2008年07月17日

(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~

(風を読む)状況に応じて自分を変えろ~五輪の書~

「構へ有りて構へなしと云ふは、太刀を構ふると云ふにあらず」(五輪の書)

 たとえ風見鶏と言われても自信をもてということ。日本人は、「忠」とか「誠」とか、唱えて意志を貫くことが尊ぶが、宮本武蔵の言う自分を変えろと言うのは、時代の流れ(世が望むこと)に、答えるよう自分を変化(向上)させる、あるいは答えられる能力を備えることが重要と説いていると、童門冬ニ氏の「宮本武蔵の人生訓」にあった。

 日本で言う風見鶏は、利のある方向へ鞍替えする意味ですが、武蔵の言う風見鶏は、社会の要請に対して、自分を何度も変えられる鳥のこと。要は、自己変革のできる人間のことで、単に風向きに合わせて、自分の立場を考えているだけではない人間のことです。
 
 日本社会は、「視線(おもわく)社会」であって、「自分が自分をどう思うか」よりも、「他人が自分のことをどう見るか」が、物差しになっているように思います。以下は、童門氏の言葉を引用します。

(本文)
 他人の視線(言葉)を風と考えている人が多い。しかし、これは本当の風ではない。風と思うのは錯覚である。(中略)
日本人の多くが、ほとんど他人の目を気にして生きている。自分を目を信じない。そして、心の底で、自分は納得しなくても、不承不承、他人の目に従うことが多い。つまり自分を偽って生きている。だから、そういう面で苦悩が多い。
 武蔵はそんなことはしなかった。彼は、あくまでも、自分に忠実に生きた。自分が自分をどう思うか、それを生きる物差しにした。
 「自分自身の原則」を強くもっていかたからである。その原則を信ずる限り、他人がどう思おうと構わない。状況の応じて、自分を変質し、生き抜いていくことは、決して悪いことではないと武蔵は思っていた。
 それが良いことか悪いことかを分ける物差しは、
「自分が変ることが、他人の役に立つか立たないのか。世の中の役に立つか立たないか」と言うことである。(中略)


 今日も難しい会議がありました。薄れている気持ちを、どう揺り戻すか、誰の意見を使い、どう活発に意見が出るようにして、参加意識を高めるにはどうしようかと、思案をしながら始まりました。不思議なことに、感じていることは「皆同じ」で、同じ空気を思いました。

 私は、いつも会議に白紙で臨むのですが、参加する一人ひとりが意見を出せるように、それぞれのを意見を採用して、活性化させるかに、議長の時でなく、末席の参加の時も心掛けています。すると活動で同じ時間過ごした人達は、空気を読み、少しづつ本音が出て来るものです。

 代表は、短く終わろうと言ってたのが、問題点がだんだん出てくると、早く終わるもくろみは消え、全部が真剣勝負の議論になって行きました。とても有意義な会議なりました。会議が終わってもまだ議論が終わらない、でもその会話の中身は、先を見据えた話題に発展していて、とても感激しました。

 風を読み、自分を流れに乗せるために、変化させる工夫こそが、風見鶏です。ただし、決して私利私欲が入ると、その判断を誤ります。不思議なものです。

無心になり、風を読む練習を常に積むことが必要と思います。人間は、人と関わりながらしか生きて行けませんから、困難に怯むことなく、「世の中の役に立つか立たないか」を物差しに、自分を変化させ続けること大事と思いました。

*参考資料:童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」


<コミュ>
・宮本武蔵の人生訓
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Posted by ノグチ(noguchi) at 23:41│Comments(0)TrackBack(0)偉人

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