2008年07月11日
今,倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
今軽視している倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、かつ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」
とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、
「直ちに輪読会を中止せよ」
と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、
「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」
と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界の平和実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、かつ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」
とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、
「直ちに輪読会を中止せよ」
と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、
「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」
と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界の平和実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。

