水俣病対応遅滞。『のぞみ』はありませんが『ひかり』はあります

ノグチ(noguchi)

2013年05月11日 09:29

水俣病申請の対応遅滞。『のぞみ』はありませんが『ひかり』はあります。

おはようございます。3日ぶりの朝ウォーキングは、霧雨がポツリポツリでしたが元気に歩きました。

ウォーキング中に聞く、早朝ラジオで気をつけて聞くのが「今日は何の日」てす。本日は、明治にロシアのニコライ皇太子が来日中に、滋賀県大津市で暴漢に襲われたり、相撲の興業が15日間になったり、最後は明治の公害「足尾鉱毒事件」の和解がなった日と放送していました。足尾鉱毒事件とは、

(以下、転載)
足尾銅山の拡大で、足尾の山林の荒廃とともにカスリーン台風襲来時は洪水の主原因となった。 鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。(中略)

1974年5月11日、群馬県公害審査会から事件の処理を引継いだ公害等調整委員会において調停が成立し、古河鉱業は15億5000万円を支払った。これは、古河側が鉱毒事件で責任を認めて賠償金(契約書上の文言は「補償金」)を支払った最初の出来事である。
(以上、wikipediaより)

実に最初の和解まで、事件発生から約100年を要する闘争の歴史を振り返ると、似たような道を辿る水俣病認定問題で、国は裁判で厳しい認定運用の改善を迫られている。水俣病公式確認からすでに65年が過ぎた。100年公害と言われた足尾鉱毒事件と同様に解決の糸口は見えず、水俣病患者の申請者は増え続けている。何時解決するのか?

今春の判決は、国県に認定の改善を促す内容だった。棄却され続けた認定申請者に一途の望みが出てきたとも思える判決でしたが、国は先送り的な発言終始し、熊本県は国の方針に追従する発言が続いた。

一昨日、熊本の地元紙に寄せられた読者の発言は、熊本県知事の発言が県民の声を無視するような内容に対して、厳しく反対意見の内容でした。地元紙も、熊本県の対応が余りにも冷徹な感じを受けたのか、読者の広場コーナーで、この投稿をトップに扱った。

昨日の知事発言は、環境省に対して運用面で積極的に関わっていくと、発言内容が変わって来ている。知事は、何度水俣病の現状把握に、現地を何度訪れたか定かでないが、水俣病の関係者からは、胎児生患者の言葉を直接家まで来て聞く人(政治家、行政担当者)はほとんど居ない。蒲島知事も同様の批評の声が多い。これでは、認定申請者たちの望む認定審査は、何時訪れるかわからない。

政治は、社会福祉の充実が、本来の目的ではないのか。厳しい状況にある人たちに、希望を持たせる政策こそ、政治の本来の目的と思います。

冒頭の言葉、臨床心理学者の故河合隼雄氏が、人間関係の厳しい状況改善を 積極的に行うが、なかなか改善が見れない。諦めてその状況が過ぎ去るまで待つことにする。現状改善の望みはないが、関係解消後に希望を持つことで、耐えることができる場面が書かれていた。。

そんな時、新幹線駅で切符を買いに行ったら窓口の駅員が「『のぞみ』はありませんが『ひかり』ならあります」河合氏は、グッと嬉しくなり、何度もその言葉を繰り返した。そうしたら駅員が、「あっ、『こだま』が帰って来た」と。

漫談ではないですが、患者は、小さなのぞみをかけて申請をする。何度も何度も、申請をするが認定対応は、国も県も一向に変わらない。何時まで経っても同様なら、望みどころか希望も持てない。

政治は、社会福祉の充実が本来の仕事、厳しい生活に在る方々に、もっと寄り添い現状を常に確認して、的確な対応を迅速にすることが、患者に希望を持たせることにつながると思います。

足尾鉱毒事件の後処理は、現在でも続けられています。事件発生から135年目を迎える。水俣病解決も同じ時間を費やするようなら、日本人の良識が問われると思います。

熊本県は、全て方々の認定には『のぞみ』はありませんが、水俣病で病理的にも、社会的にも苦しみ続ける状況にある方々に、希望の『ひかり』を届けられる政策を早々に決断し実行(『こだま』)してほしいと願います。

土曜日、朝から長文をお読みいただき感謝致します。

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