一つの企業、一人の官僚のためにゆがめられた、今回の防衛庁キャリアの実態は、どの省庁にもありえることのように思います。(本当はそうであって欲しくない)
・譲る心を以って国を治める(論語)
「子曰わく、能(よ)く礼譲を以って国を為(おさ)めんか、何か有らん。能く礼譲を以って国を為めずんば、礼を如何にせん」
(意味)
孔子先生が語られた、「礼の根本である譲る心を以って国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか、その譲る心を以って国を治めれば、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろ」
・四知の精神
中国故事に、「天知る、地知る、子知る、我知る(十八史略)」の故事にあるように、官職に有るものは、このくらいの厳しさが望まれるかもしれません。そしてこれまた、悪事はいつかは漏れるという教訓でもあります。
この故事の冒頭に言葉に、深夜に賄賂を持ってきた人が、「こんな夜更け、このことはあなたと私の二人だけしかしりませんから。」それに対し、楊震(後漢時代の人物)は、「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている。地が知っている。それに、そのたも知っているし、わしも知っているではないか。」その言葉を聞いた贈賄がわの人は恥じ入って引き下がったとありました。
四知の精神を思い出し、まず自分の心に恥じない生き方を心がけたいものです。
2007年11月16日
運命は志ある者を導き、志なき者を引きずって行く
運命は志ある者を導き、志なき者を引きずって行く
GE(ゼネラル・エレクトリック)の元会長のジャック・ウェルチ氏は、次のことを語っている。
「・・従業員が毎日大急ぎで出社し、前夜から考えたことを試してみるような会社になることを望んでいる。・(中略)・従業員が毎日改善し、仕事の経験を整理することで自らの生活を豊かにし、会社を最良の企業にしていく。・・・」
これが、ウェルチ氏がGE再生にかけた「学習する文化」を持つ企業の目標でした。その目標が、トヨタ自動車です。その文化こそが「カイゼン(改善)」の志です。
この企業を文化を生んだ方が、トヨタ技術革新の先駆者・大野耐一しで、次の言葉を良く語ったそうです。
「困らないと知恵を出ない」
同感です。安穏の世界に、知恵を必要ありません。安穏の世界は、日々を無事に過ごすことだと思います。これも生活の一つの真理と思います。でも、人生には有為転変がありますが、その軌道修正をするのが知恵ではないかと思います。
また、大野氏と違った立場で「知恵:危機対応」の教示の言葉は、第一次南極越冬隊長の西堀栄三郎氏です。西堀氏は、冒険家でチョモランマ(エベレスト)登山隊長も務めています。口癖は、「完全無欠な準備や計画はありえない」の言葉です。
また、「もちろん準備はしっかりと行うが、だからといってそれを完全なものと思うのでなく、「思いもよらないことは必ず起きる」と覚悟を決めて臨めば、予期せぬトラブルが起きても、人は冷静沈着に対応できる。」
話は戻りますが、大野氏が社員に問うのは、トヨタの社員は、「いやいや仕事をする」のでなく、「わくわくする仕事をする」のが良い。また、日々「ああすれば良い」、「こうしたらどうか?」、また「会社に、『仕事に行く』ではなく、『知恵を出した人』のだ」の意識を持つことが大事と思います。
チャレンジ精神こそが、未来を拓くと思っています。
GE(ゼネラル・エレクトリック)の元会長のジャック・ウェルチ氏は、次のことを語っている。
「・・従業員が毎日大急ぎで出社し、前夜から考えたことを試してみるような会社になることを望んでいる。・(中略)・従業員が毎日改善し、仕事の経験を整理することで自らの生活を豊かにし、会社を最良の企業にしていく。・・・」
これが、ウェルチ氏がGE再生にかけた「学習する文化」を持つ企業の目標でした。その目標が、トヨタ自動車です。その文化こそが「カイゼン(改善)」の志です。
この企業を文化を生んだ方が、トヨタ技術革新の先駆者・大野耐一しで、次の言葉を良く語ったそうです。
「困らないと知恵を出ない」
同感です。安穏の世界に、知恵を必要ありません。安穏の世界は、日々を無事に過ごすことだと思います。これも生活の一つの真理と思います。でも、人生には有為転変がありますが、その軌道修正をするのが知恵ではないかと思います。
また、大野氏と違った立場で「知恵:危機対応」の教示の言葉は、第一次南極越冬隊長の西堀栄三郎氏です。西堀氏は、冒険家でチョモランマ(エベレスト)登山隊長も務めています。口癖は、「完全無欠な準備や計画はありえない」の言葉です。
また、「もちろん準備はしっかりと行うが、だからといってそれを完全なものと思うのでなく、「思いもよらないことは必ず起きる」と覚悟を決めて臨めば、予期せぬトラブルが起きても、人は冷静沈着に対応できる。」
話は戻りますが、大野氏が社員に問うのは、トヨタの社員は、「いやいや仕事をする」のでなく、「わくわくする仕事をする」のが良い。また、日々「ああすれば良い」、「こうしたらどうか?」、また「会社に、『仕事に行く』ではなく、『知恵を出した人』のだ」の意識を持つことが大事と思います。
チャレンジ精神こそが、未来を拓くと思っています。
2007年11月15日
大概の人は、才能の故に失敗する
大概の人は、才能の故に失敗する
本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さを良く知っている。その辛さが彼を救う。併(しか)し、そういう人は稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな処をうろうろしているに過ぎない。(小林秀雄著『カラマアゾフの兄弟』14-113)
本当に才能のある人は、才能を持つ事の辛さを良く知っている。その辛さが彼を救う。併(しか)し、そういう人は稀れだ。才能の不足で失敗するより、寧ろ才能の故に失敗する、大概の人はせいぜいそんな処をうろうろしているに過ぎない。(小林秀雄著『カラマアゾフの兄弟』14-113)
2007年11月14日
天を怨みず、人を尤(とが)めず(論語)
天を怨みず、人を尤(とが)めず(論語)
孔子が晩年のある時、「ああ、私を理解してくれる人は居ない」と嘆いた。弟子の子貢がたずねた「どうしてそんなことをおっしゃるのですか」、すると孔子が答えている。
「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。われを知るものはそれ天か」
(意味)
「なにも天を怨むものでも、人をつがめるものでもない。私は、日常的なものから高遠なものまで、ありとあらゆるものの探求を志してきた。この私を理解してくれるのは、天だけであろうかと考えたまでだ。」
(解説)
苦しい時や辛いときには、ややもすると自分の責任をタナに上げて、天を怨み、人をとがめたくなるのが人情の常である。だがそれをやっていたのでは、いつまでたっても進歩ががないし、心の平安も得られない。そういうときはこそ、孔子のことばを思い出してほしいものです。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一話」より
孔子が晩年のある時、「ああ、私を理解してくれる人は居ない」と嘆いた。弟子の子貢がたずねた「どうしてそんなことをおっしゃるのですか」、すると孔子が答えている。
「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。われを知るものはそれ天か」
(意味)
「なにも天を怨むものでも、人をつがめるものでもない。私は、日常的なものから高遠なものまで、ありとあらゆるものの探求を志してきた。この私を理解してくれるのは、天だけであろうかと考えたまでだ。」
(解説)
苦しい時や辛いときには、ややもすると自分の責任をタナに上げて、天を怨み、人をとがめたくなるのが人情の常である。だがそれをやっていたのでは、いつまでたっても進歩ががないし、心の平安も得られない。そういうときはこそ、孔子のことばを思い出してほしいものです。
*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一話」より
2007年11月14日
固い覚悟は天地も動かず(菜根譚)
固い覚悟は天地も動かず(菜根譚)
相手が財産をふりかざしてくれば、こちらは「仁」で対抗する。相手が地位をふかざしてくれば、こちらは「義」で対抗する。君子は、たとい相手が上級者でも、意のままには動かないものだ。
強い意志と固い覚悟ともってあたれば、天地おも動かすことができる。これなら、神様でも邪魔立てはできない。
(解説)
「断ジテ行ナエバ、鬼神モコレヲ避ク」(「史記」)ということであろう。こういう考え方は、明らかに道家のそれとちがっている。「仁」と「義」を強調しているあたり、儒家、とくに孟子の考えに近い。
ちなみに、「仁」とは思いやり、「義」とは正しい道理といった意味である。
(感想)
圧力を加えられる、人情で迫られると、人間なかなか抵抗することができないものですが、信念を貫いてこそ評価があると思います。なにを大事に生きるか常々考え続ける事が必要なように思います。そのためにも学問が必要と感じる今日この頃です。
「鬼神モコレヲ避ク」、鬼にも神にも強制されない、生き方を身に付けたいものです。
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相手が財産をふりかざしてくれば、こちらは「仁」で対抗する。相手が地位をふかざしてくれば、こちらは「義」で対抗する。君子は、たとい相手が上級者でも、意のままには動かないものだ。
強い意志と固い覚悟ともってあたれば、天地おも動かすことができる。これなら、神様でも邪魔立てはできない。
(解説)
「断ジテ行ナエバ、鬼神モコレヲ避ク」(「史記」)ということであろう。こういう考え方は、明らかに道家のそれとちがっている。「仁」と「義」を強調しているあたり、儒家、とくに孟子の考えに近い。
ちなみに、「仁」とは思いやり、「義」とは正しい道理といった意味である。
(感想)
圧力を加えられる、人情で迫られると、人間なかなか抵抗することができないものですが、信念を貫いてこそ評価があると思います。なにを大事に生きるか常々考え続ける事が必要なように思います。そのためにも学問が必要と感じる今日この頃です。
「鬼神モコレヲ避ク」、鬼にも神にも強制されない、生き方を身に付けたいものです。
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2007年11月13日
静中の動、動中の靜(危機:危険+チャンス)
静中の動、動中の靜(危機:危険+チャンス)
天地は動かずに静まりかえっているが、陰陽の気はやむことなくはたらいている。日月は昼となく夜となくめぐっているが、それが放つ光芒は永遠に変わらない。
これが自然の摂理であるが、人間についても同じ事が言える。
平穏ぶじなときには万一の場合に備えることを忘れず、いったん有事のさいには悠々たる態度で対処するように心がけなければならない。
(解説)
平穏なときにはひたすら惰眠をむさぼり、なにか問題がおこると、とたんにあわてふためく。これはまっとうな生き方ではないのだという。
(感想)
西郷隆盛の遺訓を集めた「西郷南州遺訓」の副タイルは、゛無事は有事の如く、有事は無事の如く゛でした。これは、長州の志士・久坂玄瑞が、禁門の変で陣中指揮ととっているときに、ちょっと時間があると悠然と読書をするときに、部下の語った言葉だそうです。西郷隆盛は、「久坂先生は、お地蔵さんのようですな。」と語ったと言います。
学問の重要な要素は、無事(平時)から有事のことを常に頭に置き、有事(危機)が起きた時に、どう動くかにかかっていると西郷隆盛は、庄内藩の若き志士たちに訓示しています。危機とは、「危険+機会」と先輩に聞いた事があります。有事とは、チャンスでもあると考え、備えを怠らない事も大事と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
天地は動かずに静まりかえっているが、陰陽の気はやむことなくはたらいている。日月は昼となく夜となくめぐっているが、それが放つ光芒は永遠に変わらない。
これが自然の摂理であるが、人間についても同じ事が言える。
平穏ぶじなときには万一の場合に備えることを忘れず、いったん有事のさいには悠々たる態度で対処するように心がけなければならない。
(解説)
平穏なときにはひたすら惰眠をむさぼり、なにか問題がおこると、とたんにあわてふためく。これはまっとうな生き方ではないのだという。
(感想)
西郷隆盛の遺訓を集めた「西郷南州遺訓」の副タイルは、゛無事は有事の如く、有事は無事の如く゛でした。これは、長州の志士・久坂玄瑞が、禁門の変で陣中指揮ととっているときに、ちょっと時間があると悠然と読書をするときに、部下の語った言葉だそうです。西郷隆盛は、「久坂先生は、お地蔵さんのようですな。」と語ったと言います。
学問の重要な要素は、無事(平時)から有事のことを常に頭に置き、有事(危機)が起きた時に、どう動くかにかかっていると西郷隆盛は、庄内藩の若き志士たちに訓示しています。危機とは、「危険+機会」と先輩に聞いた事があります。有事とは、チャンスでもあると考え、備えを怠らない事も大事と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
2007年11月11日
君子の政治は、ただ道理に従っていくだけ
君子の政治は、ただ道理に従っていくだけ
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く莫(ばく)も無し。義にこれともに比(したが)う。」
孔子先生が語れた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ」
政治ということばを、会社、団体、地域、あるいは家庭よ読み替えて、色々考えると分かりやすいかもしれません。私心を、ちょっと脇に置き、みんなが良い方向に向うにはどうするか考えるゆとりが、道を拓くのかもしれません。
「子曰わく、君子の天下に於けるや、適も無く莫(ばく)も無し。義にこれともに比(したが)う。」
孔子先生が語れた、「君子が政治にあたる時には、是非ともこうしなければならないと固執することもなく、絶対にこれはしないと頑張ることもない。ただ道理に従っていくだけだ」
政治ということばを、会社、団体、地域、あるいは家庭よ読み替えて、色々考えると分かりやすいかもしれません。私心を、ちょっと脇に置き、みんなが良い方向に向うにはどうするか考えるゆとりが、道を拓くのかもしれません。

