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<title>宇土・親子論語教室</title>
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<description>宇土市で始まった、親子（大人と子ども）で論語の素読と、教えを学ぶ教室。そこで学んだ言葉を紹介します。『論語』 『大学』『中庸』『孟子』『菜根譚』等説明 　ほとんどの日本人は、「論語」と言う言葉を聞いたことがあるとおもいます。しかし、中身に関しては、深く知らないと感じます。私もそうですが、日々の生活の中にその思想は深く根付いていると言われます。 [影響を受けた人物] 聖徳太子、菅原道真、二宮尊徳、佐藤一斎、梅田潜庵吉田松陰、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一、安岡正篤、木内信胤、他。『教室の開催日』毎月第一土曜日、午前１０時から、『会場』熊本県宇土市の中央公民館（宇土市民会館前）</description>
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<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 07:21:09 +0900</pubDate>
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<title>（性格が要因）成功の条件、失敗の条件　～菜根譚～</title>
<description>（性格が要因）成功の条件、失敗の条件　～菜根譚～（現代語訳）　事業を成功させ、功績を立てるのは、たいてい、素直で機転のきく人物だ。　事業を失敗させ、みすみすチャンスを逃すのは、きまって、強情で融通のきかない人間だ。（解　説）　むろん強情で融通のきかない性格でも、事業を成功させることはある。ただし、失敗させる可能性も高いと言うことであろう。これに対し、素直なタイプは周りの者から目をかけて引き立ててもらえるので、成功する可能性が高いということになる。　　歴史上の人物を例に取にとって、成功の条件、失敗の要因を調べてみても、本人の性格に基因している場合が少なくない。『左伝』も、「禍福ハ門ナシ。タダ人ノ招ク所ナリ」と記している。（感　想）　今年は、色々なことがありました。特に、秋の催しでは、数日前や前日、更には当日とハプニングが幾度となくあり、多くの人が絡むシンポジムでは、良くあるとは言われますが、そこでどう対応するかが、世話人（事務局）の機転と、参加者への対応と思います。　型（形にはめる）にこだわらず、変化する状況にどう対応するかが、裏方をするものの心得のような気がしてなりません。今日の教示は、物事の成敗には、性格がかなり影響するとありました。私は、関わる人には言い訳になるのですが、「（結果の）出来ただけで充分」と気持ちを持つこと、ただし、直前まで、また当日も最大の工夫を怠らない、努力を続けることが大事と思います。　ハプニングは、自分を鍛えるために仕組まれた、天の教えと思えば、そうそう怒る気持ちにもなりません。熊本弁に、「出来たしこ」（足るを知る）の気持ちで、今年の残り少ない月日を過ごしたいと思います。＊参考資料：守屋洋編著「新釈　菜根譚」＊イベント：１１月２８日（金）異業種交流会「秋の会（望年会）」　　　　　　１２月１３日（土）国際子育て討論会「日本VSアフリカ」</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Wed, 26 Nov 2008 14:30:27 +0900</pubDate>

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<title>実行の時は、利害を度外視せよ（菜根譚）</title>
<description>実行の時は、利害を度外視せよ（菜根譚） 　昨夜、先輩から厳しい詰問が来ました。色々活動をしていると、違った視点、意見はありがたいものです。やはり、先人の教示、先輩の言葉はありがたいと思います。 　 　菜根譚の教えに、次に言葉が有ります。 ・実行の時は、利害を度外視せよ （現代語訳） 　議論をするときには、第三者の立場に身をおいて、十分に利害得失を検討してかからなければならない。 　実行するときには、当事者として、個人の利害得失を度外視してかからかければならない。 （本文、解説） 　新しい仕事を始めるときには、十分に議論を尽くして検討を加えなければならない。何を検討するかと言えば、利害得失である。あの『孫氏』の兵法も、「智者ノ慮ハ、利害に雑（まじ）ウ」と語っている。 　ものごとにはすべて利と害の両面がある。その両面を検討し、さてどうするか決断するのが智者なのだという。ただし、実行にさいしては、「こうすれば自分の利益になる」とか「こうすれば不利益になる」とか、そんなことはいっさい念頭におくな、というのである。 　ボランティアとは何か、有償・無償、立場は違えど地域の豊かさを目指す活動に関わって行きたいと思っています。 ～イベント情報～興味ある方は、下記の催しにご参加ください ＜ご案内＞（男女共同参画）「夢を形にする起業塾」セミナー 日　時　　１１月２５日（火）１０：００～１７：００ 場　所　　熊本県立大学総合管理学部・第１４教室 参加費　　無料 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=987134761&amp;owner_id=2182841 ＜ご案内＞２００８異業種交流会「秋の会（望年会）」 ・易をビジネスに活かす「開運のすすめ～出会は大事～」 日　時　２００８年１１月２８日１９：００(開場18:30) 　場　所　ホテル法華クラブ熊本、８Ｆ会議室 　講　師　永淵道彦氏（筑紫女学院大学教授） 　　　　　テーマ　易をビジネスに活かす「開運のすすめ～出会は大事～」 　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=989387093&amp;owner_id=2182841 ＜ご案内＞子育てトーク　 日　時　　１２月１３日午後１３時から、 場　所　　（熊本市）県民交流館「パレア」 ～日本（野口）、ジンバブエ、ウガンダの子育て論議～ 参加　無料、　　主催：ユニセフ熊本支部 　http://mixi.jp/view_diary.pl?id=987497965&amp;owner_id=2182841 </description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Sun, 23 Nov 2008 08:14:02 +0900</pubDate>

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<title>天といえども(菜根譚)</title>
<description>天といえども(菜根譚)（本　文）　天、われに薄くするに福をもってせば、われ、わが徳を厚くしてもってこれをむかえん。　天、われを労するに形をもってせば、われ、わが心を逸にしてもってこれを補わん。　天、われを厄するに遇をもってせば、われ、わが道を亨（とお）らしめてもってこれを通せしめん。　天かつわれをいかんせん。（意　訳）　もし天が私を冷遇しようというのなら、私は自分の人格をみがくことによって幸福をかちとろう。　もし天が私の肉体で苦痛を与えようとするならば、私は心の平安によって免れてみせよう。　もし天が私にさまざまな障害を与えて人生を妨げようとするならば、私は真理の力によってこれを通り抜けてみせよう。　天といえども、こんな私をどうすることもできない。（感　想）　ガンジーのように、境遇に打ちのめされるのでなく、志をどう全うするか、試行錯誤を常に忘れずに、実行する事が大事と思います。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Fri, 21 Nov 2008 22:16:02 +0900</pubDate>

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<title>＜教育と学校＞全ての人を正しい道につかせるには（菜根譚）</title>
<description>＜教育と学校＞全ての人を正しい道につかせるには（菜根譚） 　今日、３時の休憩時間を利用して人を待っている間に、以前に買った本で司馬遼太郎氏「八人との対話」で、大江健三郎氏と「師弟の風景」と題したものがありました。師とは、吉田松陰、正岡子規のことについて討論したものです。 　吉田松陰は、幕末の長州で「松下村塾」を主催した人。正岡子規は、句集「ホトトギス」を主催した人。両人とも若くして世を去るのですが、後輩たちの活躍で大きく世に知られる事になります。 　現代日本の教育に危機感を覚える人たちも多いと感じます。教育改革、教育立市、中高一貫、小中一貫、色々模索は続きますが、なかなか成果が見えません。 　吉田松陰の「松下村塾」は、約２年の短い間の出来事でした。幕末、維新の英傑が続々と出てきます。これは、座学だけでないことは周知のことですが、一人ひとりの個性に合わせた教育方針、生徒へ熱いラブコール、そして緊張感の中のユーモア、時代に合わせた実学（リアリズム）にある、重要な要素が「志」ではないかと思います。 　司馬遼太郎が対談の締めくくりを次の言葉で結んでいます。 （本文） 　子どもっていうのは、僕らのようなバカな子どもでも、不思議に先生の優劣、精神の高低がわかるんですね。この先生はダメだっていうのがわかる。一つの教室にレントゲン撮影機が何十個もいるわけで、そんなことを思うと、教育は人間の社会の中で一番こわいテーマですね。（以上、「師弟の風景」より、1985年7月） 　最後の節のテーマは「教育が火を噴く時期」でした。これから地方は、ますます少子化が進んで行きます。個性豊かな子どもたちをどう教育するし、地域を支える人材へ育てる（育つ）か、地方がこれからもっとも力を注がなければいけない時代にあると思います。　　 　江戸期、明治によく読まれた、中国古典「菜根譚」に、次の教示あります。 ・すべての人を正しい道につかせるには （現代語訳） 　ペテン師に対しては、真心をもって接し、これを改悛させる。乱暴者に対しては、おだやかな態度で促す。心のねじれた小悪党に対しては、人たるの道を教えて立ち直りを助けてやる。このような態度で臨めば、天下の人すべてを正しく道につかせることができよう。 （解　説） 　どんな相手でもばっさり切り捨てないで、時間をかけて更生を促すのだという。いささか迂遠（うえん）なやり方のように思われないでもないが、これで相手が立ち直ってくれれば、一番望ましい方法なのかもしれない。 　考えてみれば、これもまた日本の先人たちが実践してきた道ではないか。 （感　想） 　この教えになにも言うことはありません。 しかし、個性に合わせる教育は、期間を決めて学ぶ「学校」では無理があるのかなと思います。地方こそ、多様な学びの仕組みが必要な気がしています。 ＊参考資料：守屋洋編著「新釈　菜根譚」 ～イベント情報～興味ある方は、下記の催しにご参加ください ＜ご案内＞（男女共同参画）「夢を形にする起業塾」セミナー 日　時　　１１月２５日（火）１０：００～１７：００ 場　所　　熊本県立大学総合管理学部・第１４教室 参加費　　無料 　＜午前＞　　（１０：００～１３：００） 　基調講演　「起業するなら今が旬！」 　　～ソーシャルビジネスとは？　 　講　師　　浜砂　清（株式会社フラウ　取締役専務） 　＜午後＞　　（１４：００～１７：００） 　パネルディスカッション 　パネリスト　浜砂　清 　　　　　　　中原裕子（香り畑代表、熊本県起業塾１期生） 　　　　　　　野口修一（環境共生施設研究所理事長、異業種交流会「四季の会」主催） 　　　　　　　福田健太郎（肥銀キャピタル株式会社） 　コーディネーター　明石照久（熊本県立大学准教授） ＜ご案内＞２００８異業種交流会「秋の会（望年会）」 ・易をビジネスに活かす「開運のすすめ～出会は大事～」 日　時　２００８年１１月２８日１９：００(開場18:30) 　場　所　ホテル法華クラブ熊本、８Ｆ会議室 　講　師　永淵道彦氏（筑紫女学院大学教授） 　　　　　テーマ　易をビジネスに活かす「開運のすすめ～出会は大事～」 ＜ご案内＞子育てトーク　 日　時　　１２月１３日午後１３時から、 場　所　　（熊本市）県民交流館「パレア」 ～日本（野口）、ジンバブエ、ウガンダの子育て論議～ 参加　無料、　　主催：ユニセフ熊本支部 </description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Tue, 18 Nov 2008 08:27:06 +0900</pubDate>

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<title>（忘年会）人生に「ほろ酔いシステム」、地位は「半開程度で」</title>
<description>（忘年会）人生に「ほろ酔いシステム」、地位は「半開程度で」　日々読み返す本の一冊が「菜根譚」ですが、中国古典思想を紹介する本にも度々出てきます。　11月も中盤になると、忘年会のお誘いがちらほら来る時期ですが、酒を人生に例えたものが一つあります。以前にも書いたの思いますが、年末年始の酒を飲む機会を前に、再度ご紹介します。　花は半開、酒はほろ酔い（菜根譚）（現代語訳）　花は半開、酒はほろ酔い、ここにこそ最高の趣がある。　もし開ききった花を眺め、深酒に酔いつぶれては、それこそ醜態の限りだ。　満ち足りた地位にいる人は、ここのところに思いを至らせてほしい。（解　説）　人生のたのしみも同じで、ほろ酔いをうまく続けることだと思う。人間、とかく満ち足りたと思えばその瞬間から次のことを望んで、最後には底なし沼から抜け出せなくなっってしまうものだから、自分にはこの辺が一番居心地がいいなという格好のポジションを見つけ、そこに漂い楽しむ「ほろ酔いシステム」を採り入れるのも、一つのいい生き方だと思う。　　　　　　　　　（以上「名言の智恵　人生の智恵」より）　人間、調子が良いとついつい、有頂天になり、終わり酔い（好調）が冷めると、気恥ずかしい思いをするものです。常に自分を、自分自身で検証する目を持つことも必要なように思います。　人生に「ほろ酔いシステム」は、ほどほど、自分をうまく能力出す（発揮する）方法のように思います。でも、ここぞという時は勇気を出して、前へ出る事の忘れてはいけないと、菜根譚の中でも訓示があります。要は、バランス感覚が必要と言う教えと受け取りました。　今年の忘年会は、「花は半開、酒はほろ酔い」の気持ち忘れず、存分に楽しみたいと思います。＊参考資料：谷沢永一編著「名言の智恵　人生の智恵」</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Fri, 14 Nov 2008 17:44:51 +0900</pubDate>

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<title>服装と人格とは無関係（菜根譚）</title>
<description>服装と人格とは無関係（菜根譚）（現代語訳）　高い地位につけば、なにかとかつぎ出されるが、それはほかでもない、身につけている立派な服装のためだ。低い地位のとどまっていれば、なにかとバカにされるが、それはほかでもない、身につけている粗末な服装のせいだ。　だとすれば、かつぎ出されるのも、バカにされるのも、人格とは無関係である。喜ぶこともなし、腹を立てることもない。（解　　説）　ブランドものを身につけているからといって、中身がそれに伴っているとは限らない。むしろ逆の場合が多いのではないか。（感　　想）　隣の芝を綺麗に見えると言います。出世する同級生たちは、すごいなと思います。私にような自営業てき職能は、地位とか、権威とかは無関係なのですが、私の今の技術を教示していただいた地域の先輩建築士が、私の周りに沢山居られます。　指導料を払って教えてもらったわけでなく、日々のお付き合いの中で、学ばせていただいています。多様な生き方こそ、自分の生きるヒントと思います。教えを頂いている先輩方は、地域社会で言えば無名かもしれませんが、私たちの建築士仲間では存在感を持たれている方ばかりです。先輩たちのように、目立たず、堅実に、謙虚に自分の職能を高めて行きたいと思っています。　中身で勝負の仕事を目指して行きたいと思っています。このことにご意見、アドバイスを頂ければ幸いです。＊参考資料：守屋洋訳「新釈　菜根譚」より</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Mon, 10 Nov 2008 22:02:07 +0900</pubDate>

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<title>水清ければ魚すまず（菜根譚）</title>
<description>水清ければ魚すまず（菜根譚）（現代語訳）　汚い土には作物が育つが、澄みきった水には魚もすまない。汚いものもあえて受け入れる度量を持ってこそ君子といえる。独りよがりの潔癖は避けるべきだ。（解　　説）　水清ければ魚すまず――これに類することばは昔から諺のように使われていたらしい。「孔子家語」その他の書に、「水至ッテ清ケレバ即チ魚ナシ。人至ッテ察スレバ即チ徒ナシ」とある。後段のくだりは、あまりこまかい所まで目がとどきすぎると、人が寄ってこなくなる、という意味だ。これまた至言をいってよい。　潔癖はいいのだが、これも度が過ぎるとマイナスが出てくるのである。（感　　想）　私の（勝手に思っている）師の一人、政治評論家の内田健三先生に、数年前に聞いた言葉があります。それは、５年前に始まった内田健三氏との対論の集いに参加した政治家志望の若い青年が、「内田先生、政治家になるためには必要なことは何ですか」と、唐突に質問を浴びせました。　常に政治評論のトップに居た時期での返答は、少し間を置き出た言葉は、「人間を好きになりなさい」でした。ずっと、首相論（官邸出入り自由）を戦後から顕彰してきた方の言葉と思うと、重い意味があると今に考えて感じます。　トップは、色々な要望、要請、勧誘をありますが、何処を目指すかに決めたら、実行するためには多様な人物たちと付き合い、使い、何を言われようと、次世代の目指す社会を、どう実現するか考え、実行することが必要と思います。　これは、家族の中でもあると思います。家族は、兄弟、子ども等々で、個性も年齢も違います。これからは、個人の性格を修正するにでなく、今の存在をどう生かし、成長させるかが大人の責務であり、人生の先輩しての役割と思います。子どもは、色々間違いを起こします。それは、成長するために必要な経験と思います。　この経験を親が「汚点」とみなすか、体験として評価するか（場合しだい）で、子どもたちの受ける感情は、成長の度合いを変るると思います。＞水清ければ魚すまず潔癖過ぎるのも、度が過ぎれば人が疎遠になって行きます。何でも受け入れる度量と、コミュニケーションの利用をお勧めします。説明が長くなりました。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Sun, 09 Nov 2008 00:05:34 +0900</pubDate>

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<title>役に立たないもの（菜根譚）</title>
<description>役に立たないもの（菜根譚）ケネディの就任演説で語った有名が言葉を転載しました。＜ケネディ大統領の就任演説＞「国が諸君のために、何ができるかを尋ねてはなりません。諸君が国のために、何ができるかを考えてください。世界の友達よ、アメリカが諸君のために何をしてくれるかではなく、人類の自由のため我々が何ができるかを考えようではありませんか。」『菜根譚』に次の言葉があります。・役に立たないもの　書物を読んでも、聖賢の心にふれなければ、文字の奴隷にすぎない。官吏となっても、民衆をいつくしまなければ、禄盗人もすぎない。学問を教えても、みずから実行しなければ、口先だけの学問にすぎない。事業をおこしても、人々のためを考えなければ、つかの間のあだ花におわってしまう。（守屋洋訳「新釈　菜根譚」PHP文庫より）　またケネディは、「勇気、判断力、尊厳、献身の四つの要素を、職務で責任を果たしたか歴史上問われる。」と語っています。・アメリカ大統領選挙　オバマ氏か、マケイン氏かは、アメリカ国民が判断をするのですが、これまで１年間アメリカ国民と世界へ訴え続けてきた事を、就任後どう実行するかに対して、「職務で責任を果たしたか歴史上問われる。」と思います。　世界が注目する、アメリカ大統領選挙の行方を見て行きたいし、新しい大統領の政策実行に注目をしたいと思います。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Mon, 03 Nov 2008 22:29:09 +0900</pubDate>

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<title>人たるの道を守る（菜根譚）</title>
<description>人たるの道を守る（菜根譚） 　人としての道をしっかりと守っていれば、かりに不遇な状態に陥っても、一時のことにすぎない。権威にこびへつらえば、かりに得意の状況にあっても、長続きしない。 　道を極めた人物は、世俗の価値にとらわれず、死後の評価に思いを致す。一時は不遇の状態に陥っても、人としての道を守って生きるほうがはるかに賢明ではあるまいか。 （漢語読み） 　道徳ヲ棲守スル者ハ、寂寞タルコト一時。権威ニ依阿スル者ハ、凄涼タルコト万古。達人ハ物外ノ物ヲ観、身後ノ身ヲ思ウ。ムシロ一時ノ寂寞ヲ受クルモ、万古ノ凄涼ヲ取ルコトナカレ。 （解　説） 　人としての道は、原文では「道徳」となっている。ふつう、道徳といった場合、社会により時代によって変化していくものとされているが、ここという「道徳」とは、それとはちがっていて、一定不変のものとして前提されている。人間が人間であるための条件と言って良いかもしれない。それを守るとは、要するに、人から後指をさされないような生き方をするということであろう。 （感　想） 　菜根譚の全文を和訳した守屋洋氏の冒頭の一節は、人の道の在りかたを説いたものと思います。一時の権力にすがり、栄華、役得を得ようとする族が、その時々出てきます。 　企業であれ、政治家であれ、そも行く末は、歴史の中で評価されるのですが、平清盛の栄枯盛衰を評した「祇園精舎の金の音・・・」で始まる言葉に中に、「泡沫の夢」と言う言葉が出てきます。 　人の一生は、地球の歴史からすれば一瞬に過ぎないと思いますが、徳を持った人びとは、構成でも語られ、顕彰碑建立や、威徳を偲ぶ集いが開催されたします。 　国政にもこれまで、権力に寄り付こうとする族が現れて来ました。いずれ、それは八曲を迎えるのですが、どういう終わり方をするかが大事と思います。 　斉藤一斎の訓示にも「人間は晩年が大事」と幾度となく出てきます。人に後指をさされないように、堂々と生きて行けるように努力を怠ってはいけないと、菜根譚の冒頭の文を読み反省をしました。 ＊参考資料：守屋洋訳「新釈　菜根譚」（PHP文庫） ＜関連コミュ＞ ・ 菜根譚（さいこんたん） http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Wed, 29 Oct 2008 08:47:31 +0900</pubDate>

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<title>功績はきっちり評価する（菜根譚）</title>
<description>功績はきっちり評価する（菜根譚）（現代語訳）　功績と過失の評価をあいまいにしてはならない。そんなことをすれば、部下はやる気を失ってしまう。　好悪の感情をあからさまにしてはならない。そんなことをすれば、部下の心をとらえることができない。（解　　説）　信賞必罰をもって臨み、えこひいきしない、ということであろう。この二か条は人使いの基本と言ってよい。　三国志の諸葛孔明も、この二か条を忠実に守って部下に対し、その結果、「民ニ怨声（エンセイ）ナシ」（『三国志』）と、名宰相ぶりをうたわれた。（感　　想）　私心を捨て、実績を正しく評価する事は、なかなか難しいものです。リーダーは、常にクールに仕事ぶりを見て、結果を見て、評価を下す。ごく当たり前が、ゆがめられることがある。　その原因は、慣習だったり、噂だったり、それこそ、えこひいきでは、困りものです。兄弟でも、男と女、長男と次男、微妙な評価の違いを、注目が薄い方は、意外と気付くものです。　まして、部下ともなると、数日でその傾向を読み取る人もいて、上司の好みや志向探ってくるやからもいます。そう言うやからに掴まる（つけ込まれる）ことのないように、「好悪の感情」を出さないように気をつけ、仕事は率先垂範で、周りを導くような言動に心掛けることが必要と思います。＜MIXI　コミュ二ティ＞・菜根譚（さいこんたん）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909・論語の言葉  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Mon, 20 Oct 2008 22:54:31 +0900</pubDate>

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<title>早熟は晩成に及ばない（菜根譚）</title>
<description>早熟は晩成に及ばない（菜根譚）　桃やすももはあでやかな花をつける。だが、松や柏の常緑のみごとさは及ばない。梨やあんずは甘い実をつける。だが、だいだいやみかんのさわやかな香りには及ばない。　これで明らかなように、きらびやで短命なものは地味で長持ちするものに及ばず、早熟は晩成に及ばないのである。（感　想）　大器晩成という言葉を聞きます。また安岡正篤先生も、人生の中で晩年が大事と説いています。華々しい活躍をして、アッと言う間にいなくなれば、思い出話にも出てきません。　でもはじめは目立たずとも、地道に努力を積み重ね、晩年に活躍し輝きを出す人もいます。この人は、やはり印象に残る人物に成るように感じます。　私は、プロ野球球団を何処と決めて応援はしていませんが、個性的な輝きを持つ選手にの注目しています。例えば、以前なら衣笠選手・大野投手、現代では阪神の金本選手、工藤投手などは、素晴らしいと思います。　長くやることも大事ですが、晩年に輝きを増すような生き方が良いと、先人たちも説いています。これには、地道でたゆまない努力を積み重ねるしかありません。若くして天才とちやほやされるより、晩年に輝きを増す燻し銀の生き方をしたいものです。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Thu, 16 Oct 2008 17:33:39 +0900</pubDate>

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<title>叱責される幸せ（菜根譚）</title>
<description>叱責される幸せ（菜根譚）（現代語訳）小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。取り入ってこられるよりも、まだましだ。君子からは、むしろ厳しく叱責されたほうがよい。見放されて寛大にあつかわれるよりも、はるかにましだ。（解　釈）　小人の扱いはむずかしい。あの孔子も、「女と小人は始末におえない。眼かけてやると付け上がるし、つき放すと、逆怨みする」と嘆いている。いっそ向こうから近寄ってこないことを願いたいものである。　また、叱られるのは、まだ見所があると思われている証拠でもある。素直に耳を傾け、発憤してそれに応えたい。（感　想）　怒られているうちが゛花？゛、声もかけてもらえなくなったら、終わりとよく言われますが、人の心の留めてもらええる幸せはありますが、しかし、ねんごろに、べったりになることはよろしくないと思います。　＞小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。小人をどんな方々と見るかはありますが、一般の方々とお付き合いする時に、一目を置かれるような存在に成りたい者です。他人の意見に対して、謙虚に聞く態度こそ、一目を置かれる存在の始まりかもしれません。＊参考資料：守屋洋著「新釈　菜根譚」</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Sun, 05 Oct 2008 19:22:49 +0900</pubDate>

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<title>・善行は人目につかぬように行え</title>
<description>・善行は人目につかぬように行え（現代語訳）　悪事は人目につくほうがよいし、善行は人目につかないほうがよい。  なぜなら、人目につく悪事は害が少ないが、人目につかない悪事は害が大きいからである。また、人目につく善行は値打ちが小さく、人目につかない善行は値打ちが大きいからである。（解　　釈）　裁かれるのは小物ばかり、「悪い奴ほどよく眠る」などと言われる。してみると、表沙汰になるのは、まだ害が少ないのかもしれない。　ただし、善行は逆であって、自分だけが知っていればそれでよいのだという。人様が知ろうが知るまいが、そんなことは関係ないのだという。　できれば目立たぬ貢献を心かげたい。（感　　想）　三笠フード事件は、長い間闇中の悪事が続けられた。内部告発から発覚したとも言われる、とんでも無い悪事です。いつかは、必ず暴かれるものであるに、くり返される欲に駆られる族が後を絶たないものです。　人間、どこかに隙があるから、ふと仲間になることをあります。常に、自分の良心と向きあい、陰徳を積む努力を自然にできるようになればと思います。＊参考資料：守屋洋著「新釈　菜根譚」より＜コミュ＞・菜根譚（さいこんたん）  http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Wed, 17 Sep 2008 17:35:13 +0900</pubDate>

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<title>度が過ぎればマイナスとなる（菜根譚）</title>
<description>度が過ぎればマイナスとなる（菜根譚）（現代語訳）　倹約は美徳だが、度が過ぎれば、ケチとなり卑（いや）しさとなって、かえって正しい道に反するようになる。　謙譲は立派な態度だが、これも度が過ぎれば、バカていねいとなり卑屈となっって、なにか魂胆をかくしていることが多い。　（解　　釈）　どんな立派な徳でも、過ぎるとマイナスが出てくる。　倹約とは、ふだんは切り詰めているが、使うべきときには使うのである。それに対し、ケチは、使うべきときでも出し惜しみをすること。この違いが大きいのである。　謙譲も過ぎると卑屈になる、日本人の好みの土下座などもこれに近いかもしれない。（感　　想）　出す時には出せるお金、会合、宴会等にも、行かねばならない時は出て行くことも大事と思います。日々の暮らしは、贅沢をしてはいけないと思いますが、ケチ、ケチばかりでは、自分の心も卑屈になると思います。　お金も、行動も、ときどきの場に合わせるバランス感覚が大事なように思います。行くか行かないか、出すか出さないか、先人たちも悩みながら生きていたいのだなと、教えられます。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Sun, 14 Sep 2008 08:39:53 +0900</pubDate>

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<title>目立ちすぎぬよう心がけよ （菜根譚）</title>
<description>目立ちすぎぬよう心がけよ （菜根譚）（現代語訳）　地位はあまり上に上がらないほうがよい。登りつめると、陥穽（かんせい）が待ち受けている。　才能はひどほどに発揮した方がよい。出つくすと、あとが続かなくなる。　立派な行いもほどほどにしたほうがよい。やりすぎると、かえって非難中傷にさらされる。（解　　説）　とにかく目立ちすぎると、風当たりばかり強くなって、思わぬ消耗をしいられることになる。だとすれば、いざというときに備えて、ふだんはあまり出過ぎないほうがよいかもしれない。　ただし、こもれもまたバランスの問題であって、あまりにも存在感が希薄になっても困るのである。（感　　想）　行動の難しさと、周りに印象と期待、なかなか難しいものです。　昨日、大阪府の橋下知事が、府の教育委員会を罵倒する発言をニュースで読みました。地位ある人が、大阪府行政の両輪とも言える教育委員会を誹謗する言葉は、どうかを考えます。　立派な行いのつもりでも、度が過ぎると誹謗中傷の対象となる。よき例では、自分の戒めにしたいと思います。　解説の末尾の「あまりにも存在感が希薄になっても困るのである」を良き教示と思います。存在感を目立たず、地域の中で浸透させる努力はする必要があります。多様な催しや情報ツールを使い、信頼される一人に成れるように努力はいとわないことと思います。＊参考資料：守屋洋著「新釈　菜根譚」■＜橋下知事＞ラジオで「くそ教育委員会」学力テスト公表巡り  http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600563&amp;media_id=2</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Mon, 08 Sep 2008 08:18:45 +0900</pubDate>

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<title>自分で自分の行動をチェックする（菜根譚）</title>
<description>自分で自分の行動をチェックする（菜根譚）　昨日、日本の福田首相が突然辞任されました。　どんな思いか、どんな苦労かは、当事者しか分かりませんが、大変な決断であるし、国民の期待を裏切る行為であることは間違いありません。　食料高騰、原油高騰、年金問題未解決、景気対策等々、難問山積になのに平然と、政治空白を作り、今日はしゃーしゃーと官邸へ登庁する態度には、国家を導くリーダーの姿には写りません。　菜根譚に、次の行動指針がありました。（現代語訳）　怒りが爆発し欲情が沸騰するとき、はっきりとそれに気づいている自分がいる。また、気づきながらそのまま突っ走ろうとする自分がいる。　気づいている自分とは誰か。そのまま突っ走ろうとする自分とは誰か。ここで翻然（ほんぜん）として思いなおすことができれば、邪念はたちまち一変して心の主宰者となるであろう。（解　　説）　気づいて抑えるか、そのまま突っ走るか、心の葛藤が生ずる。これはだれしも経験するところである。そんなとき、怒りにしても欲情にしても、感情が理性に勝つと。決って結果は良くない。（感　　想）　自分と冷静に語る時間とゆとり、そして率直に意見を述べてくれる友人が大事と思います。物事は長いスタンスで考え、熟慮し、行動を起した方が難問山積に時には、周りの人々の賛同を得るように思います。　昨日の福田首相の自認前に、密室で数名の対談後の「自認劇」、これでは大平総理の後の首相決定や、国民の思いをないがしろにした自民党幹部の行為としか思えません。許せない思いを持ちます。　自民党総裁選挙は、ぜひ公明で正々堂々と公開で議論して欲しいし、もっと大事な総選挙を早く実施し、国民に信任を得たリーダーが日本を導いて欲しいと願います。＊参考資料：守屋洋著「新釈　菜根譚」</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Tue, 02 Sep 2008 20:39:56 +0900</pubDate>

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<title>むしろ愚直であれ　（菜根譚）</title>
<description>むしろ愚直であれ　（菜根譚）（現代語訳）　人生経験が浅ければ、世のなかの悪習に染まる事も少ない。経験をつむほどに、さまざまな駆け引きが身についていく。　君子は、なまじ世故にたけるよりも、むしろ愚直でありたい。バカ丁寧であるよりも、むしろ率直でありたい。（解　　説）　市井（しせい）の人ならこれでもよいが、組織のリーダーともなれば、やはり駆け引きの基本くらいは身につけておきたい。ただし、あくまでも「伝家の宝刀」として自分の胸のなかにしまっておくほうが奥ゆかしいことは、いうまでもない。（感　　想）　志と駆け引き、世にもまれれば、心揺れるものです。先人たちも様々なしがらみで、心揺るがされ、反省しこの言葉が生まれていると思います。　先人の知恵を使って、「伝家の宝刀」は表面に出さず、地道な信用の積み重ねで、組織に壷を掴み、流れを目立たずに導けるようになりたいものです。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Wed, 27 Aug 2008 23:23:16 +0900</pubDate>

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<title>道理は一歩も譲るな（菜根譚）</title>
<description>道理は一歩も譲るな（菜根譚）（現代語訳）　労せずして欲望がかなえられるからといって、うっかり手を出してはならない。いちど手を出せば、どんどん深みにはまりこむ。　道理が貫けないからといって、少しでも後ろに退いてはならない。いちど退けば、どこまでも後退を余儀なくされる。（解　説）　欲望は抑え気味にし、道理はあくまでも貫くのだという。相手の勢いに押されて道理を引っ込めたのでは、みずからの存在を否定することにもなりかなねない。道理については筋を通して行動したい。（感　想）勝海舟がよく使ったと言われる『六然』の一節に、『得意澹然』（トクイタンゼン）　得意の時はともするとうきうきして浮薄（ふはく）になりがちだからつとめて淡々たるした態度を持するようにする。　　　　　　『失意泰然』　失意のときも、ゆったりと落ち着いて取り乱したりしない。やせ我慢でもいいから、ゆったりと落ち着いていることである。向風のときも、追い風のときも、問題は自分の心をしかり維持し、道理とは何か、欲望を押さえ、一時の潮流に流されないことも大事と思います。「得意澹然、失意泰然」良きときも、悪きときも、自然体で過ごしたいものです。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Fri, 15 Aug 2008 08:18:53 +0900</pubDate>

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<title>指導者の心得　（菜根譚）</title>
<description>指導者の心得（菜根譚）　日々数名の部下、地域活動の協力者、学校での生徒等は、リーダーの行動を常に見ています。菜根譚に次の一説があります。（現代語訳）　指導的立場に在る人物は、軽々しく振る舞ってはならない。なぜなら、環境にふりまわされて、ゆったりと落ち着いた感じを失ってしまうからである。しかしながら、心には執着がああってはならない。なぜなら、外物にとらわれて、闊達自在のはたらきを失ってしまうからである。（解　釈）　重厚さがあって初めて組織に対する抑えがきく。心の執着がなくなって初めて自在の働きができる。重々しさと軽やかさ、この二つが必要なのだという。これもバランスの問題なのかもしれない。（感　想）　自分の反感を、社会活動で返して（はらして）はならないと何かの本で読みました。日々生きていると地域や、行政に事業が的を得ていないように見えることがあります。　そんな時、知恵のある人は、自分の提唱する意見と反映させるために、市民（住民）を巻き込みその実現を目指す動きをいくつか見たこと有ります。その活動が変わり、検証を終えた時に、市民の不快感を起こす原因と思います。　指導者とは、「心に執着（私心）が在ってはならない」との教えは、今でも十分に理解できる人間の生き方と思います。私利私欲の我欲行動と、社会正義を唱えた反対運動目的では、時期（時間）が経てばその真髄は、組織から漏れて行くものです。　　要は、自分地震が何を目指している明確をビジョンを持つことが大事と思いました。</description>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Thu, 07 Aug 2008 23:39:56 +0900</pubDate>

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<title>恩恵は後になるほど手厚く（菜根譚）</title>
<description>恩恵は後になるほど手厚く（菜根譚）（現代語訳）　恩恵を施すときには、はじめはわずかで、後になるほど手厚くしていくのがよい。初め手厚くして音でけずっていけば、相手は恩恵を忘れてしまう。　威厳を示すときには、初め厳しくして、後になるほどゆるめていくのがよい。初めゆるくして後で厳しくすれば、相手は厳しさに耐えかねる。（解　釈）　ふつう恩恵はだんだん減らしていくケースが多いのだが、これでは効果がなくなるどころか、相手の怨みまで買ってしまう恐れがある。　また、厳しさは必要であって、これがないと組織に対して抑えがきかなくなる。ただし、こたらのほうは初め厳しさを見せておくのがよいのだという。（感　想）　人の心の動き、欲求、評価等を検証した名言と思います。誉めればつけ上がる、けなせば落ち込む、塩水を鯛を泳がせ、少しづつ真水にかえると、真水で鯛が泳ぐと言います。慣れ、慣習は、最初の出だしが大事なようです。＞恩恵を施すには、はじめはわずかで＞威厳を示すには、初め厳しくして二つの手法を頭に入れつつ、人と接していきたいと思いました。先人の人間観察力の知恵は素晴らしいと思います。なんでも、最初に打ち出す方針が大事なのようです。参考資料：守屋洋著「新釈　菜根譚」</description>
<link>http://utorongo.otemo-yan.net/e98493.html</link>
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<category>菜根譚</category>
<pubDate>Wed, 06 Aug 2008 08:33:23 +0900</pubDate>

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