2008年06月30日

(開運のすすめ)夏建所の例~開運は謙虚にあり~

(開運のすすめ)夏建所の例~開運は謙虚にあり~

 毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」の一節を紹介しています。

(現代語訳)
 壬辰(みずのえたつ)の歳(万歴20年)に私が天子のもとに参内した折、夏建所に出会ったが、そのとき夏建所は、非常に気持ちが謙虚な様子で、何か人の迫るものがあった。私は関心してしまい、帰宅してから友人にそのことを話し、

「およそ、天がこの人を出世させようとするときには、まだその実現しない前に、まずその人の心の智慧をひらくものである。この智慧の心が一度ひらけば、心のうわついているのも著実になり、思うままの振舞をしていたものも、心をひきしめで実直になるものである。ましてや建所は、あおのように温厚であるから、きっと天は建所の運を開くにちがいない」といったが、試験の発表は、はたして及第であった。


(読 訳)
 万歴20年(日本の文禄元年、豊臣秀吉の「朝鮮の役」の年)に、袁了凡が天子のもとに参内した折りの話である。一心に努力しその努力のかいがあり、福が招かれる前には、その人には必ず、まず心の智慧が発するものであるという。心の智慧とは人間の徳から発する良心の輝きというべきものである。夏建所がそうであったという。

 単に頭が良いとか、悪いとか、というのでなく、この智慧が発すると、心のふわふわした肝がすわっていない人間も充実し、わがままな人間もそれがおさまってくるという。ましてや、夏建所のように温厚な者がそのようであるのだから、なおさらである、というのである。 


(感 想)
 「福が招かれる前には、その人には必ず、まず心の智慧が発するものである」と、それは、徳から発する良心の輝きであるは、示唆の富んだ言葉と思います。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節に、次の言葉があります。

「己を修めるに敬を以てして、以て人を安んじ、以て百姓を安んず。壱(いつ)に是れ天心の流注なり。」

(意味は)自分を修めるのに敬の心ももってすれば、人々を安からにすることができるし、さらには天下の人民を安からにさせることができる。まさに敬は天の心が流れ注いだものである。(中略)

 優しい人が、学問を深め、さらに運を開く智慧を得た時、その輝きはさらに増すことと思います。ただやみくもに、知識を暗記するだけでなく、心を育てる゛学び ゛を実践したいものです。
 開運は謙虚にあり、先人の知恵の言葉と思います。

*参考資料:開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
渡邊五郎三郎編「斉藤一斎 一日一言」~言志四録を読む~


<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:07Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年06月29日

(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~

 今日は、後輩の結婚式で、仲間2人と一緒に参加するのですが、日ごろはあんまり会わないのですが、久々の晴の席での宴席で、梅雨の暗い気分を明るくしてくれています。
 昼食時からお酒の席、たまには良いのかもしれません。


(学問とは何か)日常生活の充実こそ大事~熊沢蕃山~

 学問とは何か、自分自身は答えをはっきりと答えれないのですが、「日々の中にこそ学問がある」と、江戸中期の儒学者で、政治家だった熊沢蕃山が、説いています。
 昭和の東洋哲学者、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」の中に書かれた熊沢蕃山の理念を紹介します。

(本文より転載)
 ある人が、゛自分は本当の学問をしたのだけれども、どうも仕事が忙しいので、思うように学問ができない゛と言ったのに対して、蕃山先生は次にように説いておる。

 学問と言うものは自分の仕事・自分の生活を決して別物ではない。別物どころか、自分に与られておる仕事や生活をより立派に、満足にしてゆくのが学問である。だからいくらも忙しくても学問はできる、何をしておっても学問はできるのであって、せっかくの自分の仕事・生活を捨てて学問をしようなどとかんがえるのは、とんでもない間違いである。そんなものは学問ではない、学問と称するむだごとと同じ事である。

 本当の学問とは、たとえば役人なれば役人、商人なれば商人が、自分の仕事・生活に一生懸命励んで、そのために自分の心を満足させ、仕事に関する啓発をおこない、その満足、内心の信念・智慧というようなものが溢れて、生活となり、風格となる、これが本当の学問であって、詩をつくったり、文章を書いたり、いろいろな本をあさったりすることが学問ではない、ということを惇々として教えておる。(中略)


 私には、日々の生活を充実させることが大事と言うとのように聞こえます。忙しく、色々な会に参加して、人と会い、学ぶことは大切と思います。

 幕末-明治初期の陽明学者、山田方谷は、弟子の河井継之助に、「本で学び足りなければ、地域の先輩に学び、それでの足りなければ全国の識者に学び、それでも足りなければ歴史の人物に学べ」と、説いたそうです。

 しかし、陽明学者でもあった、熊沢蕃山の教えは、更に深いところを指摘しているように置思います。更に、蕃山先生は、次のように説いています。

(本文より転載)
 学問というものはまず蔵さなければならならん、出さずに自分の内に入れておかなければならん。これは見せびらかすために取り入れるかどというのは、Pedantic(衒学(げんがく))といって、本当の学問ではない。西洋人もこれを嫌います。これは何事によらずそうであります。

 つまらない人間ほど財産とか、地位とか、いうものを見せびらかします。できた人間ほど有れども無きごとしで、外に出さない。出さないのではなくて出ない。学問というものはまず蔵さなければならん。

 しかし蔵してカビは生えたり、ほこりをかぶっては仕様がないので、そこは一つ修めなければならん、整えて立派に磨かなければならん。(中略)


 日々、研鑽し、自分を鍛えることが、学問で在ると蕃山先生は説いたと、安岡先生が語っています。陽明学の祖、王陽明は、日々の生活・仕事の中で、研鑽し、自分を鍛えることを「事上磨練」と言う言葉で説いています。

 高学歴を目標とする現在の学問(学習)の考え方ではなくて、日々の生活の中で、偉人や先輩の教えに耳傾け、実践する事が一番の学問実践(研鑽)につながるのかもしれません。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の言志四録の始めにある教えがあります。(現代語訳)

「学問と行うには、志を立てることより大事なものはない。しかし、志を立てることを外から無理に強制してはいけない。ただ、その本心の赴くところも従うばかちである。」
  
 志の持ち続けること日々の実践こそが、人間を高める一番の方法なのかもしれません。

 それと、私の知り得たことをブログに書く(外へ出す)ことは、盤山先生の理念からすると、間違いなのかもしれません。少々反省する、ブログになりました。長文を最後までお読み頂き感謝します。

*参考資料:安岡正篤先生著書「人間学のすすめ」~熊沢蕃山~
渡邊五三郎監修「斉藤一日一話」~『言志四録』を読む~


<以前の日記>
・ブロードキャスター打ち切り/満ち足りた先にあるのは転落
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=853123426&owner_id=2182841&org_id=852452330

<催しのご案内>
・2008異業種交流会「夏の会」
 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
 日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
 場 所 熊本交通センターホテル3F
 講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841  

Posted by ノグチ(noguchi) at 10:06Comments(0)TrackBack(0)偉人

2008年06月29日

満ち足りた先にあるのは転落(菜根譚)

満ち足りた先にあるのは転落(菜根譚)

(現代語訳)
 これ以上ない満ち足りた境遇は、今にもあふれ出ようとしている器の水のようなものである。このうえ一滴でも加えてはならない。
 追いつめられて瀬戸際に立たされている状態は、今まさに折れようとしている木の枝のようなものである。このうえ一押しでも加えてはならない。

(解 釈)
 満ち足りた状態の頂上まで達すると、その先に待っているものは転落である。せめてしばらくは横這いに維持できればよしとすべきなのかもしれない。

(感 想)
 弓を張り切った弦の切れる直前の状況を思い出すと、弦が切れ壊れる弓は、一瞬にして地に落ちる。人間も張り詰め続けることは、到底むずかしいと思います。緊張したり、気を緩めたり、日常生活にはリズムが必用と言いつつ、ついつい頑張りすぎてしまいます。

 でも、だらだらと日々をのんびり暮らすばかりでは困ります。常に志を忘れずに居れば、自ずと緩んだ気持ちを取り戻し、また目標へ向かって進めるものです。

 事業もまた、良い時もあれば、悪い時もあります。最高潮の時は、落ち目になるための準備要りますし、どん底の時こそもう一度目標を持ち踏ん張ることが必用です。

 西郷隆盛の遺訓集の表紙の言葉は、次に一節です。
 「無事は有事の如く、有事は無事の如く」
やはり、常に自分が、どんな状況にあるか、謙虚に省みるゆとりと勇気が必要なのかも知れません。
 そして、そこには決断が必用なことがあります。常に、平静を保ち考えることが大事なように思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:02Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年06月27日

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)

三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者) *再掲載

人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
  ~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~

 二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。

 「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は  「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は

 ・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。

 ・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。

 ・三番目が常に冷静な「頭」。

 ・最後の「技」とは、行動することと考えています。

 現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも 「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方 谷の理念と言えます。」

山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:14Comments(0)TrackBack(0)偉人

2008年06月26日

引き際を誤るな~人に千日の好なく、花に百日の紅なし~

引き際を誤るな~人に千日の好なく、花に百日の紅なし~


(現代語訳)
 事業がいきづまって進退きわまったときには、初心に立ち返って失敗の原因を考えて見るがよい。

 事業が成功してすでに頂上をきわめたときは、いさぎよく身を引くことを考えなければならない。


(解 説)
「人ニ千日ノ好ナク、花ニ百日ノ紅ナシ」、つまり、全盛期は長く続かないというのが中国人の認識である。だとすれば、頂点をきわめたその瞬間に、早くも引退の準備にかからなければならない。

『老子』に、「功遂ゲ身退クハ、天ノ道ナリ」とあり、『史記』にも、「四時ノ序、功ヲ成ス者ハ去ル」とある。だが、現実には、「進ムヲ知ッテ退クヲ知ラズ」(『易経』)で、引退の潮時を誤る者が少なくない。

 ここで洪自誠が戒めているのも、そのことである。 


(感 想)
 「自分は、よく見えない」と、地位にこだわり、苦杯を飲んだ人がよく言うと色々な本で読みます。

「進ムヲ知ッテ退クヲ知ラズ」は、退き易きように後継者を育てることの大切さを説いているとも言えます。

 また、絶頂期は長く続かないことも知っておいて損はないと思います。
 「人ニ千日ノ好ナク、花ニ百日ノ紅ナシ」を読むと、古き時代から人間の迷いが、幾度となくくり返されて来た事がわかります。

平家の絶頂期が長く続かなったことを語った「驕れるものも久しからず・・・」にも表れています。

「初心に返れ」、「引き際を誤るな」は、事業を行う者として、決して忘れてはいけない教訓と思います。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」より


<コミュ>
・菜根譚(さいこんたん):洪自誠著、守屋洋著「新釈 菜根譚」
 ~中国古典の名篇を、混迷・不安の時代を生き抜く指針として凝縮~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:20Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年06月22日

(謙虚の効果)実るほど頭をさげる稲穂かな(開運は謙虚にあり)

(謙虚の効果) 実るほど頭をさげる稲穂かな~開運は謙虚にあり~


 流布したことわざに、「実るほど頭をさげる稲穂かな」ということわざがある。この逆で、「おごるもの久からず」というものもある。地位が上がったり、金持ちになればなるほど、威張り、ふんぞり返る人を見かけるものである。このような人に人望などありようがない。人望のない者に開運が有ろうはずがないからである。

 地位が上がるほど、金持ちになればなるほど、「頭をさげる稲穂」のように、謙虚さに留意しなければなるまい。そのことが、人望に通じ、いよいよ開運をもたらすであろうからである。
 
 この世に生をうけた有り難さは何ものにも変えがたい。この有り難さを思えば人はしっかりした志を持つべきであろう。そして、しっかりした志を持つ者であればあるほど、謙虚さということに留意しなければなるまい。(中略)



一、謙虚の効果

【現代語訳】

 「易経」にいう、「天の道は、盈(み)ち満ちているものを欠き損(へ)らして、謙にして足りないものに補い益し、地の道は、盈ちているものを変化させてその余分なものは足りないものに流して行き、鬼神は、盈ちているものに禍をくだし、謙虚で足りないものには福を与え、人の道は、満ち足りているものをにくんで、謙虚なものを好むのである」と。それ故に六十四卦(か)中の謙の一卦だけが六爻(こう)ともみな吉である。
 また「書経」に、「盈ちあふれていると減損を招き、謙虚であれば増益を受ける」 といっている。
 私はたびたび諸君と一緒に試験に応じたので、感ずるのであるが、貧乏書生が試験に合格して、立身出世しようとするのを見るたび、必ず一段と謙虚な様子が現れるのを見た。


【読  訳】

 まず、儒教の経典「易経」のことばを引き、謙虚の効果が述べられる。天の道、地の道、人の道もすべて、満ち満ちているものから、謙虚であり不足しているものへと流れていき、神であれ人であれ、満ち足りているものを憎んで、謙虚なものを好むと。

 これは、儒教の経典「書経」にも、満ち溢れていると減損を招き、謙虚であれば増益を受けると述べられている。すなわち、謙虚は開運に通じ、福をもたらす、というのである。

 ちなみに、謙虚とはへつらうことではない。内にすぐれたものを持ちながら外にあらわすことを抑え、へりくだった態度を取ることである。

 ここで紹介されていないが、謙の卦には、そうであるから謙虚の徳にいる人は、尊い位についてますますその徳が光りを加え、低い位に在ってもその徳の故に悔いることができない、ということばがある。まさに、立身出世するような人間は必ず、出世していくごとに、謙虚の徳の光りが輝きを増すように努めるべきである。

【感  想】

 今春、熊本の建設大手が、粉飾決算が発覚し、自主廃業しました。大きくなろう、大きくなろうと、頑張った来た結果が廃業とは、とてもさびしい結果になりました。

>満ち溢れていると減損を招き、謙虚であれば増益を受ける

 今日の私のブログでの47人の「幸福論」の堀江謙一氏の言葉を思い出します。「小さな幸せを分かち合うことが必要」と説かれています。

>謙虚は開運に通じ、福をもたらす

 県庁の先輩たちと語る中で、とても丁寧の接して頂いていた方が、今度、教育長に就任されました。企画、農政、振興等々で、接した時も、今も、ぜんぜん変わらずに丁寧の言葉を選びながら話して居られる様子に、こちらが恐縮してしまいます。

>地位が上がるほど、金持ちになればなるほど、「頭をさげる稲穂」

 稲穂の様相に近づけるように、心から謙虚に自分の行いも含め、反省しつつ日々を暮らさないとと思います。
 「開運のすすめ」の最終章は、謙虚な心の大切さが説かれています。


<コミュ>
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:51Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年06月21日

(藩校サミット)宇土親子論語教室の生徒が「孝経」を朗読


(6月21日正午ごろ)水田の水があふれて冠水した道路
(熊本県宇土市善導寺町付近)


(藩校サミット)宇土親子論語教室の生徒と保護者が「孝経」を朗読

 今日の熊本は、大雨洪水警報で、宇土市は雨の性で市内の数箇所で、道路が冠水して、のろのろ運転に加え、高速道路が一部通行止めで、幹線道路が大渋滞でした。

 私は、早朝に鹿児島を発って、早めに帰路の着いたのですが、高速を降りて、宇城市から大渋滞に会いました。何時もなら12~15分程度の道のりが、40分発っても論語教室の子供たち集合場所へ行きつけませんでした。結局途中で、連絡を取り、熊本市民会館へ直行することにして、やっと予定より20分遅れで着きました。

 「第7回全国藩校サミット」
 今年は、熊本開催で、会場で朗読する2グループの一つを宇土親子論語教室が担当して、孔子の教え『孝経』の一説を、子供15名、大人9名朗読しました。
 孝経は、以前のブログで紹介しましたが、読めば読むほどに、孔子の教えのすばらしさと、心を育てる教育の大切だと感じます。

 宇土親子論語教室は、約1年前の7月7日に、今回の全国藩校サミット・熊本大会の実行委員長の筑紫凡三先生(熊本市の東洋倫理研究会塾長)の記念講演から始まりました。
 仮名論語をみんなで音読しながら、解説を先生の山口氏から聞き、時々は社会のことを大人同志は、語りながらやって来て、大きな会場で朗読して子供たちの笑顔は素敵でした。
 
 本番前は、緊張して落ち着かない様子だったり、舞台設営のために緞帳が降りて、いざ出番と歩き、子供たちが前列、後列に大人並ぶと、緊張したのは後ろを時々振り返る様子だったのですが、緞帳が上がり、朗読が始まると元気が声が出て、とてもすばらしい朗読のなりました。

 学童保育の月に一回の「親子論語教室」への参加で、子供たちは大きな舞台を経験し、ちょっと大人になったかなと思いました。明日の熊本日日新聞に、記事が掲載されると思いますが、10年後、20年後、今日参加した子供たちが、どんな大人になっているかとても楽しみな気がしています。

 詳しい報告は、写真等整理が終わってから、まとめてやります。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:48Comments(0)TrackBack(0)宇土の出来事

2008年06月21日

書込みとご返事:(教育)正解は一つじゃない、基礎学力は中学

書込みとご返事:(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分

 九州は、大雨です。昼12時前後に(熊本県)宇土市は、雨で国道意外ほとんどの道路がところどころ冠水し、その回避で大渋滞でした。
 日常10分程度移動時間が50分近くかかり、本日(熊本市で)開催の藩校サミットの地元「宇土親子論語教室」のメンバーで行う、『孝経』朗読の30分前に到着し、無事に終了することができました。今の雨が降り続けています。明日の雨のようです。

 今日は週末ですので、SNSミクシィで昨日の日記「(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分」への書き込みと私の返事の文(長文)をご紹介します。
 すごく思いも中身も深いものですので、ぜひ時間がある時にお読み下さい。

 書き込みをして頂いた皆様には、すばらしい内容だったので、了解も取らず勝手に載せました。ご容赦頂ければ幸いです。

~6月20日の日記~
(教育と人生観)正解は一つじゃない、基礎学力は中学で十分
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=844459313&owner_id=2182841

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「書き込み」
 海・Tom・ガラ・チーさま
この1つ前のノグチさんの日記とこの日記を読んで自分の価値観・・・というか、経験からくる物の考え方・見方 感性の磨き方を小さい時から教えるべきだ・・・とつくづく思います。
偏った考え方をもつ事も懸念されますが、人の話を聞く事ができる人であればそれは無用な心配になります。 人として生きるために、何が良いこと・常識なのか・・・自分なりに経験し考える力を身に付けてほしいです。
でも、私のように自分の子供がいない者がこのようなことを言うと「毎日自分で育てていないから・・・」子供を育てる苦労を知らない人のいうこと・・・になってしまいます。そうですね、人を育てるってとても大変なことですよね。

そんなこと判っている、けどできない・・・
そんな風に思っている人々が「変るきっかけ」をみつける時が早くきて少しづつ、でもなるべく早く世の中が変わっていくことを祈ります。

なんだかまとまらない文章になってしまいました。思いや考えを文字にするのはとても難しいですね。長くなりすみませんでした。

「ご返事」
 海・Tom・ガラ・チーさま、書き込みありがとうございます。

>自分の価値観・・・というか、経験からくる物の考え方・見方
>感性の磨き方を小さい時から教えるべきだ・・・とつくづく思います。

私ももっと早く気づけば良かったと思います。
でも、気づいた時がその時で、行き着かないと気づかないものですね。

>偏った考え方をもつ事も懸念されますが、人の話を聞く事ができる人であればそれは無用な心配になります。

人の話を聞ける人がすばらしいと思います。
すぐ、話を途中で折って、自分の意見を言う人は、我慢が出来ない人、自分の価値観で押し通す人にも感じます。

>人として生きるために、何が良いこと・常識なのか・・・自分なりに
>経験し考える力を身に付けてほしいです。

同感です。

>でも、私のように自分の子供がいない者がこのようなことを言うと
>「毎日自分で育てていないから・・・」子供を育てる苦労を知らない人のいうこと・・>・になってしまいます。そうですね、人を育てるってとても大変なことですよね。

子供がいる、いないより、気づいているか、いないかが大事と思います。

>そんなこと判っている、けどできない・・・
>そんな風に思っている人々が「変るきっかけ」をみつける時が早くきて
少しづつ、でもなるべく早く世の中が変わっていくことを祈ります。

そうあって欲しいと思います。
原点は、家庭。そして、その心を育てるのは、自分自身と思います。
他人のせいにしない、全てが自分から始まっていると思うと、謙虚な気持ちにもなります。
対人関係:夫婦、親子、友人、知人、と地域の人たち、作用反作用の関係、
相手はこちらの出方しだいで、色んな変化があります。その場面に遭遇し、考える事が大事な経験と思います。
子供たちも、大人たちも、バーチャルの世界でなく、外へ出て人と語ることお奨めします。

>なんだかまとまらない文章になってしまいました。思いや考えを文字にするのはとても難しいですね。長くなりすみませんでした。

しっかり、思いは伝わりました。
私の方が、長くなりました。
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「書き込み」
ニゲユー さま
こんにちは。
いつも勉強させてもらっています、ありがとうございます。
萩本さんの話、大切ですね。
僕の好きなマンガの中の一節に『人は近道をしたがる、しかし近道をすると大切な物を見逃す』とありました。
学校の授業よりたくさんの素晴らしい考え方を僕は漫画に教えてもらっている気がします。

「ご返事」
ニゲユーさま

>いつも勉強させてもらっています、ありがとうございます。

いつも、アクセスいただき感謝します。

>萩本さんの話、大切ですね。

私も大切と思います。

>僕の好きなマンガの中の一節に『人は近道をしたがる、しかし近道をすると大切な物を見逃す』とありました。

気付きは、何処でも、誰でも、どんな本でも、良いと思います。
その気付きを自分のものとして行くことが大事と思います。

>学校の授業よりたくさんの素晴らしい考え方を僕は漫画に教えてもらっている気がします。

学校の授業は、自分の持ち興味の分野を捜し、学ぶときの勉強のスタイルを考えるヒントであり、方法の講習でしょうか。でも、始まりは学校であり、その前に家庭があります。
書き込みで、色々な考えるヒントを頂きます。
これからもよろしくお願い致します。
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「書き込み」
 MY.pace さま
解答に至らなくても、考えた過程が大切だった時代は来ないでしょうね。点数で判断、優劣を決める教育側、品格や個性は点数つけられないのです。
教職員の教育も必要でしょう。PTAやってて、情けない先生がいる、社会的で得ない考えがある。サラリーマンですよ。

自分で大事な事は伝えるしか無いのでしょうか。

「ご返事」」
 MY.pace さま

>解答に至らなくても、考えた過程が大切だった時代は来ないでしょうね。
>点数で判断、優劣を決める教育側、品格や個性は点数つけられないのです。

全国テストを復活させて、学力、学力と騒ぐ国民が多いから、文部科学省も復活させて推進するのだと思います。

>PTAやってて、情けない先生がいる、社会的で得ない考えがある。
>教職員の教育も必要でしょう。サラリーマンですよ。

教員(教職員)は要るが、教師が居ない。
かつて、「師の陰は踏まず」言う言葉がありました。
確かに、大学で出たての先生は、教師としては幼稚だと思います。
ただ、志を持つ教師は、その思いが伝わって来るものです。
サラリーマン化した先生は、学校現場から退席して欲しいですが、向上心を持つ教師の卵たちは、保護者や先輩たちが、「伸ばす」気持ちで、育てることも大切な気がします。都市部の教師は不足していると言いますが、地方は少子化で、なかなか教師になりたくてもなれないのが現実です。真の教師を目指す子が、学習成績優秀なだけで採用される矛盾も含め、教職員も人材と言う考えより、教師の「志」持つ若者を評価する雰囲気作りも必要と思います。

>自分で大事な事は伝えるしか無いのでしょうか。

教育の9割は、家庭に在ると思っています。
わが家も、子供読ませたい本は、小さい時から、家の目に付くところに置き、記憶の中で残る工夫をして来ました。
受け止めるのは、子供たちですが、それなりに考え、進む道を模索しているようです。

何時も関心をお持ちいただき感謝します。
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「書き込み」
 ザトキチさま
超個人的意見ですが、ノグチさんの挙げている3つの要因を妨げている最大の要因は、子供に対する「ケータイ」や「インターネット」の普及が背景にあるのでは?と思いました。以下がその理由です。

第一の要因
社会とつながる=人とつながる能力は、人間社会を生きていく上で非常に重要な能力だと俺も認識します。しかしながら、メールで顔の見えない相手とのやり取りや(我々の場合は悪意が無いので除きますよ(笑))
それに伴った表面上の付き合い、また、同じくメールや学校裏サイトなどを利用した悪質ないじめ問題等子供達も人との繋がりを求めていながら、簡単に出来てしまうところに
自分達も気づかない内に、裏切りや犯罪、孤独になったら… と言う不安を抱えているんじゃないでしょうか?そのせいで、本当の人間付き合いが出来ていないんじゃないかと
思います。
それはゆくゆく、将来的な社会不安(人間不信)になっていくんじゃないでしょうか? 既になってるのかもしれませんね。

第二の要因
情報がケータイやインターネット等から簡単に手に入る為さも自分が経験したかの様な、錯覚に陥ってしまいやすいと言う事があるんじゃないでしょうか?
昔の様に、自分の手元に何も無く欲しいものは自分で歩いて探しに行き、手に入れる→それが自己の経験知識として生きると言うプロセスが無く、画面から欲しい情報だけが手に入る結果として「あたまでっかち」が出来上がり、第一の要因に付随して、人間力の低下につながるのではないでしょうか?

第三の要因
第一、第二の要因に関係します。
我々は、情報を手に入れる為に外に出る機会が少なくなったと思います。しかし、外に出れば良くも悪くも何かしらのイベントに出会うものです。そのイベントこそが、人生の分岐であったりすることもあるでしょう。結果として、人と人との出会いが自分を育てる最大の教師では無いでしょうか?

これら三つのことを考えてみると、結論として「溢れ過ぎた情報」が、簡単に手に入ると言うところに行き着くのではないかと思いました

今は、高校、大学まで進学して、多くの同年代と触れ合うのも悪くは無いんじゃ?とは思いますが、そこにケータイやネットはいささか必要ないのでは?と思います。

「ご返事」」
 ザトキチ さま

>超個人的意見ですが、ノグチさんの挙げている3つの要因を 妨げている最大の要因は、子供に対する「ケータイ」や 「インターネット」の普及が背景にあるのでは?と思いました。 以下がその理由です。

>第一の要因
>社会とつながる=人とつながる能力は、人間社会を生きていく上で非常に重要な能力だと俺も認識します。

同感です。

>しかしながら、メールで顔の見えない相手とのやり取りや (我々の場合は悪意が無いので除きますよ(笑)) それに伴った表面上の付き合い、また、同じくメールや学校裏サイトなどを利用した悪質ないじめ問題等 、子供達も人との繋がりを求めていながら、簡単に出来てしまうところに自分達も気づかない内に、裏切りや犯罪、孤独になったら… と言う不安を抱えているんじゃないでしょうか? そのせいで、本当の人間付き合いが出来ていないんじゃないかと思います。

心を開かせるのは、膝つき合せた意見交換(対話)と思います。

>それはゆくゆく、将来的な社会不安(人間不信)になっていくんじゃないでしょうか?
>既になってるのかもしれませんね。

ファミコン時代から、もっと言えばテレビの大衆化から始まっているのかもしれません。
>第二の要因
>情報がケータイやインターネット等から簡単に手に入る為さも自分が経験したかの様な、錯覚に陥ってしまいやすいと言う事があるんじゃないでしょうか?

バーチャルと現実の錯誤(幻影)みたいなものでしょうか。
分かったと思っているのは上辺だけの情報で、真の現場で感じる体験が大事と思います。

>昔の様に、自分の手元に何も無く欲しいものは自分で歩いて探しに行き、手に入れる→それが自己の経験知識として生きると言うプロセスが無く、画面から欲しい情報だけが手に入る結果として「あたまでっかち」が出来上がり、第一の要因に付随して、人間力の低下につながるのではないでしょうか?

「人間力の低下」人間としての本分と言うか、自分で体得してこそ、成長すると思います。
>第三の要因
>第一、第二の要因に関係します。
>我々は、情報を手に入れる為に外に出る機会が少なくなったと思います。しかし、外に出れば良くも悪くも何かしらのイベントに出会うものです。そのイベントこそが、人生の分岐であったりすることもあるでしょう、結果として、人と人との出会いが自分を育てる最大の教師では無いでしょうか?

イベント=体験、実践、出会い、・・・
学びの本質は、本や知識の集約でなくて、それを教える人自身の生き方そのものが、大きく人を動かします。松下村塾は、2年弱の間に多くの人材を世に出しました。これは、吉田松陰自身が示した行動、生き方の影響と最近思います。

>これら三つのことを考えてみると、結論として「溢れ過ぎた情報」が、簡単に手に入ると言うところに行き着くのではないかと思いました。

安易に、結果を求めている社会かなと思います。
成績、成果、ノルマ、経済効果、・・・、人づくりは、結果ではなくて、過程が大事なような気がしています。
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「書き込み」
 hiro さま
こんばんは。本当にノグチさんの日記が楽しみで、毎日拝見させて頂き勉強させていただいております。

今回の幸福論について、私もここ何年か自分の幸せとは何ぞやと心の中で、自問するも、答えが中々見つからず、探求するばかりでたどり着くのかどうか思い悩んでおります。しかし、幸せについて願望を抱き、思考出来る余裕があることだけでも幸せではないのかと感じました。先頃のミャンマーのサイクロンにしかり、四川、岩手・宮城内陸地震の被災者の方々は、生活の不安や恐怖で生きるだけで精一杯で、自分が何が幸せかという事を追い求める余裕がありません。生きていることそのものが、幸せなのだと常々感じられるようになりたいと思います。

ものの見方・考え方のしっかりしていること・・・
“少年よ大志を抱け”を筆頭に、数多くの偉人が『志』を持てと語っていますね。現代の人間は、金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事が人生の目標として真の志を勘違いしているのではないかと感じます。その風潮を大人が作りだし、若者達はそのまま受け取り志違いをしてしまう。中学、高校の時期に思考の深さを学ぶこと、気づくことは中々不可能に近いと思います。社会が大人達が道を正しく行い、模範を示し、そして指導をする。それが、理想の『志』を持たせる社会ではないかと考えております。

「ご返事」」
 hiroさま

>こんばんは。本当にノグチさんの日記が楽しみで、毎日拝見させて頂き勉強させていただいております。

駄文をお読みいただき感謝します。

>今回の幸福論について、私もここ何年か自分の幸せとは何ぞやと心の中で、自問するも、答えが中々見つからず、探求するばかりでたどり着くのかどうか思い悩んでおります。

私も日々悩んでいます。人間は悩まなくなると、思考力が退化しますので、平穏、安穏な環境は良くないと、自分の環境を良しとして生きています。

>しかし、幸せについて願望を抱き、思考出来る余裕があることだけでも幸せではないのかと感じました。先頃のミャンマーのサイクロンにしかり、四川、岩手・宮城内陸地震の被災者の方々は、生活の不安や恐怖で生きるだけで精一杯で、自分が何が幸せかという事を追い求める余裕がありません。生きていることそのものが、幸せなのだと常々感じられるようになりたいと思います。

おっしゃる通りです。数年まえにNHKの朝ドラで、「生きちょるだけで丸儲け」と言う言葉が流行しましたが、幸せはその本人がどう受け止めるか、生活を考えるかだと思います。

>ものの見方・考え方のしっかりしていること・・・
>“少年よ大志を抱け”を筆頭に、数多くの偉人が『志』を持てと語っていますね。現代の人間は、金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事が人生の目標として真の志を勘違いしているのではないかと感じます。

この物欲・名誉欲は、2,500年前の孔子に教えの中にも出てくるのですが、今日の日記の白州次郎氏の言葉を、「(社用車の)後ろで踏ん反り返っているやつはバカだ」紹介しました。『大志』が何かを自分の(人間力)成長に合わせて、変える(向上させる)ことが必要と思います。

>その風潮を大人が作りだし、若者達はそのまま受け取り志違いをしてしまう。中学、高校の時期に思考の深さを学ぶこと、気づくことは中々不可能に近いと思います。社会が大人達が道を正しく行い、模範を示し、そして指導をする。それが、理想の『志』を持たせる社会ではないかと考えております。

模範を示し:率先垂範が大事と思います。
金銭・物的豊かさや社会的地位を得る事よりも、何が大事なものか?
考える事、語ることを示す事と思います。
「幸福」は、自分で価値を創るしかないのかも知れません。
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「書き込み」
 山岡鉄舟に憧れる愚者さま
脚下照顧ですね.

ただ歩いていると心を奪われていると,足元を忘れて,つまづいたりする…

己の内側に眼を向けなくして,本当の悟りに至る機会は巡って来ない…自己内省の大切さ…

記載される内容に,常に喝を入れていただき,ありがとうございます。

当たり前のことを,お陰さまとし,ご自分の身を省みて多くの人の幸せを念じ,感謝の内を貫いておられると… 

「ご返事」」
山岡鉄舟に憧れる愚者さま

>脚下照顧ですね.

(転載)
脚下は単に履き物のことだけではなく、自分の足もと、自分の立っている立脚点、現実的出発点を意味しますので、脚下照顧は、「自分自身をしっかり見よ」ということになります。
 理想のみを追い求めて現実を忘れていないか。理論ばかりに走って実践をおろそかにしていないかと、常に自分を見つめ、反省する心が大切だというのです。
 現代は目まぐるしい時代です。しっかりと対処しないと遅れてしまいます。しかし、そのような現象面だけを追い求めるのではなく、自分の足もとをしっかり見よと教えるのです。(抜粋)

>ただ歩いていると心を奪われていると,足元を忘れて,つまづいたりする…
>己の内側に眼を向けなくして,本当の悟りに至る機会は巡って来ない…自己内省の大切さ…

深い教えを頂きました。ありがとうございました。
今日、自分の境遇と天候(大雨)の時、どう行動を取るか、日々自分は試されていると感じました。明日の日記にまとめて書きます。

>記載される内容に,常に喝を入れていただき,ありがとうございます。

関心ををお持ちいただき感謝します。

>当たり前のことを,お陰さまとし,ご自分の身を省みて多くの人の幸せを念じ,感謝の内を貫いておられると…

そんな立派な人間ではありませんが、日々の思いや、周りで出会った人や本の紹介しています。これからもご笑覧頂ければ幸いです。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

最後まで、お読みいただき感謝します。

野口修一  

Posted by ノグチ(noguchi) at 20:02Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年06月20日

(教育と)基礎学力は中学で十分(教育を考えるMLより)

(教育と)基礎学力は中学で十分(教育を考えるMLより)

~教育雑感~
             
 中学生の9割以上が高校へ行く時代になって久しい。長い間、進路の相談で生徒と話し合ってきたが、最近気になることがいくつかある。そのひとつが、「公立高校しか受験させないと親が言っているのですが、公立に受かりますか」というもの。私立高校への進学は、経済的に無理だと考える保護者が増えているということだろう。経済格差が教育格差となり、格差の連鎖が始まりつつある。
 
 ところで、いささか極論になるかもしれないが、基礎学力は中学までで十分であるとわたしは思っている。高校の学習は、大学へ入るためには必要かもしれないが、その目的がなければほとんど身についていないといっても言い過ぎではない。あなた自身のことを考えてみてほしい。高校の学習がその後の生活や人生にどれほど役にたっただろうか。もちろん科目やその後の職業によっても違うのだろうが……。
 
 受験学力も大学に入ってしまえば、そのほとんどが消えてしまう断片的知識丸暗記の「剥落(はくらく)学力」で、人生でかろうじて役だったのは学歴や資格だったのではないだろうか。ちなみに、マイナスの数にマイナスの数をかけてどうしてプラスになるのか、分数の割り算は割る数の分母、分子をひっくり返してかけるのはどうしてなのかと子どもに聞かれてもうまく説明のできる保護者は少ないだろう。
 
 難しい数学を知らなくても、世界史の細かいことを覚えていなくても、多くの人は、仕事をし、家族と共に毎日しっかり生きている。ならば、学校卒業後の人生においては、受験学力や高校の学習よりももっと大切なものがあるということではないだろうか。わたしは、それらを次の3つにまとめている。
 
 第1は、社会とつながる能力である。
 自分の感じていること、思っていることを話したり文章に表現できること。また、相手の話をじっくり聞いて理解し共感できること。笑顔で人と接することができるだけでも接客業では貴重な能力であり、社会の中で生きる力となるだろう。
 
 孤高に生きるのも、またひとつの生き方だが、やはり人は社会の中で、あるいは仲間の中で成長しながら生きていくものではないだろうか。人は絶対的な孤独の中にいるからこそ、誰かとこころをつなげたいと願うのである。そこには学歴など関係なく、大事なのは人それぞれの精神のありようなのである。
 
 第2に、ものの見方・考え方のしっかりしていること。
 自分と社会を取り巻く状況が激変していくこういう時代においては、知識や受験学力よりも、ものの見方・考え方のしっかりしていることのほうがはるかに重要ではないかと思う。
 この世界はどのような構造をもっているのか(世界観)、そしてその世界でどのように生きていくか(人生観)、というものの見方・考え方、つまりは科学や哲学に裏付けられた「わたしの価値観」を身につけていることが重要である。古い言い方をすれば、主体性が確立できているということだろうか。
 
 これは、存外難しいことである。学校では知識を教えても、智恵を働かせる方法は教えない。最近は「考える力」の大合唱であるが、その辺の反省からではないか。「自分探し」が、ブームのようになっているそうだが、「答え」は足下にある。自己の経験と感性で確かめながらひとつひとつを丁寧に学ぶこと以外に「答え」に至る道はないと思う。
 
 第3に、人生を楽しむ術(すべ)を知っているか否かということである。
 もともと日本人は謹厳実直、滅私奉公を美徳とすることから人生を楽しむという感性をあまり持ち合わせなかったような気がするのだが、最近は自分なりの人生の楽しみ方を考える人が多くなったようだ。わたしは大賛成。人生には、すべきこと(使命)もあるが、したいことを楽しむ美意識がなくてはつまらない。(中略)
 
 人生の楽しみ方は人それぞれ。どんな小さな事にも楽しみを見いだすことはできる。それが美意識である。だから、そこには学歴も学力も関係ない。人生を大いに楽しんで学歴社会など粉砕しようではありませんか。
(以上、教育に関するMLより)

<気になる言葉>
・「答え」は足下にある
・自己の経験と感性で確かめながら丁寧に学ぶこと
・人生の楽しみを見いだすこと「美意識」~それぞれの人生観~

*最後までお読みいただきありがとうございました。(合掌)
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:59Comments(0)TrackBack(0)意見・異見

2008年06月20日

(教育)正解は一つじゃない(萩本欣一)

(教育)正解は一つじゃない(萩本欣一)

 今日から、娘が中間テストと言って出て行った。私もかつて高校生だった時のことを思い出す。テストで良い点数を取る、ほめられる。確かに点数が良いほうが、進学の可能性があるだろう。社会人になり、色々な人を見てきた。先輩たちは、一人ひとりの人生を歩んでいます。
 今読んでいる「47人の幸福論」に、タレントの萩本欣一氏の一節があり、一部を紹介します。(ほとんど、転載文ですが)少々長文の日記です。


~正解は一つじゃない~(萩本欣一)

世の中はすぐ正解を作りたがる。
正解はこれしかないと決め付ける。
問題が解けたら100点で、解けなかったら0点。
そして0点の子はダメな子と決め付ける。
0点なんてこの世にはないと僕は思う。
僕だったら、問題がぜんぜん解けなかった子供にも50点はあげる。
だって、全く答えが書けなかったということは、
少なくともカンニングをしていないということ。
ずるいことをしなかったということ、それはとても大きな価値で、
世の中ではそのことの方が役に立ったりするものだ。

正解はこれしかないと決め付けるから辛くなる。
これが幸せだと決め付けるから、
そこにたどり着けない人が苦しむ事になる。
人生は台本通りには進まない。
その人なりのアドリブがあるから楽しい。
(PHP編、47人の『幸福論』より)

心が、ふっと温かくなる言葉と思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:57Comments(0)TrackBack(0)意見・異見

2008年06月19日

地位が上がるほど「役得」を捨て「役損」を考えろ(白州次郎)

地位が上がるほど「役得」を捨て「役損」を考えろ(白州次郎)

 白州次郎氏は、終戦直後外相になった吉田茂氏の要請で、終戦連絡事務局参与に就任した。白州氏が国政に関わった最初の仕事は、日本国憲法の策定でした。
 白洲氏は、祖父の儒家のDNAの血に加え、7年間ケンブッリジで学んだ英語力とジェントルマン精神で、日本が危機に直面する中、戦後処理に奔走した。もう一つが、通商産業省の創設でした。

 戦前から貿易事業に関わり、ヨーロッパを中心とした人脈と、「至誠」から繰り出される流暢な英語は、交渉するアメリカ占領軍の官僚も、たじたじだったと言われます。
 厳しい姿勢の白州氏の別の一面を知る一人、元首相の宮澤喜一氏の言葉が先月読んだ本にありました。

(本文より) 
 四日市中央海軍燃料払い下げ問題に関しては余談がある。次郎の伝手(つて)がなければ入札に入れないという口コミが広がった結果、次郎の名刺が一枚5万円という異常な高値を呼んだという噂が流れたのだ。当の本人は、

「オレにもその名刺を五、六枚まわしてくれよ」

と、言って笑っていたが、実際、次郎の名刺の威力は絶大だった。そんな次郎のことを ゛ファイブ・パーセンター ゛(5パーセントのマージンをとる男の意)と呼んで揶揄(やゆ)する向きもあった。だが彼は利権屋だったかというと、それは違う。身近で次郎のことを見ていた宮澤喜一は、

「白州さんが外資からコミッションをとるなんてことは絶対にありませんね」と断言している。

「人間は地位が上がれば上がるほど ゛役得 ゛を捨て ゛役損 ゛を考えろ」というのが次郎の口癖だった。

 上の役職についたからそれで何か得をしようなどとはもってのほかだというのである。これは彼のよく口にした ゛ノブレス・オブリッジ ゛(社会的地位にある者はそれ故の責任を有する)に通じる考え方だろう。

「自分より目下と思われる人間には親切にしろよ」

とも言っている。運転手にでもキャディにでも必ず「ありがとう」と言った。

「すみませんと言うのはダメだ。Say ゛Thank you! ゛」

運転手つきの社用車に乗るとき、次郎は好んで助手席に座った。理由を聞かれると、

「後ろでふんぞり返っているやつはみんなバカだ!」

と、言うことらしかった。食事のため店に来るまで来ると、

「天井でも何でもいいから、先に運転手に食べさせてやってくれ」

と、真っ先に運転手の文を注文するにが常だった。(中略)
   (以上、北康利著『白州次郎 占領を背負った男』)


 私利私欲が無く、良心から出て来る言葉は、温かいものを感じます。
「ふんぞり返っているやつはみんなバカだ!」の言葉は、痛快ですね。
 
 3年前に、ひょんな事で出会った中央官僚の方は、白洲氏と似た感触を受けました。今でも、地位が上がれば上がるほど、親切に丁寧になる人も居ることを知りました。要は、自分が何処(何)を学び取るかのあると思います。
 
「自分より目下と思われる人間には親切にしろよ」

上記の言葉を常に忘れずに、生きたいものです。

 もう一つが、白州氏の潔さ良い生き方にあります。事業の先行きが立てば、さっと後進に譲り、自分は田舎で隠遁(カントリー・ジェントルマン)生活に戻ります。これは、イギリスに在る「田舎者の有識者:カントリー・ジェントルマン」の生き方です。
 中央で゛事゛が起これば「いざ鎌倉」と急行し、終わればまた元の生活に戻る。

 また、最後の人生の言葉「遺言」は、゛葬式無用、戒名不用゛に、潔さの極致と言う気がします。次郎氏の父も亡くなる前は、一人阿蘇の山麓で隠遁生活をします。ベッドの下には、棺桶が用意されていたそうです。
 先祖から受け継がれたDNAは、白州次郎氏にも受け継がれていたと感じる一生ではなかったなと思います。。


<十八史略の人物>
 白州氏の言動を見ていると、下記の大臣(リーダー)のスタイルに見えて来ます。

・第ニの大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~
 いかにもしっかりしていて、てきぱきと問題に取り組んでゆく。剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる。したがって、やや叡智や気概が露われて、時には議論になったり、反発や反抗を招くこともある。しかし、いかなる障害があっても、敢然として、主張すべきは主張し、やるべきことはどしどしやっていく人である。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 19:11Comments(0)TrackBack(0)リーダーの名言

2008年06月19日

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」)

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~

 私心や作意というものが全くない。あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとはという評判や大変華々しく手柄をたてたというようなことなく、知らず知らずの内に人民がそのお蔭をうける。いるかいないか、わからぬような存在でいながら、人民に無事大平をたのしませる。


この言葉の真意の理解、実践までの至っていませんが、リーダーとは周りを感化し、地域住民を感化して行く光(威光:意向)のようなものと思います。一昨日書いた、鹿児島市の少年犯罪の現象の成果は、市長の思いに、市民が賛同し、住民が感化されて実現されたものと思います。

前鹿児島市長の名前すら知りません。でも、先進国中で犯罪増加率が高い日本で、少年犯罪(軽犯罪)が減少している唯一の県庁所在の活動は、リーダーとは何かを考える実績にあると思います。

校区公民制度は、昭和60年代前半に始まり、その成果が20年の時を越えた今、国内の地域づくりで少年育成環境に、大きな貢献をしています。


>「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』

宮崎県知事東国原氏の上記の発言よりも、リーダーの無言の率先垂範の行動・政策にあると思います。

今日読んだ、第一の大臣の教示から考えたことを書きました。

意見、異見を頂ければ幸いです。   

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:06Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年06月18日

(転機)成功は常に苦辛の日に在る、しびれる(感動)

(転機)成功は常に苦辛の日に在る、しびれる(感動)

おはようございます。朝から、安岡正篤先生の「一日一言」を開いていて、目に留まったものを書きます。


「成功は苦辛の日に」

先賢が教えてくれている。
愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。
話はうまいが、行いはつまらぬ。
若いときはうかうかして過ぎ、壮時にはせかせか動き回り、老年には愚痴ばかりになり易い。
正に、敗事は多く得意の時に因(よ)り、成功は常に苦辛の日に在る。
やはり平生能(よ)く道を聞くことだ。



「しびれる」

何にしびれるかによって、その人は決まる。
中江藤樹は、『論語』と王陽明にしびれていた。
人間は本物にしびれなければならない。

*中江藤樹:陽明学を日本で最初に広めた人と言われています。



(感 想)
・しびれる
 人間は、何に感動するかで、その人生が大きく変わるように思います。
中江藤樹は、王陽明の「陽明学」に感動したのだと思います。陽明学は、心の学問と言われ、「致良知:良心に至る」、良心は元々自分の中にあり、この良心は常に向上させるように努力を怠ってはいけない。と、王陽明の伝記(人類の知的遺産「王陽明」)を読んで学びました。

 中江藤樹は、王陽明に「しびれた:感動」のです。我々も、何かに感動する。しびれることが必要です。テレビやゲームのバーチャルの世界でなく、現実に生きた人間に、しびたいものです。


・成功は常に苦辛の日に在る
 若いときはうかうかして過ぎ
 ~日々の楽しさを追い求めるだけでは、しびれるような感動は得れない。

 壮時にはせかせか動き回り
 ~時には静かに、自分を省みることも必要。リーダーとして口よりも行動が先。

 老年には愚痴ばかりになり易い。 
~愚痴よりも、後世にタイミングよく、教示、示唆をさり気なく。

 「少年老い易く学成りがたし」

日々の研鑽怠りなきよう、苦しい時こそ学びが必要なのかもしれません。。



<関連コミュ>
・中江藤樹 http://mixi.jp/view_community.pl?id=698590
・陽明学 http://mixi.jp/view_community.pl?id=88931
・心を育てる言葉 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1186424
・論語の言葉 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:10Comments(0)TrackBack(0)安岡正篤語録

2008年06月17日

陰徳は福をまねく(開運は善行にあり)

陰徳は福をまねく(開運は善行にあり)

毎週月曜日の永淵道彦先生の教示「開運のすすめ」の一説を紹介しています。(今日は一日遅れの火曜日でした)

・林の老母の事例 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=817942552&owner_id=2182841
・楊栄の事例  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=825605311&owner_id=2182841
・応尚書の事例 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=832960783&owner_id=2182841


陰徳は福をまねく

【現代語訳】
三週、三人の(善行の)例を述べたが、その行うところは各人それぞれ異なってはいるが、帰するところは同じく善である。まことに善を積んで行おうとするものにとってよい手本である。

 しかしながら、善い事をしても、人に知られることを求めないのは、これこそ陰徳というのである。それ故、いつもいつも、自分の心の中を点検吟味するべきある。真実、真心からのものであって、仮もの、偽りの心であってはならない。この道理を判別し明らかにして、善事を行い非事がばかったならば、罪障を滅して幸福を受けるにこれ以上の道はない。

 それ故に、財産があり、勢力のあるものは、幸福を招くことはたやすい、それなのに容易にできる善事をしないのは、これは自らをそこなう、自暴というものである。容易であることをさらに増々行っていくのは、これは錦の上にさらに花を添えるようなもので、ますます幸福を招くことになる。

その反対に貧賤な者は、その幸福を招くのに富貴なものにくらべて難しいものである。しかし難しいからといって、善をしないのは、自暴というものである。難しいが、しかもおしきって善をなすことは、これ一善が百善に相当するのである。

また必ず努力して善事を行い、しかも善事をしているという形態にしない、善をしても気取らぬことこそ貴いのである。
 

【読 訳】
前項でも述べたように、人に知られる事を求めない善行を陰徳という。さて、富める者と貧しきものとの善行に対する違いをどのように考えればよいのであろうか。

財力のある者は、人を助けやすい立場にいるが、それをしようとしないのでは自らを害することになるであろう。貧しき者は、財力の有るものに比べて人を助けることは難しいが、だからといってしないのはどうであろうか。その身の置かれた中で努力し、善事に目を向けて実践することが貴いのである。

善行の最たるものは陰徳であるが、このような実践の行為の中で、巡りめぐって、開運があり、福が招かれるのである。深く心すべきではなかろうか。
 
【感 想】
 人それぞれきびしい生活の中で、周りに出来ることを、少しでも良いから続けることが、自分を育てることにつながる教えと思います。
 背伸びせず、大きな成果を求めず、身近な出来ることから、まず始めることが大切なように思います。




<異業種交流会「夏の会」>
日 時 2008年7月25日19:00
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
~火事というのは火山の話、親父というのは、災害の親玉とでも言うべき地球の歴史上あった全地球的な大災害の話~
参加費 セミナー 1,000円
交流会  4,000円
・渋谷秀敏氏プロフィール
 http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/earthsci/shibuya/index.html 
*後日、詳しいご案内を致します。ご予定に入れて頂けば幸いです。

■<岩手・宮城地震>4000ガル超 国内観測史上最大を記録(毎日新聞 06月16日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=518946
~国内の地震で4000ガルを超えたのは初めて、新潟県中越地震の2515ガルだった~
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:23Comments(1)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年06月16日

学問や技術を身につけるより、重要なのは人格の完成

学問や技術を身につけるより、重要なのは人格の完成 


重要なのは人格の完成 (呻吟語)

 広く学問を窮める。すばらしい技術を身につける。これはこれで一つの長所だと言ってよい。だが、人格の形成に終わりがないのと比べれば、これらのことはある段階にまで達すると、そので終わってしまう。

 重要なのは、立派な人格の形成、これである。

 一人前の社会人となるためには、能力と人格の両面にわたって自分を鍛える必要がある。呂新吾に言わせれば、能力を身につけるのはまだやさしい。むずかしいのは人格を磨くことだという。現代の日本では、人格形成の面がおろそかにされている嫌いがないでもない。(守屋洋訳「申吟語」第2章教養より)

(感想)
 人格者とか、徳のある人等々、現代でも使いますが、それを身につける手段は、簡単に至らないと思います。それぞれの道で、苦労して少しづつ、地道に積み上げて行くしか方法はないように思います。


<コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 13:16Comments(0)TrackBack(0)呻吟語(しんぎんご)

2008年06月16日

子育て環境の現状を危惧するメッセージより

子育て環境の現状を危惧するメッセージより

この宇土親子論語教室のブログの読者から、メールを頂きました。
ご返事の一部を紹介します。


<万引きする小学校2年生>

> 実はもう一つ…小学校2年生の女児が万引きをしていて、何故かお店では気がつかれず、友人の子どもだけが気がついていて…どう対応してよいかわかりません。その姉妹がsosを出している気がしています。友だちの子どもの友だちですから、関係ないと言えばそうなのですが…

多分、何かのシグナルと思います。
心が満たされていないから、心に空いたスペースを埋める行動と思います。
魔が差す程度の内に、親がしっかり子供と蜜に向き合う時間を作ることが必要と思います。

親たちは、忙しいと思います。ずっと一緒にいることは、どこの家庭でもできません。
しかし、親子の関係は、時間の長さでなく、密な時間を作ることが大事と、子供たちが通っていて保育所の園長先生に教えられました。

シグナルを、しっかり受け止める時間を持って欲しいと思います。


<煙草を堂々と吸う中学生 高校生>

> それも上熊本駅界隈での話なので、ほおっておけなくて…煙草を堂々と吸う中学生 高校生に何も言えない大人…万引きをしているのにどう対応したらこの子が救えるか分からない…情けなさは変りませんが、事実です。

大きな事件は、小さな事件の積み重ねと言います。

今、防犯パトロールの環が広がっています。とても良いことと思います。
ただ中心は、小学校低学年の通学監視ですが、心の育成からすると中学生、高校生に関心を持つことも必要と思います。

鹿児島市は、少年犯罪がとても少ない地域ですが、これは、大人たちが夜、夕食を終えて5~10人くらいのグループになって、夜徘徊する少年たちへ「声かけ」をする活動が影響していると言われています。
その声かけグループの数が、鹿児島市内だけで100以上あるそうです。元気の良い少年たち、或いは不良グループへの対応も、訓練して夜の声かけ活動が続けられています。

事の始まりは、昭和60年代少年犯罪が急増しているのを危惧して、当時の鹿児島市長が始められた「校区公民館制度」だといわれています。これは、小学校の敷地に公民館を作り、公民館活動に小・中学校の生徒を絡めて行い、地域で子供を育てる仕組みを作り上げました。この公民館活動の回数が半端でなくて、年間100回以上に登り、多いところは120回を越えるところもありす。

この活動のお蔭で、人生のやり直しができた青年のことが、テレビで紹介されていました。ケンカ、シンナー、暴走族、とうとう鹿児島を飛び出し、関西で色々ことをしましたが、30代になり、故郷に帰って来れたのは、中高生時代に地域のおばちゃん、おじちゃんたちから、いつも気にかけ、声をかけてもらっていたからと語っていました。現在は、その青年は公民館活動や声かけの中心メンバーのなっています。

社会不安を感じるのは、社会の変化に関心を持たない多くの大人の存在が、最大の原因と思います。

やっと始まった防犯パトロールの動きが、中・高生の夜の徘徊への声かけまで広がると良いなと思います。
小学校の親父の会は、PTA活動の一部の活動ですが、小学校で終わらず、中学校、高校の心の隙間を埋める、声かけまで広がって行くと、鹿児島市の公民館活動のように、大きな成果が出て来るのだと思います。


他県の活動を移行して、そのまま合うかは定かではないですが、参考にして行くことは大事と思います。PTA活動の参考になれば幸いです。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:46Comments(0)TrackBack(0)私の意見

2008年06月14日

切れ味は内に秘める

切れ味は内に秘める

 鋭い切れ味は、十分に磨いておかなければならない。ただし、切れ味は内に秘めて、おっとりと構えている必要がある。昔から、禍えおこうむるのは、十人のうち九人が切れる人物であった。おっとりした人物で禍をこうむったものは一人もいないのである。

 ところが近ごろの人間は、ひたすら切れ味の鈍さだけを心配している。これは愚か以外のなにものでもない。

 人間には、四つのタイプがあるのだという。

  かしこかしこ :賢いことを表に出し続ける
  かしこあほう :賢くみせて実は中身が無い
  あほうかしこ :無知・無関心を装い、実は賢い人間
  あほうあほう :全くの無知、無関心

 言うまでもなく、理想は「あほうかしこ」である。ここで呂新吾が語っているのも、これに近いかもしれない。
(守屋洋訳『申吟語』、第2章:修養について)


(感想)
 さっそうと、いつも先頭を走り、ニュースのなる人たちがいます。人の話題・アイデアをつまみ、それを利用して人々を魅了する人たち、社会を上手く泳ぐ人たちと言えるかもしれません。

 でも、長い年月を経て行くと、だんだん中身が見えてきます。信用とは、そんなものかもしれません。ライブドア、グッドウィル、かつてあったものといえば、ねずみ講、豊田商事、もそうかもしれません。

 「あほうかしこ」、先人たちの知恵を時々は、読み返すゆとりこそが大事なことのように思います。

  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:54Comments(0)TrackBack(0)呻吟語(しんぎんご)

2008年06月13日

幸福とは、生き抜いてみなければ見えて来ない。

幸福とは、生き抜いてみなければ見えて来ない。


今読んでいる有名人の語る『幸福論』から、冒険家の三浦雄一郎氏の言葉が印象に残った。


・苦しみ抜いてこそ見えてくるものがある

 生きることは苦しい事です。死ぬのはある意味楽な事です。悩み、もがき、苦しみながらも私たちは生きている。何とか生き抜いてやろうと必死になっている。それが人間の姿ではないでしょうか。幸福とは何か。その答えは、生き抜いてみなければ見えて来ない。苦しみ抜いてこそ見えてくる。
(三浦雄一郎「人生は、ゆっくりと眺めながら歩く方がいい」)

 三浦氏は、70歳を越えてエベレスト(チョモランマ)登頂に挑戦した方ですが、スキーヤーとして成功しながらも、さらに困難に挑戦する言葉の中で出てくる、「いつでも夢中になれるものがあるか」の、問いがあるように思います。


『申吟吾』の中に、次の一説があります。

「困難な課題から先に取り組む」

 まず困難な課題に取り組み、成果は後でゆっくり楽しむ。これこそ、人格を完成させ、仕事を達成する第一の秘訣である。この方針をしっかりと胆に銘じて、あくまでも堅持するならば、いかように非難をあびようとも、けっして動揺する事はない。かりに、一月続け、一年続けても、効果はないかもしれない。しかし、くじけかいで堅持すれば、長いあいだには自然に成果が期待できるのである。
 このように、修行というのは段階を追って一歩づつ完成をはかり、効果が表れて来るのをじっくりと待たなければならない。
(守屋洋訳『申吟吾』、第1章:人間について)


 三浦氏は、5年の準備期間を経て、エベレスト登頂に成功するのですが、成果を早く求めがちな現代においても、人の幸福、さらに周りからの評価とは、長い年月の行動でしか真価は解からないのかもしれません。
 人生指南の書と言われる「申吟吾」には、困難に直面した時思い出し、気持ちを新たにしてくれる気付きの言葉がたくさん詰まっているように思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:25Comments(0)TrackBack(0)呻吟語(しんぎんご)

2008年06月12日

「欲望は前へ、道理は後ろへ」「本物ほど分かり易い」(申吟語)

「欲望は前へ、道理は後ろへ」「ほんものほど分かりやすい」(申吟語)

 今日は、梅雨空の晴まで、けっこう午後は夏の気分を味わいました。大雨はいけませんが、やはり日本には、梅雨が必要なのかなと思いこともあります。

 さて、今日から新しい言葉のシリーズを始めます。中国古典で、魅力を発する「申吟語(しんぎんご)」は、呂新吾著作。これを現代訳にしている、守屋洋氏の解説から抜粋を教会します。


(冒頭の解説から)
 読む人の立場や年齢に応じてさまざまな読み方ができるし、また、人生の指針や心の拠り所のようなものを幾らでも引き出すことができる。

第1章 人間について

・道理はつねに後ろへひっこみがち
 欲望は、前へ前へと進もうとする。これに対し、道理は、後ろへ後ろへ退こうとする。自分を練磨しようとする者は、このことをしっかり刻みこまなければならない。

・ほんものほど分かりやすい
 道を深く体得している人物ほど、語ることがわかりやすい。むずかしいことを言う人は、道を体得することがまだ浅いのである。
(注)文章にしても同じことが言える。読んでもよく意味の汲みとれない文章は、本人の理解がまだ不十分なのだろ決めつけられても、致し方ないかもしれない。


 以上の言葉は、短いですがとても分かり易い言葉になっています。「欲望は前へ、道理は後ろへ」「道を体得した言葉は短い」。

 今日、上記の言葉に近い体験をしました。食料品開発の成果を一生懸命語ってくれるのですが、真意がこちらに伝わらないのです。私自身試食もしました。現物を知っているのですが、今後どういう風に展開をしたいのか、私に何を求めているのか、心動くものがないのです。

 私は、最高の人物と場を提供しました。そこを見て、違った方向も探りたいと言うのです。それを私にまた相談する心境とは、なにか・・・

 今日の申吟語の言葉を読んで、ハッとしたのが、その商品自体を体得していないように思えてきました。これはとても良い、色々なデーター、学者の話し、関係ない今後の企業家たちの方針を語ったり、子供たちの食の危機を語ったり、・・・、で、あなたは何をしたいと聞くと、更に話題があっちこっち飛ぶ。

 ほんものほど分かりやすい:正に感じることは、開発者自身が、その商品のコンセプト、コマーシャル方針、そして商品が社会をどう変えるか、検証が出来ていないことの自信に無さと感じます。
 
 「道理」「ほんもの」は、深い洞察と、自分自身で体得していないから、心を動かさないと気づかされます。吉田松陰の言葉に、次に一説があります。

 「知識は理解し、行動に起こしてこそ知識」(吉田松陰)

*参考資料:呂新吾著「申吟語」、現代語訳:守屋洋
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:30Comments(0)TrackBack(0)呻吟語(しんぎんご)

2008年06月12日

(無関心の国民)政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要

(無関心の国民)政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要

政党の国民に対する責任の無さもありますが、この政治機構を作り上げてきた、国民にも責任があります。明治以来変わらない、政治機構の存続だけが目立ち、それに無関心の国民がいること。

韓国の牛肉問題の国民のアピールのような行動を起さない日本国民の現実も問題と思います。この無関心が大きな問題と思います。


孔子の教示の一説を思い出だしました。

「子曰わく、政(まつりごと)を為すに徳を以ってすれば、譬(たと)えば北辰其の所に居(お)りて、衆星之に共(むか)うが如し。」(「論語」為政第二)

(意訳)
先師(孔子)が言われた。
「仁の心から発する恕(おもいやり)の政治を行えば、たとえば北極星が真北に在って動かずに、多くの星がそれに向ってくるように、その徳を慕って集まってくるものだ。」

(感想)
 色々な場面で、使われ続けて来た言葉と思います。世界のリーダーたちに知ってもらいたい(知っている)言葉と思います。でも、実行されない現実があります。

 政治機構の存続を例えたことばに、「君子を船(政治)、浮かせる海(川)を民衆」と見なし、両方がバランス良い関係でないと、舟は沈んでしまいます。

 社会の改善には、政治家と民衆が双方が歩み寄り、より良き未来を目指し、政治家は謙虚に意見を聞き、民も利己の事でなく公の視点で議論をして欲しいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:27Comments(0)TrackBack(0)孔子の教え