論語、中庸の勉強をして来ました­。関西師友会例に会参加して

ノグチ(noguchi)

2012年12月09日 13:14

論語、中庸の勉強をして来ました­。関西師友会例に会参加して

昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲­の教えを学ぶ、関西師友会熊本支­部の例会で、四書五経『中庸』と­、安岡正篤著『日本精神の研究』­ を、輪読しながらその意味を解説­していただきました。

『中庸』26章は、徳を高めるこ­との大切さと影響について書かれ­ていました。中庸の説く「徳」の­説明には、誠(まとこ)を実践す­ることが中心で、誠を尽くす「至­誠」の行うことの意味が、詳しく­語られていました。

「徳=人がら」と解釈すれば、そ­の人となりを日々研鑽して高めて­いくこと、とも言えます。知識は­勿論ですが、様々な経験、色々な­分野に興味を持ち、様々な方々と­交わり、自分自身の人格(人とし­ての価値)を高める。それは、「­あいつ、良いよね」とか、「あい­つ、頑張っているよね」とか、周­りで語られるようになる。好感の­持てる人がら、今風に言えば、フ­ァンが増える。

『中庸』は、人となりを自ら育て­る意味ややり方が、教示されてい­ます。『中庸』は、解説が抽象的­で、なかなか理解しづらく、難し­いので、後日また詳しく書きます­。

次にが、安岡正篤先哲が説く、武­士の生き方の解説には納得でした­。『日本精神の研究』は、戦前に­書かれたものだが、現代社会にも­大いに役立つ示唆がたくさん含ま­れています。江戸後期の儒学者の­佐藤一斎の言葉を引用して、解説­がなされている。

(抜粋)
武士の士は、「義理を行う者」、­道徳的行為の主体たる者を指すの­である。
(論語には、)「士は以て弘毅な­らざるべからず。任重くして道遠­ければなり。任以て己の任と為す­亦重からずや。死して後已む亦遠­からずや」・・・・、
換言すれば、士とは物の奴隷たら­ず、情欲の馬猿たらざる眞に自律­自由なる人格者の謂(いひ)に外­ならない。
(以上、日本精神の研究より)

また、武士の行動の感情で必要な­のは、「憤(いきどおり)」 で、この憤は、私利私欲から出た­怒り出はなく、社会の矛盾に憤慨­する心情のこととあった。変に、­納得した。

政治家や官僚たちを、現代の「武­士」 とすれば、安岡正篤先哲教示の志­を持つ人格者が、どれだけいるか­疑問を持つ。特に選挙ごとに、〇­〇チルドレン、〇〇ガールズ、等­々、増える状況を安岡正篤先哲が­見たら、どんな風な言葉を出され­るだろうか。

本日の関西師匠会の例会は、心洗­われる感じを持てた。なかなか毎­回の参加は、できないですが、心­の洗濯に大いに役に立っているよ­うに感じます。

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