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<title>宇土・親子論語教室</title>
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<description>宇土市で始まった、親子（大人と子ども）で論語の素読と、教えを学ぶ教室。そこで学んだ言葉を紹介します。『論語』 『大学』『中庸』『孟子』『菜根譚』等説明 　ほとんどの日本人は、「論語」と言う言葉を聞いたことがあるとおもいます。しかし、中身に関しては、深く知らないと感じます。私もそうですが、日々の生活の中にその思想は深く根付いていると言われます。 [影響を受けた人物] 聖徳太子、菅原道真、二宮尊徳、佐藤一斎、梅田潜庵吉田松陰、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一、安岡正篤、木内信胤、他。『教室の開催日』毎月第一土曜日、午前１０時から、『会場』熊本県宇土市の中央公民館（宇土市民会館前）</description>
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<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 07:21:09 +0900</pubDate>
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<title>君子の道四有り。理念「恭、敬、恵、義」と実践が大事</title>
<description>君子の道四有り。理念「恭、敬、恵、義」と実践が大事（現代語訳）子、子産を謂う。「君子の道四有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義」（解　説）　孔子先生が子産のことを評して言われた。「為政者（リーダー）の守るべき道に四つある。　第一に（恭）、自分の身の振る舞いをうやうやしくする。　第二に（敬）、上に仕えては慎み敬うことである。　第三に（恵）、民を養うには、悲しみ且つ恵み深いことである。　第四に（義）、民を使うに、道義に叶って公式であることである。　これを実践されたのが子産である。」（感　想）　リーダー：政治家、企業家、活動家、教授、先生、親、・・・　「恭、敬、恵、義」四つの理念と実践こそが、世間を理解させ、協力させる方法と先人も語っています。　また、孔子は、「修身、斉家、治国、平天下」と教示しています。要は、自分自身の日々の行動こそが一番大事とした教えと思います。</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Mon, 24 Nov 2008 21:33:40 +0900</pubDate>

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<title>（徳に隣あり）温かい人の傍には、笑顔あり</title>
<description>（徳に隣あり）温かい人の傍には、笑顔あり 　論語は、短く人の心を表していると思います。その短い言葉の一つが下記の名言と思います。 （本文） 子曰わく「徳は孤ならず、必ず隣あり」 （解説） 孔子が説かれた「報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぽっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだ」 　一人こつこつと、周りの気持ちを考えて、元気が出るように、明るくなるように動いているいる方の傍には、いつも笑顔があるように思います。 　「徳に隣あり」、温かい人の傍には、笑顔ありと思います。</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Sun, 16 Nov 2008 08:29:22 +0900</pubDate>

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<title>（リーダーの心得）過ちを改めざる、是を過ちと謂う【論語】</title>
<description>（リーダーの心得）過ちを改めざる、是を過ちと謂う【論語】　今日は、日常のネット日記（ブログ）を、中山前国土交通相の辞任を話題を書き、準備して友人で、施主である方の住宅の現場が、基礎のコンクリート工事で、状況を見に熊本市の中心地の南位置するところまで行き、工事状況を確認して、地元の宇土市で開催している「宇土親子論語教室」に参加ために移動。１０分ほど遅刻して着けば、子供たちの声がしました。「子曰わく、学びて時に之を習う、亦悦ばしからずや。朋、遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして、・・・」７年前から通っている、地元の先輩が継続されてきた「中国古典輪読会」が発展し、親子で論語を素読する会が昨夏発足し、１０月１日行われた、宇土市政５０周年の催しで、舞台で孔子の教え「孝教」と「論語」の抜粋を素読しました。　今日の教室の後談の話で、６～１２才の子供のお気に入り論語の言葉がわかりました。「子曰わく、巧言令色鮮（すく）なし仁」だそうです。日々、接する人の言葉を考え、意味を何度も教えていて思うに、言葉が巧でうわべだけをつくろい、言い訳多い人は信用できない（信用され難いと）の教えは、大人になるほど感じていました。　私は、ここ数日に、仕事やまちづくり活動で、多様（多彩）な出会い、出来事がありました。自分なりの自己反省もありますが、人の行動を検証して見て、今日の論語教室で出会った言葉で、ここ数日の人間関係の悩みを解くヒントをもらいました。「子夏曰く、小人の過つや、必ず文（かざ）る。」　この意味は、「文（かざ）る」は、身体、外見を飾る意味ではなくて、事が起きて当事者となった時、自分の問題の解決・決断が上手く行かなかった時に、言い訳や人の性にして、その場しのぎをする人を、再確認しました。また、君子の行動の教えに、次の一節があります。「過（あやま）てば則（すなわ）ち改（あらた）むるに憚（はばか）ることなかれ。」　自分が間違っているということを、関係者に対して素直に謝ることを出来ない人は、信望を得難いのだなと思います。私の関わるある団体から、一人、二人と、参加はしているが、気持ちがだんだん離れて行く事情は、決断の揺らぎと人間関係作り不足を感じています。「求心力」とは、リーダーの言動にあると痛感する勉強を。毎日・毎日させて頂いています。とても良き経験をさせてもらっています。　多くの人が関わった決めた決断（決定）を実行できないこと（酒の席も含め）を、色々理由をつけた関係者に納得させたり、多くの知識を持つ人が、バトンタッチした担当に任せ切りで、いざ不都合があると「私に聞いて来た、私の書類で出来るはず・・・」と、飲んだ時に高飛車に苦言を言うことを見て、諸葛孔明の人物鑑定法を思い出す。（諸葛孔明の人物鑑定法）一、ある事柄について善悪の判断を求め、相手の志がどこにあるかを観察する。二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察する。四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。六、利益を誘ってみて、どの程度清廉であるかを観察する。七、仕事をやらせてみて、命じたことおりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。　この７つの智慧は、現代でも、組織、グループ、地域の人物検証に参考になります。自分自身も含め、酒を飲んでも心が揺れることが無いよう、日々の研鑽を怠らないことが重要とつくづく思います。　私は、自分の「心」と何時も計り（対話：自問）としています。自分と語っている時、「どきどき」、「そわそわ」、「いらいら」した時の判断は、後に必ず不都合を起こすように思います。　問題が起きたときは、「私心（欲、都合、逃げ）」をいれず、心を鎮めて判断したことは、そう狂（間違）うことが無かったと思います。　孟子の「公然の気」、勝海舟の「六然」のように、私欲を捨て、周りがより良き方向へ進むよう、自分の周りも自分も、良き方向へ向かうと言う発想（理念）が、変化多い時代、中年になりり判断を求められる時の心構えのように感じます。私も５０才、けっこう年も重ねました。家族にも、地域にも、深く関わる年になって来たのだと思っています。＜関連コミュ＞・心を育てることば  http://mixi.jp/view_community.pl?id=1186424・論語の言葉  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660・孟子  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3000248・菜根譚  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Sat, 04 Oct 2008 22:22:57 +0900</pubDate>

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<title>親への意見が通らなかった後も、以前同様に敬うことが大事</title>
<description>親への意見が通らなかった後も、以前同様に敬うことが大事（論語）　親子の関係は、年を取るごとに親への思いやりもありますが、親の方も子からの意見を聞いてやるゆとりも必要と思います。　現実、親は昔のように元気に動けないくなる身体と、残り少ない時間から、つい周りに当たったり、小言が多くなる人を見ます。　反対に、子供は社会的な地位や、経済力を付け親に意見を強く言う人も見ます。どちらが正しいかは、その親子が過ごして来た歴史をひも解かないとわかりませんが、有史以来この問題は、在ったのだと思います。　エジプトの碑文に、「今の若い者は・・・」の文字が在ったと、何かの本で読みましたが、親の役目、子の役目、年齢を重ねる中で、自分自身でその役割を考え続けることが必要だなと思います。　論語には、「吾、十有五にして学を志し。三十にして立ち、四十にして迷わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順（したが）う。七十にして矩（のり）をこえず」ともあります。　今の時代、六十歳はまだまだ現役社会ですが、一般的には孫が居てもおかしくなく、子は三十代で、まだまだ研鑽を積む世代です。　親の小言や、子の意見が増えるのは、親が七十代、子が四十代になったころなのかなと思います。時には親子喧嘩そして、父から「今後、（実）家に来なくていい！」の言葉が出て来そうな風景を想像できます。　それについても先人たちは、ちゃんと折り合いを付ける方法（知恵）の言葉を教示しています。そして、親もまたそのやり方を感謝すること知るべきと、訓示しているようにも感じます。　人間は、ケガ、病気をした時に、その現実を受け容れたくない気になりました。しかし、その現実があるわけですが、病気を受け入れ、その後の生活を創るまでは、けっこう時間が必要なものです。　これは、高齢になり自分の身体の不自由さを受け入れることも、同じような状況があるように思います。まして、高齢者になれば病気のオンパレードに成る人もいます。六十代まで、ばりばりやって来た付けのように、病気が続く現実を受け入れることは、とても勇気が要りますし、時間もかかります。ついつい、周りに当たったり、愚痴をこぼしたり、弱気になっているのに、昔を忘れられずに強がりになったりします。　周りの子供たちは、たまったものではありませんが、先人たちも苦労したのだろうと思える言葉が、論語の一節にあります。そして、どう対処したかの教えを読み、自分が変わることが大事だと知らされます。（仮名論語より）　子曰わく、父母に事（つか）えては、幾（ようや）くに諌めむ。志の従われざるを見ては、又敬して違（たが）わず、労して怨みず。（現代語訳）　孔子先生が言われた「父母にもし間違いがあれば、それとなしにおだやかに諌める。不幸にして聞き入れて貰えない場合には、前のように敬ってさからうことなく、父母のために骨折っても怨みには思わない」　なかなか出来ない教示と思いますが、老い先短い両親を思う心を持てば、現状に寄りそうことこそ父母の境遇（心境）を理解できるし、その態度から親も子供たちの意見に耳を傾ける気分を起こさせるとの教えを、現代へ語っているように思います。＞それとなしにおだやかに諌める　＞父母のために骨折っても怨みには思わない　それぞれの家庭、それぞれの親子関係、更には年を離れた兄弟間でも、大事な心遣いではないかと思います。　我家は、親は既に八十代、私は五十代になり、意見を闘わせる時期は過ぎましたが、忘れてはいけない、歴史をこえた親子間の生活の知恵かもしれません。＊ 参考資料：「仮名論語」伊與田覚著＜コミュ＞・論語の言葉　http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Mon, 22 Sep 2008 22:20:09 +0900</pubDate>

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<title>知徳兼備の人を目標に、つまらない人は内省の参考に（孔子）</title>
<description>知徳兼備の人を目標に、つまらない人は内省の参考に（孔子）（本　文）子曰わく、「賢を見ては斉（ひと）しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり」（現代語訳）　孔子先生が語られた、「知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する」（感　想）　３人居れば、師ありと言います。周りの人の言動を検証し、自分の参考にする事、反省する材料にする事、日々に暮らしの中でも学ぶことがたくさんあると思います。</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Mon, 15 Sep 2008 08:52:06 +0900</pubDate>

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<title>人の道「忠恕」（孔子）、「徳ある人になること」（曽野綾子）</title>
<description>人の道「忠恕」（孔子）、人生の目標「徳ある人になること」（曽野綾子）　今日は、久々に論語の言葉から、日々の暮らしを考えました。（仮名論語）　子曰わく、「参や、吾が道は一以て之を貫く。」　曽子曰く、「唯（い）。」  子出ず。門人問うて曰く、「何の謂（いい）ぞや。」  曽子曰く、「夫子の道は忠恕のみ。」（解　　説）　孔子先生が言われた、「参（曽子の名）よ、私の道は一つの原理で貫かれているよ」　曽子先生が、「はい」と、歯切れ良く答えれた。他の門人が「どういう意味ですか」と問うた。　曽子先生が答えられた、「（孔子）先生の道は、忠（まこと）と恕（おもいやり）だと思うよ」　（感　　想）　孔子の教えの真髄がここにあると思います。「忠」と「恕」、　忠：誠を尽くすこと、　恕：思いやり・哀れみ、相手の境遇と共に居ると言う気持ち忠とは、自分の良心に正直に行動する事を私は、勝手に理解しています。恕とは、様々な厳しい境遇にある人たちに思い馳せること、側に寄り添うことだと思います。　ここ数日、古本屋で見つけた曽野綾子氏のエッセイ集「中年以後」なる本を読んで、今日ちょうど最後の一説を読んだのですが、最後のテーマは、　「人間を止めない」－徳ある人になること－とありました。このタイトルは、曽野綾子氏の詩のタイトルでもあるのですが、その詩を読み人間の成長が限りなく、死ぬまで続く事を教えられます。（本文より）「人間を止めない人」－曽野綾子－伸びたパーマの根っこから染め残した白髪が無残に伸びているから。ああ、あの人は女を止めたのだな。だから灰色の枯葉模様のぽりせうてるのちぢみのブラウスを着て、らから丈の短いズボンをはいて、だからくたびれた靴を内股にして、座っているのだな。ところが突然、赤子を胸におぶった若い女がちょっとはなれたところに向こうに向きに立ったのに、無関係のはずの女を止めた人が、つっと立って行って若い女に席を譲った。女を止めても、人間を止めてはいない人。男性や同姓に目から見ても、女性として何のお洒落もなくなった人でも、人間を止めることさせしなければ、数秒後にはその輝きはあらわになるものである。そして往々にして皮肉なことに、外面的な魅力が失せた後にこそ、人としての魂の栄光だけは強烈に前面に出るのである。（中略）　曽野氏の「徳ある人になること」こそが、人間として完成期に目指す生き方ではないかと思います。孔子にしろ、曽野氏にしろ、人の輝きは、外見や派手な言動よりも、静かに人を思いやる心と、良心に忠実に生きることではないかと思います。　今日は、孔子の教え「忠」「恕」を、深く考える機会になりました。思いやりと良心、そしてそれを実行する勇気、見返りを求めない謙虚さ、親切を受けたときの感謝の気持ちを忘れないように、日々暮らす事を心掛けたいと思います。＊参考資料：曽野綾子著「中年以後」＜以前の日記＞・（川辺川ダム問題）五年ぶりの五木村と清流川辺川、４２年続く政争・むしろ愚直であれ　（菜根譚）  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34442257&amp;comment_count=0&amp;comm_id=1186424</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Thu, 28 Aug 2008 21:57:53 +0900</pubDate>

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<title>地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える</title>
<description>地位のないことよりも、なぜ地位が得られないかを考える公欲（社会に如何に役立つか）の心がどれだけあるかが、人々の関心（思い、敬慕）につながって行きます。　人の好き嫌いは、その人の生き様そのものが醸し出す雰囲気ではないかと最近、感じる様のなりました。反対に、自分の立っている位置、自分の興味（欲求）等も含め、多から見られる感覚を常に持ち続けれるかだと思います。そこで、孔子の教示をしっかり噛しめめたいと思います。（現代語訳）子日わく、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫(な)きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。（解　　釈）孔子が語られた、「地位のないことを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるがよい。自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認めてもらえるかを考えて努力をすることだ」（感　　想）現代の日常に在りそうな、教示と思います。人との生業は、二千五百年の時を越えた今でも、人と人の関係はそう変わり無いとも言えます。やるべきことをやり、誇らず、行動が先、言葉は後の、知行合一に努めると、だんだん、だんだん、見方も変わってくるのかもしれません。</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Tue, 12 Aug 2008 22:09:16 +0900</pubDate>

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<title>利に放(よ)りて行えば、怨多し</title>
<description>利に放(よ)りて行えば、怨多し 　オリンピックの開幕のパフォーマンスで、論語の勉強をする古（いにしえ）の人々の様子が表現されいた。 　現実の中国国内には、論語の教えとは逆に、譲る心が薄れ、我先にの我欲の社会になっているように見えます。 　昨日も、一般庶民の生活の一端がニュースで流されていました。下記の論語の教えとを読むと、オリンピックを強行に進めている中国共産党のパフォーマンスは、相当無理が見えて来ます。 　オリンピックは、国を開くと思っていますが、伏せられていた色々な矛盾が、オリンピック後の中国の人々を、覚醒させることにつながり、真の民主国家への一歩につながれば良いと願っています。 論語、「里仁第四」より、 （現代語訳） 子日わく、利に放(よ)りて行えば、怨多し。 子日わく、能（よ)く礼譲)を以て国を為(おさ)めんか、何か有らん。能（よ)く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何にせん。 （解　説） 孔子が語れた「自分の利益のみを思うて行えば、やがて互に怨みあうようになることが多い」 孔子が語れた「礼の根本である譲る心えお以て国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか。その譲る心を以て国を治めなければ、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろう。 （感　想） 　法令、決まり事を整えることも重要ですが、底辺の一般庶民の生活を充実させることが、第一の政治の仕事と思います。 　国家は、色々な矛盾をはらんで存在していますが、オリンピック開催中に、国内はもとより、海外からも非難するアピールが続くけば、中国トップの威信が下がるように思います。 　国は、権力者のために在るのでなく、国民のために在るとことを、今回の北京オリンピック関連の報道を見ながら考えて行きたいと思います。 </description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Tue, 12 Aug 2008 18:33:04 +0900</pubDate>

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<title>仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む（論語・里仁第四）</title>
<description>仁者のみ能く人を好み、能く人を悪（にく）む（本文より）　子曰わく、不仁者は以て久しく約を処（お）るべからず。以て長く樂に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す。　子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を悪（にく）む。　　　　　　　　　　　　　　　～里仁第四～（解　釈）　孔子が言われた「不仁の者は長く逆境におることができない。又長く平安ま生活をも続けることができない。仁者は安んじて仁を実践し知者は仁の価値を知って仁を実践する」  孔子が言われた「ただ仁者だけが、先入観なく、正しく人を愛し、正しく人を悪むことができる」（感　想）　人の行動を見るに、その心をついつい想像してしまいます。「あれや」「これや」「・・・」、仁者は、素直な心から行動しているから、落ち着きがあり、変化に動じないように思います。　新しい事を起こすと、周りのものはせん索し、あれや、これや、うわさがします。しかし、公共の欲に従っていれば、いずれ理解され、そのうわさもいずれ消えて行きます。＞仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す仁者は、その状況に謙虚に対応し、先を見据えて行動起します。知者は、目先の利を掴むために、近視眼てきな行動しかできません。後には、大きな開きをもたらします。逆境にしろ、平安にしろ、驕らず謙虚に、自分の位置を確認し、言動を反省することが大事なのかもしれません。孔子の教示は、素晴らしいと思います。</description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e96581.html</link>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Fri, 01 Aug 2008 06:13:48 +0900</pubDate>

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<title>（無関心の国民）政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要</title>
<description>（無関心の国民）政治家と民衆、双方が歩み寄りが必要政党の国民に対する責任の無さもありますが、この政治機構を作り上げてきた、国民にも責任があります。明治以来変わらない、政治機構の存続だけが目立ち、それに無関心の国民がいること。 韓国の牛肉問題の国民のアピールのような行動を起さない日本国民の現実も問題と思います。この無関心が大きな問題と思います。 孔子の教示の一説を思い出だしました。 「子曰わく、政（まつりごと）を為すに徳を以ってすれば、譬（たと）えば北辰其の所に居（お）りて、衆星之に共（むか）うが如し。」（「論語」為政第二） （意訳） 先師（孔子）が言われた。 「仁の心から発する恕（おもいやり）の政治を行えば、たとえば北極星が真北に在って動かずに、多くの星がそれに向ってくるように、その徳を慕って集まってくるものだ。」 （感想） 　色々な場面で、使われ続けて来た言葉と思います。世界のリーダーたちに知ってもらいたい（知っている）言葉と思います。でも、実行されない現実があります。 　政治機構の存続を例えたことばに、「君子を船（政治）、浮かせる海（川）を民衆」と見なし、両方がバランス良い関係でないと、舟は沈んでしまいます。 　社会の改善には、政治家と民衆が双方が歩み寄り、より良き未来を目指し、政治家は謙虚に意見を聞き、民も利己の事でなく公の視点で議論をして欲しいと思います。 </description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e87116.html</link>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Thu, 12 Jun 2008 08:27:26 +0900</pubDate>

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<title>『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え</title>
<description>『孝経』親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え （本文より） ・天子章　第二 子、曰（のたわ）く、 親を愛する者は、あえて人を悪（にく） まず。 親を敬する者は、あえて人を慢（あなど）らず。 愛敬（あいけい）親に事（つか）うるに尽して、 徳教百姓（ひゃくせい） に加わり、 四海に刑（のり） す。 蓋（けだ）し天子の孝なり。 甫刑（ほけい）に云く、 一人慶あれば、兆民（ちょうみん）之（これ）を頼（よ）ると。 （解　説） 老先生（孔子）の教え。 親を愛せる者は、他者も愛せる。 親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。 真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人（東夷、西戎、北狄、南蛮）にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。 『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子　善なれば、万民　従う」と。 （ Web 解説） 『孝経（こうきょう）』 　http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html </description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e84252.html</link>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Wed, 28 May 2008 23:28:18 +0900</pubDate>

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<title>『孝経』天子章　第二（宇土論語教室　朗読文）</title>
<description>『孝経』（宇土論語教室　朗読文）（本文より）・天子章　第二子、曰（のたわ）く、親を愛する者は、あえて人を悪（にく） まず。親を敬する者は、あえて人を慢（あなど）らず。愛敬（あいけい）親に事（つか）うるに尽して、徳教百姓（ひゃくせい） に加わり、四海に刑（のり） す。蓋（けだ）し天子の孝なり。甫刑（ほけい）に云く、一人慶あれば、兆民（ちょうみん）之（これ）を頼（よ）ると。（解　説）老先生（孔子）の教え。親を愛せる者は、他者も愛せる。親を人として遇することができれる者は、他者に対しても同様である。真に親を敬愛することができるならば、親への愛・敬すなわち孝道徳を国内の人々に教え、更に天子の徳化がまだ及んでいない四方の他にいる野蛮人（東夷、西戎、北狄、南蛮）にも広めてゆくことができる。これが天子の孝なのである。『書』甫刑 にこうあるではないか、「天子　善なれば、万民　従う」と。（  Web 解説） 『孝経（こうきょう）』　http://kanbun.info/keibu/kokyo01.html</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Wed, 28 May 2008 15:13:22 +0900</pubDate>

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<title>『孝行』は、人生の心掛けの中心。（『孝経』より）</title>
<description>『孝行』は、人生の心掛けの中心。（『孝経』より）　今、地元の「宇土親子論語教室」では、６月に熊本市で開催される藩校サミットに向け、朗読の練習をしています。その文が、『孝経』です。　これは、孔子の教えの中で、生活の規範をどう考えるかを教えていること、人生の行程に何が大事かを説いています。６月２１日（土）午後から、熊本市民会館で子供たちが朗読しますので、興味ある方はぜひ会場へ足を運んで頂けるとありがたいです。　『孝経』を一部を朗読するのですが、今日から２回に分けてご紹介します。『孝経』（こうきょう）（本　文）ｶｲｿｳﾒｲｷﾞ開宗明義 章 　第一ﾁｭｳｼﾞ仲 尼  居し､曾子　侍せり。子 曰 わく、先王　至徳 要 道 有り、以って天下を 順 にす。民　用って和睦し、上下怨むこと無し。汝  之 を知るか。曾子　席を避けて曰く、　参 不敏なり。何ぞ以って之を知るに 足らん。子曰わく、夫れ孝は、徳の本なり。教えの由りて生ずる所なり。ｶｴ 復り座せよ。　吾　汝に語らん。ｼﾝﾀｲﾊｯﾌﾟ身體髪膚、之を父母に受く。 敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。夫れ孝は、親に事うるに始まり、君に事うるに中し、身を立つるに終わる。大雅に云わく　ﾅﾝｼﾞ爾 の祖を 念 うこと無からんや。厥の徳 を聿べ 脩むと。 （解　説）  老先生（孔子）がゆるり悠悠としておられ、弟子の曾先生がそのお側に控えておられたときのことである。　老先生がおっしゃられた。「昔のすぐれた王は、孝〔・悌〕という正道を体得して、それによって天下を治めたのである。だから〔共同体や横の関係の〕人々はお互いに親しく、また〔組織の〕上下関係においても円満だったのだ。お前はこのわけが分かっているかね」　曾先生は立ち上がり席を下がっておっしゃった。「私は、愚かですから、とてもわかりません」と。老先生はおっしゃられた。「孝は人の道（ありかた）の根本である。この孝からすべての教えが生まれてくるのじゃ。まあ、席に座れ。お前に話して聞かせよう」と。　人の身体は、頭・胴体・手・足・毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。これを大切に扱いたやすく損なったり傷つけたりなそしてはならない。　このように父母からいただいた身体を大切にすることは親孝行の、つまり、それが孝の実践の出発である。そのように孝を第一として実践するならば、りっぱな人という評判を得られ、その名を後世に伝えることができ、父母の誉れとなる。それが孝の実践の完成というものである。　さて、人は子供のころ親にお仕えすることかた始まり、中年になると、社会において〔親に対してお仕えする気持ち・態度で〕君主にお仕えし、〔老年に至るまで〕孝の実践を続けることによって父母や祖先に栄誉を贈る生涯となる。『詩』大雅にこうあるではないか、「祖先を忘れるな。祖先に光あれ」と。（感　想）　まず、親の恩は、自分の身体を大切にすることから始めないといけません。　多忙な中に、自分の身体を労わるところから、親の恩を学んで行きたいと思います。～教師が、純真な心を踏みつけています。教師の人格を疑う～・＜体罰＞「うそつき」の張り紙、児童の体に　北海道・釧路  http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&amp;id=497539（毎日新聞）  教諭は「生活規律を守らせるためだったが、とんでもないことをした」　として、関川校長と一緒に保護者宅に出向いて謝罪した。</description>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Sun, 25 May 2008 08:06:09 +0900</pubDate>

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<title>（論語３シリーズ）年長・上司と語る時に気をつける３つの教え</title>
<description>（論語３シリーズ）年長・上司と語る時に気をつける３つの教え　会社の上司、地域や組織の年長、親や叔父・叔母等々に話をするときに、ついつい身近な性もあり、軽率に話しを始める事があります。そんな時に気をつけることを、孔子が弟子たちの説いている教えがあります。「君子に侍（はべ）るに三愆（けん）有り」愆：あやまる。間違う上記に続く言葉は、下記の教えです。君子に侍（はべ）るに三愆有り。言未だ之に及ばずして言う、之を躁（そう）と謂う。言之に及びて言わざる、之を隠（いん）と謂う。未だ顔色を見ずして言う、之を瞽（こ）と謂う。（解説）君子のおそばにいて、犯し易い３つのあやまりがある。一つ、言うべきでない時に、言うのをがさつ（躁）という。二つ、言わねばならない時に、言わないのをかくす（隠）という。三つ、まだ相手の顔色も見ないで言うを瞽（目の不自由な人）という。身近な人こそ敬意を払い、言葉を選びながら語ることが必要と思います。相手が話しいている時に、途中で遮りこちらから一方的に話したり、電話をかけて相手の状況を聞かず、いきなり話し始めたり、自分を振り返るに反省仕切りですが、2,500年前にもやはり、そんな人もいたのかと思います。重要な箴言を言わずに終わり、後で公開したり、次の機会に話すと角がたったりと、話をどこで切り出すか、どこでやめるかも、一期一会の゛チャンス゛が意外と難しいと思います。昨日も、５人で飲食をしながらの、２時間半でしたが、5人それぞれの思いを上手く、つなぎ合わせることは、良き勉強でした。５月１日は、異業種交流会を主催するのですが、事前に多くの方と小さなグループで語ることが必要だなとつくづく昨日は思いました。１４年近くお付き合いする先輩と、数名でじっくり語ったのは今回が初めてで、良い機会だったと思います。今回は、その先輩が開いた花祭りコンサートに参加した、私と電気工学の大学教授１人、建築構造設計の後輩、工務店を経営するスーパー職人の５人でした。話題も地元から世界の政治経済情勢まで、多彩でした。コンサートの行く前に、上記の「三愆」を読んで言ったのですが、会話のタイミングを確かめながら、楽しめた飲み会でした。</description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e77203.html</link>
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<category>孔子の教え</category>
<pubDate>Mon, 14 Apr 2008 09:07:09 +0900</pubDate>

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