熊本県警剣道部のいじめ自殺問題の新聞記事に思う
熊本県警剣道部のいじめ自殺問題の新聞記事に思う
おはようございます。冬の気候になり、各地から各地の冬の風景の知らせが届きます。今日は、朝は解体現場に出向き、状況の把握に行きます。
今朝の地元新聞に、県警の陰湿な事件が記事にあった。熊本県警剣道部のいじめで、22才男子の巡査が自殺したいとのこと、以前から耳に噂を聞いたことはあるが、現実に行われていたとは、落胆の何ものでもない。故意に首筋を気づけたり、あえて話しかけず孤立させた。まるで小学校のいじめ問題を聞いているように感じる。勉強、勉強で、やっと念願の県警に入ったら、また小学校と同様のいじめとは、県警も地に落ちたものと思います。
高裁判決は、いじめを認定した。熊本県警は、「判決内容を慎重に検討し、適切に対処したい」とコメントした、とあった。一人の若い巡査が、県警内のいじめから自殺に追い込まれたことを考えると、誠意のないコメントだなと、こちらも落胆する。トップの言葉は、若い巡査たちには、どう映ったことだろか。
日本人は、GDPの数値に翻弄されていると師匠の一人が語っていた。実は、犯罪も、事故もGDPの数値を上げる。今回のいじめは、GDPでは測れない心の問題にあります。
またもう一人の先生は、「世界では、心の満足度を加えた経済指数採用している先進国が増えている」そうだ。
数値に表せない心の満足度、例えば、幸福な家族関係、信頼できる友人の存在、子どもが活躍する、地域の優しい言葉かけ、政治家の素晴らしい演説、裁判所の納得できる判決、等々。
上記は、GDPではなかなか数値で表せない心の満足をもたらします。県警剣道部の厳しさは理解します。確かに熊本県出身者が、剣道日本一にはなっておりますが、何か力の矛先が違っているように感じます。
今日の記事の末尾のコメントも、県民が読むことを想定し、県警のコメント(メッセージ)は、県警のいじめに対する姿勢を示す良き機会と捉えて、県民に向けた県警の強い意志を示して欲しかったですね。県警内のいじめは、根深く残っているように思える、今回の熊本県警剣道部のいじめ自殺問題と感じています。
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