「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜

ノグチ(noguchi)

2024年10月18日 23:01

「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜

(長文です。お時間ある時にお読みください。)

朝読書で、聖路加国際病院精神腫瘍科医師の保坂隆監修『つらい時に力をくれる「こころの名医」100の言葉』にあった精神科医の神谷美恵子のページを読んだ。

(以下、本より)

 神谷美恵子は、幼年時代は、日本とスイスで恵まれた生活を送ったが、非凡な少女ではなかった。一大転機は、津田英学校(今の津田塾大学)2年の時にくる。キリスト教の伝道者だった叔父に誘われ、オルガン伴奏者として東京都の多摩全生園を訪ねた時だった。同園はハンセン病(当時は「らい病」と呼ばれていた)患者の療養施設である。20歳の娘は、強い衝撃を受けた。(中略)

 その後、岡山県の長島愛生園で過ごしたおり、ハンセン病の療養者たちに「いま望むこと」を問うた。回答者に連なるのは「ケ・セラ・セラ」「どうにでもなれ」「一番の願いはきょう一日を忘れること」。読んで通説に思ったのが「生きがい」ということだった。
(以上、本より)

人間、"生きがい"ということを忘れはど、何かに熱中している時こそ、生きているを感じるときではないかと思います。

希望の無い日々を過ごすことは、一日が辛く長く感じることと思います。

私の挑戦した「100キロウォーク」での開会式での司会の方から、身体を痛めつける「"ドM"のみなさん、最後まで歩き続けて」の言葉が頭に残っています。

しかし、黙々と歩き続けている中で、到着した気持ちの高揚感(達成感)が、終わってからじわりじわりと満足感に変わってくる。生きているということを感じる、ある意味"生きがい"の一つとみなしています。

人はそれぞれに、様々な境遇があります。気持ちの落ち込み、失業、事故、病気、等々。厳しい状況でも、希望を持つことで前へ進むことができます。

8年前、熊本地震が発生、とんでも無い混乱の状況となった。その対応に追われる最中、今度は自宅が大雨で床下深水の被害を受け、住宅以外の小屋、車庫、倉庫、敷地全域が泥で埋まりました。ほんと、その時は"どうしたらよいか?"と途方に暮れました。

しかし、人間は気持ちを切り替えると、前に進めるものだと、振り返ります。

希望があると、知恵や工夫が生まれます。そこへ、仲間の手助けが差し伸べられ、さらに気持ちが前へ向く。それから、"これから何をしよう"の思いが出てきて、生きがいとなって行くのではと思います。

『佐藤一斎一日一言』10月20日の訓示は、

(以下、本より)

人は須く快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事に在らず。

【訳】
人は心に楽しむことがなくてはいけない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。

中江藤樹は、「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、淡々蕩々として苦しめる所なし。是を真楽と言うなり。万の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」と言っている。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)

生きがいと人生の楽しみは、同じものと受け止めていますが、果たしてこれからの人生において、私の生きがい、楽しみはなにか?、今日一日考えてみたいと思いました。

そろそろ朝活の準備です。天気は回復しそうで、人間は勝手なもので、晴れると気持ちも元気なますね。

*神谷美恵子は、ハンセン病患者の治療に生涯を捧げた精神科医。佐藤一斎は、幕末の儒家で教育者。

関連記事