「道縁無窮」、孔子はどんな人だったのでしょうか?

ノグチ(noguchi)

2010年05月27日 08:42

「道縁無窮」、孔子はどんな人だったのでしょうか?

孔子先生は、どんな人だったのでしょうか。孔子自ら、論語の中で語っています。下記の一節です。

「憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」

意味は、「(孔子先生は、)道を求めて得られないときには、自分にたいしていきどおり起こして食事を忘れ、道を会得して楽しんでいるときは心配事も忘れ、そこまで老いが迫っているのも気づかないような人だ」

 宇土論語教室の塾長が「道縁無窮」という言葉を使われます。
「道縁」とは、人の道を学ぶ師友の縁。
「無窮」とは、限りないとは、無限とかの意味です。

 論語を学び、人の道を求める学問で出会う人は、とても多く、その縁は限りなく続くという意味だそうです。 

 良心、良識、あるいは中庸とか、人の心の到達点を表現しますが、人間、様々な要因から、私欲が沸き上がり、周りへ様々な影響を与えます。

 独り、自分のことを考える時間は、とても重要ですが、考え進む方向が、正しい人の道かはなかなか判断が着かないことも多々あります。人は、悩み、考えて成長するといいます。無関心、無感動では、人の成長は無いと思います。

 自分を振り返り、人の道に合っているか、常に考え、「合点」したときは、われを忘れて喜び、勇んで良いのではなかと思います。

>道を会得して楽しんでいるときは心配事も忘れ

そんな心境に、いつか辿り着きたいものです。

*参考資用:「仮名論語」

関連記事