2008年05月25日

(開運は善行にあり) 林家の善事を好む老母の事例

林家の善事を好む老母の事例(開運は善行にあり)


「林の老母の事例」(『開運のすすめ』開運は善行にあり)

(現代語訳)
 甫田の林氏は、その先祖に善事を好む老母があった。この老母は、日ごろ団子を作って人に施し、もらいに来る人には、すぐにこれを与え少しもいやがる様子がなかった。このことを知った一人の仙人が、老母の行為がその誠心から出たものかどうかをためそうとして、一人の道士に姿を変えて、毎朝行って六つも七つも団子を求めて食べた。老母は、毎日毎日団子を与え、三年たってもなおはじめに行った時と同じようにいやがることなく施し与えた。そこで老母がほんとうに誠心から施しをしていることを知った。

 そこで仙人は老母につげて、
「わたしはお前さんの施しをしてた団子を三年食べたが、お前さんの好意は何をもって報いたらよいであろうか。役所の裏に土地があるが、お前さんがもし死んだなら、そこに葬ってもらいなさい。そうしたならお前さんの子孫で高い位につくものは麻の実の一升の数ほどにもなるであろう。」
そこで老母の死後、子は教えられたところに老母を葬ったところ、道士の言葉どおり一代に九人もの進士の試験に及第した者があった。

 そののち代々高位に昇る者非常に多く、福建の民謡に「林氏の家で及第しないものはない」とうたわれるようになった。


(読 訳)
 善行とは利害を意識せず、真心から行われねばならない。善行に大きさも、小ささもない。その人の身の丈の善行でよいのだ。ただ、大事なのは無償の行為であることだ。

 現代において、まさに、真のボランティアとは何かと問うときに、このことに我々は思い至るであろう。

 親の七光りとか、縁故のひっぱりこっぱりは、よく目にすることである。だが、能力が勝る人たちが多くいる中で、なんら関係も、利害もない人の声がかりで、得難い役割や地位につくことも、この世ではまた、よく目にすることである。これなどは、善行を好んだご先祖の恩恵と考える外ないではないか。どうであろう。


(感 想)
 最近読んだ、新渡戸稲造氏の「自警録」なる本は、見返りを求めず、地位を求めず、ただひたすらに、庶民、特に貧しい人々のため、青少年のために、侵食を忘れ、奔走された人生を感じます。

 この人々を思いやる心こそが、ボランティア精神(誠心)の本と思います。昨日の『孝経』の言葉と同様に、両親、親族、地域に感謝する心から、すべてが始まったいるのに、自分が成長するにつれ、その本を忘れ、先へ、先へ、上へ、上へと、人の欲は計り知れないものがあります。

 『荀子』を解説したものに、「自分の欲と、社会の欲を限りなく近づける」と言う一説がありました。林家の老母のように、自分のことより、周りにことを思い、ただひたすらに団子を作り、施したその行為こそが、とても意味があると思います。



<関連コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
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