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<title>宇土・親子論語教室</title>
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<description>宇土市で始まった、親子（大人と子ども）で論語の素読と、教えを学ぶ教室。そこで学んだ言葉を紹介します。『論語』 『大学』『中庸』『孟子』『菜根譚』等説明 　ほとんどの日本人は、「論語」と言う言葉を聞いたことがあるとおもいます。しかし、中身に関しては、深く知らないと感じます。私もそうですが、日々の生活の中にその思想は深く根付いていると言われます。 [影響を受けた人物] 聖徳太子、菅原道真、二宮尊徳、佐藤一斎、梅田潜庵吉田松陰、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一、安岡正篤、木内信胤、他。『教室の開催日』毎月第一土曜日、午前１０時から、『会場』熊本県宇土市の中央公民館（宇土市民会館前）</description>
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<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 07:21:09 +0900</pubDate>
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<title>（西郷隆盛遺訓）克己心、天を相手にせよ</title>
<description>（西郷隆盛遺訓）克己心、天を相手にせよ　今年は、NHKの大河ドラマ「篤姫」がヒットして、これまで幕末に興味の無かった人たちも明治維新の意味を考える機会なっていると思います。　その偉人たちの中でも、威光を放つ偉人の一人は「西郷隆盛」では無いかと思います。西郷隆盛は、書物はもちろん文も、当時流行りに写真もほとんど残していませんが、明治になり官を辞して薩摩に居る時に、庄内藩の若い志士たちが学びに来た時に、西郷隆盛の講話を記録したものが「西郷南州遺訓」として唯一残っています。　その一部が「佐藤一斎　一日一話」の解説にありましたのせご紹介します。（本文）　西郷南州は「己れに克つに事々物々に臨んで克つ様にては克ち得られぬものなり。兼ねて気象を持って克ち居れよと也」と言っている。（「佐藤一斎　一日一話」現代語訳）・敬の心、弛めるべからず　敬い慎む心がやや弛んでくると、作為をめぐらす気持ちが起ってくる。そのたくらみの気持ちが起ると、名声や利益を求める心が起ってくる。そうならないように、敬の心を弛めてはいけない。（本文）　『南州翁遺訓』に「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くし人を咎（とが）めず、我が誠の足らざることを尋ぬべし」とある。（「佐藤一斎　一日一話」現代語訳）・自分を偽らない　自分自身を偽るようなことをしない。これを天に事（つか）えるというのである。　先人の生き方、考え方にを学び、敬服するばかりです。それに引き換え、現代の政治家意、企業家、教育者が起こす問題の多さに、呆れるばかりです。　失言、先送り、偽証、偽造、昇進汚職、等々・・・　先人たちの遺訓を再度学び、現代のリーダーたちに範を示してもらいたいものです。＊参考資料：「佐藤一斎　一日一話」</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Thu, 13 Nov 2008 19:30:47 +0900</pubDate>

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<title>功成り名遂げて、身退くは天の道なり（老子）</title>
<description>功成り名遂げて、身退くは天の道なり（老子）　老子の「足るを知る」の教示は、日本の生活の智恵に、今の息づいています。「足るを知れば辱（はずか）しめたれず、止まるを知れば殆（あやう）からず。以って長久なる可（べ）し」　有名な言葉ですが、人間の欲は止まる事なく、世界各地で紛争、戦争が続いています。　老子の教示の一つに、地位を何時（どこ）で退くか？　そこに人物の人間性が現れるから、上ることも大事ですが、引く時期はもっと大事と説いています。（谷沢永一編著『名言の智恵　人生の智恵』より）・功成り名遂げて、身退くは天の道なり（老子）（現代語訳）　持してこれを盈（みた）すはその已むに如かず。  きたえこれを鋭くすれば長く保つ可（べ）からず。　金玉堂に満つればこれを能（よ）く守る莫（な）し。　富貴にして驕れば自らその咎（とが）を遺す。　功成り名遂げて身退くは天の道なり。（解　釈）　器に一杯に盛って、こぼすまいこぼすまいと心配しながら持っているくらいなら、ほど良いところで盛るのをやめる方が良い。　刃物も余り鋭利のすれば刃こぼれしたりして、長く保つことができない。　黄金や宝玉を堂に溢れるほど蔵したら、どうしてそれを守り切ることができよう。　富貴であるからといっておごれば、自然と他人から咎めを受けるようになる。　功成り名を遂げた後、その栄誉の地位から身を退ける態度こそ、天の道にかなった振る舞いである。（解　説）　刃物のそうだが、人間も往々にして切れすぎるとだめな場合が多い。知識が勝って、物事を分析しすぎたり、解説しすぎたりというのは、それを行なっている人にとっては非の打ちどころのない論理であり気分のいいものなのだが、他人にとってはそれが鼻持ちならないし、心地好くない。　だから真の智恵者は語りすぎず、会議などでもほどほどの自己主張を押さえ、参加者に考えさせる部分を巧に残し、最終的に自分の考える正しい結論を、全員の討論の結果として導き出すように智恵を払うものである。（中略）　　2,500年の時を越えた「教え」ですが、現代でも人と人との関わり合いで、十分に使える変わることのない、人の生き方『道』がそこにあるように思います。　一人ひとりが、現代に生きる人生の求道者と思います。以前の日記に書いた「六中観」の中で、　腹中書有：書とは、古典のことですが、この書は、「哲学」を表現しています。　哲学：自分が生きて行く上でのポリシー、信条、更には志と習慣（生き方）とも言えると思います。　権力を持つ地位にある人は、どう後進に譲るかを常に考えることが、最大の仕事と老子が説いています。　ただ、「やーめた！」と、日本の首相が２人続けて辞めましたが、これでは智恵の継承になつながりません。後輩たちが、どう維持・発展させる実力を身に付けるような配慮をししつつ、権限の以上をすみやかに行うか、リーダーの人格が問われる瞬間と思います。　皆様の周りの権力者（トップ）の行動を、検証してみるのも勉強になると思います。＜以前の日記＞・＜ひき逃げ＞絶対逮捕してほしい。人の命を、何と思っているのか。　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=970991810&amp;owner_id=2182841・（知行合一）実行できないことは、軽がるしく口に出さない　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=970569131&amp;owner_id=2182841&amp;org_id=970991810＜勝部徳太郎翁　語録＞ 　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3723523 「人の認めぬ努力は本当の努力でない」 「汗知らず朝寝して引く火の車」 </description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Wed, 22 Oct 2008 22:41:18 +0900</pubDate>

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<title>＜人生訓＞　人の一生は、重き荷をを背負うて　（徳川家康）</title>
<description>＜人生訓＞　人の一生は、重き荷をを背負うて　（徳川家康）一、人の一生は、重き荷を背負うと遠き路を行くが如し、急ぐべからず。一、不自由を常と思えば不足なし。一、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。一、堪忍は無事長久の基。一、怒りを敵と思え。一、勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、害その身に至る。一、己を責めて、人を責むるな。一、及ばさるは過ぎたるに勝れり。（解　説）　人生は艱難辛苦の連続という悲劇的・逃避的な人生観ではない。　人生の楽しみとか喜びは自分で掴み取るしかなく、そのためには重き荷を背負わなければならない、むしろ、その苦しみや辛い思いに耐え、自らの手でそれを乗り越え解決することこそ人生の真の喜びがあると諭している。　（感　想）　苦難の少年時代を思えば、家康の前向きな考え方に驚くばかりです。戦国で最後に、天下統一を実現し、平和な時代を実現させた武将で、政治家である家康の手腕と、我慢の一生こそ、江戸時代を築き上げた基のように思います。　「堪忍は無事長久の基」　「怒りを敵と思え」　などは、今でも重要な心掛けの一つと思います。人生、不自由を常と思うと、楽しい人生が送れるのかもしれません。＊参考資料：谷沢永一編「名言の智恵　人生の智恵」</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Wed, 08 Oct 2008 06:49:11 +0900</pubDate>

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<title>信用とは：人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること</title>
<description>信用とは：人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること（本田宗一郎）今日は、昭和・日本のエジソンこと「本田宗一郎」の遺訓から転載　 ・信用とは 　人間の生活は単独では成り立たない。さまざまな人間関係を土台として、無数の人の恩恵によって築きあげられている。個人の生活をより幸福に、より充実したものにするためには、当然この人間生活の構造を無視できない。人間関係は信義をバックボーンとして、円満に保っていかねばならないし、他人から受けている恩恵には十分応えなければならない。つまり、信用を確立することである。 　私は信用をこう考えている。ひとつは人間愛だと思う。人を愛し、人に愛されることだ。ひとつは約束を守ること。もうひとつは人に儲けさせること。つまり自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること、これに尽きると思う。 　　　　　　 （本田宗一郎「やりたいことをやれ」PHP研究所） </description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Sat, 27 Sep 2008 01:21:21 +0900</pubDate>

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<title>（小さな巨人）緒方貞子氏のパワーは「怒り」、導きは市川房枝氏</title>
<description>（小さな巨人）緒方貞子氏のパワーは「怒り」、世に出したのは市川房枝氏　今朝から、現ＪＩＣＡ理事長の緒方貞子氏の難民高等弁務官をテーマに、生い立ちから現在に至るまでの、インタビューを中心に紹介した著書「緒方貞子－難民支援の現場から」（東野真著）を読み始めて、初っ端から「怒り」の文字に、緒方氏に益々興味を覚えました。冒頭の一部を転載します。（本文）「緒方さんの行動のもとになっているエネルギーは何でしょうか？」「何だかしりませんけどね・・・・」　数秒の沈黙のあと、緒方さんは続けた。「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受けいれませんと。それはいろいろな形がひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」「そんなに難しい話じゃないんです。何かに照らすんじゃなくて、実態がということです。この１０年で私、癇癪もちになったのかもしれないけど」　そう言うと、厳しかった緒方さんの表情が不意に緩み、笑顔になった。（中略）　・エネルギーの源は、「怒り」　エネルギーの源は、「怒り」とは驚きですが、同じ質問を劇作家の倉本聡氏に投げかけた事があります。「（倉本）先生のパワーの基は何ですか？・・・」　少し考えられてから、出た言葉が、「怒りかもしれえない」と答えられました。この言葉は、倉本氏を慕って、俳優を目指す私塾「富良野塾」の後援後の座談会で、倉本夫妻が参加された時に、私が質問した事に対して返答でした。　自分をしっかり持って、世に出て来る人たちは、世の矛盾に高い関心を持っている人が、しっかり政権を検証しいているように感じます。・世界の不安定で、大きな組織に　難民高等弁務官事務所（UNHCR）は、現在、予算１０億ドル、世界１１４ヶ国、２６８ヶ所に事務所、約５，５００人が働いています。　元々は、戦前の国際連盟時代、ロシア革命、第一次世界大戦の時に流浪した難民の救済が始まりです。第２次世界戦のドイツ難民解決のためだったのが、戦後、５６年ハンガリー動乱、６０年代アフリカ紛争、カンボジア、アフガン、・・・、冷戦終了後の民族紛争、・・・、途切れることなく続いています。　国際連盟に戦地された民高等弁務官事務所は、本来３年の期限付きの組織だったそうです。いかに紛争、戦争が各地で勃発しているが理解できます。　さて、緒方貞子氏の国連での活躍には、緒方家の外交官、政治家の家系もあり、貞子氏自身の国際政治学の研究も関係してはいますが、きっかけは、女性の地位向上に一生を注いだ市川房枝氏の推挙と、強い誘いがあったと知りました。それから国連総会に毎回参加するようになり、それが縁となり国際舞台での活躍につながりました。　緒方氏が就任する以前の難民高等弁務官事務所は、苦境にありました。（本文）　実は、緒方さんが就任する前のUNHCRは組織としてかなりひどい状態にあった。二代目の高等弁務官ジャン＝ピエール・オッケは、スキャンダルにまみれて辞任。後任のトールバル・ストルテンベルグも、一年もたたないうちにノルウェーの外相に転任して組織を去った。職員の士気は落ち、財政状況も破綻の危機に瀕していた。緒方さんが選ばれたのは、日本からの資金援助の期待したからだろう、という陰口がかれるほどの状態だったのである。・初舞台、クルド難民問題　第一次イラク戦争時に、発生したクルド難民が、緒方氏の最初の仕事だった。難民は、国境を越えた人びとを想定して対応するのが、それまでのUNHCRの任務だった。　ところが、トルコがクルド難民の越境を拒み、戦禍のイラクに難民４０万人を押し戻した。UNHCRの常識では、諦めるしかない状況を、国連・国連軍の理解に奔走し、「難民の側に居るのが、UNHCRの役目」と、国境内の難民保護の決断を出し、イラクにも了解を取り、多国籍軍をイラク内に駐留させる決断し、現地へヘリで視察し、現地に自分が入り、陣頭指揮を取った。就任してニケ月の出来事でした。　その時の重要な一日の緒方氏の行動から、ニックネーム「小さな巨人」の呼び名ができた。緒方氏に人間性が良くでているので、長いですが紹介したいと思います。（本文）　前例を打ち破る形でクルド難民の救援に道を開いた緒方さんは、組織の中でリーダーシップを確立すると同時に、一躍世界の注目を集めることとなった。未曾有の事態に果敢に対処する緒方さんの行動力をジェッセン＝ピーターセン官房長は驚嘆の思いで見つめていた。「彼女が、へとへとになって現場から戻ったときのエピソードを今でも覚えています。　ヘリコプターで、高地にあるイランとトルコの国境地帯を訪れ、一日中歩き回り、次々と到着する難民に話しかけていたのです。本当に疲れきっていました。しかし午後九時のテヘランへ戻り、記者会見を開く必要がありました。多くの記者が集まっていたのです。その会見は見事なものでした。政治的にデリケートな問題についても決然として答えていきました。就任してまだ日が浅く、１２時間以上も歩き回ったあとですよ。次の日、地元紙は彼女を『小さな巨人』と称した見出しを付けました。『小さな巨人』というあだ名は、その後すっかり定着しましたよ」（中略）　以後の活動は、後日また日記に書きます。＊参考資料：東野真著「緒方貞子－難民支援の現場から」　＊緒方貞子　プロフィール　政治学者、博士論文は『満州事変と政策の形成過程』（日米で出版された）　父は、フィンランド公使　中村豊一　　母方の祖父は、元外務大臣　芳沢謙吉　　　　〃　曽祖父は、首相　犬養毅（５・１５事件で暗殺される）＜コミュ＞・緒方貞子  http://mixi.jp/view_community.pl?id=922572</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Thu, 25 Sep 2008 23:43:53 +0900</pubDate>

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<title>「君は船なり、庶人は水なり」～夢は、住んでいる人たちのもの</title>
<description>「君は船なり、庶人は水なり」～地域の夢は、住んでいる人たちのもの　今熊本は、川辺川問題に知事がどう判断を下すか大きな注目を集めている。9月2日最大に受益地である人吉市長が、「白紙撤回」を表明した。9月議会での所信表明の内容を読み、一年近く悩み、意見を聞き、考え続けた素晴らしい内容と判断に、感銘を受けました。翌日の地元氏の新生面（論説員のコラム）に、次に言葉がありました。「・・市長の発言には、球磨川を守りたいという心情があふれていた。地域をどう活かすか。その政治的判断は、それぞれのポジションで出来る事だ。　地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものである。地方分権の徹底は、政治の再生にもつながっていく。蒲島郁夫知事は、「夢」を語って知事になった。夢が夢たる所以は、そこに未来への道が広がっているからだろう。」（熊本日日新聞「新生面」）＞地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものである。心奮える言葉と思います。　地方分権が叫ばれて、１０年が立ちます。国は利権を話さず、開かれた地方自治の実現は、遠きにありと思います。　また県内の地方分権を検証すると、国よりも開かれていない県政があることを感じます。限りなく住民に近いところで自治を考えることが、住民主権、地方分権の実現に近づくと思います。民意の反映しないまちづくりほど、住民参加の達成感はありません。　中国故事の「荀子」の一節に次に言葉があります。「君は船なり、庶人は水なり」（荀子）意味は、「君子は船、人民は水」にあたると言うのものです。また、為政者の心がけ三項目も挙げています。一、公平な政治、人民のための政治を心がける。一、社会の規範を尊重し、すぐれた人物に敬意をはらう。一、賢者を登用し、有能な人物に仕事をまかせる。だから君子がみずからの地位を安泰にするためには、何よりもまず人民の信頼を得るようにつとめなければならない。要は、舟が水しだいで安定もし、転覆もするように、君主の座も人民の出方しだいで安定も転覆もする、という教えと思います。、　安倍政権しかり、福田政権しかり、民の信任こそが一番大事と、先人も説いています。　地域の夢は、まずそこに住んでいる人たちのものであり、地方分権の徹底につながると信じています。「君は船なり、庶人は水なり」は、リーダーの言動の重さを感じる言葉と思います。＊参考資料：守屋洋編「中国古典　一日一話」</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Fri, 05 Sep 2008 02:04:01 +0900</pubDate>

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<title>（急ぐ時にはゆとりをもつ）今日に必要な「理想人間像」、他</title>
<description>（急ぐ時にはゆとりをもつ）今日に必要な「理想人間像」、他　昨日、「急ぐ時には逆にゆとりをもて」なる文字を見て、ハッとした気分になりました。　８月の田舎は、お盆休みで社会活動から、数日間完全にプライベートの感謝気分をもち、親族を回る「里帰り」「初盆」「夏の成人式」等々、行事がけっこうある。でもこの時期は私とって、とても大切な時間のように思います。　休日（５日間）を取るためには、仕事を切り良く終えて、休暇に入りたいものですが、いつも上手く行きません。今年も休暇明けから３日間どたばたとして、少々お疲れモードですが、昨日くらいから少し気も楽になり、先輩で仕事仲間でもある、CGデザイナーの方との打合せで、１時間ほど色々意見を交わした。その帰りの車で開いた本「宮本武蔵の人生訓」（童門冬二著）の一節に冒頭の言葉がありました。　私には、「急ぐ時こそゆとりももて」と聞こえたように感じ、今朝は時々目を通す、産経Webの【正論】に数ヶ月ぶりに目を通しました。　文芸評論家の新保祐司氏の論文に目が止まり、一気に読み上げました。今、私がとても気になる偉人の一人、後藤新平の理念の基「自治三訣」は、やはり教育にあったと再確認できるものでした。抜粋を紹介します。（以下、検索してお読み下さい）【正論】今日に必要な「理想人間像」都留文科大学教授・新保祐司　http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080725/crm0807250248001-n1.htm～～以下、抜粋転載～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～＞「人間の教師」の喪失＞大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件は「教育」という人間の精神の根幹に関わる仕事にまで腐敗が広がっていることを見せつけるような醜態である。（中略）今回の「教育」の堕落は、日本人の精神の転落が、何かもう歯止めがきかない段階にいたったのではないかと思わせる。＞中村正直が翻訳した『西国立志編』（サミュエル・スマイルズ著『Ｓｅｌｆ－Ｈｅｌｐ』）ものである。この『自助論』ともいわれる本は、「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」というモットーにあらわれているように、勤勉、自律、倹約などの倫理を、具体的な人物を数多く取りあげて奨励したものである。＞最近、再評価の気運の高い後藤新平も、若き日に『西国立志編』を熟読した人であった。＞後藤新平の有名な「自治三訣」（人のおせわにならぬやう　人の御世話をするやう　そしてむくいをもとめぬやう）＞今日の日本人がとりもどさなくてはならないのは、独歩の「非凡なる凡人」や後藤新平の精神の基盤を作った「自治」の精神である。「理想人間像」は、「自ラ助クルモノ」に置かれなければならない。「人の御世話をする」気はなく、「むくい」は必ずもとめ、その上「人のおせわに」なるのを当然と考える人間ではなく、「自治」の人こそ、今日必要な「理想人間像」である。～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～　教職員採用汚職から、日本人の意識を検証したものですが、明治期の青年たちの志の高さと、その子供たちを教育した名も無き教師たちが居る事を知らされます。偉人を育てた人物は必ずいるもので、江戸期の斉藤一斎門下、緒方洪庵門下から、幕末維新、明治初期の活躍した青年たちがたくさん出ています。　このような私塾が、三百諸藩にいたるとこるに在ったと、歴史研究者からよく聞きます。多くの名も無き教師たちの営々として続けられた「人を育てる」無償の努力こそが、明治の日本の隆盛を支えた底力ではないかと思います。　　教師たちに必要な資質は、後藤新平たちが学んだ「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」（自治三訣）の理念を持つことではないかと思います。そして国民も、知識、学歴だけを求める教育でなく、「勤勉、自律、倹約などの倫理」を重視する教育を求める意識をもつ事が必要と思います。　　さて、冒頭の宮本武蔵の人生訓ではないですが、今日は外回り、工事現場のチェックと打合せですが、「急ぐ時には逆にゆとりをもて」気分で、時間を詰めてスケジュールを組まず、週末の金曜日ですがゆっくりと仕事をしたいと思います。　夏休みも後１０日ほど、子供たちの宿題に進み具合はいかがでしょうか。良き休日で在ります事を願っています。＜以前の日記＞・食から見た農業を考える－南部九州市長サミット「本来農業への道」  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=908189149&amp;owner_id=2182841</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Fri, 22 Aug 2008 09:50:10 +0900</pubDate>

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<title>どんなことも喜んで受け入れること～マザー･テレサ～</title>
<description>どんなことも喜んで受け入れること～マザー･テレサ～偉人の言葉より、マザー･テレサの言葉喜びは愛。喜びは、愛に燃える心の当然の実りです。喜びは、なくてはならないものであり、目に見える力の源。私たちのともしびは、愛による犠牲で燃え続けるでしょう。                         ～マザー･テレサ～喜び、感動、感激、・・・人の元気にします。そして、意欲を湧きださせるものです。心を揺り動かすような感動を日々感じられるような気持ちで居たいと思います。喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛。喜びは、人の魂を受け止めつることのできる愛の網。喜んで与える人は、最も多く与える人です。神と人々にあなたの感謝の心を表す何時版の方法は、どんなことでも喜んで受け入れることです。                         ～マザー･テレサ～マザー･テレサも心の広さと奥深さを感じます。全ての境遇を受け入れる教えは、儒教にも、仏教にもあります。今を受け止める勇気と、許容力こそが、豊かさと喜びを知る始まりかもしれません。「どんなことも喜んで受け入れること」今日の言葉の紹介でした。＊参考資料：いなます　みかこ訳「マザーテレサの日々のことば」より</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Mon, 04 Aug 2008 12:44:20 +0900</pubDate>

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<title>（風を読む）状況に応じて自分を変えろ～五輪の書～</title>
<description>（風を読む）状況に応じて自分を変えろ～五輪の書～「構へ有りて構へなしと云ふは、太刀を構ふると云ふにあらず」（五輪の書）　たとえ風見鶏と言われても自信をもてということ。日本人は、「忠」とか「誠」とか、唱えて意志を貫くことが尊ぶが、宮本武蔵の言う自分を変えろと言うのは、時代の流れ（世が望むこと）に、答えるよう自分を変化（向上）させる、あるいは答えられる能力を備えることが重要と説いていると、童門冬ニ氏の「宮本武蔵の人生訓」にあった。　日本で言う風見鶏は、利のある方向へ鞍替えする意味ですが、武蔵の言う風見鶏は、社会の要請に対して、自分を何度も変えられる鳥のこと。要は、自己変革のできる人間のことで、単に風向きに合わせて、自分の立場を考えているだけではない人間のことです。　　日本社会は、「視線（おもわく）社会」であって、「自分が自分をどう思うか」よりも、「他人が自分のことをどう見るか」が、物差しになっているように思います。以下は、童門氏の言葉を引用します。（本文）　他人の視線（言葉）を風と考えている人が多い。しかし、これは本当の風ではない。風と思うのは錯覚である。（中略）  日本人の多くが、ほとんど他人の目を気にして生きている。自分を目を信じない。そして、心の底で、自分は納得しなくても、不承不承、他人の目に従うことが多い。つまり自分を偽って生きている。だから、そういう面で苦悩が多い。　武蔵はそんなことはしなかった。彼は、あくまでも、自分に忠実に生きた。自分が自分をどう思うか、それを生きる物差しにした。　「自分自身の原則」を強くもっていかたからである。その原則を信ずる限り、他人がどう思おうと構わない。状況の応じて、自分を変質し、生き抜いていくことは、決して悪いことではないと武蔵は思っていた。　それが良いことか悪いことかを分ける物差しは、「自分が変ることが、他人の役に立つか立たないのか。世の中の役に立つか立たないか」と言うことである。（中略）　今日も難しい会議がありました。薄れている気持ちを、どう揺り戻すか、誰の意見を使い、どう活発に意見が出るようにして、参加意識を高めるにはどうしようかと、思案をしながら始まりました。不思議なことに、感じていることは「皆同じ」で、同じ空気を思いました。　私は、いつも会議に白紙で臨むのですが、参加する一人ひとりが意見を出せるように、それぞれのを意見を採用して、活性化させるかに、議長の時でなく、末席の参加の時も心掛けています。すると活動で同じ時間過ごした人達は、空気を読み、少しづつ本音が出て来るものです。　代表は、短く終わろうと言ってたのが、問題点がだんだん出てくると、早く終わるもくろみは消え、全部が真剣勝負の議論になって行きました。とても有意義な会議なりました。会議が終わってもまだ議論が終わらない、でもその会話の中身は、先を見据えた話題に発展していて、とても感激しました。　風を読み、自分を流れに乗せるために、変化させる工夫こそが、風見鶏です。ただし、決して私利私欲が入ると、その判断を誤ります。不思議なものです。  無心になり、風を読む練習を常に積むことが必要と思います。人間は、人と関わりながらしか生きて行けませんから、困難に怯むことなく、「世の中の役に立つか立たないか」を物差しに、自分を変化させ続けること大事と思いました。＊参考資料：童門冬二著「宮本武蔵の人生訓」＜コミュ＞・宮本武蔵の人生訓　http://mixi.jp/view_community.pl?id=3200969</description>
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<pubDate>Thu, 17 Jul 2008 23:41:24 +0900</pubDate>

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<title>（人物観察学）『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他</title>
<description>（人物観察学）『三国志』の諸葛孔明の人物鑑定法、他 　色々な活動をしていると、多様な人物と出会います。人と語ると人物評価の好きな人がけっこう居ることに気づきます。この人物評価は、実際に仕事の成果に大きく関わることでもあります。私自身は、人を評価を参考にはしますが、必ず自分で本人を会い、色々語り、日常の行動や発言を検証し、どんな形で付き合うか、深く関わるか、一般の方と同じように挨拶程度の付き合いにするか、日々が真剣勝負と思っています。 　偉人たちも、部下の選定に相当苦労したようで、人物評価の方法もいくつか伝えられています。三国志の英雄、諸葛孔明もまた、国家を維持するために多くの人材を登用したのだと思います。そこで『三国志』の名宰相、諸葛孔明の人物鑑定法は、次に７項目が伝えられています。 一、ある事柄について善悪の判断の態度がどう変化するかを観察する。 二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。 三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察る。 四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。 五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。 六、利益で誘ってみて、その程度清廉であるか観察する。 七、仕事をやらせてみて、命じたとうりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。 この七項目は直接には、リーダーの立場から部下を評価する手がかりについて述べたものですが、広く人物鑑定法としても、当てはまる部分が多いと思います。 また、同時代の魏の政治顧問の李克の人物評に、「貧シテハ、ソノ取ラザル所ヲ視ル」とあります。「貧すれば純す」とも言う。貧したり窮したりしたときに、その人の志が問われるのかもしれません。 また、私の師がよく言われる「これからの人材に必要な、３つの要素は、先見性、魅力・磁力、（逃げない）責任力」も大事な要素と思います。 時代を読み、近づく社会の変化を的確に感じ、先手先手を打ち出す能力。人を引き付ける魅力は、「徳」とか、「人格」とか言うのですが、志しを持ち自分を高める努力を怠らないこと。そしてもっとも大事な要素は、事件、不肖等が発生したとき、責任逃れをせず最後までかかわり続ける責任力（感）が、いつの時代でも必要と思います。 友人知人、上司部下、更には家族親族も含め、相手と自分との関係を考え、周りがより良き方向に進むように考え、人の心を読み、行動したいと思います。 ＊参考資料：守屋洋著「中国三千年の興亡にみる『将たる器』の研究」より ＜以前の日記＞ ・「開運のすすめ」張畏岩の事例 その１（開運は謙虚にあり） http://mixi.jp/view_diary.pl?id=861762230&amp;owner_id=2182841 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞（異業種交流会）∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 　日　時　２００８年７月２５日１９：００(開場18:30) 　場　所　熊本交通センターホテル３Ｆ 　講　師　渋谷秀敏氏（熊本大学大学院自然科学研究科教授） 　テーマ 「地震・雷・火事・親父－熊本で心配すべき災害－」 ＊詳しい案内は、下記にアドレスを検索下さい。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&amp;owner_id=2182841 </description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Mon, 07 Jul 2008 17:43:06 +0900</pubDate>

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<title>三島中州先哲の教え（二松学舎大学創始者）</title>
<description>三島中州先哲の教え（二松学舎大学創始者）人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある 　～二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え～ 　二松学舎大（東京都）広報誌に、山田安之理事長と全日空（ANA）の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。 　「人材育成には［心･胆･頭･技（しん･たん･とう･ぎ）］の考えを柱にしています。現代の教育は 　「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は 　・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。 　・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。 　・三番目が常に冷静な「頭」。 　・最後の「技」とは、行動することと考えています。 　現代の教育は、教科書（マニュアル）通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも 　「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方 　谷の理念と言えます。」 山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。 ＊備中松山藩：岡山県高梁市周辺、約5万石の藩、 ・山田方谷エピソードから（９歳の時の塾（思誠館）での話し）塾の訪問者が、若者と一緒に学ぶ 　山田方谷少年に対して質問をした。 （訪問者）「学問はなんのためにやるか？」とたずねると、 （方谷少年）「治国平天下」と即答し、訪問者は腰を抜かしたとか。 教育者の志（心）と指導理念で、教育環境は大きく変わることを感じます。今の教育は、知識の詰め込みと心のこもらない管理主義の教育現場では、学校への不満の表現として、卒業式で礼（頭を下げない）をしない風景を見たとき、ここまで教育環境が落ちたかと感じました。現在の日本社会にも「心の成長の足りない大人たち」が増え、不透明な世相として現れ、子供たちも感じ取り、未来を描けないのではと心配します。 　学校現場の教師や多様な分野の指導者が、山田方谷の理念［心･胆･頭･技］を理想として、学問を深め、言葉だけでなく態度「技」からも若者に学ぶことの意味を示して欲しいものです。 　これは、私自身も親として子供に見せて行かないといけませんが、自分を省みるとまだ反省することも多々あります。できることを少しづつやりたいと思っています。 余談ですが、全日空の改革は、山田方谷の理財論や陽明学の「知行合一」の考えの基、大橋洋治社長は、鬼気（危機）迫る思いで、実行していると対談の中で語られています。日本の航空業界での躍進は、陽明学をベースとする高い理想が支えているよう感じました。 さて明日の運動会、まず保護者として明日に向けた準備から頑張ります。率先垂範のさわり程度は、しないとと久々に大橋社長の言葉を読んで思いました。 </description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2008 23:18:22 +0900</pubDate>

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<title>（義務と特権）｢『武士道』解題｣李登輝著より</title>
<description>（義務と特権）｢『武士道』解題（ﾉｰﾌﾞﾚｽ･ｵﾌﾞﾘｰｼﾞｭ）｣李登輝著より　ふと寄った地元の図書館で最近気になっている言葉「ノーブレス・オブリージュ」の文字につられて選んだ、台湾の指導者だった李登輝氏の著書「『武士道』解題～ノーブレス・オブリージュ～」を読んでいます。　武士道はもちろん、戦前の日本を代表する国際人、新渡戸稲造氏が著した本のことです。李登輝氏は、戦前の台湾で日本の教育を受け、京都大学で農業経済を勉強しますが、大きく影響を与えたのは、新渡戸氏の著書だったそうです。その中で「義」について、新渡戸氏の言葉と、李登輝氏の言葉を紹介します。『義』 （Rectitude　or　Justice）～武士道「義」より、「義は、武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない。」・林子平（1738～1793、経世家）「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場所に死し、打つべき場所に打つことなり」・真木和泉（1813～1864、幕末の尊皇攘夷の指導者）「節義は例えて言わば人の身体の骨あるごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず、されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」孟子曰く「仁は人の心なり、義は人の路なり」「その路を捨てて由らず、その心を放って求むるを知らず、哀しい哉。人鶏犬の放つあらば即ちこれを求むるを知る。心を放つあるも求むるを知らず」イエス・キリスト（孟子から遅るること三百年に生まれた）の言葉「我は失せし者の見いださるべき義の道なり」（新渡戸稲造氏の意見）　私は論点から脱線したが、要するに孟子によれば、義は人が喪われたる楽園を回復するために歩むべき直（なお）くかつ狭き路である。                                     （以上、新渡戸稲造著「武士道」より引用）（以下、李登輝氏の「武士道」解題より）　「義」と言うのは、「武士道」を考えて行く上でも最も重要な観念の一つであり、決して「個人」や「私」的なレベルに閉じ込めておくべきことではなく、必ず「公」のレベルにまで高く引き上げて受け止めていかねばなりません。　すなわち、「義」というものは、もっと広い意味の「公義」という形でとらえられるべきであり、その段階にまで持っていかなければほとんど意味をなさない、と私は確信しているのです。広い意味という場合には、これはもう「武士」とか「平民」とかいった゛階級゛などには全く関係ない「人間」全体の生き方の問題となってくる。すなわち、「人類社会」全体にかかわる根本的な問題としてとらえなければならない、と思うからです。（中略）　とても崇高な精神を感じる一節で、人間の生きる目的「本分」とは何かと教えられる思いを持ちます。　戦後の日本は、「義」の心は薄れ、霧消しています。その代わりあるのが「利」でそれも、「私利私欲」が前面にして、他人の生活、命までも奪う、経済システム（社会通念）になってしまいました。　戦前、日本の教育は、戦争を止められなかった責任はありますが、明治維新以来、「公儀」の仕事の奔走した偉人たちのバックボーンに「武士道」の心があったことは間違いありません。武士の闘争心ではないく、公に尽くす精神を日本人に呼び戻すことが急務と思います。ノーブレス・オブリージュ：生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権　を理解し、無理せずにできる「社会奉仕の心」を育てる教育が必用なように思います。＊参考資料：李登輝著「『武士道』解題～ノーブレス・オブリージュ～」（2003年初版）</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Thu, 03 Jul 2008 09:30:51 +0900</pubDate>

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<title>（学問とは何か）日常生活の充実こそ大事～熊沢蕃山～</title>
<description>　今日は、後輩の結婚式で、仲間２人と一緒に参加するのですが、日ごろはあんまり会わないのですが、久々の晴の席での宴席で、梅雨の暗い気分を明るくしてくれています。 　昼食時からお酒の席、たまには良いのかもしれません。 （学問とは何か）日常生活の充実こそ大事～熊沢蕃山～ 　学問とは何か、自分自身は答えをはっきりと答えれないのですが、「日々の中にこそ学問がある」と、江戸中期の儒学者で、政治家だった熊沢蕃山が、説いています。 　昭和の東洋哲学者、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」の中に書かれた熊沢蕃山の理念を紹介します。 （本文より転載） 　ある人が、゛自分は本当の学問をしたのだけれども、どうも仕事が忙しいので、思うように学問ができない゛と言ったのに対して、蕃山先生は次にように説いておる。 　学問と言うものは自分の仕事・自分の生活を決して別物ではない。別物どころか、自分に与られておる仕事や生活をより立派に、満足にしてゆくのが学問である。だからいくらも忙しくても学問はできる、何をしておっても学問はできるのであって、せっかくの自分の仕事・生活を捨てて学問をしようなどとかんがえるのは、とんでもない間違いである。そんなものは学問ではない、学問と称するむだごとと同じ事である。 　本当の学問とは、たとえば役人なれば役人、商人なれば商人が、自分の仕事・生活に一生懸命励んで、そのために自分の心を満足させ、仕事に関する啓発をおこない、その満足、内心の信念・智慧というようなものが溢れて、生活となり、風格となる、これが本当の学問であって、詩をつくったり、文章を書いたり、いろいろな本をあさったりすることが学問ではない、ということを惇々として教えておる。（中略） 　私には、日々の生活を充実させることが大事と言うとのように聞こえます。忙しく、色々な会に参加して、人と会い、学ぶことは大切と思います。 　幕末－明治初期の陽明学者、山田方谷は、弟子の河井継之助に、「本で学び足りなければ、地域の先輩に学び、それでの足りなければ全国の識者に学び、それでも足りなければ歴史の人物に学べ」と、説いたそうです。 　しかし、陽明学者でもあった、熊沢蕃山の教えは、更に深いところを指摘しているように置思います。更に、蕃山先生は、次のように説いています。 （本文より転載） 　学問というものはまず蔵さなければならならん、出さずに自分の内に入れておかなければならん。これは見せびらかすために取り入れるかどというのは、Pedantic（衒学（げんがく））といって、本当の学問ではない。西洋人もこれを嫌います。これは何事によらずそうであります。 　つまらない人間ほど財産とか、地位とか、いうものを見せびらかします。できた人間ほど有れども無きごとしで、外に出さない。出さないのではなくて出ない。学問というものはまず蔵さなければならん。 　しかし蔵してカビは生えたり、ほこりをかぶっては仕様がないので、そこは一つ修めなければならん、整えて立派に磨かなければならん。（中略） 　日々、研鑽し、自分を鍛えることが、学問で在ると蕃山先生は説いたと、安岡先生が語っています。陽明学の祖、王陽明は、日々の生活・仕事の中で、研鑽し、自分を鍛えることを「事上磨練」と言う言葉で説いています。 　高学歴を目標とする現在の学問（学習）の考え方ではなくて、日々の生活の中で、偉人や先輩の教えに耳傾け、実践する事が一番の学問実践（研鑽）につながるのかもしれません。 　江戸後期の儒学者、佐藤一斎の言志四録の始めにある教えがあります。（現代語訳） 「学問と行うには、志を立てることより大事なものはない。しかし、志を立てることを外から無理に強制してはいけない。ただ、その本心の赴くところも従うばかちである。」 　　 　志の持ち続けること日々の実践こそが、人間を高める一番の方法なのかもしれません。 　それと、私の知り得たことをブログに書く（外へ出す）ことは、盤山先生の理念からすると、間違いなのかもしれません。少々反省する、ブログになりました。長文を最後までお読み頂き感謝します。 ＊参考資料：安岡正篤先生著書「人間学のすすめ」～熊沢蕃山～ 渡邊五三郎監修「斉藤一日一話」～『言志四録』を読む～ ＜以前の日記＞ ・ブロードキャスター打ち切り／満ち足りた先にあるのは転落 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=853123426&amp;owner_id=2182841&amp;org_id=852452330 ＜催しのご案内＞ ・２００８異業種交流会「夏の会」 　「地震・雷・火事・親父－熊本で心配すべき災害－」 　日　時　２００８年７月２５日１９：００(開場18:30) 　場　所　熊本交通センターホテル３Ｆ 　講　師　渋谷秀敏氏（熊本大学大学院自然科学研究科教授） 　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=852452330&amp;owner_id=2182841</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Sun, 29 Jun 2008 10:06:23 +0900</pubDate>

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<title>三島中州先哲の教え（二松学舎大学創始者）</title>
<description>三島中州先哲の教え（二松学舎大学創始者）  ＊再掲載人材教育の基本精神は「誠(まこと)」にある 　　～二松学舎大学創始者の三島中州先哲の教え～ 　二松学舎大（東京都）広報誌に、山田安之理事長と全日空（ANA）の大橋洋治社長との対談が掲載されました。山田理事長は、二松学舎大の創始者・三島中州氏の理念を語り、その話題から大橋社長は、三島氏の師匠である陽明学者・山田方谷先哲の教育理念について語られています。 　「人材育成には［心・胆・頭・技（しん・たん・とう・ぎ）］の考えを柱にしています。現代の教育は 　「頭」を鍛える思いが強いのですが、本当は 　・一番目に「心」が温かで真っ直ぐでなくてはならない。 　・二番目に「胆」とは、勇気や決断力。 　・三番目が常に冷静な「頭」。 　・最後の「技」とは、行動することと考えています。 　現代の教育は、教科書（マニュアル）通りの答えを覚えることが優先されがちですが、それよりも 「親孝行」といった価値観の教育が大切です。親孝行の原点は「感謝」や「誠意」であり、山田方 谷の理念と言えます。」 山田方谷先哲は、4歳から素読を始め、様々な学者・私塾で学び、人生50年の時代に33歳まで、学問を続け50歳を越えて備中松山藩の改革を指導し、明治になってから新政府の要請を断り、陽明学の中心であった閑谷学校の校長として全国から方谷を慕って集まった若い青年たちを亡くなる直前まで指導されました。 ＊備中松山藩：岡山県高梁市周辺、約5万石の藩 </description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Fri, 27 Jun 2008 00:14:19 +0900</pubDate>

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<title>幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋（ネットワーク）の達人なり</title>
<description>幕末に働いた坂本龍馬は、斡旋（ネットワーク）の達人なり生きるための学問を、命かけて実践して示した人が、坂本龍馬だったように思います。龍馬は、論語の中で出てくる、中庸と斡旋（人の世話、仲介）の実践者だったと思います。　さて、私と坂本竜馬との出会いは、２０代で司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が始まりと思います。それと海音寺潮五郎氏「幕末動乱の男たち」を読んで以来、数年間は建築の勉強で時間が空き、３３歳の時に、横井小楠先哲と松前重義先生の理念を学ぶ「くまもと地球市民塾」の参加したことで、幕末のことを勉強する事になりました。　横井小楠は、幕末の熊本で、政治思想家として活躍した方で、福井藩の財政再建、行政改革を指導し、徳川幕府の幕閣でもあった福井藩主の第１６代松平春嶽の政治顧問として、様々な改革提言を行って、維新後には、新政府の閣僚に一人として就任しますが、明治２年刺客に襲われ、命を落とします。　この横井小楠を、坂本竜馬の師である勝海舟が、「氷川清話」の中で、世に恐ろしき者が二人居る、西郷隆盛と横井小楠。もし、小楠先生の理想を、西郷が実行すれば大変なことになる趣旨の言葉で書かれています。　熊本に、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、松平春嶽、と明治の熊本の改革新政権の細川氏５人を顕彰する「横井小楠と維新群像」の銅像が建っています。坂本竜馬は、横井小楠に５度会ったといわれていますが、その対談ごとに成長して行ったことが良く分かります。　始めは、勝海舟の用事の代理として、横井小楠の私塾「四時軒」をたずねます。当時の様子を政治評論家の内田健三氏から、小楠の最後の内弟子だった内田氏の祖父内藤泰吉氏が語った話を、聞く機会がありました。「龍馬が訪ねて来て、議論始まった。控えの間で、お茶を出す用意と、小楠にもし切りつけることがあればと刀を抜く準備をして待った。話を様子が、だんだん小楠先生の理論を聞く雰囲気になり、茶を持って襖を開けた。」　当時、やっと江戸の勝海舟に弟子入りし、国や世界の在り様を勉強中だった竜馬は、小楠の改革論に聞き入ったのが良く理解できます。　　そして次は、小楠が福井に居た時、再度訪ねます。そのころは、勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允等々との交流もあり、日本状況を掴み、持論も含め小楠とやり取りをしたそうです。まだまだ、小楠の政治理論に学ぶところが多く、師の一人として見ていたようです。　最後に、勝海舟と一緒に長崎から帰る時、熊本へ寄り、海舟の変わりに支援物を届けたときには、薩長連合が出来上がる直前だった時期ですが、当時の小楠の構想は、小楠に縁のある藩の連合で倒幕だったようですが、既に龍馬の構想は、元は敵だった薩摩と長州をくっつける構想を持っていたようで、小楠との別れ際に「我々が実行することを、先生は高みから、見物していてください」の意味の言葉を語ったとあります。その後、龍馬は、薩長連合を組み立て、倒幕のため京都へ向わせます。　しかし、当の竜馬自身は、もっと違う世界を見ていたように思います。竜馬を顕彰する時に良く出てくる『世界の海援隊になる』という発想に表れていたように思います。　東アジアへの西洋列強の進出と植民地化、世界貿易を円滑にするために、働く応援団、その後を継いだ三菱の創始者の岩崎弥太郎の行動が、それに近いのかなと思います。岩崎氏は、「海援隊→亀山社中」に所属していたことは良く知られていますが、国と国をつなぐ仕事が「世界の海援隊」と私は、勝手に想像しています。　奇しくも、龍馬は、狂剣に命を取られますが、その精神は今での多くの人々の心を捉えています。その生涯を見て、私の考える龍馬は、脱藩後にやった大きな仕事は、人と人をつなぐ仕事を積み重ねが、明治維新の場で、大きな功績につながったと思います。　確かに、「船中八策」は有名ですが、小楠の弟子だった福井藩の由利公正も同じ理論を持っていたと歴史書で読みました。福井に行って、小楠との意見交換時に、勉強熱心だった由利が、同席しないことはなかったとは思えません。龍馬は、人と会い、学び、成長し、更に、人物を求めて行く中で、日本の未来（ビジョン）を勝海舟と画いたではないかと考えます。　坂本龍馬は、誕生日と亡くなって日が同じとドラマチックなのですが、天が幕末・維新、活躍する人々をつなぎ、協力させるために使わした志士の一人だったと思います。　龍馬の一生は、人と人をつなぐ仕事「斡旋」を、幕末やり続けたことではないかと思います。その目的は、自分が維新後の閣僚になるとかではなく、世界貿易をするには、日本が変わらねば自分の夢が叶わない、今は、この幕府を倒し、新しい日本を作る必要があることを認識して、最良の方策「大政奉還」と言う発想を生み出したと思います。　そんな思いから、坂本龍馬は、「斡旋の達人」だったと思っています。　私欲を捨て、公にために働いた方は、この龍馬と、明治・大正期に活躍した新渡戸稲造氏ではないかと思います。新渡戸氏は世界平和のために、龍馬は新日本のために賢明に働いた偉人と思っています。                                    不知火龍馬会  会長　野口修一＜コミュ＞・不知火龍馬会（熊本）　http://mixi.jp/view_community.pl?id=773071すみません、コモンズ・くまもと、にも同じ内容のものを載せました、ご容赦下さい。</description>
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<category>偉人</category>
<pubDate>Sat, 24 May 2008 18:56:52 +0900</pubDate>

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