今日を懸命に生きる、朝目覚めは誕生の喜びと同じ

ノグチ(noguchi)

2012年01月05日 16:12

今日を懸命に生きる、朝目覚めは誕生の喜びと同じ

 おはようございます。今朝は、寒いですね。昨日は、子どもを山口市まで送り届け、帰りが遅くなりました。年末年始のお休みも、終わりました。今日は、1月4日気分を新たに、年始から張り切って行きましょう。

 さて、山口往復の車中で、友人の僧侶から、医者で仏教に造詣の深い方の講演のCDをいただき、聞きながら運転しました。
 テーマは「今をどういきるか」だった。例え話が良い、悪いは別として、刑務所に入って居る、2つの状況をつぶさに調べた医者のことが紹介された。
 死刑囚50人を、聞き取り調査をする中で、気づいたことが有ったそうです。関東のある死刑囚だけが入って居る刑務所に行くと、以上に明るい雰囲気に驚いたそうです。それぞれの囚人が、1日、1日を楽しむように生活して居ることに気づいた、と。
 そこで、無期懲役刑が多く居る刑務所に出向き、同様の聞き取り調査を始めると、死刑とは全く違う雰囲気に、ハッとしたそうです。刑務所のレクリエーションで、ソフトボールの試合をしたとき、ある囚人がホームラン性のビット打ち、必死走ってランニングホームランになったが、誰も拍手も歓声も無かったそうです。死刑囚人のレクリエーションでは、拍手や歓声が上がり、その違いについて考えたとのことです。
 死刑囚人の刑務所に、朝早くに調査に行き、朝の午前7時~7時半までは、何時も賑やかな刑務所が、水を打ったように静かになるそうです。これはなぜか?
 実はこの時間に、その日の死刑執行の人へ告知があると、刑務官から教えてもらったとのことです。死刑囚の人は、毎朝7時半を今日生きれるその日の始まりとして、気持ちを新たにして、毎日を過ごしていて、日々の区切りが明確だから、活気があるのだろうと、調査した医者が報告しているとのことでした。
 反面、無期懲役刑の人の無感動、無関心はなにかを考えたそうです。 無期懲役刑の囚人は、社会(しゃば)には一生出れませんが、見方を変えれば、刑の苦役は有りますが、死ぬまで食事と医療は保証されています。裏を返せば、日々の生活への感謝を覚える自覚が薄れて行き、無気力の状況になるのだろと語ったそうです。生活の完全保証に安住した人間は、怠惰になり、生きた屍になってしまうのではと報告しているとのことでした。
 その講演をした医者は、「一般の人は、日々の生活に満足せず、明日をより良きものにするために、今日の一刻一秒を無駄なく使い努力している。これは、裏を返せば一生満足を得れない向上心ではないか。諺に『人事を尽くして天命を待つ』とあるが、毎年、毎年天変地異がおこる。人間の力ではどうしようもない運命を感じることがある。仏教を学ぶなかで『天命に合わせて人事を尽くす』が正しいのではと思うようになった」と。

 私は、この講演を聞きながら、もっと上へ、もっと豊かに、もっと有名に、……、明日はもっと良くなる、良くしたいでは、一生満足する心が育たない。 
 死刑囚の生活感、「日々、生きていることへに感謝し、今日を懸命に生きる大切さ」を、私たちも、日々生きていることに感謝し、今日、この戻らない瞬間を大切に生きることこそ、天命を受け入れ、懸命に生きる(人事を尽くす)ことになるように思います。

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