「忘己利他」己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。〜最澄〜

ノグチ(noguchi)

2014年05月02日 07:04

「忘己利他」己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。〜最澄〜

おはようございます。今朝の朝ウォーキングは、雲ひとつない快晴の青空で、空気も放射冷却でひんやりして、気持ち良い気分でした。田舎は、連休は今日までは無縁で、早くビニールハウスに向かう農家の方とすれ違いました。

さて、朝読書で天台宗の開祖、最澄の訓示がありました。テーマは、「幸せは人に分けるほど大きくなる」とても全人的な利他の行動の勧めですが、敬天愛人にも勝る人の生き方が、冒頭の「忘己利他」の訓示です。

意味は、「好ましくないことは自分で引き受け、好ましいことは人に振り向け、自分を忘れて人のためになることこそ、慈悲の究極であり方である」です。

お釈迦様は、自分も幸せになり人も幸せにする「自利利他」を説いたが、最澄はさらに発展させて、自分幸せにを忘れて人や世の中を幸せにする「忘己利他」の教えを追求した。本に、次の解説があった。

(以下、転載)

たとえ、敵対する宗教の人であっても、敵対する政党の人であっても、イヤな上司であっても関係なく、“他者に喜びをわが喜びとし、他者の痛みをわが痛みとする”「無縁の慈悲」を実践できてこそ本物の利他だと言明しています。「無縁」とは、簡単に言えば赤の他人のことです。これが最澄のいう「忘己利他」なのです。
(以上、中野東禅著『人生の問題がすっと解決する 名僧の一言』より)

この文を読み、人物を思い浮かぶのは、インドの偉人「マザー・テレサ」です。身寄りのない路傍に横たわる人を助け続けた行動は、世界が共感し、多くの支援者が集った。

(エピソード)マザー・テレサは、インドで開催された貧困問題の国際会議へ出席するため急ぎ会場へ向かう途中、会場前に瀕死状態のホームレスの男性が横たわっていた。それに気づくと、いても立ってもおられず、会議に参加せず男性を抱きかかえ、自分の施設へ連れ帰り、亡くなるまで懸命に介抱した。

国際会議には、多くの国から貧困問題に関心のある方が来ていたが、会場前に横たわるホームレスの男性の介護には、関心も持たなかった。マザー・テレサは、自らの実践で、会議よりも貧困問題解決には実践が大事なことを示した気がします。

現代の政治は、貧困問題の国際会議には熱心ですが、マザー・テレサの実践にはあまり関心がない。テレビ番組で「事件は現場で起きている」の言葉ではないですが、韓国の海難事故でも分かりますが、政治も現場重視で行うことが、今後さらに求められる気がします。

今朝は、最澄の「忘己利他」からいろいろ気づきをもらいました。今日から5連休の方もいるとおもいますが、ゆとりのある計画で楽しんでください。私は、家の片付け、草刈りで過ぎそうです。

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