2009年03月31日

(弁明黙識)~人と「道理」を語る難しさ~

(弁明黙識)~人と「道理」を語る難しさ~

 議論をしていると、だんだん声が大きくなる人が居ます。話は、内容がしっかり伝われば、事足りるのに、自分の意見が通らない情況になると、益々声高になる人を良く見ます。
 また、色々な本を読み、自分で理解して、更に独自に深め、考えることがありますが、一人で考えていると、堂々巡りになってしまう事があります。

 人を説得する時は、低い声で、言葉を少なに、ゆっくりと説くスタイルが、存在感を後に残すように思います。
 自分だけで考えている方向が見えないのですが、人と語り、あるいは人に教えているうちに、ハッと閃くことがあります。考えを深める時には、けっこう人の力を借りると、案が簡単に考えがまとまる事があります。

 「佐藤一斎 一日一言」(言志四録)に、四文字でその心境を現しています。先人も悩み、考えて居たのだと、共通点を感じます。


「弁明黙識」 
 
(解説)
 物事の道理ははっきり弁明して明らかにしなければいけない。しかし、そのために大声を上げたり顔色を変えたりするのは、器の小ささを露呈することになる。

 物事の道理は心の内で会得しなければならない。しかし、いたずらに妄想を巡らしていると、わかりもしないのに悟ったような誤った禅に入ったようになる。
 (以上、「佐藤一斎 一日一言」より)


 人と議論する難しさ、つくづく思うのですが、人に説く時は、しっかり相手の意見を聞き、短く、真意だけ伝えることが得策かと思います。

 言葉が多いと、要らないことまでしゃべってしまい、かえってややこしくなるケースもありますので、交渉は「訥弁」がお勧めかもしれません。

*参考資料:渡邊五郎三郎編著「佐藤一斎 一日一言」(『言志四録』を読む)  


Posted by ノグチ(noguchi) at 17:06Comments(1)斉藤一斎「言志四録」

2009年03月30日

心の修理も忘れない 「仁」

心の修理も忘れない 「仁」


(本田宗一郎の言葉)

 自動車修理と言う仕事は、単に修理だけではダメ、そこに心理的要素がなければならぬ。

 車を壊したお客さんは、動揺、憤慨、苦労している。

 車をきれいに清掃しておく。あるいは故障の原因と私のとった処置を好く説明する。「直りました」、だけでは納得してくれないが、そうした親切で、お客さんのこころを癒(いや)すこともできる。(中略)


 相手を思いやること、これは孔子の教え「仁」につながることと思います。また、相手の状況を考える分析は、心の問題解決する始めの作業と思います。

 今朝、ちょっと開いた本田宗一郎氏の遺訓から、書き留めました。

*参考資料:本田宗一郎著「やりたいことをやれ」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:42Comments(1)リーダーの名言

2009年03月28日

(学問は危機のため)無事は有事の如く、有事は無事の如く

(学問は危機のため)無事は有事の如く、有事は無事の如く

~真の力は内に発し、内に練られ、内に磨かれ、内に養われ、内に貯えられ、内より溢れて外に流れる~

 時々開く『自警禄』(新渡戸稲造氏)に次ぎの言葉がありました。


(本文)
 しかめつらしく具足をつけ威張るものは、古来猪武士と呼ばれている。
 これに反し、外見はおだやかにして円満に、人と争うこともなきも、しかも一旦事あるときは犯すべからざる力を備えた人を真の武士といっている。(以上、「自警録」より)


 これは、「武士道」を紹介した新渡戸稲造氏の著書『自警禄』の言葉です。これは、「強き人」がテーマの文章ですが、締めくくりは次のような言葉でまとめられていました。


(本文、抜粋)
 スパルタ教育をことごとく悪いとはいわぬ。ただあれだけではいかぬというのである。(中略)
 ある青年の道徳品行を観察する人はかつてわが輩に向い、
「・・、いわゆるスパルタ式教育法を受け、猛獣的に強くなっているからである。しかして最も早くかつ烈しく堕落するのは彼らの仲間である。なんとなれば彼らは強さをそとに求むればなり」
 真に克つ者は己に克つを始めとなすべく、しかして後に人に克つべし。(中略)

 真の力は内に発し、内に練られ、内に磨かれ、内に養われ、内に貯えられ、内より溢れて外に流れるから、十分余裕がある。ゆえに内、己れに克つものは外、世界に克つことが出来る。(中略)
 古人の書に、「自責の外に、人に勝つの術なく、自強の外に人に上たるの術なし」と。       (以上、「自警録」より)


 私は、幕末の歴史が好きで、色々な志士たちの生き様に興味があり、西郷隆盛の言葉を記した「西郷南州翁遺訓」の文庫のタイトルの、「無事は有事の如く、有事は無事の如く」
が心に残っています。
 これは、禁門の変(蛤御門の変)の指揮を取る長州の志士、久坂玄瑞が語った言葉とありました。西郷隆盛は、久坂玄瑞を評して「お地蔵さんのようだ」と、敵としながらの敬意を持っていたと言われます。
 また西郷隆盛は、講義を受ける庄内藩の若い人に「学問は、危機のためにある」と教示したとありました。

 これからの人材に必要な3つの言葉は、「先見性」、「魅力・磁力」、「(逃げない)責任」と師の一人が語っていました。
 その中でも、危機(有事)が起きた時に、逃げず・あたふたせず、長期の視野を持ち、目の前の問題処理に、至急に対応する器量が求められます。
 これは、闇雲に勉強だけでは養われるものではなく、日常から様々な経験を積み、内側から自分を鍛えることが必要とも学びました。

>真の力は内に発し、内に練られ、内に磨かれ、内に養われ、内に貯えられ、内より溢れて外に流れる

 日々の学問に取り組む志向を、外見ばかりに気を取られず、内なる力を養うには、人と切磋琢磨しながら会得する機会、場を求めて行くことが必要なのかもしれません。

*参考資料:新渡戸稲造著「自警録」
    「西郷南州翁遺訓」~無事は有事の如く、有事は無事の如く~  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:45Comments(1)リーダーの名言

2009年03月27日

「論語と算盤」渋沢栄一の企業理念を現代に活かす

「論語と算盤」渋沢栄一の企業理念を現代に活かす

 渋沢栄一は、「論語と算盤」を理念置き、明治期の実業界を指導した方です。今朝届いた、致知出版のメールマガジンに、その一端が掲載されていました。

<致知・メルマガ>
 渋沢栄一の説くメッセージの核心、
「論語=道徳」と「算盤=経済」の一致

さて、昨今の日本企業の不祥事の数々をみるかぎり、
道徳と経済の両立は果たして可能なのか―――

そんなふうに思われる方も多いのではないでしょうか。

実は、明治期の日本の商工業者にあっても、道徳観念を無視して利に走ろうとする者が後を絶たず、渋沢は頭を悩ませていたといいます。

ただ『論語』を羅列的に商工業者に説いたわけではありません。

『論語』に馴染みのない人でも飲み込めるように、その本質を噛み砕いて伝えようとしたのです。

「よい競争をせよ。すなわち毎日人より早く起きてよい工夫をし、智恵と勉強とで他人に打ち克とうとせよ」
  
「正しい方法で富を得ることが最も大事なこと」

人の道を説く『論語』は、商いの道にも通ずる。
―商いの道と人の道―

3年先、5年先を見据えた行動力を身につけたい方におすすめです。
*『渋沢栄一「論語と算盤」が教える人生繁栄の道』(渡部昇一著)

    (以上、メルマガから抜粋)

 明治期のリーダーには、論語の教えを受けた、武士道精神が企業家にも培われていたと感じます。四書五経をベースに、中世の武士道教育は、商工業に脈々と受け継がれ、現代の企業家にも広がる事を願っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:24Comments(1)偉人

2009年03月26日

自分にこだわりすぎるな

自分にこだわりすぎるな

(本文)
 世の中の人々は、あまりに深く自分というものにとらわれすぎている。好みや悩みばかりふえるのは、そのためだ。
 古人に、こんなことばがある。「自分を否定することができれば、世のなかから一切の差別が消えうせる」。「この身はかりそめの姿、真の我ではない。この理を悟れば、すべての悩みは消えてなくなる」。まったくそのとおりではないか。

(解説)
 自分を捨てるのが無理なら、せめて大きな立場を自分のものにすることが望まれる。そうすれば小さな自分にこだわることも少なくなるにちがいない。

(感想)
 我利我利亡者という言葉がありますが、「自分が、自分が」と思うから、周りが見えなくなります。一歩、自分を外から、斜めから見るゆとりが必要と思います。
 しかし、無私の境地に至るには、さまざまな欲と、しがらみを無くすことが必要ですが、これはなかなか出来ないのが、人間と思います。要は、時々自分を省みることが、無私の境地に近づく一歩なのかもしれません。

*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:58Comments(1)菜根譚

2009年03月25日

自負し過ぎない者は、自分で思っている以上の人間である

自負し過ぎない者は、自分で思っている以上の人間である

 私は、長い小説はあまり好んで読みませんが、作家が自らの体験談や、あるいは誰かと対談したものの記録は、人間性が出てとても興味深く読みます。
 それと、もう一つが「格言、名言、名スピーチ」に興味が湧きます。アメリカのオバマ氏の就任演説が、ベストセラーになるように、人々は、心躍らせる言葉を探しているように思います。
 そんな中で、詩人のゲーテの言葉を集めた「格言集」に、今でも居そうな目立ちたがりの人間を表現した言葉がありました。

(本文より)
良いものを正しいものを完成させるための純粋な中庸を得た活動はきわめてまれである。
通常われわれが見るのは、もったいぶってだらだら長びかせる偏屈か、性急に功を急ぐ図々しさかである。
     (「格言と反省」)

自分の知っていることは自慢し、知らないことに対しては高慢に構えるものが少なくない。      (「格言と反省」)


 こんな人、今でも居ると思います。「井の中の蛙」ではないですが、自分の狭い視野で
生きている人々、というか族たちです。
 これと似たような表現は、老子、孔子の教示にも何度も出てきます。人間やはり、反省し、謙虚に自分の能力、立場を考える事が必要と思います。ゲーテの言葉に、次に一節がありました。


自負し過ぎない者は、自分で思っている以上の人間である。
     (「格言と反省」)

 「能ある鷹は爪を隠す」は、故意に自重する意味の言葉ですが、能力・人格と言うのは、日々の言動の中で、おのずと伝わるのだと思います。「ハレ」の舞台でどれだけ演技をしても、日常の態度、言葉から、「ボロ」がこぼれるのだと思います。
 陽明学の言葉に「事上磨練」の教示があります。
 事上:日々の仕事、生活
 磨練:学習、鍛錬、
日々の生活・行動を反省することこそ、自分自身の人格を高める機会なのかもしれません。

*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテ格言集」
      王陽明「伝習録」(陽明学)


<(携帯論語)心を育てることば>
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(3/25)「能あるものは、黙っていても現れる(ゲーテ)」
(3/24) 「君子に三つの畏れ敬うことあり」




  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:54Comments(1)故事、名言、訓示、スピーチ

2009年03月24日

トップが目指す九徳(リーダーの心得)

トップが目指す九徳(リーダーの心得)

『書経』から

一、寛大だが、しまりがある
(逆=こせこせうるさいくせに、しまりがない)
ニ、柔和だが、事が処理できる
(逆=とげとげしいくせに、事が処理できない)
三、まじめだが、ていねい、つっけんどんでない
(逆=不まじめなくせに尊大で、つっけんどん)
四、事を治める能力があるが、慎み深い
(逆=事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高)
五、おとなしいが、内が強い
  (逆=粗暴なくせいに、気が弱い)
六、正直・率直だが、温和
(逆=率直にものを言わないくせに、内心は冷酷)
七、大まかだが、しっかりしている
  (逆=何もかも干渉するくせに、全体がつかめない)
八、剛健だが、内も充実
(逆=見たところ弱々しく、内もからっぽ)
九、剛勇だが、義しい
  (逆=気の小さいくせに、こそこそ悪事を働く)

(解説)
 上に立つ人は何をすればいいかというと、何でもない日々の仕事や社会の流れに将来に大きな影響を及ぼす因子を自らに目で察知して、対処策をとっておくことである。
 それはまだ目に見えない段階で見つけ出し、押さえておくことこそが真のリーダーの重要な役目。
 (以上、「名言の智恵 人生の智恵」より抜粋)

(感想)
 「トップが目指す九徳」の逆のタイプが、いかに世に蔓延っているか、悩ましくみています。企業経営において、社内は甘く、社外には冷たい、慇懃な態度なのに締りがないトップを見て、反面教師と思い、自分を引き締める上司も少ない。実に情けないと、先輩が愚痴をこぼしていました。
 「九徳」は、どの分野、グループ、あるいは会合においても仕える言動の指針と思います。何かの参考になればと思い、今日は日記に書きました。

*参考資料:矢沢永一編著「名言の智恵 人生の智恵」   


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:42Comments(1)故事、名言、訓示、スピーチ

2009年03月23日

一番乗りは牡蠣(かき)を得るが、二番目は貝殻しか得られない

一番乗りは牡蠣(かき)を得るが、二番目の人は貝殻しか得られない

 鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーの名言です。

 無一文だったカーネギーが鉄鋼王にまでのしあがれたのは、誰よりも早く最新のアイデアと技術を導入していったからであり、常に一番乗りを目指す彼の考え方は、上記の言葉に表れています。

 彼はただの成り上がりではなかった、1901年鉄鋼の合同が進み、USスチールができた時、あっさりすべての会社を売却し、その4億5千万ドルの莫大に費用を、「富を持って死ぬことは不名誉」という考えのもと、こんどは慈善事業につぎ込んだ。

とてもすがすがしいカーネギーの生き方を感じます。

日本にも、三方良しの考えから、社会奉仕に近い考えの商魂がありますが、行き着くところはどの国でも、同じところになるのかもしれません。


先手必勝の経済活動ですが、「自分さえ、よければ」の族が多い中、カーネギーのような経営者が、どんどん出てきてほしいと思います。カーネギーの晩年は、「鉄鋼王」から「慈善王」と呼ばれるようになったと知りました。

*参考資料:「世界の名言100選」より
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 16:00Comments(1)故事、名言、スピーチ、等

2009年03月22日

目につきやすい功績は、真の功績にあらず(孫子)

目につきやすい功績は、真の功績にあらず(孫子)

~敵が戦いを挑んでくる余地にない状況をつくる~

 「孫子の兵法」の解説書に、戦上手は絶対に敗れないとあった。それはそうだと思うのですが、さらにもっと上の人物がいるとあった。

 勝か負けるか予断を許さない状況で、戦いを挑み、奮闘の末、辛うじて勝った場合、その指揮官は名将といえるか? 答えは、「否」です。

 本来の名将は、拮抗するような危機に持ち込む以前に、敵が戦を挑んで来る余地のない情勢(戦意喪失)を作り上げる。つまり「目につきやすい功績は、真の功績にあらず」と言うこと。(本文、抜粋) 

 孫子の「不敗の地に立ち、敵の敗を失わざる」の教えを、現代風に解説してみると次のようなります。

 世界から銀行強盗のニュース、日本でも金融機関、現金輸送車が襲われる事件が起ります。ニュースで、「勇敢な行員が犯人を取り押さえた」と報じ、勇敢な行員と称えます。
 しかし孫子が現代に生きていたら、この取り押さえの行為は誉めるかもしれませんが、強盗に入られたことを厳しく糾弾すると思います。支店長の予防策の「無策」を指摘するはずです。
 警察に聞くと、必ず犯人は狙っている金融金柑を下見に来るそうで、「ここは警備が手緩い」、「ここは止めたほうがよい」と、検証してから準備して実行する。
 
 犯人の襲撃を敬遠させるような雰囲気をつくる事が、挑んで来る余地のない状況を作り上げます。ですから、「名将に赫々(かくかく)の武勲なし」。
 犯人が「銀行強盗を止めよう」を思わせる支店長の手腕こそ、名将(リーダー)といえると思います。

 「故に善く戦うものは、智名無く」

 犯人に襲われてから勇気を持って対応する支店長より、襲わせない堅固な守りこそ大事という教えと思います。

>敵が戦いを挑んでくる余地にない状況をつくる 

 色々な分野にも通じる考え方と思います。参考になれば幸いです。

*参考資料:矢沢永一・渡部昇一編著「孫子・勝つために何をすべきか」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:02Comments(1)故事、名言、訓示、スピーチ

2009年03月21日

(後悔?)生きるとは、掛け替えのない命の持続感 

(後悔?)生きるとは、掛け替えのない命の持続感 ~小林秀雄~

 日々生きるていると、後で思い「ああすればよかった」「こうすればよかった」「言葉をかけて上げればよかった」と、反省、後悔をすることがあります。
 小林秀雄氏も同じ年代に、同じような悩みを抱いたのだなと、安心しながらも、しかしその心の持ちよう(考え方)には、とても敬服する思いを持ちます。そのことを書いた一節がありますので、ご紹介します。

(本文)
 昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を〔宮本〕武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来てことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。(「私の人生観」17-163、48才)

 後悔ばかりしていては、本当の自分と向き合う(出会う)ことが出来ない。これだけ読むと、意味不明になるのですが、「人は毎日生きています」、反省、後悔、あるいは感激、喜び、など喜怒哀楽の時の中で生きています。

「一寸の光陰矢のごとし」なる諺が、高校の保護者会ではよく使われます。自分たちが高校時代、そんなことを思って、日々勉強していたのとは思いますが、「時は金なり」の気分にはなりませんでした。 

 後悔、失敗、失態、等々、ふり返り考える言葉と思います。しかし、その場、時は戻ってきません。武蔵は、その失敗を経験し、自分の肥し(ヒント)にして、60数連勝を続けて来たと思います。

>後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ

 グサッと、自分を指摘する言葉に思えます。武蔵も、試行錯誤して、後悔、失敗、失態、等々を参考に、次の勝負、また次の勝負に挑み続けました。要は、生きて来たこと事態が素晴らしいのではないかと考えるようになりました。

 小林秀雄氏も、「その掛け替えのない命の持続感というものを持て」と語るように、自分の歴史こそ最大の「財産」であり、その時々で経験した事の積み上げが「人生」そのものと思います。体と心を、育て維持することが、日々の生活ですが、時々に起る自分の目標(欲)と違う結果に、一喜一憂する必要はないのかもしれません。

*参考資料:「私の人生観」~小林秀雄語録「人生の鍛錬」~

<前の日記>
円熟とは、忍耐に寄せる信頼(敬意)~小林秀雄~
 http://utorongo.otemo-yan.net/e170793.html
良い(好きな)ことばかり追っていたら、矛盾する問題に気付かないものです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:19Comments(1)

2009年03月20日

円熟とは、忍耐に寄せる信頼(敬意)~小林秀雄~

円熟とは、忍耐に寄せる信頼(敬意)~小林秀雄~

 今日は、WBCの日本勝利をネタに、酒を汲み交わしている人の多いことと思います。3連休で、遠出をしている人も居ると思います。一人ひとりに与えらた1日は、24時間です。寝てても、読書も、宴会も、またレジャーも、その一日をどう使うかにあると思います。

 私は、秋のイベントの下準備、ここ2月の整理と、これからの手間を少なくする工夫をするために、昼食前から夕方まで、コタツに座り、WBCを観戦しつつ、事務作業をやりました。私もまた、今日の一日をどう使うか考えての過ごし方です。
 
 古い昔から、1日の時間を変りません。一人に与えられた時間も変りません。昭和の批評家・小林秀雄の文章に、「時間と忍耐」の付いて書かれたものがありました。さすがに、世を見続け、考え続けた人だなと思います。

(本文)
 忍耐とは、癇癪(かんしゃく)持ち向きの一徳目ではない。私達が、抱いて生きて行かねばならぬ一番基本的なものは、時間というものだと言っても差し支えないから、忍耐とは、この時間というものの扱い方だと言っていい。時間に関する慎重な経験の仕方であろう。忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意をもつ事だ。円熟とは、これに寄せる信頼である。(「還暦」24-122)

 日々の暮らしの中でも、「何で俺(私)が、ここに留まり、こんなくだらない話を聞かなければならないか!」とか、「何時まで続くかわからない、販売促進会議。ここに居るより、外回りをさせてくれ! 」とか、・・納得できない、ジッと我慢の時間を経験します。

「ジッと我慢の時間=忍耐」

時間をいかにして、自分の意志のもと使いきれるか、日々苦闘しているのですが、社会では全く人と関わりなく過ごすことは出来ないし、人間社会の中でもまれ、同世代と切磋琢磨して、身心も成長して行きます。

どうしても自分の意志で、コントロールできない時間をどう過ごすかですが、「長いな、こんな会議意味有のか??」で過ごしても、「せっかく居るのだから、この会議で何か見つけてやろう」と思って、その場に居ることの意味は、大きく違ってきます。
 孔子の言葉に、「三人寄れば、師有り」、反面教師の自分ためになるもので、無駄な時間と思ったことが、人生の参考になることも多々あります。

>忍耐とは、この時間というものの扱い方
>関する慎重な経験の仕方

 30代のころだったら、この文章は理解出来なかったでしょうが、50歳を越えると、色々な風景を見てきます。時を大事する事、今状況を受け入れ、そこでどう楽しむか? を考えるようになれるのかもしれません。

>忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意をもつ事

この言葉には、敬服させられでます。

「円熟とは、これ(忍耐)に寄せる信頼である」

は、小林秀雄氏も「還暦」を向え、それまでの経験を振り返り、我慢した事、無駄と思ったこと、その我慢から批評家としての鋭い目が磨かれたとしたら、案外、忍耐も捨てたものではないかもしれません。

 「不都合の真実」なる環境問題の映画が反響を呼びました。良い(好きな)ことばかり追っていたら、矛盾する問題に気付かないものです。案外、無駄の中に次世代を豊かにするヒント(解決策)が潜んでいるかもしれません。

*参考資料:小林秀雄の言葉「人生の鍛錬」より  


Posted by ノグチ(noguchi) at 20:03Comments(2)批評家・小林秀雄

2009年03月20日

古い友人を大事に、目立たぬ貢献を心がけ(菜根譚)

古い友人を大事に、目立たぬ貢献を心がけ(菜根譚)

(本文)
 個人的な恩を着せるよりは、正しい意見に味方したい。
 新しい友人を求めるより、古い友人を大事にしたい。
 売名行為に走るよりは、目立たぬ貢献を心がけたい。
 奇行を売りものにするよりは、ふだんの行いを慎みたい。

(解説)
 古い友人を大事にするという点では、『論語』に、「故旧ハ大故ナケレバ、即チ棄テズ」という有名なことばがある。周代の名補佐役、周公旦(しゅうこうたん)がわが子、伯禽(はくきん)をいましめたことばだという。
 また、目立たぬ貢献、ふだんの行いの二つも社会人の基本的なたしなみを言ってよいのではないか。

(感想)
 旧友と再会するのは、とても心休まることが多いし、若いころを思い出させる機会になります。時々、同窓会に参加したり、何年ぶりかで旧友との語りは、やる気を起こさせてくれます。

>正しい意見に味方
>古い友人を大事に
>目立たぬ貢献を心がけ
>ふだんの行いを慎み

 言葉は違えど、人として生きる心がけは、何時の時代も変らないように思います。
 今年、生誕200年を迎える、幕末の思想家・横井小楠が、甥の送別に詠んだ漢詩にもそのことがありました。

(横井小楠の漢詩訳、抜粋)
 心に逆らうことあるも、人を咎むることなかれ、人を咎むれれば徳を損ず。
 為さんと欲することあるも、心を充てにすることなかれ、心を充てにすれば事を破る。
 君子の道は身を修むるに有り。

 テレビ番組、報道される出来事を考えると、「恩を着せる、新しい友人、売名行為、奇行を売りもの」の早く、大きくなることばかりが目立つようにように思います。 
 人の成長は、そんなに早くないと思います。マイペースで、後退するなく、少しづつ前へ進めば良いのではと思います。最後に、ゲーテの格言集に次の言葉がありました。

「自負しすぎない者は、自分で思っている以上の人間である」

凡人は、謙虚、倹約、勤勉、そしてマイペースが良いのかもしれません。

*参考資料:守屋洋編著「新釈 菜根譚」、横井小楠著「大義を四海に、・・」
高橋健二編訳「ゲーテの格言集」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 08:56Comments(0)菜根譚

2009年03月19日

有能な人は、常に学ぶ人(常に初心者である)

有能な人は、常に学ぶ人(常に初心者である)

 あの人に任せれば良いよね、仕事は忙しい人に頼め、と子どもが中学校の時にPTA会の先輩から、ご意見(ドバイス)がありました。多忙な人ほど、勉強するし、人ともあっています。

 色々な歴史書にも多忙な人ほど勉強すると幾度となくありますが、詩人のゲーテのそのことをしてきましています。高橋健二編訳「ゲーテの格言集」から引用しています。でも私の思いは、一生勉強ですから、青年期、中年期、熟年期、老年期になっても興味と行動を忘れないようにしたいと思います。


(本文)
 有能な人は、常に学ぶ人である (ローマの諷刺家マルティアス)

(意味)
 よき人は常に初心者である。
 ザイード氏は、「常にアマチュアであれ!」の言葉は、新鮮で、印象に残る言葉と思いました。


(本文)
 三千年の歴史から 学ぶことを知らぬものは、
 知ることもなく、やみの中にいよ、
 その日その日を生きるとも。
(西東詩編「不満の書」から)


<本文から>
 理解していないものは、所有しているとは言えない 
(知行合一)知識は理解し、行動して起してこそ


(本文)
 真剣さなくしては、この世で何事もしとげることができない。教養ある人と呼ばれる人 たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。
(「ヴィヘルム・マイスターの修行時代」から)


 私は自営業で、そう学歴も無く、「無教養」の人種ですが、人と出会ったことで、不足な差を、補うように頑張りたいと思います。これからまた、1年よろしくお願い致します。

*参考資料:高橋健二編訳「ゲーテの格言集」

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 23:20Comments(5)故事、名言、スピーチ、等

2009年03月19日

(老子)過干渉は子どもをダメにする

(老子)過干渉は子どもをダメにする

 かつて、子どもの過保護と過干渉がよくないといわれていた。が、今日では、過保護は、いくらしても、子どもの健全な成長を妨げないことがわかった。
 子どもたちをダメにしてしまうのは、過干渉が、もっとも善くない。
 あれこれと、干渉され、毎日のように注意や施策を加えられて、子どもの個性や適正がぐちゃぐちゃにされて、自分の本質がなんだかさっぱりわからなくなってしまった子どもたちが、いかに多いことか。
(以上、「老子・荘子の言葉100選」より)

 過干渉を注意した言葉が、老子の教えにあります。

「小鮮を烹(煮)るがごとく」

 ~小さい魚を煮るようにする~

(意味)
 なべに小さい魚をそっと並べて煮る時に、いたずらに、向きを変えたり、ひっくり返したりしていると、小魚の形がぐちゃぐちゃになってしまう。あまり掻き回さない方が、小魚の形が美しいし、味もよい。(中略)

(解説)
 現代は、子どもの教育ばかりではなく、あまりにも、重箱の隅をつつくようなことが多く、人々は、つねに戦々恐々としている。老子の中心哲学は、「無為自然」(自然にまかせてほうって置く)である。

 
 昨日、高校の保護者会で、こんな話があった。
 
「子どもたちは、勉強しなければいけないのは、充分分かっている。煮え切らない態度の子どもに、頭ごなしに゛勉強しなさい゛と言われる、言われた方は「ムッ」とするものです。なるべく子どもの自主性を尊重して下さい」

 ついつい、言ってしまいそうな気分を持ちますが、考えてみると自分が学生だったころ、やはり進んで勉強が出来たかと思うと、二つ返事をできないような学生生活だったと思います。
 
「小鮮を煮るがごとく」

 なべの温度管理がしっかりしないといけませんが、中身の状況は、中身がふれあいながら、出来上が(成長す)るを待つことが肝要、という教えと思います。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 13:03Comments(0)老子・荘子

2009年03月18日

(老子)違った考え方を批判し合うから凶を招く

(老子)違った考え方を批判し合うから凶を招く

今日は、午前2時間半、午後3時間、初めて会う方と意見を交わす機会を持ちました。日々流れる情報を元にして、考えていることは違うなと思います。しかし、みんなこの世に生きているのは違いありませんし、今よりもより良くの思いは同じと思います。。

今日、語る中で頭に浮んだ言葉が、「知足」でした。

「足るを知る」(知足)

私の師の一人が、常々語る言葉ですが、元々は中国古典の「老子」の言葉と言われています。今日の議論を振り返ると、同じような情報から発想することが一人ひとり違うと感じます。

また老子の教えに、次の言葉があります。

「常を知らざれば 妄(みだり)に作(な)して凶なり」(老子十六章)

 「常」とは、゛昔から変らないもの゛と言う意味ですが、何時の世も、人はひたすら「きみの考えとぼくの考えは違う」、「ああすればプラスだ」、「こうすればマイナスだ」と、違っている考えを批判しあって毎日を送っていると、「凶」(不吉な状態、不幸の状態、混乱の状態)を招くことになるとありました。また別の言葉は、

「不善なる者も われまたこれを 善とせん」(老子四十九章)

の意味は、「いい」と「悪い」の見方は、時代とともに変るという教えと、私なりに理解しています。ただその価値観もまた、人それぞれ受け止め方が違うと思います。

価値観とは、一人ひとりが生きてきた人生(文化)によって形作られると思います。老子の言う、「善い(良い)、悪い」、「賛否」、「勝負」・・・、の見方も、時代が変れば変ることもありし、立場を変えると賛否が変ることもあるの教示と思います。

ちなみに、今日対談した内容は、

(午前) 地域興しと農業ビジネスの新技術、他。 
(午後) 新産業起こしと地域ネットワーク、他。

数年かかりそうな取り組みですが、今日を起点にして色々な方と語り、また違った分野がリンクできるような異業種交流が生まれると良いなと思っています。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:52Comments(1)老子・荘子

2009年03月18日

(視点を変る)わき役の喜びを味わう

(視点を変る)わき役の喜びを味わう

 世間で高い評価している、エリートコースなどどいうものを、重視さえしなければ、この世の中を、誰もがやすかに生きられる。
 生きる喜びは、けっして、エリートコースだけでなく、演劇に例えると、わき役、装置係り、証明係り、そして観客だって、喜びを味わうことができる。

 「老子・荘子の言葉100選」の挿話に、次の一節があった。

(本文より、抜粋)
 畳屋さんの息子は、勉強好きで、名門大学から、有名な大会社に就職し、近所では評判のエリート。
 彼は、その名誉にしがみつくような気持ちで与えられた責任を果たそうと、夜を徹して働き競争社会を突っ走った。が、残念なことに、三年目で精神をひどく痛めた。
「俺の仕事を継がないか」
と父親にいわれ、彼は思いがけず、畳屋さんの後継者となった。いま、彼はいう。
「毎日、お客さんの感謝と善意につつまれ、すばらしい生きがいが持てた」・・・と。(以上、「老子・荘子の言葉100選」)

 社会は、色々な人たちの協力で成り立っている。主役を光らせる(支えている)のは、わき役。わき役が上手く動くようにリードするは、主役。
 人と人は、作用反作用の関係にあると思います。この会社は俺が支えていると、言葉に出さずに自分で「心」に思えば、自分も人生の主役といえると思います。

 老子の教示は、次の言葉です。

「聖を絶ち、智を棄つれば、民利百倍す」(老子十九章)
 ~偉くなろうとしなければ必ず得る~

*参考資料:「老子・荘子の言葉100選」

追記:


トラバ:
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:47Comments(1)老子・荘子

2009年03月16日

(青春+経験)青年は教えられるより、刺激されることを欲する

(青春+経験)青年は教えられるより、刺激されることを欲する

 論語に「憤せずんば啓せず、(ひ)せずんば発せず」の教えがありますが、ゲーテの格言も、同様を感銘を受けます。考え続け、人との応対に中で試行錯誤し、行きつく心の領域は同じなのかもしれないと感じます
 以下、詩人のゲーテの教示(格言)の抜粋です、ご意見等頂けるとありがたいです。よろしくお願します。

<以下、本文より>(若者編)

才能は静けさの中で作られ、
性格は世の激流の中で作られる。
          (「タッソー」)

頭がすべてだと思っている人間の哀れさよ!
       (「ヘルダーへ」)

青年は教えられるより、刺激されることを欲する。
        (「詩と真実」)

今日と明日の間には
長い期間が横たわっている。
君がまだ元気のうちに
早く処理することを学べ。
  (「格言的」)

 若者の夢想領域には、大人はなかなか近づけないところはありますが、自分たちもその時期を過ごして来た、地域の同志でもあると思います。
だからこそ、いい子には旅をさせろと言います。
 もうこれ以上の説明は、意訳を惑わすばかりですから、ココラで止めたいと思います。悩んでいる若者には、全部の答えを教えるのでなく、本人が悩んでいる分野を刺激するような言葉かけをして欲しいと思います。

<以前の日記>
・(最高の褒美)君ができる限り~As long as ever you can~
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1109753012&owner_id=2182841  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:40Comments(1)老子・荘子

2009年03月16日

(最高の褒美)君ができるすべてのことをできる限り

(最高の褒美)君ができる限り~As long as ever you can~

 今日は、名言から学び、自分の行動を考える機会になればと思い、イギリスの神学者・ジョン・ウェズリーの言葉をご紹介します。

君ができる限り ―― ジョン・ウェズリー

君ができるすべての善を行え、
君ができるすべての手段で、
君ができるすべての方法で、
君ができるすべての場所で、
君ができるすべての時に、
君ができるすべての人に、
君ができる限り。

Do all the good you can,
By all the means you can,
In all the ways you can,
At all the places you can,
To all the people you can,
As long as ever you can.

(解説)
 声明に対する最高の祝福とは、何かの実現に向けた自分の能力を精一杯に出した時に沸々と湧いてくる「生きてて良かった」という実感ではないだろうか。自分には限界があると謙虚に思っている人が、自分の限界すれすれのことに挑戦してそれをやり遂げたときの、自分で自分を褒めてやりたい、拍手してやりたい、という気持ちは、何にも代え難い人生の喜びである。(以上、谷沢永一編著「名言の智恵 人生の智恵」より)

(感想)
 時々、自分の想像を越えたことが起こります。それは、本人の行動を見て、「応援してあげよう」と言う人が居ること。アメリカのオバマ大統領の支持の高さは、その人のもつカリスマ性はあるにしろ、それまでに生きて来た中で、彼の言動に触れ、少しづつ少しづつ応援の環が広がって行ったと思います。

「君ができるすべてのことをできる限り」

 今必要な、とても大事な行動理念と思います。そして、もう一つ大事なことは、見返りを求めないと言うことでしょうか。
゛自分で自分を褒めてやりたい゛は何にも代え難い人生の喜びと思うこと事態が、最高の褒美のように思います。

*参考資料:谷沢永一編著「名言の智恵 人生の智恵」より
原書『行動の基準』ジョン・ウェズリー(イギリスの神学者)  


Posted by ノグチ(noguchi) at 10:44Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2009年03月15日

若者は将来に、洋々たる可能性を持っている

若者は将来に、洋々たる可能性を持っている

 孔子が若者に向けて短い言葉で、将来に期待する意味の教示している、でもちゃんと釘も刺している。

「後生畏るべし」

 「後生」とは、後で生まれてくる人、つまり若者のこと。これは、若者たちに期待をかけた言葉ですが、しかし、可能性だけは将来の大成は実現できません。孔子も次のように語っています。

「四十、五十にして聞こゆることなくんば、これまた畏るるに足らざるのみ」

(解説)
 「聞こゆる」とは、必ずしも有名になるを意味しない。社会のなかで、しかるべきポジションを占め、ちゃんとした役割を果たしていること。
 孔子の時代からすると、現代の長寿社会では、10年や20年は延長させてもよいであろう。(中略)

>洋々たる可能性を持っている 

 可能性を現実化するためには、ふだん(不断)の努力を惜しまないことが大事と思います。何時の時代も、「時の過ぎるのは早い、日々の努力を怠りなく」と説いているが、人間なかなか日常の生活流されて、向上心を薄れることが多い。
 陽明学の祖「王陽明」は、日々の生活(仕事)の中で自分を高める事が大事とも説いています。

「事上磨練」
事上:日々の仕事、生活 
磨練:自分鍛える、高める

何時の時代も、人の悩みは同じなのかもしれません。

*参考資料:『論語』~守屋洋編著「中国古典一日一話」

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:15Comments(0)孔子の教え

2009年03月13日

「詩人ゲーテ」えり(衿)を正す、五つの教え、五つの苦言

「詩人ゲーテ」えり(衿)を正す、五つの教え、五つの苦言

 数日前から、「ゲーテ格言集」を、信号停車や昼食時に目を通しています。「目で読むな、心で読め」と言われて、ハッとする事がありした。格言は、自分を前向きにしてくれるような言葉がたくさんあります。一度、手に取って目を通して頂き、ご意見等頂けるとありがたいです。

(本文より)

・五つのこと
 五つのこと五つを生ぜず。
 汝(なんじ)、この教えに耳を開け。
 おごれる胸には友情めばえず、
 礼にならわざるは、卑賤(ひせん)の仲間、
 無頼の徒は大をなさず、
 嫉(なた)むものは弱点をあわれまず、
 虚言をなすものは、誠と信を望み得ず――
これを胆に銘じ、ゆめ惑わさるるなかれ。
(西東詩編「観察の書」から)

・他の五つのこと
 時を短くするは何ぞ? → 活動!
時を堪え難(がた)く長くするは何ぞ! → 遊情!
負債をおとしいるるは何ぞ! → 手をこまぬ(ね)いて待つこと!
 利益を得るしむるは何ぞ? → 長く思案をせぬこと!
 名誉を導くは何ぞ? → おのれを守ること!
   (西東詩編「観察の書」から)


 師の一人、木内孝氏がかかれた本に、「畏敬」、「衿持(きんじ)」を忘れた日本人というタイトルで本を出された

>おごれる胸には友情めばえず

 おごりたかぶった人の側には行きたくないのが本音と思います。

>虚言をなすものは、誠と信を望み得ず

 信用こそ、一人ひとりが社会に存在する評価を思いますが、日々の暮らしに中で、どう行動し、何を発言するか、人からの評価はなかなか厳しいと思います。正論の唱えると、煙たがられる存在になるとして、意見をあまり言わない社会になっているようの思え、人々の思いがすれ違っているようも感じます。

 これからの社会活動は、自動車、携帯電話等のモバイルシステムと行動グループの小規模化(家族化)が進んでいると思います。人の交流が疎遠になれば、ますます一度の出会い(チャンス)が大事になってくると思います。

 11年続けてきた異業種交流会「四季の会」を、小さいながらも継続する事が大事なように感じています。もし、興味があれば、次回「春の会(予定)」の異業種交流会へご参加頂けるとありがたいです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:48Comments(0)リーダーの名言