2008年05月29日
やわらかく握るところに人生の真味あり(新渡戸稲造『自警録』)
やわらかく握るところに人生の真味あり(新渡戸稲造『自警録』より)
老子の言葉に、他人を理解するものを「智」、自分を理解するものを「明」と評し、その自分を理解していない人が、自分も含めいかに多いことか、最近の出来事で色々経験しました。昨日も、自分を確かめられるメールで、ハッと気づかされました。
時機はあるものと、痛感しました。
さて、武士道を海外へ紹介したことで日本人みんなが知っている新渡戸稲造氏が、明治後半から大正初期に書かれた、青年へ向けたメッセージのコラム集があります。全部で4冊あるのですが、三冊目の「自警録」と言うものの中に、次の一説がありました。ご紹介します。
(本文より)
やわらかく握るところに人生の真味あり
たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡し舟のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかなに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕のしばしば引用する『菜根譚』には、
「経路せまきところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃(こまや)やかなるものは、三分を減じて人に譲りて嗜(たしな)む、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。また、
「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」
といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り返してあるが、実にその通り、自分の権利を最大限に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁(さおう)〔シェークスピア〕の言にも、
「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」
と、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。
これはむろん掴む工合にもよりけりであるが、ここに述べたのは粟とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に掴み得るものであるまいか。
権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度で、なるべく人に譲るをもって、人生の真味を味わい得るものと思う。(中略)
今日の紹介文は、長くなりましたが、全文を読んで頂かないと真意が伝わらないので、そうしました。私の感想等は、必要ないと思います。
人生の達人、新渡戸稲造氏の生き方の教示には、敬服するばかりです。(感謝)
色々、ご意見頂ければ幸いです。
老子の言葉に、他人を理解するものを「智」、自分を理解するものを「明」と評し、その自分を理解していない人が、自分も含めいかに多いことか、最近の出来事で色々経験しました。昨日も、自分を確かめられるメールで、ハッと気づかされました。
時機はあるものと、痛感しました。
さて、武士道を海外へ紹介したことで日本人みんなが知っている新渡戸稲造氏が、明治後半から大正初期に書かれた、青年へ向けたメッセージのコラム集があります。全部で4冊あるのですが、三冊目の「自警録」と言うものの中に、次の一説がありました。ご紹介します。
(本文より)
やわらかく握るところに人生の真味あり
たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡し舟のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかなに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕のしばしば引用する『菜根譚』には、
「経路せまきところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃(こまや)やかなるものは、三分を減じて人に譲りて嗜(たしな)む、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。また、
「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」
といい、世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り返してあるが、実にその通り、自分の権利を最大限に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁(さおう)〔シェークスピア〕の言にも、
「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」
と、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、かえってわずかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。
これはむろん掴む工合にもよりけりであるが、ここに述べたのは粟とか米とかの例に用いたものである。鉄棒とか金棒とかならば、また例を変えねばなるまいけれども、恐らくこの世における幸福なるものは粟、米のごときもので、やわらかく握ったほうが余計に掴み得るものであるまいか。
権利とか名誉とか利益とかいうものであれば、他に握りようもあるか知らぬが、僕は人生の妙味とか真の幸福とかを重く思うから、むしろやわらかく握って、すなわち自分は引っ込む態度で、なるべく人に譲るをもって、人生の真味を味わい得るものと思う。(中略)
今日の紹介文は、長くなりましたが、全文を読んで頂かないと真意が伝わらないので、そうしました。私の感想等は、必要ないと思います。
人生の達人、新渡戸稲造氏の生き方の教示には、敬服するばかりです。(感謝)
色々、ご意見頂ければ幸いです。
2008年05月28日
『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え
『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
2008年05月28日
『孝経』天子章 第二(宇土論語教室 朗読文)
『孝経』(宇土論語教室 朗読文)
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
(本文より)
・天子章 第二
子、曰(のたわ)く、
親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。
親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。
愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽して、
徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、
四海に刑(のり) す。
蓋(けだ)し天子の孝なり。
甫刑(ほけい)に云く、
一人慶あれば、兆民(ちょうみん)之(これ)を頼(よ)ると。
(解 説)
老先生(孔子)の教え。
親を愛せる者は、他者も愛せる。
親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。
真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人(東夷、西戎、北狄、南蛮)にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。
『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子 善なれば、万民 従う」と。
( Web 解説) 『孝経(こうきょう)』
http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html
2008年05月27日
人間が一番興味ある『物』は、人間。大人の責任とは・・
(青少年育成)人間が一番興味ある『物』は、人間。大人の責任とは・・
今日は、文化評論で第一人者の故小林秀雄氏の文章ですが、私の今日の感動と絡め書きます。
(「人生に鍛錬」本文より)
人間に一番興味ある「物」は、人間であろうし、一番激しい興味は、恋愛の情にあるだろう。恋愛は詩の基だ。「あれは」殆どすべての種類の感情感動を指す語だが、悲哀傷心は、人の最も深い感情であろう。悲しみは、行為となって拡散せず、内に向かって己をかむからである。(「好色文学」18-107)
人間は動物である、しかし考える葦である。人は、人への興味が、社会を作り、恋愛、家庭、親族、地域、逆に対立、争い、紛争、戦争等々、人の生業は、明暗あるものです。
今日は、二つの子育ての集まりに参加しました。一つは、高校の娘の広報委員会(高校新聞作り)と、地元中学校のサッカー保護者会です。
高校広報委員会のメンバーで、かつて、小中学校時代にPTA会長、副会長の仲間がいて、昨年までの「新聞コンクール」を目指す新聞でなく、子供が主役の新聞を作ろうと、前回会議で決まり、第2回会議は、紙面構成、記事役割、写真担当等々、ドンドン決まり、あっと言う間に終わりました。次回は、原稿と写真を重ねる仕事、小中学校で、広報委員をした人、子供が主役の新聞作りに、元気が出ました。
人間力を感じた、高校PTA広報委員会でした。
次は、小学校2校が進学する中学校のサッカー部の中体連直前合宿へ向けた、保護者会への参加でした。
私は、キッズサッカーに関わって11年、中学校の保護者の殆どが、キッズサッカーの時に顔を合わせて人ばかりで、今回の参加は、キッズ(5~9才)、小学校、中学校、高校生、社会人サッカーの関係者が、年に一回の顔合わせをする交流会を、少年サッカーの育成につなげようと4年前に、始まった指導者交流会を、発展させサッカー少年の成長を見守る地域の応援団をつろうと言うことで、子供の卒業した中学校の保護者会へ、趣旨を説明しに出かけました。
結果は、全員了解で、中学校最後の大会を、キッズサッカーが2クラブ、小学校2校、地元中学校サッカー部OB、社会人チーム関係者、中学校でサッカーを指導した先生方まで含め、地域応援団を結成し、中学最後の大会をみんなで見届けようと言う趣旨で、今日の会議は一致しました。
小林秀雄氏の一説は、恋愛、悲哀でしたが、少年サッカーに関わり、それを支える保護者、指導者、OB、社会人チーム等、人への興味は、恋愛だけでなく、子供を育てる思い(興味)には、力があると感じます。
「人間に一番興味ある『物』は、人間であろう」
上記の言葉から、次世代を作り少年の育成こそが、私たちに課せられた本当の仕事のように思います。
今日の日記にご意見、ご批判を頂けば幸いです。
<以前の日記>
・林家の善事を好む老母の事例(開運は善行にあり)
今日は、文化評論で第一人者の故小林秀雄氏の文章ですが、私の今日の感動と絡め書きます。
(「人生に鍛錬」本文より)
人間に一番興味ある「物」は、人間であろうし、一番激しい興味は、恋愛の情にあるだろう。恋愛は詩の基だ。「あれは」殆どすべての種類の感情感動を指す語だが、悲哀傷心は、人の最も深い感情であろう。悲しみは、行為となって拡散せず、内に向かって己をかむからである。(「好色文学」18-107)
人間は動物である、しかし考える葦である。人は、人への興味が、社会を作り、恋愛、家庭、親族、地域、逆に対立、争い、紛争、戦争等々、人の生業は、明暗あるものです。
今日は、二つの子育ての集まりに参加しました。一つは、高校の娘の広報委員会(高校新聞作り)と、地元中学校のサッカー保護者会です。
高校広報委員会のメンバーで、かつて、小中学校時代にPTA会長、副会長の仲間がいて、昨年までの「新聞コンクール」を目指す新聞でなく、子供が主役の新聞を作ろうと、前回会議で決まり、第2回会議は、紙面構成、記事役割、写真担当等々、ドンドン決まり、あっと言う間に終わりました。次回は、原稿と写真を重ねる仕事、小中学校で、広報委員をした人、子供が主役の新聞作りに、元気が出ました。
人間力を感じた、高校PTA広報委員会でした。
次は、小学校2校が進学する中学校のサッカー部の中体連直前合宿へ向けた、保護者会への参加でした。
私は、キッズサッカーに関わって11年、中学校の保護者の殆どが、キッズサッカーの時に顔を合わせて人ばかりで、今回の参加は、キッズ(5~9才)、小学校、中学校、高校生、社会人サッカーの関係者が、年に一回の顔合わせをする交流会を、少年サッカーの育成につなげようと4年前に、始まった指導者交流会を、発展させサッカー少年の成長を見守る地域の応援団をつろうと言うことで、子供の卒業した中学校の保護者会へ、趣旨を説明しに出かけました。
結果は、全員了解で、中学校最後の大会を、キッズサッカーが2クラブ、小学校2校、地元中学校サッカー部OB、社会人チーム関係者、中学校でサッカーを指導した先生方まで含め、地域応援団を結成し、中学最後の大会をみんなで見届けようと言う趣旨で、今日の会議は一致しました。
小林秀雄氏の一説は、恋愛、悲哀でしたが、少年サッカーに関わり、それを支える保護者、指導者、OB、社会人チーム等、人への興味は、恋愛だけでなく、子供を育てる思い(興味)には、力があると感じます。
「人間に一番興味ある『物』は、人間であろう」
上記の言葉から、次世代を作り少年の育成こそが、私たちに課せられた本当の仕事のように思います。
今日の日記にご意見、ご批判を頂けば幸いです。
<以前の日記>
・林家の善事を好む老母の事例(開運は善行にあり)
2008年05月25日
(開運は善行にあり) 林家の善事を好む老母の事例
林家の善事を好む老母の事例(開運は善行にあり)
「林の老母の事例」(『開運のすすめ』開運は善行にあり)
(現代語訳)
甫田の林氏は、その先祖に善事を好む老母があった。この老母は、日ごろ団子を作って人に施し、もらいに来る人には、すぐにこれを与え少しもいやがる様子がなかった。このことを知った一人の仙人が、老母の行為がその誠心から出たものかどうかをためそうとして、一人の道士に姿を変えて、毎朝行って六つも七つも団子を求めて食べた。老母は、毎日毎日団子を与え、三年たってもなおはじめに行った時と同じようにいやがることなく施し与えた。そこで老母がほんとうに誠心から施しをしていることを知った。
そこで仙人は老母につげて、
「わたしはお前さんの施しをしてた団子を三年食べたが、お前さんの好意は何をもって報いたらよいであろうか。役所の裏に土地があるが、お前さんがもし死んだなら、そこに葬ってもらいなさい。そうしたならお前さんの子孫で高い位につくものは麻の実の一升の数ほどにもなるであろう。」
そこで老母の死後、子は教えられたところに老母を葬ったところ、道士の言葉どおり一代に九人もの進士の試験に及第した者があった。
そののち代々高位に昇る者非常に多く、福建の民謡に「林氏の家で及第しないものはない」とうたわれるようになった。
(読 訳)
善行とは利害を意識せず、真心から行われねばならない。善行に大きさも、小ささもない。その人の身の丈の善行でよいのだ。ただ、大事なのは無償の行為であることだ。
現代において、まさに、真のボランティアとは何かと問うときに、このことに我々は思い至るであろう。
親の七光りとか、縁故のひっぱりこっぱりは、よく目にすることである。だが、能力が勝る人たちが多くいる中で、なんら関係も、利害もない人の声がかりで、得難い役割や地位につくことも、この世ではまた、よく目にすることである。これなどは、善行を好んだご先祖の恩恵と考える外ないではないか。どうであろう。
(感 想)
最近読んだ、新渡戸稲造氏の「自警録」なる本は、見返りを求めず、地位を求めず、ただひたすらに、庶民、特に貧しい人々のため、青少年のために、侵食を忘れ、奔走された人生を感じます。
この人々を思いやる心こそが、ボランティア精神(誠心)の本と思います。昨日の『孝経』の言葉と同様に、両親、親族、地域に感謝する心から、すべてが始まったいるのに、自分が成長するにつれ、その本を忘れ、先へ、先へ、上へ、上へと、人の欲は計り知れないものがあります。
『荀子』を解説したものに、「自分の欲と、社会の欲を限りなく近づける」と言う一説がありました。林家の老母のように、自分のことより、周りにことを思い、ただひたすらに団子を作り、施したその行為こそが、とても意味があると思います。
<関連コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
「林の老母の事例」(『開運のすすめ』開運は善行にあり)
(現代語訳)
甫田の林氏は、その先祖に善事を好む老母があった。この老母は、日ごろ団子を作って人に施し、もらいに来る人には、すぐにこれを与え少しもいやがる様子がなかった。このことを知った一人の仙人が、老母の行為がその誠心から出たものかどうかをためそうとして、一人の道士に姿を変えて、毎朝行って六つも七つも団子を求めて食べた。老母は、毎日毎日団子を与え、三年たってもなおはじめに行った時と同じようにいやがることなく施し与えた。そこで老母がほんとうに誠心から施しをしていることを知った。
そこで仙人は老母につげて、
「わたしはお前さんの施しをしてた団子を三年食べたが、お前さんの好意は何をもって報いたらよいであろうか。役所の裏に土地があるが、お前さんがもし死んだなら、そこに葬ってもらいなさい。そうしたならお前さんの子孫で高い位につくものは麻の実の一升の数ほどにもなるであろう。」
そこで老母の死後、子は教えられたところに老母を葬ったところ、道士の言葉どおり一代に九人もの進士の試験に及第した者があった。
そののち代々高位に昇る者非常に多く、福建の民謡に「林氏の家で及第しないものはない」とうたわれるようになった。
(読 訳)
善行とは利害を意識せず、真心から行われねばならない。善行に大きさも、小ささもない。その人の身の丈の善行でよいのだ。ただ、大事なのは無償の行為であることだ。
現代において、まさに、真のボランティアとは何かと問うときに、このことに我々は思い至るであろう。
親の七光りとか、縁故のひっぱりこっぱりは、よく目にすることである。だが、能力が勝る人たちが多くいる中で、なんら関係も、利害もない人の声がかりで、得難い役割や地位につくことも、この世ではまた、よく目にすることである。これなどは、善行を好んだご先祖の恩恵と考える外ないではないか。どうであろう。
(感 想)
最近読んだ、新渡戸稲造氏の「自警録」なる本は、見返りを求めず、地位を求めず、ただひたすらに、庶民、特に貧しい人々のため、青少年のために、侵食を忘れ、奔走された人生を感じます。
この人々を思いやる心こそが、ボランティア精神(誠心)の本と思います。昨日の『孝経』の言葉と同様に、両親、親族、地域に感謝する心から、すべてが始まったいるのに、自分が成長するにつれ、その本を忘れ、先へ、先へ、上へ、上へと、人の欲は計り知れないものがあります。
『荀子』を解説したものに、「自分の欲と、社会の欲を限りなく近づける」と言う一説がありました。林家の老母のように、自分のことより、周りにことを思い、ただひたすらに団子を作り、施したその行為こそが、とても意味があると思います。
<関連コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
2008年05月25日
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
『孝行』は、人生の心掛けの中心。(『孝経』より)
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
今、地元の「宇土親子論語教室」では、6月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。
これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。6月21日(土)午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。
『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から2回に分けてご紹介します。
『孝経』(こうきょう)
(本 文)
カイソウメイギ
開宗明義 章 第一
チュウジ
仲 尼 居し、曾子 侍せり。
子 曰 わく、先王 至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。
民 用って和睦し、上下怨むこと無し。汝 之 を知るか。
曾子 席を避けて曰く、 参 不敏なり。
何ぞ以って之を知るに 足らん。
子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。
教えの由りて生ずる所なり。
カエ 復り座せよ。 吾 汝に語らん。
シンタイハップ
身體髪膚、之を父母に受く。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、
以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。
夫れ孝は、親に事うるに始まり、
君に事うるに中し、身を立つるに終わる。
大雅に云わく
ナンジ
爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。
(解 説)
老先生(孔子)がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。
老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」
曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。
老先生はおっしゃられた。「孝は人の道(ありかた)の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。
人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。
このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。
さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。
『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。
(感 想)
まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。
多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。
~教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う~
・<体罰>「うそつき」の張り紙、児童の体に 北海道・釧路
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=497539(毎日新聞)
教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」
として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。
2008年05月24日
幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋(ネットワーク)の達人なり
幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋(ネットワーク)の達人なり
生きるための学問を、命かけて実践して示した人が、坂本龍馬だったように思います。
龍馬は、論語の中で出てくる、中庸と斡旋(人の世話、仲介)の実践者だったと思います。
さて、私と坂本竜馬との出会いは、20代で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が始まりと思います。それと海音寺潮五郎氏「幕末動乱の男たち」を読んで以来、数年間は建築の勉強で時間が空き、33歳の時に、横井小楠先哲と松前重義先生の理念を学ぶ「くまもと地球市民塾」の参加したことで、幕末のことを勉強する事になりました。
横井小楠は、幕末の熊本で、政治思想家として活躍した方で、福井藩の財政再建、行政改革を指導し、徳川幕府の幕閣でもあった福井藩主の第16代松平春嶽の政治顧問として、様々な改革提言を行って、維新後には、新政府の閣僚に一人として就任しますが、明治2年刺客に襲われ、命を落とします。
この横井小楠を、坂本竜馬の師である勝海舟が、「氷川清話」の中で、世に恐ろしき者が二人居る、西郷隆盛と横井小楠。もし、小楠先生の理想を、西郷が実行すれば大変なことになる趣旨の言葉で書かれています。
熊本に、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、松平春嶽、と明治の熊本の改革新政権の細川氏5人を顕彰する「横井小楠と維新群像」の銅像が建っています。坂本竜馬は、横井小楠に5度会ったといわれていますが、その対談ごとに成長して行ったことが良く分かります。 始めは、勝海舟の用事の代理として、横井小楠の私塾「四時軒」をたずねます。当時の様子を政治評論家の内田健三氏から、小楠の最後の内弟子だった内田氏の祖父内藤泰吉氏が語った話を、聞く機会がありました。
「龍馬が訪ねて来て、議論始まった。控えの間で、お茶を出す用意と、小楠にもし切りつけることがあればと刀を抜く準備をして待った。話を様子が、だんだん小楠先生の理論を聞く雰囲気になり、茶を持って襖を開けた。」
当時、やっと江戸の勝海舟に弟子入りし、国や世界の在り様を勉強中だった竜馬は、小楠の改革論に聞き入ったのが良く理解できます。
そして次は、小楠が福井に居た時、再度訪ねます。そのころは、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允等々との交流もあり、日本状況を掴み、持論も含め小楠とやり取りをしたそうです。まだまだ、小楠の政治理論に学ぶところが多く、師の一人として見ていたようです。
最後に、勝海舟と一緒に長崎から帰る時、熊本へ寄り、海舟の変わりに支援物を届けたときには、薩長連合が出来上がる直前だった時期ですが、当時の小楠の構想は、小楠に縁のある藩の連合で倒幕だったようですが、既に龍馬の構想は、元は敵だった薩摩と長州をくっつける構想を持っていたようで、小楠との別れ際に「我々が実行することを、先生は高みから、見物していてください」の意味の言葉を語ったとあります。その後、龍馬は、薩長連合を組み立て、倒幕のため京都へ向わせます。
しかし、当の竜馬自身は、もっと違う世界を見ていたように思います。竜馬を顕彰する時に良く出てくる『世界の海援隊になる』という発想に表れていたように思います。
東アジアへの西洋列強の進出と植民地化、世界貿易を円滑にするために、働く応援団、その後を継いだ三菱の創始者の岩崎弥太郎の行動が、それに近いのかなと思います。岩崎氏は、「海援隊→亀山社中」に所属していたことは良く知られていますが、国と国をつなぐ仕事が「世界の海援隊」と私は、勝手に想像しています。
奇しくも、龍馬は、狂剣に命を取られますが、その精神は今での多くの人々の心を捉えています。その生涯を見て、私の考える龍馬は、脱藩後にやった大きな仕事は、人と人をつなぐ仕事を積み重ねが、明治維新の場で、大きな功績につながったと思います。
確かに、「船中八策」は有名ですが、小楠の弟子だった福井藩の由利公正も同じ理論を持っていたと歴史書で読みました。福井に行って、小楠との意見交換時に、勉強熱心だった由利が、同席しないことはなかったとは思えません。龍馬は、人と会い、学び、成長し、更に、人物を求めて行く中で、日本の未来(ビジョン)を勝海舟と画いたではないかと考えます。
坂本龍馬は、誕生日と亡くなって日が同じとドラマチックなのですが、天が幕末・維新、活躍する人々をつなぎ、協力させるために使わした志士の一人だったと思います。
龍馬の一生は、人と人をつなぐ仕事「斡旋」を、幕末やり続けたことではないかと思います。その目的は、自分が維新後の閣僚になるとかではなく、世界貿易をするには、日本が変わらねば自分の夢が叶わない、今は、この幕府を倒し、新しい日本を作る必要があることを認識して、最良の方策「大政奉還」と言う発想を生み出したと思います。
そんな思いから、坂本龍馬は、「斡旋の達人」だったと思っています。
私欲を捨て、公にために働いた方は、この龍馬と、明治・大正期に活躍した新渡戸稲造氏ではないかと思います。新渡戸氏は世界平和のために、龍馬は新日本のために賢明に働いた偉人と思っています。
不知火龍馬会 会長 野口修一
<コミュ>
・不知火龍馬会(熊本)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=773071
すみません、コモンズ・くまもと、にも同じ内容のものを載せました、ご容赦下さい。
生きるための学問を、命かけて実践して示した人が、坂本龍馬だったように思います。
龍馬は、論語の中で出てくる、中庸と斡旋(人の世話、仲介)の実践者だったと思います。
さて、私と坂本竜馬との出会いは、20代で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が始まりと思います。それと海音寺潮五郎氏「幕末動乱の男たち」を読んで以来、数年間は建築の勉強で時間が空き、33歳の時に、横井小楠先哲と松前重義先生の理念を学ぶ「くまもと地球市民塾」の参加したことで、幕末のことを勉強する事になりました。
横井小楠は、幕末の熊本で、政治思想家として活躍した方で、福井藩の財政再建、行政改革を指導し、徳川幕府の幕閣でもあった福井藩主の第16代松平春嶽の政治顧問として、様々な改革提言を行って、維新後には、新政府の閣僚に一人として就任しますが、明治2年刺客に襲われ、命を落とします。
この横井小楠を、坂本竜馬の師である勝海舟が、「氷川清話」の中で、世に恐ろしき者が二人居る、西郷隆盛と横井小楠。もし、小楠先生の理想を、西郷が実行すれば大変なことになる趣旨の言葉で書かれています。
熊本に、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、松平春嶽、と明治の熊本の改革新政権の細川氏5人を顕彰する「横井小楠と維新群像」の銅像が建っています。坂本竜馬は、横井小楠に5度会ったといわれていますが、その対談ごとに成長して行ったことが良く分かります。 始めは、勝海舟の用事の代理として、横井小楠の私塾「四時軒」をたずねます。当時の様子を政治評論家の内田健三氏から、小楠の最後の内弟子だった内田氏の祖父内藤泰吉氏が語った話を、聞く機会がありました。
「龍馬が訪ねて来て、議論始まった。控えの間で、お茶を出す用意と、小楠にもし切りつけることがあればと刀を抜く準備をして待った。話を様子が、だんだん小楠先生の理論を聞く雰囲気になり、茶を持って襖を開けた。」
当時、やっと江戸の勝海舟に弟子入りし、国や世界の在り様を勉強中だった竜馬は、小楠の改革論に聞き入ったのが良く理解できます。
そして次は、小楠が福井に居た時、再度訪ねます。そのころは、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允等々との交流もあり、日本状況を掴み、持論も含め小楠とやり取りをしたそうです。まだまだ、小楠の政治理論に学ぶところが多く、師の一人として見ていたようです。
最後に、勝海舟と一緒に長崎から帰る時、熊本へ寄り、海舟の変わりに支援物を届けたときには、薩長連合が出来上がる直前だった時期ですが、当時の小楠の構想は、小楠に縁のある藩の連合で倒幕だったようですが、既に龍馬の構想は、元は敵だった薩摩と長州をくっつける構想を持っていたようで、小楠との別れ際に「我々が実行することを、先生は高みから、見物していてください」の意味の言葉を語ったとあります。その後、龍馬は、薩長連合を組み立て、倒幕のため京都へ向わせます。
しかし、当の竜馬自身は、もっと違う世界を見ていたように思います。竜馬を顕彰する時に良く出てくる『世界の海援隊になる』という発想に表れていたように思います。
東アジアへの西洋列強の進出と植民地化、世界貿易を円滑にするために、働く応援団、その後を継いだ三菱の創始者の岩崎弥太郎の行動が、それに近いのかなと思います。岩崎氏は、「海援隊→亀山社中」に所属していたことは良く知られていますが、国と国をつなぐ仕事が「世界の海援隊」と私は、勝手に想像しています。
奇しくも、龍馬は、狂剣に命を取られますが、その精神は今での多くの人々の心を捉えています。その生涯を見て、私の考える龍馬は、脱藩後にやった大きな仕事は、人と人をつなぐ仕事を積み重ねが、明治維新の場で、大きな功績につながったと思います。
確かに、「船中八策」は有名ですが、小楠の弟子だった福井藩の由利公正も同じ理論を持っていたと歴史書で読みました。福井に行って、小楠との意見交換時に、勉強熱心だった由利が、同席しないことはなかったとは思えません。龍馬は、人と会い、学び、成長し、更に、人物を求めて行く中で、日本の未来(ビジョン)を勝海舟と画いたではないかと考えます。
坂本龍馬は、誕生日と亡くなって日が同じとドラマチックなのですが、天が幕末・維新、活躍する人々をつなぎ、協力させるために使わした志士の一人だったと思います。
龍馬の一生は、人と人をつなぐ仕事「斡旋」を、幕末やり続けたことではないかと思います。その目的は、自分が維新後の閣僚になるとかではなく、世界貿易をするには、日本が変わらねば自分の夢が叶わない、今は、この幕府を倒し、新しい日本を作る必要があることを認識して、最良の方策「大政奉還」と言う発想を生み出したと思います。
そんな思いから、坂本龍馬は、「斡旋の達人」だったと思っています。
私欲を捨て、公にために働いた方は、この龍馬と、明治・大正期に活躍した新渡戸稲造氏ではないかと思います。新渡戸氏は世界平和のために、龍馬は新日本のために賢明に働いた偉人と思っています。
不知火龍馬会 会長 野口修一
<コミュ>
・不知火龍馬会(熊本)
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すみません、コモンズ・くまもと、にも同じ内容のものを載せました、ご容赦下さい。
2008年05月24日
分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ(菜根譚)
分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ(菜根譚)
成功の陰には、けっこう幸運があると言われますが、昔の人も幸運を願っていたと思いますが、それに対しての訓示を紹介します。
(本文)
分に過ぎた幸運は、理由のない授かりものは、神様の誘いの餅か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。
(解説)
よくよくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうかも無視できない要素である。 しかし、幸運はあくまでも幸運にすぎない。今度恵まれるたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩重ねて行く以外になにのである。
(感想)
「棚から牡丹餅」と言う言葉があるように、みんなが幸運を呼び込みたいと思ってます。
昨日、女子バレー日本代表は、みごとな試合をして、オリンピックの切符を手にしました。その監督の柳本氏は、現役を辞め、ある中堅企業のバレー部の監督をすることになり、行ってみると自分の所属していてチームとは、会社の中で支援体制が全く違しました。
柳本氏は、一番最初に事務所へ行き、机の掃除、仕事の準備、早朝に会社の入り口に立ち、バレーボール部への関心を持ってもらうチラシの配布、もちろんバレー部の強化は地道に続けて、1部リーグに参入するころには、大きな応援の仲間もできていたと言います。
その成果が、日本代表監督と言う地位を射止めました。献身的な努力を必ず見ている人が居ます。そして、だんだん、応援したくなって来るのは、人間の性分なのかもしれません。
西郷隆盛も「チャンスとは、地道な努力をした者にしかつかめない」と語っています。 急成長には、無理が生じてきます。ライブドアの堀江氏もその一人と思います。
女子バレー日本代表は、まだ予選が続きます。浮き足立たず、気を引き締めて、予選を全勝で、北京へ乗り込んで行って欲しいなと思いいます。
「分に過ぎた幸運は人生の落とし穴」有頂天こそが、自分が試される時と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より
成功の陰には、けっこう幸運があると言われますが、昔の人も幸運を願っていたと思いますが、それに対しての訓示を紹介します。
(本文)
分に過ぎた幸運は、理由のない授かりものは、神様の誘いの餅か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。
(解説)
よくよくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうかも無視できない要素である。 しかし、幸運はあくまでも幸運にすぎない。今度恵まれるたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩重ねて行く以外になにのである。
(感想)
「棚から牡丹餅」と言う言葉があるように、みんなが幸運を呼び込みたいと思ってます。
昨日、女子バレー日本代表は、みごとな試合をして、オリンピックの切符を手にしました。その監督の柳本氏は、現役を辞め、ある中堅企業のバレー部の監督をすることになり、行ってみると自分の所属していてチームとは、会社の中で支援体制が全く違しました。
柳本氏は、一番最初に事務所へ行き、机の掃除、仕事の準備、早朝に会社の入り口に立ち、バレーボール部への関心を持ってもらうチラシの配布、もちろんバレー部の強化は地道に続けて、1部リーグに参入するころには、大きな応援の仲間もできていたと言います。
その成果が、日本代表監督と言う地位を射止めました。献身的な努力を必ず見ている人が居ます。そして、だんだん、応援したくなって来るのは、人間の性分なのかもしれません。
西郷隆盛も「チャンスとは、地道な努力をした者にしかつかめない」と語っています。 急成長には、無理が生じてきます。ライブドアの堀江氏もその一人と思います。
女子バレー日本代表は、まだ予選が続きます。浮き足立たず、気を引き締めて、予選を全勝で、北京へ乗り込んで行って欲しいなと思いいます。
「分に過ぎた幸運は人生の落とし穴」有頂天こそが、自分が試される時と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より
2008年05月20日
敬を以って動静を貫く~四耐四不の語~(曽国藩)
敬を以って動静を貫く~四耐四不の語~
~四耐四不の語~(曽国藩)
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、繰がず、競わず、随わず以って大事を成すべし」
・敬を以って動静を貫く
静を好んで動を嫌う者、これを臆病者、ものぐさ者といい、動を好んで静を嫌う者、これを慌て者、落ち着きのないものという。慌て者は物事を鎮静することができないし、臆病者は物事を成し遂げることができない。ただ、慎み深く、動にも静にも偏ることなく、慌てず、怖気づかない者にして初めて物事を鎮め、成就することができるのである。(佐藤一斎「言志四録」より)
~四耐四不の語~(曽国藩)
「冷えに耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、繰がず、競わず、随わず以って大事を成すべし」
・敬を以って動静を貫く
静を好んで動を嫌う者、これを臆病者、ものぐさ者といい、動を好んで静を嫌う者、これを慌て者、落ち着きのないものという。慌て者は物事を鎮静することができないし、臆病者は物事を成し遂げることができない。ただ、慎み深く、動にも静にも偏ることなく、慌てず、怖気づかない者にして初めて物事を鎮め、成就することができるのである。(佐藤一斎「言志四録」より)
2008年05月19日
(心の持ち方)人生の勝利者とは・・
(心の持ち方)人生の勝利者とは・・〔新渡戸稲造著「自警録」より〕
新渡戸稲造氏の人生訓とも言える「自警録~心のもちかた~」を少しづつ読んでいて、うなずくものがありました。ご紹介します。
(本文より)
(中略)・・野蛮の社会においては腕力ある者が最強者で、最大勝利者で、人の尊敬し自己もまた得意であった。社会が一定の秩序の下に治められ、腕力のみをもって優劣を定めることを止めて以来、理屈の最も分かるものが社会で勝利を得ることになった。すなわち法治国家においては法を破らぬ範囲内において、自己の利益を最もよく図るものが勝利者となるに至った。しかるに社会がさらに進歩して礼をもって治められる時代に到達したならが、礼に最も暑き人が最高の勝利者となる。(中略)
・・してあらゆる種類の敵に勝つ者は一番偉い勝者である。時は敵とは称せずとも、吾人の勝つべき相手もある。それは親兄弟、妻子、朋友のごときはもちろん敵ではないが、彼らが我々の心に服さぬことがあれば、その不服の範囲において敵のごときものである。ゆえに広い意味において親兄弟にも勝たねばならぬ。楠正成の歌〔伝〕に、
「我にかちみかたに勝ちて的にかつこれを武将の三勝といふ」とある(中略)
その時々の勝者とは、移り変わりがあり、思想も刻々変化しているものです。20年前に、インターネット、携帯電話の現在の普及は想像できないものがありました。
それとどの時点を勝利点と見なすかで、勝敗も分かれると思います。そして、それぞれの心の有り様、勝負の目的によっても立場(結果)の見方も違ってきます。
中国故事に、後の英雄の韓信(かんしん)を侮り、股間を匍伏せしめた少年は、その時は勝者でした。、ちまた(市)の人は韓信が負けたことを笑いました。しかし今日は、当時勝ったという少年の名は知るものは居らず、韓信の名を知らぬものは居ない。
「負けて勝つ知恵の力の強さにはたれも感心するぞ韓信」
(本文より)
(中略)・・さらに一歩を進めて、服従させるとは何のためと問わば、これ自己の意志を行うためと答えてよかろう。しからば勝つとは吾が意を遂げるなりと定義したい。(中略)
勝敗の理解は、関わるそれぞれの人の心が決める事で、周りがとやかく言おうと、自分自身の目的を高く持ち、争うにしろ、競うにしろ、納得するのは自分自身の心が決めるしかないと、新渡戸稲造氏の言葉も語っています。
それともう一つは、自分の標準点を高く設定し、正攻法で実現へ向けて努力を怠らないことも大事と示唆が書かれていました。最後は、結果をどう受け入れるかにかかっているように思います。
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録~心のもちかた~」
(開運のすすめ)積善の家には、必ず余慶あり
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=811015836&owner_id=2182841
新渡戸稲造氏の人生訓とも言える「自警録~心のもちかた~」を少しづつ読んでいて、うなずくものがありました。ご紹介します。
(本文より)
(中略)・・野蛮の社会においては腕力ある者が最強者で、最大勝利者で、人の尊敬し自己もまた得意であった。社会が一定の秩序の下に治められ、腕力のみをもって優劣を定めることを止めて以来、理屈の最も分かるものが社会で勝利を得ることになった。すなわち法治国家においては法を破らぬ範囲内において、自己の利益を最もよく図るものが勝利者となるに至った。しかるに社会がさらに進歩して礼をもって治められる時代に到達したならが、礼に最も暑き人が最高の勝利者となる。(中略)
・・してあらゆる種類の敵に勝つ者は一番偉い勝者である。時は敵とは称せずとも、吾人の勝つべき相手もある。それは親兄弟、妻子、朋友のごときはもちろん敵ではないが、彼らが我々の心に服さぬことがあれば、その不服の範囲において敵のごときものである。ゆえに広い意味において親兄弟にも勝たねばならぬ。楠正成の歌〔伝〕に、
「我にかちみかたに勝ちて的にかつこれを武将の三勝といふ」とある(中略)
その時々の勝者とは、移り変わりがあり、思想も刻々変化しているものです。20年前に、インターネット、携帯電話の現在の普及は想像できないものがありました。
それとどの時点を勝利点と見なすかで、勝敗も分かれると思います。そして、それぞれの心の有り様、勝負の目的によっても立場(結果)の見方も違ってきます。
中国故事に、後の英雄の韓信(かんしん)を侮り、股間を匍伏せしめた少年は、その時は勝者でした。、ちまた(市)の人は韓信が負けたことを笑いました。しかし今日は、当時勝ったという少年の名は知るものは居らず、韓信の名を知らぬものは居ない。
「負けて勝つ知恵の力の強さにはたれも感心するぞ韓信」
(本文より)
(中略)・・さらに一歩を進めて、服従させるとは何のためと問わば、これ自己の意志を行うためと答えてよかろう。しからば勝つとは吾が意を遂げるなりと定義したい。(中略)
勝敗の理解は、関わるそれぞれの人の心が決める事で、周りがとやかく言おうと、自分自身の目的を高く持ち、争うにしろ、競うにしろ、納得するのは自分自身の心が決めるしかないと、新渡戸稲造氏の言葉も語っています。
それともう一つは、自分の標準点を高く設定し、正攻法で実現へ向けて努力を怠らないことも大事と示唆が書かれていました。最後は、結果をどう受け入れるかにかかっているように思います。
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録~心のもちかた~」
(開運のすすめ)積善の家には、必ず余慶あり
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=811015836&owner_id=2182841
2008年05月19日
積善の家には、必ず余慶あり(開運のすすめ)
積善の家には、必ず余慶あり(開運のすすめ)
毎週月曜日、永淵道彦氏の「開運のすすめ」より、ご紹介します。
(現代語訳)
「易経」に「積善の家には、必ず余慶あり」といっているが、顔氏の例を考えてみると、まさにその通りである。
むかし顔氏がその女(娘)を叔梁紇(しゅくりょうこつ、孔子の父)に嫁がせようとして娘たちに、叔梁紇の家は先祖から長く徳を積んできたことをいろいろと説明し、このような家には、その子孫に必ず立派な人物が出て家を興すものがあることを前もって知ったということであるが、このことがけっしていいかげんな話ではない。孔子は舜が大孝であったことをほめたたえて、「舜の祖先の神霊はその祭を饗(う)け、また舜の子孫は長くその福を保った」といっているが、まことに至論である。試みに、左にこれまで見聞したところをもって証拠だてよう。
(解 説)
善行を積む家には必ず、子々孫々に至るまでその恩恵があるという考えを笑えるであろうか。個々人の短い単位という物差しでなく、先祖代々から子々孫々までと長い物差しで考えてみよう。けっして笑うこともできなければ、否定をできないであろう。
だが、個々人を単位にものを考える現代社会を否定するものではない。これはこれとして、このような考え方、ものの見方を、現代社会においても、忘れずに大事にしなければならないのではないか。自分自信のことのみ汲々とせず、もっと、このような考え方、ものの見方を心に置いて、善行なるものを積み重ねることが大切なのではないか。
男女共生、自然との共生というように、共生という言葉が人の口にのぼる現今であるが、何も横の関係だけでなく、縦の関係としての共生もあるのである。我々が今このように生活できているのは何によるお蔭であるのかと。
また、大きく、人類が地球上にこのように存在できているのは何かのお蔭なのかと。
(感 想)
「親の子だね」、「子を見れば親が判る」これは、良い表現の批評ではないですが、ちまたのことばでありますが、大切な教えと思います。
最近の言葉で、「DNA」というものがありますが、科学的な分析でなく、精神的な伝承(伝統)は、日常の大人たちの行いで、子供たちへ伝わって行くように思います。
舜の孝行の行い、周りへの配慮も含め、先人たちの教えは今の世の中でも充分すぎるほど大切な教えと思います。
*開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
毎週月曜日、永淵道彦氏の「開運のすすめ」より、ご紹介します。
(現代語訳)
「易経」に「積善の家には、必ず余慶あり」といっているが、顔氏の例を考えてみると、まさにその通りである。
むかし顔氏がその女(娘)を叔梁紇(しゅくりょうこつ、孔子の父)に嫁がせようとして娘たちに、叔梁紇の家は先祖から長く徳を積んできたことをいろいろと説明し、このような家には、その子孫に必ず立派な人物が出て家を興すものがあることを前もって知ったということであるが、このことがけっしていいかげんな話ではない。孔子は舜が大孝であったことをほめたたえて、「舜の祖先の神霊はその祭を饗(う)け、また舜の子孫は長くその福を保った」といっているが、まことに至論である。試みに、左にこれまで見聞したところをもって証拠だてよう。
(解 説)
善行を積む家には必ず、子々孫々に至るまでその恩恵があるという考えを笑えるであろうか。個々人の短い単位という物差しでなく、先祖代々から子々孫々までと長い物差しで考えてみよう。けっして笑うこともできなければ、否定をできないであろう。
だが、個々人を単位にものを考える現代社会を否定するものではない。これはこれとして、このような考え方、ものの見方を、現代社会においても、忘れずに大事にしなければならないのではないか。自分自信のことのみ汲々とせず、もっと、このような考え方、ものの見方を心に置いて、善行なるものを積み重ねることが大切なのではないか。
男女共生、自然との共生というように、共生という言葉が人の口にのぼる現今であるが、何も横の関係だけでなく、縦の関係としての共生もあるのである。我々が今このように生活できているのは何によるお蔭であるのかと。
また、大きく、人類が地球上にこのように存在できているのは何かのお蔭なのかと。
(感 想)
「親の子だね」、「子を見れば親が判る」これは、良い表現の批評ではないですが、ちまたのことばでありますが、大切な教えと思います。
最近の言葉で、「DNA」というものがありますが、科学的な分析でなく、精神的な伝承(伝統)は、日常の大人たちの行いで、子供たちへ伝わって行くように思います。
舜の孝行の行い、周りへの配慮も含め、先人たちの教えは今の世の中でも充分すぎるほど大切な教えと思います。
*開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
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2008年05月18日
(自信とは)全て経験、怖気づかず、前に進む
(自信とは)全て経験、怖気づかず、前に進む
色々な処へいくと、色々な人達に会えるのが楽しみです。そこで気付いたこと、知らないことを、少し学び続けているうちに、今に至りました。私のエネルギーは、人への興味なのかもしれません。
私は、普段、2~3冊の本を持ち歩き、気分で取り替えながら読むのですが、車の運転中に信号待ちで読む、数行の言葉。新しい本は、あまりなく数年前に出た文庫本が中心で、小さなバックに入れて、時間ができると引っぱり出して読む、ちょっと読み型です。しかし、それでも年間にすると冊数は、増えるもので、年間40冊を越えるペースになります。
今読んでいる中に、新渡戸稲造氏の人生訓を表した「自警録~こころの持ち方~」を、暇を見つけては読んでいます。数日空くときは、再度数ページ前から読み返すことが必要ですが、自分の年にちょうど良い指摘がたくさん掲載されています。
その一節に、次の文章がありました。
(本文より)
(中略)・・たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論をしたある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり胡坐をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼がひとりで暫時議論した後、僕にむかい、
「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」
と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学生を巡回し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、
「行儀を正すことが目下の一大急務なり」
というや。今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服でおおわんとしたり、あるいは胡坐をかいた足を幾分むすび直し、正座の姿に移らんとした。(中略)
ゆえに一言でも話頭(はなし)が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしく剛胆なる青年と思われたものが、みすぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。(中略)
「怖気づく」と言う言葉がありますが、この一説はのその「怖気」の意味を説明した一文ですが、今、どこでも見れそうな風景と思います。
人それぞれ、人に負けない知識、思い(目標)があると思います。初対面、あるいは会議の場で、われ先にと意見を出し、巻くし立てる人がいて、議論が終わったころ、おもむろに先輩から「○○について、矛盾があるが、詳しく説明を願いたい・・・」の問いが、想像を超えたものであれば、返答につまり意気消沈する場面があると思います。
公に、持論を発表するときは、前準備をしっかりして、先輩方の意見を入れつつ、新しい仕組みの議論をする必要性を学びます。
その経験の積み重ねしか、自信を持つ、怖気づかない気持ちを育てることを、新渡戸稲造氏も色々な経験をしつつ、国際連盟に指導者の一人に成長されたのだと思います。
何事もうまく行かないことを「失敗」と思わず、全て「経験」として、積み上げて行く事が大事なように最近感じています。
なにか、ご意見頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(隠せない現実)サイクロン死者・不明13万人…国営テレビ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808923408&owner_id=2182841
・(夏の兆し)我が家の周りをホタルが飛び始めました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=809342597&owner_id=2182841
・人は、追い付けないもう一人の人間を追う
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808539186&owner_id=2182841
色々な処へいくと、色々な人達に会えるのが楽しみです。そこで気付いたこと、知らないことを、少し学び続けているうちに、今に至りました。私のエネルギーは、人への興味なのかもしれません。
私は、普段、2~3冊の本を持ち歩き、気分で取り替えながら読むのですが、車の運転中に信号待ちで読む、数行の言葉。新しい本は、あまりなく数年前に出た文庫本が中心で、小さなバックに入れて、時間ができると引っぱり出して読む、ちょっと読み型です。しかし、それでも年間にすると冊数は、増えるもので、年間40冊を越えるペースになります。
今読んでいる中に、新渡戸稲造氏の人生訓を表した「自警録~こころの持ち方~」を、暇を見つけては読んでいます。数日空くときは、再度数ページ前から読み返すことが必要ですが、自分の年にちょうど良い指摘がたくさん掲載されています。
その一節に、次の文章がありました。
(本文より)
(中略)・・たとえば前年僕を訪ねて、なかなか元気よく議論をしたある青年があった。その挙動を見るとすこぶる傍若無人で、室に入るや否やいきなり胡坐をかき、口角に泡を飛ばして盛んに議論する。僕はこれを見てなるほど彼は勇気精力に富むと感心した。彼がひとりで暫時議論した後、僕にむかい、
「今日の日本の青年に対し最も注意すべきものは何か」
と質問を発した。僕はあながち彼に対してあてつけ、皮肉をいうつもりはなかったが、あたかもそのころある地方の中学生を巡回し、生徒の不行儀なることを、ことに痛切に感じていたから、僕は、
「行儀を正すことが目下の一大急務なり」
というや。今までの豪傑は急に狼狽しはじめた。露出した膝頭を気にして、衣服でおおわんとしたり、あるいは胡坐をかいた足を幾分むすび直し、正座の姿に移らんとした。(中略)
ゆえに一言でも話頭(はなし)が彼の弱点に渉ると、胸中幾分か狼狽するの風情が現れ、今まで頼もしく剛胆なる青年と思われたものが、みすぼらしい凡人に立ち返り、勇将が一時に敗兵となった観を呈した。(中略)
「怖気づく」と言う言葉がありますが、この一説はのその「怖気」の意味を説明した一文ですが、今、どこでも見れそうな風景と思います。
人それぞれ、人に負けない知識、思い(目標)があると思います。初対面、あるいは会議の場で、われ先にと意見を出し、巻くし立てる人がいて、議論が終わったころ、おもむろに先輩から「○○について、矛盾があるが、詳しく説明を願いたい・・・」の問いが、想像を超えたものであれば、返答につまり意気消沈する場面があると思います。
公に、持論を発表するときは、前準備をしっかりして、先輩方の意見を入れつつ、新しい仕組みの議論をする必要性を学びます。
その経験の積み重ねしか、自信を持つ、怖気づかない気持ちを育てることを、新渡戸稲造氏も色々な経験をしつつ、国際連盟に指導者の一人に成長されたのだと思います。
何事もうまく行かないことを「失敗」と思わず、全て「経験」として、積み上げて行く事が大事なように最近感じています。
なにか、ご意見頂ければ幸いです。
<以前の日記>
・(隠せない現実)サイクロン死者・不明13万人…国営テレビ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808923408&owner_id=2182841
・(夏の兆し)我が家の周りをホタルが飛び始めました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=809342597&owner_id=2182841
・人は、追い付けないもう一人の人間を追う
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=808539186&owner_id=2182841
2008年05月16日
人は、追い付けないもう一人の人間を追う
人は、追い付けないもう一人の人間を追う
坂本龍馬は、誰を求めて翔たのだろうか。
天が与えた英雄の求めた先を見たいと思います。
(本文)
「一体自分を語るのと他人を語るのと、どちらが難しい事であろうか。いずれにしても、人間は、決して追い付けないもう一人の人間を追うように見える」(「ゴッホの手紙」20-29、49才~51才)
(感想)
正に、私自身の今の年齢です。人は、誰かわかりませんが、いつも追い続けているように思います。目標が、次々に変わり、どんどん先をに行き、興味も動きます。私の周りにも、仲間たちが転々と動く人がいます。何かを求めているように見えます。
欲なのか、不足なのか、定かでありませんが、「知足」の境地を得るには、まだまだ修行が要るようです。昨日の報告ではないですが、「人生とは、ありがとうを学ぶ行程(時間)」なのかもしれません。
*小林秀雄語録集「人生の鍛錬」より
<以前の日記>
・(持続可能)サスティナビリティとは何か、理念・時間
・(報告)木内孝氏講演ツアー、NPO法人総会、PTA総会
坂本龍馬は、誰を求めて翔たのだろうか。
天が与えた英雄の求めた先を見たいと思います。
(本文)
「一体自分を語るのと他人を語るのと、どちらが難しい事であろうか。いずれにしても、人間は、決して追い付けないもう一人の人間を追うように見える」(「ゴッホの手紙」20-29、49才~51才)
(感想)
正に、私自身の今の年齢です。人は、誰かわかりませんが、いつも追い続けているように思います。目標が、次々に変わり、どんどん先をに行き、興味も動きます。私の周りにも、仲間たちが転々と動く人がいます。何かを求めているように見えます。
欲なのか、不足なのか、定かでありませんが、「知足」の境地を得るには、まだまだ修行が要るようです。昨日の報告ではないですが、「人生とは、ありがとうを学ぶ行程(時間)」なのかもしれません。
*小林秀雄語録集「人生の鍛錬」より
<以前の日記>
・(持続可能)サスティナビリティとは何か、理念・時間
・(報告)木内孝氏講演ツアー、NPO法人総会、PTA総会
2008年05月12日
勇心を発する(開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」)
勇心を発する(開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」)
一昨日は、娘の高校のPTA総会で、夜は、PTA役員歓送迎会で帰りは遅くなりました。昨日は、地元のNPO法人「宇土の文化を考える市民の会」の通常総会で、事務局の仕事をしました。
今日は、毎週月曜日に紹介している、長淵道彦先生の本「開運のすすめ」の一説をご紹介します。
勇心を発する(開運に通じる改禍三綱領)
(現代語訳)
第三には、勇猛心を奮い起こすことが必要である。
一体、人が過ちを改めないのは、その原因の多くは愚図愚図して思い切って事をなさず、しりごみしてしまうからである。だから我々は奮然として勇気を奮い起こさなければならない。そうすればこれまでのいろいろの悪事は、たとえば今日すでに死んでしまったように消え去り、今後のいろいろの善事は、たとえば今日生まれたように、生長して行くものである。もし毒蛇に指をかまれたならば、すみやかに斬り去って、少しも猶予しないように過ちを改めるべきである。急速激烈な風雷が作物に益をなす理由がこれである。
この恥心、畏心、勇心(改禍三綱領)の三心を具えていれば、過ちのあったときすぐに改めるべきである。その速かなること春の氷が日にあたればすぐに消えてしまうようなものである。どうして消えないことを心配する必要があろう。
(読 釈)
第三には勇猛心をふるい起こすことが必要である。人が過ちを改めようとしないのは厳しさをさけ、ぐずぐずと思い切りがわるいからである。勇気をふるい起こして改禍し善の道へ向かうべきである。そうすればその祈りの苦痛も後で喜びに変わる。言うやすく行なうはかたしであるが、心すべきである。
(改禍三綱領)の恥心、畏心、勇心、すなわち恥を知る。畏れの心を持つ、勇気を起こす、この三つの心を身に付けていれば、過ちもすぐ改めることができ、海運によってもたらされた福も失いこともなく、そうでない人も来福への開運ともなる。重々、胆にめいじておきたいものである。
(感 想)
改心、分かっていてもなかなか実行できない日々ですが、少しでも先人の実践を検証し、生活に活かして行きたいと思っています。
一昨日は、娘の高校のPTA総会で、夜は、PTA役員歓送迎会で帰りは遅くなりました。昨日は、地元のNPO法人「宇土の文化を考える市民の会」の通常総会で、事務局の仕事をしました。
今日は、毎週月曜日に紹介している、長淵道彦先生の本「開運のすすめ」の一説をご紹介します。
勇心を発する(開運に通じる改禍三綱領)
(現代語訳)
第三には、勇猛心を奮い起こすことが必要である。
一体、人が過ちを改めないのは、その原因の多くは愚図愚図して思い切って事をなさず、しりごみしてしまうからである。だから我々は奮然として勇気を奮い起こさなければならない。そうすればこれまでのいろいろの悪事は、たとえば今日すでに死んでしまったように消え去り、今後のいろいろの善事は、たとえば今日生まれたように、生長して行くものである。もし毒蛇に指をかまれたならば、すみやかに斬り去って、少しも猶予しないように過ちを改めるべきである。急速激烈な風雷が作物に益をなす理由がこれである。
この恥心、畏心、勇心(改禍三綱領)の三心を具えていれば、過ちのあったときすぐに改めるべきである。その速かなること春の氷が日にあたればすぐに消えてしまうようなものである。どうして消えないことを心配する必要があろう。
(読 釈)
第三には勇猛心をふるい起こすことが必要である。人が過ちを改めようとしないのは厳しさをさけ、ぐずぐずと思い切りがわるいからである。勇気をふるい起こして改禍し善の道へ向かうべきである。そうすればその祈りの苦痛も後で喜びに変わる。言うやすく行なうはかたしであるが、心すべきである。
(改禍三綱領)の恥心、畏心、勇心、すなわち恥を知る。畏れの心を持つ、勇気を起こす、この三つの心を身に付けていれば、過ちもすぐ改めることができ、海運によってもたらされた福も失いこともなく、そうでない人も来福への開運ともなる。重々、胆にめいじておきたいものである。
(感 想)
改心、分かっていてもなかなか実行できない日々ですが、少しでも先人の実践を検証し、生活に活かして行きたいと思っています。
2008年05月11日
『気が付くか 気付かぬかの勝負』(木内孝講演会)
『気が付くか 気付かぬかの勝負』(木内孝講演会)
NPO法人・フューチャー500理事長
(株)イースクエア代表取締役会長
21世紀臨調運営委員
World Wisdom Council 木内 孝
大切な祖国・日本は急速に衰えています。世界の多くの国々は未来志向の改革をドンドン進めていますが、私達の日本国はどうでしょうか。1億2千7百万国民一人一人の能力、心構え、暮らし方に問題は有りませんか。
・上に立つ人達の能力を見極める力、現実を直視する知恵が有りますか
・その力と知恵を身に付ける為の苦行・修行をしてますか
・それを可能にする圧倒的な努力をしているでしょうか
以上の社会生活の基本となる三条件から、自分自身を評価して下さい。
及第点が付かない人が多いのは、"いい加減に生きて来た”事に原因があると考えて良いと思います。
世の中の動きに関心がある人達に、"何でも質問して下さい、思っている疑問を何でもお寄せ下さい”とドイツとアメリカの若者が丸4年掛けて世界中から6万を超える質問を集めた話をご存知ですか。6万の質問を最終的に100の質問に絞り込んで世界からこれはと思う人を112名招いて1問を3分で答える大円卓会議をベルリンのフンボルト大学の前庭で開催しました。どんな質問が集まったかにご興味があると思いますので、「100の質問」と題するプリントをお配りしました。
真っ先にご報告申し上げたいのは、その100の質問に日本からの質問はゼロだったと云う事です。世界の桧舞台に登場させる質問が日本からは出なかったのは何故でしょうか。気付き、煩悶、悟りがない人からは、世界で通用する質問は生まれません。
・自分に取って損か得かが判断の基準になっている人から、利己主義が人類の失敗の原因か、と云った疑問は出て来ません。経済システムの腐敗は避けられないか、資本主義の次に何が来るか、を考えた事も無いでしょう。
・女性が何故未だに不利な立場に置かれているのか、を真剣に考え議論した事もない人に、社会の釣り合い、調和は考えられないでしょう。
・冷えたコカコーラの方が新鮮な飲み水より手に入れ易い所が世界には沢山在ります。こんな世の中を生んだ「科学者、技術者」は一体全体何をしているんでしょうか。
・時間を節約する目的の一つ一つの発明が、私達の暮らしに益々ストレスを加えているとお考えになりませんか。何故でしょうか。
・自分に勇気があるか。21世紀になった今日、「勇気」とは何でしょうか。
・希望する「未来」がハッキリしていますか。
後は、講演をお聞き下さい。
5月12日19時~ 講演会+異業種交流会「四季の会」
会場 全日空ホテル・ニュースカイ25階展望レストラン
参加費 6,000円(講演のみ1,000円)
5月13日19時~ 講演会(講話、討論)+交流会(茶話会)
会場 立山ギャラリー(人吉市上青井町)
参加費 1,000円
5月14日16時~ 講演会
会場 ホワイト・パレス(宇城市松橋町)
参加費 無料(事前申込み必要)
問い合わせ先 環境共生施設研究所 理事長 野口修一
Email : aande@lime.ocn.ne.jp
セミナーは、当日でも参加できます。交流会まで参加の方は、前日夕方までに、野口までご連絡下さい。
目から鱗が落ちる講演をぜひお聞き頂ければ幸いです。
ただ、予定人数まで残り少なくなりました。参加予定の方は、早めに連絡をお願します。
NPO法人フューチャー500 くまもと支部 野口修一
NPO法人・フューチャー500理事長
(株)イースクエア代表取締役会長
21世紀臨調運営委員
World Wisdom Council 木内 孝
大切な祖国・日本は急速に衰えています。世界の多くの国々は未来志向の改革をドンドン進めていますが、私達の日本国はどうでしょうか。1億2千7百万国民一人一人の能力、心構え、暮らし方に問題は有りませんか。
・上に立つ人達の能力を見極める力、現実を直視する知恵が有りますか
・その力と知恵を身に付ける為の苦行・修行をしてますか
・それを可能にする圧倒的な努力をしているでしょうか
以上の社会生活の基本となる三条件から、自分自身を評価して下さい。
及第点が付かない人が多いのは、"いい加減に生きて来た”事に原因があると考えて良いと思います。
世の中の動きに関心がある人達に、"何でも質問して下さい、思っている疑問を何でもお寄せ下さい”とドイツとアメリカの若者が丸4年掛けて世界中から6万を超える質問を集めた話をご存知ですか。6万の質問を最終的に100の質問に絞り込んで世界からこれはと思う人を112名招いて1問を3分で答える大円卓会議をベルリンのフンボルト大学の前庭で開催しました。どんな質問が集まったかにご興味があると思いますので、「100の質問」と題するプリントをお配りしました。
真っ先にご報告申し上げたいのは、その100の質問に日本からの質問はゼロだったと云う事です。世界の桧舞台に登場させる質問が日本からは出なかったのは何故でしょうか。気付き、煩悶、悟りがない人からは、世界で通用する質問は生まれません。
・自分に取って損か得かが判断の基準になっている人から、利己主義が人類の失敗の原因か、と云った疑問は出て来ません。経済システムの腐敗は避けられないか、資本主義の次に何が来るか、を考えた事も無いでしょう。
・女性が何故未だに不利な立場に置かれているのか、を真剣に考え議論した事もない人に、社会の釣り合い、調和は考えられないでしょう。
・冷えたコカコーラの方が新鮮な飲み水より手に入れ易い所が世界には沢山在ります。こんな世の中を生んだ「科学者、技術者」は一体全体何をしているんでしょうか。
・時間を節約する目的の一つ一つの発明が、私達の暮らしに益々ストレスを加えているとお考えになりませんか。何故でしょうか。
・自分に勇気があるか。21世紀になった今日、「勇気」とは何でしょうか。
・希望する「未来」がハッキリしていますか。
後は、講演をお聞き下さい。
5月12日19時~ 講演会+異業種交流会「四季の会」
会場 全日空ホテル・ニュースカイ25階展望レストラン
参加費 6,000円(講演のみ1,000円)
5月13日19時~ 講演会(講話、討論)+交流会(茶話会)
会場 立山ギャラリー(人吉市上青井町)
参加費 1,000円
5月14日16時~ 講演会
会場 ホワイト・パレス(宇城市松橋町)
参加費 無料(事前申込み必要)
問い合わせ先 環境共生施設研究所 理事長 野口修一
Email : aande@lime.ocn.ne.jp
セミナーは、当日でも参加できます。交流会まで参加の方は、前日夕方までに、野口までご連絡下さい。
目から鱗が落ちる講演をぜひお聞き頂ければ幸いです。
ただ、予定人数まで残り少なくなりました。参加予定の方は、早めに連絡をお願します。
NPO法人フューチャー500 くまもと支部 野口修一
2008年05月09日
(リーダーとは)政治に必要な諸条件(斉藤一斎「言志後録」)
(リーダーとは)政治に必要な諸条件(斉藤一斎「言志後録79」)
政治を執り行うにあたって知っておくべきことが五つある。
第一に、財政上の軽重を計ること。
第二に、時代の趨勢を考えること。
第三に、心広く情を厚く人に接すること。
第四に、騒乱を鎮めて人心を安定させること。
第五に、おだやかな気持ちでよく我慢すること。
以上の五つである。
そのほかに、賢人を登用し、腹に一物ある人物を遠ざけ、農業を奨励し、税金を軽くし、贅沢を禁じ、倹約を尊び、老人を大切にし、幼児をかわいがるなども、みんながよく知っているようにたいせつである。
(感想)
政治は、市民一人ひとりの思いや、あるいは社員一人ひとりの集まったものに、優先順位を付けて実行する事と先輩に聞いたことがあります。
リーダーとは、関わる人々の思いをたくさん聴き、決断(判断)して行く、孤独な仕事も思います。常に、上記のことを頭に置き、日々の言動に気を付けて行く事が大事かを教えたことばと思いました。
*参考資料:佐藤一斎「一日一言」より
政治を執り行うにあたって知っておくべきことが五つある。
第一に、財政上の軽重を計ること。
第二に、時代の趨勢を考えること。
第三に、心広く情を厚く人に接すること。
第四に、騒乱を鎮めて人心を安定させること。
第五に、おだやかな気持ちでよく我慢すること。
以上の五つである。
そのほかに、賢人を登用し、腹に一物ある人物を遠ざけ、農業を奨励し、税金を軽くし、贅沢を禁じ、倹約を尊び、老人を大切にし、幼児をかわいがるなども、みんながよく知っているようにたいせつである。
(感想)
政治は、市民一人ひとりの思いや、あるいは社員一人ひとりの集まったものに、優先順位を付けて実行する事と先輩に聞いたことがあります。
リーダーとは、関わる人々の思いをたくさん聴き、決断(判断)して行く、孤独な仕事も思います。常に、上記のことを頭に置き、日々の言動に気を付けて行く事が大事かを教えたことばと思いました。
*参考資料:佐藤一斎「一日一言」より
2008年05月06日
「全盛期には慎重に」「過ぎた幸運は落とし穴」(菜根譚より)
「全盛期には慎重に」「過ぎた幸運は落とし穴」(菜根譚より)
休日の最終日、菜根譚の教示を2つ紹介します。なにかの参考になれば幸いです。
・全盛期には慎重を期せ
元気盛んな時代に不摂生をかさねれば、年をとってから病気が出てくる。羽振りのよい時代に無理押しすれば、落ち目になってか報いをうける。
元気盛んで羽振りのよい時代こそ、いやがうえにも慎重を期さなければならない。
(解説)
この人生、後で「しまった!」と悔いることのなんと多いことか。ここで語っていることなども、その例に洩(も)れない。長い人生のなかには、一度くらいツキにも恵まれて調子の波に乗るときがやってくる。そんなとき、つい調子に乗りすぎて周りの反発をおさえる事が出来るけれども、いずれ落ち目になったとき、それが表に吹き出してきて、寄ってたかって足を引っ張られることになりかねないのである。
(感想)
常に、謙虚、倹約、勤勉をモットーに、心を沈め、慎重に行動して行くことが大切なことと思います。と思いながらも、人間は、失敗しながら成長して行くことも重要な経験とも思います。。
・分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ
分に過ぎた幸運、理由のない授かりものは、神様の誘いの餌か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。
(解説)
よくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうか無視できない要素である。
しかし、幸運はあくまでも幸運に過ぎない。今度恵まれたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩積み重ねて行く以外にないのである。
(感想)
西郷隆盛の遺訓の中に「チャンスの意味」を説いた言葉がありました。
「チャンスをつかむ」の本当の意味とは、おのれの努力の積み重ねが徐々に形となっていき、ついに機が熟して、成功のきっかけとなることを指すのです。(西郷南州翁遺訓より)
日々の努力こそが大事が重要なことを忘れ、「棚からぼた餅」の幸運だけを望んでいては、自分の成長は望めないことを指摘したことばと思います。
分を過ぎた幸運は、何かの危険信号と思い、「チャンス」と「危機」は背中合わせと心得て、慎重に行動する事が必要と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
休日の最終日、菜根譚の教示を2つ紹介します。なにかの参考になれば幸いです。
・全盛期には慎重を期せ
元気盛んな時代に不摂生をかさねれば、年をとってから病気が出てくる。羽振りのよい時代に無理押しすれば、落ち目になってか報いをうける。
元気盛んで羽振りのよい時代こそ、いやがうえにも慎重を期さなければならない。
(解説)
この人生、後で「しまった!」と悔いることのなんと多いことか。ここで語っていることなども、その例に洩(も)れない。長い人生のなかには、一度くらいツキにも恵まれて調子の波に乗るときがやってくる。そんなとき、つい調子に乗りすぎて周りの反発をおさえる事が出来るけれども、いずれ落ち目になったとき、それが表に吹き出してきて、寄ってたかって足を引っ張られることになりかねないのである。
(感想)
常に、謙虚、倹約、勤勉をモットーに、心を沈め、慎重に行動して行くことが大切なことと思います。と思いながらも、人間は、失敗しながら成長して行くことも重要な経験とも思います。。
・分に過ぎた幸運は人生の落とし穴と心得よ
分に過ぎた幸運、理由のない授かりものは、神様の誘いの餌か、あるいは、人生の落とし穴だ。よほど志を高くして対処しなければ、たちまちかれらの術中にはまってしまう。
(解説)
よくテレビドラマなどで、「幸運を祈る」ということばにぶつかることがある。たしかに、成功を手に入れるためには、幸運に恵まれるかどうか無視できない要素である。
しかし、幸運はあくまでも幸運に過ぎない。今度恵まれたからといって、次もまた恵まれるという保証はなにもないのである。成功を持続させるためには、地道な努力を一歩一歩積み重ねて行く以外にないのである。
(感想)
西郷隆盛の遺訓の中に「チャンスの意味」を説いた言葉がありました。
「チャンスをつかむ」の本当の意味とは、おのれの努力の積み重ねが徐々に形となっていき、ついに機が熟して、成功のきっかけとなることを指すのです。(西郷南州翁遺訓より)
日々の努力こそが大事が重要なことを忘れ、「棚からぼた餅」の幸運だけを望んでいては、自分の成長は望めないことを指摘したことばと思います。
分を過ぎた幸運は、何かの危険信号と思い、「チャンス」と「危機」は背中合わせと心得て、慎重に行動する事が必要と思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
2008年05月05日
畏心を発する(開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」)
畏心を発する(開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」)
毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」の紹介です。
(現代語訳)
第二は、懼(おそ)れつつしむ心を起こすべきである
天地の神は、天上からごらんになっており、鬼神を欺くこともできない。自分の過ちがどのように微細で人にわからぬようであっても、鬼神はちゃんと照覧しておられる。そして過ちの甚だしいものには、いろいろの災難をくだし、軽い場合は現在の福を減損する。してみるとわれらは、どうしてこれを懼れないわけにいこうか、懼れざるを得ない。
そればかりではない。平生何もしていない場合でも、心の底まで指し示すようにはっきりと知られている。それ故自分では、おおい隠すことが甚だ緻密であるから人にわかるまいと思い、また表面をかざってうまくやったと思っても、神は心の中までことごとく明らかにあらわしてしまい、ついに欺きとおすことはできないし、人に見破られてしまい、一文にもならない。それ故どうしてひきしまる思いをしないでいられようか。
また、そればかりではない。一息でも呼吸のある間はやはり悔い改めるべきである。古人で一生の間悪事ばかりしていたが、死ぬときなってすっかり後悔し、善心を起こして、ついに終わりを善くすることができたものがある。このことは、猛烈に励む一念があれば、百年の悪事も洗い落とすことができるということをいっている。
これを例えてみれば、千年も日の照らず暗く奥深い谷も、わずかに一点の燈火に照らされれば、千年の暗やみも除いてしまうようなものである。
だから、過ちは古いとか新しいとかを云うことなくただ改めることを貴ぶのである。しかし、この俗世間は無常であり、この肉体ははかないものである。呼吸が絶えたならば、もはや悔い改めようとしてもどうしようもなくなってしまう。この世にあっては、千年以上もこの悪名をうけ、もし孝行の子、慈愛深い孫があったとしても悪名は洗い落とすことはできない。また死後の世界では罪の報いの堕ち沈んで、その責め苦に堪えられないことになる。それをどうして懼れないでいられようか。
(読 釈)
第二は、おそれ慎む心を起こすべきである。どんなにその過ちが小さくて人にわからなくても、必ずどこかで暴露されるものである。自分は要領がよく、表面を飾ってうまくやっているつもりでも、自分自身も人も、だまし通せるものではない。
生きている限り反省し、善の心を起こし過ごすべきである。俗世間は無常であり、命には限りがある。人は棺を覆って後に価値が定まるといわれるように、死んだ後には悪名も洗い流すことができないものである。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言うではないか。
(感 想)
「一日三省す」の言葉ではないですが、常に自分の行動を謙虚に反省し、嘘偽りがないか、周りに悪影響がないか、心のわだかまりもふくめ、監視することが必要と思います。
思いで突き進んでいる時は、なかなか自分が見えなくなります。そんな時こそ「忙中に閑あり」の心のゆとりを思い起こし、多忙な中にこそ、反省する気持ちを思い起こすことが重要と思います。
きびしい環境に耐え、多忙に心を忘れず、閑なときも悪事を思わず、激せず、騒がず、競わず、驕らずに、常に自分を忘れないようにしたいものです。
その根底にあるものは、「志」ではないかと思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
■<遺失物>400万円届けず着服、53歳男逮捕 福岡(毎日新聞05月04日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478668&media_id=2
■吉兆・食べ残し使い回し、20年以上前から…関係者証言(読売新聞05月03日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478642&media_id=20
毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」の紹介です。
(現代語訳)
第二は、懼(おそ)れつつしむ心を起こすべきである
天地の神は、天上からごらんになっており、鬼神を欺くこともできない。自分の過ちがどのように微細で人にわからぬようであっても、鬼神はちゃんと照覧しておられる。そして過ちの甚だしいものには、いろいろの災難をくだし、軽い場合は現在の福を減損する。してみるとわれらは、どうしてこれを懼れないわけにいこうか、懼れざるを得ない。
そればかりではない。平生何もしていない場合でも、心の底まで指し示すようにはっきりと知られている。それ故自分では、おおい隠すことが甚だ緻密であるから人にわかるまいと思い、また表面をかざってうまくやったと思っても、神は心の中までことごとく明らかにあらわしてしまい、ついに欺きとおすことはできないし、人に見破られてしまい、一文にもならない。それ故どうしてひきしまる思いをしないでいられようか。
また、そればかりではない。一息でも呼吸のある間はやはり悔い改めるべきである。古人で一生の間悪事ばかりしていたが、死ぬときなってすっかり後悔し、善心を起こして、ついに終わりを善くすることができたものがある。このことは、猛烈に励む一念があれば、百年の悪事も洗い落とすことができるということをいっている。
これを例えてみれば、千年も日の照らず暗く奥深い谷も、わずかに一点の燈火に照らされれば、千年の暗やみも除いてしまうようなものである。
だから、過ちは古いとか新しいとかを云うことなくただ改めることを貴ぶのである。しかし、この俗世間は無常であり、この肉体ははかないものである。呼吸が絶えたならば、もはや悔い改めようとしてもどうしようもなくなってしまう。この世にあっては、千年以上もこの悪名をうけ、もし孝行の子、慈愛深い孫があったとしても悪名は洗い落とすことはできない。また死後の世界では罪の報いの堕ち沈んで、その責め苦に堪えられないことになる。それをどうして懼れないでいられようか。
(読 釈)
第二は、おそれ慎む心を起こすべきである。どんなにその過ちが小さくて人にわからなくても、必ずどこかで暴露されるものである。自分は要領がよく、表面を飾ってうまくやっているつもりでも、自分自身も人も、だまし通せるものではない。
生きている限り反省し、善の心を起こし過ごすべきである。俗世間は無常であり、命には限りがある。人は棺を覆って後に価値が定まるといわれるように、死んだ後には悪名も洗い流すことができないものである。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言うではないか。
(感 想)
「一日三省す」の言葉ではないですが、常に自分の行動を謙虚に反省し、嘘偽りがないか、周りに悪影響がないか、心のわだかまりもふくめ、監視することが必要と思います。
思いで突き進んでいる時は、なかなか自分が見えなくなります。そんな時こそ「忙中に閑あり」の心のゆとりを思い起こし、多忙な中にこそ、反省する気持ちを思い起こすことが重要と思います。
きびしい環境に耐え、多忙に心を忘れず、閑なときも悪事を思わず、激せず、騒がず、競わず、驕らずに、常に自分を忘れないようにしたいものです。
その根底にあるものは、「志」ではないかと思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
■<遺失物>400万円届けず着服、53歳男逮捕 福岡(毎日新聞05月04日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478668&media_id=2
■吉兆・食べ残し使い回し、20年以上前から…関係者証言(読売新聞05月03日)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478642&media_id=20
2008年05月04日
大言壮語の人(斉藤一斎『言志後録』68)
大言壮語の人(斉藤一斎『言志後録』68)
世の中には、好んで大きなことを言う人がいる。
そういう人は、必ずと言っていいほど度量が小さい。
世の中には、好んで元気のいいことを言う人がいる。
そういう人は、必ずと言っていいほど、臆病者である。
ただ、口にする言葉が大きくもなく、元気がいいわけでもないが、それでいて深みが感じられるような人は、たいてい見識が高く器量が大きい人物である。
*大言:大仰なことば。 壮語:強がり
(感想)
色々な会合で、騒々しい人がいますが、その時は目立ちますが、いざ本番のなった時に亜は、物静かになっているのがよく見受けられます。
自分のできることを着実にやって行くほうが、無理もせず、長続きするような気がします。会議では、訥弁が良いように思います。
やった後に、意見を述べると、存在価値が上がるように思います。
皆様も周りでは、どんな具合でしょうか。
静かに観察する事も結構勉強になります。
世の中には、好んで大きなことを言う人がいる。
そういう人は、必ずと言っていいほど度量が小さい。
世の中には、好んで元気のいいことを言う人がいる。
そういう人は、必ずと言っていいほど、臆病者である。
ただ、口にする言葉が大きくもなく、元気がいいわけでもないが、それでいて深みが感じられるような人は、たいてい見識が高く器量が大きい人物である。
*大言:大仰なことば。 壮語:強がり
(感想)
色々な会合で、騒々しい人がいますが、その時は目立ちますが、いざ本番のなった時に亜は、物静かになっているのがよく見受けられます。
自分のできることを着実にやって行くほうが、無理もせず、長続きするような気がします。会議では、訥弁が良いように思います。
やった後に、意見を述べると、存在価値が上がるように思います。
皆様も周りでは、どんな具合でしょうか。
静かに観察する事も結構勉強になります。
2008年05月04日
(道の実践)知る者より、好む者より、楽しむ者に
(道の実践)知る者より、好む者より、楽しむ者に
人の道とは何か? 日々悩んでいます。
「道」とはないか。安岡正篤氏の著書に「人間学のすすめ」の末尾に人生に必要な5つの言葉がありました。
節義、胸壊(きょうかい)、量と断、斡旋の才、誠
節義:節度を守って、正義を重んずる心
胸壊:周りの諸条件に萎縮せず、自分本来の自由な心、
量と断:量とは、人の度量とか器量のこと。
断とは、識見と勇気を持って決断・実行すること。
斡旋の才:公益を考えた、人と人をつなぐ橋渡し(お世話)すること。
誠 :「只一片の誠つき通りて、人世の栄辱などは塵ほども胸中に雑じらぬ」(楠正成)
上記の5つの理念を実践していくことが、安岡氏の説く「道の実践」であると思います。孔子もその道の実践を次のようの順序だてて教示しています。
(本文)
子曰わく「之を知る者は、之を好むものに如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」
(読訳)
孔子が語られた、「知るものは、好んでやる者には及ばない。好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない。」
また、「君子は、博(ひろ)く典籍を学んで知見をゆたかにし、これを引きしめるのに礼を以てすれば、人の道にそむくことはないであろう。」ともありました。
楠正成公の「誠(良心)」こそ、今の人々が大事にして、他人を思いやる心を持つことが大事なように思います。
考えが甘いかもしれませんが、犯罪を取り締まる事も大事ですが、教育を重視し、事件の起り難い社会通念を広げる事が、近い道と思っています。
*参考資料:伊與田覺著「仮名論語」
人の道とは何か? 日々悩んでいます。
「道」とはないか。安岡正篤氏の著書に「人間学のすすめ」の末尾に人生に必要な5つの言葉がありました。
節義、胸壊(きょうかい)、量と断、斡旋の才、誠
節義:節度を守って、正義を重んずる心
胸壊:周りの諸条件に萎縮せず、自分本来の自由な心、
量と断:量とは、人の度量とか器量のこと。
断とは、識見と勇気を持って決断・実行すること。
斡旋の才:公益を考えた、人と人をつなぐ橋渡し(お世話)すること。
誠 :「只一片の誠つき通りて、人世の栄辱などは塵ほども胸中に雑じらぬ」(楠正成)
上記の5つの理念を実践していくことが、安岡氏の説く「道の実践」であると思います。孔子もその道の実践を次のようの順序だてて教示しています。
(本文)
子曰わく「之を知る者は、之を好むものに如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」
(読訳)
孔子が語られた、「知るものは、好んでやる者には及ばない。好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない。」
また、「君子は、博(ひろ)く典籍を学んで知見をゆたかにし、これを引きしめるのに礼を以てすれば、人の道にそむくことはないであろう。」ともありました。
楠正成公の「誠(良心)」こそ、今の人々が大事にして、他人を思いやる心を持つことが大事なように思います。
考えが甘いかもしれませんが、犯罪を取り締まる事も大事ですが、教育を重視し、事件の起り難い社会通念を広げる事が、近い道と思っています。
*参考資料:伊與田覺著「仮名論語」

