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<title>宇土・親子論語教室</title>
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<description>宇土市で始まった、親子（大人と子ども）で論語の素読と、教えを学ぶ教室。そこで学んだ言葉を紹介します。『論語』 『大学』『中庸』『孟子』『菜根譚』等説明 　ほとんどの日本人は、「論語」と言う言葉を聞いたことがあるとおもいます。しかし、中身に関しては、深く知らないと感じます。私もそうですが、日々の生活の中にその思想は深く根付いていると言われます。 [影響を受けた人物] 聖徳太子、菅原道真、二宮尊徳、佐藤一斎、梅田潜庵吉田松陰、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一、安岡正篤、木内信胤、他。『教室の開催日』毎月第一土曜日、午前１０時から、『会場』熊本県宇土市の中央公民館（宇土市民会館前）</description>
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<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 07:21:09 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Sun, 01 Jun 2008 16:18:31 +0900</lastBuildDate>
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<title>福は己がつくる（「開運のすすめ」より）＊長文です</title>
<description>福は己がつくる（「開運のすすめ」より）＊長文です　毎週月曜日に紹介をしてきました、永淵道彦先生の「開運のすすめ」も最後の一説になりました。「福は己がつくる」の教えをしっかり読んでみたいと思います。（現代語訳）　基地に近づき、凶を避けるのは、断然自分自身による。自分が心を正しく保ち、善事を行って悪業をしないようにして、少しも天地鬼神も恥じないよう心持ちを謙虚にし、己をへり下って、常に天地鬼神からほめられる行為と生き方をして、はじめてどうにか福を受ける基ができるのである。　昔の言葉でも「功名に志のあるのは必ず功名が得られ、富貴を得ようと志すものには必ず富貴が得られる」といっている。そのように、人が志えおもっているのは、樹に根があるようなものである。そのような強い志は、三軍（大軍）の力をもっても奪うことができない。このようなしっかりとした志を確立して、しかも、いつも謙虚であり、いつも機に臨んで善を積み、自然のうちに天地の神を感動させ、運命を自分から造っていくようにすべきである。　ところが今日、官史登用試験に合格しようとするものは、初めから確乎（かっこ）不動の志がなく、一時の興味で受験しているにすぎない。それだから気が向けば受験し、いやになれば、やめてしまう。孟子が「王が、ほんとうに音楽を好んだならば、斉国の民もみな音楽を好きになる」といったが、志を持ってしっかり勉強すれば合格するということでは科挙の試験においても同じであると言いたい。（読　　釈）　福を招くにはまず、志を立てなければならない。人間の志は三軍（大軍）の力を持ってしても奪うことができないと言われるように、志は人間の生きていく根っこであり基（もとい）である。　まずは何をおいても、志を立てることが大事なのである。確固不動の志を持たず、ふわふわとした思いのままの行動からは何も生み出すことはできない。　筆者の見聞であるが、往時、東京大学や京都大学ぐらい出ていないと学者のなれないと揶揄された、あまり評価されない大学の学生であった若者が、鋭意努力の末、今や、万葉集研究の大家となっている。また、同様の学生で、大学の名前でなく、君は君の名前で世に知られればいいと言説した若者が、今や、努力の末、俳人として世に知られる存在となっているのである。　もちろん、鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。その成果は「神や仏のみぞ知る」であるが、謙虚さや善行に留意し、まさに福はおのれが招きつくるものである。　そして、我々がこの世に活かされていることの有り難さを信じようではないか。（感　想）「鋭意努力して運命を開拓することだけでなく、謙虚さを持ち、善を積むことが大切である。」　　当たり前のことが最後の教示でした。しかし、この当たり前のことを実行する事が一番難しいのではないでしょうか。チャレンジ、色々言い訳をして、後回し、寄り道ばかりしている人が居ます。私もその一人かもしれません。　でも、若いときから夢（志）を持ち、ハンディをものともせず、世界に飛び出して行く人たちが居ます。今朝の新聞に、バスケットで世界最高峰のプロリーグに挑戦し続け田臥勇太（27才）をコラム「日本遠望」で紹介があった。能代高校のバスケット少年が、２ｍの大男たちのNBAに、身長173ｃｍの身体を駆使し、今、２部リーグで必死なり、狭き１部リーグの門をこじ開けるために頑張っている様子が書かれていました。　今年５年目で、大方の見方は年齢的にも勝負は１、２年とか。今年のシーズンに向かう気持ちは違っていると本人が語っている。以下、一部転載。「攻めは自信があるが、身長さが克服し難い守りが課題と見定めた。探し求めたものを見つけた。千変万化の動きを探るコア（核）を身体の中に感じ始めた。『コアが目覚めれば、すべてが向上する』と」（中略）　・・外へ発散したシーズンとは対照的に自分と向き合う時間が流れる。「人間として日々成長している」（マネージャーの野村氏）　日本一バスケットが好きな少年は、ハンディを言い訳にせず、夢に向かって成長し続けています。やはり成長に欠かせないのは、日々の努力と、自分と謙虚に向きあい、言い訳をせず、我々がこの世に活かされていることの意味を探し続ける事ではないでしょうか。　　「福は己がつくる」が最後の教示ですが、これまでの文章は、下記にアドレスがありますので、検索頂ければ幸いです。　皆様にとって、人生がより良きものになるように願い、「開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）」をご紹介しました。以後も、中国故事を中心に、色々な永淵先生の言葉を紹介したいと思います。＜コミュ「開運のすすめ」＞・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451＜以前の日記＞・「禍は上より起る」「自らを頼みにする」（佐藤一斎『言志四録』）  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=883140838&amp;owner_id=2182841・早朝の地区協働作業、炎天下の歴史の現場ウォッング 　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882975298&amp;owner_id=2182841 ＜日曜の教示＞『菜根譚』 ・心の温かい人、冷たい人／「これから求められる人間力」 　http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33482964&amp;comment_count=0&amp;comm_id=2310909</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 28 Jul 2008 09:25:23 +0900</pubDate>

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<title>（開運は謙虚にあり）張畏岩の事例 その３「開運のすすめ」</title>
<description>（開運は謙虚にあり）張畏岩の事例 その３「開運のすすめ」 毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」から、一文を紹介しています。（現代語訳）丁酉（ひのととり）の歳（万歴25年）のある夜の夢の中で、一室に入って行った。その部屋は非常に高い造りであった。そこで一冊の試験の帳簿を見つけたもので、それをひらいて見ると、何も書いていない行が多かった。変に感じたので、そばにいた人に尋ねてみた。「これは今年の登用試験の帳簿であるが、どうしてこのように多く名が欠けているのだろうか」というと、その人がいうには、「登用試験は、天上で三年に一度しらべ合わせる。そこで、徳を積みまちがいのないものがあると、はじめてこの帳簿に名を書き入れるのである。前の欠けているところは、みな以前には試験には及第したけれども、試験の後で徳をけがすような行いをしたから、名を削り去られたのである」と。そこでまた最後の一行を指して、「あなたは、ここ三年以来、大変操行を慎んできた。だからここにあなたの名が書き込まれるかも知れない。大いに自重しなさい。」といった。　さて、この度試験に私は百五番で合格したが、これは、あの夢の中でたずねた人が指したところの番にあたっている。　このことを考えてみると、我々の頭上三尺のところには、必ず神が我々を照覧しているのである。（読　訳）　高く評価もされず、能力もさほど無いとされている人間であっても、謙虚さを持ち、善事を積み、何事かを一心に努力をすべきである。我々の頭上には必ず神さまや仏さまがおられ、ご覧になっていると思い、身を慎み、一心に励むべきである。　神さまや仏サさまを信じない現代人であっても、努力の成果に対する、成否の恐れをどのように処するのであろうか。（感　想）　大分の教員採用汚職事件を毎日聞きながら、当事者の心情を考え、今日の一文を読むと、先人たちの心にも「自分さえ良ければ・・」の思いにどう打ち勝つか、試行錯誤したのだろうと思います。　しかし、いつか、どこかからか、悪事は漏洩するものと思います。そして、その腐敗には、地域のトップリーダー（政治家）の関与もあるという事実がグルーズアップされています。　「自分さえ良ければ良い」を政治家自ら、地域に行動で見せるようでは、部下も「俺たちも」となると思います。副知事、教育長、更には知事、県選出の国会議員も含め、長い年月をかけて蔓延った腐敗の根は相当深いと思える大分の事件ですし、地方の教育会に在る若者の良心を踏みにじる体質に思えて来ます。　そして、それに集る国民、利用する教職員家族、等を検証して見る必要があります。その解決の道は、教育現場に立つ一人ひとりの先生が、率先垂範で子供たちに「良心」を育てる徳育を実践して欲しいと願います。＜関連の日記＞ ・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その１（開運は謙虚にあり） ・「運命の好転法」張畏岩の事例 その２（開運は謙虚にあり＜コミュ＞・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 08:06:54 +0900</pubDate>

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<title>「運命の好転法」張畏岩の事例 その２（開運は謙虚にあり）</title>
<description>「運命の好転法」張畏岩の事例 その２（開運は謙虚にあり） 　毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」ですが、明日は早朝から行動しないといけないので、今夜、一説の続編を紹介します。先週月曜の文面を、読み頂ければ話がつながると思います。 ＜関連の日記＞ ・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その１（開運は謙虚にあり） 張畏岩の事例 その２ （現代語訳） 　そこで張畏岩は又質問した。 「すでに合格する運命になっていないならばいかんともしようがない。心を平静にしてお伺いするが、どうしたならば運命を転換できるのでしょうか」と。 　道士は答えて、 「運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分である。それ故善事を一生懸命に行い、広く陰徳を積み、その上にさらに謙虚になり、謹直を加えて、天より善い運命を受けるならば、どのような福も求められないことがろうか」 　と、運命の開拓法を説いてくれた。そこでまた張畏岩は、 「お教えはありがたく承ったが、私は貧乏書生であるので、どうしたら銭を得て、善事を行い陰徳の功を積むことができるだろうか」 　と、だんだん謙虚になってきた。道者はさらに教えていうには、 「善事陰功というものは、心によってできるものである。だから心をそこにもって行くならば、無量の功徳であり、かつ謙虚の一事のごときは、一銭も使わずにすむ。それなのにお前はどうして自ら反省せずに試験管を罵倒するのか」 　と、ていねいの差とした。張畏岩はこのことによって、すっかり感じ、悟って、うぬぼれや一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき、徳行は日に厚さを増していった。 （読　　訳） 　運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは人間である、という道者のことばに類することわざに、「人事を尽くして天命を待つ」というのがある。 　自分の運命を転換する第一歩は、善事を行い、陰徳（ひそかに行う善事）を積み、さらに謙虚になり、こつこつと正しく努力することである。 （感　　想） 前回の張畏岩の事例の教示に、 ＞自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである とありました。今回は、転換を計る方法を教示しています。 ＞運命を作るのは天であり、運命を開拓するのは自分 ＞一人よがりを捨て、みずからよく節操を守り、善事は日々に積まれてゆき 日常生活の言動こそ、運命を開拓する修練の（向上させる）場であると、道者が説いています。 現代生活でも雄弁を誇る人が見受けられますが、そんなリーダーの真価を、結果が証明するのですが、自分も含め、結果を見ると反省することが多々あります。 孔子も「行動が先、言葉が後」と、信頼（ソフトパワー：好感）を受ける手法を説いています。これは、とても大事なことと思いました。 　今日は、県内外の自立した有志が集まる会があったので、私は発起人の方に、「勉強に来なさい」と参加させて頂き、みなさんの言葉や態度を見て、ともての勉強になった一日でした。3人寄れば、教師ありとありますが、どんな時も「忙中に閑あり」の心のゆとりを持ちつつ、会話を楽しみたいと思いました。 今日の熊本は、３５℃を越える暑さでした。午前は、キッズサッカーの指導で外で汗だくでしたが、午後は多くの先輩方との会話で、冷や汗しきりの交流の場でした。 でも、久々の再開の方々もいて、楽しい時間の有意義な夏の日曜日でした。 帰りに、先輩二人を車で送ったのですが、昨日、数日振りに汚れきった車を洗っていて良かったです。明日ひょっとしたらと思ったときは、即実行しておくと恥をかかないのかもしれません。先輩方の2次会、帰りの車内での会話が、とても勉強になりました。 明日から、心新たに頑張りたいと思います。 ＜コミュ＞ ・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳） 　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞（異業種交流会）∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 　日　時　２００８年７月２５日１９：００(開場18:30) 　場　所　熊本交通センターホテル３Ｆ 　講　師　渋谷秀敏氏（熊本大学大学院自然科学研究科教授） 　テーマ 「地震・雷・火事・親父－熊本で心配すべき災害－」 ＊詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&amp;owner_id=2182841 </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Sun, 13 Jul 2008 22:18:13 +0900</pubDate>

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<title>「開運のすすめ」張畏岩の事例 その１（開運は謙虚にあり）</title>
<description>「開運のすすめ」張畏岩の事例 その１（開運は謙虚にあり）　毎週月曜日、永淵道彦先生の「開運のすすめ」より、一説を紹介します。「現代語訳」　江陰の張畏岩は、学問を積み、文章を作ることが巧で、学者の間で名声が高かった。甲午の歳（万歴二十二年）南京の郷試のときに、ある寺に宿をとっていた。やがて試験も終わり、発表を見ると落第していた。　そこで大いに試験管をののしり、試験管は見る目がないといった。そのとき一人の道者が側にいたが、にやにやとあざ笑った。これを見て張畏岩は急に怒りを道者の方にむけて、「お前はどうしてわしを笑うのか」とどなりつけた。すると道者がいうには、「あなたの文章を判断して見ると、必ずよいものではないと思う」ということであったので、張畏岩はますます怒っていうには、「お前は、まだわしの文を見ていないではないか。それなのに、どうして良くないといいことがわかるのか」道者は、すぐにそれに答えて、「私は、『文章を作るには、心気のおだやかで平らなかのを貴ぶ』ということを聞きいているが、いまあなたが試験管を罵倒する言葉を聴くと、どうもあなたの胸中に不平不満が多いようです。そのようなことで、どうして巧みな文章がかけましょうか」といった。張畏岩は、はっと驚き、思わずひれ伏し、道者について教えを請うことになった。さて道者がいうには、「もし、試験に合格する運命ならば、文章が上手でなくともやはり合格する。運命がもしも及第すべき運命でなかったならば、いくら文章が巧くても、なにもならない。無益なことである。本当に試験に及第したければ、自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである」と。「読　　釈」　万歴二十二年、南京における郷試（進士の予備試験）の祈りの話である。張畏岩のような人は現代においても、まま見受けられるものである。自信のないままに受けた試験で合格した人物が、同じ試験を受けて不合格だった人物にそのことを言ったとする。　するとこれに対して、不合格だった人が反省することなく、そうですよ、あなたなどまぐれですよ、自分を落とすなど以てのほかだといった言動や態度などがそうである。　なかなか出来ないことであるが、謙虚な心で人のことばや注意を受け入れてこそ、自分自身をより良い方へと変えることができるものである。　ましてや、人からの評価に不平不満を持つことはどうであろうか。才能がありながらも、自分を損なうことになると言えよう。　「感　想」　評価は、自分よがりでしたくなるものです。努力をしても結果がすべて、覆すことはできません。後は、その現実（結果）を謙虚に受け止め、次の打開策をいかに構築できるように、心を入れ替えれるかが大事と思います。　試験や選挙の敗北の原因を、外に求めてばかりいては、次の策がなかなか思に付くものではありません。やはりその原因の多くは、自分自身に在ると考えたが正しいと思います。　人間関係は、作用反作用の関係にあると聞いたことがあります。周りを変えるためには、自分が変わることと思います。自分が変われば、周りも刺激されて変化を起こします。不平不満をぶちまけるより、自分が変化し、周りがより良き方向へ進むように考え行動を起す（心を変える）ことが必要と思います。＞自分の運命の転換をはかってこそ初めて可能なのである自分を省みる、大事な言葉と思います。＜コミュ＞・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Sun, 06 Jul 2008 22:46:07 +0900</pubDate>

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<title>（開運のすすめ）夏建所の例～開運は謙虚にあり～</title>
<description>（開運のすすめ）夏建所の例～開運は謙虚にあり～　毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」の一節を紹介しています。（現代語訳）　壬辰（みずのえたつ）の歳（万歴２０年）に私が天子のもとに参内した折、夏建所に出会ったが、そのとき夏建所は、非常に気持ちが謙虚な様子で、何か人の迫るものがあった。私は関心してしまい、帰宅してから友人にそのことを話し、「およそ、天がこの人を出世させようとするときには、まだその実現しない前に、まずその人の心の智慧をひらくものである。この智慧の心が一度ひらけば、心のうわついているのも著実になり、思うままの振舞をしていたものも、心をひきしめで実直になるものである。ましてや建所は、あおのように温厚であるから、きっと天は建所の運を開くにちがいない」といったが、試験の発表は、はたして及第であった。（読　訳）　万歴２０年（日本の文禄元年、豊臣秀吉の「朝鮮の役」の年）に、袁了凡が天子のもとに参内した折りの話である。一心に努力しその努力のかいがあり、福が招かれる前には、その人には必ず、まず心の智慧が発するものであるという。心の智慧とは人間の徳から発する良心の輝きというべきものである。夏建所がそうであったという。　単に頭が良いとか、悪いとか、というのでなく、この智慧が発すると、心のふわふわした肝がすわっていない人間も充実し、わがままな人間もそれがおさまってくるという。ましてや、夏建所のように温厚な者がそのようであるのだから、なおさらである、というのである。　（感　想）　「福が招かれる前には、その人には必ず、まず心の智慧が発するものである」と、それは、徳から発する良心の輝きであるは、示唆の富んだ言葉と思います。　江戸後期の儒学者、佐藤一斎の「言志四録」の一節に、次の言葉があります。「己を修めるに敬を以てして、以て人を安んじ、以て百姓を安んず。壱（いつ）に是れ天心の流注なり。」（意味は）自分を修めるのに敬の心ももってすれば、人々を安からにすることができるし、さらには天下の人民を安からにさせることができる。まさに敬は天の心が流れ注いだものである。（中略）　優しい人が、学問を深め、さらに運を開く智慧を得た時、その輝きはさらに増すことと思います。ただやみくもに、知識を暗記するだけでなく、心を育てる゛学び ゛を実践したいものです。　開運は謙虚にあり、先人の知恵の言葉と思います。＊参考資料：開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）             渡邊五郎三郎編「斉藤一斎　一日一言」～言志四録を読む～＜コミュ＞・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 30 Jun 2008 07:07:43 +0900</pubDate>

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<title>(謙虚の効果)実るほど頭をさげる稲穂かな(開運は謙虚にあり)</title>
<description>(謙虚の効果) 実るほど頭をさげる稲穂かな～開運は謙虚にあり～ 　流布したことわざに、「実るほど頭をさげる稲穂かな」ということわざがある。この逆で、「おごるもの久からず」というものもある。地位が上がったり、金持ちになればなるほど、威張り、ふんぞり返る人を見かけるものである。このような人に人望などありようがない。人望のない者に開運が有ろうはずがないからである。 　地位が上がるほど、金持ちになればなるほど、「頭をさげる稲穂」のように、謙虚さに留意しなければなるまい。そのことが、人望に通じ、いよいよ開運をもたらすであろうからである。 　 　この世に生をうけた有り難さは何ものにも変えがたい。この有り難さを思えば人はしっかりした志を持つべきであろう。そして、しっかりした志を持つ者であればあるほど、謙虚さということに留意しなければなるまい。（中略） 一、謙虚の効果 【現代語訳】 　「易経」にいう、「天の道は、盈（み）ち満ちているものを欠き損（へ）らして、謙にして足りないものに補い益し、地の道は、盈ちているものを変化させてその余分なものは足りないものに流して行き、鬼神は、盈ちているものに禍をくだし、謙虚で足りないものには福を与え、人の道は、満ち足りているものをにくんで、謙虚なものを好むのである」と。それ故に六十四卦（か）中の謙の一卦だけが六爻（こう）ともみな吉である。 　また「書経」に、「盈ちあふれていると減損を招き、謙虚であれば増益を受ける」 といっている。 　私はたびたび諸君と一緒に試験に応じたので、感ずるのであるが、貧乏書生が試験に合格して、立身出世しようとするのを見るたび、必ず一段と謙虚な様子が現れるのを見た。 【読　　訳】 　まず、儒教の経典「易経」のことばを引き、謙虚の効果が述べられる。天の道、地の道、人の道もすべて、満ち満ちているものから、謙虚であり不足しているものへと流れていき、神であれ人であれ、満ち足りているものを憎んで、謙虚なものを好むと。 　これは、儒教の経典「書経」にも、満ち溢れていると減損を招き、謙虚であれば増益を受けると述べられている。すなわち、謙虚は開運に通じ、福をもたらす、というのである。 　ちなみに、謙虚とはへつらうことではない。内にすぐれたものを持ちながら外にあらわすことを抑え、へりくだった態度を取ることである。 　ここで紹介されていないが、謙の卦には、そうであるから謙虚の徳にいる人は、尊い位についてますますその徳が光りを加え、低い位に在ってもその徳の故に悔いることができない、ということばがある。まさに、立身出世するような人間は必ず、出世していくごとに、謙虚の徳の光りが輝きを増すように努めるべきである。 【感　　想】 　今春、熊本の建設大手が、粉飾決算が発覚し、自主廃業しました。大きくなろう、大きくなろうと、頑張った来た結果が廃業とは、とてもさびしい結果になりました。 ＞満ち溢れていると減損を招き、謙虚であれば増益を受ける 　今日の私のブログでの４７人の「幸福論」の堀江謙一氏の言葉を思い出します。「小さな幸せを分かち合うことが必要」と説かれています。 ＞謙虚は開運に通じ、福をもたらす 　県庁の先輩たちと語る中で、とても丁寧の接して頂いていた方が、今度、教育長に就任されました。企画、農政、振興等々で、接した時も、今も、ぜんぜん変わらずに丁寧の言葉を選びながら話して居られる様子に、こちらが恐縮してしまいます。 ＞地位が上がるほど、金持ちになればなるほど、「頭をさげる稲穂」 　稲穂の様相に近づけるように、心から謙虚に自分の行いも含め、反省しつつ日々を暮らさないとと思います。 　「開運のすすめ」の最終章は、謙虚な心の大切さが説かれています。＜コミュ＞・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e89164.html</link>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Sun, 22 Jun 2008 22:51:27 +0900</pubDate>

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<title>陰徳は福をまねく（開運は善行にあり）</title>
<description>陰徳は福をまねく（開運は善行にあり） 毎週月曜日の永淵道彦先生の教示「開運のすすめ」の一説を紹介しています。（今日は一日遅れの火曜日でした） ・林の老母の事例　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=817942552&amp;owner_id=2182841 ・楊栄の事例 　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=825605311&amp;owner_id=2182841 ・応尚書の事例 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=832960783&amp;owner_id=2182841 陰徳は福をまねく 【現代語訳】 三週、三人の（善行の）例を述べたが、その行うところは各人それぞれ異なってはいるが、帰するところは同じく善である。まことに善を積んで行おうとするものにとってよい手本である。 　しかしながら、善い事をしても、人に知られることを求めないのは、これこそ陰徳というのである。それ故、いつもいつも、自分の心の中を点検吟味するべきある。真実、真心からのものであって、仮もの、偽りの心であってはならない。この道理を判別し明らかにして、善事を行い非事がばかったならば、罪障を滅して幸福を受けるにこれ以上の道はない。 　それ故に、財産があり、勢力のあるものは、幸福を招くことはたやすい、それなのに容易にできる善事をしないのは、これは自らをそこなう、自暴というものである。容易であることをさらに増々行っていくのは、これは錦の上にさらに花を添えるようなもので、ますます幸福を招くことになる。 その反対に貧賤な者は、その幸福を招くのに富貴なものにくらべて難しいものである。しかし難しいからといって、善をしないのは、自暴というものである。難しいが、しかもおしきって善をなすことは、これ一善が百善に相当するのである。 また必ず努力して善事を行い、しかも善事をしているという形態にしない、善をしても気取らぬことこそ貴いのである。 　 【読　訳】 前項でも述べたように、人に知られる事を求めない善行を陰徳という。さて、富める者と貧しきものとの善行に対する違いをどのように考えればよいのであろうか。 財力のある者は、人を助けやすい立場にいるが、それをしようとしないのでは自らを害することになるであろう。貧しき者は、財力の有るものに比べて人を助けることは難しいが、だからといってしないのはどうであろうか。その身の置かれた中で努力し、善事に目を向けて実践することが貴いのである。 善行の最たるものは陰徳であるが、このような実践の行為の中で、巡りめぐって、開運があり、福が招かれるのである。深く心すべきではなかろうか。 　 【感　想】 　人それぞれきびしい生活の中で、周りに出来ることを、少しでも良いから続けることが、自分を育てることにつながる教えと思います。 　背伸びせず、大きな成果を求めず、身近な出来ることから、まず始めることが大切なように思います。 ＜異業種交流会「夏の会」＞ 日　時　２００８年７月２５日１９：００ 場　所　熊本交通センターホテル３Ｆ 講　師　渋谷秀敏氏（熊本大学大学院自然科学研究科教授） テーマ 「地震・雷・火事・親父－熊本で心配すべき災害－」 ～火事というのは火山の話、親父というのは、災害の親玉とでも言うべき地球の歴史上あった全地球的な大災害の話～ 参加費　セミナー　１，０００円 交流会　　４，０００円 ・渋谷秀敏氏プロフィール 　http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/earthsci/shibuya/index.html　 ＊後日、詳しいご案内を致します。ご予定に入れて頂けば幸いです。 ■＜岩手・宮城地震＞４０００ガル超　国内観測史上最大を記録（毎日新聞 06月16日 http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&amp;id=518946 ～国内の地震で４０００ガルを超えたのは初めて、新潟県中越地震の２５１５ガルだった～ </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Tue, 17 Jun 2008 18:23:51 +0900</pubDate>

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<title>（開運のすすめ）応尚書の事例と、通産省を作った白州次郎</title>
<description>（開運のすすめ）応尚書の事例と、通産省を作った白州次郎　毎週月曜日は、永淵道彦先生の教示「開運のすすめ」の一説を紹介しています。応尚書の事例【現代語訳】　台州の応尚書は、壮年のころ、山の中で勉強していた。夜になると鬼どもが声をかけあった集まり、時々人を驚かせるが、公は少しも懼（おそ）れなかった。　或る夜、鬼が、「だれそれの家の嫁は、夫が長い間他国へ行って帰って来ないので、その舅と姑にせまられて他家へ嫁入りさせられようとした。それを苦にして嫁は明晩このところで縊死（いし）するであろう。そこで自分はその夫に代わりその家に行ってやろう。」と、話しているのを聞いた。　公は気の毒に思い、ひそかに自分の田地を売って、銀四両を得、ただちにその夫の手紙を偽作して、銀（かね）と添えてその家に送りとどけた。その父母たちは手紙を見て、どうも筆跡が夫のと似ていないので不思議に思ったが、しばらくして、「手紙はいつわり書くこともできるが、銀を本物で間違いない。してみると多分倅は無事であろう。」ということで、嫁はそのまま嫁ぐことをせずにすんだ。　後になって、その子は家に帰って来、もとのように夫婦仲よく暮らすことができた。　ところが、ある夜また、公は鬼の話すのを聞いた。「自分は彼の夫に代わってその嫁を妻とすることができたのに、この秀才が自分の計画をこわしてしまった、困ったことだ。」と。　するとそばにいた別の鬼がいうには、「お前はなぜそのようなことをされたのに、報復の禍を下してやらないのか」と。　前の鬼がそれに答えて、「それは、天帝は、この人が善い心を持っているので陰徳尚書と命名しているほどであるから、どうしてもこの人に禍を下すことができないのだ。」というのを聞いて応公はますますみずから努力勉強し、日々善事を行い、日々徳行を積んでいった。　たとえば、凶年にあえば、すぐに穀物を民に施してこれを賑わしてやり、また親戚に困ったことでも起きれば、ただちに細々と救ってやり、非道を行うようなものがあれば、すぐさま自分の身を反省し、責め、快く素直に受けた。　このようなわけであるから、公の子孫で進士の試験に及第するものはいまに至るまで、累々と重なり続く有様である。【読　　釈】　ここでは、自ら努めて善事に励むことが語られている。本当に自分の心からのものならば、たとえ人に知られなくても、真心からそれを実行すべきである。このような善行を陰徳という。本来、善行とはこのようなものであり、代償を期待したり、求めるようなものなら善行と言えない。　このような行為はこの世を明るくするものであり、自然の理である天意に適うものであると言える。このような陰徳の善行は心すべきことではあるまいか。【感　　想】　先週末から、太平洋戦争終了後のＧＨＱの占領下で、日本の独立、復興に奔走した、白州次郎氏の伝記を読んだ。６０年の時を越えた、史実を読み進む中で、吉田首相の補佐に徹し、政界へ興味を示さず、常に徒労の多い裏方に徹し、日本国憲法制定、講話条約、通商産業省、電力事業再編と、戦後の繁栄に礎を創った方ですが、目途が着けばサッとその地位を後任に任せ、百姓にもどる生き方には、感銘を受けました。　白州氏は、大学生活をイギリスで７年学び、ジョントルマンの気質を持つ紳士ですが、そのルーツは、祖父まで三田藩の儒教の先生の家系であり、幕末には、三田藩の財政再建、殖産興業に努めた人物の末裔であること知り、その志の高さを知りました。　　今日の教えは、知られずに、どんなに小さな善事でも、いつか人々の知れるものと例えと思います。そして、見返りを求めてする行為は、いずれ自ずと知れ、陰徳との違いは長い時間をかかって、歴史が証明するのだと思います。　白州次郎氏は、遺言は「葬式無用、戒名不用」だったそうです。そのお蔭で、６０年近い年月をたって、知ることになるのですが、孔子の言葉に、「人に知られずとも患えず」とありますが、こころから社会奉仕こそ、自分を高め、周りを明るくすることなのかもしれません。　日常は田舎に暮らし、中央で事が起こると、万事を捨てて「いざ鎌倉」と、改善に奔走し、目途が立てば後は、後任に任せて、また田舎の生活に戻るような人物を、「カントリー・ジェントルマン」とイギリスでは言い、高く評価していると言います。　日本では、江戸中期の儒学者、熊沢蕃山が似たような一生を送っています。白州氏は、儒家のＤＮＡと、イギリスで培ったジェントルマンの教育で、昭和では稀に見る、無欲のリーダーだったのかもしれません。今日は、少々、長文になりました。最後までお読み頂きありがとうございました。・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 09 Jun 2008 08:50:04 +0900</pubDate>

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<title>楊栄の事例～善行が子孫を栄えさせる～（開運は善行にあり）</title>
<description>楊栄の事例～善行が子孫を栄えさせる～（開運は善行にあり）　毎週月曜日の永渕道彦先生の「開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ」の一説を紹介します。何かの参考になれば幸いです。楊栄の事例（開運は善行にあり）（現代語訳） 楊少師栄は、建寧府の人である。先祖は、代々渡し守をして生計を立てていた。あるとき雨が降り続いたために、渓川が氾濫し、その激流は民家を突き破り、溺死者が流されていくというありさまであった。 このとき川に出ていた他の船はみな流れてくる品物を鉤にかけて取ったが、ただ楊少師の曽祖父と祖父はひたすら人を救うことをして、品物を一つも取ることをしなかった。このことを村人は馬鹿者だとあざ笑った。　ところが、楊少師の父が生まれるころになると、家運もおこり段々と暮らしむきが豊かになってきて。そのころ神様が道者の姿になって、少師の父に告げていうには、「お前の祖父には陰徳（ひそかに行う善事）があったから、子孫は必ず尊貴となり世に現れるであろう。それ故墓をこれこれの土地に作って葬るがよい」と。　そこでそのお告げにしたがって墓を定めた。それがすなわちいまの白兎墳である。　後になって、楊少師が生まれた。二十歳のときには進士の試験に及第し、位は三公にまでにのぼり、曽祖父や祖父にも、父と同様の官が贈られ、子孫も尊貴に栄え、今日もなお賢者が多いのは陰徳の巧によるのである。（読　釈）　ここでは、瀕死の者を助ける善行が語られている。このような話から、現代人の我々がくみ取るべきものは、目前の利益を得ることに目を向けず、本当に大切なのは何か、如何に相手の立場を思いやれるかを、常に考えて行動すべきであるということである。　そして、瀕死の者を助ける善行はその行為自身に明るさをもたらし、感動さえもたらすこともある。俗人はこれを笑うであろうが、自然の理である天意はこの行為の明るさを注目しないはずはない。明るさには多く、人が寄り、良い事がらに通じるからである。（感　想）　天意とは、民の声とも言えます。多くの人々が、その行為に賛同し、見えない形で応援をしているように思います。失言で、信用を失うリーダーの多い現在とは違って、先人たちのもの言わぬ、行動（陰徳）こそが、自分自身も明るくするし、周りも明るくして行きます。　天気の悪い日より、やはり晴れた日に、人が外へ出て行くように、自分自身が明るくなれる言動に努力を続て、自分を明るくすることが大事なように感じます。周りのために、無理をせず、できることを少しづつ続けることが、自分も磨くことにつながるように思います。＊参考資料：開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳） 　　　　　　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 02 Jun 2008 10:19:06 +0900</pubDate>

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<title>（開運は善行にあり） 林家の善事を好む老母の事例</title>
<description>林家の善事を好む老母の事例（開運は善行にあり） 「林の老母の事例」（『開運のすすめ』開運は善行にあり） （現代語訳） 　甫田の林氏は、その先祖に善事を好む老母があった。この老母は、日ごろ団子を作って人に施し、もらいに来る人には、すぐにこれを与え少しもいやがる様子がなかった。このことを知った一人の仙人が、老母の行為がその誠心から出たものかどうかをためそうとして、一人の道士に姿を変えて、毎朝行って六つも七つも団子を求めて食べた。老母は、毎日毎日団子を与え、三年たってもなおはじめに行った時と同じようにいやがることなく施し与えた。そこで老母がほんとうに誠心から施しをしていることを知った。 　そこで仙人は老母につげて、 「わたしはお前さんの施しをしてた団子を三年食べたが、お前さんの好意は何をもって報いたらよいであろうか。役所の裏に土地があるが、お前さんがもし死んだなら、そこに葬ってもらいなさい。そうしたならお前さんの子孫で高い位につくものは麻の実の一升の数ほどにもなるであろう。」 そこで老母の死後、子は教えられたところに老母を葬ったところ、道士の言葉どおり一代に九人もの進士の試験に及第した者があった。 　そののち代々高位に昇る者非常に多く、福建の民謡に「林氏の家で及第しないものはない」とうたわれるようになった。 （読　訳） 　善行とは利害を意識せず、真心から行われねばならない。善行に大きさも、小ささもない。その人の身の丈の善行でよいのだ。ただ、大事なのは無償の行為であることだ。 　現代において、まさに、真のボランティアとは何かと問うときに、このことに我々は思い至るであろう。 　親の七光りとか、縁故のひっぱりこっぱりは、よく目にすることである。だが、能力が勝る人たちが多くいる中で、なんら関係も、利害もない人の声がかりで、得難い役割や地位につくことも、この世ではまた、よく目にすることである。これなどは、善行を好んだご先祖の恩恵と考える外ないではないか。どうであろう。 （感　想） 　最近読んだ、新渡戸稲造氏の「自警録」なる本は、見返りを求めず、地位を求めず、ただひたすらに、庶民、特に貧しい人々のため、青少年のために、侵食を忘れ、奔走された人生を感じます。 　この人々を思いやる心こそが、ボランティア精神（誠心）の本と思います。昨日の『孝経』の言葉と同様に、両親、親族、地域に感謝する心から、すべてが始まったいるのに、自分が成長するにつれ、その本を忘れ、先へ、先へ、上へ、上へと、人の欲は計り知れないものがあります。 　『荀子』を解説したものに、「自分の欲と、社会の欲を限りなく近づける」と言う一説がありました。林家の老母のように、自分のことより、周りにことを思い、ただひたすらに団子を作り、施したその行為こそが、とても意味があると思います。 ＜関連コミュ＞・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Sun, 25 May 2008 23:40:55 +0900</pubDate>

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<title>積善の家には、必ず余慶あり（開運のすすめ）</title>
<description>積善の家には、必ず余慶あり（開運のすすめ）毎週月曜日、永淵道彦氏の「開運のすすめ」より、ご紹介します。（現代語訳）「易経」に「積善の家には、必ず余慶あり」といっているが、顔氏の例を考えてみると、まさにその通りである。　むかし顔氏がその女（娘）を叔梁紇（しゅくりょうこつ、孔子の父）に嫁がせようとして娘たちに、叔梁紇の家は先祖から長く徳を積んできたことをいろいろと説明し、このような家には、その子孫に必ず立派な人物が出て家を興すものがあることを前もって知ったということであるが、このことがけっしていいかげんな話ではない。孔子は舜が大孝であったことをほめたたえて、「舜の祖先の神霊はその祭を饗（う）け、また舜の子孫は長くその福を保った」といっているが、まことに至論である。試みに、左にこれまで見聞したところをもって証拠だてよう。（解　説）　善行を積む家には必ず、子々孫々に至るまでその恩恵があるという考えを笑えるであろうか。個々人の短い単位という物差しでなく、先祖代々から子々孫々までと長い物差しで考えてみよう。けっして笑うこともできなければ、否定をできないであろう。　だが、個々人を単位にものを考える現代社会を否定するものではない。これはこれとして、このような考え方、ものの見方を、現代社会においても、忘れずに大事にしなければならないのではないか。自分自信のことのみ汲々とせず、もっと、このような考え方、ものの見方を心に置いて、善行なるものを積み重ねることが大切なのではないか。　男女共生、自然との共生というように、共生という言葉が人の口にのぼる現今であるが、何も横の関係だけでなく、縦の関係としての共生もあるのである。我々が今このように生活できているのは何によるお蔭であるのかと。　また、大きく、人類が地球上にこのように存在できているのは何かのお蔭なのかと。（感　想）　「親の子だね」、「子を見れば親が判る」これは、良い表現の批評ではないですが、ちまたのことばでありますが、大切な教えと思います。　最近の言葉で、「ＤＮＡ」というものがありますが、科学的な分析でなく、精神的な伝承（伝統）は、日常の大人たちの行いで、子供たちへ伝わって行くように思います。　　舜の孝行の行い、周りへの配慮も含め、先人たちの教えは今の世の中でも充分すぎるほど大切な教えと思います。＊開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 19 May 2008 08:20:14 +0900</pubDate>

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<title>勇心を発する（開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」）</title>
<description>勇心を発する（開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」） 　一昨日は、娘の高校のＰＴＡ総会で、夜は、ＰＴＡ役員歓送迎会で帰りは遅くなりました。昨日は、地元のＮＰＯ法人「宇土の文化を考える市民の会」の通常総会で、事務局の仕事をしました。 今日は、毎週月曜日に紹介している、長淵道彦先生の本「開運のすすめ」の一説をご紹介します。 勇心を発する（開運に通じる改禍三綱領） （現代語訳） 　第三には、勇猛心を奮い起こすことが必要である。 　一体、人が過ちを改めないのは、その原因の多くは愚図愚図して思い切って事をなさず、しりごみしてしまうからである。だから我々は奮然として勇気を奮い起こさなければならない。そうすればこれまでのいろいろの悪事は、たとえば今日すでに死んでしまったように消え去り、今後のいろいろの善事は、たとえば今日生まれたように、生長して行くものである。もし毒蛇に指をかまれたならば、すみやかに斬り去って、少しも猶予しないように過ちを改めるべきである。急速激烈な風雷が作物に益をなす理由がこれである。 　この恥心、畏心、勇心（改禍三綱領）の三心を具えていれば、過ちのあったときすぐに改めるべきである。その速かなること春の氷が日にあたればすぐに消えてしまうようなものである。どうして消えないことを心配する必要があろう。 （読　釈） 　第三には勇猛心をふるい起こすことが必要である。人が過ちを改めようとしないのは厳しさをさけ、ぐずぐずと思い切りがわるいからである。勇気をふるい起こして改禍し善の道へ向かうべきである。そうすればその祈りの苦痛も後で喜びに変わる。言うやすく行なうはかたしであるが、心すべきである。 　（改禍三綱領）の恥心、畏心、勇心、すなわち恥を知る。畏れの心を持つ、勇気を起こす、この三つの心を身に付けていれば、過ちもすぐ改めることができ、海運によってもたらされた福も失いこともなく、そうでない人も来福への開運ともなる。重々、胆にめいじておきたいものである。 （感　想） 　改心、分かっていてもなかなか実行できない日々ですが、少しでも先人の実践を検証し、生活に活かして行きたいと思っています。</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 12 May 2008 07:09:21 +0900</pubDate>

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<title>畏心を発する（開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」）</title>
<description>畏心を発する（開運のすすめ「開運に通じる改禍三綱領」） 毎週月曜日の永淵道彦先生の「開運のすすめ」の紹介です。 （現代語訳） 第二は、懼（おそ）れつつしむ心を起こすべきである 天地の神は、天上からごらんになっており、鬼神を欺くこともできない。自分の過ちがどのように微細で人にわからぬようであっても、鬼神はちゃんと照覧しておられる。そして過ちの甚だしいものには、いろいろの災難をくだし、軽い場合は現在の福を減損する。してみるとわれらは、どうしてこれを懼れないわけにいこうか、懼れざるを得ない。 そればかりではない。平生何もしていない場合でも、心の底まで指し示すようにはっきりと知られている。それ故自分では、おおい隠すことが甚だ緻密であるから人にわかるまいと思い、また表面をかざってうまくやったと思っても、神は心の中までことごとく明らかにあらわしてしまい、ついに欺きとおすことはできないし、人に見破られてしまい、一文にもならない。それ故どうしてひきしまる思いをしないでいられようか。 また、そればかりではない。一息でも呼吸のある間はやはり悔い改めるべきである。古人で一生の間悪事ばかりしていたが、死ぬときなってすっかり後悔し、善心を起こして、ついに終わりを善くすることができたものがある。このことは、猛烈に励む一念があれば、百年の悪事も洗い落とすことができるということをいっている。 これを例えてみれば、千年も日の照らず暗く奥深い谷も、わずかに一点の燈火に照らされれば、千年の暗やみも除いてしまうようなものである。 だから、過ちは古いとか新しいとかを云うことなくただ改めることを貴ぶのである。しかし、この俗世間は無常であり、この肉体ははかないものである。呼吸が絶えたならば、もはや悔い改めようとしてもどうしようもなくなってしまう。この世にあっては、千年以上もこの悪名をうけ、もし孝行の子、慈愛深い孫があったとしても悪名は洗い落とすことはできない。また死後の世界では罪の報いの堕ち沈んで、その責め苦に堪えられないことになる。それをどうして懼れないでいられようか。 （読　釈） 第二は、おそれ慎む心を起こすべきである。どんなにその過ちが小さくて人にわからなくても、必ずどこかで暴露されるものである。自分は要領がよく、表面を飾ってうまくやっているつもりでも、自分自身も人も、だまし通せるものではない。 生きている限り反省し、善の心を起こし過ごすべきである。俗世間は無常であり、命には限りがある。人は棺を覆って後に価値が定まるといわれるように、死んだ後には悪名も洗い流すことができないものである。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と言うではないか。 （感　想） 「一日三省す」の言葉ではないですが、常に自分の行動を謙虚に反省し、嘘偽りがないか、周りに悪影響がないか、心のわだかまりもふくめ、監視することが必要と思います。 思いで突き進んでいる時は、なかなか自分が見えなくなります。そんな時こそ「忙中に閑あり」の心のゆとりを思い起こし、多忙な中にこそ、反省する気持ちを思い起こすことが重要と思います。 きびしい環境に耐え、多忙に心を忘れず、閑なときも悪事を思わず、激せず、騒がず、競わず、驕らずに、常に自分を忘れないようにしたいものです。 その根底にあるものは、「志」ではないかと思います。 ＜コミュ＞ ・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳） http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451 ■＜遺失物＞400万円届けず着服、53歳男逮捕　福岡（毎日新聞05月04日） http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478668&amp;media_id=2 ■吉兆・食べ残し使い回し、20年以上前から…関係者証言（読売新聞05月03日） http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=478642&amp;media_id=20 </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 05 May 2008 07:44:04 +0900</pubDate>

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<title>恥心を発する (開運のすすめ) 「開運に通じる改禍三綱領」</title>
<description>恥心を発する　(開運のすすめ) 「開運に通じる改禍三綱領」　毎週月曜日の開運のすすめの第二弾、改禍三綱領から、 （現代語訳） 　いま、福を得て禍から遠ざかろうと思うならば、善を行うことを論ずる以前に、まず過ちを改めることをするべきである。その過ちを改めるためには、まず第一番に恥を知る心を起こす必要がある。 　思うに、古（いにしえ）の聖人賢者は、やはり我々と同じように一人の人間にすぎない。それであるのに彼の聖賢はどうして万世の師表と仰がれることがあるのであろうか。それに反して自分はどうしてこの身は瓦のようにつまらなくだめになるのであろうか。 　世俗の欲望にひたり染まってしまい、人に知られぬように悪事をはたらき、しかも人は知るまいと思って、傲然といばりちらして恥じるところもない。これではまさに日に日に禽獣に堕落して、しかも自分で気付かない。世の中で恥ずかしいものは、このことぐらい甚だしいことはない。 　孟子は「恥じる心ほど人間にとって大事なものはない」といっているが、それはこの恥じる心を知れば聖賢となり、この心を失えば禽獣となるからである。この恥じる心を起こすことこそ過ちを改める機会である。 （解　説） 　幸福となり、禍いを避けたいと願うならば、善行を口にする前に自分の過ちを改めることが大切である。過ちを改めるには、まず第一に恥を知る心を持たねばならない。 　世の中で恥ずかしいことは、目の前に欲にとらわれ、人に知られず悪事をなし、しかも知られていないと思って平然としていることだ。ともすれば、そのことを自分でも気付いていない。これでは禽獣と同じではないか。すなわち、恥じる心を持てば聖賢に近づき、その心を失えば人でなしとなる。 　言うはやすく行なうはかたしであるが、この恥じる心を起こすことが過ちを改める第一歩である。心したいものである。 （感　想） 　改めることをしないことが、最も恥ずべき事の教えと思います。 　ミスを犯すのが凡人です。でも、それを気付き改心しないことは、恥ずべきことと思います。「恥心を発する」ことを、常に念頭に置いて、言動を気をつけたいものです。 ＊開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e79358.html</link>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 28 Apr 2008 12:38:37 +0900</pubDate>

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<title>開運に通じる改過三綱領「改禍とは」（「開運のすすめ」）　</title>
<description>開運に通じる改過三綱領「改禍とは」（「開運のすすめ」）　開運に通じる改過三綱領（前 書）　吉凶、すなわち福（＝開運）と禍（＝不運）とは、まず心中に兆して、だんだんに身体に表れてくる。であるから。真実の心の暑い人ほど常に福を得て、薄い人ほど常に禍に近づくことになる。卑近の心の厚い人ほど常に福を得て、薄い人ほど常に禍に近づくことになる。卑近なことにとらわれる俗眼にはなかなか分かりにくいものである。　改過とは過ちを改めることであるが、過ちも又、心よっておこり心によって改まるものである。過ちは禍（＝不運）に通じ、改過は福（＝開運）に通じる。改過の要点として、『陰隲録』では三つの綱目を挙げている。その説くところは、現代にあっても傾聴にあたし、学ぶところが多いといえまいか。＜その一＞　改禍とは（現代語訳）　春秋時代の太夫（重臣）たちが、人の言動を観察し、予測してその過失や災禍を説いているのをみると、すべて納得することができる。そのことは「左氏伝」や「国語」に書かれているものを読んでみるとよく理解できる。　およそ幸・不幸のきざしは、始め心の中に芽ざして、それから表面に現れてくるものである。真実の心の厚い者ほど、常に福が得られ、薄い者ほど、常に災禍に近づくことになる。凡俗の眼は膜が厚くなっていてこの状態が見えにくく、禍福は定まらないから、俗眼にはこれまた予測することはできないものがある。ところが至誠は天意に合するものでらるから、福がすぐに来ようとするときは、その善なるものを見て、あらかじめこれを知ることができる。禍の来ようとするときもその不善なるものを視て、必ず前もってこれを知ることができる。　春秋の時代は、古の聖人を知ることが、それほど遠くない時代であるから、その太夫たちの徳も高くその言っていることが多くあたるのはもっともなことである。（読　訳）　災難や過失をまねく過ちを改めることはやはり、善事を積むことと同じく、開運に通じることである。では、過ちを見定めるにはどのようにしたらよいのであろうか。　中国の春秋時代の重臣たちは、人の言動を観察して、その人の将来に起る災難や過失を予測したという。禍福吉凶、すなわち幸不幸のきざしは、はじめ心の中に芽ざして、それから言動となって表面にあらわれてくるからである。　しっかりとした見識が身についていない我々であるが、春秋の重臣たちに倣（なら）い、行い正しく心を平静にして、自他ともの言動をよく観察するように努めたいものである。（感　想）　何か失敗をした時、周りに迷惑をかけた時のことを振り返ると、やはり自分にその責任の多くがあるし、人との関係は相互関係（作用反作用）になっているので、どんな出来事もにも互いの責任があるように感じます。　交通事故を考えると、信号停車への追突は、別として、予防運転に気を付けてやっていると、接触せずに、「ハッ」とするところで終わる事が多々あります。予測の大事さを感じる瞬間ですが、これは自分の言動そのものの現われでないかと思うことがあります。　禍福も同様に、言動を慎重に考え、予測し、行動起していると日常の災難は、案外避けることができるのかもしれません。他人に迷惑をかけないように、自戒し、生きて行きたいと思います。＊参考資料：開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳） </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 21 Apr 2008 08:35:36 +0900</pubDate>

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<title>物の命を大切にすること「開運のすすめ」</title>
<description>物の命を大切にすること「開運のすすめ」どのようなことを以って物の命を愛惜すというのであろうか。およそ人間が人間として価値があるのは、ただこの物を憐れみいたわる惻隠の心があるからこそである。故に仁を求めるものはこの惻隠の心を求め、徳を積むのはこの惻隠の心を積むのである。周代の礼に「正月には、祭祠に供える犠牲に牝を用いてはいけない。」というのである。また孟子は、庖厨（ほうちゅう）を遠ざける。」といっている。これらはみなわが惻隠の心のそこなわず全うさせようとするわけである。それ故に、我々の先人たちに四不食の戒というものがある。それは、一、殺す様子を聞いた時にその肉を食わない。二、殺す様子を見た時にその肉を食わない。三、自分で飼っているものを食わない。四、自分に馳走するためにわざわざ殺したものを食わない。の四つの戒めをいうのである。学問をするものがいまだ肉を絶つことができなければ、まずこの四戒を守ることから始めて、段々と精進して行くべきである。このようにして慈悲の心がますます加わっていったならば、不食の戒めの範囲もますますひろくゆきわたるようになる。ただこれだけに止まらない。うごめいている虫も人類もみな同じく天から与えられた物の命である。（絹）糸をつくるために繭を煮、地を掘っては。虫を殺したりする。こうして我々の食するものの由来うぃ考えてみると、みな他のものを殺して自分を活かしているのである。また手で誤って傷つけたり、足で過って踏み殺したりするのまで数えるとどれほどあるかわからない。これらはみな殺さぬように、つぶさに防ぎたすけてやらねばならない。また殺さぬように戒めることと、生きものを放ち助けてやることとは互に裏表をなしていて大切なことである。その表の放生の話をすれば、蟻を救ってやったためにその功徳で科挙の試験の第一番で合格したもの、鹿の子をにがしてやって宰相となったもの、雀を救って三公となったもの、亀をにがしてやって諸侯となったものなどあり、これはみな殷の湯王は四方に張った網の三面を解いて、右に行こうと思えば右に行け、左に行こうと思えば左に行け、天命を用いないものだけがわが網に入れということと同じ仁の心のあらわれである。それであるから、どうして財物・飲食をむさぼる欲深い悪獣のような心をもって自分の欲をほしいままにしてよいはずかない。善行は窮（きわま）りないものであってすべてを述べつくすことはできない。しかしこれまで挙げた十箇条のことから、広く推しひろめていったならば、そのときはあらゆる徳をそなえることができるのである。惻隠の心：人をおもいやる心の切なること。惻隠の心が仁の端緒である。（読　訳）人間が人間として価値があるのは、ものを憐れみいたわる惻隠の心があるからである。だがら、平生において絶えず物の命をいとおしんで、仏教で言うところの慈悲の心を養っていかなければならない。我々の食するものの由来を考えれば、みな他の物を殺して自分を活かしているのである。我々の命は他の生き物の、命あっての命なのである。単に人間の命に限定した小さな物差しで考えるなど以ってのほかである。善行の種類や方法を限りなくあるが、ここの挙げた十箇条を推し進めて行けば、あらゆる徳が身に付き、引いては開運に通じることとなる（感想）　これまで挙げた善行の進め十箇条を、何度も読み返し、さらに自分の言行を反省し、自分自身を善導することに気を配ることと思います。　みなさまにとって、説き出会い、良き交流が、人生を豊かにして行くと願っています。　＊参考資料：開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）＜コミュニティ＞・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451　開運のすすめ十箇条を掲載しています。ご一読頂ければ幸いです。・心を育てる言葉　http://mixi.jp/view_community.pl?id=1186424　先人の色々な訓示･教示を掲載しています。＜以前の日記＞・（金本選手二千本）どんな仕事にも自分の搭をつくろう・（「人権の環」拡大）聖火リレーの中止求める電話殺到</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 14 Apr 2008 10:35:12 +0900</pubDate>

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<title>年長、目上を敬い重んずる「開運のすすめ」</title>
<description>年長、目上を敬い重んずる「開運のすすめ」 尊長を敬い重んずる 尊長を敬い重んずるとはどのようなことをいうのであろうか。 それは、家にいるときは父兄、国においては君主を始めとし、およそ年老いたもの、徳の高いもの、位の高いもの、学識の高いものなどに、みな心をつくして仕えるべきである。家に在って父母の側に仕える場合には、深く親をいとおしみ、容姿をやさしくし、声を和らげて気をおちつけてへいくだる。その習慣がやがて性質となって父母にやさしく仕えられるようになることである。これすなわち、柔和の気が天に合致する根本である。 また、君につかえ一つの仕事をする場合にも、主君が知らないからといって、自分勝手に行ってはいけない。また、一人を罰する場合にも君主が見ていないからといって威張りちらしてはいけない。主君に仕えることは天に仕えるようにしなければならぬとは、古人の正論である。このようなことは最も陰徳（ひそかに行う善行）に関係が深いことである。 試みに忠孝の家についてみれば、その子孫の長く続いて隆盛ではないものはない。このように考えればよくよく慎み勉めなければならない。 （解説） 尊長を敬うということは家の中では両親をはじめ年老いた人を敬い、世間では目上の人に礼を失せぬようにすることである。このような習慣をつけると次第に行動を柔らげることができ、自然の摂理である天の理と合致するようになる。 このような言説を現代人は笑うべきではない。傲慢な若者が年寄りを叱りつけている図などどうであろう。やはり、目をそむけたくなるものである。 また、人が見ていないからといって、わがままな振舞いは慎むべきである。威張り散らすなどは似ってのほかである。　 （感想） 身内、職場とは、どうしても感情が先に出たり、ついつい言い過ぎたりするものです。でも、人としてしては行けないこと、年長者を敬う事、部下をかわいがる事、導く事を常に念頭において、自分を省み、行動をして行くことが、人望を集める結果につながる教えと思います。　 年寄りを叱りつけている図 → 目をそむけたくなる わがままな振舞い → 似ってのほか 色々な場面（風景）を見て、良い印象ではないなと思うことは、しないことが大事ですし、それを子が見ていると、子が大人になった時に、同じ風景を見る結果になると思います。 「習慣をつけると次第に行動を柔らげることができる」 日々の行動で示す、習慣こそが大事なことと思います。行動で示す「教示」こそが教育の本筋かもしれません。それこそ、家を隆盛に保つ知恵なのかもしれません。 ・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳） http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451 </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 07 Apr 2008 00:06:42 +0900</pubDate>

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<title>（長期の眼力）正法を護持する～『開運のすすめ』に学ぶ～</title>
<description>（長期の眼力）正法を護持する～『開運のすすめ』に学ぶ～毎週月曜日の永渕道彦著（『開運のすすめ』に学ぶ）の教えをご紹介しています。～何代にもわたる万世という長さで考える～ （本文） 正法を護持するとはどのようなことをいうのであろうか。 法とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである。この正法がなかったらば、我々はどうして天地に近づき、天地の仕事をたすけることがでようか。どうして万物を造りだすことができようか。 どうしてこの世の塵俗（じんぞく）を抜け出し、世間の束縛から解き放されることができようか。どうして世を治める俗界を離脱することができようか。 そのようなわけであるから、およそ聖人賢者の霊廟とか、聖人賢者の書物などは、正法を教えた人を祀ったところ、正法を伝えているものであるから、これらを見たならば、みな尊敬し重んじてこれを大切にし、正法を正しく伝える努力をしなければならない。 正法を発揚し、上は天恩に報いることができるようになるには、しっかりとなお一層の勉強努力をしなければならない。 （解説） 　物事への見方や考え方を大きな物差しにしたらどうであろう。短い個人単位の長さでなく、何代にもわたる万世という長さで考えるのである。ここで言う法とは生きていく上での教えのことである。 「法（生きていく上での教え）とは万世にわたって人間の眼目のように最も大切なものである」とは何も古めかしい言いぐさではないのである。 そこで、個人単位の小さな物差しで考えるのでなく、人間が生きていく上での正しい教えを聖人・賢人の書いたものや話など尊んで学んではどうであろう。 その学び得たことを正しく伝え、また実践に努めてはどうであろう。このような勉励努力はまさに、子々孫々である人類への貢献であり善行であると言わねばなるまい。 （感想） 　今、国会はガソリン税の存続で、右往左往していますが、この税制を近視眼的に見ると、地方の交付税が激減する、道路財源が無くなると等、色々意見はありますが、もっと視点を、50年先、100年先、200年先を見て、子孫の生活環境をどうするか考えると、だいぶ見方が違って来るものです。 　 　地球時代は、気候変動、温暖化防止に科学者の死力尽くした示唆を求めています。その方向は、北欧を中心とする地球環境保全から、再生へ大きく舵は切られました。 　アメリカ・インディアン（原住民）のことわざに、「７代先を考えて生活をしなさい」とあると聞きます。現代の一世代サイクルを30年とすると、約200年先ということなります。 　現代人は、その先人の知恵に程遠い、「自分さえ良ければ良い」の発想が中心と思います。先週の8人殺傷事件、駅の突き落とし事件、自分さえ良ければ良い発想と思います。 ＞何代にもわたる万世という長さで考える　 現実を充実させることはもちろんですが、少しの思考を次に世代、次々世代、さらに200年先の世界を考えて、行動する事が必要な教えと思います。 これからは、一人ひとりが未来の世代のことを考えて、日々行動して行くことが大事と思います。視線を、長いスタンスの目標（長期の眼力）を持って、生きることが必要と感じています。地球は有限、子どもたちの夢は無限、その両方を実現できる世界を作る必要があると思います。 余談が長くなりました。 ・開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）   http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 31 Mar 2008 06:30:56 +0900</pubDate>

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<title>財を喜捨して福を得る（開運の進め『陰隲録』に学ぶ）</title>
<description>財を喜捨して福を得る（開運の進め『陰隲録』に学ぶ） （本文） 財を捨て福を得るとはどういうことをいうのであろうか。 それは、仏教で言えば、いろいろな修行があるが、その中でも貧者に物を施し与える布施の行が第一に大切なものである。いわゆる布施とは、ただ捨の一字に帰するのである。 惜しくなく喜捨するのであって、仏法に達した人は内がわが身の六根をも捨て去り、外は心性をけがす六種の色欲の色声香味触法も捨て、すべての縁によって会ったもの、人のためにする善行の徳一切を捨て去り、何物もおしまないのである。 いやしくもいまだ一切の欲望を捨て切れないならば、まず財産から布施をすることである。世上の人というものは、衣食を以って命としているから、その衣食を得る財産を最も大事にするものである。したがって自分がこれを捨て去ってしまえば、内は自分のおしみ貪る気持ちを破り棄てることができ、外は人の急を救ってやることができる。 このことは、始めは努力しなければならぬが、終わりにはゆったりとして容易にできるようになる。このようにしていくと私情を洗い浄（きよ）め、物に執着しおしむ心を除き去ることができるのである。 （解説） 人は物に執着すればするほど欲望が強くなる。 だが、この執着を払拭する「金持ちの貧乏人、貧乏人の金持ち」ということわざもある。金持ちがその身にいくらお金を持っていても、心に足ることを知らずにおれば、貧乏人と同じことであり、たとえ貧乏人であっても心に足ることを知り、常に満足の境地におれば、金持ちと変わることはない、という意味であるが、この爽やかな気持ちを大事にしたいものである。 仏教にいろいろな修行があるが、第一に大切なものとして貧者に物を施し与える布施の行がある。これは、物でも、お金でも、人のために尽くすことでも、自分の惜しむ心を捨てることであり、実践の行であるが、これによって、心が洗われ執着する心を除き去ることができるというのである。 仏教者のみならず、けちけちしない、私情を捨てた、このような爽やかな心持ちの善行こそ心掛けるべきであろうし、開運による福がこのような善行の人にやって来ないはずがないではないか。 （感想） 　最近、ＣＳＲとか、社会貢献、あるいは、企業市民なることが流行っているようですが、見せ掛けだけに、奉仕活動や、ボランティアでは、真の布施とは言えないように思います。 　積善の考えの中で、誰に認められなくても、地道に続けている人こそが実践者とありました。人の喜びが、自分の喜びに感じられるような、生き方を見つけられたら良いなと思います。 ＊開運のすすめ～『陰隲録』に学ぶ～（永渕道彦訳）   http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451＜以前の日記＞ ・（教育再生）これから求められるのは人間力 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753040545&amp;owner_id=2182841・(ＰＴＡ廃止)杉並区立和田中。(形骸化)市町村教育委員会の存在意義は？  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=753521310&amp;owner_id=2182841</description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Mon, 24 Mar 2008 06:25:12 +0900</pubDate>

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<title>大利を興こし建てる（開運の進め『陰隲録』に学ぶ）</title>
<description>大利を興こし建てる（開運の進め『陰隲録』に学ぶ） 大利を興こし建てるとはどのようなことをいうのであろうか。 それは、小にしては、一つの村里のうち、大にしては一邑一国の中で、およそ人の利益となることがあったならば、よろしく全力をつくして興し建てるべきであるということである。 それには、あるいは溝を掘って水利をよくすることもあり、あるいは堤を築いて水害を防ぎ、あるいは橋や道路を修理して旅行者の便利をはかり、あるいは茶碗を施して、喉の渇いたものをいやしてやり飢に苦しんでいるものを救ってやるなどし、その折り折りに応じて勤めたり、導いたりしてやり、また、みなと力をあわせて建造築造をなすということである。 そのために人から疑いを受けるようなことがあったとしても避けてはいけない。 身の苦労をいとったり、人から怨まれることも逃げてはいけない。ただ一途に人のためになることは、これを実行するべきである。 （解　説） 　世のため人のために利益となることがあるなら、全力をつくして実行するべきである。たとえ偽善と言われ、陰口をたたかれ、よしんば妬まれ、怨まれるようなことがあっても、途中で放り出すようなことをしないで、世のために人のためになるならば、一途に実行しなければならない。そして、その行為は真心から発するものでなければならない。 　 　利益追求の民間会社などで企業活動をする人においても、世のため人のための利益を考えなければならないことはもちろん、役人として公共の仕事に携わったり、政治を志したりする人にとってもは、殊に、このことは強く留意すべきである。 （感　想） 　大事業を行うことは、強い思いと地道な準備が必要と思います。当初は、周りは冷やかな目で遠巻きに見ているのですが、段々成功が見えて来ると、だんだん近づき最後は、自分が主のように振舞う人たちも出て来ます。 　そんな時、成功はみんなで分かち合い、名誉・利益を独占しないような結末が望ましいと思います。 　 佐藤一斎の教えに、「利益は天下の公共物」があります。（現代語で） 「利益は万民が共有するものだから、利を得ることは悪いことではない。ただし、利益を自分ひとりで独占しようとすると、他人の怨みを買うことになってしまう。」 司馬遼太郎氏の本にあったのですが、大事業は８割の成功が見え、結果は自然に成ると思ったときは、最後を閉めたい人に任せたが良いともありました。 いずれ、誰がその事業を計画・準備をし、推進して来たか分かるものです。 成果を独占せず、利益を得る人たちと分かち合うことが良識かもしれません。 ＜関連コミュニティ＞ ・菜根譚（さいこんたん） 　http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909 ・論語の言葉 　http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660 </description>
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<category>開運のすすめ『陰隲録』に学ぶ</category>
<pubDate>Sun, 16 Mar 2008 21:37:01 +0900</pubDate>

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