2008年08月10日
自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から
自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から
「私は何処にいて、どれほどのものか?・・・」
今、オリンピックが開催されています。
私は、水泳が好きで平泳ぎの北島選手を応援していますが、予選でその記録を上回るニューファースが出てきました。ライバルのハンセン選手よりはるかに良い記録でした。世界は広いなと思います。
中国故事に、「夜郎自大」というものがあります。これは、史記の一節にあるのですが、地方の自分の国(領域)と漢帝国と、どちらが大きいかたずねたというものです。これは、視野の狭さから持った「自負心」を反省させる教示なのですが、これって今でもけっこうあるように思います。
私は、キッズサッカーの指導をしているのですが、「自分は、(在学の小学校で)一番上手」と思っている生徒がいます。意外とこれ多いのです。そんな生徒には、必ず他校と練習試合をさせ、「俺より上手いやつが居た」の気付きから、向上心のかき立てることも大事と思います。
大人でも「自分は、どれくらいのレベル(存在か)か知る」ことが、一番難しいのかもしれません。
大きな志を持ち、猪突猛進で若い時期は走ります。上手く行くと、「俺良い感じ、一番かも」の思い込みで成長させる手もありますが、ある年齢を越えると自覚が出てくるのも必要です。
偉人の言葉にも、「人を知るのは智(知)、自分をするのは明」とあります。自分を知っているようで、欲目もあり見間違う(見えていない)ことが多々在ります。「夜郎自大」の故事は、その最たるものと思います。
あるサイトで、私の論語の勉強不足を指摘され、更に学ぶ意欲が湧き、こりずに故事等を使い続けていきますが、そのことで日常の仕事の合間にも「学問」をしようと感じます。
「学び→ぬぼれ→気付き→反省・落胆→揺り戻し→挑戦→自信→うぬぼれ→気付き→・・・・・」
人間は、これを繰り返しながら、成長するしかないように思います。私のような凡人(小人)は、一日三省し、気付くことこそが生きる源になると思っています。
「夜郎自大」と「一日三省」は、国王でなくても大事な教訓と思います。
自分のテリトリー(会社、地域)だけでなく、たまには異分野・異文化、海外の人々と交流し、自分の立っている位置は大丈夫か? 時々検証することも長い人生では、選択の確信を持つために必要と思います。
「指摘は最大のアドバイス」と思っている私は、中国故事を更に広く・浅く知識を広めたいと思った、今夜の気分です。人の成長の大きな要因は、気付き(発憤)なのかもしれません。
*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一言」
「私は何処にいて、どれほどのものか?・・・」
今、オリンピックが開催されています。
私は、水泳が好きで平泳ぎの北島選手を応援していますが、予選でその記録を上回るニューファースが出てきました。ライバルのハンセン選手よりはるかに良い記録でした。世界は広いなと思います。
中国故事に、「夜郎自大」というものがあります。これは、史記の一節にあるのですが、地方の自分の国(領域)と漢帝国と、どちらが大きいかたずねたというものです。これは、視野の狭さから持った「自負心」を反省させる教示なのですが、これって今でもけっこうあるように思います。
私は、キッズサッカーの指導をしているのですが、「自分は、(在学の小学校で)一番上手」と思っている生徒がいます。意外とこれ多いのです。そんな生徒には、必ず他校と練習試合をさせ、「俺より上手いやつが居た」の気付きから、向上心のかき立てることも大事と思います。
大人でも「自分は、どれくらいのレベル(存在か)か知る」ことが、一番難しいのかもしれません。
大きな志を持ち、猪突猛進で若い時期は走ります。上手く行くと、「俺良い感じ、一番かも」の思い込みで成長させる手もありますが、ある年齢を越えると自覚が出てくるのも必要です。
偉人の言葉にも、「人を知るのは智(知)、自分をするのは明」とあります。自分を知っているようで、欲目もあり見間違う(見えていない)ことが多々在ります。「夜郎自大」の故事は、その最たるものと思います。
あるサイトで、私の論語の勉強不足を指摘され、更に学ぶ意欲が湧き、こりずに故事等を使い続けていきますが、そのことで日常の仕事の合間にも「学問」をしようと感じます。
「学び→ぬぼれ→気付き→反省・落胆→揺り戻し→挑戦→自信→うぬぼれ→気付き→・・・・・」
人間は、これを繰り返しながら、成長するしかないように思います。私のような凡人(小人)は、一日三省し、気付くことこそが生きる源になると思っています。
「夜郎自大」と「一日三省」は、国王でなくても大事な教訓と思います。
自分のテリトリー(会社、地域)だけでなく、たまには異分野・異文化、海外の人々と交流し、自分の立っている位置は大丈夫か? 時々検証することも長い人生では、選択の確信を持つために必要と思います。
「指摘は最大のアドバイス」と思っている私は、中国故事を更に広く・浅く知識を広めたいと思った、今夜の気分です。人の成長の大きな要因は、気付き(発憤)なのかもしれません。
*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一言」
2008年08月10日
(26年ぶりの再会)朋遠方より来る有り、楽しからずや
(27年ぶりの再会)朋遠方より来る有り、楽しからずや
今日、専門学校卒業以来あう友人と再開しました。何で、26年ぶりに会えたかは、年賀状とここ6年になるメールマガジンのおかげかもしれません。メールマガジン「コモンズ・メール」は、月1、2度の不定期に(勝ってに)送信する、友人向けの活動報告メールで、熊本・九州を中心に、約800名に送信して来ました。それが縁で、熊本へ帰郷した友人から「久々に帰って来たので、会いたいね」と連絡が有り、互に中年になっての再開は、楽しみでもあり、興味深々でした。
会えば、昔のように語り合えるのだなと思いました。インターネットのお蔭で、私に行動や考えを伝え続けて来たこともあり、ここ4、5年の話は無く、学生時代の友人の話や日常の仕事の話で、アッと言う間に3時間経っていました。同じ建築の道を目指し、学生時代は、全国コンペ(設計競技)に出し、競い合った中もでもあり、東京と熊本の仕事の内容は違うにしろ、互に参考になる話ができました。
私の興味は、「何で今頃、会おうと言ったのか」でした。東京で、いくつかの建築士事務所を渡り歩き、50才を境に独立を考えているのだそうです。そこで、同級生で独立している人の様子(実態)を観察し、意見を求めに回っていると、本音を語ってくれました。
私は、独立して18年間の苦労や工夫、更に金銭の浮き沈みも含め、全部語りました。何か自分の設計事務所の検証をやったようなものでした。50人前後の東京の事務所と、熊本で個人事務所を中心に所属し、大型建築物も地方では工夫して学んで来たことを互に出し合いながら、前半は久々に建築談議を延々、熊本城の見えるレストランで、珈琲1杯で話し続けました。
後半は、さすがに中年になり社会ことや、子供たちにことも含め、話題が広くなり、私の社会活動のこと、指導を受けている先生方の話しと広がり、国の1千兆円の借金、熊本県の財政状況、熊本の財政改革まで出て来ました。ふと、やはり互に無駄に年を取っていないなと感じました。
せっかく訪ねてくれたので、建築・リフォーム業界の中で、これから都市部に広がる、地方から始まっている新しい動きを紹介しました。旧友とは、良いものだなと思います。
論語の言葉に、「朋遠方より来る有り、楽しからずや」も思っていました。
夕方帰って開いた本、安岡正篤先生の「一日一言」に、次の一説がありました。
(本文より)
故(ふる)い友人を持って居る者ほど本物だが、絶えず新しい友人を漁獲(あさ)って歩く者は、それが順境である者ほど偽者だ。
(感 想)
異業種交流会を続けて来て11年になりますが、色々な方が私の会に参加されました。私の交流会は、出会った方と語る中で出てくる興味ある方に会い続け、その方々の出会いを場を作ろうと続けて来ました。中には、ぜひ参加させてと来る人がいます。
そんな方は、交流会(30~70名)中、名刺配りに一生懸命で、しっかり語ればいいのにと思い、行動を見ています。たいがいそんな人は、2度以上は来ない(続かない)ように思います。
交流会でリピーターとして参加する人は、一人ひとりに興味を持つ人が残るように思います。考えるに、「人に興味を持つこと」交流に一番必要と感じています。
もう一つ、安岡先生の教示を紹介します。
(本文から)
私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
第一は、目先に捉われないで、出きるだけ長い目で見ること、
第二は、物事の一面に捉われないで、出切るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える、
ということである。
目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見ると、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。物事によっては、その結論が全く正反対ということになることになることが少なくない。
我々は難しい問題にぶつかる度に此の心掛を忘れてはならぬ。
(感 想)
「忙中に閑あり」は、安岡先生の教示の一つですが、多忙な時ほど色々なことが重なります。忙しい時ほど、考える時間を持てる寸暇が必要なのかもしれません。
今日は、旧友の来訪でしたが、18年の歳月を振り返るとても良き機会になりました。論語の冒頭の「学びて時に之を習う」と言葉通り、過ぎた時、友と語る時、振り返る機会を得た時だったのかもしれません。
今日の同級生は、これから起業する人でもありますので、別れ際に「東京でまた会おう」とエールを送り、久々に旧友と語り合い、アッと言う間に過ぎた午後の一時でした。
今日、専門学校卒業以来あう友人と再開しました。何で、26年ぶりに会えたかは、年賀状とここ6年になるメールマガジンのおかげかもしれません。メールマガジン「コモンズ・メール」は、月1、2度の不定期に(勝ってに)送信する、友人向けの活動報告メールで、熊本・九州を中心に、約800名に送信して来ました。それが縁で、熊本へ帰郷した友人から「久々に帰って来たので、会いたいね」と連絡が有り、互に中年になっての再開は、楽しみでもあり、興味深々でした。
会えば、昔のように語り合えるのだなと思いました。インターネットのお蔭で、私に行動や考えを伝え続けて来たこともあり、ここ4、5年の話は無く、学生時代の友人の話や日常の仕事の話で、アッと言う間に3時間経っていました。同じ建築の道を目指し、学生時代は、全国コンペ(設計競技)に出し、競い合った中もでもあり、東京と熊本の仕事の内容は違うにしろ、互に参考になる話ができました。
私の興味は、「何で今頃、会おうと言ったのか」でした。東京で、いくつかの建築士事務所を渡り歩き、50才を境に独立を考えているのだそうです。そこで、同級生で独立している人の様子(実態)を観察し、意見を求めに回っていると、本音を語ってくれました。
私は、独立して18年間の苦労や工夫、更に金銭の浮き沈みも含め、全部語りました。何か自分の設計事務所の検証をやったようなものでした。50人前後の東京の事務所と、熊本で個人事務所を中心に所属し、大型建築物も地方では工夫して学んで来たことを互に出し合いながら、前半は久々に建築談議を延々、熊本城の見えるレストランで、珈琲1杯で話し続けました。
後半は、さすがに中年になり社会ことや、子供たちにことも含め、話題が広くなり、私の社会活動のこと、指導を受けている先生方の話しと広がり、国の1千兆円の借金、熊本県の財政状況、熊本の財政改革まで出て来ました。ふと、やはり互に無駄に年を取っていないなと感じました。
せっかく訪ねてくれたので、建築・リフォーム業界の中で、これから都市部に広がる、地方から始まっている新しい動きを紹介しました。旧友とは、良いものだなと思います。
論語の言葉に、「朋遠方より来る有り、楽しからずや」も思っていました。
夕方帰って開いた本、安岡正篤先生の「一日一言」に、次の一説がありました。
(本文より)
故(ふる)い友人を持って居る者ほど本物だが、絶えず新しい友人を漁獲(あさ)って歩く者は、それが順境である者ほど偽者だ。
(感 想)
異業種交流会を続けて来て11年になりますが、色々な方が私の会に参加されました。私の交流会は、出会った方と語る中で出てくる興味ある方に会い続け、その方々の出会いを場を作ろうと続けて来ました。中には、ぜひ参加させてと来る人がいます。
そんな方は、交流会(30~70名)中、名刺配りに一生懸命で、しっかり語ればいいのにと思い、行動を見ています。たいがいそんな人は、2度以上は来ない(続かない)ように思います。
交流会でリピーターとして参加する人は、一人ひとりに興味を持つ人が残るように思います。考えるに、「人に興味を持つこと」交流に一番必要と感じています。
もう一つ、安岡先生の教示を紹介します。
(本文から)
私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
第一は、目先に捉われないで、出きるだけ長い目で見ること、
第二は、物事の一面に捉われないで、出切るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える、
ということである。
目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見ると、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。物事によっては、その結論が全く正反対ということになることになることが少なくない。
我々は難しい問題にぶつかる度に此の心掛を忘れてはならぬ。
(感 想)
「忙中に閑あり」は、安岡先生の教示の一つですが、多忙な時ほど色々なことが重なります。忙しい時ほど、考える時間を持てる寸暇が必要なのかもしれません。
今日は、旧友の来訪でしたが、18年の歳月を振り返るとても良き機会になりました。論語の冒頭の「学びて時に之を習う」と言葉通り、過ぎた時、友と語る時、振り返る機会を得た時だったのかもしれません。
今日の同級生は、これから起業する人でもありますので、別れ際に「東京でまた会おう」とエールを送り、久々に旧友と語り合い、アッと言う間に過ぎた午後の一時でした。

