昼食の訓示『言志四録』から、3つの訓示、行動、度量、克己。
ここ1週間で、葬儀が3つ。自分の年を考えると、ありうる環境になって来ました。今日は、地域の同級生の父の葬儀です。
車を止めて、軽い昼食の時間に開いた本に、江戸後期の儒家佐藤一斎の訓示録すの言葉が、いくつか掲載されている。昼食時に読むので、長い文は読めないが、3つを昼食の訓示として学びました。坂井昌彦訳著『佐藤一斎 人の上に立つ人の勉強』より抜粋、
およそ事を作(な)すには、すべからく天に事(つか)うるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず。(『言志録』3条)
(意味)
物事はどんなことをする場合でも、すべて〈天〉に仕えるような気持ちで行うことである。他人の目を意識してはならない。
識量は知識とおのずから別なり。知識は外に在りて、識量は内に在り。。(『言志録』210条)
(意味)
見識と度量というのは、知識とはまったく別のものである。知識というものは、自分に外側にあるもので、見識・度量というのは、自分の内側から出てくるものである。
克己の工夫は一呼吸の間に在り。(『言志録』34条)
(意味)
自分に打ち克つというのは、それほど困難なことではない。あれこれ思い煩わずに、「ここぞ」という一呼吸の間に行うことである。
先人たちも日々悩み生きていたのだなと、思います。ただ、佐藤一斎の意識レベルになると、世間とか、噂とかを気にせず、天の命に叶っているか?が、大事と説いています。
リーダーには、えーっと思うような、騒動、スキャンダルが、出来上がることも多いが、リーダー自身の目指すものわしっかりと、ぶれないことだと思います。西郷隆盛の心情の「敬天愛人」を、常に心に置き、日々の言動を慎重に生きなければと思います。