(報告)歴史ウォーク~坂本龍馬が歩いた「四時軒」への道を辿る

ノグチ(noguchi)

2009年10月13日 10:16

(報告)歴史ウォークラリー~坂本龍馬が歩いた「四時軒」への道を辿る~

 昨日は、幕末の熊本から、その政治思想の先見性で、全国の志士たちに大きな影響を与えた横井小楠の生誕200年を記念して、坂本龍馬が勝海舟の使いをした史実を辿る、「坂本龍馬、四時軒への道」と題した歴史ウォークラリーの第2回を開催しました。



・県内外から200名が参加
 県内外から二百名を越える方が参加し、熊本一つ無い熊本空の下を、江戸期の熊本城下の中心だった熊本市新町から、水前寺公園を通り、横井小楠の旧居を改装した横井小楠記念館「四時軒」までの約12kmを歩く、歴史探訪のウォークラリーが開催され、私はスタッフの一人として参加しました。



・永野光哉実行委員長の挨拶
 明治初期、全国に先駆けでできた「熊本洋学校」「熊本医学校」の跡地に建つ、熊本第一高校の正門広場で開会式を行いました。横井小楠生誕200年記念事業実行委員会の永野光哉実行委員長が、開会に際し挨拶をされました。

「横井小楠の政治思想は、長く熊本では日の目を見ない時期が続きましたが、ここ10年、熊本で様々な顕彰活動により、福井や東京での評価に並ぶほど、熊本でも「小楠思想」が浸透して来ている。今秋は、横井小楠生誕200年記念事業が続き、さらにその評価が高まると期待する」

・太鼓で元気にスタート
 第一高校の和太鼓部「白梅太鼓」の演奏を聞き、全員で掛け声を発して、坂本龍馬の辿った道を、歴史の説明を熊本の郷土史家のグループが、史跡や歴史的な場所で説明してもらいながら、熊本の中心市街地をのんびり歩く、1日の催しで、家族連れ、6才~84才までの年齢幅、一人の脱落者もなく、救護の車に乗る人は誰も無く無事に終了しました。 横井小楠生誕200年記念事業実行委員会の副実行委員長の米満弘之氏(71才)も、救護と医師と参加され、最後まで歩き通されました。



・小楠神社(小楠公園)、横井小楠記念館「四時軒」
 小楠の「断髪」が祭られている小楠神社(小楠公園)に立ち寄り、目的地の横井小楠記念館「四時軒」(小楠旧居と歴史資料館)に辿り着くと、地区の「横井小楠顕彰会」のみなさんが、甘酒の接待があり、横井小楠の漢詩「大義を四海に」の複製と完歩証明書が渡され、参加者は今春、展示物が一新された「小楠記念館」を鑑賞し、坂本龍馬が横井小楠と対面した座敷に座り、当時を偲ぶ人もたくさんいました。



・龍馬「世界貿易」と、小楠「平和外交」
 坂本龍馬が亡くなって145年、横井小楠が亡くなって140年、両人が目指した火本の姿は、もう聞くことができませんが、小楠の最後の大義は「世界平和」を目指し、軍事強国ではなく平和外交を中心にした、「世界の世話役」だったと史実から理解できます。
 明治・大正・昭和初期は、戦争・戦争の歴史が積み重ねられて、悲惨な状況を日本の歴史に刻まれる結果になりました。今こそ、「核無き世界」のメッセージの中、平和外交を中心に世界の仲介役(世話役)として、非本が世界をリードして欲しいと願います。

・(龍馬の命日)11月15日「四時軒、龍馬の集い」
 坂本龍馬は、11月15日が生まれた日で、暗殺された日でもあります。龍馬の思想形成に大きく影響を与えた横井小楠の生誕200年を偲び、坂本龍馬の命日に「四時軒」に集い、先人たちの志を学び、両人が好きだった「酒」を酌み交わす粗宴を開きたいと思います。 後日、ご案内を致しますので、ご参加頂ければ幸いです。

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