2008年07月30日
勇気を失うことは全てを失うことだ
<今日の名言>
「金を失うことは些細なことで、名誉を失うことは甚大だ。だが、勇気を失うことは全てを失うことだ」
- ウィンストン・チャーチル -
これは、常に勇敢でることを信条としていたチャーチルに最もふさわしい言葉と言えるだろう。
「金を失うことは些細なことで、名誉を失うことは甚大だ。だが、勇気を失うことは全てを失うことだ」
- ウィンストン・チャーチル -
これは、常に勇敢でることを信条としていたチャーチルに最もふさわしい言葉と言えるだろう。
2008年07月28日
福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です
福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です
毎週月曜日に紹介をしてきました、永淵道彦先生の「開運のすすめ」も最後の一説になりました。「福は己がつくる」の教えをしっかり読んでみたいと思います。

(現代語訳)
基地に近づき、凶を避けるのは、断然自分自身による。自分が心を正しく保ち、善事を行って悪業をしないようにして、少しも天地鬼神も恥じないよう心持ちを謙虚にし、己をへり下って、常に天地鬼神からほめられる行為と生き方をして、はじめてどうにか福を受ける基ができるのである。
昔の言葉でも「功名に志のあるのは必ず功名が得られ、富貴を得ようと志すものには必ず富貴が得られる」といっている。そのように、人が志えおもっているのは、樹に根があるようなものである。そのような強い志は、三軍(大軍)の力をもっても奪うことができない。このようなしっかりとした志を確立して、しかも、いつも謙虚であり、いつも機に臨んで善を積み、自然のうちに天地の神を感動させ、運命を自分から造っていくようにすべきである。
ところが今日、官史登用試験に合格しようとするものは、初めから確乎(かっこ)不動の志がなく、一時の興味で受験しているにすぎない。それだから気が向けば受験し、いやになれば、やめてしまう。孟子が「王が、ほんとうに音楽を好んだならば、斉国の民もみな音楽を好きになる」といったが、志を持ってしっかり勉強すれば合格するということでは科挙の試験においても同じであると言いたい。
(読 釈)
福を招くにはまず、志を立てなければならない。人間の志は三軍(大軍)の力を持ってしても奪うことができないと言われるように、志は人間の生きていく根っこであり基(もとい)である。
まずは何をおいても、志を立てることが大事なのである。確固不動の志を持たず、ふわふわとした思いのままの行動からは何も生み出すことはできない。
筆者の見聞であるが、往時、東京大学や京都大学ぐらい出ていないと学者のなれないと揶揄された、あまり評価されない大学の学生であった若者が、鋭意努力の末、今や、万葉集研究の大家となっている。また、同様の学生で、大学の名前でなく、君は君の名前で世に知られればいいと言説した若者が、今や、努力の末、俳人として世に知られる存在となっているのである。
もちろん、鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。その成果は「神や仏のみぞ知る」であるが、謙虚さや善行に留意し、まさに福はおのれが招きつくるものである。
そして、我々がこの世に活かされていることの有り難さを信じようではないか。
(感 想)
「鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。」
当たり前のことが最後の教示でした。しかし、この当たり前のことを実行する事が一番難しいのではないでしょうか。チャレンジ、色々言い訳をして、後回し、寄り道ばかりしている人が居ます。私もその一人かもしれません。

でも、若いときから夢(志)を持ち、ハンディをものともせず、世界に飛び出して行く人たちが居ます。今朝の新聞に、バスケットで世界最高峰のプロリーグに挑戦し続け田臥勇太(27才)をコラム「日本遠望」で紹介があった。能代高校のバスケット少年が、2mの大男たちのNBAに、身長173cmの身体を駆使し、今、2部リーグで必死なり、狭き1部リーグの門をこじ開けるために頑張っている様子が書かれていました。
今年5年目で、大方の見方は年齢的にも勝負は1、2年とか。今年のシーズンに向かう気持ちは違っていると本人が語っている。以下、一部転載。
「攻めは自信があるが、身長さが克服し難い守りが課題と見定めた。探し求めたものを見つけた。千変万化の動きを探るコア(核)を身体の中に感じ始めた。『コアが目覚めれば、すべてが向上する』と」(中略)
・・外へ発散したシーズンとは対照的に自分と向き合う時間が流れる。「人間として日々成長している」(マネージャーの野村氏)
日本一バスケットが好きな少年は、ハンディを言い訳にせず、夢に向かって成長し続けています。やはり成長に欠かせないのは、日々の努力と、自分と謙虚に向きあい、言い訳をせず、我々がこの世に活かされていることの意味を探し続ける事ではないでしょうか。
「福は己がつくる」が最後の教示ですが、これまでの文章は、下記にアドレスがありますので、検索頂ければ幸いです。
皆様にとって、人生がより良きものになるように願い、「開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)」をご紹介しました。以後も、中国故事を中心に、色々な永淵先生の言葉を紹介したいと思います。
<コミュ「開運のすすめ」>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
<以前の日記>
・「禍は上より起る」「自らを頼みにする」(佐藤一斎『言志四録』)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883140838&owner_id=2182841
・早朝の地区協働作業、炎天下の歴史の現場ウォッング
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882975298&owner_id=2182841
<日曜の教示>『菜根譚』
・心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33482964&comment_count=0&comm_id=2310909
毎週月曜日に紹介をしてきました、永淵道彦先生の「開運のすすめ」も最後の一説になりました。「福は己がつくる」の教えをしっかり読んでみたいと思います。

(現代語訳)
基地に近づき、凶を避けるのは、断然自分自身による。自分が心を正しく保ち、善事を行って悪業をしないようにして、少しも天地鬼神も恥じないよう心持ちを謙虚にし、己をへり下って、常に天地鬼神からほめられる行為と生き方をして、はじめてどうにか福を受ける基ができるのである。
昔の言葉でも「功名に志のあるのは必ず功名が得られ、富貴を得ようと志すものには必ず富貴が得られる」といっている。そのように、人が志えおもっているのは、樹に根があるようなものである。そのような強い志は、三軍(大軍)の力をもっても奪うことができない。このようなしっかりとした志を確立して、しかも、いつも謙虚であり、いつも機に臨んで善を積み、自然のうちに天地の神を感動させ、運命を自分から造っていくようにすべきである。
ところが今日、官史登用試験に合格しようとするものは、初めから確乎(かっこ)不動の志がなく、一時の興味で受験しているにすぎない。それだから気が向けば受験し、いやになれば、やめてしまう。孟子が「王が、ほんとうに音楽を好んだならば、斉国の民もみな音楽を好きになる」といったが、志を持ってしっかり勉強すれば合格するということでは科挙の試験においても同じであると言いたい。
(読 釈)
福を招くにはまず、志を立てなければならない。人間の志は三軍(大軍)の力を持ってしても奪うことができないと言われるように、志は人間の生きていく根っこであり基(もとい)である。
まずは何をおいても、志を立てることが大事なのである。確固不動の志を持たず、ふわふわとした思いのままの行動からは何も生み出すことはできない。
筆者の見聞であるが、往時、東京大学や京都大学ぐらい出ていないと学者のなれないと揶揄された、あまり評価されない大学の学生であった若者が、鋭意努力の末、今や、万葉集研究の大家となっている。また、同様の学生で、大学の名前でなく、君は君の名前で世に知られればいいと言説した若者が、今や、努力の末、俳人として世に知られる存在となっているのである。
もちろん、鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。その成果は「神や仏のみぞ知る」であるが、謙虚さや善行に留意し、まさに福はおのれが招きつくるものである。
そして、我々がこの世に活かされていることの有り難さを信じようではないか。
(感 想)
「鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。」
当たり前のことが最後の教示でした。しかし、この当たり前のことを実行する事が一番難しいのではないでしょうか。チャレンジ、色々言い訳をして、後回し、寄り道ばかりしている人が居ます。私もその一人かもしれません。

でも、若いときから夢(志)を持ち、ハンディをものともせず、世界に飛び出して行く人たちが居ます。今朝の新聞に、バスケットで世界最高峰のプロリーグに挑戦し続け田臥勇太(27才)をコラム「日本遠望」で紹介があった。能代高校のバスケット少年が、2mの大男たちのNBAに、身長173cmの身体を駆使し、今、2部リーグで必死なり、狭き1部リーグの門をこじ開けるために頑張っている様子が書かれていました。
今年5年目で、大方の見方は年齢的にも勝負は1、2年とか。今年のシーズンに向かう気持ちは違っていると本人が語っている。以下、一部転載。
「攻めは自信があるが、身長さが克服し難い守りが課題と見定めた。探し求めたものを見つけた。千変万化の動きを探るコア(核)を身体の中に感じ始めた。『コアが目覚めれば、すべてが向上する』と」(中略)
・・外へ発散したシーズンとは対照的に自分と向き合う時間が流れる。「人間として日々成長している」(マネージャーの野村氏)
日本一バスケットが好きな少年は、ハンディを言い訳にせず、夢に向かって成長し続けています。やはり成長に欠かせないのは、日々の努力と、自分と謙虚に向きあい、言い訳をせず、我々がこの世に活かされていることの意味を探し続ける事ではないでしょうか。
「福は己がつくる」が最後の教示ですが、これまでの文章は、下記にアドレスがありますので、検索頂ければ幸いです。
皆様にとって、人生がより良きものになるように願い、「開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)」をご紹介しました。以後も、中国故事を中心に、色々な永淵先生の言葉を紹介したいと思います。
<コミュ「開運のすすめ」>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
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<以前の日記>
・「禍は上より起る」「自らを頼みにする」(佐藤一斎『言志四録』)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883140838&owner_id=2182841
・早朝の地区協働作業、炎天下の歴史の現場ウォッング
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882975298&owner_id=2182841
<日曜の教示>『菜根譚』
・心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33482964&comment_count=0&comm_id=2310909
2008年07月27日
心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」
心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」
(現代語訳)
寛大で心の温かい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。刻薄(こくはく)で心の冷たい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のともでは、すべてのものが死に絶えてしまう。
(解 説)
心の温かさは、そのまま顔や態度に滲み出てきて、温かい雰囲気をかもし出す。それが周りに人をひき寄せるのである。だからといって、心は冷たいのに、顔つきだけ温かくしようとしても無理であって、「あいつは上辺だけだ」とすぐに見破られてしまう。当然、人も離れていく。これでは何をやってもうまくいかない。仮に一時はうまくいっても、崩れるときは信じがたいほど脆く崩れていく。
(感 想)
上司の価値は、三日接すれば分かると何かの本にありました。遠くの部署で、素晴らしい業績を上げている人は、いつか耳に入るものです。しかしその実態は、良くわかりません。実施に一緒に仕事して行くと、そう長く付き合わなくても、人間性、人間力は、感じる事ができると思います。
人の噂は半分聞き、実際の判定(鑑定)は、自分で確かめる事が大事と最近つくづく思います。後輩たちには、「現場、現物、本人」と語ります。反対に、自分が上に立つ時にこそ、日々研鑽してきた人格が生きるような、生き方を日常からやっておくことだと思います。
やはり、心の温かい人、心の冷たい人を見比べると、太陽のような人の周りには、何時も誰か、何かの用事も無くても、よく人が集まっています。魅力は自分で磨くしかありません。
そこで、「これから求められる人間力」の4つにキーワードとは、
一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あっても、これに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人
二、自分で目標を立てることが出来る人
三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、前進するために何が問題かを把握できる人
四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人
私も上記のことを、念頭に置きながらも、自分を省みるゆとりを持ちたいと思います。参考になれば幸いです。
(現代語訳)
寛大で心の温かい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。刻薄(こくはく)で心の冷たい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のともでは、すべてのものが死に絶えてしまう。
(解 説)
心の温かさは、そのまま顔や態度に滲み出てきて、温かい雰囲気をかもし出す。それが周りに人をひき寄せるのである。だからといって、心は冷たいのに、顔つきだけ温かくしようとしても無理であって、「あいつは上辺だけだ」とすぐに見破られてしまう。当然、人も離れていく。これでは何をやってもうまくいかない。仮に一時はうまくいっても、崩れるときは信じがたいほど脆く崩れていく。
(感 想)
上司の価値は、三日接すれば分かると何かの本にありました。遠くの部署で、素晴らしい業績を上げている人は、いつか耳に入るものです。しかしその実態は、良くわかりません。実施に一緒に仕事して行くと、そう長く付き合わなくても、人間性、人間力は、感じる事ができると思います。
人の噂は半分聞き、実際の判定(鑑定)は、自分で確かめる事が大事と最近つくづく思います。後輩たちには、「現場、現物、本人」と語ります。反対に、自分が上に立つ時にこそ、日々研鑽してきた人格が生きるような、生き方を日常からやっておくことだと思います。
やはり、心の温かい人、心の冷たい人を見比べると、太陽のような人の周りには、何時も誰か、何かの用事も無くても、よく人が集まっています。魅力は自分で磨くしかありません。
そこで、「これから求められる人間力」の4つにキーワードとは、
一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あっても、これに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人
二、自分で目標を立てることが出来る人
三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、前進するために何が問題かを把握できる人
四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人
私も上記のことを、念頭に置きながらも、自分を省みるゆとりを持ちたいと思います。参考になれば幸いです。
2008年07月24日
得意の時こそ注意、能く人を容れる
得意の時こそ注意、能く人を容れる
好調の時は、なんでもうまく行くように感じてきます。しかし、好調の時は色々な者、人も引き付けて行きます。
良く、得意の時(好調時)は、慎重にの教えがいくも残っています。
物事が巧く行っている時は、一歩退いてうまくいかない時の対応を考えておくべきである。一時であれ一つの事がらであれ、多区画昇りつめるた龍のように栄達を極めると、必ず衰退の恐れがあることを知っておく必要があります。
また、得意の時は、不調へ向けた矛盾が見え隠れする現象が出てきます。これを気付き、示唆してくれる人が、厳しい意見を言う時は、謙虚に耳を傾けることが必要です。実際、好調の時は、耳障りな言葉は聞きたくない、耳に入り難いものです。
しかし、耳障りな言葉は、自分の行動、事業への助言と思い、一歩引いて検証するゆとりが、惨事を回避する方法の一つと考えます。そのためには、日常から、色々な人の意見をうけ入れるように、心掛けることが重要と思います。
江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節から、
(本 文)~佐藤一斎「言志四録」~
能(よ)く人を容(い)るる者にして、しかるの後以て人を責むべし。人も亦(また)其の責を受く。
人を容るることを能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。
(解 釈)
人を寛容に受け入れる度量の持ち主はであって、初めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。
人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受け付けないものである。
*西郷南州(隆盛)は「男子は人を容れ、人に容れらては済まぬものとおもえよ」と訓えている。男というものは包容力がなくてはいけないということである。
好調な時こそ、厳しい意見を受け入れることで、現況に満足せず、更なる向上心を持ち、多様な意見を受け容れる度量こそが、大事な事と先人も推しています。
好調を維持する方法は、謙虚に現状を分析する心にあるのかもしれません。
「人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない」
今日一日、上記の言葉を心に置き、人と接してみたいと思います。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「斉藤一斎 一日一言」より
好調の時は、なんでもうまく行くように感じてきます。しかし、好調の時は色々な者、人も引き付けて行きます。
良く、得意の時(好調時)は、慎重にの教えがいくも残っています。
物事が巧く行っている時は、一歩退いてうまくいかない時の対応を考えておくべきである。一時であれ一つの事がらであれ、多区画昇りつめるた龍のように栄達を極めると、必ず衰退の恐れがあることを知っておく必要があります。
また、得意の時は、不調へ向けた矛盾が見え隠れする現象が出てきます。これを気付き、示唆してくれる人が、厳しい意見を言う時は、謙虚に耳を傾けることが必要です。実際、好調の時は、耳障りな言葉は聞きたくない、耳に入り難いものです。
しかし、耳障りな言葉は、自分の行動、事業への助言と思い、一歩引いて検証するゆとりが、惨事を回避する方法の一つと考えます。そのためには、日常から、色々な人の意見をうけ入れるように、心掛けることが重要と思います。
江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節から、
(本 文)~佐藤一斎「言志四録」~
能(よ)く人を容(い)るる者にして、しかるの後以て人を責むべし。人も亦(また)其の責を受く。
人を容るることを能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。
(解 釈)
人を寛容に受け入れる度量の持ち主はであって、初めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。
人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受け付けないものである。
*西郷南州(隆盛)は「男子は人を容れ、人に容れらては済まぬものとおもえよ」と訓えている。男というものは包容力がなくてはいけないということである。
好調な時こそ、厳しい意見を受け入れることで、現況に満足せず、更なる向上心を持ち、多様な意見を受け容れる度量こそが、大事な事と先人も推しています。
好調を維持する方法は、謙虚に現状を分析する心にあるのかもしれません。
「人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない」
今日一日、上記の言葉を心に置き、人と接してみたいと思います。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「斉藤一斎 一日一言」より
2008年07月23日
(志と向上心)憤なくして大成なし
(志と向上心)憤なくして大成なし
憤の一字は、これ進学の機関なり。舜何人そや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)にこれ憤なり。(佐藤一斎『言志四録』)
(解 釈)
憤とは発憤すること。「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。孔子の弟子の顔淵が発憤していった「(古代の聖人の)舜も、自分も、同じ人間ではないか」という言葉、これまさに憤である。
(感 想)
発憤する思い「負けてたまるか」には、色々な対象があると思います。運動会のかけっこの相手、勉強で成績の競争、仕事だったら同期入社の仲間、事業を起こせば対抗する会社等々、競争相手があるものです。
でも、こと学問(生き方)になると、現代人を対象せず、偉人、聖人が対象になることがあります。例えば、幕末の英雄の坂本龍馬、戦国の武将たち、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、古代であれば聖徳太子、大陸をみれば三国志の諸葛孔明、曹操、近代の曽国藩など、人の生き方を学ぶ対象は、事欠きません。
要は、自分が何処を目指すかにあると思います。そして、一番の相手は自分自身、「怠け癖」を打ち消し、向上し続けるには、自分自身の弱気にたいして「なにくそ」と、発憤することが必要なように思います。
憤の一字は、これ進学の機関なり。舜何人そや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)にこれ憤なり。(佐藤一斎『言志四録』)
(解 釈)
憤とは発憤すること。「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。孔子の弟子の顔淵が発憤していった「(古代の聖人の)舜も、自分も、同じ人間ではないか」という言葉、これまさに憤である。
(感 想)
発憤する思い「負けてたまるか」には、色々な対象があると思います。運動会のかけっこの相手、勉強で成績の競争、仕事だったら同期入社の仲間、事業を起こせば対抗する会社等々、競争相手があるものです。
でも、こと学問(生き方)になると、現代人を対象せず、偉人、聖人が対象になることがあります。例えば、幕末の英雄の坂本龍馬、戦国の武将たち、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、古代であれば聖徳太子、大陸をみれば三国志の諸葛孔明、曹操、近代の曽国藩など、人の生き方を学ぶ対象は、事欠きません。
要は、自分が何処を目指すかにあると思います。そして、一番の相手は自分自身、「怠け癖」を打ち消し、向上し続けるには、自分自身の弱気にたいして「なにくそ」と、発憤することが必要なように思います。
2008年07月21日
(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」
(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」
毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」から、一文を紹介しています。
(現代語訳)
丁酉(ひのととり)の歳(万歴25年)のある夜の夢の中で、一室に入って行った。その部屋は非常に高い造りであった。そこで一冊の試験の帳簿を見つけたもので、それをひらいて見ると、何も書いていない行が多かった。変に感じたので、そばにいた人に尋ねてみた。
「これは今年の登用試験の帳簿であるが、どうしてこのように多く名が欠けているのだろうか」
というと、その人がいうには、
「登用試験は、天上で三年に一度しらべ合わせる。そこで、徳を積みまちがいのないものがあると、はじめてこの帳簿に名を書き入れるのである。前の欠けているところは、みな以前には試験には及第したけれども、試験の後で徳をけがすような行いをしたから、名を削り去られたのである」
と。そこでまた最後の一行を指して、
「あなたは、ここ三年以来、大変操行を慎んできた。だからここにあなたの名が書き込まれるかも知れない。大いに自重しなさい。」
といった。
さて、この度試験に私は百五番で合格したが、これは、あの夢の中でたずねた人が指したところの番にあたっている。
このことを考えてみると、我々の頭上三尺のところには、必ず神が我々を照覧しているのである。
(読 訳)
高く評価もされず、能力もさほど無いとされている人間であっても、謙虚さを持ち、善事を積み、何事かを一心に努力をすべきである。我々の頭上には必ず神さまや仏さまがおられ、ご覧になっていると思い、身を慎み、一心に励むべきである。
神さまや仏サさまを信じない現代人であっても、努力の成果に対する、成否の恐れをどのように処するのであろうか。
(感 想)
大分の教員採用汚職事件を毎日聞きながら、当事者の心情を考え、今日の一文を読むと、先人たちの心にも「自分さえ良ければ・・」の思いにどう打ち勝つか、試行錯誤したのだろうと思います。
しかし、いつか、どこかからか、悪事は漏洩するものと思います。そして、その腐敗には、地域のトップリーダー(政治家)の関与もあるという事実がグルーズアップされています。
「自分さえ良ければ良い」を政治家自ら、地域に行動で見せるようでは、部下も「俺たちも」となると思います。副知事、教育長、更には知事、県選出の国会議員も含め、長い年月をかけて蔓延った腐敗の根は相当深いと思える大分の事件ですし、地方の教育会に在る若者の良心を踏みにじる体質に思えて来ます。
そして、それに集る国民、利用する教職員家族、等を検証して見る必要があります。その解決の道は、教育現場に立つ一人ひとりの先生が、率先垂範で子供たちに「良心」を育てる徳育を実践して欲しいと願います。
<関連の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
・「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」から、一文を紹介しています。
(現代語訳)
丁酉(ひのととり)の歳(万歴25年)のある夜の夢の中で、一室に入って行った。その部屋は非常に高い造りであった。そこで一冊の試験の帳簿を見つけたもので、それをひらいて見ると、何も書いていない行が多かった。変に感じたので、そばにいた人に尋ねてみた。
「これは今年の登用試験の帳簿であるが、どうしてこのように多く名が欠けているのだろうか」
というと、その人がいうには、
「登用試験は、天上で三年に一度しらべ合わせる。そこで、徳を積みまちがいのないものがあると、はじめてこの帳簿に名を書き入れるのである。前の欠けているところは、みな以前には試験には及第したけれども、試験の後で徳をけがすような行いをしたから、名を削り去られたのである」
と。そこでまた最後の一行を指して、
「あなたは、ここ三年以来、大変操行を慎んできた。だからここにあなたの名が書き込まれるかも知れない。大いに自重しなさい。」
といった。
さて、この度試験に私は百五番で合格したが、これは、あの夢の中でたずねた人が指したところの番にあたっている。
このことを考えてみると、我々の頭上三尺のところには、必ず神が我々を照覧しているのである。
(読 訳)
高く評価もされず、能力もさほど無いとされている人間であっても、謙虚さを持ち、善事を積み、何事かを一心に努力をすべきである。我々の頭上には必ず神さまや仏さまがおられ、ご覧になっていると思い、身を慎み、一心に励むべきである。
神さまや仏サさまを信じない現代人であっても、努力の成果に対する、成否の恐れをどのように処するのであろうか。
(感 想)
大分の教員採用汚職事件を毎日聞きながら、当事者の心情を考え、今日の一文を読むと、先人たちの心にも「自分さえ良ければ・・」の思いにどう打ち勝つか、試行錯誤したのだろうと思います。
しかし、いつか、どこかからか、悪事は漏洩するものと思います。そして、その腐敗には、地域のトップリーダー(政治家)の関与もあるという事実がグルーズアップされています。
「自分さえ良ければ良い」を政治家自ら、地域に行動で見せるようでは、部下も「俺たちも」となると思います。副知事、教育長、更には知事、県選出の国会議員も含め、長い年月をかけて蔓延った腐敗の根は相当深いと思える大分の事件ですし、地方の教育会に在る若者の良心を踏みにじる体質に思えて来ます。
そして、それに集る国民、利用する教職員家族、等を検証して見る必要があります。その解決の道は、教育現場に立つ一人ひとりの先生が、率先垂範で子供たちに「良心」を育てる徳育を実践して欲しいと願います。
<関連の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
・「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
2008年07月20日
(三人寄れば我が師あり)高校PTA新聞作りからの気付き
(三人寄れば我が師あり)高校PTA新聞作りからの気付き
私の関わる身の回りの活動で、昨夜は娘の通う高校のPTA新聞の夏号完成の反省会があった。今年、広報委員2年目ですが、メンバーが入れ替わり雰囲気ガラッと変わった。
昨年のリーダーは、例年通りにして行く方で、2年間委員長をされた。熊本の新聞社の新聞コンクールに出す事が目的のような新聞作りでしたが、今年は小中学校でPTA会長や、女性部代表等の役員経験者も多く、「子供が見る、親が見たい」新聞を作ろうと、張り切っていて、短い3回の会議で一気に作り上げました。
A3見開き4ページ、1面は、校長VS会長対談、創立記念日講演会等の文字を中心の掲載、4面は今年にPTA役員紹介、九州高校PTA大会参加の報告、人権問題のコラムと、こちらも文字の多い紙面でした。
昨年までは、2面は、体育祭、県高校総体の報告、3面はテーマを決めた特集でした。ところが今回のメンバーは、前年踏襲など気にせず、2面体育祭写真24枚、3面県高校総体、総合文化祭に参加した全ての部を写真で紹介する紙面で、データが大きすぎてメールで送れないくらい、すごいものになりました。出来上がりに、みんさん満足、反省会をしようと言うことになりました。
昨年の委員長は男性、職業は教師。今年は女性で、主婦ですがPTA会長経験者で、広報委員も小中でやっていたそうです。変革を起こすのは、やはり女性かなと思いました。前例にとらわれず、今の人が求めるものを提供することが、PTA新聞の意味があると、反省会の中で色々出ていました。
話す中で、高校PTA組織や学校とのかかわりに、色々な疑問点が上がりました。高校PTA会費が小中に比べてはるかに高い事、PTA会費で職員を雇っていること、地方の高校でも冷房が当たり前になっていますが、冷暖房の生徒利用費が中身がわからない、・・・。
高校PTAの役割は、中学校までような保護者が学校に関わりより、運営や予算の内容説明責任があると思いました。色々教えられた、新聞完成の反省会でした。
佐藤一斎の言志四録に、次の一説がありました。
・我が友、我が師
徒(いたず)らに我を誉むる者は喜ぶに足らず。
徒らに我を毀(そし)る者も怒るに足らず。
誉めて当る者は、我が友なり。宜しく努めて以て其の実を求むべし。
毀りて当る者は、我が師なり。宜しく敬して以て其の訓(おしえ)に従うべし。
(解 釈)
やたらと自分を誉める者がいても、喜ぶほどのことではない。やたらと自分をけなす者がいても、怒るほどのことではない。
誉められて、それが的を射ているならば、その人は自分の友である。一生懸命努めて、誉められたことに応えるように実を挙げなくてはいけない。
けなされて、それが的を射ているようならば、その人は自分の師である。慎んでその人の教えに従うべきである。
様々な場面で、色々な人と出会い、語り、交流が生まれます。ただやみくもに、日々を過ごすのではなく、人の言葉に真剣に耳を傾け、自分のこととして考える事が大事だなと思います。たかがPTA新聞づくり、なおざりに出来ない、親たちの真剣さを感じられた昨夜の反省会でした。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎 一日一言」~『言志四録』を読む~
私の関わる身の回りの活動で、昨夜は娘の通う高校のPTA新聞の夏号完成の反省会があった。今年、広報委員2年目ですが、メンバーが入れ替わり雰囲気ガラッと変わった。
昨年のリーダーは、例年通りにして行く方で、2年間委員長をされた。熊本の新聞社の新聞コンクールに出す事が目的のような新聞作りでしたが、今年は小中学校でPTA会長や、女性部代表等の役員経験者も多く、「子供が見る、親が見たい」新聞を作ろうと、張り切っていて、短い3回の会議で一気に作り上げました。
A3見開き4ページ、1面は、校長VS会長対談、創立記念日講演会等の文字を中心の掲載、4面は今年にPTA役員紹介、九州高校PTA大会参加の報告、人権問題のコラムと、こちらも文字の多い紙面でした。
昨年までは、2面は、体育祭、県高校総体の報告、3面はテーマを決めた特集でした。ところが今回のメンバーは、前年踏襲など気にせず、2面体育祭写真24枚、3面県高校総体、総合文化祭に参加した全ての部を写真で紹介する紙面で、データが大きすぎてメールで送れないくらい、すごいものになりました。出来上がりに、みんさん満足、反省会をしようと言うことになりました。
昨年の委員長は男性、職業は教師。今年は女性で、主婦ですがPTA会長経験者で、広報委員も小中でやっていたそうです。変革を起こすのは、やはり女性かなと思いました。前例にとらわれず、今の人が求めるものを提供することが、PTA新聞の意味があると、反省会の中で色々出ていました。
話す中で、高校PTA組織や学校とのかかわりに、色々な疑問点が上がりました。高校PTA会費が小中に比べてはるかに高い事、PTA会費で職員を雇っていること、地方の高校でも冷房が当たり前になっていますが、冷暖房の生徒利用費が中身がわからない、・・・。
高校PTAの役割は、中学校までような保護者が学校に関わりより、運営や予算の内容説明責任があると思いました。色々教えられた、新聞完成の反省会でした。
佐藤一斎の言志四録に、次の一説がありました。
・我が友、我が師
徒(いたず)らに我を誉むる者は喜ぶに足らず。
徒らに我を毀(そし)る者も怒るに足らず。
誉めて当る者は、我が友なり。宜しく努めて以て其の実を求むべし。
毀りて当る者は、我が師なり。宜しく敬して以て其の訓(おしえ)に従うべし。
(解 釈)
やたらと自分を誉める者がいても、喜ぶほどのことではない。やたらと自分をけなす者がいても、怒るほどのことではない。
誉められて、それが的を射ているならば、その人は自分の友である。一生懸命努めて、誉められたことに応えるように実を挙げなくてはいけない。
けなされて、それが的を射ているようならば、その人は自分の師である。慎んでその人の教えに従うべきである。
様々な場面で、色々な人と出会い、語り、交流が生まれます。ただやみくもに、日々を過ごすのではなく、人の言葉に真剣に耳を傾け、自分のこととして考える事が大事だなと思います。たかがPTA新聞づくり、なおざりに出来ない、親たちの真剣さを感じられた昨夜の反省会でした。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎 一日一言」~『言志四録』を読む~
2008年07月19日
時間を無駄にするな (菜根譚)
時間を無駄にするな (菜根譚)
(本 文)
暇なときでも、時間をムダにしてはならない。その効用は、多忙になったとき現れてくる。休んでいるときでも、ぼんやり時を過ごしてはならない。その効用は、仕事にかかったとき現れてくる。人目につかぬところでも、良心をあざむてはならない。その効用は、人前に出たとき現れてくる。
(解 説)
現代は時の流れが加速している。たぶん古人よりも私どものほうがはるかにあわただしい気分で毎日を送っているのではないか。なればこそ、時にはのんびりした時間を持ちたいという思いも強い。しかし、有事即応といくためにには、休養しているいだにも、それなりの過ごし方があるものだという。特に独りになったときどう過ごすかで、その後の対応が大きく変わっていく。
(感 想)
「タイム・イズ・マネー」、一事流行したクイズ番組ではありません。古(いにしえ)から、人々が絶えず考え続けた課題と思います。「時間は創るもの」「寸暇を惜しんで・・・」色々な教示はありますが、無駄、無駄口、惰眠、・・・、今は二度と帰らないのです。
人生をどう生きるか、どう生き抜くか? 他人の目(思惑)ばかり気にしていては、躊躇が先で、成果を上げれないように思います。思い切りと行動力こそが、市民のパワーと思います。
私の師の一人、木内孝氏(フューチャー500会長)は、いかに時間を有効に使うは、2千年前からの課題と語られます。要は、その場に参加するかどうかは、男であれ、女であれ、本人が決めることと思います。
(本 文)
暇なときでも、時間をムダにしてはならない。その効用は、多忙になったとき現れてくる。休んでいるときでも、ぼんやり時を過ごしてはならない。その効用は、仕事にかかったとき現れてくる。人目につかぬところでも、良心をあざむてはならない。その効用は、人前に出たとき現れてくる。
(解 説)
現代は時の流れが加速している。たぶん古人よりも私どものほうがはるかにあわただしい気分で毎日を送っているのではないか。なればこそ、時にはのんびりした時間を持ちたいという思いも強い。しかし、有事即応といくためにには、休養しているいだにも、それなりの過ごし方があるものだという。特に独りになったときどう過ごすかで、その後の対応が大きく変わっていく。
(感 想)
「タイム・イズ・マネー」、一事流行したクイズ番組ではありません。古(いにしえ)から、人々が絶えず考え続けた課題と思います。「時間は創るもの」「寸暇を惜しんで・・・」色々な教示はありますが、無駄、無駄口、惰眠、・・・、今は二度と帰らないのです。
人生をどう生きるか、どう生き抜くか? 他人の目(思惑)ばかり気にしていては、躊躇が先で、成果を上げれないように思います。思い切りと行動力こそが、市民のパワーと思います。
私の師の一人、木内孝氏(フューチャー500会長)は、いかに時間を有効に使うは、2千年前からの課題と語られます。要は、その場に参加するかどうかは、男であれ、女であれ、本人が決めることと思います。
2008年07月17日
(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~
(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~
「構へ有りて構へなしと云ふは、太刀を構ふると云ふにあらず」(五輪の書)
たとえ風見鶏と言われても自信をもてということ。日本人は、「忠」とか「誠」とか、唱えて意志を貫くことが尊ぶが、宮本武蔵の言う自分を変えろと言うのは、時代の流れ(世が望むこと)に、答えるよう自分を変化(向上)させる、あるいは答えられる能力を備えることが重要と説いていると、童門冬ニ氏の「宮本武蔵の人生訓」にあった。
日本で言う風見鶏は、利のある方向へ鞍替えする意味ですが、武蔵の言う風見鶏は、社会の要請に対して、自分を何度も変えられる鳥のこと。要は、自己変革のできる人間のことで、単に風向きに合わせて、自分の立場を考えているだけではない人間のことです。
日本社会は、「視線(おもわく)社会」であって、「自分が自分をどう思うか」よりも、「他人が自分のことをどう見るか」が、物差しになっているように思います。以下は、童門氏の言葉を引用します。
(本文)
他人の視線(言葉)を風と考えている人が多い。しかし、これは本当の風ではない。風と思うのは錯覚である。(中略)
日本人の多くが、ほとんど他人の目を気にして生きている。自分を目を信じない。そして、心の底で、自分は納得しなくても、不承不承、他人の目に従うことが多い。つまり自分を偽って生きている。だから、そういう面で苦悩が多い。
武蔵はそんなことはしなかった。彼は、あくまでも、自分に忠実に生きた。自分が自分をどう思うか、それを生きる物差しにした。
「自分自身の原則」を強くもっていかたからである。その原則を信ずる限り、他人がどう思おうと構わない。状況の応じて、自分を変質し、生き抜いていくことは、決して悪いことではないと武蔵は思っていた。
それが良いことか悪いことかを分ける物差しは、
「自分が変ることが、他人の役に立つか立たないのか。世の中の役に立つか立たないか」と言うことである。(中略)
今日も難しい会議がありました。薄れている気持ちを、どう揺り戻すか、誰の意見を使い、どう活発に意見が出るようにして、参加意識を高めるにはどうしようかと、思案をしながら始まりました。不思議なことに、感じていることは「皆同じ」で、同じ空気を思いました。
私は、いつも会議に白紙で臨むのですが、参加する一人ひとりが意見を出せるように、それぞれのを意見を採用して、活性化させるかに、議長の時でなく、末席の参加の時も心掛けています。すると活動で同じ時間過ごした人達は、空気を読み、少しづつ本音が出て来るものです。
代表は、短く終わろうと言ってたのが、問題点がだんだん出てくると、早く終わるもくろみは消え、全部が真剣勝負の議論になって行きました。とても有意義な会議なりました。会議が終わってもまだ議論が終わらない、でもその会話の中身は、先を見据えた話題に発展していて、とても感激しました。
風を読み、自分を流れに乗せるために、変化させる工夫こそが、風見鶏です。ただし、決して私利私欲が入ると、その判断を誤ります。不思議なものです。
無心になり、風を読む練習を常に積むことが必要と思います。人間は、人と関わりながらしか生きて行けませんから、困難に怯むことなく、「世の中の役に立つか立たないか」を物差しに、自分を変化させ続けること大事と思いました。
*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」
<コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3200969
「構へ有りて構へなしと云ふは、太刀を構ふると云ふにあらず」(五輪の書)
たとえ風見鶏と言われても自信をもてということ。日本人は、「忠」とか「誠」とか、唱えて意志を貫くことが尊ぶが、宮本武蔵の言う自分を変えろと言うのは、時代の流れ(世が望むこと)に、答えるよう自分を変化(向上)させる、あるいは答えられる能力を備えることが重要と説いていると、童門冬ニ氏の「宮本武蔵の人生訓」にあった。
日本で言う風見鶏は、利のある方向へ鞍替えする意味ですが、武蔵の言う風見鶏は、社会の要請に対して、自分を何度も変えられる鳥のこと。要は、自己変革のできる人間のことで、単に風向きに合わせて、自分の立場を考えているだけではない人間のことです。
日本社会は、「視線(おもわく)社会」であって、「自分が自分をどう思うか」よりも、「他人が自分のことをどう見るか」が、物差しになっているように思います。以下は、童門氏の言葉を引用します。
(本文)
他人の視線(言葉)を風と考えている人が多い。しかし、これは本当の風ではない。風と思うのは錯覚である。(中略)
日本人の多くが、ほとんど他人の目を気にして生きている。自分を目を信じない。そして、心の底で、自分は納得しなくても、不承不承、他人の目に従うことが多い。つまり自分を偽って生きている。だから、そういう面で苦悩が多い。
武蔵はそんなことはしなかった。彼は、あくまでも、自分に忠実に生きた。自分が自分をどう思うか、それを生きる物差しにした。
「自分自身の原則」を強くもっていかたからである。その原則を信ずる限り、他人がどう思おうと構わない。状況の応じて、自分を変質し、生き抜いていくことは、決して悪いことではないと武蔵は思っていた。
それが良いことか悪いことかを分ける物差しは、
「自分が変ることが、他人の役に立つか立たないのか。世の中の役に立つか立たないか」と言うことである。(中略)
今日も難しい会議がありました。薄れている気持ちを、どう揺り戻すか、誰の意見を使い、どう活発に意見が出るようにして、参加意識を高めるにはどうしようかと、思案をしながら始まりました。不思議なことに、感じていることは「皆同じ」で、同じ空気を思いました。
私は、いつも会議に白紙で臨むのですが、参加する一人ひとりが意見を出せるように、それぞれのを意見を採用して、活性化させるかに、議長の時でなく、末席の参加の時も心掛けています。すると活動で同じ時間過ごした人達は、空気を読み、少しづつ本音が出て来るものです。
代表は、短く終わろうと言ってたのが、問題点がだんだん出てくると、早く終わるもくろみは消え、全部が真剣勝負の議論になって行きました。とても有意義な会議なりました。会議が終わってもまだ議論が終わらない、でもその会話の中身は、先を見据えた話題に発展していて、とても感激しました。
風を読み、自分を流れに乗せるために、変化させる工夫こそが、風見鶏です。ただし、決して私利私欲が入ると、その判断を誤ります。不思議なものです。
無心になり、風を読む練習を常に積むことが必要と思います。人間は、人と関わりながらしか生きて行けませんから、困難に怯むことなく、「世の中の役に立つか立たないか」を物差しに、自分を変化させ続けること大事と思いました。
*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」
<コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
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2008年07月16日
理想は高く、しかし現実に立脚する(菜根譚)
理想は高く、しかし現実に立脚する(菜根譚)
世の親たちは、子供たちに高い理想を勝手に描かせ、お尻を叩き「急げ、急げ」と急かしています。これは、良いのでしょうか。
というわが家も、高校受験では3年間近2年生後半から、塾通いが始まりました。「高い理想を持て」と、高校の保護者会でも校長や講師が述べていました。やみくもに、高望みして難関高、難関大学を目指して、詰め込みで行くといつかパンクするのではないかと心配します。
大事なのは、「自分は今何処に居るか?」を知ることではないか。
家造りもそうですが、基礎が大事です。問題集を解き、例題の暗記ばかりしていては、苦境(難問)と正対した時の創意工夫・機転が利かない人を見受けます。
故事に、「人を知るのは知、自分を知るのは明」とあります。自分をしっかり検証し、自分の位置を知り、そこから積み上げて行く事が、自分を向上させる道と思います。
受験は、技術と言いう人がいます。高校保護者会で、受験講話で、「難関校の問題は、本質が解かっていないと答えを導けない」と進学支援サービスの社員が語っていたのが印象的でした。
菜根譚の次の一説があります。
(本文より)
・理想は高く、しかし現実に立脚する
理想は高く持つべし。だが、あくまでも現実に立脚しなければならない。
理想は周到にめぐらすべし。だが、末節にとらわれてはいけない。
趣味は淡泊であるべし。だが、枯淡にすぎてはならない。
節操は厳しく守るべし。だが、奇矯に走ってはならぬ。
(解 説)
理想を掲げることは大切だが、理想倒れに終わらないためには、しっかりと足もとを固めてかからなければない。逆に、足もとの現実に振り回されないためには、しっかりと理想を掲げておくことが望まれる。
理想倒れ、枝葉末節に混乱されは、共に思考と準備が足りないと思います。両方を常に頭に置き、将来の展望実現のために、足もとの地固め(人材作り)が最も大事と思います。
受験も事業も、高き理想は必要です。でも声ばかりで、中身(基礎学力、人材)を充実させないと、理想に近づくとはできません。やはり、寸暇を惜しんで努力をすることが、一番の近道と、多くに偉人、故事に説かれています。
「理想は高く、現実に立脚」
心にゆとりをもち、自分自身を日々検証し続ける明鏡止水の「心境」を忘れないことだとと思います。
*参考資料:守屋洋訳「新釈 菜根譚」より
<関連コミュ>
・菜根譚(さいこんたん)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
世の親たちは、子供たちに高い理想を勝手に描かせ、お尻を叩き「急げ、急げ」と急かしています。これは、良いのでしょうか。
というわが家も、高校受験では3年間近2年生後半から、塾通いが始まりました。「高い理想を持て」と、高校の保護者会でも校長や講師が述べていました。やみくもに、高望みして難関高、難関大学を目指して、詰め込みで行くといつかパンクするのではないかと心配します。
大事なのは、「自分は今何処に居るか?」を知ることではないか。
家造りもそうですが、基礎が大事です。問題集を解き、例題の暗記ばかりしていては、苦境(難問)と正対した時の創意工夫・機転が利かない人を見受けます。
故事に、「人を知るのは知、自分を知るのは明」とあります。自分をしっかり検証し、自分の位置を知り、そこから積み上げて行く事が、自分を向上させる道と思います。
受験は、技術と言いう人がいます。高校保護者会で、受験講話で、「難関校の問題は、本質が解かっていないと答えを導けない」と進学支援サービスの社員が語っていたのが印象的でした。
菜根譚の次の一説があります。
(本文より)
・理想は高く、しかし現実に立脚する
理想は高く持つべし。だが、あくまでも現実に立脚しなければならない。
理想は周到にめぐらすべし。だが、末節にとらわれてはいけない。
趣味は淡泊であるべし。だが、枯淡にすぎてはならない。
節操は厳しく守るべし。だが、奇矯に走ってはならぬ。
(解 説)
理想を掲げることは大切だが、理想倒れに終わらないためには、しっかりと足もとを固めてかからなければない。逆に、足もとの現実に振り回されないためには、しっかりと理想を掲げておくことが望まれる。
理想倒れ、枝葉末節に混乱されは、共に思考と準備が足りないと思います。両方を常に頭に置き、将来の展望実現のために、足もとの地固め(人材作り)が最も大事と思います。
受験も事業も、高き理想は必要です。でも声ばかりで、中身(基礎学力、人材)を充実させないと、理想に近づくとはできません。やはり、寸暇を惜しんで努力をすることが、一番の近道と、多くに偉人、故事に説かれています。
「理想は高く、現実に立脚」
心にゆとりをもち、自分自身を日々検証し続ける明鏡止水の「心境」を忘れないことだとと思います。
*参考資料:守屋洋訳「新釈 菜根譚」より
<関連コミュ>
・菜根譚(さいこんたん)
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・論語の言葉
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2008年07月15日
(生きることは)後悔無きよう、いかに日々を充実させるか
(生きることは)後悔無きよう、いかに日々を充実させるか
~健康に留意、感謝する、恩返し、時の惜しむ、死後も役に立つ~
「惜命 生命への深い哀惜の念」(北尾吉孝語録)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす 」と言う一節は、日本人なら一度は聞いた言葉と思います。
その無常観を無常と表面的に「ああ無常だな、ものの哀れ、人間と言うものは儚(はかな)い」と感じることが多々おることと思います。
この無常ということを考えること合わせて、どのように生きるのか考える大事な課題と思います。
これまで何度か紹介した、江戸後期の儒学者、佐藤一斎の教示を集めた「言志四録」の一節に、「四十を過ぎて己後、始めて惜命を知る」(惜命:命を惜しむ)とあります。現代ならばさしずめ六十歳くらいでしょうか。「時間が勿体ない、あと何年生きられるかな」と言っても、後戻りはできません。
数日前に読んだ、北尾吉孝著「人物をつくる」~真のリーダーに求められるもの~、の一節が心に響きました。ご紹介します。
(本文より、抜粋)
その域まで来ると、まず第一に、健康に留意するようになります。
第二に、感謝するという気持ちが生まれます。
第三に、生きていることに、ありがたいと感謝する気持ちが生まれると、何とかして社会へ恩返しがしたいという気持ちが生まれてきます。
第四に、時間を惜しむという気持ちが非常に強くなってきます。
第五に、人間と言うものは、死んでからのことも生きているうちに、考えなければならないと思うようになります。(中略)
すなわち、死後にも何か世のために、人のためになるようなことを、生きているうちに準備しておかねばならないとおもうようになったのです。(中略)
例えば、松下幸之助さんは、後世の人に多くの就業の場を。文筆家や著述家は、智恵や経験を本に。宗教家は、多くの人に救いを与えました。また、教育者は人材を育て。親は子、子は孫を育てます。(中略)
従って、死後のご奉仕をするためには、命を惜しみ、時間を惜しみ、それから、自分の天命に向かってまっすぐに進んでいく。その覚悟がなければならないでしょう。(中略)
北尾吉孝氏は、ソフトバンク・ファイナンスグループの代表者で、中国古典、哲学、経営学にも造詣が深く、著書を読み深く感銘を受けました。
更に、松尾芭蕉の句についての意見がありました。
(本文より)
松尾芭蕉の辞世の句と言うと、「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」という有名な一句があります。
しかし、(当時の社会・医療事情を考えると)これは辞世の句として創られたものでなはく、彼は、創っている句全部が辞世の句だと思ってきたと言います。
「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。
我、生涯に言い棄てし句々、一句として辞世にならざるはなし」(中略)
日々毎日、賢明に生きることの教えと思います。自分自身果たして、そこまで実践しているか言われると、返事に詰りますが、自分の出来うる限り、知る限りを駆使して、明日のため、未来のためにやるしかないのだと思います。目先にとらわれず、でも日々賢明に難しい課題です。
~健康に留意、感謝する、恩返し、時の惜しむ、死後も役に立つ~
「惜命 生命への深い哀惜の念」(北尾吉孝語録)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす 」と言う一節は、日本人なら一度は聞いた言葉と思います。
その無常観を無常と表面的に「ああ無常だな、ものの哀れ、人間と言うものは儚(はかな)い」と感じることが多々おることと思います。
この無常ということを考えること合わせて、どのように生きるのか考える大事な課題と思います。
これまで何度か紹介した、江戸後期の儒学者、佐藤一斎の教示を集めた「言志四録」の一節に、「四十を過ぎて己後、始めて惜命を知る」(惜命:命を惜しむ)とあります。現代ならばさしずめ六十歳くらいでしょうか。「時間が勿体ない、あと何年生きられるかな」と言っても、後戻りはできません。
数日前に読んだ、北尾吉孝著「人物をつくる」~真のリーダーに求められるもの~、の一節が心に響きました。ご紹介します。
(本文より、抜粋)
その域まで来ると、まず第一に、健康に留意するようになります。
第二に、感謝するという気持ちが生まれます。
第三に、生きていることに、ありがたいと感謝する気持ちが生まれると、何とかして社会へ恩返しがしたいという気持ちが生まれてきます。
第四に、時間を惜しむという気持ちが非常に強くなってきます。
第五に、人間と言うものは、死んでからのことも生きているうちに、考えなければならないと思うようになります。(中略)
すなわち、死後にも何か世のために、人のためになるようなことを、生きているうちに準備しておかねばならないとおもうようになったのです。(中略)
例えば、松下幸之助さんは、後世の人に多くの就業の場を。文筆家や著述家は、智恵や経験を本に。宗教家は、多くの人に救いを与えました。また、教育者は人材を育て。親は子、子は孫を育てます。(中略)
従って、死後のご奉仕をするためには、命を惜しみ、時間を惜しみ、それから、自分の天命に向かってまっすぐに進んでいく。その覚悟がなければならないでしょう。(中略)
北尾吉孝氏は、ソフトバンク・ファイナンスグループの代表者で、中国古典、哲学、経営学にも造詣が深く、著書を読み深く感銘を受けました。
更に、松尾芭蕉の句についての意見がありました。
(本文より)
松尾芭蕉の辞世の句と言うと、「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」という有名な一句があります。
しかし、(当時の社会・医療事情を考えると)これは辞世の句として創られたものでなはく、彼は、創っている句全部が辞世の句だと思ってきたと言います。
「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。
我、生涯に言い棄てし句々、一句として辞世にならざるはなし」(中略)
日々毎日、賢明に生きることの教えと思います。自分自身果たして、そこまで実践しているか言われると、返事に詰りますが、自分の出来うる限り、知る限りを駆使して、明日のため、未来のためにやるしかないのだと思います。目先にとらわれず、でも日々賢明に難しい課題です。
2008年07月13日
「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり)
「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり)
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」ですが、明日は早朝から行動しないといけないので、今夜、一説の続編を紹介します。先週月曜の文面を、読み頂ければ話がつながると思います。
<関連の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
張畏岩の事例 その2
(現代語訳)
そこで張畏岩は又質問した。
「すでに合格する運命になっていないならばいかんともしようがない。心を平静にしてお伺いするが、どうしたならば運命を転換できるのでしょうか」と。
道士は答えて、
「運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分である。それ故善事を一生懸命に行い、広く陰徳を積み、その上にさらに謙虚になり、謹直を加えて、天より善い運命を受けるならば、どのような福も求められないことがろうか」
と、運命の開拓法を説いてくれた。そこでまた張畏岩は、
「お教えはありがたく承ったが、私は貧乏書生であるので、どうしたら銭を得て、善事を行い陰徳の功を積むことができるだろうか」
と、だんだん謙虚になってきた。道者はさらに教えていうには、
「善事陰功というものは、心によってできるものである。だから心をそこにもって行くならば、無量の功徳であり、かつ謙虚の一事のごときは、一銭も使わずにすむ。それなのにお前はどうして自ら反省せずに試験管を罵倒するのか」
と、ていねいの差とした。張畏岩はこのことによって、すっかり感じ、悟って、うぬぼれや一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき、徳行は日に厚さを増していった。
(読 訳)
運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは人間である、という道者のことばに類することわざに、「人事を尽くして天命を待つ」というのがある。
自分の運命を転換する第一歩は、善事を行い、陰徳(ひそかに行う善事)を積み、さらに謙虚になり、こつこつと正しく努力することである。
(感 想)
前回の張畏岩の事例の教示に、
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
とありました。今回は、転換を計る方法を教示しています。
>運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分
>一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき
日常生活の言動こそ、運命を開拓する修練の(向上させる)場であると、道者が説いています。
現代生活でも雄弁を誇る人が見受けられますが、そんなリーダーの真価を、結果が証明するのですが、自分も含め、結果を見ると反省することが多々あります。
孔子も「行動が先、言葉が後」と、信頼(ソフトパワー:好感)を受ける手法を説いています。これは、とても大事なことと思いました。
今日は、県内外の自立した有志が集まる会があったので、私は発起人の方に、「勉強に来なさい」と参加させて頂き、みなさんの言葉や態度を見て、ともての勉強になった一日でした。3人寄れば、教師ありとありますが、どんな時も「忙中に閑あり」の心のゆとりを持ちつつ、会話を楽しみたいと思いました。
今日の熊本は、35℃を越える暑さでした。午前は、キッズサッカーの指導で外で汗だくでしたが、午後は多くの先輩方との会話で、冷や汗しきりの交流の場でした。
でも、久々の再開の方々もいて、楽しい時間の有意義な夏の日曜日でした。
帰りに、先輩二人を車で送ったのですが、昨日、数日振りに汚れきった車を洗っていて良かったです。明日ひょっとしたらと思ったときは、即実行しておくと恥をかかないのかもしれません。先輩方の2次会、帰りの車内での会話が、とても勉強になりました。
明日から、心新たに頑張りたいと思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞(異業種交流会)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
*詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」ですが、明日は早朝から行動しないといけないので、今夜、一説の続編を紹介します。先週月曜の文面を、読み頂ければ話がつながると思います。
<関連の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
張畏岩の事例 その2
(現代語訳)
そこで張畏岩は又質問した。
「すでに合格する運命になっていないならばいかんともしようがない。心を平静にしてお伺いするが、どうしたならば運命を転換できるのでしょうか」と。
道士は答えて、
「運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分である。それ故善事を一生懸命に行い、広く陰徳を積み、その上にさらに謙虚になり、謹直を加えて、天より善い運命を受けるならば、どのような福も求められないことがろうか」
と、運命の開拓法を説いてくれた。そこでまた張畏岩は、
「お教えはありがたく承ったが、私は貧乏書生であるので、どうしたら銭を得て、善事を行い陰徳の功を積むことができるだろうか」
と、だんだん謙虚になってきた。道者はさらに教えていうには、
「善事陰功というものは、心によってできるものである。だから心をそこにもって行くならば、無量の功徳であり、かつ謙虚の一事のごときは、一銭も使わずにすむ。それなのにお前はどうして自ら反省せずに試験管を罵倒するのか」
と、ていねいの差とした。張畏岩はこのことによって、すっかり感じ、悟って、うぬぼれや一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき、徳行は日に厚さを増していった。
(読 訳)
運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは人間である、という道者のことばに類することわざに、「人事を尽くして天命を待つ」というのがある。
自分の運命を転換する第一歩は、善事を行い、陰徳(ひそかに行う善事)を積み、さらに謙虚になり、こつこつと正しく努力することである。
(感 想)
前回の張畏岩の事例の教示に、
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
とありました。今回は、転換を計る方法を教示しています。
>運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分
>一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき
日常生活の言動こそ、運命を開拓する修練の(向上させる)場であると、道者が説いています。
現代生活でも雄弁を誇る人が見受けられますが、そんなリーダーの真価を、結果が証明するのですが、自分も含め、結果を見ると反省することが多々あります。
孔子も「行動が先、言葉が後」と、信頼(ソフトパワー:好感)を受ける手法を説いています。これは、とても大事なことと思いました。
今日は、県内外の自立した有志が集まる会があったので、私は発起人の方に、「勉強に来なさい」と参加させて頂き、みなさんの言葉や態度を見て、ともての勉強になった一日でした。3人寄れば、教師ありとありますが、どんな時も「忙中に閑あり」の心のゆとりを持ちつつ、会話を楽しみたいと思いました。
今日の熊本は、35℃を越える暑さでした。午前は、キッズサッカーの指導で外で汗だくでしたが、午後は多くの先輩方との会話で、冷や汗しきりの交流の場でした。
でも、久々の再開の方々もいて、楽しい時間の有意義な夏の日曜日でした。
帰りに、先輩二人を車で送ったのですが、昨日、数日振りに汚れきった車を洗っていて良かったです。明日ひょっとしたらと思ったときは、即実行しておくと恥をかかないのかもしれません。先輩方の2次会、帰りの車内での会話が、とても勉強になりました。
明日から、心新たに頑張りたいと思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞(異業種交流会)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
*詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
2008年07月12日
(オフ会7/25のご案内)+「今倫理教育が、本当は大事」
(オフ会7/25のご案内)+「今倫理教育が、本当は大事」
~ネット仲間の夏のオフ会~
昨年夏に、初めて行った、オフ会を今年もやります。異業種交流会「夏の会」に、ネットで出合った方が多く参加されます。金曜日で遠路よりの参加は、難しいかもしれませんが、ネット上の情報交換ではない、生身の会話は楽しいものです。たくさんの参加をお待ちしています。
<ご案内>
2008異業種交流会「夏の会」
「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
今回は、世界各地で起こる地震、自然災害から、自然災害がテーマです。
講師は、熊本大学大学院自然科学研究科の渋谷秀敏教授に、熊本で心配すべき災害についての講演を頂きます。
地球上の歴史にすれば、人間の存在は、ほんの一瞬かもしれません。その中で、もっとも予期できないものに自然災害がありあす。昔から「地震・雷・火事・親父」と言いますが、突然来る地震は、その瞬間に対応するしかありません。雷は、雨雲の様子を見て非難が可能です。火事は、不注意が禁物。怖い親父は、日ごろのお付き合いでしょうか。
渋谷教授に「日奈久断層(中央構造線)は、何処を走っているのか?」「貝塚がたくさん堆積している所は安全て本当か?」、そして一番は、「自分の住む所は安全か?」とか、直接質問できると思います。
交流が主な目的の懇親会にもたくさんの参加をお待ちしています。
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
参加費 セミナー 1,000円(資料代・会場使用料等)
交流会 4,000円(交流が主な懇親会)
*渋谷秀敏氏プロフィール(「渋谷秀敏」で検索下さい。)
http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/earthsci/shibuya/index.html
主 催 環境共生施設研究所・異業種交流会「四季の会」
申込先 事務局 (申し込みはメール・FAXで7月21日まで)
〒869-0913 熊本県熊本市尾ノ上1丁目48-6
環境共生施設研究所内
Fax 096・381・0384
Email : aande@lime.ocn.ne.jp
詳しい問い合わせ 理事長 野口修一
異業種交流会「夏の会」申し込み(7/21まで)は、氏名・連絡先・所属等と、講演会・交流会の参加有無を記入し、申し込みください。(講演は、当日参加も可能です)
<申込み内容>∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
氏 名: 所属
住所等: Email
連絡先:TEL Fax
食事の準備等がありますので参加内容を記入ください。
1. セミナーのみ 2.セミナー+交流会
今倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、勝つ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、「直ちに輪読会を中止せよ」と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界平和の実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。
~ネット仲間の夏のオフ会~
昨年夏に、初めて行った、オフ会を今年もやります。異業種交流会「夏の会」に、ネットで出合った方が多く参加されます。金曜日で遠路よりの参加は、難しいかもしれませんが、ネット上の情報交換ではない、生身の会話は楽しいものです。たくさんの参加をお待ちしています。
<ご案内>
2008異業種交流会「夏の会」
「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
今回は、世界各地で起こる地震、自然災害から、自然災害がテーマです。
講師は、熊本大学大学院自然科学研究科の渋谷秀敏教授に、熊本で心配すべき災害についての講演を頂きます。
地球上の歴史にすれば、人間の存在は、ほんの一瞬かもしれません。その中で、もっとも予期できないものに自然災害がありあす。昔から「地震・雷・火事・親父」と言いますが、突然来る地震は、その瞬間に対応するしかありません。雷は、雨雲の様子を見て非難が可能です。火事は、不注意が禁物。怖い親父は、日ごろのお付き合いでしょうか。
渋谷教授に「日奈久断層(中央構造線)は、何処を走っているのか?」「貝塚がたくさん堆積している所は安全て本当か?」、そして一番は、「自分の住む所は安全か?」とか、直接質問できると思います。
交流が主な目的の懇親会にもたくさんの参加をお待ちしています。
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
参加費 セミナー 1,000円(資料代・会場使用料等)
交流会 4,000円(交流が主な懇親会)
*渋谷秀敏氏プロフィール(「渋谷秀敏」で検索下さい。)
http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/earthsci/shibuya/index.html
主 催 環境共生施設研究所・異業種交流会「四季の会」
申込先 事務局 (申し込みはメール・FAXで7月21日まで)
〒869-0913 熊本県熊本市尾ノ上1丁目48-6
環境共生施設研究所内
Fax 096・381・0384
Email : aande@lime.ocn.ne.jp
詳しい問い合わせ 理事長 野口修一
異業種交流会「夏の会」申し込み(7/21まで)は、氏名・連絡先・所属等と、講演会・交流会の参加有無を記入し、申し込みください。(講演は、当日参加も可能です)
<申込み内容>∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
氏 名: 所属
住所等: Email
連絡先:TEL Fax
食事の準備等がありますので参加内容を記入ください。
1. セミナーのみ 2.セミナー+交流会
今倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、勝つ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、「直ちに輪読会を中止せよ」と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界平和の実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。
2008年07月11日
今,倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
今軽視している倫理教育が、本当は大事(新渡戸稲造の「武士道」より)
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、かつ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」
とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、
「直ちに輪読会を中止せよ」
と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、
「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」
と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界の平和実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。
大分教員汚職で、色々考えたことから、再度、新渡戸稲造氏の武士道を読んで思ったことを書きます。
~李登輝著「『武士道』解題」より~
・・・大学学長という栄光の座をなげうって極寒の札幌に住み着いたウィリアム・クラークの熱意と誠実さには並外れたものがありました。敬虔なクリスチャンでもあった彼は、早くから、
「物質的な発展や近代化もさることながら、あくまでも国造りの根幹となるのは人間なのだから、精神的な成長や発展こそが他の何よりも大切だ」
という難い信念を持っており、横浜に降り立つや否や、直ちに数十冊の英文の『聖書』を買い入れ、それを抱えて北海道へ急行しました。(中略)
政府の北海道開発担当の黒田清隆長官は大いに驚き、かつ慌てたのです。
「こともあろうに、官立の学校で聖書を読ませるとは何事か」
とばかりに、クラーク博士を官邸に呼びつけ、
「直ちに輪読会を中止せよ」
と厳命を下しました。しかし、クラークは一歩も後へ引こうとはせず、逆にこう言い切ったのです。
「これは異なることを承(うけたわまわ)るものです。あなたは、かつて私にこう言ったではないですか。『クラーク先生ははるばる日本にお招きするのは、ただ単に日本の未来を背負って立つべき有為の青年たちに知識を授けていただくだけではなく、徳育を施してもらいたいと思ってからこそです』。私がクリスチャンであること、あなたも先刻ご承知のはずです。クリスチャンにとって、徳育を授ける道はただ一つしかありません。『聖書』の教えを徹底に説くことです。それがお気に召さなにのなら、私はとてもこのたびの大任を果たす自身などありません。直ちに解任してくださって結構です」(中略)
・・・その後、黒田長官が学校の視察に訪れたときなどには、学生たち全員があまりにも礼儀正しく真面目なのに感動して、
「さすがに、キリスト教による倫理教育はすばらしい。これから後は、クラークさん、あなたの思うようにやってください」
と言って、固く手を握りしめたと言います。(中略)
私は、キリスト教の宣伝をしているのではありません。明治初期の札幌農学校の徳育、倫理教育の素晴らしさを紹介したかったのです。日本にも、孔子、孟子を初め、哲学の教示はたくさん残っています。要は、倫理観を養う教育が戦後、特になおざりになってきていることを言いたかったのです。
「太平洋の架け橋になる」と、志を持ち、勉強を深め、多様な経験を積み、一生を世界の平和実現に奔走した新渡戸稲造氏の根幹にあるのは、固い倫理観にあるように思います。キリスト教あれ、儒教であれ、仏教であれ、人間してしては行けないこと、守らなければいけない生き方は、同じでは無いかと思います。
明治の青年たちが、抱いた志と、学んだ倫理観を、今一度現代の教育の生かす時機にあるように思います。甘いかもしれません、「良心」を育てる教育が徹底されれば、大分の教職員汚職のような事件を、教師自ら手を汚すようなことは無くなるように思います。
2008年07月10日
貧富は物にあらず、富貴と貧賤
貧富は物にあらず、富貴と貧賤
江戸後期の儒学者の佐藤一斎の残した遺訓集「言志四録」から、今日は、貧富は心の持ちようの教示を紹介します。
・貧富は物にあらず
(現代語訳)
物の余りが生じたら、それを富という。富を欲しがる心はすなわち貧である。貧に安んじている心はすなわち富である。このように、貧富とは心の持ち方にあるのであって、物の過不足にあるのではない。
(感 想)
物欲、出世欲、名誉欲、等々、人は108の煩悩があるそうですが、全部を実現するには、一生では足りず、三生くらいしないと無理でしょうか。でも、浴を限りなく少なくする事で、心も平穏で、おだやかな心に近づくという教えではないかと思います。
7月5日に私の地元で、脚本家のジェームス三木氏の講演がありました。テーマは、「爆笑人生論」でしたが、最後の言葉は、「年を取って何を捨てるか」にあると語られました。人間の欲望とは、果てしないものがあるのだろうと思います。
謙虚に無欲な方ほど、豊かなのかもしれません。
・富貴と貧賤
(現代語訳)
身体を苦労させて心を安楽にしている者は、貧しい人という。心を苦労させて身体を安楽にしている者を、富める人という。天の高いところからこれを見れば、どちらが得でどちらが損かわからない。
(感 想)
幸せの基準は、自分の心が決めるものですが、あくせくと苦労し、人とは心と違ったお付き合い、策謀の中で上昇を続ける人生もあります。
日々の暮らしを受け入れ、平穏に生きる人生もあります。
天から見ると、人の一生は短いものです。どちらが幸福な人生かは、誰が決めるのでなく、自分が決めるものです。友人をたくさん持ち、仲良く暮らす人生の後半生をおくりたいものです。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
江戸後期の儒学者の佐藤一斎の残した遺訓集「言志四録」から、今日は、貧富は心の持ちようの教示を紹介します。
・貧富は物にあらず
(現代語訳)
物の余りが生じたら、それを富という。富を欲しがる心はすなわち貧である。貧に安んじている心はすなわち富である。このように、貧富とは心の持ち方にあるのであって、物の過不足にあるのではない。
(感 想)
物欲、出世欲、名誉欲、等々、人は108の煩悩があるそうですが、全部を実現するには、一生では足りず、三生くらいしないと無理でしょうか。でも、浴を限りなく少なくする事で、心も平穏で、おだやかな心に近づくという教えではないかと思います。
7月5日に私の地元で、脚本家のジェームス三木氏の講演がありました。テーマは、「爆笑人生論」でしたが、最後の言葉は、「年を取って何を捨てるか」にあると語られました。人間の欲望とは、果てしないものがあるのだろうと思います。
謙虚に無欲な方ほど、豊かなのかもしれません。
・富貴と貧賤
(現代語訳)
身体を苦労させて心を安楽にしている者は、貧しい人という。心を苦労させて身体を安楽にしている者を、富める人という。天の高いところからこれを見れば、どちらが得でどちらが損かわからない。
(感 想)
幸せの基準は、自分の心が決めるものですが、あくせくと苦労し、人とは心と違ったお付き合い、策謀の中で上昇を続ける人生もあります。
日々の暮らしを受け入れ、平穏に生きる人生もあります。
天から見ると、人の一生は短いものです。どちらが幸福な人生かは、誰が決めるのでなく、自分が決めるものです。友人をたくさん持ち、仲良く暮らす人生の後半生をおくりたいものです。
*参考資料:渡邊五郎三郎編「佐藤一斎一日一言」
2008年07月09日
(大分教員汚職)汚れた教育採用、昇進人事の実態に怒り!
(大分教員汚職)汚れた教育採用、昇進人事の実態に怒り!
大分教員汚職、教師が職務権限を振り回し、教員採用、昇進人事を、金でゆがめた事件が、毎日テレビ報道しで聞く中で、「教職員はいるが、教師がいない」の言葉を思い出した。かつて「師の陰を踏まず」と先生を尊敬した時代があります。
教師は、次世代を育成する先生であり、先導者であったと思います。先導者とは、率先垂範の目標でないといけないのに、とても残念でなりませんし、ここまで堕落したかの思いを持ちます。
教職員は、県職員の約3/4を占める数の多さ、安定した職業として、地方では志望の多い分野にでもあります。大都市の教員不足とは違って、地方では少子化で、学校再編により採用も役職も減る中の不祥事、人の弱みに付け込む行為に、狭い世界で生きる人種の末路かなと感じます。
中国故事に「四知」なる教えがあります。後漢の時代の話です。新しく来た上司の楊震に、部下が深夜自宅を訪れ賄賂を差し出すと次のように答えます。
「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている、地が知っている、それに、そなたも知っている、わしも知っているではないか。」
これは楊震の「四知」として知られる教示ですが、官職にある者は、これくらいのきびしさが必用と思います。そして悪事はいつかどこからか、漏れるという教訓でもあります。
また、今日地元紙に、教育評論家の尾木直樹法政大学教授の言葉が載っていました。
「戦後最悪の教育汚職と言える。県教委だけで立て直せる問題ではなく、文科省が早急に調に乗り出すべきだ。学校は本来真実と正義、公正と公平を学ぶ場なのに、これでは教育そのものが成り立たない。教員の世界は閉鎖社会。大分と同じような土壌は全国にあるのではないか」(中略)
゛戦後最悪の教育汚職゛教育界が問われる大きな事件と思います。まだ捜査中で、全容が分かりませんが、夢を持ち学校で学ぶ正直な子供たちの心をしっかりと受け止め、教師は襟を正し、゛真実と正義、公正と公平を学ぶ場゛に早く変えて欲しいと願います。
また大分県は、教育長に知事部局から何時も就任していたと言うことですが、教育長さらには、知事の指導の足りなさ、危機意識の甘さもあるのではと思います。「人口の約100人に一人が教職員」が日本の現状、国民全体で次世代育成の場である学校にもっと関心を持つことも大事と思います。
<以前の日記>
(人物観察学)『三国志』諸葛孔明の人物鑑定法、他
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=862116569&owner_id=2182841&org_id=863645233
(現実社会)20代~50代のボーナス【30万未満】トップ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=863645233&owner_id=2182841
大分教員汚職、教師が職務権限を振り回し、教員採用、昇進人事を、金でゆがめた事件が、毎日テレビ報道しで聞く中で、「教職員はいるが、教師がいない」の言葉を思い出した。かつて「師の陰を踏まず」と先生を尊敬した時代があります。
教師は、次世代を育成する先生であり、先導者であったと思います。先導者とは、率先垂範の目標でないといけないのに、とても残念でなりませんし、ここまで堕落したかの思いを持ちます。
教職員は、県職員の約3/4を占める数の多さ、安定した職業として、地方では志望の多い分野にでもあります。大都市の教員不足とは違って、地方では少子化で、学校再編により採用も役職も減る中の不祥事、人の弱みに付け込む行為に、狭い世界で生きる人種の末路かなと感じます。
中国故事に「四知」なる教えがあります。後漢の時代の話です。新しく来た上司の楊震に、部下が深夜自宅を訪れ賄賂を差し出すと次のように答えます。
「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている、地が知っている、それに、そなたも知っている、わしも知っているではないか。」
これは楊震の「四知」として知られる教示ですが、官職にある者は、これくらいのきびしさが必用と思います。そして悪事はいつかどこからか、漏れるという教訓でもあります。
また、今日地元紙に、教育評論家の尾木直樹法政大学教授の言葉が載っていました。
「戦後最悪の教育汚職と言える。県教委だけで立て直せる問題ではなく、文科省が早急に調に乗り出すべきだ。学校は本来真実と正義、公正と公平を学ぶ場なのに、これでは教育そのものが成り立たない。教員の世界は閉鎖社会。大分と同じような土壌は全国にあるのではないか」(中略)
゛戦後最悪の教育汚職゛教育界が問われる大きな事件と思います。まだ捜査中で、全容が分かりませんが、夢を持ち学校で学ぶ正直な子供たちの心をしっかりと受け止め、教師は襟を正し、゛真実と正義、公正と公平を学ぶ場゛に早く変えて欲しいと願います。
また大分県は、教育長に知事部局から何時も就任していたと言うことですが、教育長さらには、知事の指導の足りなさ、危機意識の甘さもあるのではと思います。「人口の約100人に一人が教職員」が日本の現状、国民全体で次世代育成の場である学校にもっと関心を持つことも大事と思います。
<以前の日記>
(人物観察学)『三国志』諸葛孔明の人物鑑定法、他
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(現実社会)20代~50代のボーナス【30万未満】トップ
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2008年07月07日
(人物観察学)『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他
(人物観察学)『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他
色々な活動をしていると、多様な人物と出会います。人と語ると人物評価の好きな人がけっこう居ることに気づきます。この人物評価は、実際に仕事の成果に大きく関わることでもあります。私自身は、人を評価を参考にはしますが、必ず自分で本人を会い、色々語り、日常の行動や発言を検証し、どんな形で付き合うか、深く関わるか、一般の方と同じように挨拶程度の付き合いにするか、日々が真剣勝負と思っています。
偉人たちも、部下の選定に相当苦労したようで、人物評価の方法もいくつか伝えられています。三国志の英雄、諸葛孔明もまた、国家を維持するために多くの人材を登用したのだと思います。そこで『三国志』の名宰相、諸葛孔明の人物鑑定法は、次に7項目が伝えられています。
一、ある事柄について善悪の判断の態度がどう変化するかを観察する。
二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。
三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察る。
四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。
五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。
六、利益で誘ってみて、その程度清廉であるか観察する。
七、仕事をやらせてみて、命じたとうりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。
この七項目は直接には、リーダーの立場から部下を評価する手がかりについて述べたものですが、広く人物鑑定法としても、当てはまる部分が多いと思います。
また、同時代の魏の政治顧問の李克の人物評に、「貧シテハ、ソノ取ラザル所ヲ視ル」とあります。「貧すれば純す」とも言う。貧したり窮したりしたときに、その人の志が問われるのかもしれません。
また、私の師がよく言われる「これからの人材に必要な、3つの要素は、先見性、魅力・磁力、(逃げない)責任力」も大事な要素と思います。
時代を読み、近づく社会の変化を的確に感じ、先手先手を打ち出す能力。人を引き付ける魅力は、「徳」とか、「人格」とか言うのですが、志しを持ち自分を高める努力を怠らないこと。そしてもっとも大事な要素は、事件、不肖等が発生したとき、責任逃れをせず最後までかかわり続ける責任力(感)が、いつの時代でも必要と思います。
友人知人、上司部下、更には家族親族も含め、相手と自分との関係を考え、周りがより良き方向に進むように考え、人の心を読み、行動したいと思います。
*参考資料:守屋洋著「中国三千年の興亡にみる『将たる器』の研究」より
<以前の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=861762230&owner_id=2182841
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞(異業種交流会)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
*詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&owner_id=2182841
色々な活動をしていると、多様な人物と出会います。人と語ると人物評価の好きな人がけっこう居ることに気づきます。この人物評価は、実際に仕事の成果に大きく関わることでもあります。私自身は、人を評価を参考にはしますが、必ず自分で本人を会い、色々語り、日常の行動や発言を検証し、どんな形で付き合うか、深く関わるか、一般の方と同じように挨拶程度の付き合いにするか、日々が真剣勝負と思っています。
偉人たちも、部下の選定に相当苦労したようで、人物評価の方法もいくつか伝えられています。三国志の英雄、諸葛孔明もまた、国家を維持するために多くの人材を登用したのだと思います。そこで『三国志』の名宰相、諸葛孔明の人物鑑定法は、次に7項目が伝えられています。
一、ある事柄について善悪の判断の態度がどう変化するかを観察する。
二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。
三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察る。
四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。
五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。
六、利益で誘ってみて、その程度清廉であるか観察する。
七、仕事をやらせてみて、命じたとうりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。
この七項目は直接には、リーダーの立場から部下を評価する手がかりについて述べたものですが、広く人物鑑定法としても、当てはまる部分が多いと思います。
また、同時代の魏の政治顧問の李克の人物評に、「貧シテハ、ソノ取ラザル所ヲ視ル」とあります。「貧すれば純す」とも言う。貧したり窮したりしたときに、その人の志が問われるのかもしれません。
また、私の師がよく言われる「これからの人材に必要な、3つの要素は、先見性、魅力・磁力、(逃げない)責任力」も大事な要素と思います。
時代を読み、近づく社会の変化を的確に感じ、先手先手を打ち出す能力。人を引き付ける魅力は、「徳」とか、「人格」とか言うのですが、志しを持ち自分を高める努力を怠らないこと。そしてもっとも大事な要素は、事件、不肖等が発生したとき、責任逃れをせず最後までかかわり続ける責任力(感)が、いつの時代でも必要と思います。
友人知人、上司部下、更には家族親族も含め、相手と自分との関係を考え、周りがより良き方向に進むように考え、人の心を読み、行動したいと思います。
*参考資料:守屋洋著「中国三千年の興亡にみる『将たる器』の研究」より
<以前の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
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∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞(異業種交流会)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
日 時 2008年7月25日19:00(開場18:30)
場 所 熊本交通センターホテル3F
講 師 渋谷秀敏氏(熊本大学大学院自然科学研究科教授)
テーマ 「地震・雷・火事・親父-熊本で心配すべき災害-」
*詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。
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2008年07月06日
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」より、一説を紹介します。
「現代語訳」
江陰の張畏岩は、学問を積み、文章を作ることが巧で、学者の間で名声が高かった。甲午の歳(万歴二十二年)南京の郷試のときに、ある寺に宿をとっていた。やがて試験も終わり、発表を見ると落第していた。
そこで大いに試験管をののしり、試験管は見る目がないといった。そのとき一人の道者が側にいたが、にやにやとあざ笑った。これを見て張畏岩は急に怒りを道者の方にむけて、
「お前はどうしてわしを笑うのか」
とどなりつけた。すると道者がいうには、
「あなたの文章を判断して見ると、必ずよいものではないと思う」
ということであったので、張畏岩はますます怒っていうには、
「お前は、まだわしの文を見ていないではないか。それなのに、どうして良くないといいことがわかるのか」
道者は、すぐにそれに答えて、
「私は、『文章を作るには、心気のおだやかで平らなかのを貴ぶ』ということを聞きいているが、いまあなたが試験管を罵倒する言葉を聴くと、どうもあなたの胸中に不平不満が多いようです。そのようなことで、どうして巧みな文章がかけましょうか」
といった。張畏岩は、はっと驚き、思わずひれ伏し、道者について教えを請うことになった。さて道者がいうには、
「もし、試験に合格する運命ならば、文章が上手でなくともやはり合格する。運命がもしも及第すべき運命でなかったならば、いくら文章が巧くても、なにもならない。無益なことである。本当に試験に及第したければ、自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである」と。
「読 釈」
万歴二十二年、南京における郷試(進士の予備試験)の祈りの話である。張畏岩のような人は現代においても、まま見受けられるものである。自信のないままに受けた試験で合格した人物が、同じ試験を受けて不合格だった人物にそのことを言ったとする。
するとこれに対して、不合格だった人が反省することなく、そうですよ、あなたなどまぐれですよ、自分を落とすなど以てのほかだといった言動や態度などがそうである。
なかなか出来ないことであるが、謙虚な心で人のことばや注意を受け入れてこそ、自分自身をより良い方へと変えることができるものである。
ましてや、人からの評価に不平不満を持つことはどうであろうか。才能がありながらも、自分を損なうことになると言えよう。
「感 想」
評価は、自分よがりでしたくなるものです。努力をしても結果がすべて、覆すことはできません。後は、その現実(結果)を謙虚に受け止め、次の打開策をいかに構築できるように、心を入れ替えれるかが大事と思います。
試験や選挙の敗北の原因を、外に求めてばかりいては、次の策がなかなか思に付くものではありません。やはりその原因の多くは、自分自身に在ると考えたが正しいと思います。
人間関係は、作用反作用の関係にあると聞いたことがあります。周りを変えるためには、自分が変わることと思います。自分が変われば、周りも刺激されて変化を起こします。不平不満をぶちまけるより、自分が変化し、周りがより良き方向へ進むように考え行動を起す(心を変える)ことが必要と思います。
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
自分を省みる、大事な言葉と思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」より、一説を紹介します。
「現代語訳」
江陰の張畏岩は、学問を積み、文章を作ることが巧で、学者の間で名声が高かった。甲午の歳(万歴二十二年)南京の郷試のときに、ある寺に宿をとっていた。やがて試験も終わり、発表を見ると落第していた。
そこで大いに試験管をののしり、試験管は見る目がないといった。そのとき一人の道者が側にいたが、にやにやとあざ笑った。これを見て張畏岩は急に怒りを道者の方にむけて、
「お前はどうしてわしを笑うのか」
とどなりつけた。すると道者がいうには、
「あなたの文章を判断して見ると、必ずよいものではないと思う」
ということであったので、張畏岩はますます怒っていうには、
「お前は、まだわしの文を見ていないではないか。それなのに、どうして良くないといいことがわかるのか」
道者は、すぐにそれに答えて、
「私は、『文章を作るには、心気のおだやかで平らなかのを貴ぶ』ということを聞きいているが、いまあなたが試験管を罵倒する言葉を聴くと、どうもあなたの胸中に不平不満が多いようです。そのようなことで、どうして巧みな文章がかけましょうか」
といった。張畏岩は、はっと驚き、思わずひれ伏し、道者について教えを請うことになった。さて道者がいうには、
「もし、試験に合格する運命ならば、文章が上手でなくともやはり合格する。運命がもしも及第すべき運命でなかったならば、いくら文章が巧くても、なにもならない。無益なことである。本当に試験に及第したければ、自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである」と。
「読 釈」
万歴二十二年、南京における郷試(進士の予備試験)の祈りの話である。張畏岩のような人は現代においても、まま見受けられるものである。自信のないままに受けた試験で合格した人物が、同じ試験を受けて不合格だった人物にそのことを言ったとする。
するとこれに対して、不合格だった人が反省することなく、そうですよ、あなたなどまぐれですよ、自分を落とすなど以てのほかだといった言動や態度などがそうである。
なかなか出来ないことであるが、謙虚な心で人のことばや注意を受け入れてこそ、自分自身をより良い方へと変えることができるものである。
ましてや、人からの評価に不平不満を持つことはどうであろうか。才能がありながらも、自分を損なうことになると言えよう。
「感 想」
評価は、自分よがりでしたくなるものです。努力をしても結果がすべて、覆すことはできません。後は、その現実(結果)を謙虚に受け止め、次の打開策をいかに構築できるように、心を入れ替えれるかが大事と思います。
試験や選挙の敗北の原因を、外に求めてばかりいては、次の策がなかなか思に付くものではありません。やはりその原因の多くは、自分自身に在ると考えたが正しいと思います。
人間関係は、作用反作用の関係にあると聞いたことがあります。周りを変えるためには、自分が変わることと思います。自分が変われば、周りも刺激されて変化を起こします。不平不満をぶちまけるより、自分が変化し、周りがより良き方向へ進むように考え行動を起す(心を変える)ことが必要と思います。
>自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである
自分を省みる、大事な言葉と思います。
<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
2008年07月03日
三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)
三島中州先哲の教え(二松学舎大学創始者)
人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~
二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。
「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は
「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は
・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。
・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。
・三番目が常に冷静な「頭」。
・最後の「技」とは、行動することと考えています。
現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも
「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方
谷の理念と言えます。」
山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩、
・山田方谷エピソードから(9歳の時の塾(思誠館)での話し)塾の訪問者が、若者と一緒に学ぶ
山田方谷少年に対して質問をした。
(訪問者)「学問はなんのためにやるか?」とたずねると、
(方谷少年)「治国平天下」と即答し、訪問者は腰を抜かしたとか。
教育者の志(心)と指導理念で、教育環境は大きく変わることを感じます。今の教育は、知識の詰め込みと心のこもらない管理主義の教育現場では、学校への不満の表現として、卒業式で礼(頭を下げない)をしない風景を見たとき、ここまで教育環境が落ちたかと感じました。現在の日本社会にも「心の成長の足りない大人たち」が増え、不透明な世相として現れ、子供たちも感じ取り、未来を描けないのではと心配します。
学校現場の教師や多様な分野の指導者が、山田方谷の理念[心・胆・頭・技]を理想として、学問を深め、言葉だけでなく態度「技」からも若者に学ぶことの意味を示して欲しいものです。
これは、私自身も親として子供に見せて行かないといけませんが、自分を省みるとまだ反省することも多々あります。できることを少しづつやりたいと思っています。
余談ですが、全日空の改革は、山田方谷の理財論や陽明学の「知行合一」の考えの基、大橋洋治社長は、鬼気(危機)迫る思いで、実行していると対談の中で語られています。日本の航空業界での躍進は、陽明学をベースとする高い理想が支えているよう感じました。
さて明日の運動会、まず保護者として明日に向けた準備から頑張ります。率先垂範のさわり程度は、しないとと久々に大橋社長の言葉を読んで思いました。
人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある
~二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え~
二松学舎大(東京都)広報誌に、山田安之理事長と全日空(ANA)の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。
「人材育成には[心・胆・頭・技(しん・たん・とう・ぎ)]の考えを柱にしています。現代の教育は
「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は
・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。
・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。
・三番目が常に冷静な「頭」。
・最後の「技」とは、行動することと考えています。
現代の教育は、教科書(マニュアル)通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも
「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方
谷の理念と言えます。」
山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。
*備中松山藩:岡山県高梁市周辺、約5万石の藩、
・山田方谷エピソードから(9歳の時の塾(思誠館)での話し)塾の訪問者が、若者と一緒に学ぶ
山田方谷少年に対して質問をした。
(訪問者)「学問はなんのためにやるか?」とたずねると、
(方谷少年)「治国平天下」と即答し、訪問者は腰を抜かしたとか。
教育者の志(心)と指導理念で、教育環境は大きく変わることを感じます。今の教育は、知識の詰め込みと心のこもらない管理主義の教育現場では、学校への不満の表現として、卒業式で礼(頭を下げない)をしない風景を見たとき、ここまで教育環境が落ちたかと感じました。現在の日本社会にも「心の成長の足りない大人たち」が増え、不透明な世相として現れ、子供たちも感じ取り、未来を描けないのではと心配します。
学校現場の教師や多様な分野の指導者が、山田方谷の理念[心・胆・頭・技]を理想として、学問を深め、言葉だけでなく態度「技」からも若者に学ぶことの意味を示して欲しいものです。
これは、私自身も親として子供に見せて行かないといけませんが、自分を省みるとまだ反省することも多々あります。できることを少しづつやりたいと思っています。
余談ですが、全日空の改革は、山田方谷の理財論や陽明学の「知行合一」の考えの基、大橋洋治社長は、鬼気(危機)迫る思いで、実行していると対談の中で語られています。日本の航空業界での躍進は、陽明学をベースとする高い理想が支えているよう感じました。
さて明日の運動会、まず保護者として明日に向けた準備から頑張ります。率先垂範のさわり程度は、しないとと久々に大橋社長の言葉を読んで思いました。
2008年07月03日
(義務と特権)「『武士道』解題」李登輝著より
(義務と特権)「『武士道』解題(ノーブレス・オブリージュ)」李登輝著より
ふと寄った地元の図書館で最近気になっている言葉「ノーブレス・オブリージュ」の文字につられて選んだ、台湾の指導者だった李登輝氏の著書「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」を読んでいます。
武士道はもちろん、戦前の日本を代表する国際人、新渡戸稲造氏が著した本のことです。李登輝氏は、戦前の台湾で日本の教育を受け、京都大学で農業経済を勉強しますが、大きく影響を与えたのは、新渡戸氏の著書だったそうです。その中で「義」について、新渡戸氏の言葉と、李登輝氏の言葉を紹介します。
『義』 (Rectitude or Justice)~武士道「義」より、
「義は、武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。」
・林子平(1738~1793、経世家)
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、打つべき場所に打つことなり」
・真木和泉(1813~1864、幕末の尊皇攘夷の指導者)
「節義は例えて言わば人の身体の骨あるごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず、されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」
孟子曰く「仁は人の心なり、義は人の路なり」
「その路を捨てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人鶏犬の放つあらば即ちこれを求むるを知る。心を放つあるも求むるを知らず」
イエス・キリスト(孟子から遅るること三百年に生まれた)の言葉
「我は失せし者の見いださるべき義の道なり」
(新渡戸稲造氏の意見)
私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直(なお)くかつ狭き路である。
(以上、新渡戸稲造著「武士道」より引用)
(以下、李登輝氏の「武士道」解題より)
「義」と言うのは、「武士道」を考えて行く上でも最も重要な観念の一つであり、決して「個人」や「私」的なレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベルにまで高く引き上げて受け止めていかねばなりません。
すなわち、「義」というものは、もっと広い意味の「公義」という形でとらえられるべきであり、その段階にまで持っていかなければほとんど意味をなさない、と私は確信しているのです。広い意味という場合には、これはもう「武士」とか「平民」とかいった゛階級゛などには全く関係ない「人間」全体の生き方の問題となってくる。すなわち、「人類社会」全体にかかわる根本的な問題としてとらえなければならない、と思うからです。(中略)
とても崇高な精神を感じる一節で、人間の生きる目的「本分」とは何かと教えられる思いを持ちます。
戦後の日本は、「義」の心は薄れ、霧消しています。その代わりあるのが「利」でそれも、「私利私欲」が前面にして、他人の生活、命までも奪う、経済システム(社会通念)になってしまいました。
戦前、日本の教育は、戦争を止められなかった責任はありますが、明治維新以来、「公儀」の仕事の奔走した偉人たちのバックボーンに「武士道」の心があったことは間違いありません。武士の闘争心ではないく、公に尽くす精神を日本人に呼び戻すことが急務と思います。
ノーブレス・オブリージュ:生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権
を理解し、無理せずにできる「社会奉仕の心」を育てる教育が必用なように思います。
*参考資料:李登輝著「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」(2003年初版)
ふと寄った地元の図書館で最近気になっている言葉「ノーブレス・オブリージュ」の文字につられて選んだ、台湾の指導者だった李登輝氏の著書「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」を読んでいます。
武士道はもちろん、戦前の日本を代表する国際人、新渡戸稲造氏が著した本のことです。李登輝氏は、戦前の台湾で日本の教育を受け、京都大学で農業経済を勉強しますが、大きく影響を与えたのは、新渡戸氏の著書だったそうです。その中で「義」について、新渡戸氏の言葉と、李登輝氏の言葉を紹介します。
『義』 (Rectitude or Justice)~武士道「義」より、
「義は、武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。」
・林子平(1738~1793、経世家)
「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、打つべき場所に打つことなり」
・真木和泉(1813~1864、幕末の尊皇攘夷の指導者)
「節義は例えて言わば人の身体の骨あるごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず、されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」
孟子曰く「仁は人の心なり、義は人の路なり」
「その路を捨てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人鶏犬の放つあらば即ちこれを求むるを知る。心を放つあるも求むるを知らず」
イエス・キリスト(孟子から遅るること三百年に生まれた)の言葉
「我は失せし者の見いださるべき義の道なり」
(新渡戸稲造氏の意見)
私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直(なお)くかつ狭き路である。
(以上、新渡戸稲造著「武士道」より引用)
(以下、李登輝氏の「武士道」解題より)
「義」と言うのは、「武士道」を考えて行く上でも最も重要な観念の一つであり、決して「個人」や「私」的なレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベルにまで高く引き上げて受け止めていかねばなりません。
すなわち、「義」というものは、もっと広い意味の「公義」という形でとらえられるべきであり、その段階にまで持っていかなければほとんど意味をなさない、と私は確信しているのです。広い意味という場合には、これはもう「武士」とか「平民」とかいった゛階級゛などには全く関係ない「人間」全体の生き方の問題となってくる。すなわち、「人類社会」全体にかかわる根本的な問題としてとらえなければならない、と思うからです。(中略)
とても崇高な精神を感じる一節で、人間の生きる目的「本分」とは何かと教えられる思いを持ちます。
戦後の日本は、「義」の心は薄れ、霧消しています。その代わりあるのが「利」でそれも、「私利私欲」が前面にして、他人の生活、命までも奪う、経済システム(社会通念)になってしまいました。
戦前、日本の教育は、戦争を止められなかった責任はありますが、明治維新以来、「公儀」の仕事の奔走した偉人たちのバックボーンに「武士道」の心があったことは間違いありません。武士の闘争心ではないく、公に尽くす精神を日本人に呼び戻すことが急務と思います。
ノーブレス・オブリージュ:生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権
を理解し、無理せずにできる「社会奉仕の心」を育てる教育が必用なように思います。
*参考資料:李登輝著「『武士道』解題~ノーブレス・オブリージュ~」(2003年初版)

