原発避難の双葉町が4回目の引っ越しで、新築の仮庁舎へ。
原発避難の双葉町が4回目の引っ越しで、新築の仮庁舎へ。
全町民が、福島第一原発事故から避難生活が続いている。住民の生活を支える役場は、今回で4回目の引っ越しをした。場所は、福島県いわき市の新築の仮庁舎に移った。
これまでの仮庁舎は、埼玉県加須市の旧県立騎西高校だった。これまで、役場機能は、福島県川俣町、次がさいたま市のさいたまスーパーアリーナと引っ越しをして、やっと新築の仮庁舎に落ち着いた。
しかし、旧県立騎西高校には、10人の職員が残り埼玉支所として、また郡山市にも支所を残している。いかに、広い地域に分散して、避難生活が続いているかを物語っている。さぞかし、大変だろうし、不便なことと思います。
でも双葉町役場の職員は、新たな庁舎で、気持も新たにして、分散する町民の生活を支えてほしいと願います。
三宅島が、最近また噴火の予兆を見せているが、前回の大噴火は10年を越える避難生活が続いた。噴火が収まり、多くは帰島したが、避難生活のまま居つく家族も多かったと聞きます。
放射能汚染は、目に見えない環境汚染、病状が出るのは数年、数十年の時間を経て、身体に現れると言われている。30万人近い避難生活者の中で、最後まで帰れない町村は、いくつあるのだろうと思うと、胸が締め付けられる思いがします。
今朝のブログで、水俣病感謝救済の動きは鈍く、ついに不知火患者会は、国を訴えることを紹介しました。
政治は、弱者に寄り添うのが本来の姿ではないのか?
福島第一原発事故後の避難生活者を報道で見ると、足尾銅山鉱毒事件で、企業と行政の権力行使がなされ、3つの村を廃村に追い込んだ。最後まで無抵抗の闘争を続けた、谷中村の12家族だったが、最後は生きる権利まで奪われた。
双葉町の町民は、東京電力が国と共同で開発した福島原発が安全対策を怠り、数千人、数万人の原発事故難民を作った。私たち国民は、この現状から目を反らさず、避難生活をされている方々の苦労に、関心を持ち続けることが必要と思います。
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