剛柔、分を守りて人格が円満 ~自警録(新渡戸稲造)~
剛柔、分を守りて人格が円満 ~自警録(新渡戸稲造)~
(本文)
心の剛柔とは、善意にも悪意にも解せられる。剛が過ぎれば剛情となり、頑固となり、意気地となる。柔に過ぐれば木偶(でく)となり、薄志弱行となる。極端に失すればいずれも悪しくなるが、度を過ぎぬ以上は、すべからく剛毅(ごうき)でなければならぬ。
自分の所信を貫徹するためには、一たび固めた決心を枉(ま)げぬ、あくまでも、左右の言にも耳を貸さずに猛進するくらいの強いところが必要である。さればといって、剛ばかりで、慈悲もなく、人情も捨て、全然柔和のところを失えば、これ他人に不幸を与うるのみならず、自分も心の全部を尽くすわけに行かぬから、常に不幸を感ずる。
剛柔が能くその分を守りその調和を保ちて、はじめて円満なる人格を作り上げる。(中略)
(感想)
これはバランス感覚を教示しているものと勝手に解釈し、原理原則はありますが、その場その場の状況に合わせ、中庸に発想からすると、リーダーが民意の落ち着くところに修練する決断が求められます。
判断が、議論で錯綜する時は、とことん話をしてもらい、集約点を探す時間が必要かも知れません。剛柔の人材が居てこそ、地域社会の活性化があり、暴走を止める機能があると思います。
*参考資料:新渡戸稲造著「自警録」から
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