2008年08月19日

一度しかない一生、生かさなかったら、生まれた甲斐がない

一度しかない一生、生かさなかったら、生まれた甲斐がない

 それぞれの人生、それぞれに望むもの、あるいは成りない目標があると思います。

 さまざまな事件、出来事が、日々報道で流れてきます。たぶん子供のころは、そんなことを起こそうとは、思っていなかったはずです。

 江戸期の賢人、佐藤一斎の遺訓を集めた「言志四録」に次の一説があります。

『百年、再生の我れなし』~言志四録~

 百年再生の我れ無し、其れ曠度(こうと)すべけれんや。

(現代語訳)
 百年後再び生まれてくる自分ではない。一日一日を空しく過ごしてはならない。

 また、作家の山本有三の著書にも、次の言葉があります。

「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない一生を、本等に生かさなかったら、人間、生まれてきた甲斐がないじゃないか」~『路傍の石』山本有三著~
 
 歴史上にも、一度しかない自分の人生、どう生きるかは、自分自身しか決めることも、行動をおこすることできないのです。

 自分に、どんな人生を贈る(送る)かは、自分の心しだい。今日の一日、大切に生きたいと思います。


  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:58Comments(2)TrackBack(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年08月17日

悪口を言われて、陥ってはならない行為とは

悪口を言われて、陥ってはならない行為とは

 悪口(批評)の対応する色々な対応策(知恵)が、歴史書から読み取れます。敬慕する偉人の一人、新渡戸稲造氏の著書に、次に言葉がありました。悪口を言われて、陥ってはならない行為とは、
 一つ、その悪口をいった人を怨むこと
 二つ、自分の悪口さたれたのを聞き怒ること
 三つ、悪口を耳にしてヤケとなること
 四つ、悪口に対する弁解に大いにつとむること
 五つ、悪口のために落胆し萎縮すること
などの注意事項です。このような心境にならないようにするために、新渡戸稲造氏の著書「自警録」にあった、知恵(工夫)をすこし紹介します。

(本文より)

一つ、悪口は知事的なものが多い
「人の噂も七十五日」、その実は寝も葉もないことがおい。数週間もすれば、記憶から消え、さらに1月もすれば評価が逆になっていることもあります。

二つ、悪口に大部分は介意の値なし
 かくのごとき時には、少し度胸を大きく持ち、今日あって明日なき言葉のはの、一風吹けば散り果てるものだと思うと、悪口もさほど不愉快に感ぜぬのみならず。

三つ、知らぬ人の批評には弁解が要らぬ
 君を知らぬ人がからこれ批評をすることは、さほど意に介するに及ばぬ。すなわち君を知らぬ我が輩は君にいわゆる世間であるが、我が輩は君を何とも思わぬといった。

四つ、かかる悪口は自然に消える
 これがために軽々しく一命を捨て、ヤケとなり、あるいは他を怨むことを要せぬ。ジッとしてそれを放任すれば、自然にその悪口も消え、真実のみが残って、最後の勝利を得る。

五つ、言語よりも実行をもって弁解せよ
 これがために他人に迷惑を及ぼすのであれば、それは説明する必要もあるが、しからざればこれまた放任して置くべきものと思う。もし強いて弁解するなら、言語をもってせず実行をもって示すべきであると思う。

六つ、悪口に対する理想的態度
 日ごろの修養如何によりてその価値が著しく違う。白隠和尚の逸話から、

 白隠和尚〔1685~1768〕はその檀家の娘が妊娠して和尚の種子を宿したと白状したとき、世人からは生ぐさ坊主と悲惨されても、平然して、
「ああそうかい」
と言い、生まれた後は、自分でその子をだきなどしていてが、後、和尚の種子でなく、娘の一時のがれに和尚の名を汚したことが明らかになった時も、また、
「ああそうかい」
といって世間の毀誉褒貶(きよほうへん)に無頓着であったという。

 僕は悪口に対してはこの心がけをもって世に処したい。いかに人はかれこれいうとも己れさえ道を踏むことを怠らずば、何の策も弄せずとも、いつの間にか黒白判然するものである。(中略)

 偉人の言葉は、鋭くも温かいものを感じます。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:57Comments(0)TrackBack(0)自警録(新渡戸稲造)

2008年08月15日

道理は一歩も譲るな(菜根譚)

道理は一歩も譲るな(菜根譚)

(現代語訳)
 労せずして欲望がかなえられるからといって、うっかり手を出してはならない。いちど手を出せば、どんどん深みにはまりこむ。
 道理が貫けないからといって、少しでも後ろに退いてはならない。いちど退けば、どこまでも後退を余儀なくされる。

(解 説)
 欲望は抑え気味にし、道理はあくまでも貫くのだという。相手の勢いに押されて道理を引っ込めたのでは、みずからの存在を否定することにもなりかなねない。道理については筋を通して行動したい。

(感 想)
勝海舟がよく使ったと言われる『六然』の一節に、

『得意澹然』(トクイタンゼン)
 得意の時はともするとうきうきして浮薄(ふはく)になりがちだからつとめて淡々たるした態度を持するようにする。 
     
『失意泰然』
 失意のときも、ゆったりと落ち着いて取り乱したりしない。やせ我慢でもいいから、ゆったりと落ち着いていることである。

向風のときも、追い風のときも、問題は自分の心をしかり維持し、道理とは何か、欲望を押さえ、一時の潮流に流されないことも大事と思います。
「得意澹然、失意泰然」良きときも、悪きときも、自然体で過ごしたいものです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:18Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年08月14日

(お盆休暇)安岡正篤氏の教示、出会うこと、気付くこと、

(お盆休暇)安岡正篤氏の教示、出会うこと、気付くこと、

 今日は、朝ゆっくりでした。新聞、ネット等々に目を通し、仲間の日記もいくつか読ませてもらいました。
 以前に書いた、AEDの投書が地元紙に掲載され、みんな同じことを考えているのだと確認できました。
 「気づく」とは、何かと思うことがあります。「これって、変よね。私だけ思うのだろうか? これ言うと笑われるかな?・・」と、色々考えたりします。

 日々に仕事やまちづくりで、先輩の話を聞く中で、リーダー格に二通りの人物像が浮びます。とても物知りで、経験豊富で、若い人がやろうとすると、以前の前例たくさん取り上げ、知識豊富に語られる。これには、行動がを躊躇してしまいます。
 片方は、若者の意向を聞き、「とにかくやらせる人」と、これは意欲が湧いてきます。
どちらの指導者が正かは、その場面でないと判断できませんが、賛否あるところと思います。

 今朝開いた、安岡正篤氏の「一日一言」に次に2つの教示がありました。


「迂儒」

 いくら本を読んで、知識を豊富に持っておっても一つも実際の役立たんという学者がある。こういうのを迂儒(うじゅ)という。いろいろ知ってはいるが、意外に役に立たん、生きた解決にピタリとしないというのを迂と言う。だから儒者でも、物知りではあるけれども活きた学問にならんというのを迂儒という。学説に「迂説」という言葉はこれからくるわけです。
 しからば、見識をどう養うか、それは、やはり人生の体験を積んで、人生の中である深い理法、道というものがわからないと見識になってこない。

(感 想)
 見識とは、人との関わりから経験し、身体にしみこんだ体験、考え、反省も含め、行動から学び会得したものと、本で学んだ知識が合体して、閃くことではないかと思います。


「小才の愚」

 子曰わく、群居終日、言、義に及ばず、好んで小恵を行う、難いかな。〔論語〕

 忙しい忙しいと言いながら大勢集まって、あちらで碁を打っておるかと思うと、こちらではつまらぬことをべらべらしゃべっている。折角の会合だからと行ったのに、いつまでたってもそれらしい話が出てこない。
 そうして小知恵のまわるようなことでお茶をにごしている。これらは日常始終経験するところです。
 つまらぬことには小才がきくが肝腎なことはさっぱり役に立たぬ人間は困ったものたというのです。

(感 想)
 昼間にゆっくり食事をすることが最近ないのですが、月に一度か、二度ゆっくり昼食をとり、この人と言う方と語りたいものですが、なかなか実現できません。それをやっているが、色々な大人の集まる倶楽部なのでしょうか。

 時間を上手く使い、人と語り、見識を深めている人たちの時間の使い方を学びたいと思います。でも、ただ目的もなく、日時を決め、集まるだけでは、安岡先生に言葉ではないですが、「つまらぬことには小才がきくが肝腎なことはさっぱり役に立たぬ人間」の集まりのなってしまいます。

 大切なことは、「思いを持ち、会いたい、語りたい」という人に会うことを、日々実践していく事だと思います。良き出会いは、更に良き出会いをつなげると言います。
 短い一生の間に、ただ集まるのが目的でなく、目標を持って人と会って行かなければ、真の交流は生まれないように思います。

 話があっち、こっちに飛びました。お盆休みの夕方、ふと思ったことを書きました。今から、祖先の方々を思い、親父と酒でも飲もうと思っています。

 皆様にとって、夏の休暇が有意義なものである事を願っています。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:03Comments(0)TrackBack(0)安岡正篤語録

2008年08月12日

地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える

地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える

公欲(社会に如何に役立つか)の心がどれだけあるかが、人々の関心(思い、敬慕)につながって行きます。

 人の好き嫌いは、その人の生き様そのものが醸し出す雰囲気ではないかと最近、感じる様のなりました。反対に、自分の立っている位置、自分の興味(欲求)等も含め、多から見られる感覚を常に持ち続けれるかだと思います。

そこで、孔子の教示をしっかり噛しめめたいと思います。

(現代語訳)
子日わく、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。

(解  釈)
孔子が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるがよい。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるかを考えて努力をすることだ」

(感  想)
現代の日常に在りそうな、教示と思います。人との生業は、二千五百年の時を越えた今でも、人と人の関係はそう変わり無いとも言えます。

やるべきことをやり、誇らず、行動が先、言葉は後の、知行合一に努めると、だんだん、だんだん、見方も変わってくるのかもしれません。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 22:09Comments(0)TrackBack(0)孔子の教え

2008年08月12日

利に放(よ)りて行えば、怨多し

利に放(よ)りて行えば、怨多し

 オリンピックの開幕のパフォーマンスで、論語の勉強をする古(いにしえ)の人々の様子が表現されいた。
 現実の中国国内には、論語の教えとは逆に、譲る心が薄れ、我先にの我欲の社会になっているように見えます。

 昨日も、一般庶民の生活の一端がニュースで流されていました。下記の論語の教えとを読むと、オリンピックを強行に進めている中国共産党のパフォーマンスは、相当無理が見えて来ます。
 オリンピックは、国を開くと思っていますが、伏せられていた色々な矛盾が、オリンピック後の中国の人々を、覚醒させることにつながり、真の民主国家への一歩につながれば良いと願っています。

論語、「里仁第四」より、

(現代語訳)
子日わく、利に放(よ)りて行えば、怨多し。

子日わく、能(よ)く礼譲)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能(よ)く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何にせん。

(解 説)
孔子が語れた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い」

孔子が語れた「礼の根本である譲る心えお以て国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか。その譲る心を以て国を治めなければ、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろう。

(感 想)
 法令、決まり事を整えることも重要ですが、底辺の一般庶民の生活を充実させることが、第一の政治の仕事と思います。
 国家は、色々な矛盾をはらんで存在していますが、オリンピック開催中に、国内はもとより、海外からも非難するアピールが続くけば、中国トップの威信が下がるように思います。
 国は、権力者のために在るのでなく、国民のために在るとことを、今回の北京オリンピック関連の報道を見ながら考えて行きたいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 18:33Comments(0)TrackBack(0)孔子の教え

2008年08月11日

「三徳」~言志四録~(佐藤一斎)

「三徳」~言志四録~(佐藤一斎)

(本文)
 智、仁は性なり。勇は気なり。配して以て三徳と為す。妙理(みょうり)なり。

(読 解)
 『論語』に「智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」とあるが、その智慧と仁愛は人の生まれながらに備わっている本性であり、勇気は本性の働きから生ずる気である。 『中庸』では、これらを配合して達徳と称するが、これはなかなか玄妙な理を表している。

 *仏教では、慈悲、智慧、勇猛を三徳として、貧、怒る、愚痴を三毒と言っている。

(感 想)
 男女共同参画の女性の昇進で、色々な議論が有った。
 女性の役職の少なさは、「自信の足りなさ」「政策(企画)作りに若いころから携わっていない(お茶くみばかり)」「他の男の同僚が、昇進をまっている。」
 反面に、自殺者3万人(多くが男性)、嫁いびり等々、色々な要因が女性の職業の幅を狭めています。

 自分の徳(人を引きつける力)を磨くことに必要な「向上心」が欠落しているように思います。こつこつ準備をし、何時でも役を受けれる心構え、仲間づくり、そして多様な方の連携がしっかりしていれば、どんな職能でも受容できると先人も語っています。
 要は、「準備と挑戦心」「恒産無ければ、恒心無し」、・・・、その実践に要する人の3つの資質が「慈悲、智慧、勇猛」と仏教でも教えています。
 
人に必要な゛三徳゛を生き方の基本に必要な気がします。中年の反省と、若い人へのエールを思って書きました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:14Comments(0)TrackBack(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年08月10日

自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から

自分知ることの大切さ、「夜郎自大」の教示から

「私は何処にいて、どれほどのものか?・・・」

今、オリンピックが開催されています。
私は、水泳が好きで平泳ぎの北島選手を応援していますが、予選でその記録を上回るニューファースが出てきました。ライバルのハンセン選手よりはるかに良い記録でした。世界は広いなと思います。

中国故事に、「夜郎自大」というものがあります。これは、史記の一節にあるのですが、地方の自分の国(領域)と漢帝国と、どちらが大きいかたずねたというものです。これは、視野の狭さから持った「自負心」を反省させる教示なのですが、これって今でもけっこうあるように思います。

私は、キッズサッカーの指導をしているのですが、「自分は、(在学の小学校で)一番上手」と思っている生徒がいます。意外とこれ多いのです。そんな生徒には、必ず他校と練習試合をさせ、「俺より上手いやつが居た」の気付きから、向上心のかき立てることも大事と思います。

大人でも「自分は、どれくらいのレベル(存在か)か知る」ことが、一番難しいのかもしれません。
大きな志を持ち、猪突猛進で若い時期は走ります。上手く行くと、「俺良い感じ、一番かも」の思い込みで成長させる手もありますが、ある年齢を越えると自覚が出てくるのも必要です。

 偉人の言葉にも、「人を知るのは智(知)、自分をするのは明」とあります。自分を知っているようで、欲目もあり見間違う(見えていない)ことが多々在ります。「夜郎自大」の故事は、その最たるものと思います。

あるサイトで、私の論語の勉強不足を指摘され、更に学ぶ意欲が湧き、こりずに故事等を使い続けていきますが、そのことで日常の仕事の合間にも「学問」をしようと感じます。

「学び→ぬぼれ→気付き→反省・落胆→揺り戻し→挑戦→自信→うぬぼれ→気付き→・・・・・」

人間は、これを繰り返しながら、成長するしかないように思います。私のような凡人(小人)は、一日三省し、気付くことこそが生きる源になると思っています。

「夜郎自大」と「一日三省」は、国王でなくても大事な教訓と思います。
自分のテリトリー(会社、地域)だけでなく、たまには異分野・異文化、海外の人々と交流し、自分の立っている位置は大丈夫か? 時々検証することも長い人生では、選択の確信を持つために必要と思います。

「指摘は最大のアドバイス」と思っている私は、中国故事を更に広く・浅く知識を広めたいと思った、今夜の気分です。人の成長の大きな要因は、気付き(発憤)なのかもしれません。

*参考資料:守屋洋編「中国古典 一日一言」  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:54Comments(0)TrackBack(0)故事、名言、スピーチ、等

2008年08月10日

(26年ぶりの再会)朋遠方より来る有り、楽しからずや

(27年ぶりの再会)朋遠方より来る有り、楽しからずや

 今日、専門学校卒業以来あう友人と再開しました。何で、26年ぶりに会えたかは、年賀状とここ6年になるメールマガジンのおかげかもしれません。メールマガジン「コモンズ・メール」は、月1、2度の不定期に(勝ってに)送信する、友人向けの活動報告メールで、熊本・九州を中心に、約800名に送信して来ました。それが縁で、熊本へ帰郷した友人から「久々に帰って来たので、会いたいね」と連絡が有り、互に中年になっての再開は、楽しみでもあり、興味深々でした。

 会えば、昔のように語り合えるのだなと思いました。インターネットのお蔭で、私に行動や考えを伝え続けて来たこともあり、ここ4、5年の話は無く、学生時代の友人の話や日常の仕事の話で、アッと言う間に3時間経っていました。同じ建築の道を目指し、学生時代は、全国コンペ(設計競技)に出し、競い合った中もでもあり、東京と熊本の仕事の内容は違うにしろ、互に参考になる話ができました。

 私の興味は、「何で今頃、会おうと言ったのか」でした。東京で、いくつかの建築士事務所を渡り歩き、50才を境に独立を考えているのだそうです。そこで、同級生で独立している人の様子(実態)を観察し、意見を求めに回っていると、本音を語ってくれました。

 私は、独立して18年間の苦労や工夫、更に金銭の浮き沈みも含め、全部語りました。何か自分の設計事務所の検証をやったようなものでした。50人前後の東京の事務所と、熊本で個人事務所を中心に所属し、大型建築物も地方では工夫して学んで来たことを互に出し合いながら、前半は久々に建築談議を延々、熊本城の見えるレストランで、珈琲1杯で話し続けました。

 後半は、さすがに中年になり社会ことや、子供たちにことも含め、話題が広くなり、私の社会活動のこと、指導を受けている先生方の話しと広がり、国の1千兆円の借金、熊本県の財政状況、熊本の財政改革まで出て来ました。ふと、やはり互に無駄に年を取っていないなと感じました。
 せっかく訪ねてくれたので、建築・リフォーム業界の中で、これから都市部に広がる、地方から始まっている新しい動きを紹介しました。旧友とは、良いものだなと思います。
 論語の言葉に、「朋遠方より来る有り、楽しからずや」も思っていました。

 夕方帰って開いた本、安岡正篤先生の「一日一言」に、次の一説がありました。

(本文より)
 故(ふる)い友人を持って居る者ほど本物だが、絶えず新しい友人を漁獲(あさ)って歩く者は、それが順境である者ほど偽者だ。

(感 想)
 異業種交流会を続けて来て11年になりますが、色々な方が私の会に参加されました。私の交流会は、出会った方と語る中で出てくる興味ある方に会い続け、その方々の出会いを場を作ろうと続けて来ました。中には、ぜひ参加させてと来る人がいます。
 そんな方は、交流会(30~70名)中、名刺配りに一生懸命で、しっかり語ればいいのにと思い、行動を見ています。たいがいそんな人は、2度以上は来ない(続かない)ように思います。

 交流会でリピーターとして参加する人は、一人ひとりに興味を持つ人が残るように思います。考えるに、「人に興味を持つこと」交流に一番必要と感じています。

 もう一つ、安岡先生の教示を紹介します。

(本文から)
 私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
 第一は、目先に捉われないで、出きるだけ長い目で見ること、
 第二は、物事の一面に捉われないで、出切るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
 第三に、何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える、
ということである。

 目先だけで見たり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見ると、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いがある。物事によっては、その結論が全く正反対ということになることになることが少なくない。
 我々は難しい問題にぶつかる度に此の心掛を忘れてはならぬ。

(感 想)
 「忙中に閑あり」は、安岡先生の教示の一つですが、多忙な時ほど色々なことが重なります。忙しい時ほど、考える時間を持てる寸暇が必要なのかもしれません。

 今日は、旧友の来訪でしたが、18年の歳月を振り返るとても良き機会になりました。論語の冒頭の「学びて時に之を習う」と言葉通り、過ぎた時、友と語る時、振り返る機会を得た時だったのかもしれません。

 今日の同級生は、これから起業する人でもありますので、別れ際に「東京でまた会おう」とエールを送り、久々に旧友と語り合い、アッと言う間に過ぎた午後の一時でした。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 00:07Comments(0)TrackBack(0)安岡正篤語録

2008年08月07日

指導者の心得 (菜根譚)

指導者の心得(菜根譚)

 日々数名の部下、地域活動の協力者、学校での生徒等は、リーダーの行動を常に見ています。菜根譚に次の一説があります。


(現代語訳)
 指導的立場に在る人物は、軽々しく振る舞ってはならない。なぜなら、環境にふりまわされて、ゆったりと落ち着いた感じを失ってしまうからである。しかしながら、心には執着がああってはならない。なぜなら、外物にとらわれて、闊達自在のはたらきを失ってしまうからである。


(解 釈)
 重厚さがあって初めて組織に対する抑えがきく。心の執着がなくなって初めて自在の働きができる。重々しさと軽やかさ、この二つが必要なのだという。これもバランスの問題なのかもしれない。


(感 想)
 自分の反感を、社会活動で返して(はらして)はならないと何かの本で読みました。日々生きていると地域や、行政に事業が的を得ていないように見えることがあります。

 そんな時、知恵のある人は、自分の提唱する意見と反映させるために、市民(住民)を巻き込みその実現を目指す動きをいくつか見たこと有ります。その活動が変わり、検証を終えた時に、市民の不快感を起こす原因と思います。

 指導者とは、「心に執着(私心)が在ってはならない」との教えは、今でも十分に理解できる人間の生き方と思います。私利私欲の我欲行動と、社会正義を唱えた反対運動目的では、時期(時間)が経てばその真髄は、組織から漏れて行くものです。
 
 要は、自分地震が何を目指している明確をビジョンを持つことが大事と思いました。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 23:39Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年08月06日

恩恵は後になるほど手厚く(菜根譚)

恩恵は後になるほど手厚く(菜根譚)


(現代語訳)

 恩恵を施すときには、はじめはわずかで、後になるほど手厚くしていくのがよい。初め手厚くして音でけずっていけば、相手は恩恵を忘れてしまう。

 威厳を示すときには、初め厳しくして、後になるほどゆるめていくのがよい。初めゆるくして後で厳しくすれば、相手は厳しさに耐えかねる。


(解 釈)

 ふつう恩恵はだんだん減らしていくケースが多いのだが、これでは効果がなくなるどころか、相手の怨みまで買ってしまう恐れがある。

 また、厳しさは必要であって、これがないと組織に対して抑えがきかなくなる。ただし、こたらのほうは初め厳しさを見せておくのがよいのだという。


(感 想)

 人の心の動き、欲求、評価等を検証した名言と思います。誉めればつけ上がる、けなせば落ち込む、塩水を鯛を泳がせ、少しづつ真水にかえると、真水で鯛が泳ぐと言います。慣れ、慣習は、最初の出だしが大事なようです。

>恩恵を施すには、はじめはわずかで
>威厳を示すには、初め厳しくして

二つの手法を頭に入れつつ、人と接していきたいと思いました。
先人の人間観察力の知恵は素晴らしいと思います。

なんでも、最初に打ち出す方針が大事なのようです。

参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:33Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年08月04日

どんなことも喜んで受け入れること~マザー・テレサ~

どんなことも喜んで受け入れること~マザー・テレサ~

偉人の言葉より、マザー・テレサの言葉


喜びは愛。
喜びは、愛に燃える心の当然の実りです。
喜びは、なくてはならないものであり、
目に見える力の源。
私たちのともしびは、愛による犠牲で燃え続けるでしょう。
~マザー・テレサ~


喜び、感動、感激、・・・人の元気にします。
そして、意欲を湧きださせるものです。

心を揺り動かすような感動を日々感じられるような気持ちで
居たいと思います。


喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛。
喜びは、人の魂を受け止めつることのできる愛の網。
喜んで与える人は、最も多く与える人です。
神と人々にあなたの感謝の心を表す何時版の方法は、
どんなことでも喜んで受け入れることです。
~マザー・テレサ~


マザー・テレサも心の広さと奥深さを感じます。
全ての境遇を受け入れる教えは、儒教にも、仏教にもあ
ります。
今を受け止める勇気と、許容力こそが、豊かさと喜びを
知る始まりかもしれません。

「どんなことも喜んで受け入れること」

今日の言葉の紹介でした。

*参考資料:いなます みかこ訳「マザーテレサの日々のことば」より  

Posted by ノグチ(noguchi) at 12:44Comments(0)TrackBack(0)偉人

2008年08月01日

仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む(論語・里仁第四)

仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む

(本文より)
 子曰わく、不仁者は以て久しく約を処(お)るべからず。以て長く樂に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す。
 子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む。
               ~里仁第四~
(解 釈)
 孔子が言われた「不仁の者は長く逆境におることができない。又長く平安ま生活をも続けることができない。仁者は安んじて仁を実践し知者は仁の価値を知って仁を実践する」 孔子が言われた「ただ仁者だけが、先入観なく、正しく人を愛し、正しく人を悪むことができる」

(感 想)
 人の行動を見るに、その心をついつい想像してしまいます。「あれや」「これや」「・・・」、仁者は、素直な心から行動しているから、落ち着きがあり、変化に動じないように思います。
 新しい事を起こすと、周りのものはせん索し、あれや、これや、うわさがします。しかし、公共の欲に従っていれば、いずれ理解され、そのうわさもいずれ消えて行きます。

>仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す

仁者は、その状況に謙虚に対応し、先を見据えて行動起します。
知者は、目先の利を掴むために、近視眼てきな行動しかできません。

後には、大きな開きをもたらします。

逆境にしろ、平安にしろ、驕らず謙虚に、自分の位置を確認し、言動を反省することが大事なのかもしれません。

孔子の教示は、素晴らしいと思います。
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 06:13Comments(0)TrackBack(0)孔子の教え

2008年08月01日

人が従う言葉とは(斉藤一書斎『言志四録』)

人が従う言葉とは(斉藤一書斎『言志四録』)

 自分の思いを伝え、意を理解してもらうことは、なかなかむずかしいですね。企画をし、人々へ周知して、行動を共にしてもらうことがなければ、変化は生まれません。
 社会が感じる変化を起こすには、下記のような言動が大事と、佐藤一斎の言志四録にありました。

(現代語訳)
 道理の行き届いた言葉には、誰でも服従しないわけにはいかない。しかしながら、その言葉に激しいところがあると、聞く人は服従しない。強制するとことがあると、服従しない。私心を挟んでいると、服従しない。自分の便利のために言っているのであれば、服従しない。
 およそ道理が行き届いているのに服従しない場合には、君子たる者、必ず自らに立ち返って反省する。まず自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに人はそれに服従してくれる。

(本 文)
 理到るの言は、人服せざるを得ず。然れども其の言に激する所有れば則ち服せず。強いる所有れば則ち服せず。狭(さしはさ) む所有れば服せず。凡そ理到って人服せざれば、君子必ず自ら反りみる。我れ先ず服して、而(しか)る後に人之れに服す。


>自分が自分の行為に十分に従うことができて、しかるのちに人はそれに服従してくれる 
 まず、自分が納得、行動そのものが自分に意志であり、公共の利益(公欲)に即し、私心が見え隠れするようでは、人のこことはつかめない。

 昨日今日と、秋の企画のことで、先輩諸氏と調整をする中で、大きな目的は一つの方向なのですが、色々な思いを持つ方々が、アイデアを出して来ます。その投げ込まれてくる、多様なニーズを、どう企画に組み込んで行くか、そしてより良き目的と参加意識を持たせるか、明日から動き回る日になりそうな気配です。
 とにかく、18年色々な教示を受けてきたことへの恩返しと思い、関わる人々の思いを繋ぐことに関われることに充実感を感じ、更なる実践の学びの場になれば良いなと思います。企画が、決まりましたら、みなさんにもご案内致します。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:16Comments(0)TrackBack(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年07月30日

勇気を失うことは全てを失うことだ

<今日の名言>

「金を失うことは些細なことで、名誉を失うことは甚大だ。だが、勇気を失うことは全てを失うことだ」
- ウィンストン・チャーチル -

 これは、常に勇敢でることを信条としていたチャーチルに最もふさわしい言葉と言えるだろう。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:44Comments(0)TrackBack(0)リーダーの名言

2008年07月28日

福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です

福は己がつくる(「開運のすすめ」より)*長文です

 毎週月曜日に紹介をしてきました、永淵道彦先生の「開運のすすめ」も最後の一説になりました。「福は己がつくる」の教えをしっかり読んでみたいと思います。



(現代語訳)
 基地に近づき、凶を避けるのは、断然自分自身による。自分が心を正しく保ち、善事を行って悪業をしないようにして、少しも天地鬼神も恥じないよう心持ちを謙虚にし、己をへり下って、常に天地鬼神からほめられる行為と生き方をして、はじめてどうにか福を受ける基ができるのである。

 昔の言葉でも「功名に志のあるのは必ず功名が得られ、富貴を得ようと志すものには必ず富貴が得られる」といっている。そのように、人が志えおもっているのは、樹に根があるようなものである。そのような強い志は、三軍(大軍)の力をもっても奪うことができない。このようなしっかりとした志を確立して、しかも、いつも謙虚であり、いつも機に臨んで善を積み、自然のうちに天地の神を感動させ、運命を自分から造っていくようにすべきである。

 ところが今日、官史登用試験に合格しようとするものは、初めから確乎(かっこ)不動の志がなく、一時の興味で受験しているにすぎない。それだから気が向けば受験し、いやになれば、やめてしまう。孟子が「王が、ほんとうに音楽を好んだならば、斉国の民もみな音楽を好きになる」といったが、志を持ってしっかり勉強すれば合格するということでは科挙の試験においても同じであると言いたい。


(読  釈)
 福を招くにはまず、志を立てなければならない。人間の志は三軍(大軍)の力を持ってしても奪うことができないと言われるように、志は人間の生きていく根っこであり基(もとい)である。

 まずは何をおいても、志を立てることが大事なのである。確固不動の志を持たず、ふわふわとした思いのままの行動からは何も生み出すことはできない。

 筆者の見聞であるが、往時、東京大学や京都大学ぐらい出ていないと学者のなれないと揶揄された、あまり評価されない大学の学生であった若者が、鋭意努力の末、今や、万葉集研究の大家となっている。また、同様の学生で、大学の名前でなく、君は君の名前で世に知られればいいと言説した若者が、今や、努力の末、俳人として世に知られる存在となっているのである。

 もちろん、鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。その成果は「神や仏のみぞ知る」であるが、謙虚さや善行に留意し、まさに福はおのれが招きつくるものである。

 そして、我々がこの世に活かされていることの有り難さを信じようではないか。


(感 想)
「鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。」 
 当たり前のことが最後の教示でした。しかし、この当たり前のことを実行する事が一番難しいのではないでしょうか。チャレンジ、色々言い訳をして、後回し、寄り道ばかりしている人が居ます。私もその一人かもしれません。



 でも、若いときから夢(志)を持ち、ハンディをものともせず、世界に飛び出して行く人たちが居ます。今朝の新聞に、バスケットで世界最高峰のプロリーグに挑戦し続け田臥勇太(27才)をコラム「日本遠望」で紹介があった。能代高校のバスケット少年が、2mの大男たちのNBAに、身長173cmの身体を駆使し、今、2部リーグで必死なり、狭き1部リーグの門をこじ開けるために頑張っている様子が書かれていました。
 今年5年目で、大方の見方は年齢的にも勝負は1、2年とか。今年のシーズンに向かう気持ちは違っていると本人が語っている。以下、一部転載。

「攻めは自信があるが、身長さが克服し難い守りが課題と見定めた。探し求めたものを見つけた。千変万化の動きを探るコア(核)を身体の中に感じ始めた。『コアが目覚めれば、すべてが向上する』と」(中略)
 ・・外へ発散したシーズンとは対照的に自分と向き合う時間が流れる。「人間として日々成長している」(マネージャーの野村氏)

 日本一バスケットが好きな少年は、ハンディを言い訳にせず、夢に向かって成長し続けています。やはり成長に欠かせないのは、日々の努力と、自分と謙虚に向きあい、言い訳をせず、我々がこの世に活かされていることの意味を探し続ける事ではないでしょうか。 
 「福は己がつくる」が最後の教示ですが、これまでの文章は、下記にアドレスがありますので、検索頂ければ幸いです。
 皆様にとって、人生がより良きものになるように願い、「開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)」をご紹介しました。以後も、中国故事を中心に、色々な永淵先生の言葉を紹介したいと思います。

<コミュ「開運のすすめ」>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451


<以前の日記>
・「禍は上より起る」「自らを頼みにする」(佐藤一斎『言志四録』)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883140838&owner_id=2182841

・早朝の地区協働作業、炎天下の歴史の現場ウォッング
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882975298&owner_id=2182841


<日曜の教示>『菜根譚』
・心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33482964&comment_count=0&comm_id=2310909
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 09:25Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ

2008年07月27日

心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」

心の温かい人、冷たい人/「これから求められる人間力」

(現代語訳)
 寛大で心の温かい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。刻薄(こくはく)で心の冷たい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のともでは、すべてのものが死に絶えてしまう。

(解  説)
 心の温かさは、そのまま顔や態度に滲み出てきて、温かい雰囲気をかもし出す。それが周りに人をひき寄せるのである。だからといって、心は冷たいのに、顔つきだけ温かくしようとしても無理であって、「あいつは上辺だけだ」とすぐに見破られてしまう。当然、人も離れていく。これでは何をやってもうまくいかない。仮に一時はうまくいっても、崩れるときは信じがたいほど脆く崩れていく。

(感  想)
 上司の価値は、三日接すれば分かると何かの本にありました。遠くの部署で、素晴らしい業績を上げている人は、いつか耳に入るものです。しかしその実態は、良くわかりません。実施に一緒に仕事して行くと、そう長く付き合わなくても、人間性、人間力は、感じる事ができると思います。
 人の噂は半分聞き、実際の判定(鑑定)は、自分で確かめる事が大事と最近つくづく思います。後輩たちには、「現場、現物、本人」と語ります。反対に、自分が上に立つ時にこそ、日々研鑽してきた人格が生きるような、生き方を日常からやっておくことだと思います。
 やはり、心の温かい人、心の冷たい人を見比べると、太陽のような人の周りには、何時も誰か、何かの用事も無くても、よく人が集まっています。魅力は自分で磨くしかありません。

そこで、「これから求められる人間力」の4つにキーワードとは、

一、生きることが楽しく、活気にあふれ、難しい課題に出あっても、これに前向きに取り組む、自助の意欲と行動力あふれた人

二、自分で目標を立てることが出来る人

三、目の前の状況を自分の眼で正しく認識し、前進するために何が問題かを把握できる人

四、人を大切にし、その気持ちを理解し、人と協調し、助け合う共助の意欲あふれた人

私も上記のことを、念頭に置きながらも、自分を省みるゆとりを持ちたいと思います。参考になれば幸いです。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 16:25Comments(0)TrackBack(0)菜根譚

2008年07月24日

得意の時こそ注意、能く人を容れる

得意の時こそ注意、能く人を容れる

 好調の時は、なんでもうまく行くように感じてきます。しかし、好調の時は色々な者、人も引き付けて行きます。
 良く、得意の時(好調時)は、慎重にの教えがいくも残っています。

 物事が巧く行っている時は、一歩退いてうまくいかない時の対応を考えておくべきである。一時であれ一つの事がらであれ、多区画昇りつめるた龍のように栄達を極めると、必ず衰退の恐れがあることを知っておく必要があります。

 また、得意の時は、不調へ向けた矛盾が見え隠れする現象が出てきます。これを気付き、示唆してくれる人が、厳しい意見を言う時は、謙虚に耳を傾けることが必要です。実際、好調の時は、耳障りな言葉は聞きたくない、耳に入り難いものです。

 しかし、耳障りな言葉は、自分の行動、事業への助言と思い、一歩引いて検証するゆとりが、惨事を回避する方法の一つと考えます。そのためには、日常から、色々な人の意見をうけ入れるように、心掛けることが重要と思います。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節から、

(本 文)~佐藤一斎「言志四録」~ 
 能(よ)く人を容(い)るる者にして、しかるの後以て人を責むべし。人も亦(また)其の責を受く。
 人を容るることを能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。

(解 釈)
 人を寛容に受け入れる度量の持ち主はであって、初めて人の欠点を責めることができる。そういう人の言葉ならば、責められる人もその責を受け入れる。
 人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない。たとえ責めたとしても、責められた人はそれを受け付けないものである。
*西郷南州(隆盛)は「男子は人を容れ、人に容れらては済まぬものとおもえよ」と訓えている。男というものは包容力がなくてはいけないということである。


 好調な時こそ、厳しい意見を受け入れることで、現況に満足せず、更なる向上心を持ち、多様な意見を受け容れる度量こそが、大事な事と先人も推しています。
 好調を維持する方法は、謙虚に現状を分析する心にあるのかもしれません。

「人を受け入れる度量のない者は、他人の欠点を責める資格はない」

今日一日、上記の言葉を心に置き、人と接してみたいと思います。

*参考資料:渡邊五郎三郎編「斉藤一斎 一日一言」より
  

Posted by ノグチ(noguchi) at 05:26Comments(0)TrackBack(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年07月23日

(志と向上心)憤なくして大成なし

(志と向上心)憤なくして大成なし

 憤の一字は、これ進学の機関なり。舜何人そや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)にこれ憤なり。(佐藤一斎『言志四録』)


(解 釈)
 憤とは発憤すること。「なにくそ」「負けてたまるか」という奮い立つ心をいう。この憤の一字が学問を進展させる機関車のようなものである。孔子の弟子の顔淵が発憤していった「(古代の聖人の)舜も、自分も、同じ人間ではないか」という言葉、これまさに憤である。


(感 想)
 発憤する思い「負けてたまるか」には、色々な対象があると思います。運動会のかけっこの相手、勉強で成績の競争、仕事だったら同期入社の仲間、事業を起こせば対抗する会社等々、競争相手があるものです。

 でも、こと学問(生き方)になると、現代人を対象せず、偉人、聖人が対象になることがあります。例えば、幕末の英雄の坂本龍馬、戦国の武将たち、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、古代であれば聖徳太子、大陸をみれば三国志の諸葛孔明、曹操、近代の曽国藩など、人の生き方を学ぶ対象は、事欠きません。

 要は、自分が何処を目指すかにあると思います。そして、一番の相手は自分自身、「怠け癖」を打ち消し、向上し続けるには、自分自身の弱気にたいして「なにくそ」と、発憤することが必要なように思います。  

Posted by ノグチ(noguchi) at 07:04Comments(0)TrackBack(0)斉藤一斎「言志四録」

2008年07月21日

(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」

(開運は謙虚にあり)張畏岩の事例 その3「開運のすすめ」

毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」から、一文を紹介しています。

(現代語訳)

丁酉(ひのととり)の歳(万歴25年)のある夜の夢の中で、一室に入って行った。その部屋は非常に高い造りであった。そこで一冊の試験の帳簿を見つけたもので、それをひらいて見ると、何も書いていない行が多かった。変に感じたので、そばにいた人に尋ねてみた。
「これは今年の登用試験の帳簿であるが、どうしてこのように多く名が欠けているのだろうか」
というと、その人がいうには、
「登用試験は、天上で三年に一度しらべ合わせる。そこで、徳を積みまちがいのないものがあると、はじめてこの帳簿に名を書き入れるのである。前の欠けているところは、みな以前には試験には及第したけれども、試験の後で徳をけがすような行いをしたから、名を削り去られたのである」
と。そこでまた最後の一行を指して、
「あなたは、ここ三年以来、大変操行を慎んできた。だからここにあなたの名が書き込まれるかも知れない。大いに自重しなさい。」
といった。
 さて、この度試験に私は百五番で合格したが、これは、あの夢の中でたずねた人が指したところの番にあたっている。
 このことを考えてみると、我々の頭上三尺のところには、必ず神が我々を照覧しているのである。


(読 訳)

 高く評価もされず、能力もさほど無いとされている人間であっても、謙虚さを持ち、善事を積み、何事かを一心に努力をすべきである。我々の頭上には必ず神さまや仏さまがおられ、ご覧になっていると思い、身を慎み、一心に励むべきである。
 神さまや仏サさまを信じない現代人であっても、努力の成果に対する、成否の恐れをどのように処するのであろうか。


(感 想)

 大分の教員採用汚職事件を毎日聞きながら、当事者の心情を考え、今日の一文を読むと、先人たちの心にも「自分さえ良ければ・・」の思いにどう打ち勝つか、試行錯誤したのだろうと思います。
 しかし、いつか、どこかからか、悪事は漏洩するものと思います。そして、その腐敗には、地域のトップリーダー(政治家)の関与もあるという事実がグルーズアップされています。
 「自分さえ良ければ良い」を政治家自ら、地域に行動で見せるようでは、部下も「俺たちも」となると思います。副知事、教育長、更には知事、県選出の国会議員も含め、長い年月をかけて蔓延った腐敗の根は相当深いと思える大分の事件ですし、地方の教育会に在る若者の良心を踏みにじる体質に思えて来ます。
 そして、それに集る国民、利用する教職員家族、等を検証して見る必要があります。その解決の道は、教育現場に立つ一人ひとりの先生が、率先垂範で子供たちに「良心」を育てる徳育を実践して欲しいと願います。


<関連の日記>
・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その1(開運は謙虚にあり)

・「運命の好転法」張畏岩の事例 その2(開運は謙虚にあり

<コミュ>
・開運のすすめ~『陰隲録』に学ぶ~(永渕道彦訳)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451  

Posted by ノグチ(noguchi) at 08:06Comments(0)TrackBack(0)開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ