人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか(論語)。親は子供にとって、土である(曽野綾子)。

ノグチ(noguchi)

2019年06月11日 18:11

人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか(論語)。親は子供にとって、土である(曽野綾子)。

今朝は、明日が運動会なので、小学校は登校日なので、これからぼちぼち出かけます。

朝からパラパラ開いた本『仮名論語』に愛する意味を書いてありました。

(以下、『仮名論語』より)

子曰く、之を愛して能く勞(ろう)すること勿すからんや。忠にして能く誨(おし)うること勿すからんや。

【現代語訳】
先師が言われた、「真に人を愛するからには、その人を鍛えないでおられようか。真に相手を思うからには、その人を導かないでおられようか」

果たして現代の大人は、孔子先生の言われる「愛する=鍛える」「思う=導く」は、子を持つ親はどうだろう?

もう一冊『魂を養う教育 悪から学ぶ教育』(曽野綾子著)に、日本人の考え方かな、と思える一文がありました。

(以下、本より)

親は子供にとって、土である。成育の直接原因ではないが、よくも悪くも、深い影響を及ぼす。私たちは果たして子供たちにとってどんな土壌だったのだろうか。
(以上、『絶望からの出発』より)

私は、我が家の子供たちにとって、真の土壌になっていたのか、今の生き方も、将来の子供たちがその歳になった時に、どう見えるのか?

時折、振り返ることも必要だなと、思います。

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