2008年03月31日

(論語3シリーズ)三人行えば、必ず我が師有り

(論語3シリーズ)三人行えば、必ず我が師有り

論語の訓示の中でも、よく知られた教えの一つです。
三人いると、他の二人がとても尊敬する人であれば、両方から学び。
もし、片方が少々品格が落ちる人でも、反面教師として、自分を省み
ることができる。

この教示の全文は、次の一節です。

 子曰く、
「三人行えば、必ず我が師有り。
 其の善き者を選びて之に従い、
 其の善からざる者にして之を改むる。」

説明するまでもなく、高遠な学問(大学等)を目指さずとも、身の周りには多くの大人たち、友人たちがいます。自分と照らし、高いものを尊敬し真似る(学び)、品格が落ちる人を見(検証し)て、自分を省みる。

 孔子の時代を越えた教えと思います。

*参考文献:「仮名論語」(伊與田覚著)

  

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2008年03月31日

(長期の眼力)正法を護持する~『開運のすすめ』に学ぶ~

(長期の眼力)正法を護持する~『開運のすすめ』に学ぶ~

毎週月曜日の永渕道彦著(『開運のすすめ』に学ぶ)の教えをご紹介しています。


~何代にもわたる万世という長さで考える~

(本文)

正法を護持するとはどのようなことをいうのであろうか。

法とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである。この正法がなかったらば、我々はどうして天地に近づき、天地の仕事をたすけることがでようか。どうして万物を造りだすことができようか。

どうしてこの世の塵俗(じんぞく)を抜け出し、世間の束縛から解き放されることができようか。どうして世を治める俗界を離脱することができようか。

そのようなわけであるから、およそ聖人賢者の霊廟とか、聖人賢者の書物などは、正法を教えた人を祀ったところ、正法を伝えているものであるから、これらを見たならば、みな尊敬し重んじてこれを大切にし、正法を正しく伝える努力をしなければならない。

正法を発揚し、上は天恩に報いることができるようになるには、しっかりとなお一層の勉強努力をしなければならない。


(解説)
 物事への見方や考え方を大きな物差しにしたらどうであろう。短い個人単位の長さでなく、何代にもわたる万世という長さで考えるのである。ここで言う法とは生きていく上での教えのことである。

「法(生きていく上での教え)とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである」とは何も古めかしい言いぐさではないのである。

そこで、個人単位の小さな物差しで考えるのでなく、人間が生きていく上での正しい教えを聖人・賢人の書いたものや話など尊んで学んではどうであろう。

その学び得たことを正しく伝え、また実践に努めてはどうであろう。このような勉励努力はまさに、子々孫々である人類への貢献であり善行であると言わねばなるまい。


(感想)

 今、国会はガソリン税の存続で、右往左往していますが、この税制を近視眼的に見ると、地方の交付税が激減する、道路財源が無くなると等、色々意見はありますが、もっと視点を、50年先、100年先、200年先を見て、子孫の生活環境をどうするか考えると、だいぶ見方が違って来るものです。
 
 地球時代は、気候変動、温暖化防止に科学者の死力尽くした示唆を求めています。その方向は、北欧を中心とする地球環境保全から、再生へ大きく舵は切られました。

 アメリカ・インディアン(原住民)のことわざに、「7代先を考えて生活をしなさい」とあると聞きます。現代の一世代サイクルを30年とすると、約200年先ということなります。
 現代人は、その先人の知恵に程遠い、「自分さえ良ければ良い」の発想が中心と思います。先週の8人殺傷事件、駅の突き落とし事件、自分さえ良ければ良い発想と思います。

>何代にもわたる万世という長さで考える 

現実を充実させることはもちろんですが、少しの思考を次に世代、次々世代、さらに200年先の世界を考えて、行動する事が必要な教えと思います。

これからは、一人ひとりが未来の世代のことを考えて、日々行動して行くことが大事と思います。視線を、長いスタンスの目標(長期の眼力)を持って、生きることが必要と感じています。地球は有限、子どもたちの夢は無限、その両方を実現できる世界を作る必要があると思います。

余談が長くなりました。



・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:30Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年03月30日

やる気があれば進歩する、人はだれでも天分を与えられている

心を育てる言葉⑤(守屋洋著「新釈 菜根譚」より)


・やる気があれば進歩する

(意訳)
 手のおえない暴れ馬のも、慣らし方ひとつで乗りこなせる。鋳型からとびはねた金も、いずれは型におさまる。人間も、やる気のある人間はまだいい。始末のわるいのは、のらくらしているやる気のない連中だ。こんな手合いはいつまでたっても進歩が望めない。
 白沙先生も語っている。「人間として欠点が多いのは恥ずべき子ことではない。むしろ欠点のない人間のほうが案じられる」と。これは、達見だと思う。

(守屋洋先生の注釈)
 孔子も、「一日中食べることばかり考えて頭を使おうとしない連中は、どうしようもない。」(論語)と語っている。なんでもいいから、やる気を出してチャレンジしたい。

(感想)
 いつも、ワクワクしながら明日何をやろうと思うだけでも元気なるものです。
 例えば、旅に行くまで色々計画し、準備する楽しさは、旅は3度楽しめると言われることと思います。
 始める前に言い訳を作り、日常の連続から抜け出せず、同じことを続けるよりは、新しい試みに挑戦し、苦労をする方が楽しい人生と思えるのは、私だけではないと思います。



・人はだれでも天分を与えられている

(意訳)
 人間の心には、もともとすばらしい文章が刻まれ、妙(たえ)えなる音楽がかなでられている。
 ところが、せっけかくの文章も知識のガラクタによって封じこめられ、せっかくの音楽もあやしげな音曲によってかき消されている。
 自分を向上させようと思うものは、いっさい誘惑を退け、自分の中にある本来の文章、本来の
音楽を求めて、その活用をはからねばならない。

(守屋洋先生、注釈)
 人間は、だれでも天から立派な素質を与えられて生まれてくる。その天分を発揮する場がこの人生と心得たい。 

(感想)
 なかなか、自分が授かった天性に廻りあえるのは、難しいと思います。試行錯誤しながらでも、好きな分野で生きて行ける人は、すばらしいことだと感じます。


  

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2008年03月30日

(本に感動)子育ての基本は、子どもの存在を肯定すること

(本に感動)子育ての基本は、子どもの存在を肯定すること(堀田力)

 久々に本を読み、感動しました。本文の説明をしません。
 さわやか長寿財団 理事長 堀田 力(つとむ)氏の著書、
 『「人間力」の育て方』より

(本文より)

おわりに-子育ての基本の基本

教育、あるいは子育ての基本の基本はなんでしょうか。
それは、その子どもの存在を肯定することです。

本書で、子育ては子どもを自立させるために行い、教育は子どもの人間力を育てるために行うと述べましたが、子どもが自立への意思をもち、人間力をつけようという意欲をもつためには、子ども自身が、自分を大切に思っていなければなりません。自分をどうでもよいと思っているような子が、自立の意思をもったり、学ぶ意欲をもったり、人を助けようとしたりするはずがありません。

だから、教育や子育てが成功するためにの基本中の基本の条件は、子どもの自尊感情です。私の言葉では、「自己存在の肯定」です。
子どもが自尊感情をもつには、その子どもの存在を親やまわりの者が愛情をもって肯定することが必要です。

それによって、その子は、自分が受け入れらているという安心感をもち、人を信頼し、人との交流を喜び、人にほめられたことに誇りをと自信を持つようになります。そして、人に認められて、喜ばれる快感を求めて、さらに自分の長所を伸ばす努力をし、人に疎まれる欠点を是正いようとします。

このようにして、自助と共助の力、つまり人間力を自ら高めていくのです。

例えば、ある重度障害者は、からかわれることで絶望し、親をうらみ、養護学校にも行かず、生きる意欲を喪失しましたが、偶然、自分に絵を描く才能があることに気づき、それに熱中するようになりました。その絵を大人たちがほめたところから意欲が回復し、就学もするし、親に感謝する素直さを取り戻しました。存在の肯定、自尊感情は、このように生きる基本です。

これがない教育は、苦役を強いるものといっていいでしょう。


実際、こどもは、信じられないほどすばらしい存在です。

八歳で、ガンで亡くなった森下重信君の話をしましょう。

彼は六歳で発病し、横浜の病院に入院し、いろいろ治療をうけましたが、転移が止まりません。
七歳の時、骨髄液を採取してこれを患部に注入する手術が再度必要になりました。母親の純子さんが、
「治療を止めれば二、三ヶ月の命、治療をしても半年の命だよ。辛い治療だけど頑張れるよね」と言うと、重信君は「絶対頑張る。生きるためだったらなんでもする。せめてあと15年でいいから生きたい」と言って手術を受けました。

脊髄液採取は、大人でも耐えがたい激痛をともないます。純子さんが、手術を終えた重信君の姿を見て大泣きした時には、重信君が純子さんの頭を撫でながら、「(手術を受けたのが)ママでなくて、よかった」と言ったそうです。
*(森下純子著『ママでなくてよかったよ』比良出版より要約)

七歳で、自分の痛みにけなげに耐え、お母さんのことをこんなに案じることができるのです。
こどものやさしい心を、信じたいと思います。


子どもの育つ力を信じる思いを、私のつたない詩に託して、本書を結びたいと思います。お読みいただき、ありがとうございました。


 「子どもは未来を求めている」

 子どもたちは 未来を求めている
 子どもたちは 希望にあふれている
 子どもたちは 愛を求めている
  そして 
 子どもたちは 役に立ちたがっている
 それが 子どもの 育つ力

私たちは 子供たちが 自分たちの力で
 思いっきり育っていくのを 手伝おう
  邪魔をしないで 歪めないで
 彼らが 自分で考え 自分で感じ
 いろんな人と交わりながら
 学んでいくのを手伝おう
  私達の未来のために
~堀田 力~

*引用資料:堀田力著『「人間力」の育て方』より


<以前の日記>
・ガソリン税廃止、次は環境目的税。国の仕組みが少しづつ変化
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=760174248&owner_id=2182841

・日本は自然エネルギー資源国ですが、現実は原子力発電大国です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=759447769&owner_id=2182841
  

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2008年03月28日

(論語とソロバン)渋沢栄一の理念と行動

(論語とソロバン)渋沢栄一の理念と行動

 渋沢栄一が、官僚を辞し、民間で実業を起こそうとした時に、上司である井上馨侯に語っときの話です。

(本文より引用)
井上馨は、

「時機さえ来れば、野に下って思うままにやるもよかろう。」

と言った。また同僚の親友の玉野世履(せり)は、

「君は、現に官界でもかなりの地位におる。将来きわめて有望なのに今辞職するのは惜しい。商人になるのは金儲けのためか知らぬが、世間から軽蔑を受けて一生役人にあごで使われるだろう。ほかに方法もあるではないか」

と忠告されたそうです。その時、渋沢栄一は、断固として答えた。

「金儲けのために役人を辞めるのではない。実業家が現在のように卑屈で世間の尊敬を受けないのは、一つは封建の残った弊害であろうが、一つは商人のやり方がよろしくないからである、欧米ではけっしてこうではない。不肖ながらこの悪習を改めるために骨を折りたい。宋の趙普(ちょうふ)は『論語』の半部で天子を輔(たす)け、半部で身を修めたと言っているが、私は『論語』の半部で身を修め、半部で実業を矯正したい。先を見ていてくれ」(中略)

と語ったそうです。後は、歴史が証明するように、渋沢栄一翁の活躍は言うまでもありません。100近い事業を起こし、日本の発展に死力を尽くした方と思います。

私は、縁あって、渋沢栄一翁の直筆の論語の書写(筆文字)を見たとき、その熱き思いを感じました。100年の時を越えた、文字に人生を感じる経験は、身体が震える思いを持ちました。

これも、師に導きのお蔭なのですが、出会いの不思議を感じます。

上記の文を紹介したのは、竹内均氏で、著書は「孔子、人間どこまで大きくなれるか」ですが、何度の読む中で、いかに志が大事か、行動が大事かと思います。

明治期、経済優先で、国内初となる郊外や、色々悲惨な事故もありました。でも、今のような自民の生活を省みない政治の在り様名無かったように思います。地方を省みない政府、国会に落胆しながらも、託す思いを持ち続けるしかない現実は、心重き気分です。

幕末の志士たちの一人、渋沢栄一氏の意志を現代の若者が受け継ぎ、21世紀の日本、世界をリードして欲しいと願います。

*参考資料:渋沢栄一著、竹内均訳「孔子、人間どこまで大きくなれるか」


・日本資本主義の父 渋沢栄一
http://mixi.jp/view_community.pl?id=119145

~関連、コミュ~
・孔子
http://mixi.jp/view_community.pl?id=10170

・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660

・孟子
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3000248

・陽明学
http://mixi.jp/view_community.pl?id=88931  

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2008年03月28日

(空気を読む)自分の置かれている状況をつかむ

(空気を読む)自分の置かれている状況をつかむ

 今日と明日は違う、午前と午後は違う、九州と北海道は違う、福岡と鹿児島は違う、熊本市と天草は違う、さて何処が違うかは、その人の見て感じる世界(風景)をどう掴むかに在ると思います。
 明日は、今日の通り事は進まない。人と関わる中で、相手の行動でこちらも変化させられる。

 例えば、急に朝から子どもが具合が悪い、午前中は打ち合わせ、午後は講演会・・・、どう対象するか、慌てふためいてその日の行事をキャンセルすると、昼前には子ども具合が改善し、「学校へ行く」と言う。午後に空白が出来た。さて、どうする?

 こう言うときは、少し冷静になる時間を設けて、策を色々立ててみる。打合せは、先方に現状を説明し、夕方か、後日の予定にするが、もし病院に行き子どもの状況次第では、今日の方が良いので、逐次連絡を取る事にし、ただし先方の事務所へうかがうことにしておく。
 講演会は、代理が務まる人を探し、直前まで、努力する事を主催者にお願いしておくと、上記の状況だったら、どうにか、今日の内に両方が出来たのではないかと思います。

幕末、長州の英雄の一人、久坂玄瑞は、禁門の変の陣中で、作戦を指示し、状況を把握しながら、部下と静かに語り、本を読んだと言います。久坂を高く評価していた、西郷隆盛は、「久坂先生は、お地蔵さんのようですな」と語ったとか、
 久坂玄瑞がその陣中で部下に語った言葉が、

「無事は有事の如く、有事は無事の如く」

だったそうです。今風に言うと、無事=平時(日常)、有事=危機、にことと思います。

 また、五輪の書の著者の宮本武蔵も、異変時(理解出来ない状況)の対応を次にように語っています。

「拍子が無い(理解できない)時は、じっとその場に立ち停まって、胸の中で一つ二つと十まで数を数えた方がよい。そうすると、気持ちが落ち着いて、自分に置かれている状況がよく見えるようになる」(*拍子:空気、流れ、状況)

よく、「あわてる乞食はもらいが少ない」と言いますが、要は天変地異があった時に、どう動くかで、結果も、人間力も問われるのではないでしょうか。
でも、慎重すぎて、タイミングを逃しては、元も子もない結果の終わります。これは、場数を踏む経験が必要かもしれませんし、先人たちの時事の行動の勉強も必要かも知れません。
 
時代のリズムを感じ取る事ことは、なかなか難しい、昔からの課題かもしれません。



<ミクシィ、日記>

・自信を持つと自分が見える。独創とは自分の資質そのもの。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=758139866&owner_id=2182841

・(ご苦労様でした)桑田が引退を表明、PL学園優勝の思い出・・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=757995531&owner_id=2182841&org_id=758139866

・コメント集(病んでいる日本)なんで毎日悲惨な事件が起こるのか(長文です)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=757443921&owner_id=2182841&org_id=757995531
すばらしいご意見ばかりです。ぜひ、ご一読下さい。

・(6つの心の改善)時代の流れに積極的であれ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=757181889&owner_id=2182841&org_id=757443921
  

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2008年03月27日

今、教育にも生活にも必要な「敬う心」と「思いやり」

今、教育にも生活にも必要な「敬う心」と「思いやり」

以前にも思いを語ったことですが、相手を尊敬する「敬」、相手を思いやる「仁」の心が必要なように思います。

・中国古典輪読会

 さて、もう一つの「中国古典輪読会」は、6年つづく論語、孟子等の経書を読み・学び・語る会です。私の高校の先輩が、主宰されている会で、私も4年前から時々参加させてもらっています。今は、「孟子」(諸橋徹次著)を読んでいます。 昨日は、「四つの本性」の部分で、「仁」「義」「礼」「智」の心の発露の大切さを学ぶことから始まりました。

 輪読とは別の資料をそれぞれが持ち寄り、議論の題材にしたりします。今日はその一つ、孔子の言葉を紹介します。

「孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。学びて之を知る物は、次なり。困(くる)しみて之を学ぶは、又其の次なり。困しみて之を学ばざるは、民これを下と為す。」

吉田松陰の孟子の解説も紹介があり、
「(中略)しかるに『孟子』を読んでも、道という問題の上においてはこれを体得するところがある人物は少ないであろう。これ何故であるか。それは、人々が富貴貧賎、安楽艱難という環境のために累(わずら)わされるがためである。・(中略)・人は、順境にある時は怠けやすく、逆境にある時は励みやすいものである。怠けると道を失い、励めば道を得るということ、これが人生の常の姿である」 と講義をした内容が記録されているそうです。今の時代に充分通じる人の生業の指針と思います。

 常に学ぶ姿勢が必要と感じた昨日の「中国古典輪読会」でした。雑談の中で、日本の教育のことが話題なったのですが、
「知識でなく「徳育」が今最も大切で、学校に取り入れないといけない」の言葉から、
「その前に先生に「徳育」を施さないと、何を伝えるのか解からないのでは?、なぜかと言うと親たちが、教師たちが「徳育」に重き置いた教育環境で育ってこなかったことが問題。」

これから、やはり

「敬」:相手を敬い接する姿勢(至誠)
「仁」:相手も思いやるやさしさ(心)

が欲しい。教師には、教師自身が生き方「徳」を高める学問が必要と意見が出ていました。安岡正篤先生の「人生の五計」の中で紹介されていた言葉に「教学半ば」がありました。
 教えることは、学ぶこと。教師は率先垂範の姿勢が、一番の教育と思います。ふと思い出したのが「知識を教える先生は得やすいが、生き方を教える先生は得難い」のだと思います。

 そして、もっと学問が深くなって行くと、学ぶ先生も居なくなり、誰を師とするかのヒントが、昨日の資料の中にありましたので、それを紹介して今日の日記の最後にします。

南州(西郷隆盛)遺訓の中に、在る言葉です。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし」

同じように、横井小楠の言葉にも同様な部分があります。徳を高め考え続けると、同じ域まで到達するものだと思います。日々精進が大事と思います。
  

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2008年03月27日

(感謝)ブログをお読み頂いている皆さまへ

(感謝)ブログをお読み頂いている皆さまへ

 おてもやんブログは、一昨年12月15日に登録したのですが、書き込みを始めたのは、昨年の9月3日からでした。はじめは、SNSミクシィに書き込んだものを転載したり、6年前から配信しているメールマガジンの文を使ったりとかでした。

 実は、昨日少し時間があり、おてもやんブログをじっくり品定めしていているうちに、私の取りとめのない文章を真剣に読んで頂き、コメントしてもらっていることを知り、御礼の文章を書きたくなり、今日の文面になりました。

 少し、自己紹介します。私は、宇土市西部地区に住んでいる、今年50才を迎えるオジサンです。これまで、色々な社会活動に関わって来ました。その活動の延長がブログでした。

 私がインターネットに関わり始めたのは、11年前に始めた、私が主催する異業種交流会がきっかけでした。飲んだ勢いで、ホームぺージを作ろうと仲間に言うと、まったく興味なし、一人、1999年春からPCとの取っ組み合いが始まり、仕事を終えた深夜、毎晩、妻や子どもたちの視線を横目に、「かちゃかちゃ・・」とやること2ヶ月、やっとアップしたのは、夏でした。

 さて、これをどうやってみんなに見てもらうかですが、当時、熊本の建築関係ではホームページは殆ど皆無、大学の建築科くらいだったでしょうか。東京でも、大手の建設会社が、やっと作り始めた時期でした。
 その後、1999年秋にメーリングリストに出会い、多くの友人が出来ました。一番遠くは、カナダのバンクーバーの方で、それ以来、カナダから3度熊本へ足を運んでくれました。

 6年前に、友人知人に配信を始めたメールマガジン(現在約800名)を、九州を中心に、国内、海外も少し送信しています。
 
そして、三年前の秋、若い友人から誘われた、SNSミクシィに出会い、2年前の2月から書き込みを始めました。
 コミュニティに関しては、尊敬する緒方貞子氏のコミュが突然無くなり、これはいかんと自分が管理人をして、今に至ったいます。現在1500名を越える緒方貞子ファンが集っています。他にもいくつか関わってます。
 
地元新聞への投稿もその頃始めていたのですが、いつか地域ブログの時代が来ると思っていました。おてもやんブログも参加者が増えとても楽しみなってきました。
 ミクシィの方は、参加者が1700万人を越え、最近は友人の多い人をターゲットにして、マルチ商法まがいのネットワークビジネスの誘いが来るようになっています。
 でも、ミクシィは魅力的で、仲間作りはとても大事と思っています。
 ミクシィで出会い、日本人ですが、アメリカ留学を終えた青年とオランダ在住の若い技術者が、わざわざ熊本まで会いに来てくれました。インターネットの威力を感じます。

 昨日、おてもやんブログに、真面目で励みになるコメントを読み、とても感動しました。
現在、私のブログは、この「コモンズ・くまもと」の他に、「宇土親子論語教室」「宇土の文化を考える会」「異業種交流会「四季の会」」があります。
 自分で、テーマを分けているのですが、話題しだいであっちこっち書き分けています。

 これからも、日々の出来事や、読んだ本で思いつくままに書くブログですが、色々ご意見を頂けるとありがたいです。
 そして、いつか皆様と会ってお話をできると良いなと思っています。

 5月に私のとても尊敬する師が、東京から来られます。72歳の老人ですが、私よりはるかに元気で、世界中を講演して回っておられます。「平和と子どもたちに夢を」の志で、気軽にくまもとへ、毎年来てもらっています。
 
 今日は、だらだらと思いつくままに書きました。ぜひ、これからも「ノグチが何か書きよる」程度で気軽に、ご笑覧頂ければ幸いです。
 最後、ブログを検索頂く皆様に感謝を込めて、ありがとうございます。

           桜五分咲き宇土から、ノグチでした。


*ミクシィの他に、Yahooのブログもやっています。「野口修一と仲間たち」で検索してもらうと、こちらには写真もいくつか載せています。
  

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2008年03月27日

(6つの心の改善)時代の流れに積極的であれ

(6つの心の改善)時代の流れに積極的であれ

「一命を捨つる時は 道具を残さず用に立てたきものなり」(五輪の書)

 武蔵の時代、一番の変化は都市の発達と、農産物の増産、新地拡大、商業の確立等々、徳川の時代になり、大きな社会変革が起き、戦う武士は政治の執行官になり、武勇の剣術が、お飾りやレジャー産業に変化をして行く時代でした。
 当時の武士もその変化に対応すべき、色々苦悩し、行政官として挑戦をしたいた時代を思います。

 今で言えば、情報技術の発達とインターネットの拡大と思います。そこで、童門冬時風の武蔵的発想で、言葉を作って頂きました。そして、その訓示が次の6つです。

(本文より)

1.この世から貧乏を無くすことに目的を置くこと。

2.人間が嫌だと思う仕事、不愉快だと思う仕事、機械にやらせたいと思うことは、単純作業にし、機械化することも必要と思う。

3.創造の喜びを感じ、人間は喜びを感じるものに、専念して行くことが必要である。人間は、喜びを感じることに従事し、苦痛で機械の出来る事は機械にさせる。

4.人間が働くという動機は、喜びを感じたい本能と、苦痛を避けた本能とがある。

5.人間が喜びを感ずる仕事で、まだ手をつけていないことが沢山ある。ニューメディア時代には、また新しい分野の仕事が出てくる。

6.繰り返すが、現代は、中流意識は幻想であって、本当の日本人は中流になっている訳がない。

現代社会、根はあくまでも貧乏である。本当の貧乏を無くすことが情報技術の導入でなければならない。(中略)


OA化、インターネット利用、PC、携帯電話のツールが、周りにたくさんあります。

若者たちや先進的な人は、新しいサービスや情報機器の強い人たちが沢山いますが、中高年になるとおっくうがって行動がなかなか出来ないのが現実です。

ビジネスの最後の判断は、その人の人間力によってなされると思います。

その人間力とは、固定観念にこだわらず、大事なのはャレンジ精神であり、やる気も含めて、即行動にうつすことだと思います。

吉田松陰の言葉ですが、

「知識は理解し、行動に起こしてこそ、知識」

とあります。新しいことに挑戦する事こそ、社会を発展させる原動力かもしれません。

*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」より



<以前の日記>

・(仕事人)人は、スペシャリストか、ゼネラリストか。

  

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2008年03月25日

(仕事人)人は、スペシャリストか、ゼネラリストか。

(仕事人)人は、スペシャリストか、ゼネラリストか。

 江戸初期に生きた、剣の達人に「宮本武蔵」が居ますが、この人の遺訓が書かれた「五輪の書」は、海外にも名の知れた人間の生き方の指導書です。若いころは、なかなか難解で取り付き難かったのですが、数年にまえに童門冬二氏の解説本「宮本武蔵の人生訓」なる文庫本を見つけ読みました。

 数日前から何年ぶりかで、昼ごはん時にぱらぱらと開いていて読んでいます。次の一節が目に留まりました。


~スペシャリストか、ゼネラリストか~

「兵法の利にまかせて諸芸諸能の道となせば、万事において我が師なり」

現代でも、○○の専門家とか、○○の世界では第一人者とか、いわゆるスペシャリストが注目を集めている。

NHKでも、「トップランナー」なる番組が、人気を博しているが、はたしてそこに出てくる人たちを検証してみると、意外な一面が見えてきます。

けっこう、違った分野の職能人たちと交流をもっていることです。

剣豪の武蔵の教示の意味は、スペシャリストであり、ゼネラリストでもあれと言う意味ではないかと思います。自分の職能を、多様な分野の視点を持ち、検証を続けて行く事が非常に技能向上につながると、武蔵は考えたと思います。

童門冬二氏が、武蔵に成り変って語った言葉は、


(本文より)

「私はゼネラリストになるにも、一つの自分に合った技芸を極めなければ、なれないという考え方をもっていた。私は基本的に良いゼネラリストになつためには、良いスペシャリストにならなければならないと考えています。」

そして、武蔵はこう答える。

「第一に、邪心をもたぬこと
 第二に、二天一流の道を厳しく修行すること
 第三に、広く諸芸に触れること
 第四に、さまざまな職能の道をしること
 第五に、物事の利害損得を弁(わきま)えること
 第六に、あらゆることについて物事の真実を見分ける力を養うこと
 第七に、目に見えぬ本質を悟ること
 第八に、謹(わず)かなことにも注意を怠らぬこと
 第九に、役に立たぬことをしないこと」
            (五輪書・地の巻)・・(中略)

 武蔵は、スペシャリストになるためにも、はじめからそのことだけを考えてまっしぐらに行くのでなく、広い視野に立っていなければ駄目だと、言っているように思います。

 とかく技術職、専門職は、自分の研究分野にには、抜きん出ているのは辺りまですが、その他の分野には、中学生以下のことしか知らないでは、一般人からすると少々頼りない気もします。

 日本の職業観からすると、武蔵の発想は、現代にも通じる理念があります。その分野ののリーダーたるものは、他の職能にも興味を持ち、人的なネットワークも含め、多様な知識を得る工夫が必要であり、それは自分の職能を向上させる師になると、武蔵が教示しています。

 まずその世界で第一人者になってから、多様な知識を広げるのでは、双方をバランス良く(フィードバック)しながら、面として努力が必要と説いているのは、現代に通じるものがあります。

 みなさんの周りに居る、スペシャリストたちの様子を教えて頂ければ幸いです。

*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」より
  

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2008年03月24日

失意は得意のなかにあり

失意は得意のなかにあり


 苦労しているさなかにこそ、喜びがある。
 時めいていると、とたんに失意の悲しみがおとずれる。


(解説)

 この世は「憂き世」であるから、苦労が絶えないのも当然であろう。中国の諺にも、「天下に思いどうりにならないことが、十のうち八、九はある」と、人生行路のむずかしさを語ったことばがある。

 しかしまた、苦労しているときが人生の花だという見方もできるのである。人生に苦労が絶えないから、苦労のなかに喜びを見出す生き方こそ、最高なのかもしれない。

 せめてそう言いきかせながら、今現在の苦労に対処したいところである。


(感想)

 昭和の哲学者、安岡正篤先生の訓示に「六中観」がありますがその中の、 「忙中に、閑あり」の境地で、多忙(苦労)を享受する心のゆとりが大事なのかもしれませんし、そのゆとりが、気持ちの奢りを打ち消し、謙虚に現状を検証する事につながり、ミスや行き過ぎを見つけ、次のステップに進む糸口を見つけることになるように思います。

*守屋洋著「新釈 菜根譚」より

  

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2008年03月24日

財を喜捨して福を得る(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)

財を喜捨して福を得る(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)


(本文)

財を捨て福を得るとはどういうことをいうのであろうか。

それは、仏教で言えば、いろいろな修行があるが、その中でも貧者に物を施し与える布施の行が第一に大切なものである。いわゆる布施とは、ただ捨の一字に帰するのである。

惜しくなく喜捨するのであって、仏法に達した人は内がわが身の六根をも捨て去り、外は心性をけがす六種の色欲の色声香味触法も捨て、すべての縁によって会ったもの、人のためにする善行の徳一切を捨て去り、何物もおしまないのである。

いやしくもいまだ一切の欲望を捨て切れないならば、まず財産から布施をすることである。世上の人というものは、衣食を以って命としているから、その衣食を得る財産を最も大事にするものである。したがって自分がこれを捨て去ってしまえば、内は自分のおしみ貪る気持ちを破り棄てることができ、外は人の急を救ってやることができる。

このことは、始めは努力しなければならぬが、終わりにはゆったりとして容易にできるようになる。このようにしていくと私情を洗い浄(きよ)め、物に執着しおしむ心を除き去ることができるのである。


(解説)

人は物に執着すればするほど欲望が強くなる。

だが、この執着を払拭する「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」ということわざもある。金持ちがその身にいくらお金を持っていても、心に足ることを知らずにおれば、貧乏人と同じことであり、たとえ貧乏人であっても心に足ることを知り、常に満足の境地におれば、金持ちと変わることはない、という意味であるが、この爽やかな気持ちを大事にしたいものである。

仏教にいろいろな修行があるが、第一に大切なものとして貧者に物を施し与える布施の行がある。これは、物でも、お金でも、人のために尽くすことでも、自分の惜しむ心を捨てることであり、実践の行であるが、これによって、心が洗われ執着する心を除き去ることができるというのである。

仏教者のみならず、けちけちしない、私情を捨てた、このような爽やかな心持ちの善行こそ心掛けるべきであろうし、開運による福がこのような善行の人にやって来ないはずがないではないか。


(感想)

 最近、CSRとか、社会貢献、あるいは、企業市民なることが流行っているようですが、見せ掛けだけに、奉仕活動や、ボランティアでは、真の布施とは言えないように思います。

 積善の考えの中で、誰に認められなくても、地道に続けている人こそが実践者とありました。人の喜びが、自分の喜びに感じられるような、生き方を見つけられたら良いなと思います。


*開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451


<以前の日記>

・(教育再生)これから求められるのは人間力
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753040545&owner_id=2182841

・(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753521310&owner_id=2182841


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:25Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年03月23日

これから求められるのは人間力

これから求められるのは人間力

数日前から、さわやか長寿財団の堀田力氏が書かれた「人間力の育て方」を、途切れ途切れに時間を見つけて、読んでいます。その中にハッとする現代の人間観察調査から、次のような現代の人間像が報告されていました。


(本文より)

・「困った若者」七人衆

① 指示待ち人間
 指示されたことは、完璧にしようとするが、自分で考え事を起こさない。

② 責任回避人間
 ルーティーン(決まった日常業務)の仕事はするが、少し新しい仕事などに腰が引ける。何かにつけ、言い訳ばかりして、取り組まない。

③ アラ捜し人間
 会議などで、自分に関したことには沈黙だが、人の仕事になると真っ先に手をあげ、たいした問題でもない数字について意見を言う。

④ 自己中心人間
 説明は必要ないと思いますが、色々な場面で見かけることがあります。

⑤ 付和雷同人間
 周りに流行やファッションと違うことがいけないとことと、皆同じでないと気がすまない。

⑥ 虚無人間
 かつて三無主義:無気力、無関心、無感動と言われていましたが、最近は、無理解、無表情、無道徳、無趣味、・・・

⑦ 連絡待ち人間
 携帯の普及で、情報機器に(気持ちが)つながれ、メール待ち、電話待ちのつながり症候群というか、メールに即反応していないと不安な人。(中略)


 戦後のエリート志向と横並びの教育と、少子化による兄弟間、地域間での子どもが群れとして遊び、学ぶ環境がなくなり、問題にぶつかり考える能力が身に着かない環境が現代とも書かれています。

 どこかの保育園では、徒競走では「お手手つないで一緒にゴール?」これでは、個性を伸ばす教育の目が、幼児期から摘み取られているように思います。寝る意外、けん命(命がけ)に汗して遊ぶ子どもが本来の姿ではないかと思います。

 みなさんも感じられていると思いますが、個人個人がその特性を見つけ、意欲を持って生きることを示唆するのは、かつては親や地域の先輩が教えて来たように思いますが、その親の人間力が、戦後教育の変化がないままに今に至り、右往左往しているのが現実かもしれません。

 堀田氏は、21世紀の日本に必要な人物を次のような能力と定義されています。

(本文より)

「これから求められるのは人間力」

一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あってもこれに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人

二、自分で目標を立てることが出来る人

三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、全身するために何が問題かを把握できる人

四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人

 こういう人材が必要なのは、成熟段階に入った日本では、もはやモデルとする国はなく、自分たちの目で、非常に多様な心の豊かさに対応するニーズを把握し、自分たちの頭でそれにどう対応して行くかを考え、共鳴する中間達とともにそれを実現していかなければならない。(中略)
 
 現状のような、知識詰め込み教育では、変化の激しい社会の中で、対応(工夫)して生きていく術を身に付けるのは、難しいと堀田氏はしています。
 みなさんの周りの若者、上司、地域の人々は、いかがでしょうか?

 都市も田舎も、そう変わりない風景があるように感じます。

教育再生の方向を間違わないように、「ここのままではおかしくなる」と感じている人が、色々な人と、色々なところで発言する事が必要な気がしています。

*参考資料:堀田力著「『人間力』の育て方」より  

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2008年03月23日

(少欲知足)つましいながらもゆとりある暮らしを

(少欲知足)つましいながらもゆとりある暮らしを

 贅沢な暮らしをすれば、どんなに資金があったとしても、心の満足は得られない。これでは、つましいながらも、ゆとりある暮らしをしている人に遠く及ばない。
 やり手の人は、あくせく苦労しながら、それでいて人々の怨みを買う。これでは、無能呼ばわりされながら、悠々とマイペースで暮らしている人に遠く及ばない。

(解説)
 現代人は収入を上回る生活水準を維持するために借金を重ね、そのあげく生活破綻に陥る人々が跡を絶たないのだという。ここで言っている「つましいながらもゆとりある暮らし」がもっと見直されてもよいものではないか。また、なまじ能力に恵まれた人は、その能力ゆえに使いつぶされる傾向がある。その上、人の怨みまで買ったのでは、まったく割りに合わない。

(感想)
以前の、「平穏無事より幸せなことはない」も同じですが、生活に必要な最低限は何か?、常に考えることを忘れてはいけない。

論語に、「一日三省す」の言葉ではないですが、欲や思い付きで、走り出す前に、これが最善か常に検証することも忘れない日々が大事な教えと思います。

孟子の教えにも、「欲望の少ない人で良心のない人はわずかである。欲望多き人で、良心のある人はわずかである。」とあります。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より

*4月の宇土親子論語教室 4月5日10:00~宇土市中央公民館2階
 だれでも、参加できます。  

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2008年03月21日

優しい愛と思いやりは、大きな希望を与える

優しい愛と思いやりは、大きな希望を与える

~マザー・テレサ「日々のことば」より~

人に、優しい愛と思いやりを注ぎましょう。

あなたの惜しみない心遣いとあなたのあふれる喜びは、

大きな希望を与えることでしょう。



~ウダーナヴァルガ(感興のことば)の第五章18の言葉~

どの方向に心で捜し求めてみても、

自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。

そのように、他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。

それ故に、自分のために他人を害してはならない。



  

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2008年03月19日

(事業の成功)天の時、地の利、人の和で、第一は「人の和」

(事業の成功)天の時、地の利、人の和で、第一は「人の和」

昔から、事業(仕事は)を成功させるためには、

① 天の時  実行のタイミング

② 地の利  立地条件・地域性

③ 人の和  内部団結・ネットワーク

この三要素は、現代でも変わらない。孟子は、優先順位を付け、最も「人の和」が大事と説いています。

「小さな城(問題)を包囲して攻撃(行動)しても、簡単に陥落しない場合がある。攻撃している以上、当然、天の時をとらえているはずだ。それでも勝て(解決でき)ないのは、天の時も地の利には、勝てないからだ。城壁も高く、堀も深い。装備も優れ、兵糧も十分ある。それでも、城を捨てて敗走する場合があるのは、地の利も人の和には及ばないからだ。」

事業も勉強も、将来を見越して事に取りかかる必要がある。この先有望な分野であるのか、伸びる事業であるのかどうか、その際の判断の基準になるのが三つの条件だが、とくに、人の和がなければ成功はおぼつかない。

時機を得て、条件を整え、協力を募って、しっかり準備をして、事業を起こすことが大事の教えは、今でも十分に通用する先人の知恵と思います。

日々、「天の時、地の利、人の和」を念頭に置き、仕事(事業)をやることは成功の条件整備に必要なことのようです。

*参考資料:守屋洋著「中国古典 一日一話」


<関連サイト>

・「ミクシィ」孟子
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3000248

・「ミクシィ」論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
  

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2008年03月18日

(リーダーの人格)「人が従う言葉とは」「能く人を容れる」

(リーダーの人格)「人が従う言葉とは」「能く人を容れる」


人が従う言葉とは(佐藤一斎「言志四録」)

 道理(真心+真理)の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。
 しかし、その言葉に激しいところや、強制するところ、私心を挟んでいる、自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。

 およそ道理が行き届いているのに人が服従しない場合は、必ず自らに立ち返って反省する。まず自分の行為が十分にできてのち、人が服従してくれる。


能(よ)く人を容(い)れる(佐藤一斎「言志四録」)

 人を寛容に受け入れる度量の持ち主であって、始めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責(任)を受ける。

 人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責め多としても、責めらられた人はそれを受け付けないものである。

 西郷南州(隆盛)は、「男子は人を受け容れ、人に容れられでは済まぬものと思えよ。」と訓(おし)えています。男(リーダー)というのは、包容力がなくてはいけないということである。

*西郷隆盛も佐藤一斎に影響を受けていますが、直接は佐藤一斎に直接影響を受けた梅田潜庵に師事したようで、後輩たちを多く梅田潜庵のもとへ託したと言われています。


 最後に、もう一つ「好き嫌いの落とし穴」の訓示

「好く嫌いの思いは、最も人物を見る目を曇らせ、誤らせる。」

 人と会うときは、無心であうことが大切と先人も語っています。先入観にとらわれない、度量の大きさも必要と思います。

*参考資料:佐藤一斎『言志四録』解説書「佐藤一斎 一日一言」より  

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2008年03月17日

人を治めようと思うなら、まず己を修めること

人を治めようと思うなら、まず己を修めること


「天徳は只是れ箇の無我。王道は只是れ箇の愛人。」(呻吟語(しんぎんご))


 愛人とはドキッとすると思いますが、この愛人は「敬天愛人」の愛人ですので、博愛の意味の人を愛すると解釈しています。

 天が指導(導き出す)する徳は、我を持たない、無我になるのであるという。

(本文より)
 同様に王道(君子の生きる道)も、人間に徹して人間を愛することより外ない。愛という字をかなしみと読みますが、この日本の国を愛し民族同胞を愛すれば、本当にこれを心配して何とかしなければならぬと心底から考えるようになる、それが王道というものです。

 また、次の言葉もありました。

(本文より)
 これは後世の学問の悪いところで、人を治めようと思ったならば、まず以って己を修めなければならない。王道に即するとは天徳に基づくということである。

(感想)
 私欲を捨て、天と語ると言う時に思うのが、天とは「良心」では無いかと思います。両親とは、私欲を脇に置き、今関わる全ての人が、より良き方向に進むように、発言し行動することでは無いかと、最近思うようになっています。

 西郷隆盛の生き方そのものが、「敬天愛人」の実践だったのかもしれません。とにかく、西郷隆盛ファンは、現代でも相当いると思います。

謙虚で博愛の精神こそ、今、日本に求められている警鐘と感じます。

皆様のご意見等、頂ければ幸いです。  

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2008年03月16日

大利を興こし建てる(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)

大利を興こし建てる(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)


大利を興こし建てるとはどのようなことをいうのであろうか。

それは、小にしては、一つの村里のうち、大にしては一邑一国の中で、およそ人の利益となることがあったならば、よろしく全力をつくして興し建てるべきであるということである。

それには、あるいは溝を掘って水利をよくすることもあり、あるいは堤を築いて水害を防ぎ、あるいは橋や道路を修理して旅行者の便利をはかり、あるいは茶碗を施して、喉の渇いたものをいやしてやり飢に苦しんでいるものを救ってやるなどし、その折り折りに応じて勤めたり、導いたりしてやり、また、みなと力をあわせて建造築造をなすということである。

そのために人から疑いを受けるようなことがあったとしても避けてはいけない。
身の苦労をいとったり、人から怨まれることも逃げてはいけない。ただ一途に人のためになることは、これを実行するべきである。


(解 説)
 世のため人のために利益となることがあるなら、全力をつくして実行するべきである。たとえ偽善と言われ、陰口をたたかれ、よしんば妬まれ、怨まれるようなことがあっても、途中で放り出すようなことをしないで、世のために人のためになるならば、一途に実行しなければならない。そして、その行為は真心から発するものでなければならない。
 
 利益追求の民間会社などで企業活動をする人においても、世のため人のための利益を考えなければならないことはもちろん、役人として公共の仕事に携わったり、政治を志したりする人にとってもは、殊に、このことは強く留意すべきである。


(感 想)
 大事業を行うことは、強い思いと地道な準備が必要と思います。当初は、周りは冷やかな目で遠巻きに見ているのですが、段々成功が見えて来ると、だんだん近づき最後は、自分が主のように振舞う人たちも出て来ます。

 そんな時、成功はみんなで分かち合い、名誉・利益を独占しないような結末が望ましいと思います。
 
佐藤一斎の教えに、「利益は天下の公共物」があります。(現代語で)

「利益は万民が共有するものだから、利を得ることは悪いことではない。ただし、利益を自分ひとりで独占しようとすると、他人の怨みを買うことになってしまう。」

司馬遼太郎氏の本にあったのですが、大事業は8割の成功が見え、結果は自然に成ると思ったときは、最後を閉めたい人に任せたが良いともありました。

いずれ、誰がその事業を計画・準備をし、推進して来たか分かるものです。

成果を独占せず、利益を得る人たちと分かち合うことが良識かもしれません。



<関連コミュニティ>

・菜根譚(さいこんたん)
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909

・論語の言葉
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 21:37Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年03月16日

今の自分が、唯一の自分(歴史上ただ我のみ)

今の自分が、唯一の自分(歴史上ただ我のみ)

 数日前から、江戸期の儒学者の佐藤一斎の訓語録「言志四録」を読んでいるのですが、読むほどに頷きたくなる思いを持ちます。今日の日記・ブログにも書いたのですが、先人の教示こそ、現代人が必要とするもののように思います。

その一つを紹介します。「佐藤一斎 一日一話」より(現代語で)

(本文より)
「百年後再び生まれてくる自分ではない。一日一日を空しく過ごしてはならない。」

山本有三の著書「路傍の石」の中で、「たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐がないじゃないか」と言っている。(中略)


悠久の昔から、つながって来た命である自分は、以前にも、これからも、唯一、自分ひとりだけです。

日々、一日一日を大事に過ごして行かないといけない。

周りに影響され、右往左往することもあるかもしれませんが、それでも自分をしっかり持って、生きることが必要と思います。

今、自分の周りに居る人も、次世代のためにも、自分が生きていた証しが、次の命を培い、つながって行くことを忘れてはいけないと思います。

一人の生きた事実が、多くの人の歴史にも刻まれることでもあります。

人生、大事に生きて行きたいと思います。

そして、楽しく思える人生で在りたいと思います。
  

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