叱責される幸せ(菜根譚)

ノグチ(noguchi)

2008年10月05日 19:22

叱責される幸せ(菜根譚)

(現代語訳)
小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。取り入ってこられるよりも、まだましだ。
君子からは、むしろ厳しく叱責されたほうがよい。見放されて寛大にあつかわれるよりも、はるかにましだ。

(解 釈)
 小人の扱いはむずかしい。あの孔子も、「女と小人は始末におえない。眼かけてやると付け上がるし、つき放すと、逆怨みする」と嘆いている。いっそ向こうから近寄ってこないことを願いたいものである。
 また、叱られるのは、まだ見所があると思われている証拠でもある。
素直に耳を傾け、発憤してそれに応えたい。

(感 想)
 怒られているうちが゛花?゛、声もかけてもらえなくなったら、終わりとよく言われますが、人の心の留めてもらええる幸せはありますが、しかし、ねんごろに、べったりになることはよろしくないと思います。
 
>小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。

小人をどんな方々と見るかはありますが、一般の方々とお付き合いする時に、一目を置かれるような存在に成りたい者です。

他人の意見に対して、謙虚に聞く態度こそ、一目を置かれる存在の始まりかもしれません。

*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」

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