二人の自分 (菜根譚)

ノグチ(noguchi)

2009年10月30日 09:40

二人の自分 (菜根譚)

(現代語訳)
 怒りに爆発し欲情が沸騰するとき、はっきりとそれに気づいている自分がいる。また、気づきながらそのまま突っ走ろうとする自分がいる。
 気づいている自分とは誰か、そのまま突っ走ろうとする自分とは誰か。ここで翻然(ほんぜん)として思いなおすことができれば、邪念はたちまち一変し心の主宰社となるであろう。

(感想)
 「怒り心頭に達する」という気分何度か人生の中で感じることがあると思います。事が済み、自分を振り返ると、意外に冷静に自分の怒る姿を見る自分が居たことを思い起こします。
 要は、怒る自分をどう分析するか、周りに賛同者が居るか、行動(怒り)を続けるか、怒りながらも常に自分を検証(事後のことも含め分析)することが重要と思います。
 怒りつづけて、最後良い結果はあまり見たことはありません。相手を思いやりながら、糾弾することが大事と思います。
 「窮鼠猫を噛む」、怒りすぎは、後の禍の元となるような気がします。

*参考資料:守屋洋訳著「新釈 菜根譚」

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