常を知らざれば、妄(みだり)に作(な)して凶なり。〜『老子』十六章〜
「違った考え方を批判しあうから凶を招く」
いろんな場面、場所で、会議や話し合いがある。
知識の多い方々ほど語りが長くなる。
課題の本質を理解している人の話は、的確な言葉で短い。
講演後に、会場から質問する人の言葉を聞いていると、
"この人は何を聞きたいの?"
思うことがある。司会から、「短くお願いします」と促すと、あまり意味のない質問が始まる。
かつて、九州7県の新聞社が主催したセミナー「九州発見塾」で、私が講演後によく質問をしていました。毎年参加していたことと、コーディネーターが変わらなかったので、私が、「1分で語ります」と言って毎回やっていると、参加者もリピーターが多かったので、"またやってる!"の文句は出ませんでした。いかに整理して語るか、とても大事だと学びました。
質問には、①疑問の確認と、逆に講話の内容を、②批判する意味が含まれると考えています。
最近、色んな場面で、挨拶やコメントを聞いていて、①と②を検証している私がいるなぁ、と思っています。
冒頭の言葉は、『「老子・荘子」の言葉100選〜心がほんっとするヒント』にありました。この文の末尾に、
(以下、転載)
「常(じょう)」とは、なにか、いつでも変わらない。だれでも変わらない。昔も、今も、同じように、不変の力で働いいる力を、「常」という。(中略)
いつでも同じ、だれでも同じ・・・そういった自然の根源的な生命力、つまり「常」の力を知らないで、ただ、ひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」「ああすればプラス」「こうすればマイナス」と、違っている考え方を批判しあって毎日を送っていると、「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)を招くことになる。人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。手や足や肩や胃の働きで生きている。
(以上、本より)
以前に読んだ本に、「雄弁家ほど行動しない」「言うは易し、行いは難し」、等々、有言実行の難しさを、先人たちも厳しく指摘している。
>人間、頭で、生きていると思ったら、とんでもない。
言葉巧みで、疑問ばかり吐いていると、人から嫌われる状況(凶)に陥ることが多々起こると危惧します。
前向き意見ではなくて、逆説的な"異見"ばかりしている人の末路を指摘する老子の訓示だなぁ、と朝から学びました。