2020年09月20日

<奢れるものは嫌われる>大人(だいじん)を畏敬する理由と小民を畏敬する理由。〜『菜根譚』No.212〜

<奢れるものは嫌われる>大人(だいじん)を畏敬する理由と小民を畏敬する理由。〜『菜根譚』No.212〜

奢れるものは久しからず、・・・・

誰もが知る日本の古典『平家物語』の一節ですが、この意味を歳を取ると分からなくなるのです。

会議の途中での雑談、それも会議内容に全く関係ない話を、周りに聞こえるように?

会議を軽視し、自らのおごりが滲み出る態度には、周りは興醒めする(飽きれる)ものです。

冒頭訓示の詳細の意味は、以下です。

(以下、菜根譚の訳文より)

徳の高い人に対しては畏敬の心を持たなければいけない。徳の高い人を畏敬すること、その徳化によって勝手気ままなふるまいをする心が起こらなくなる。
一般の人に対してもやはり畏敬の心を持たなければいけない。一般の人も畏敬するようにすれば、その人達とも親しみができ、豪強の名をたのしんでほしいままにするという悪評が立たなくなる。
(以上、菜根譚より)

人間、絶頂の時は自らの姿が見えない。だから、その姿を注意する(釘刺す)人間を周りに付けているかです。

権力が長くなると、耳障りの良い輩が蔓延ってきます。気づかないのが人間、しかし、偉人訓、古典の熟読、徒然草等々の古書を読み返すことをしている人は、身の回りに居る人たちを時折見て、自らの成長に役立つ人間か、そうでないか、反省することが必要です。

そのためには、畏敬:恐れ慎む、謙虚になって自らを観る、等々

私は、その畏敬の念を忘れていないか?

これは、若いから、中年だから、高齢者だから、の年齢は関係ありません。我々は、どれだけ頑張っても、世界の偉人には敵いません。力のない現代人の一人です。

>大人(だいじん)を畏敬する理由と小民を畏敬する理由

大人:徳ある人

小民:一般人

どちらも、現代に必要な人間であることを忘れてはいけない。身の周りの人に、敬意を持って、謙虚に接することの教えと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:01Comments(0)菜根譚