人間が己の分際を心得て、自分の守備範囲を守っていさえすれば、大して悶着(もんちゃく)はおきない。〜曽野綾子〜

ノグチ(noguchi)

2019年01月29日 16:56

人間が己の分際を心得て、自分の守備範囲を守っていさえすれば、大して悶着(もんちゃく)はおきない。〜曽野綾子〜

老子的考えの一文を、曽野綾子さんの著書から見つけました。

〜以下、転載〜

「放念」というのも、貞春の好きな言葉であった。多くの場合、人間が己の分際を心得て、自分の守備範囲を守っていさえすれば、大して悶着(もんちゃく)はおきないあ、ということは多いのである。
(以上、曽野綾子著『神の汚れた手(上)』より)

人間は努力しなければ成長はない。危機を乗り越える時に能力が開花する。隣の庭はきれいに見えるが、中に入ると自分の庭との差は分からない。

皆平等ならば発展はゆるい。差があるから上昇するパワーが起きる。中国の故事にも「安定した平穏な生活では、肉(筋力)と垂れる、気も緩む」と。

賛否はあれど、人間社会は、どうしても闘争と安定を求める志向か、常にあることから、さらなる社会の発展につながるのだと思います。

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