2008年06月19日

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」)

第一の大臣は ~十八史略の人物学(伊藤肇著「呂新吾」の言葉)~

 私心や作意というものが全くない。あたかも人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないのと同じように、何とはなしに人々を幸福にし、禍はいまだ来たらざるうちに消してしまう。といって、すごく頭が切れるとか、勇気がある人だとはという評判や大変華々しく手柄をたてたというようなことなく、知らず知らずの内に人民がそのお蔭をうける。いるかいないか、わからぬような存在でいながら、人民に無事大平をたのしませる。


この言葉の真意の理解、実践までの至っていませんが、リーダーとは周りを感化し、地域住民を感化して行く光(威光:意向)のようなものと思います。一昨日書いた、鹿児島市の少年犯罪の現象の成果は、市長の思いに、市民が賛同し、住民が感化されて実現されたものと思います。

前鹿児島市長の名前すら知りません。でも、先進国中で犯罪増加率が高い日本で、少年犯罪(軽犯罪)が減少している唯一の県庁所在の活動は、リーダーとは何かを考える実績にあると思います。

校区公民制度は、昭和60年代前半に始まり、その成果が20年の時を越えた今、国内の地域づくりで少年育成環境に、大きな貢献をしています。


>「『愛のムチ条例』『愛げんこつ条例』

宮崎県知事東国原氏の上記の発言よりも、リーダーの無言の率先垂範の行動・政策にあると思います。

今日読んだ、第一の大臣の教示から考えたことを書きました。

意見、異見を頂ければ幸いです。



Posted by ノグチ(noguchi) at 00:06│Comments(0)TrackBack(0)私の意見

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