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<title>宇土・親子論語教室</title>
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<description>宇土市で始まった、親子（大人と子ども）で論語の素読と、教えを学ぶ教室。そこで学んだ言葉を紹介します。『論語』 『大学』『中庸』『孟子』『菜根譚』等説明 　ほとんどの日本人は、「論語」と言う言葉を聞いたことがあるとおもいます。しかし、中身に関しては、深く知らないと感じます。私もそうですが、日々の生活の中にその思想は深く根付いていると言われます。 [影響を受けた人物] 聖徳太子、菅原道真、二宮尊徳、佐藤一斎、梅田潜庵吉田松陰、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一、安岡正篤、木内信胤、他。『教室の開催日』毎月第一土曜日、午前１０時から、『会場』熊本県宇土市の中央公民館（宇土市民会館前）</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 07:21:09 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Sun, 01 Jun 2008 16:18:31 +0900</lastBuildDate>
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<title>（教養とは）生活秩序に関する精錬された智慧</title>
<description>（教養とは？）生活秩序に関する精錬された智慧             　総裁選を見ていた長老から、「教養ないね」とテレビ演説を見ながら、意見が出ていると聞きます。　昭和の批評家・小林秀雄氏の言葉を糸口にして、教養とは何か、どう育てるか、考える機会になればと思います。小林秀雄語録集「人生の鍛錬」より、（本　文）　一体、一般教養などという空爆たるものを目指して、どうして教養というものが得られましょうか。教養とは、生活秩序に関する精錬された生きた智慧を言うのでしょう。これは、生活体験に基いて得られるもので、書物もこの場合多少は参考になる、という次第のものだと思う。教養とは、身について、その人の口のきき方だとか挙動だとかに、自ずから現れる言い難い性質が、その特徴であって、教養のあるところを見せようという様な筋のものではあるまい。（「読書週間」21‐23）鋭い洞察に、ドキッとします。また、次の一説もあります。（本　文）　私は、本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。ノーベル賞をとる事が、何が人間としての価値と関係がありましょうか。私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人と思われます。（「読書週間」21‐27）（中略）　本屋の主人（小林秀雄）の目を通した識者への注文は、高く崇高なものでありますが、日常の行動もつぶさに検証している姿勢が、素晴らしいと思います。　　佐藤一斎の「言志四録」にも自分を高める修養の方法が説かれています。「学は自得するを貴ぶ。人徒（いたず）らに目を持って字有るの読む。故に字に局して、通透（つうとう）するを得ず。　当（まさ）に心を以て字無きの書を読むべし。乃（すなわ）ち洞（とう）して自得する有らん」（「言志後録」138）（注）洞：深い悟り（解　釈）　　学問は本心において体得することが大事である。ところが、世の中の人はいたらずに目で文字の書かれた書物を読むだけである。そのために、文字に囚われて、その背後にある物事の道理を見通すことができない。　心眼を開き、文字の書かれていない書、すなわち実社会の諸々の事象を読み解いて、自らの修養とするべきである。そうすれば、悟り得て自らの本心に体得することができるだろう。（感　想）　偉人たちの言葉には、共通する部分が多々あります。書物を読むことは参考になるが、要は実生活の中で、どう実践し、反省し、更に高い品格を求めて、自分を高めることに務めるかにあると思います。　教養とは、生活に活かしてこそつかめる、人格形成の道程なのかもしれません。＊参考資料：１．「人生の鍛錬」小林秀雄語録集、新潮社２．「佐藤一斎　一日一言」～『言志四録』を読む～、渡邊五郎三郎編</description>
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<category>批評家・小林秀雄</category>
<pubDate>Thu, 11 Sep 2008 08:31:17 +0900</pubDate>

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<title>（人間観察）自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。</title>
<description>（人間観察）自己宣伝が栄えるのは、人が己を失った時。～小林秀雄語録～　今日は、久々にちょっと文学についてではないですが、若いころから読んで諦めていた批評家の小林秀雄の文章を読みながら、人が生きて行くとは何かを考えました。　私が、何かと人生相談をする永淵道彦先生が、若いころ、著名な作家の起点となる作品について書いた論文の、最初に登場したのが小林秀雄でした。昭和59年の出版で、永淵先生が国文学の世界で、羽ばたこうとする意気込みが伝わるものです。　実は、今年初めにいただきそのままにしていたのですが、本棚を見ていて副題に「小林、江藤、冨永、大江ノート」とあり、開いて読み始めて読み入り、小林秀雄が小説家を断念する直前の小説の解説で、自分の心との対話と言われる小説の世界は興味を引きました。他の作家は、江藤淳、冨永太郎、大江健三郎です。　以前から持っていた小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を横に置いて読み合わせて見て、成る程と思いました。人は何か始めるときには、起点（踏ん切り）があると思いました。　「人生の鍛錬」の別の部分ですが、1940～1945年頃（38～43歳）に書かれた文章から、次の言葉に目が留まりました。（本　文）　成る程、己の世界は狭いものだ、貧しく弱く不完全なものでるが、その不完全なものからひと筋に工夫を凝らすというのが、ものを本当に考える道なのである、生活に即して物を考える唯一の道なのであります。（「文学と自分」13－151）　上記の一節は、日々の生活の中からしか、発想、工夫は生まれないと語っていると思います。　私にとっては、小林秀雄の文章は難解で、若いころ何度か挑戦し読むのですが、難しくいつも途中で断念していました。最近興味を持つようになったのは、白州正子の夫、白州次郎の伝記等々を読み、あの白州夫妻と小林秀雄たちとの交流から、関心が湧き、小林秀雄語録集「人生の鍛錬」を見つけ、時々目を通しています。　私も50才になり、自分なりの歴史を積み重ねて来ると、難解な文章も、少しは理解の程度は深くないですが、続けて読めるようになりました。もし小林秀雄語録集「人生の鍛錬」、興味をもたれたら読んで見てください。　次の文は短いですが、人の行動と心情を良く表しているのでご紹介します。（本　文）　自己宣伝の一番栄えるのは、人が己を失った時に限る。（「現代文学の不安」4－14）  自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ。（「現代文学の不安」4－17）　小林秀雄が29～31歳に書いたものですが、人をみる眼力に驚かされます。日々、ボーっとせず、自分と対話する時間を持ちたいと思った、人生の鍛錬につながる一文と思います。＊参考資料：小林秀雄語録集「人生の鍛錬」＜コミュ＞・小林秀雄 (批評家)  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2465984</description>
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<category>批評家・小林秀雄</category>
<pubDate>Mon, 01 Sep 2008 18:05:35 +0900</pubDate>

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<title>人間が一番興味ある『物』は、人間。大人の責任とは・・</title>
<description>（青少年育成）人間が一番興味ある『物』は、人間。大人の責任とは・・今日は、文化評論で第一人者の故小林秀雄氏の文章ですが、私の今日の感動と絡め書きます。（「人生に鍛錬」本文より）　人間に一番興味ある「物」は、人間であろうし、一番激しい興味は、恋愛の情にあるだろう。恋愛は詩の基だ。「あれは」殆どすべての種類の感情感動を指す語だが、悲哀傷心は、人の最も深い感情であろう。悲しみは、行為となって拡散せず、内に向かって己をかむからである。（「好色文学」18-107）　人間は動物である、しかし考える葦である。人は、人への興味が、社会を作り、恋愛、家庭、親族、地域、逆に対立、争い、紛争、戦争等々、人の生業は、明暗あるものです。　　今日は、二つの子育ての集まりに参加しました。一つは、高校の娘の広報委員会（高校新聞作り）と、地元中学校のサッカー保護者会です。　高校広報委員会のメンバーで、かつて、小中学校時代にＰＴＡ会長、副会長の仲間がいて、昨年までの「新聞コンクール」を目指す新聞でなく、子供が主役の新聞を作ろうと、前回会議で決まり、第２回会議は、紙面構成、記事役割、写真担当等々、ドンドン決まり、あっと言う間に終わりました。次回は、原稿と写真を重ねる仕事、小中学校で、広報委員をした人、子供が主役の新聞作りに、元気が出ました。　人間力を感じた、高校ＰＴＡ広報委員会でした。　次は、小学校２校が進学する中学校のサッカー部の中体連直前合宿へ向けた、保護者会への参加でした。　私は、キッズサッカーに関わって１１年、中学校の保護者の殆どが、キッズサッカーの時に顔を合わせて人ばかりで、今回の参加は、キッズ（５～９才）、小学校、中学校、高校生、社会人サッカーの関係者が、年に一回の顔合わせをする交流会を、少年サッカーの育成につなげようと４年前に、始まった指導者交流会を、発展させサッカー少年の成長を見守る地域の応援団をつろうと言うことで、子供の卒業した中学校の保護者会へ、趣旨を説明しに出かけました。　結果は、全員了解で、中学校最後の大会を、キッズサッカーが２クラブ、小学校２校、地元中学校サッカー部ＯＢ、社会人チーム関係者、中学校でサッカーを指導した先生方まで含め、地域応援団を結成し、中学最後の大会をみんなで見届けようと言う趣旨で、今日の会議は一致しました。　小林秀雄氏の一説は、恋愛、悲哀でしたが、少年サッカーに関わり、それを支える保護者、指導者、ＯＢ、社会人チーム等、人への興味は、恋愛だけでなく、子供を育てる思い（興味）には、力があると感じます。　「人間に一番興味ある『物』は、人間であろう」　上記の言葉から、次世代を作り少年の育成こそが、私たちに課せられた本当の仕事のように思います。　今日の日記にご意見、ご批判を頂けば幸いです。＜以前の日記＞・林家の善事を好む老母の事例（開運は善行にあり）</description>
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<category>批評家・小林秀雄</category>
<pubDate>Tue, 27 May 2008 09:35:56 +0900</pubDate>

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