人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか(論語)。親は子供にとって、土である(曽野綾子)。
今朝は、明日が運動会なので、小学校は登校日なので、これからぼちぼち出かけます。
朝からパラパラ開いた本『仮名論語』に愛する意味を書いてありました。
(以下、『仮名論語』より)
子曰く、之を愛して能く勞(ろう)すること勿すからんや。忠にして能く誨(おし)うること勿すからんや。
【現代語訳】
先師が言われた、「真に人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか。真に相手を思うからには、その人を導かないでおられようか」
果たして現代の大人は、孔子先生の言われる「愛する=鍛える」「思う=導く」は、子を持つ親はどうだろう?
もう一冊『魂を養う教育 悪から学ぶ教育』(曽野綾子著)に、日本人の考え方かな、と思える一文がありました。
(以下、本より)
親は子供にとって、土である。成育の直接原因ではないが、よくも悪くも、深い影響を及ぼす。私たちは果たして子供たちにとってどんな土壌だったのだろうか。
(以上、『絶望からの出発』より)
私は、我が家の子供たちにとって、真の土壌になっていたのか、今の生き方も、将来の子供たちがその歳になった時に、どう見えるのか?
時折、振り返ることも必要だなと、思います。