2008年03月24日
財を喜捨して福を得る(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)
財を喜捨して福を得る(開運の進め『陰隲録』に学ぶ)
(本文)
財を捨て福を得るとはどういうことをいうのであろうか。
それは、仏教で言えば、いろいろな修行があるが、その中でも貧者に物を施し与える布施の行が第一に大切なものである。いわゆる布施とは、ただ捨の一字に帰するのである。
惜しくなく喜捨するのであって、仏法に達した人は内がわが身の六根をも捨て去り、外は心性をけがす六種の色欲の色声香味触法も捨て、すべての縁によって会ったもの、人のためにする善行の徳一切を捨て去り、何物もおしまないのである。
いやしくもいまだ一切の欲望を捨て切れないならば、まず財産から布施をすることである。世上の人というものは、衣食を以って命としているから、その衣食を得る財産を最も大事にするものである。したがって自分がこれを捨て去ってしまえば、内は自分のおしみ貪る気持ちを破り棄てることができ、外は人の急を救ってやることができる。
このことは、始めは努力しなければならぬが、終わりにはゆったりとして容易にできるようになる。このようにしていくと私情を洗い浄(きよ)め、物に執着しおしむ心を除き去ることができるのである。
(解説)
人は物に執着すればするほど欲望が強くなる。
だが、この執着を払拭する「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」ということわざもある。金持ちがその身にいくらお金を持っていても、心に足ることを知らずにおれば、貧乏人と同じことであり、たとえ貧乏人であっても心に足ることを知り、常に満足の境地におれば、金持ちと変わることはない、という意味であるが、この爽やかな気持ちを大事にしたいものである。
仏教にいろいろな修行があるが、第一に大切なものとして貧者に物を施し与える布施の行がある。これは、物でも、お金でも、人のために尽くすことでも、自分の惜しむ心を捨てることであり、実践の行であるが、これによって、心が洗われ執着する心を除き去ることができるというのである。
仏教者のみならず、けちけちしない、私情を捨てた、このような爽やかな心持ちの善行こそ心掛けるべきであろうし、開運による福がこのような善行の人にやって来ないはずがないではないか。
(感想)
最近、CSRとか、社会貢献、あるいは、企業市民なることが流行っているようですが、見せ掛けだけに、奉仕活動や、ボランティアでは、真の布施とは言えないように思います。
積善の考えの中で、誰に認められなくても、地道に続けている人こそが実践者とありました。人の喜びが、自分の喜びに感じられるような、生き方を見つけられたら良いなと思います。
*開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
<以前の日記>
・(教育再生)これから求められるのは人間力
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753040545&owner_id=2182841
・(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753521310&owner_id=2182841
(本文)
財を捨て福を得るとはどういうことをいうのであろうか。
それは、仏教で言えば、いろいろな修行があるが、その中でも貧者に物を施し与える布施の行が第一に大切なものである。いわゆる布施とは、ただ捨の一字に帰するのである。
惜しくなく喜捨するのであって、仏法に達した人は内がわが身の六根をも捨て去り、外は心性をけがす六種の色欲の色声香味触法も捨て、すべての縁によって会ったもの、人のためにする善行の徳一切を捨て去り、何物もおしまないのである。
いやしくもいまだ一切の欲望を捨て切れないならば、まず財産から布施をすることである。世上の人というものは、衣食を以って命としているから、その衣食を得る財産を最も大事にするものである。したがって自分がこれを捨て去ってしまえば、内は自分のおしみ貪る気持ちを破り棄てることができ、外は人の急を救ってやることができる。
このことは、始めは努力しなければならぬが、終わりにはゆったりとして容易にできるようになる。このようにしていくと私情を洗い浄(きよ)め、物に執着しおしむ心を除き去ることができるのである。
(解説)
人は物に執着すればするほど欲望が強くなる。
だが、この執着を払拭する「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」ということわざもある。金持ちがその身にいくらお金を持っていても、心に足ることを知らずにおれば、貧乏人と同じことであり、たとえ貧乏人であっても心に足ることを知り、常に満足の境地におれば、金持ちと変わることはない、という意味であるが、この爽やかな気持ちを大事にしたいものである。
仏教にいろいろな修行があるが、第一に大切なものとして貧者に物を施し与える布施の行がある。これは、物でも、お金でも、人のために尽くすことでも、自分の惜しむ心を捨てることであり、実践の行であるが、これによって、心が洗われ執着する心を除き去ることができるというのである。
仏教者のみならず、けちけちしない、私情を捨てた、このような爽やかな心持ちの善行こそ心掛けるべきであろうし、開運による福がこのような善行の人にやって来ないはずがないではないか。
(感想)
最近、CSRとか、社会貢献、あるいは、企業市民なることが流行っているようですが、見せ掛けだけに、奉仕活動や、ボランティアでは、真の布施とは言えないように思います。
積善の考えの中で、誰に認められなくても、地道に続けている人こそが実践者とありました。人の喜びが、自分の喜びに感じられるような、生き方を見つけられたら良いなと思います。
*開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
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<以前の日記>
・(教育再生)これから求められるのは人間力
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753040545&owner_id=2182841
・(PTA廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は?
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