2009年06月28日
小さな成功を目指す「自信はとても大事な心の要素」
小さな成功を目指す「自信はとても大事な心の要素」
よく、小さな成功体験を積み上げ、大きな成功にぶち当たった人間を見て、
「自分だってそれくらいのことはできる」という、口先だけの人間になってはおしま。
これを裏を返せば、「自分の実力からいってこの程度がいいところだ」と限界を、自ら設けてしまっていることが多い。
人は、一気に大成功に到達する事は少ない。
成功が早ければ、衰退も早いのが史実のようです。
やはり、こつこつと小さな成功の積み上げしか、成長をつづける道はないと思います。
タレントの新人をデビューさせるときも、まず小さな成功を体験させるように持って行くそうです。
素質、訓練、技能を駆使した高度の能力をもつ新人でも、はじめは、やさしいことからやらせ、「うまい、うまい、よくできた」とほめるて自信をつけさせたいからだそうです。人間にとって、自信はとても大事な心の要素と思います
小さな成功も、大きな成功も、成功に違いないと思います。
ですが、一般の人は大きな成功を大きく評価し、小さな成功をとかく無視(見落とし)しがちです。なかには、「そんなことで、喜ぶなよ」と見下げる人もいたりする。
たいがいこんな批評をする人は、言葉ばかりで、実行の伴わない人が多いように見受けます。
どんな小さなことでも、こつこつと準備をし、傍目からは大したことではなくても、本人の達成感が十分であれば、それは最高の結果と思います。
そこで、タイミングよく「ほめる」ことが大事と思います。
人のエネルギーの効用(高揚)には、認められる、評価が上がることが一番の肥料と思います。高望みせず(させず)、目の前の小さな目標を目指し努力する意味を、経験者がやさしく促すことが必要と思います。
まずは、小さな成功を目指して、できることを続けることが大事と思います。
*参考資料:川北義則著「いまはダメでも、きっとうまくいく」
よく、小さな成功体験を積み上げ、大きな成功にぶち当たった人間を見て、
「自分だってそれくらいのことはできる」という、口先だけの人間になってはおしま。
これを裏を返せば、「自分の実力からいってこの程度がいいところだ」と限界を、自ら設けてしまっていることが多い。
人は、一気に大成功に到達する事は少ない。
成功が早ければ、衰退も早いのが史実のようです。
やはり、こつこつと小さな成功の積み上げしか、成長をつづける道はないと思います。
タレントの新人をデビューさせるときも、まず小さな成功を体験させるように持って行くそうです。
素質、訓練、技能を駆使した高度の能力をもつ新人でも、はじめは、やさしいことからやらせ、「うまい、うまい、よくできた」とほめるて自信をつけさせたいからだそうです。人間にとって、自信はとても大事な心の要素と思います
小さな成功も、大きな成功も、成功に違いないと思います。
ですが、一般の人は大きな成功を大きく評価し、小さな成功をとかく無視(見落とし)しがちです。なかには、「そんなことで、喜ぶなよ」と見下げる人もいたりする。
たいがいこんな批評をする人は、言葉ばかりで、実行の伴わない人が多いように見受けます。
どんな小さなことでも、こつこつと準備をし、傍目からは大したことではなくても、本人の達成感が十分であれば、それは最高の結果と思います。
そこで、タイミングよく「ほめる」ことが大事と思います。
人のエネルギーの効用(高揚)には、認められる、評価が上がることが一番の肥料と思います。高望みせず(させず)、目の前の小さな目標を目指し努力する意味を、経験者がやさしく促すことが必要と思います。
まずは、小さな成功を目指して、できることを続けることが大事と思います。
*参考資料:川北義則著「いまはダメでも、きっとうまくいく」
2009年06月25日
人間として生を受けた以上に尊いものはない~釈迦~
人間として生を受けた以上に尊いものはない~釈迦~
日々の生活は、人間関係の煩わしさに忙殺される事さえある。しかし、これも人間として生れたからこそ言えることだろう。犬や猫、あるいは牛、豚等に生れたら、狭い世界と自分の望む寿命さえまっとうできないではないか。
老子の言葉が、冒頭の一節ですが、考え方、心の持ち方でずい分、ゆとりと視野の広さを保てる気がします。以下、「老子・荘子の言葉100選」より抜粋、
(本文より)
まことに幸運なことに、わたしたちは、人間なのである。お釈迦様も、
「大地自然から授かった命を、人間として生きられる以上に尊いものはない」
と、言っている。
(ただ)人間は、ときどき、自分の生命活動のすばらしさをそっちのけにして、高級車とかダイヤモンドとかが買える「オカネ」を熱愛して、自分を愛することを忘れしまう。(中略)
(以上、「老子・荘子の言葉100選」)
老子は、誰でも自分を愛しているであろうが、どうせ愛するなら、もっと真剣にもっと深く、とことん自分を愛したらどうだと、説いている。
自分を大事にしていますか。
日々の忙殺に追われ、心休まる寸暇はありますか。
周りの声が、自分を批難するように聴こえていませんか。
何時も爪先立ちでは続きません、どっかと両足を着きましょう。
スケジュールは、自分で決めていませんか。
ただ、無駄な時は過してはなりません。
流行の学問、流行の集まりを追うのでなく、心を育てることが大事。
日々の仕事の中でも自分を高めることができます。(事上磨練)
一生しかない人生、自分を見つめ、自分をしっかり愛しましょう。
そして、心を休める時間、工夫、仲間が少しあると良いですね。
*参考資料: 境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
日々の生活は、人間関係の煩わしさに忙殺される事さえある。しかし、これも人間として生れたからこそ言えることだろう。犬や猫、あるいは牛、豚等に生れたら、狭い世界と自分の望む寿命さえまっとうできないではないか。
老子の言葉が、冒頭の一節ですが、考え方、心の持ち方でずい分、ゆとりと視野の広さを保てる気がします。以下、「老子・荘子の言葉100選」より抜粋、
(本文より)
まことに幸運なことに、わたしたちは、人間なのである。お釈迦様も、
「大地自然から授かった命を、人間として生きられる以上に尊いものはない」
と、言っている。
(ただ)人間は、ときどき、自分の生命活動のすばらしさをそっちのけにして、高級車とかダイヤモンドとかが買える「オカネ」を熱愛して、自分を愛することを忘れしまう。(中略)
(以上、「老子・荘子の言葉100選」)
老子は、誰でも自分を愛しているであろうが、どうせ愛するなら、もっと真剣にもっと深く、とことん自分を愛したらどうだと、説いている。
自分を大事にしていますか。
日々の忙殺に追われ、心休まる寸暇はありますか。
周りの声が、自分を批難するように聴こえていませんか。
何時も爪先立ちでは続きません、どっかと両足を着きましょう。
スケジュールは、自分で決めていませんか。
ただ、無駄な時は過してはなりません。
流行の学問、流行の集まりを追うのでなく、心を育てることが大事。
日々の仕事の中でも自分を高めることができます。(事上磨練)
一生しかない人生、自分を見つめ、自分をしっかり愛しましょう。
そして、心を休める時間、工夫、仲間が少しあると良いですね。
*参考資料: 境野勝悟編著「老子・荘子の言葉100選」
2009年06月23日
人生を甘からしむる心がけ~新渡戸稲造~
人生を甘からしむる心がけ~新渡戸稲造~
新渡戸稲造氏の若者へ向けたメッセージ『自警録』に、次の一節があります。
(本文)
・・、おのおのが潔(いさぎ)よい愛情から起算して、(親なり妻なり子なり、最も自分に近いゆえに最も自分に親しい情合いに基づいて)己の日々の事務を怠らず、百姓は百姓、商人は商人、教師は教師、役人は役人と己れの預っている職務を忠実にして、なおかつ思想は高く俗界を超越して、商人が金を造っても金を目的とせず、農家は肥料を施しても収獲以上に目的を置き、教師が教場に出ても志を遠きに着け、役人が執務するに、俗務のために没脚(ぼつきゃく)されない。
すなわち一言に縮めると、吾人が人格としてまったく世を離れた思想をいだくと同時に、常に世に対してはいかなる俗務といえどもこれを尽くし、わが輩のたびたびいう垂直的関係と平面的関係との調和を始終図って行けば、つまらぬ務めにも深い意味のあることがわかり、また深い意味のある思想がいわゆるつまらぬことにも顕(あらわ)れて、もって人生の味がはなはだ甘きをなすものである。
「軒ベン(高貴なる人の乗る車)の中におれば、山林の気味なかるべからず。林泉(田舎の意味)の下に処(お)りては、須(すべか)らく廊廟(朝廷)の経綸を懐(いだ)くを要すべし」と。
吾人は、いかなる低き、いわゆる卑しき職に従事しても心一つは高く持ちたい。
(以上、新渡戸稲造著「自警録」、実業を精神化せよ)
どんな仕事、どんな立場であろうと、世のことに感心をもつ事の大切さを説いたものと思います。日々、日常のわずらわしい仕事もこなし、本を読み、さらに人に教示するような域には、なかなか至りませんが、志を高く持ち、日々懸命にできることを努力し続ける事が必要と思います。
今日は、手抜き日記ですが、世に生きる人の生き方の真髄は何か、教示を得たように思います。
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録」
新渡戸稲造氏の若者へ向けたメッセージ『自警録』に、次の一節があります。
(本文)
・・、おのおのが潔(いさぎ)よい愛情から起算して、(親なり妻なり子なり、最も自分に近いゆえに最も自分に親しい情合いに基づいて)己の日々の事務を怠らず、百姓は百姓、商人は商人、教師は教師、役人は役人と己れの預っている職務を忠実にして、なおかつ思想は高く俗界を超越して、商人が金を造っても金を目的とせず、農家は肥料を施しても収獲以上に目的を置き、教師が教場に出ても志を遠きに着け、役人が執務するに、俗務のために没脚(ぼつきゃく)されない。
すなわち一言に縮めると、吾人が人格としてまったく世を離れた思想をいだくと同時に、常に世に対してはいかなる俗務といえどもこれを尽くし、わが輩のたびたびいう垂直的関係と平面的関係との調和を始終図って行けば、つまらぬ務めにも深い意味のあることがわかり、また深い意味のある思想がいわゆるつまらぬことにも顕(あらわ)れて、もって人生の味がはなはだ甘きをなすものである。
「軒ベン(高貴なる人の乗る車)の中におれば、山林の気味なかるべからず。林泉(田舎の意味)の下に処(お)りては、須(すべか)らく廊廟(朝廷)の経綸を懐(いだ)くを要すべし」と。
吾人は、いかなる低き、いわゆる卑しき職に従事しても心一つは高く持ちたい。
(以上、新渡戸稲造著「自警録」、実業を精神化せよ)
どんな仕事、どんな立場であろうと、世のことに感心をもつ事の大切さを説いたものと思います。日々、日常のわずらわしい仕事もこなし、本を読み、さらに人に教示するような域には、なかなか至りませんが、志を高く持ち、日々懸命にできることを努力し続ける事が必要と思います。
今日は、手抜き日記ですが、世に生きる人の生き方の真髄は何か、教示を得たように思います。
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録」
2009年06月21日
出会いで成長「坂本龍馬の志」
出会いで成長「坂本龍馬の志」
坂本龍馬をこよなく信望する「不知火龍馬会」で、以前、龍馬の精神を学ぶ学習会が開催しました。私も会員で、龍馬の師・横井小楠を顕彰する「くまもと横井小楠塾」の高宗昭敏塾長に講話をしてもらいました。
高宗先生は、「龍馬は、少年時代の不遇の試練が、活躍躍進の力になった。現代を救うリーダーも、既存集団からでなく、混沌の中から力を貯め飛び出て来る。その志を育てるには、強烈な個性との出会いが重要。更に個々の志を共創(場つくり)させ、高める世話人が必要で、幕末では坂本竜馬がその役目を果たした。」と語られました。
各地域にも、世話役・調整役が居るもですが、この世話役人が、既存リーダーを凌ぐ知識と胆力を持ち、命の限り出会いを求め、行動し続ける精神力と支援者を持ったとき、大きな影響力を持ちます。
維新前夜、坂本竜馬の最大の出会いは、勝海舟だったと思います。実質二年の教授で開眼、世界に視野が広がり、更に横井小楠、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎の倜戃不羈(てきとうふき)の人物との出会いで、更に飛躍して行くことができました。
幕末の陽明学者・山田方谷が、弟子の河井継之助に「周りに師が居なければ、全国の師に学べ、それでも居なければ、歴史の偉人に学べ」訓示したと言います。人の志と徳を萌芽成長させるのは、高い志の人物や歴史の偉人との出会いが必要と学びました。
人とは出会いが勝負であり、飛躍をさせる契機と思います。
良き出会いを!
坂本龍馬をこよなく信望する「不知火龍馬会」で、以前、龍馬の精神を学ぶ学習会が開催しました。私も会員で、龍馬の師・横井小楠を顕彰する「くまもと横井小楠塾」の高宗昭敏塾長に講話をしてもらいました。
高宗先生は、「龍馬は、少年時代の不遇の試練が、活躍躍進の力になった。現代を救うリーダーも、既存集団からでなく、混沌の中から力を貯め飛び出て来る。その志を育てるには、強烈な個性との出会いが重要。更に個々の志を共創(場つくり)させ、高める世話人が必要で、幕末では坂本竜馬がその役目を果たした。」と語られました。
各地域にも、世話役・調整役が居るもですが、この世話役人が、既存リーダーを凌ぐ知識と胆力を持ち、命の限り出会いを求め、行動し続ける精神力と支援者を持ったとき、大きな影響力を持ちます。
維新前夜、坂本竜馬の最大の出会いは、勝海舟だったと思います。実質二年の教授で開眼、世界に視野が広がり、更に横井小楠、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎の倜戃不羈(てきとうふき)の人物との出会いで、更に飛躍して行くことができました。
幕末の陽明学者・山田方谷が、弟子の河井継之助に「周りに師が居なければ、全国の師に学べ、それでも居なければ、歴史の偉人に学べ」訓示したと言います。人の志と徳を萌芽成長させるのは、高い志の人物や歴史の偉人との出会いが必要と学びました。
人とは出会いが勝負であり、飛躍をさせる契機と思います。
良き出会いを!
2009年06月18日
宇土に坂本龍馬がやって来る、ミュージカル「龍馬!」
宇土に坂本龍馬がやって来る、ミュージカル「龍馬!」
毎年恒例になった、宇土市民会館の夏のミュージカルに、今年は、東北の劇団「わらび座」が、幕末の英雄「坂本龍馬」を演じます。全国講演の出だし講演で、熊本県内は、7月2日天草市、宇土市が7月13日に講演があります。
宇土市民会館の講演は、昼・夜に講演があります。昼は、宇土市内の中学生3年生に「本物みせよう」の教育委員会の企画が主ですが、一般客約300席が観劇(有料)できます。夜は750席で観れます。脚本・演出は、大河ドラマを手がけるジェームス三木氏、昨年から、四国・松山の坊ちゃん劇場で上演され、好評でロングラン講演が続いていました。
来年は、NHKの大河ドラマは、「龍馬伝(坂本龍馬)」ですので、益々話題になると思います。熊本県内は、天草市と宇土市しかありませんので、宇土市だけでなく、熊本県内はもとより、九州内の人にもミュージカル「龍馬!」をぜひ観て欲しいと思います。
ミュージカル「龍馬!」の見どころ
7月13日(月)は、わらび座のミュージカル「龍馬!」がやってきます。坂本龍馬は、閉鎖的な武家社会の中で、自由奔放に生き、幕府という組織をくつがえした人物です。
薩長同盟の仲介役としての手腕が評価されている龍馬ですが、今回のジェームス三木演出では、妻おりょうや、寺田屋のお登勢ら、龍馬を取り巻く、女性との色恋ざたに頭を悩ませる姿にスポットが当てられていて、とにかく面白い、楽しいミュージカルとなっています。
わらび座ミュージカル「龍馬!」 脚本・演出 ジェームス三木
日 時 2009年07月13日(月)
昼の部 14時開演(300席限定)
夜の部 19時開演(750席)
場 所 宇土市民会館大ホール
チケット 一般 2,000円(当日2,500円)
高校生以下 1,000円(当日1,500円)
お問い合わせ先 宇土市民会館 0964-22-0188
毎年恒例になった、宇土市民会館の夏のミュージカルに、今年は、東北の劇団「わらび座」が、幕末の英雄「坂本龍馬」を演じます。全国講演の出だし講演で、熊本県内は、7月2日天草市、宇土市が7月13日に講演があります。
宇土市民会館の講演は、昼・夜に講演があります。昼は、宇土市内の中学生3年生に「本物みせよう」の教育委員会の企画が主ですが、一般客約300席が観劇(有料)できます。夜は750席で観れます。脚本・演出は、大河ドラマを手がけるジェームス三木氏、昨年から、四国・松山の坊ちゃん劇場で上演され、好評でロングラン講演が続いていました。
来年は、NHKの大河ドラマは、「龍馬伝(坂本龍馬)」ですので、益々話題になると思います。熊本県内は、天草市と宇土市しかありませんので、宇土市だけでなく、熊本県内はもとより、九州内の人にもミュージカル「龍馬!」をぜひ観て欲しいと思います。
ミュージカル「龍馬!」の見どころ
7月13日(月)は、わらび座のミュージカル「龍馬!」がやってきます。坂本龍馬は、閉鎖的な武家社会の中で、自由奔放に生き、幕府という組織をくつがえした人物です。
薩長同盟の仲介役としての手腕が評価されている龍馬ですが、今回のジェームス三木演出では、妻おりょうや、寺田屋のお登勢ら、龍馬を取り巻く、女性との色恋ざたに頭を悩ませる姿にスポットが当てられていて、とにかく面白い、楽しいミュージカルとなっています。
わらび座ミュージカル「龍馬!」 脚本・演出 ジェームス三木
日 時 2009年07月13日(月)
昼の部 14時開演(300席限定)
夜の部 19時開演(750席)
場 所 宇土市民会館大ホール
チケット 一般 2,000円(当日2,500円)
高校生以下 1,000円(当日1,500円)
お問い合わせ先 宇土市民会館 0964-22-0188
2009年06月17日
ハンディは跳躍(飛躍)のバネである
ハンディは跳躍(飛躍)のバネである
松下幸之助は、ハンディだらけの人だった。
一、病弱だった
二、貧乏だった
三、学歴がなかった
まさに三重苦からの出発。細々と電球のソケットから作り始めた。
これが並みの人間なら、一つのハンディがあるだけで、堂々と「できない言い訳」に使うだろう。
一、「何といったって健康だよ。俺だった健康ならやれるんだ」
二、「金さ。金さえあれば俺だって・・・・」
三、「学歴がないから、今の社会ではどうあがいたってたかが知れている」
人は「できない理由」をいくらでも考えつく。
逆に思考を変える。
一、病気なら「いつ死んでもいいや」
二、貧乏なら「稼ごう、働こう」
三、学歴がないなら「見返してやろう」
要は、自分の心しだい。
我々凡人は、日々目の前の問題に悩むだけで実行しない。
理解したら、実行しよう。「知行合一」、動いてこそ始まる人生と思います。
*参考資料:北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくいく」
<シリーズ>
馬見原・白壁のまちづくり
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/c4025195.html
松下幸之助は、ハンディだらけの人だった。
一、病弱だった
二、貧乏だった
三、学歴がなかった
まさに三重苦からの出発。細々と電球のソケットから作り始めた。
これが並みの人間なら、一つのハンディがあるだけで、堂々と「できない言い訳」に使うだろう。
一、「何といったって健康だよ。俺だった健康ならやれるんだ」
二、「金さ。金さえあれば俺だって・・・・」
三、「学歴がないから、今の社会ではどうあがいたってたかが知れている」
人は「できない理由」をいくらでも考えつく。
逆に思考を変える。
一、病気なら「いつ死んでもいいや」
二、貧乏なら「稼ごう、働こう」
三、学歴がないなら「見返してやろう」
要は、自分の心しだい。
我々凡人は、日々目の前の問題に悩むだけで実行しない。
理解したら、実行しよう。「知行合一」、動いてこそ始まる人生と思います。
*参考資料:北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくいく」
<シリーズ>
馬見原・白壁のまちづくり
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/c4025195.html
2009年06月15日
幸運を呼び込む七つの方法(考え方)
幸運を呼び込む七つの方法(考え方)
人生なにをやってもうまく行かない時もある。
人生なぜが、偶然(必然的)か、なんでも好調な時期もある。
稀にうまくいことがある。
それは、意外に周りの応援、支援があると気に起こる。
良い方向、良い結果を求めて、謙虚に自分の気持ちを持って行く事が大事と、北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくゆく」に、つきを呼び込む七つの方法、というテーマで書かれていた。
(本文より、抜粋)
一、物事はすべて肯定的にとらえる。
評価的には悪いできでも、自分にとって「結果的にはよい」と捉える。
二、肯定的視点を持続する
「これはよいことなのだ」と、肯定思考の繰り返しを反復する。
三、他人の否定的な意見に同調しない
夢、願望、計画や目標に関し、否定的な意見に耳を貸さない。
四、他人の繁栄を優先する
他人の繁栄を優先し、祝福するように心がける。
五、よい方向へ「進みつつある」と思う
苦境であっても、現在進行形で「よくなりつつある」と思うことができる。
六、解決できない問題はないと確信する
自分に降りかかった問題は、自分で解決できる。
七、感謝の心を忘れない
たとえば悪口を言われても感謝するくらいの許容範囲を広さが必要。
(以上、「いまはダメでも、きっとうまくゆく」)
人間は限界意識によって、自ら限界を設ける。
「ダメと思った瞬間ダメになる」
自分に与えられた問題(仕事)は、すべて解決できると思い、思考と身体の限りを尽くし、努力すると道は開ける。
結果ばかりを追うと、視野の狭い行動になるので、人事を尽くせば結果は自ずと付いてい来ると「結果オーライ」を受け入れ、そして前へ進む気概も必要と思います。肯定的に考え、前向きの思考を繰り返す、「反復」こそ、七転び八起きの思考と思います。
だるまさんが転んだ、だが、また起き上がった。
そんな人生こそ、本物の人物を作るのかもしれません。
*参考資料:北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくゆく」
人生なにをやってもうまく行かない時もある。
人生なぜが、偶然(必然的)か、なんでも好調な時期もある。
稀にうまくいことがある。
それは、意外に周りの応援、支援があると気に起こる。
良い方向、良い結果を求めて、謙虚に自分の気持ちを持って行く事が大事と、北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくゆく」に、つきを呼び込む七つの方法、というテーマで書かれていた。
(本文より、抜粋)
一、物事はすべて肯定的にとらえる。
評価的には悪いできでも、自分にとって「結果的にはよい」と捉える。
二、肯定的視点を持続する
「これはよいことなのだ」と、肯定思考の繰り返しを反復する。
三、他人の否定的な意見に同調しない
夢、願望、計画や目標に関し、否定的な意見に耳を貸さない。
四、他人の繁栄を優先する
他人の繁栄を優先し、祝福するように心がける。
五、よい方向へ「進みつつある」と思う
苦境であっても、現在進行形で「よくなりつつある」と思うことができる。
六、解決できない問題はないと確信する
自分に降りかかった問題は、自分で解決できる。
七、感謝の心を忘れない
たとえば悪口を言われても感謝するくらいの許容範囲を広さが必要。
(以上、「いまはダメでも、きっとうまくゆく」)
人間は限界意識によって、自ら限界を設ける。
「ダメと思った瞬間ダメになる」
自分に与えられた問題(仕事)は、すべて解決できると思い、思考と身体の限りを尽くし、努力すると道は開ける。
結果ばかりを追うと、視野の狭い行動になるので、人事を尽くせば結果は自ずと付いてい来ると「結果オーライ」を受け入れ、そして前へ進む気概も必要と思います。肯定的に考え、前向きの思考を繰り返す、「反復」こそ、七転び八起きの思考と思います。
だるまさんが転んだ、だが、また起き上がった。
そんな人生こそ、本物の人物を作るのかもしれません。
*参考資料:北川義則著「いまはダメでも、きっとうまくゆく」
2009年06月14日
「夢、優しさ、若さ、前向き」の心を持つ人の話を聞く
「夢、優しさ、若さ、前向き」の心を持つ人の話を聞く
~第17回アフリカ子どもの日(ユニセフ熊本支部)~
心の優しい人の話を聞くと、こちらも心のやさしくなる。
心がいらいらしている人の話を聞くと、自分の心もいらいらしてくる。
あなたは素直な人だといわれると、自然に素直な人になってくる。
おまえはダメな奴だと、怒鳴られていると、いつの間にか、心も体もダメになってくる。
若い人と話をしていると若返る。
老人の愚痴ばかり聞いていると、自分も愚痴っぽくなってしまう。
境野勝悟著「道元『禅』の言葉」に次の解説があった。
(本文)
道元は、自分が幸福に生きるために必要な智恵の第一番に、「聞」をあげている。いくら経済的に恵まれていても、いつもいやなことばかり聞いていては、心が晴れない。逆に、それほど経済的に恵まれていなくても、常にやさしく思いやりのある言葉を耳にしていれば、心は秋空のように澄んで明るくなる。
現代は、歴史上、こんなに豊かであったときはなかった。にもかかわらず、あまりにも浮薄な自己中心的の考えばかりを耳にして、混乱と絶望の世界になりつつある。いまこそ、各自が宇宙一家的な広く大きい考えを話題にしなくてはならない。(中略)
(以上、「道元『禅』の言葉」)
7月4日、5日に熊本市で、「第17回アフリカ子どもの日」のイベントがある。今回、一つの分科会の担当をしているのですが、6月6日に高校生のボランチィアたちとのミーチィングがあった、100名を越える高校生(一部中学生)が集い、アフリカのことを知り、自分たちができることをやりたいと、目を輝かせ、色々な思いを語り合った。



道元の言葉ではないですが、私自身、ワクワクし、若者に何を伝えないといけないか、責任を感じながら、高校生たちと打合せをしました。
夢を語り、愛情を持って接し、相手を思いやること、前向きに考える若さ、
日々使う時間を、そんな前向きな話、自分を豊かにするような人の話を聞くと、気分も好転し、良き相乗効果が現れるかもしれません。
道元の<修智恵>の教示、「聞」はとても大切なことのように思います。
*参考資料:境野勝悟著「道元『禅』の言葉」
~第17回アフリカ子どもの日(ユニセフ熊本支部)~
心の優しい人の話を聞くと、こちらも心のやさしくなる。
心がいらいらしている人の話を聞くと、自分の心もいらいらしてくる。
あなたは素直な人だといわれると、自然に素直な人になってくる。
おまえはダメな奴だと、怒鳴られていると、いつの間にか、心も体もダメになってくる。
若い人と話をしていると若返る。
老人の愚痴ばかり聞いていると、自分も愚痴っぽくなってしまう。
境野勝悟著「道元『禅』の言葉」に次の解説があった。
(本文)
道元は、自分が幸福に生きるために必要な智恵の第一番に、「聞」をあげている。いくら経済的に恵まれていても、いつもいやなことばかり聞いていては、心が晴れない。逆に、それほど経済的に恵まれていなくても、常にやさしく思いやりのある言葉を耳にしていれば、心は秋空のように澄んで明るくなる。
現代は、歴史上、こんなに豊かであったときはなかった。にもかかわらず、あまりにも浮薄な自己中心的の考えばかりを耳にして、混乱と絶望の世界になりつつある。いまこそ、各自が宇宙一家的な広く大きい考えを話題にしなくてはならない。(中略)
(以上、「道元『禅』の言葉」)
7月4日、5日に熊本市で、「第17回アフリカ子どもの日」のイベントがある。今回、一つの分科会の担当をしているのですが、6月6日に高校生のボランチィアたちとのミーチィングがあった、100名を越える高校生(一部中学生)が集い、アフリカのことを知り、自分たちができることをやりたいと、目を輝かせ、色々な思いを語り合った。
道元の言葉ではないですが、私自身、ワクワクし、若者に何を伝えないといけないか、責任を感じながら、高校生たちと打合せをしました。
夢を語り、愛情を持って接し、相手を思いやること、前向きに考える若さ、
日々使う時間を、そんな前向きな話、自分を豊かにするような人の話を聞くと、気分も好転し、良き相乗効果が現れるかもしれません。
道元の<修智恵>の教示、「聞」はとても大切なことのように思います。
*参考資料:境野勝悟著「道元『禅』の言葉」
2009年06月12日
(身近な死)ささやかな生活と、友人たちを大切に生きる
(身近な死)ささやかな生活と、友人たちを大切に生きる
とても大切で、身近な従兄弟が61才で急逝した。私が生れて以来、この従兄弟はとても近しい親族であり、兄弟にようなお付き合いで、若いころは3ヶ家族で毎年1回日帰り旅行や、中年になってからは「従兄弟会」で忘年会をやったりしました。地域の先輩であり、親戚の跡継ぎ世代の中心的人物でした。
今年1月頃から具合が悪くなり、3月から病院通い、4月検査入院、5月末に病状が悪化し、最後はホスピスで亡くなりました。父を学生時代に亡くし、家族のため働き尽くめで、世を去ったという印象を親族一同が持ち、「まだ早かった、おしい人物だった」の思いが葬儀に参列した人の口から漏れていました。
人間、どんなに長生きしても100歳くらいまでですが、でも今の時代61歳は早い死のように思います。文学批評で興味を持つ、昭和の批評家・小林秀雄氏のことばを集めた「人生の鍛錬」に次の一節があります。
(本文)
空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅(わず)かな土地しか踏む事は出来ぬ。
永生きを考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。
沢山の友達を持つことも出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。
腹から合点する事柄は極く僅かな量であり、心から愛したり憎んだりする相手も、身近にいる僅かな人間を出来ることは出来ぬ。
それが生活の実情である。皆その通りしているのだ。
社会が始まって以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやっていくであろう。
文学者が己の世界を離れぬとは、こういう世界だけを合点して他は一切合点せぬという事なのであります。(「文学と自分」13-143)
(以上、「人生の鍛錬」)
>永生きを考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。
人間は、生き続けることはできませんし、若さを保ち続ける事もありません。
人の生活を豊かにするのは、やはり身近な家族、親族、友人たちの存在と思います。
ここ1月の従兄弟の病気の進行は、親族を心痛な気持ちにし、事あるごとにその病状が話題になっていました。
>沢山の友達を持つことも出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。
友人の多さを自慢する人がいますが、果たして自分を自身を真剣に思い、支える人であるかは、人生の終わりに立会い、葬送に集まる人の数が、その思いの濃さを知らせます。
>社会が始まって以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやっていくであろう。
「スモール・ワールド」ということばがありますが、実際に一人の人間が関わる世界は、小さな領域でしかありません。確かに交通の便が良くなり、世界中行くことができますが、こと生活を考えると、日々の生活に関わる人は僅かと思います。
>空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅(わず)かな土地しか踏む事は出来ぬ。
生活の豊かさとは、日常に触れ合う人々が、思い合う「心」を持っているかではないかと、今回の葬儀に立会い考えています。
従兄弟が我々に教示した「人のためになれ」の生き方を忘れずに、今度は残された世代が次の世代につなぐことが大事と思います。
ささやかな生活と友人たちを大切にして、今後も生きて行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄の言葉集「人生の鍛錬」
<以前の日記>
・ランキング33位、66位、86位(おてもやんブログ)
http://utorongo.otemo-yan.net/e195881.html
とても大切で、身近な従兄弟が61才で急逝した。私が生れて以来、この従兄弟はとても近しい親族であり、兄弟にようなお付き合いで、若いころは3ヶ家族で毎年1回日帰り旅行や、中年になってからは「従兄弟会」で忘年会をやったりしました。地域の先輩であり、親戚の跡継ぎ世代の中心的人物でした。
今年1月頃から具合が悪くなり、3月から病院通い、4月検査入院、5月末に病状が悪化し、最後はホスピスで亡くなりました。父を学生時代に亡くし、家族のため働き尽くめで、世を去ったという印象を親族一同が持ち、「まだ早かった、おしい人物だった」の思いが葬儀に参列した人の口から漏れていました。
人間、どんなに長生きしても100歳くらいまでですが、でも今の時代61歳は早い死のように思います。文学批評で興味を持つ、昭和の批評家・小林秀雄氏のことばを集めた「人生の鍛錬」に次の一節があります。
(本文)
空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅(わず)かな土地しか踏む事は出来ぬ。
永生きを考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。
沢山の友達を持つことも出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。
腹から合点する事柄は極く僅かな量であり、心から愛したり憎んだりする相手も、身近にいる僅かな人間を出来ることは出来ぬ。
それが生活の実情である。皆その通りしているのだ。
社会が始まって以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやっていくであろう。
文学者が己の世界を離れぬとは、こういう世界だけを合点して他は一切合点せぬという事なのであります。(「文学と自分」13-143)
(以上、「人生の鍛錬」)
>永生きを考えるが、僕は間もなく死なねばならぬ。
人間は、生き続けることはできませんし、若さを保ち続ける事もありません。
人の生活を豊かにするのは、やはり身近な家族、親族、友人たちの存在と思います。
ここ1月の従兄弟の病気の進行は、親族を心痛な気持ちにし、事あるごとにその病状が話題になっていました。
>沢山の友達を持つことも出来なければ、沢山の恋人を持つ事も出来ない。
友人の多さを自慢する人がいますが、果たして自分を自身を真剣に思い、支える人であるかは、人生の終わりに立会い、葬送に集まる人の数が、その思いの濃さを知らせます。
>社会が始まって以来、僕等はその通りやって来たし、これからも永遠にその通りやっていくであろう。
「スモール・ワールド」ということばがありますが、実際に一人の人間が関わる世界は、小さな領域でしかありません。確かに交通の便が良くなり、世界中行くことができますが、こと生活を考えると、日々の生活に関わる人は僅かと思います。
>空想は、どこまでも走るが、僕の足は僅(わず)かな土地しか踏む事は出来ぬ。
生活の豊かさとは、日常に触れ合う人々が、思い合う「心」を持っているかではないかと、今回の葬儀に立会い考えています。
従兄弟が我々に教示した「人のためになれ」の生き方を忘れずに、今度は残された世代が次の世代につなぐことが大事と思います。
ささやかな生活と友人たちを大切にして、今後も生きて行きたいと思います。
*参考資料:小林秀雄の言葉集「人生の鍛錬」
<以前の日記>
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2009年06月12日
ランキング33位、65位、85位(おてもやんブログ)
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たまには、巷の話題をいうか、管理人ノグチのブログの話題です。
今日は、論語、故事の記述はありません。ご容赦下さい。
・コモンズくまもと 33位
http://noguchi.otemo-yan.net/
・宇土・親子論語教室 65位
http://utorongo.otemo-yan.net/
・(携帯論語)心を育てることば 85位
http://keitairongo.otemo-yan.net/
昨日ぐらいから、私に日々書くブログ3つが、おてもやんブログランキング100位内に、連日はいっています。感激というか、感謝の一事です。ありがとうございます。そして、感謝、感謝、感激しています。ちなみに、ここ3日のブログのテーマを紹介しています。検索頂き、ご意見頂ければ幸いです。
・コモンズくまもと
(6/12)(選択)戻る勇気を持つ「強烈な勇気を持って退く」
http://noguchi.otemo-yan.net/e195876.html
(6/10)(ブーム選挙)小泉チルドレンたちの選挙、地道な活動の評価
http://noguchi.otemo-yan.net/e195515.html
・宇土・親子論語教室
(6/11)意識のギアチェンジ(急がば回れ)~宮本武蔵訓~
http://utorongo.otemo-yan.net/e195633.html
(6/10)(品格と語学)国際化と日本教育の問題点
http://utorongo.otemo-yan.net/e195393.html
・(携帯論語)心を育てることば
(6/12) 信念をむき出しにしない
http://keitairongo.otemo-yan.net/e195879.html
(6/11) 勝縁を結ぶ(善き縁を求めることが大事)
http://keitairongo.otemo-yan.net/e195629.html
(6/10)笑うことが好きな人は、人に見せない涙を隠している
http://keitairongo.otemo-yan.net/e195594.html
評価はそれぞれ違いますが、ランキングは話題性もありますので上記の日記を検索頂き、ご意見等頂ければ幸いです。
これからも、興味ある話題について、日記を書いて行きたいと思います。ご理解とご支援、ご意見をよろしくお願します。
宇土 ノグチ
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(6/10)(ブーム選挙)小泉チルドレンたちの選挙、地道な活動の評価
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(6/12) 信念をむき出しにしない
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評価はそれぞれ違いますが、ランキングは話題性もありますので上記の日記を検索頂き、ご意見等頂ければ幸いです。
これからも、興味ある話題について、日記を書いて行きたいと思います。ご理解とご支援、ご意見をよろしくお願します。
宇土 ノグチ
2009年06月11日
意識のギアチェンジ(急がば回れ)
意識のギアチェンジ(急がば回れ)
みなさん、デパートではよくエレベーターを利用されると思います。たくさん並んでいる時、諦めて階段を登るか、じっと待つか選択の機会と思います。どちらを選びますか?
以前、アメリカのデパートの出来事です。
(転載)
以前、アメリカのデパートでの出来事。
そのデパートにがエレベーターがあったが、客が多いので、運びきれない。エレベーターの各階え待つ客たちはイライラした。そして、ドアの上にある階数の数字盤をにらんでは、足踏みをしたり、舌打ちしたりしていた。
デパートの経営者は、このことをよく知っていたが、構造上、それ以上エレベーターを増やすことができなかった。ずい分と苦情もあったが、経営者は、知恵者に頼んで考えてもらった。
知恵者は、
「エレベーターの脇に大きな鏡を幾つも据えなさい」
と言った。
経営者は、その意味が分からなかった。
「どうしてエレベーターの脇に鏡をつけるのだね?」
「まあ、いいからやってご覧なさい。」
経営者は、半信半疑だったが、とにかく鏡を取り付けた。するとたちまちエレベーターがなかなか来ないという苦情が激減した。
経営者は、不思議に思ってエレベーターの前に行ってみた。こういうことが起きていたエレベーターの前に群がる人々の中で、特に女の人が、鏡の前に入れ替わり立ち代り立って、自分の姿を鏡に映しているのだ。
そして、
「私も、けっこういい女だわね」
というような表情をして自己満足に浸っている。
知恵者は、エレベーターの前でイラついている人々の意識を、鏡の方にすり替えしまった。(中略)
(以上、童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」)
長い引用ですが、人の意識を変える善き例と思います。
「急ぐ時にはゆとりをもて。そうしないと自分の置かれている状況が見えなくなる」
エレベーターの前で、イライラして頭に血が上っていると、周りの状況を察知するゆとりも無くなる。カッとした目で辺りを見ても、一切がぼやけて見える。
剣豪・宮本武蔵は、常に自分の置かれた状況を、ゆとりをもって分析し、考えたからこそ、負け知らずの試合ができた。武蔵は、
「急ぐ時にゆとりを持って対処した」
つまり周りの状況、自分の持っている能力を、段階的に不要部分を切り捨てる方式で、全体をゆとりをもって見詰めれば、見えてくるものがある。これは、意識のギアチェンジといえる、心構えと思います。
先人の訓示、「急がば回れ」は役に立つ、心構えかもしれません。
*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」
みなさん、デパートではよくエレベーターを利用されると思います。たくさん並んでいる時、諦めて階段を登るか、じっと待つか選択の機会と思います。どちらを選びますか?
以前、アメリカのデパートの出来事です。
(転載)
以前、アメリカのデパートでの出来事。
そのデパートにがエレベーターがあったが、客が多いので、運びきれない。エレベーターの各階え待つ客たちはイライラした。そして、ドアの上にある階数の数字盤をにらんでは、足踏みをしたり、舌打ちしたりしていた。
デパートの経営者は、このことをよく知っていたが、構造上、それ以上エレベーターを増やすことができなかった。ずい分と苦情もあったが、経営者は、知恵者に頼んで考えてもらった。
知恵者は、
「エレベーターの脇に大きな鏡を幾つも据えなさい」
と言った。
経営者は、その意味が分からなかった。
「どうしてエレベーターの脇に鏡をつけるのだね?」
「まあ、いいからやってご覧なさい。」
経営者は、半信半疑だったが、とにかく鏡を取り付けた。するとたちまちエレベーターがなかなか来ないという苦情が激減した。
経営者は、不思議に思ってエレベーターの前に行ってみた。こういうことが起きていたエレベーターの前に群がる人々の中で、特に女の人が、鏡の前に入れ替わり立ち代り立って、自分の姿を鏡に映しているのだ。
そして、
「私も、けっこういい女だわね」
というような表情をして自己満足に浸っている。
知恵者は、エレベーターの前でイラついている人々の意識を、鏡の方にすり替えしまった。(中略)
(以上、童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」)
長い引用ですが、人の意識を変える善き例と思います。
「急ぐ時にはゆとりをもて。そうしないと自分の置かれている状況が見えなくなる」
エレベーターの前で、イライラして頭に血が上っていると、周りの状況を察知するゆとりも無くなる。カッとした目で辺りを見ても、一切がぼやけて見える。
剣豪・宮本武蔵は、常に自分の置かれた状況を、ゆとりをもって分析し、考えたからこそ、負け知らずの試合ができた。武蔵は、
「急ぐ時にゆとりを持って対処した」
つまり周りの状況、自分の持っている能力を、段階的に不要部分を切り捨てる方式で、全体をゆとりをもって見詰めれば、見えてくるものがある。これは、意識のギアチェンジといえる、心構えと思います。
先人の訓示、「急がば回れ」は役に立つ、心構えかもしれません。
*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」
2009年06月10日
(品格と語学)国際化と日本教育の問題点
(品格と語学)国際化と日本教育の問題点
品格とは何だろうと最近思います。アメリカ大統領の演説の素晴らしさに興味を持ちつつ、日本の色々な場面のリーダーの発言が、心に響かないのは何故だろうとも考えます。ニュース報道のあり方も問題と思いますが、人に感銘を生める言葉、スピーチはどんな勉強をすれば良いのだろうと思います。
また、日本人は英語が上手じゃないとか聞きますが、1億2千万人の人口が言えれば、わざわざ海外へ乗り出さなくても生きていける国だからだろうとも考えます。
首都東京大学総長の西澤純一氏の著書「私の独創教育論」の一節に、次の言葉がありました。
(本文)
国際的であるためには、外国語を流暢に話せたほうがよいに決っている。しかし、話した内容が、外国人の共感を呼び、感動を起こさせるようでなければ何もならない。国際的であるということは、外国語が人より上手にはなせることではなく、世界の人々を共鳴させ、啓発し、感激させることにほかならない。
つまり、国際的であるためには、まず立派確固たる自己を作り上げなければならないのだ。誰の真似でもなく、世界の人々が認めるだけの深さのある自己と人生観を確立することこそ、真の国際人への道なのである。他の人と同じで誰も感心するはずがない。真に野本的である人こそ、世界の人たちが感激してくれるのである。(中略)
(以上、「私の独創教育論」)
日本は、教育指導要綱に決められたカリキュラムを、面々と毎年繰り返している。大学センター試験、マークシート方式、記憶が試される教育が中心です。いざ英語を話している世界の舞台の若者、タレントの方々の話を聞くと、感動し、何時までも心に残る言葉や行動が記憶にのこりません。何故だろうと、考えます。
西澤氏自身、新分野を切り拓いた独創者であり、実践者であるかたこそ、上記の言葉が言えるのだと思います。
こと、自分の住む地域のことをどれだけ知っているかと考えると、ほんと乏しい情報しかありません。全て、文部科学省(政府の教育指針)の暗記作業が現代の教育です。国民は、すべてが東京に行くわけでなく、住むわけでもありません。地方で生きている人がほとんどです。
地方のこと語れることも必要ですし、その前に自分自身の人間力(人格)の確立が大事と思います。
国際化、国際人に求められるには、日本人の日本人的価値観をしっかり学び、自分自身の品格を高め続けている人を、海外の人は期待していると思います。
国際人の前に日本人、日本人の前に郷土のこと、郷土の前に家庭の在り方、家庭の前に自分自身が何に興味を持ち、自分の原理原則を持ち、どう言動して行くか。国際化(人)に求められものは、自分自身の生き方が問われるのだと、最近考えるようになりました。
*参考資料:西澤純一著「私の独創教育論」
品格とは何だろうと最近思います。アメリカ大統領の演説の素晴らしさに興味を持ちつつ、日本の色々な場面のリーダーの発言が、心に響かないのは何故だろうとも考えます。ニュース報道のあり方も問題と思いますが、人に感銘を生める言葉、スピーチはどんな勉強をすれば良いのだろうと思います。
また、日本人は英語が上手じゃないとか聞きますが、1億2千万人の人口が言えれば、わざわざ海外へ乗り出さなくても生きていける国だからだろうとも考えます。
首都東京大学総長の西澤純一氏の著書「私の独創教育論」の一節に、次の言葉がありました。
(本文)
国際的であるためには、外国語を流暢に話せたほうがよいに決っている。しかし、話した内容が、外国人の共感を呼び、感動を起こさせるようでなければ何もならない。国際的であるということは、外国語が人より上手にはなせることではなく、世界の人々を共鳴させ、啓発し、感激させることにほかならない。
つまり、国際的であるためには、まず立派確固たる自己を作り上げなければならないのだ。誰の真似でもなく、世界の人々が認めるだけの深さのある自己と人生観を確立することこそ、真の国際人への道なのである。他の人と同じで誰も感心するはずがない。真に野本的である人こそ、世界の人たちが感激してくれるのである。(中略)
(以上、「私の独創教育論」)
日本は、教育指導要綱に決められたカリキュラムを、面々と毎年繰り返している。大学センター試験、マークシート方式、記憶が試される教育が中心です。いざ英語を話している世界の舞台の若者、タレントの方々の話を聞くと、感動し、何時までも心に残る言葉や行動が記憶にのこりません。何故だろうと、考えます。
西澤氏自身、新分野を切り拓いた独創者であり、実践者であるかたこそ、上記の言葉が言えるのだと思います。
こと、自分の住む地域のことをどれだけ知っているかと考えると、ほんと乏しい情報しかありません。全て、文部科学省(政府の教育指針)の暗記作業が現代の教育です。国民は、すべてが東京に行くわけでなく、住むわけでもありません。地方で生きている人がほとんどです。
地方のこと語れることも必要ですし、その前に自分自身の人間力(人格)の確立が大事と思います。
国際化、国際人に求められるには、日本人の日本人的価値観をしっかり学び、自分自身の品格を高め続けている人を、海外の人は期待していると思います。
国際人の前に日本人、日本人の前に郷土のこと、郷土の前に家庭の在り方、家庭の前に自分自身が何に興味を持ち、自分の原理原則を持ち、どう言動して行くか。国際化(人)に求められものは、自分自身の生き方が問われるのだと、最近考えるようになりました。
*参考資料:西澤純一著「私の独創教育論」
2009年06月08日
「どちらでも同じではないか」と考える(朝三暮四)
「どちらでも同じではないか」と考える(朝三暮四)
ある猿回しが、たくさんの猿を飼っていた。かれは、ある朝、猿たちに話をかけた。
「お前たちのえさに、トチの実をあげたい。朝三つ、夕方四つ、配りたいと思うが、どうか」
これを聞いた猿たちは、配り方が面白くないと、ギャーギャー騒いだ。そこで猿回しは、
「ああ、わかった、わかった、静かにしなさい。では、朝四つ、夕方は三つやろうじゃないか」
と、いったところ、猿たちは大喜びした。
一日にもらうトチの実は同じであることに気づかないので、朝三暮四と、朝四暮三のどちらかを「いい判断」として、一つをつまみあげようとするから、紛争が起こってしまう。 どちらでもよいではないか、どちらでも同じではないか。と考えれば、争いごとは起きない。(中略)
(引用、「道元『禅』の言葉」)
目先のことに捉われてばかりいると、長期のことを考えることができない。長い戦力と日々の行動を、両方視野に入れて物事考えると、案外、どちらでも良いこと、どちらでも変わらないことが、多いことに気づく。
猿たちは、朝食べるトチの実をたくさんもらった方が、得な気になっただと思います。
・21世紀の世界
世界の国々が、化石燃料に集中する時代、第二次世界大戦の悲劇が起こりました。
21世紀は、再生エネルギーの時代と言われます。自国で賄える自然エネルギー、再生エネルギーをどう確保するか、国家存亡の岐路がもう来てるように思います。
*参考資料:道元「禅」の言葉
ある猿回しが、たくさんの猿を飼っていた。かれは、ある朝、猿たちに話をかけた。
「お前たちのえさに、トチの実をあげたい。朝三つ、夕方四つ、配りたいと思うが、どうか」
これを聞いた猿たちは、配り方が面白くないと、ギャーギャー騒いだ。そこで猿回しは、
「ああ、わかった、わかった、静かにしなさい。では、朝四つ、夕方は三つやろうじゃないか」
と、いったところ、猿たちは大喜びした。
一日にもらうトチの実は同じであることに気づかないので、朝三暮四と、朝四暮三のどちらかを「いい判断」として、一つをつまみあげようとするから、紛争が起こってしまう。 どちらでもよいではないか、どちらでも同じではないか。と考えれば、争いごとは起きない。(中略)
(引用、「道元『禅』の言葉」)
目先のことに捉われてばかりいると、長期のことを考えることができない。長い戦力と日々の行動を、両方視野に入れて物事考えると、案外、どちらでも良いこと、どちらでも変わらないことが、多いことに気づく。
猿たちは、朝食べるトチの実をたくさんもらった方が、得な気になっただと思います。
・21世紀の世界
世界の国々が、化石燃料に集中する時代、第二次世界大戦の悲劇が起こりました。
21世紀は、再生エネルギーの時代と言われます。自国で賄える自然エネルギー、再生エネルギーをどう確保するか、国家存亡の岐路がもう来てるように思います。
*参考資料:道元「禅」の言葉
2009年06月07日
人情家ほど、醒めた魂を内にひめている
人情家ほど、醒めた魂を内にひめている
まちづくり、社会活動に16年も関わっていれば、色々な人たちに出会い、語り一緒に事をやることがあります。職業や地域、更には目指すものが違っていたりします。その出会い、交流の中では、人々の色々な風景を見せてもらいます。
作家の五木寛之氏の文章に、次の言葉がありました。人の外側と心の中の思い、意外なところも感じることがあります。
(転載)
感傷的なものを好む人間は、決して感傷的な存在ではない。むしろ行動において冷たく現実的である。
ふだん事にふれ涙を流すの人間、熱血の人情家といわれるタイプはの男ほど、醒めた魂を内にひめている。
(以上、「五木寛之ことばの贈り物」)
地域の先輩を見て、色々な学ぶことも多いのですが、ただ自分を目立たせる事ばかりを考える人より、人を目立たせる、世に出すことを考えている人の方が、最後は威光のような輝きを持つものだと思います。
花火を上げる人(何かを始める人)より、花火を上げさせる人を世に送り出し続ける人の方が、本当は社会をことを冷静に見つめ、大きなグランドデザインを画ける人かもしれないと最近思います。
「人情家ほど、醒めた魂を持つ」
そんな人たちに出会いたいと思う、今日このごろです。
*参考資料:清野徹編「五木寛之ことばの贈り物」
まちづくり、社会活動に16年も関わっていれば、色々な人たちに出会い、語り一緒に事をやることがあります。職業や地域、更には目指すものが違っていたりします。その出会い、交流の中では、人々の色々な風景を見せてもらいます。
作家の五木寛之氏の文章に、次の言葉がありました。人の外側と心の中の思い、意外なところも感じることがあります。
(転載)
感傷的なものを好む人間は、決して感傷的な存在ではない。むしろ行動において冷たく現実的である。
ふだん事にふれ涙を流すの人間、熱血の人情家といわれるタイプはの男ほど、醒めた魂を内にひめている。
(以上、「五木寛之ことばの贈り物」)
地域の先輩を見て、色々な学ぶことも多いのですが、ただ自分を目立たせる事ばかりを考える人より、人を目立たせる、世に出すことを考えている人の方が、最後は威光のような輝きを持つものだと思います。
花火を上げる人(何かを始める人)より、花火を上げさせる人を世に送り出し続ける人の方が、本当は社会をことを冷静に見つめ、大きなグランドデザインを画ける人かもしれないと最近思います。
「人情家ほど、醒めた魂を持つ」
そんな人たちに出会いたいと思う、今日このごろです。
*参考資料:清野徹編「五木寛之ことばの贈り物」
2009年06月06日
悪口を言わない、みな同じ空気を吸ってる
悪口を言わない、みな同じ空気を吸ってる
魚は水が枯れれば死ぬしかない。人間は空気が無ければ死ぬしかない。生命は、自然環境を共有している。人間は、社会の中で生きている。自分だけ、私だけ、と威張って他人を思いやるところが無く、まして周りを踏み台にして、自分だけ得することばかり考えていれば、ますます自分の居場所が狭くなり、厳しい天罰が下ると思います。
人に対して、思いやりのない悪口や暴言を吐く。
これくらい罪悪なことはない。
親が子に、子が親に、男が女に、女が男に、男同士、女同士、・・・。
思いやりのない言動をしていると、その人は必ず運から見放され、人生の喜びを得ることができないと思う。
個人主義は、けっして悪いことではないが、それを振り回してばかりいると、対立と孤立を生む。自分ひとりで生きるということは、現実むずかしい。また人間だけで生きていくことも、むずかしいと思う。
人も動物も仲良く、共存してこそ社会・自然が成り立つ。その基となるのは、思いやりではないかと思う。みな同じ空気を吸い、みな同じ水を呑んでいる。限られた資源を、大事に使い生命を維持して行かなければならない。
その思いの基本は、思いやりだと思います。そして社会を安定するには、人間関係を大事すること。色々な場面で、相手を思いやり、悪口は言わない。相手の居ない場所でも、悪口は言わない。悪口は、以外に回り回って、本人に伝わるもの。
みな同じ空気を吸っている。悪口は言わない。
胆に命じておきたい、教示と思います。
*参考資料:境野勝悟訳著「道元『禅』の言葉」
魚は水が枯れれば死ぬしかない。人間は空気が無ければ死ぬしかない。生命は、自然環境を共有している。人間は、社会の中で生きている。自分だけ、私だけ、と威張って他人を思いやるところが無く、まして周りを踏み台にして、自分だけ得することばかり考えていれば、ますます自分の居場所が狭くなり、厳しい天罰が下ると思います。
人に対して、思いやりのない悪口や暴言を吐く。
これくらい罪悪なことはない。
親が子に、子が親に、男が女に、女が男に、男同士、女同士、・・・。
思いやりのない言動をしていると、その人は必ず運から見放され、人生の喜びを得ることができないと思う。
個人主義は、けっして悪いことではないが、それを振り回してばかりいると、対立と孤立を生む。自分ひとりで生きるということは、現実むずかしい。また人間だけで生きていくことも、むずかしいと思う。
人も動物も仲良く、共存してこそ社会・自然が成り立つ。その基となるのは、思いやりではないかと思う。みな同じ空気を吸い、みな同じ水を呑んでいる。限られた資源を、大事に使い生命を維持して行かなければならない。
その思いの基本は、思いやりだと思います。そして社会を安定するには、人間関係を大事すること。色々な場面で、相手を思いやり、悪口は言わない。相手の居ない場所でも、悪口は言わない。悪口は、以外に回り回って、本人に伝わるもの。
みな同じ空気を吸っている。悪口は言わない。
胆に命じておきたい、教示と思います。
*参考資料:境野勝悟訳著「道元『禅』の言葉」
2009年06月04日
公論中でも相手を傷つける言葉は使わない
公論中でも相手を傷つける言葉は使わない
日々の暮らしで、会話の無い生活はありえない。出来事、事件を研修すると、人と人の関わりあいの些細な行き違い、意見の違いが始まりのように思います。その中でも、言葉から受ける印象は、人それぞれ違うことを知っておく必要があります。
先人たちも、言葉の行き違いで苦労したのだろうと思います。道元の教示の末尾に方に、あったのが冒頭の言葉です。
「無益ないい争いほど愚かなことはない」(道元)
(以下、本文より)
お互いが自分の考えを持って、無遠慮に話し合っていると、だんだん興奮して、相手をへこまそうとしたり、きびしく批難したりしたくなる。自分の考えだけを露出して、相手の意見は無視し、自分の考えだけが正しいことだといい争ってしまう。(中略)
言葉は、恐ろしい一面を持つ。おごりたかぶって発言された一言が、たとえどんな軽々しい口調でいわれたにしても、胸をぐさりと突かれ、動けなくなります。(中略)
・・、個人の我意だけを振り回してばかりしていたのでは、幸福で平和な世界は消失する。(中略)
(以上、「道元『禅』の言葉」)
自分はそんな気持ちは無くても、相手の受け取り方では、恨みをかうこともあります。また、相手のためによかれと、色々アドバイスしても、「おせっかい」と受け取られることもあります。人とのお付き合いは、難しいものです。
その行き違い、いざこざの始まりは、ちょっとした言葉から、以外に始まる事が多いように思います。中国故事にもその教示がある。
「人主の逆鱗(げきりん)にふるるなくんば即ちちかし」(韓非子)
人は、他人から触れて欲しくない部分がある。トップもそうだが、ここには触れるなと先輩から言われることはしない方が良い。もし間違って言葉に出した瞬間、「カミナリ」が落ち、最悪、クビになる事もありうるのでご注意を。
韓非子の言葉を解説したものに、次の解説がありました。
「竜という動物は、馴らせば、人が乗れるほどおとなしい。だが、喉の下に直径一尺ほどの鱗(うろこ)が逆さに生えていて、これに触れようものなら、必ず人をかみ殺す」
トップにも(一般の人にも)、この逆鱗がある。それに触れないように話すのが説得の極意だそうだ。それに触れないように心がけることが対人関係の要領なのかもしれません。
*参考資料:境野勝悟訳著「道元『禅』の言葉」
守屋洋訳著「中国古典 一日一話」
<関連ブログ>
・環境共生施設研究所(旧A&E計画設計事務所)
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/
日々の暮らしで、会話の無い生活はありえない。出来事、事件を研修すると、人と人の関わりあいの些細な行き違い、意見の違いが始まりのように思います。その中でも、言葉から受ける印象は、人それぞれ違うことを知っておく必要があります。
先人たちも、言葉の行き違いで苦労したのだろうと思います。道元の教示の末尾に方に、あったのが冒頭の言葉です。
「無益ないい争いほど愚かなことはない」(道元)
(以下、本文より)
お互いが自分の考えを持って、無遠慮に話し合っていると、だんだん興奮して、相手をへこまそうとしたり、きびしく批難したりしたくなる。自分の考えだけを露出して、相手の意見は無視し、自分の考えだけが正しいことだといい争ってしまう。(中略)
言葉は、恐ろしい一面を持つ。おごりたかぶって発言された一言が、たとえどんな軽々しい口調でいわれたにしても、胸をぐさりと突かれ、動けなくなります。(中略)
・・、個人の我意だけを振り回してばかりしていたのでは、幸福で平和な世界は消失する。(中略)
(以上、「道元『禅』の言葉」)
自分はそんな気持ちは無くても、相手の受け取り方では、恨みをかうこともあります。また、相手のためによかれと、色々アドバイスしても、「おせっかい」と受け取られることもあります。人とのお付き合いは、難しいものです。
その行き違い、いざこざの始まりは、ちょっとした言葉から、以外に始まる事が多いように思います。中国故事にもその教示がある。
「人主の逆鱗(げきりん)にふるるなくんば即ちちかし」(韓非子)
人は、他人から触れて欲しくない部分がある。トップもそうだが、ここには触れるなと先輩から言われることはしない方が良い。もし間違って言葉に出した瞬間、「カミナリ」が落ち、最悪、クビになる事もありうるのでご注意を。
韓非子の言葉を解説したものに、次の解説がありました。
「竜という動物は、馴らせば、人が乗れるほどおとなしい。だが、喉の下に直径一尺ほどの鱗(うろこ)が逆さに生えていて、これに触れようものなら、必ず人をかみ殺す」
トップにも(一般の人にも)、この逆鱗がある。それに触れないように話すのが説得の極意だそうだ。それに触れないように心がけることが対人関係の要領なのかもしれません。
*参考資料:境野勝悟訳著「道元『禅』の言葉」
守屋洋訳著「中国古典 一日一話」
<関連ブログ>
・環境共生施設研究所(旧A&E計画設計事務所)
http://aandekyouseiken.otemo-yan.net/
2009年06月03日
「こうなりたい人」の真似をする
「こうなりたい人」の真似をする
点数主義、マニュアル化、成否を判断する材料・手法ばかりが、横行してしている。教育もまた同じように、急げ、早くの成果主義になっているのではないでしょうか。
人は目標(理想)をもつ事で、発憤し、勉強に励むようになります。しかし、点数ばかりで人間の評価がなされるわけではありません。
教育者を目指す学生が、「集団レイプ事件」を起こし、日本の教育界が大揺れに揺れています。
安定収入だけを目指す、知識詰め込み教育でなく、人間形成「人格」教育にもっと力を入れるべきと思う人が増えているように感じます。
道元の教示を解説した本に、次に言葉がありました。
(本文)
人生にとっては、点数よりも、もっと大切なある。それは、豊かで、明るく、寛大でやさしく、時には強い心を持つことではないのか。そういう自立的な精神を自分のものにしていたなら、その心を持った人(道元は「正師」といっている)のそばで生活をせよ。
そして、正師に点数などつけてもらわんでいい。一つに器からもう一つの器に水を移すように、正師の心をそっくりそのままいただくことだ。
そうなると、自分が正師の師なのか、正師が自分の師なのかさえ区別がつかず、師と一体となる。(中略)
京都教育大学のリーダーたちは、「正師」と言える人物がどれだけ居るのでしょうか?
それは、歴史が証明するしかないのですが、目標とする人物の傍(そば)で生活することの意味は、「孟母三遷」でもその地に行く意味が書かれています。
松下村塾と現代の教育の違いは、最近考えるのですが、リーダーの生きかたそのものが教育なのではないと思っています。
*参考資料:道元「禅」の言葉
点数主義、マニュアル化、成否を判断する材料・手法ばかりが、横行してしている。教育もまた同じように、急げ、早くの成果主義になっているのではないでしょうか。
人は目標(理想)をもつ事で、発憤し、勉強に励むようになります。しかし、点数ばかりで人間の評価がなされるわけではありません。
教育者を目指す学生が、「集団レイプ事件」を起こし、日本の教育界が大揺れに揺れています。
安定収入だけを目指す、知識詰め込み教育でなく、人間形成「人格」教育にもっと力を入れるべきと思う人が増えているように感じます。
道元の教示を解説した本に、次に言葉がありました。
(本文)
人生にとっては、点数よりも、もっと大切なある。それは、豊かで、明るく、寛大でやさしく、時には強い心を持つことではないのか。そういう自立的な精神を自分のものにしていたなら、その心を持った人(道元は「正師」といっている)のそばで生活をせよ。
そして、正師に点数などつけてもらわんでいい。一つに器からもう一つの器に水を移すように、正師の心をそっくりそのままいただくことだ。
そうなると、自分が正師の師なのか、正師が自分の師なのかさえ区別がつかず、師と一体となる。(中略)
京都教育大学のリーダーたちは、「正師」と言える人物がどれだけ居るのでしょうか?
それは、歴史が証明するしかないのですが、目標とする人物の傍(そば)で生活することの意味は、「孟母三遷」でもその地に行く意味が書かれています。
松下村塾と現代の教育の違いは、最近考えるのですが、リーダーの生きかたそのものが教育なのではないと思っています。
*参考資料:道元「禅」の言葉
2009年06月02日
人の手本にはなれないが見本にはなれる
人の手本にはなれないが見本にはなれる
五木寛之氏の<他力(TARIKI)>や、道元禅師の言葉だったり、最近仏教の関することに興味が出ているのですが、数日前にとても身近な人の死で、ますます生きることの意味を考えるようになりました。
なくなった人は、私の従兄弟たちの「兄貴」的な存在だったことから、居なくなりますます強く感じます。そんな人は、そうそう居るものでなく、普通の人はそこまでいろいろな示唆のある言葉を残せないと思います。
<他力>にあった言葉を思い出しました。
「人の手本にはなれないが見本にはなれる」
(本文)
高光大船という真摯な念仏者でみんなから尊敬されていた人物が北陸にいましたが、彼の言葉で印象的なのは、
「自分は人のお手本にはなれない、だけど見本ぐらいにはなれるだろう」
という言い方でした。
手本だと、それに習おうとするけれども、見本はおいしそうとかまずそうとか、見る側に立場でいろいろ言える。(中略)
ひとつの手本ではなく、見本として、みんながとらえてくれればと思っています。笑ってくれればいいし、感心したり、共鳴してくれればかっこうな話で、馬鹿にされてもかまわない、と。(中略)
(以上、「他力(TARIKI)」)
一人ひとり、みな違う身体、個性、人生を持っています。
病気に関しても、風邪を引く人引かない人、腰が痛い人、肩こりの人、水虫の人、痔の悪い人、最近はうつ病、神経衰弱、等も増えていると言います。外見からはなかなか分からないものです。
生き方も、いろいろですから、分類できないのが人生ですね。
高光大船の語った、「見本にはなれる」と思い、他の人生をうらやまず、自分の道を進むしかないのかもしれません。
*参考資料:五木寛之著「他力(TARIKI)」
五木寛之氏の<他力(TARIKI)>や、道元禅師の言葉だったり、最近仏教の関することに興味が出ているのですが、数日前にとても身近な人の死で、ますます生きることの意味を考えるようになりました。
なくなった人は、私の従兄弟たちの「兄貴」的な存在だったことから、居なくなりますます強く感じます。そんな人は、そうそう居るものでなく、普通の人はそこまでいろいろな示唆のある言葉を残せないと思います。
<他力>にあった言葉を思い出しました。
「人の手本にはなれないが見本にはなれる」
(本文)
高光大船という真摯な念仏者でみんなから尊敬されていた人物が北陸にいましたが、彼の言葉で印象的なのは、
「自分は人のお手本にはなれない、だけど見本ぐらいにはなれるだろう」
という言い方でした。
手本だと、それに習おうとするけれども、見本はおいしそうとかまずそうとか、見る側に立場でいろいろ言える。(中略)
ひとつの手本ではなく、見本として、みんながとらえてくれればと思っています。笑ってくれればいいし、感心したり、共鳴してくれればかっこうな話で、馬鹿にされてもかまわない、と。(中略)
(以上、「他力(TARIKI)」)
一人ひとり、みな違う身体、個性、人生を持っています。
病気に関しても、風邪を引く人引かない人、腰が痛い人、肩こりの人、水虫の人、痔の悪い人、最近はうつ病、神経衰弱、等も増えていると言います。外見からはなかなか分からないものです。
生き方も、いろいろですから、分類できないのが人生ですね。
高光大船の語った、「見本にはなれる」と思い、他の人生をうらやまず、自分の道を進むしかないのかもしれません。
*参考資料:五木寛之著「他力(TARIKI)」
2009年06月02日
教育とは心に火をつけることである(西澤純一)
教育とは心に火をつけることである(西澤純一)
首都東京大学総長の西澤純一氏が、まだ東北大学半導体研究所の所長時代に書かれた本に、冒頭の言葉がありました。吉田松陰の松下村塾の教育についてかかれていました。
(本文)
・・・、松陰は何を講義したかというと、あまりまともな教育はしていない。まともな教育とは、いまでいうところの単位が与えられるような教育のことだ。そういう教育はせずに、何を教えていたのかというと、彼が必死になってこれまで考えてきたことの経過を、塾生相手に説いていたのである。
吉田松陰は、始めは尊皇攘夷だったが、最後は開国派に転向している。つまり、自分の考え、論理を180度変えている。しかし、彼が考えを変えていった経緯は。非常に真面目で、その真面目さゆえに反感をもたれなかった。高杉晋作や木戸孝允らは、松陰によって心に火をつけられ、近代化という大きな仕事をしたのである。
ところが、高杉や木戸が集中的にあれだけの大きな役割を果たしているのに、彼ら松下村塾生の子どもさんたちで世に出た人はあまりいない。この事実からみても、人の才能を決めるのは決して遺伝だけではないのだ。才能をはっきするかしないかは、あるとき本気になるか、本気にならないままに一生を終わるかということにほかならない。(中略)
(以上、「私の独創教育論」)
この文章に解説は必要ないと思います。これをお読み頂き、それぞれで考えていただけるばと願っています。
今、このように若者の心に火をつけれる教育者がどれだけいるだろうか?
国、地域を担う「国士」を育てる教育が求められているのかもしれません。
*参考資料:西澤純一「私の独創教育論」
首都東京大学総長の西澤純一氏が、まだ東北大学半導体研究所の所長時代に書かれた本に、冒頭の言葉がありました。吉田松陰の松下村塾の教育についてかかれていました。
(本文)
・・・、松陰は何を講義したかというと、あまりまともな教育はしていない。まともな教育とは、いまでいうところの単位が与えられるような教育のことだ。そういう教育はせずに、何を教えていたのかというと、彼が必死になってこれまで考えてきたことの経過を、塾生相手に説いていたのである。
吉田松陰は、始めは尊皇攘夷だったが、最後は開国派に転向している。つまり、自分の考え、論理を180度変えている。しかし、彼が考えを変えていった経緯は。非常に真面目で、その真面目さゆえに反感をもたれなかった。高杉晋作や木戸孝允らは、松陰によって心に火をつけられ、近代化という大きな仕事をしたのである。
ところが、高杉や木戸が集中的にあれだけの大きな役割を果たしているのに、彼ら松下村塾生の子どもさんたちで世に出た人はあまりいない。この事実からみても、人の才能を決めるのは決して遺伝だけではないのだ。才能をはっきするかしないかは、あるとき本気になるか、本気にならないままに一生を終わるかということにほかならない。(中略)
(以上、「私の独創教育論」)
この文章に解説は必要ないと思います。これをお読み頂き、それぞれで考えていただけるばと願っています。
今、このように若者の心に火をつけれる教育者がどれだけいるだろうか?
国、地域を担う「国士」を育てる教育が求められているのかもしれません。
*参考資料:西澤純一「私の独創教育論」
2009年06月01日
(五交)恥ずべき交友とは何か、一期一会が大事
(五交)恥ずべき交友とは何か、一期一会が大事
人は人と交友しながらしか生きていけないと思います。一生の内には、多様でたくさんの人と出会います。人生を変えるもの出会い、人生を凋落させるのも出会いと言われます。その後の交友もまた大切です。
どんな人物との交友をするか、「いにしえ(古)」からの課題でもあります。先人たちも苦労したようで、その印象的な訓示が、昭和の儒学者・安岡正篤氏の語録を集めた「安岡正篤 一日一言」にありました。
(本文)
世に五交というものがある。
勢交 :勢力者に交を求める
賄交 :財力ある者に交をもとめる
談交 :能弁家に交を求める
窮交 :困窮のため苦しまぎれに交を求める
量友 :利害を量(はか)って得な方に交を求める
いずれも恥ずべきものである長くは続かぬが、かく挙げてくれば真の交わりというものも人世には得難いものである。(中略)
(以上、「安岡正篤 一日一言」)
社会の成り立ちは、交友の重なり合いの集まりと思います。だからこそ、誰と会うか、誰たちと交友するか、とても大事と思います。
「同じ穴の狢(むじな)」とか、「類は類を呼ぶ」とか、故事にも色々な教示があります。人は一人では生けて行けないからこそ、一つ一つの出会い、そしてそこの起点する交友が大事と思います。
日々の暮らしの中で、「何を目指すか」で、時間の使い道がだいぶ違います。上記の五交でない、「良識」、「良心」を基とする交友を目指したいものです。
*参考資料:「安岡正篤 一日一言」
人は人と交友しながらしか生きていけないと思います。一生の内には、多様でたくさんの人と出会います。人生を変えるもの出会い、人生を凋落させるのも出会いと言われます。その後の交友もまた大切です。
どんな人物との交友をするか、「いにしえ(古)」からの課題でもあります。先人たちも苦労したようで、その印象的な訓示が、昭和の儒学者・安岡正篤氏の語録を集めた「安岡正篤 一日一言」にありました。
(本文)
世に五交というものがある。
勢交 :勢力者に交を求める
賄交 :財力ある者に交をもとめる
談交 :能弁家に交を求める
窮交 :困窮のため苦しまぎれに交を求める
量友 :利害を量(はか)って得な方に交を求める
いずれも恥ずべきものである長くは続かぬが、かく挙げてくれば真の交わりというものも人世には得難いものである。(中略)
(以上、「安岡正篤 一日一言」)
社会の成り立ちは、交友の重なり合いの集まりと思います。だからこそ、誰と会うか、誰たちと交友するか、とても大事と思います。
「同じ穴の狢(むじな)」とか、「類は類を呼ぶ」とか、故事にも色々な教示があります。人は一人では生けて行けないからこそ、一つ一つの出会い、そしてそこの起点する交友が大事と思います。
日々の暮らしの中で、「何を目指すか」で、時間の使い道がだいぶ違います。上記の五交でない、「良識」、「良心」を基とする交友を目指したいものです。
*参考資料:「安岡正篤 一日一言」


