いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。〜『不愉快なことには理由がある』より〜

ノグチ(noguchi)

2019年12月12日 09:33

<人間は社会的動物>いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。〜『不愉快なことには理由がある』より〜

コメントのタイトルにドキッとされたと思いますが、私も紹介する本を読んでドキッとしました。しかし、読むと成る程と思いました。

1ヶ月程前から、時々開く本『不愉快なことには理由がある』は、リサイクルバック店で見つけたものです。賛否は別として、ヒトを動物の集団行動としてとらえて、"いじめ"について語られています。

ページのタイトルは「学校はいじめを前提に成り立っている」でした。

(以下、内容を抜粋すると)

ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競いながら仲間意識を高めていくようプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5〜10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に別れたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けをすることになります。

集団が成立するためには[仲間」と「敵の。区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間をはずれたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。

いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。子どもを一ヶ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。(中略)

効果的な"いじめ対策"があるとしたら、いじめを前提としたうえて、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。その上で、暴行や恐喝のような犯罪である行為には、犯人を学校から排除する(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にはできるわけがありません。
(以上、橘玲著『不愉快なことには理由がある』より)

最近、私の田舎からも中学から私学への進学が居るようになりました。中高一貫もあるとは思いますが、私学は入学時に「いじめが発覚したら退学させます」と規定を伝えられるそうです。この点は、公立学校と私立学校の違いかな、と思いました。

いじめは根絶できません。「学校はいじめを前提に成り立っている」ということを当初から念頭において、いじめ対策をしなければ、いじめをなくすことはできない。人間は社会的動物であること、集団行動づくり=いじめ行為の危険性、を常に頭に置き、子どもたちの集団行動を観察することが必要と思いました。

*参考資料:橘玲著『不愉快なことには理由がある』

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