2024年10月18日
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
「人間から生きがいを奪うほど残酷なことはない。人間に生きがいを与えるほど大きな愛はない」〜神谷美恵子〜
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
朝読書で、聖路加国際病院精神腫瘍科医師の保坂隆監修『つらい時に力をくれる「こころの名医」100の言葉』にあった精神科医の神谷美恵子のページを読んだ。
(以下、本より)
神谷美恵子は、幼年時代は、日本とスイスで恵まれた生活を送ったが、非凡な少女ではなかった。一大転機は、津田英学校(今の津田塾大学)2年の時にくる。キリスト教の伝道者だった叔父に誘われ、オルガン伴奏者として東京都の多摩全生園を訪ねた時だった。同園はハンセン病(当時は「らい病」と呼ばれていた)患者の療養施設である。20歳の娘は、強い衝撃を受けた。(中略)
その後、岡山県の長島愛生園で過ごしたおり、ハンセン病の療養者たちに「いま望むこと」を問うた。回答者に連なるのは「ケ・セラ・セラ」「どうにでもなれ」「一番の願いはきょう一日を忘れること」。読んで通説に思ったのが「生きがい」ということだった。
(以上、本より)
人間、"生きがい"ということを忘れはど、何かに熱中している時こそ、生きているを感じるときではないかと思います。
希望の無い日々を過ごすことは、一日が辛く長く感じることと思います。
私の挑戦した「100キロウォーク」での開会式での司会の方から、身体を痛めつける「"ドM"のみなさん、最後まで歩き続けて」の言葉が頭に残っています。
しかし、黙々と歩き続けている中で、到着した気持ちの高揚感(達成感)が、終わってからじわりじわりと満足感に変わってくる。生きているということを感じる、ある意味"生きがい"の一つとみなしています。
人はそれぞれに、様々な境遇があります。気持ちの落ち込み、失業、事故、病気、等々。厳しい状況でも、希望を持つことで前へ進むことができます。
8年前、熊本地震が発生、とんでも無い混乱の状況となった。その対応に追われる最中、今度は自宅が大雨で床下深水の被害を受け、住宅以外の小屋、車庫、倉庫、敷地全域が泥で埋まりました。ほんと、その時は"どうしたらよいか?"と途方に暮れました。
しかし、人間は気持ちを切り替えると、前に進めるものだと、振り返ります。
希望があると、知恵や工夫が生まれます。そこへ、仲間の手助けが差し伸べられ、さらに気持ちが前へ向く。それから、"これから何をしよう"の思いが出てきて、生きがいとなって行くのではと思います。
『佐藤一斎一日一言』10月20日の訓示は、
(以下、本より)
人は須く快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事に在らず。
【訳】
人は心に楽しむことがなくてはいけない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
中江藤樹は、「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、淡々蕩々として苦しめる所なし。是を真楽と言うなり。万の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」と言っている。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)
生きがいと人生の楽しみは、同じものと受け止めていますが、果たしてこれからの人生において、私の生きがい、楽しみはなにか?、今日一日考えてみたいと思いました。
そろそろ朝活の準備です。天気は回復しそうで、人間は勝手なもので、晴れると気持ちも元気なますね。
*神谷美恵子は、ハンセン病患者の治療に生涯を捧げた精神科医。佐藤一斎は、幕末の儒家で教育者。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
朝読書で、聖路加国際病院精神腫瘍科医師の保坂隆監修『つらい時に力をくれる「こころの名医」100の言葉』にあった精神科医の神谷美恵子のページを読んだ。
(以下、本より)
神谷美恵子は、幼年時代は、日本とスイスで恵まれた生活を送ったが、非凡な少女ではなかった。一大転機は、津田英学校(今の津田塾大学)2年の時にくる。キリスト教の伝道者だった叔父に誘われ、オルガン伴奏者として東京都の多摩全生園を訪ねた時だった。同園はハンセン病(当時は「らい病」と呼ばれていた)患者の療養施設である。20歳の娘は、強い衝撃を受けた。(中略)
その後、岡山県の長島愛生園で過ごしたおり、ハンセン病の療養者たちに「いま望むこと」を問うた。回答者に連なるのは「ケ・セラ・セラ」「どうにでもなれ」「一番の願いはきょう一日を忘れること」。読んで通説に思ったのが「生きがい」ということだった。
(以上、本より)
人間、"生きがい"ということを忘れはど、何かに熱中している時こそ、生きているを感じるときではないかと思います。
希望の無い日々を過ごすことは、一日が辛く長く感じることと思います。
私の挑戦した「100キロウォーク」での開会式での司会の方から、身体を痛めつける「"ドM"のみなさん、最後まで歩き続けて」の言葉が頭に残っています。
しかし、黙々と歩き続けている中で、到着した気持ちの高揚感(達成感)が、終わってからじわりじわりと満足感に変わってくる。生きているということを感じる、ある意味"生きがい"の一つとみなしています。
人はそれぞれに、様々な境遇があります。気持ちの落ち込み、失業、事故、病気、等々。厳しい状況でも、希望を持つことで前へ進むことができます。
8年前、熊本地震が発生、とんでも無い混乱の状況となった。その対応に追われる最中、今度は自宅が大雨で床下深水の被害を受け、住宅以外の小屋、車庫、倉庫、敷地全域が泥で埋まりました。ほんと、その時は"どうしたらよいか?"と途方に暮れました。
しかし、人間は気持ちを切り替えると、前に進めるものだと、振り返ります。
希望があると、知恵や工夫が生まれます。そこへ、仲間の手助けが差し伸べられ、さらに気持ちが前へ向く。それから、"これから何をしよう"の思いが出てきて、生きがいとなって行くのではと思います。
『佐藤一斎一日一言』10月20日の訓示は、
(以下、本より)
人は須く快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事に在らず。
【訳】
人は心に楽しむことがなくてはいけない。楽しみとは心の中にあるもので、外にあるものではない。
中江藤樹は、「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、淡々蕩々として苦しめる所なし。是を真楽と言うなり。万の苦を離れて、この真楽を得るを学問の目あてとす」と言っている。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より)
生きがいと人生の楽しみは、同じものと受け止めていますが、果たしてこれからの人生において、私の生きがい、楽しみはなにか?、今日一日考えてみたいと思いました。
そろそろ朝活の準備です。天気は回復しそうで、人間は勝手なもので、晴れると気持ちも元気なますね。
*神谷美恵子は、ハンセン病患者の治療に生涯を捧げた精神科医。佐藤一斎は、幕末の儒家で教育者。
2023年02月07日
<教育の中心は、人の道を教える>広域強盗事件。金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思う。
<教育の中心は、人の道を教える>毎日報道されるフィリピンに滞在中の広域強盗容疑の日本人4名を見て思うに、凄い知恵者なのだろうと思うが、知恵の使い道が間違っている。
自らをどう活かすのか、人生の最初の一歩を間違うと、人の命も、相手の状況も、想像すらしなくなる恐ろしい人間となる。既に、詐欺容疑でも、60億円以上の被害容疑もあり、金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思います。
今朝の読書は、幕末の儒家・佐藤一斎の訓示をまとめた『佐藤一斎一日一言』に、以下の言葉があります。
才能は両刃の剣
才は猶お剣のごとし。善く之れを用うれば、即ち以て身を衛るに足り、善く之れを用いざらば、即ち以て身を殺すに足る。
【現代語訳】
才能は剣のようなものである。これをよく用いれば身を守るために役立つし、これを悪いことに用いれば自分の身を殺すことになる。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より転載)
人間、人生の踏み出す一歩をどこに踏み入れるか?
後々の人生の末路が、見えてくるのではないか、
>身を衛るに足り
自らの命を守るに足りる生き方を見つけられることは幸せなのだと知らされる。
毎日、いろんな犯罪報道を聞きながら、人の道は多岐に有り、自らの進む道は、どこへ向かうのか?
子どもたちの教育の中心は、人の道を教えることのように思います。
#広域強盗事件
#マニラ収容施設
#容疑者4人
自らをどう活かすのか、人生の最初の一歩を間違うと、人の命も、相手の状況も、想像すらしなくなる恐ろしい人間となる。既に、詐欺容疑でも、60億円以上の被害容疑もあり、金まみれの人生の結末とは、どんなものか、歴史を学ばない人間の醜態と思います。
今朝の読書は、幕末の儒家・佐藤一斎の訓示をまとめた『佐藤一斎一日一言』に、以下の言葉があります。
才能は両刃の剣
才は猶お剣のごとし。善く之れを用うれば、即ち以て身を衛るに足り、善く之れを用いざらば、即ち以て身を殺すに足る。
【現代語訳】
才能は剣のようなものである。これをよく用いれば身を守るために役立つし、これを悪いことに用いれば自分の身を殺すことになる。
(以上、『佐藤一斎一日一言』より転載)
人間、人生の踏み出す一歩をどこに踏み入れるか?
後々の人生の末路が、見えてくるのではないか、
>身を衛るに足り
自らの命を守るに足りる生き方を見つけられることは幸せなのだと知らされる。
毎日、いろんな犯罪報道を聞きながら、人の道は多岐に有り、自らの進む道は、どこへ向かうのか?
子どもたちの教育の中心は、人の道を教えることのように思います。
#広域強盗事件
#マニラ収容施設
#容疑者4人
2022年05月06日
<田辺聖子風「教える」>幸福な人はむつかしいことを考えたがる。世間話、噂話、等々。〜『苺をつぶしながら』〜
<田辺聖子風「教える」>幸福な人はむつかしいことを考えたがる。世間話、噂話、等々。〜『苺をつぶしながら』〜
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
世間話、噂話、いろいろあります。私は、田辺聖子さんの世の中を"ナナメ見"した言葉が好きで、年に数週間ほど、毎年同じ時期に読みたくなる。
なんでだろう?
やはり春ごろか。
田辺聖子さんの文を集めた本『苦味を少々』にある一文。テーマが「世間のルールブック」のページにありました。
(以下、本より)
「あんまりむつかしいことは考えんほうがええデ。幸福な人はむつかしいことを考えたがるけどな」
幸福な人はヒマだから、いろいろ、つつかなくてもいいことをつついたり、あえて問題にしなければそれですむことを、わざとあげへつらうのであるらしい。
(以上、『苺をつぶしながら』より)
世間話を耳にするとき、"まるで見てきたかのような話"が伝わってくる。みんなすごい情報網をお持ちなのだろうな、と関心する。
しかし、話題の本人に確認すると、根も歯もない話と分かると、がっかりする。
田辺聖子さんの言葉からすると、世間話や噂話をする人たちは、平穏で幸福な生活をしている時間のゆとりのある人たちなのかと確認します。
これは私の最近の体験ですが、コロナ禍が始まって1年ほど経った時期、ある天草地域にある公共温泉に入っているとき、露天風呂で古老が帰郷した若者グループに、東京の政治家に関わる活動やスキャンダルについて語っているのを、聴いていると・・・
話が長い、遠回し、繰り返しの話だったり??
もし事実を見て、理解して、整理して語るなら「単刀直入」に短く語れば終わるのに、想像も加えて語るから長くなる。
今朝の田辺聖子さんの文からは、あの古老は幸せな人なのか!、と理解しました。幸福で時間があるから、いろいろ詮索、想像する時間がある。有る事無い事、現場確認なく自慢げに話す。聞かされる若者たちは、どう思っているだろう。
また、次の一文がありました。
(以下、『姥さかり』より)
大体、知識というのは本に書いてあることをそのまま物うつしにしておぼえたり、知ったりすること、だからそれをそのまま伝え、教えるのは、私なら何やら気恥ずかしい。知っているということは、羞じらいの固まりである。
(以上、本より)
教える事は、我慢する事。
本人が学び深め、理解がギリギリまで来た時、ちょっとヒントを出す。それが教える、古からのやり方と知りました。
忙しい人は、短く単刀直入にヒントを出す。
幸福で時間のある人は、知識や情報を基に、想像も加えて、遠回しに語る。
>あんまりむつかしいことは考えんほうがええデ。
むつかしく考え、知識を知らせたい人は、田辺聖子風に言わせると、幸福な人なのだと思います。
ネットの時代、電話長の人は要注意です。電話は要件のみ、1〜2分程度が受ける方はありがたい。
みなさんの周りは、どうでしょうか?
朝からダラダラと長くなりました。私こそ、朝から暇な時間があるので、要注意人物かもしれません。(笑)
ゴールデンウィークも後半、今日から平常の方も居ると思います。良き週末をお過ごしください。
長文を最後までお読みいただき、感謝いたします。
(長文です。お時間ある時にお読みください。)
世間話、噂話、いろいろあります。私は、田辺聖子さんの世の中を"ナナメ見"した言葉が好きで、年に数週間ほど、毎年同じ時期に読みたくなる。
なんでだろう?
やはり春ごろか。
田辺聖子さんの文を集めた本『苦味を少々』にある一文。テーマが「世間のルールブック」のページにありました。
(以下、本より)
「あんまりむつかしいことは考えんほうがええデ。幸福な人はむつかしいことを考えたがるけどな」
幸福な人はヒマだから、いろいろ、つつかなくてもいいことをつついたり、あえて問題にしなければそれですむことを、わざとあげへつらうのであるらしい。
(以上、『苺をつぶしながら』より)
世間話を耳にするとき、"まるで見てきたかのような話"が伝わってくる。みんなすごい情報網をお持ちなのだろうな、と関心する。
しかし、話題の本人に確認すると、根も歯もない話と分かると、がっかりする。
田辺聖子さんの言葉からすると、世間話や噂話をする人たちは、平穏で幸福な生活をしている時間のゆとりのある人たちなのかと確認します。
これは私の最近の体験ですが、コロナ禍が始まって1年ほど経った時期、ある天草地域にある公共温泉に入っているとき、露天風呂で古老が帰郷した若者グループに、東京の政治家に関わる活動やスキャンダルについて語っているのを、聴いていると・・・
話が長い、遠回し、繰り返しの話だったり??
もし事実を見て、理解して、整理して語るなら「単刀直入」に短く語れば終わるのに、想像も加えて語るから長くなる。
今朝の田辺聖子さんの文からは、あの古老は幸せな人なのか!、と理解しました。幸福で時間があるから、いろいろ詮索、想像する時間がある。有る事無い事、現場確認なく自慢げに話す。聞かされる若者たちは、どう思っているだろう。
また、次の一文がありました。
(以下、『姥さかり』より)
大体、知識というのは本に書いてあることをそのまま物うつしにしておぼえたり、知ったりすること、だからそれをそのまま伝え、教えるのは、私なら何やら気恥ずかしい。知っているということは、羞じらいの固まりである。
(以上、本より)
教える事は、我慢する事。
本人が学び深め、理解がギリギリまで来た時、ちょっとヒントを出す。それが教える、古からのやり方と知りました。
忙しい人は、短く単刀直入にヒントを出す。
幸福で時間のある人は、知識や情報を基に、想像も加えて、遠回しに語る。
>あんまりむつかしいことは考えんほうがええデ。
むつかしく考え、知識を知らせたい人は、田辺聖子風に言わせると、幸福な人なのだと思います。
ネットの時代、電話長の人は要注意です。電話は要件のみ、1〜2分程度が受ける方はありがたい。
みなさんの周りは、どうでしょうか?
朝からダラダラと長くなりました。私こそ、朝から暇な時間があるので、要注意人物かもしれません。(笑)
ゴールデンウィークも後半、今日から平常の方も居ると思います。良き週末をお過ごしください。
長文を最後までお読みいただき、感謝いたします。
2021年06月02日
<今日はゲーテ「結婚生活」>結婚生活とは、複雑に絡み合う、人間関係の実践そのもの。〜やっと発言する気持ちに!〜
<今日はゲーテ「結婚生活」>結婚生活とは、複雑に絡み合う、人間関係の実践そのもの。〜やっと発言する気持ちに!〜
久しぶりのドイツの詩人・ゲーテ名言集より、
(以下、本より転載)
結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上でえる。これは乱暴者を穏やかにする。また高い教養あるものにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消し得ないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数ではない。
(以上、『親和力』第一部第九章から)
結婚生活は、すべての初めであり、実は頂上である?
夫婦は、見知らぬ過去の生活をベースに、日々闘い(融合)し合う、個性強きパーソン(成長する人格)です。
個の時は、朝昼晩、その人の自由ですが、同居するとその重なり合う部分をどううまくやるか?
結婚生活とは、パーソンが"個性"を維持しつつも、家庭という最低の社会づくりに取り組む毎日です。
>個々の不幸なんか、すべてものの数ではない。
家族を持つ、親戚関係の確立、先祖とは何か?、結婚生活とは、複雑に絡み合う、人間関係の実践そのものですね。
久しぶりのドイツの詩人・ゲーテ名言集より、
(以下、本より転載)
結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上でえる。これは乱暴者を穏やかにする。また高い教養あるものにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消し得ないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、すべてものの数ではない。
(以上、『親和力』第一部第九章から)
結婚生活は、すべての初めであり、実は頂上である?
夫婦は、見知らぬ過去の生活をベースに、日々闘い(融合)し合う、個性強きパーソン(成長する人格)です。
個の時は、朝昼晩、その人の自由ですが、同居するとその重なり合う部分をどううまくやるか?
結婚生活とは、パーソンが"個性"を維持しつつも、家庭という最低の社会づくりに取り組む毎日です。
>個々の不幸なんか、すべてものの数ではない。
家族を持つ、親戚関係の確立、先祖とは何か?、結婚生活とは、複雑に絡み合う、人間関係の実践そのものですね。
2019年12月12日
いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。〜『不愉快なことには理由がある』より〜
<人間は社会的動物>いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。〜『不愉快なことには理由がある』より〜
コメントのタイトルにドキッとされたと思いますが、私も紹介する本を読んでドキッとしました。しかし、読むと成る程と思いました。
1ヶ月程前から、時々開く本『不愉快なことには理由がある』は、リサイクルバック店で見つけたものです。賛否は別として、ヒトを動物の集団行動としてとらえて、"いじめ"について語られています。
ページのタイトルは「学校はいじめを前提に成り立っている」でした。
(以下、内容を抜粋すると)
ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競いながら仲間意識を高めていくようプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5〜10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に別れたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けをすることになります。
集団が成立するためには[仲間」と「敵の。区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間をはずれたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。
いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。子どもを一ヶ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。(中略)
効果的な"いじめ対策"があるとしたら、いじめを前提としたうえて、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。その上で、暴行や恐喝のような犯罪である行為には、犯人を学校から排除する(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にはできるわけがありません。
(以上、橘玲著『不愉快なことには理由がある』より)
最近、私の田舎からも中学から私学への進学が居るようになりました。中高一貫もあるとは思いますが、私学は入学時に「いじめが発覚したら退学させます」と規定を伝えられるそうです。この点は、公立学校と私立学校の違いかな、と思いました。
いじめは根絶できません。「学校はいじめを前提に成り立っている」ということを当初から念頭において、いじめ対策をしなければ、いじめをなくすことはできない。人間は社会的動物であること、集団行動づくり=いじめ行為の危険性、を常に頭に置き、子どもたちの集団行動を観察することが必要と思いました。
*参考資料:橘玲著『不愉快なことには理由がある』
コメントのタイトルにドキッとされたと思いますが、私も紹介する本を読んでドキッとしました。しかし、読むと成る程と思いました。
1ヶ月程前から、時々開く本『不愉快なことには理由がある』は、リサイクルバック店で見つけたものです。賛否は別として、ヒトを動物の集団行動としてとらえて、"いじめ"について語られています。
ページのタイトルは「学校はいじめを前提に成り立っている」でした。
(以下、内容を抜粋すると)
ヒトは社会的な動物ですから、チンパンジーなどと同様に、ごく自然に集団をつくり、敵対する集団と競いながら仲間意識を高めていくようプログラミングされています。クラスではリーダーを中心に5〜10人の複数の集団が生まれますが、同じタイプの集団が並存することはありません。クラス内では集団同士の抗争が禁じられているからで、まず男子と女子に別れたうえで、ガリ勉、おたく、不良など、異なるタイプの集団が微妙なバランスで棲み分けをすることになります。
集団が成立するためには[仲間」と「敵の。区別する境界が必要です。この境界は、誰かを仲間に入れたり、仲間をはずれたりすることで絶えず確認されます。こうした境界確認行動によって子どもたちは「共同体」をつくっていくのですが、このゲームがいまは「いじめ」と呼ばれるのです。
いじめ(=集団づくり)はヒトとしての本能ですから、原理的には根絶できません。子どもを一ヶ所に集めて教育する近代の学校制度は、最初からいじめを前提にしているのです。(中略)
効果的な"いじめ対策"があるとしたら、いじめを前提としたうえて、仲間はずれにされた生徒が別の集団に移っていけるよう、学校という閉鎖空間を流動化させることです。その上で、暴行や恐喝のような犯罪である行為には、犯人を学校から排除する(退学)させる仕組みが必要です。しかしこうした「改革」は、現在の公教育の枠組みを根底から覆すので、文科省にはできるわけがありません。
(以上、橘玲著『不愉快なことには理由がある』より)
最近、私の田舎からも中学から私学への進学が居るようになりました。中高一貫もあるとは思いますが、私学は入学時に「いじめが発覚したら退学させます」と規定を伝えられるそうです。この点は、公立学校と私立学校の違いかな、と思いました。
いじめは根絶できません。「学校はいじめを前提に成り立っている」ということを当初から念頭において、いじめ対策をしなければ、いじめをなくすことはできない。人間は社会的動物であること、集団行動づくり=いじめ行為の危険性、を常に頭に置き、子どもたちの集団行動を観察することが必要と思いました。
*参考資料:橘玲著『不愉快なことには理由がある』
2014年08月02日
「地域主権」各自が自分の地域の経済や民主主義を発展させていく責務を負うという考え方。
「地域主権」各自が自分の地域の経済や民主主義を発展させていく責務を負うという考え方。
おはようございます。今朝は、親子論語教室の予定で会場へ来ると、宇土大太鼓フェスティバルの準備で慌ただしい状況?、そうか8月は第2土曜日だったと気づき、近くのマクドナルドでコーヒータイムを兼ねて読書です。
自民党から民主党になった政権交代後に、漫画家で作家の小林よしのり氏が、現職の国会議員対談した内容をまとめた本『「希望の国 日本」小林よしのりー九人の政治家と真剣勝負ー』にある言葉に気づかされました。
原口一博氏との対談から、(以下、転載)
(原口)日本国憲法に出てくる「主権」の概念には二つあるんですね。一つは「国権」という意味の主権。そしてもう一つは、国民主権というときの「主権」ですね。今日も総務委員会で議論したのですが、この「地域主権」というのは、国権に対抗するような意味合いでの主権を地域に与えるという話ではありません。以前、小林先生と『朝までテレビ』で議論したときに、
「日本を本当の独立国にしたい、本当の愛国心を作りたい、本当の意味での日本の成り立ちに沿って歴史と伝統を作りたい」
という話をしましたが、地域主権もその延長線上にある考え方です。ではどういうことかと言うと、
「国民としての主権をもっている人々は、自分たちの暮らしている地域についても、自らが責任を持って共同体を作る責務がありますよ」
という話なんです。権利の裏には、必ず義務があります。「地域」と「主権」を別々に捉えると、国権に代わる権限を地域が持つと誤解されがちですが、要するに自分たちの地域は自分たちで作るということ。各自が自分の地域の経済や民主主義を発展させていく責務を負うという考え方ですね。(中略)
(小林)なるほど。中央集権体制を完全に崩して、主権を全て地方に渡してしまい、いわば幕藩体制のような状態に戻るという話ではないわけですね。
(原口)それとは全然違うんです。(中略)、象徴天皇をいただく国は、どうしたって連邦制にはなりません。だから、地域主権における主体のことを「基礎自治体」と呼んでいるわけです。全ての権限が地方自治体にあるなどという考え方はまったくありません。
(以上、『希望の国 日本』より)
転載が長くなってしまいました。
この説明では、私はまだ理解出来ていませんが、要は、「自分たちの地域は、経済発展も地域の一人ひとりが責務を負い発展させること、同時に政治も民主的に課題解決を導き出せるように一人ひとりが政治参画する責任を持つ」と勝手に理解しました。
この本は、2010年5月10日に発刊されました。本の冒頭文「はじめに」書き出しには、
「自民党から民主党へ政権交代が、日本の民主主義成熟であるかのような過剰な幻想がマスコミを覆い尽くしてから七か月が過ぎ、早くも鳩山政権支持率は30%ぎりぎりまで下降している。(3月24日現在)」
政治は、地方自治体(基礎自治体)の運営に、国民一人ひとりが参画することが大事ですし、地域発展を常に意識する住民が増え続けるようにしなければ思います。国政も同様と考えています。
以前に、「国民は選挙に行かずに寝ていてくれ」の政治的発言をしたリーダーがいましたが、地域主権には向かないと思っています。
文が長くなりました。そろそろ切り上げて、午後からの活動準備です。最後までお読みいただき感謝いたします。
*参考情報:対談相手は(敬称略)、自民党から稲田朋美、石破茂、加藤紘一、高市早苗、安倍晋三。民主党から田村謙治、原口一博。平沼グループから木内実、平沼赳夫。
おはようございます。今朝は、親子論語教室の予定で会場へ来ると、宇土大太鼓フェスティバルの準備で慌ただしい状況?、そうか8月は第2土曜日だったと気づき、近くのマクドナルドでコーヒータイムを兼ねて読書です。
自民党から民主党になった政権交代後に、漫画家で作家の小林よしのり氏が、現職の国会議員対談した内容をまとめた本『「希望の国 日本」小林よしのりー九人の政治家と真剣勝負ー』にある言葉に気づかされました。
原口一博氏との対談から、(以下、転載)
(原口)日本国憲法に出てくる「主権」の概念には二つあるんですね。一つは「国権」という意味の主権。そしてもう一つは、国民主権というときの「主権」ですね。今日も総務委員会で議論したのですが、この「地域主権」というのは、国権に対抗するような意味合いでの主権を地域に与えるという話ではありません。以前、小林先生と『朝までテレビ』で議論したときに、
「日本を本当の独立国にしたい、本当の愛国心を作りたい、本当の意味での日本の成り立ちに沿って歴史と伝統を作りたい」
という話をしましたが、地域主権もその延長線上にある考え方です。ではどういうことかと言うと、
「国民としての主権をもっている人々は、自分たちの暮らしている地域についても、自らが責任を持って共同体を作る責務がありますよ」
という話なんです。権利の裏には、必ず義務があります。「地域」と「主権」を別々に捉えると、国権に代わる権限を地域が持つと誤解されがちですが、要するに自分たちの地域は自分たちで作るということ。各自が自分の地域の経済や民主主義を発展させていく責務を負うという考え方ですね。(中略)
(小林)なるほど。中央集権体制を完全に崩して、主権を全て地方に渡してしまい、いわば幕藩体制のような状態に戻るという話ではないわけですね。
(原口)それとは全然違うんです。(中略)、象徴天皇をいただく国は、どうしたって連邦制にはなりません。だから、地域主権における主体のことを「基礎自治体」と呼んでいるわけです。全ての権限が地方自治体にあるなどという考え方はまったくありません。
(以上、『希望の国 日本』より)
転載が長くなってしまいました。
この説明では、私はまだ理解出来ていませんが、要は、「自分たちの地域は、経済発展も地域の一人ひとりが責務を負い発展させること、同時に政治も民主的に課題解決を導き出せるように一人ひとりが政治参画する責任を持つ」と勝手に理解しました。
この本は、2010年5月10日に発刊されました。本の冒頭文「はじめに」書き出しには、
「自民党から民主党へ政権交代が、日本の民主主義成熟であるかのような過剰な幻想がマスコミを覆い尽くしてから七か月が過ぎ、早くも鳩山政権支持率は30%ぎりぎりまで下降している。(3月24日現在)」
政治は、地方自治体(基礎自治体)の運営に、国民一人ひとりが参画することが大事ですし、地域発展を常に意識する住民が増え続けるようにしなければ思います。国政も同様と考えています。
以前に、「国民は選挙に行かずに寝ていてくれ」の政治的発言をしたリーダーがいましたが、地域主権には向かないと思っています。
文が長くなりました。そろそろ切り上げて、午後からの活動準備です。最後までお読みいただき感謝いたします。
*参考情報:対談相手は(敬称略)、自民党から稲田朋美、石破茂、加藤紘一、高市早苗、安倍晋三。民主党から田村謙治、原口一博。平沼グループから木内実、平沼赳夫。
2014年07月08日
一般人が使う「先生」には2つの意味がある。「尊敬」か「からかいか」か?

一般人が使う「先生」には2つの意味がある。「尊敬」か「からかい」か?
おはようございます。強力な台風が近づく九州、準備怠りなく台風を迎えれるようにしないといけません。週末、全国龍馬社中九州ブロック総会と記念シンポジウムを準備している関係で、東京や四国、また九州各地から来熊予定の皆さんの足に影響が出そうな気がしています。強力な台風なのですが、被害は最小限になって欲しいと願うばかりです。
さて、今朝の熊本日日新聞朝刊の「読者の広場」に、東京都議の「セクハラやじ」問題についてご意見があった。人権問題と議員の品格の話です。
>平素より尊敬される意味で「先生」と言われるような品位・良識の備わった議員になっていただきたい・・・
地方議会に関わる一人として、私自身はどんな評価を受けているのか、自分ではなかなか聞けないものです。しかし、男女共同参画社会を推進してきた一人として、都議会の“セクハラやじ”には、呆れてしまいます。多分、発言した都議たちは、男女共同参画社会の意味すら理解できていないのでは。
憲政の神様「尾崎行雄」の訓示録に、「出たい人より、出したい一人」を議会への言葉がありますが、有権者の判断も問われる課題と思います。
>品位・良識のない議員には投票する気は一切ありません。
と投稿文は閉められていました。同感の意見です。
一昨日、幕末の志士「宮部鼎蔵」の没後150年記念シンポジウムで、パナリストに加えていただき、自分の薄学の歴史観から、思いを語らせていただきました。また昨年「御船町の5人の先哲」検討委員会の委員でも学んだこともあり、宮部鼎蔵の幼少期の生い立ちを知れば知るほど、リーダー(政治家)が、いかに品位・良識が必要か、150年の時を越えても伝わって来ます。宮部鼎蔵の信条「忠孝」の精神は、地元小学校の子供達へ、一昨日の子供たち寸劇からも伝わっていると思います。
「先生」という言葉は、辞書の解説には「学徳の優れた人、教師医師・弁護士・代議士などに対する尊敬語」などとある。しかし、地位だけを求める人には、冷ややかな方の「先生」の言葉の思いを持って使う一般人も多い。品位・良識は、地位ではなく、言動に現れるものと思います。日本最大の地方議会「東京都議会」の品位もそうだが、国内の地方議会に関わる一人ひとりが、襟を正し、品位と良識を踏まえて、日々の言動に実践することが、大事ではないかと思います。
今日は、台風の準備もありますが、土曜日の熊本へ来られる皆さんの受け入れ準備をしっかりしたいと思っています。台風が沖縄県に近づくので、本当に被害が最小限になるように願うばかりです。
2014年06月06日
〜心の内は隠せない〜勝海舟は、何も関係ない時に人に会うことが好きだった。
〜心の内は隠せない〜勝海舟は、何も関係ない時に人に会うことが好きだった。
こんばんは、アッと言う間に1日が過ぎました。午前中は、6月定例議会でした。市長選後の最初の議会で、雰囲気は少し違っていて、空気は変わったと感じました。これは、より良き議論ができる雰囲気だなと感じ、今回の議会は意味の大きい定例議会になるように思います。
午後は、建築の打ち合わせが続き、移動ばかりで、時間が済みました。夕方から宇土市議会の防衛議員連盟の総会に参加しました。私は、横井小楠に「海防」の重要性から、防衛議員連盟に加えていただきました。東アジアの緊張は、世界の懸念事項のなっています。
さて、友人で先輩議員の藤井慶峰氏の父様が亡くなりました。御歳98才でした。お通夜は、荘厳なもので、総勢24名の僧侶(曹洞宗)が唱える通夜のお勤めに、揃った音読は、心にジーンと響きました。
藤井先輩の通夜の言葉で、印象に残ったのは、お父様の2年前の家族へのメッセージは、「努力、努力、頑張れ」でした。96才の時のメッセージは、前向きで心のこもったメッセージ、素晴らしいですね。15才で仏門に入り、常に前向きに行き続けた先人からの訓示は、迫力が違うと思います。
さて人間の実力とは?
熊本出身で、共同通信の論説委員長だった政治評論家の故内田健三氏との出会いは20年前で、私の社会活動の先生は東海大学名誉教授(当時、経済学部教授)の高宗昭敏先生の勉強会でした。それから7年くらい経った時でしょうか、熊本で内田健三氏が熊本で講演をされた時、空港へお迎えに行きました。会場へ向かう車の中での会話です。内田氏は、当時80才でした。
「野口さん、歳を取れば身体は動かなくなるが、精神はいくらでも成長する。(私も)まだまだ勉強です」
当時私は39歳でした。言葉を聞き、身が引き締まる思いを忘れません。
人間の器量、意識レベルは、どんな場面(時)気づくでしょうか。
日々読む佐藤一斎の訓示録『言志四録』の「言志後録185条」にありました。
(以下、『佐藤一斎一日一言』より転載)
【現代語訳】
心の内は隠せない
戯れ言(ご)はそもそも真実のことではない。しかし、心に潜んでいることは、必ずふざけているうちに現れてきて、覆い隠すことができないものである。
(以上、本より)
人間観察は、欲目を捨てて人物を観ることが大事。
真面目な議論は構えるので、本心は見え難いが、仲間に打ち解けた飲み会や、地域の集まりの打ち上げなどに出席すると、 色々な人間模様、人生観、目標とするもの等々に気づくことがある、私はこの人間味が好きで、飲み会にはできるだけ参加し、可能であれば最後まで付き合うようにしています。
勝海舟は、何も関係ない時に人に会うことが好きだった。だから人間性がわかる。江戸無血開城ができたのか、山岡鉄舟の覚悟を導けたか。さらに、薩長軍が江戸攻撃した時、江戸火消し軍団と協力して江戸の住民全員助ける準備もしていた。
人間性は、用がある時に会うようでは、よく見えない。戯言が言えるような場に、気兼ね無く参加できる人間関係づくりも大事と、内田健三氏や勝海舟の行動から学びました。人間観察で定評のある三国志の英雄諸葛孔明の人間分析法に、「酒を飲ませて(飲んで)観る」があります。心許した時の言動こそ人間性が出るのかもしれませんね。
色々勉強した1日になりました。そろそろ、明日の活動の準備をしたいと思います。
こんばんは、アッと言う間に1日が過ぎました。午前中は、6月定例議会でした。市長選後の最初の議会で、雰囲気は少し違っていて、空気は変わったと感じました。これは、より良き議論ができる雰囲気だなと感じ、今回の議会は意味の大きい定例議会になるように思います。
午後は、建築の打ち合わせが続き、移動ばかりで、時間が済みました。夕方から宇土市議会の防衛議員連盟の総会に参加しました。私は、横井小楠に「海防」の重要性から、防衛議員連盟に加えていただきました。東アジアの緊張は、世界の懸念事項のなっています。
さて、友人で先輩議員の藤井慶峰氏の父様が亡くなりました。御歳98才でした。お通夜は、荘厳なもので、総勢24名の僧侶(曹洞宗)が唱える通夜のお勤めに、揃った音読は、心にジーンと響きました。
藤井先輩の通夜の言葉で、印象に残ったのは、お父様の2年前の家族へのメッセージは、「努力、努力、頑張れ」でした。96才の時のメッセージは、前向きで心のこもったメッセージ、素晴らしいですね。15才で仏門に入り、常に前向きに行き続けた先人からの訓示は、迫力が違うと思います。
さて人間の実力とは?
熊本出身で、共同通信の論説委員長だった政治評論家の故内田健三氏との出会いは20年前で、私の社会活動の先生は東海大学名誉教授(当時、経済学部教授)の高宗昭敏先生の勉強会でした。それから7年くらい経った時でしょうか、熊本で内田健三氏が熊本で講演をされた時、空港へお迎えに行きました。会場へ向かう車の中での会話です。内田氏は、当時80才でした。
「野口さん、歳を取れば身体は動かなくなるが、精神はいくらでも成長する。(私も)まだまだ勉強です」
当時私は39歳でした。言葉を聞き、身が引き締まる思いを忘れません。
人間の器量、意識レベルは、どんな場面(時)気づくでしょうか。
日々読む佐藤一斎の訓示録『言志四録』の「言志後録185条」にありました。
(以下、『佐藤一斎一日一言』より転載)
【現代語訳】
心の内は隠せない
戯れ言(ご)はそもそも真実のことではない。しかし、心に潜んでいることは、必ずふざけているうちに現れてきて、覆い隠すことができないものである。
(以上、本より)
人間観察は、欲目を捨てて人物を観ることが大事。
真面目な議論は構えるので、本心は見え難いが、仲間に打ち解けた飲み会や、地域の集まりの打ち上げなどに出席すると、 色々な人間模様、人生観、目標とするもの等々に気づくことがある、私はこの人間味が好きで、飲み会にはできるだけ参加し、可能であれば最後まで付き合うようにしています。
勝海舟は、何も関係ない時に人に会うことが好きだった。だから人間性がわかる。江戸無血開城ができたのか、山岡鉄舟の覚悟を導けたか。さらに、薩長軍が江戸攻撃した時、江戸火消し軍団と協力して江戸の住民全員助ける準備もしていた。
人間性は、用がある時に会うようでは、よく見えない。戯言が言えるような場に、気兼ね無く参加できる人間関係づくりも大事と、内田健三氏や勝海舟の行動から学びました。人間観察で定評のある三国志の英雄諸葛孔明の人間分析法に、「酒を飲ませて(飲んで)観る」があります。心許した時の言動こそ人間性が出るのかもしれませんね。
色々勉強した1日になりました。そろそろ、明日の活動の準備をしたいと思います。
2014年05月28日
民間の知恵で学校教育を変える試み、武雄市の学校改革
民間の知恵で学校教育を変える試み、武雄市の学校改革
おはようございます。今朝の熊日に、教育改革の話題が載っていました。賛否両論の武雄市の教育改革ですが、記事の最後に、当事者の高濱正伸氏の考える学力についてあった。
「社会に出て家庭を持ち、仕事をするときに生きる力。最終的には人を幸せにする力だ。課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。決まった答えを正しく、早く言って試験に合格するだけなら、それは学力とはいえない」
また、東大時代から学習塾で指導した経験から、
「学生時代に塾講師をしていたが、周りは不登校や引きこもりの子どもであふれていた。受験は、大学を出ても社会に巣立てない人を量産しているという問題意識があり、学習会を設立した」
とあり、これに対する改善方法(高浜氏の学習会)は
・さまざまな経験の総量を増やす
・野外活動
・異学年との共同作業
・子ども同士のトラブル解決の体験
これは、「メシの食える大人」を育てることを目標にして来たそうだ。「勉強はできるが、頼りにならない大人が増えた」と聞くことがある。仕事は、人と人との対応で成り立つ。先人の訓示には、人との対応の教えも多い。高濱氏は、学校の授業前の15分に、素読も取り入れるとあった。何を素読させるか、興味を持った。
>課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。
「魅力的語る」は、口が上手いという意味でなく、こちらも思いを誠意を込めて、相手に合わせ、場に合わせ、語ることができるかが目的であって欲しい。
幕末維新に多くのリーダーを排出したのは、各地に在った所謂「私塾」だった。高濱氏は、現代の私塾「◯◯学習会」の塾長のようなものだろうか。地域の頼れる人材を育成する手法が、公的学校に通用するか、これからの展開に注目しています。
おはようございます。今朝の熊日に、教育改革の話題が載っていました。賛否両論の武雄市の教育改革ですが、記事の最後に、当事者の高濱正伸氏の考える学力についてあった。
「社会に出て家庭を持ち、仕事をするときに生きる力。最終的には人を幸せにする力だ。課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。決まった答えを正しく、早く言って試験に合格するだけなら、それは学力とはいえない」
また、東大時代から学習塾で指導した経験から、
「学生時代に塾講師をしていたが、周りは不登校や引きこもりの子どもであふれていた。受験は、大学を出ても社会に巣立てない人を量産しているという問題意識があり、学習会を設立した」
とあり、これに対する改善方法(高浜氏の学習会)は
・さまざまな経験の総量を増やす
・野外活動
・異学年との共同作業
・子ども同士のトラブル解決の体験
これは、「メシの食える大人」を育てることを目標にして来たそうだ。「勉強はできるが、頼りにならない大人が増えた」と聞くことがある。仕事は、人と人との対応で成り立つ。先人の訓示には、人との対応の教えも多い。高濱氏は、学校の授業前の15分に、素読も取り入れるとあった。何を素読させるか、興味を持った。
>課題を設け、発案し、魅力的に語るには相当の学力が要る。
「魅力的語る」は、口が上手いという意味でなく、こちらも思いを誠意を込めて、相手に合わせ、場に合わせ、語ることができるかが目的であって欲しい。
幕末維新に多くのリーダーを排出したのは、各地に在った所謂「私塾」だった。高濱氏は、現代の私塾「◯◯学習会」の塾長のようなものだろうか。地域の頼れる人材を育成する手法が、公的学校に通用するか、これからの展開に注目しています。
2014年05月27日
日本の危機管理(政治)、人口分散と地域力に頼る経済(里山資本主義)に思う。
日本の危機管理(政治)、人口分散と地域力に頼る経済(里山資本主義)に思う。
おはようございます。昨夜の東日本大震災・熊本支援チームの報告会には、多くの有志が集まり、熱く抱負を語りました。新たな参加者も増え、情報共有の集まりの継続は、大事と確認した気がします。
さて、東日本大震災は東北の海岸域を猛烈な津波が押し寄せました。有史以来、日本では大災害が頻繁に起きて来ました。例を挙げれば、
平安前期に秋田県北部の十和田湖大噴火の泥流。室町時代中期に東海道沿岸を襲った明応の大地震と大津波。江戸中期に雲仙岳噴火活動で眉山が崩壊し有明海に起きた大津波、約1万5千人の死者。また江戸中期に沖縄県の八重山諸島などで、一万数千人死者を出した波高40m(石垣島では50mの記録も)の大津波。そに後にも、浅間山の噴火、富士山の噴火、火山灰で冷害になり飢饉も起きた。今でも、どれも世界が驚く自然災害の歴史です。
今騒がれる東海・南海トラフの連動大地震と大津波は、室町時代中期に実際に起きた歴史があります。当時よりも、はるかに人口が増え都市部に集中しています。昨日の震災報告で紹介したのが、地域力の差でした。いわゆる地域の世話役(リーダー)の存在が、津波から人の命を救い、被災地での命をつなぐ役割を果たした。
石巻市の市街地周辺の新興団地では、コミュニティが形成されておらず、震災4日後の夜にやっと大人3人にオニギリ1個だけが渡ったそうです。それに比べ、石巻市の半島部の55戸の集落が、津波で道が壊滅状況になり孤立した。3月11日夜に地区の世話役が集まり、地区にある全ての食料、薬、病人を調べたら1月は地区全員が生き延びれると分かり、翌日の朝から全員に温かい食事が出せた。
石巻市を震災直後の4月5日に訪れた時は、街は舟はもちろん様々な津波の瓦礫で埋め尽くされ、生活インフラは壊滅し、命をつなぐには避難所の炊き出し以外になかった。同じ石巻市内でもこれだけの地域力の差が現地で起こっていたことを知りました。
この地域力は、古い歴史を持つ田舎ほどあるように思います。最近特に、この田舎力が必要なことを気づくのですが、先人から伝承された災害の危機意識から、東北の今回の大津波で、明治の大津波からすると人命が多く救われています。
例えば、明治の大津波では小学生(当時は人口も少なく、尋常小学校3年制)が、東北全域で5500人が亡くなっています。今回の津波では、東北全域で300名弱の小学生(現在6年制)が亡くなった。大川小学校の小学生の被害は、見方を変えれば危機意識不足とも言えます。
現日銀総会の黒田氏が、アジア開発銀行頭取の時に、震災復興会議の五百旗部(いおきべ)議長に、(スマトラ沖地震の大津波被害に比べ)「どうしてこれくらい被害で済んだのか」と聞かれたそうで、五百旗頭氏は突然の質問にハッとしたそうだが、「それは、明治以来の教育だろう」と答えた、と講演で語られました。
スマトラ沖地震でも一人も死ななかった離島の少数民族がいるそうです。その村では、200年以上前に起きた地震と津波被害を歌にして語り(唄い)継いで来ていた。歌の中にある「地震が来たら高い所へ逃げろ!」の通り、全員が高台へ逃げた。都市住民は寄せ集めで、情報に頼り過ぎ、地震で情報インフラが壊れたので、逃げることもできず、多くが津波に呑まれた。
私は、中山間地(里山)に住んでいます。海からもそう遠くない場所、熊本市街地まで車で40分程度、見方を変えれば、東京なら関東経済圏の都心内に住んでいるようなものです。確かに、都会の華やかさはありませんが、熊本から深夜の列車もあるし、それなりの仕事はあります。地域にはまだまだ地域力(田舎力)が残り、マネー経済にはない支え合いもあります。
日本は、まだまだ人口(若者)が都市へ集まっています。確かにマネー経済(マネー資本主義)だけの視点では、満足(心の豊かさ)感を持てず、走り続けるしかないと思いますが、かつての里山や漁村にあった「厳しい生活ではあったが、おおらかで心の豊かな生活」は、底知れぬ地域力も持ち合わせていたと思います。
最近聞くようになった「里山資本主義」という言葉は、将来の日本再生に大きなスローガンになって行くように感じます。少子化の日本、東京都の出生率は1.1人を代表に都会は低く、沖縄県や九州は高い。
通勤時間と労働時間が長く、保育所が足りず、病気の時のバックアップもなく、子供を産む仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化が進んでいる。保育所が完備し、子育てに祖父母や社会の支援が厚く、子育て中の収入が確保しやすい地域ほど、子供が生まれれている。
様々に考えはありますが、昨日の報告会と今朝の読書で思ったことを、思いつくまま長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。関心を持たれた方は、何かご意見をいただければ幸いです。
おはようございます。昨夜の東日本大震災・熊本支援チームの報告会には、多くの有志が集まり、熱く抱負を語りました。新たな参加者も増え、情報共有の集まりの継続は、大事と確認した気がします。
さて、東日本大震災は東北の海岸域を猛烈な津波が押し寄せました。有史以来、日本では大災害が頻繁に起きて来ました。例を挙げれば、
平安前期に秋田県北部の十和田湖大噴火の泥流。室町時代中期に東海道沿岸を襲った明応の大地震と大津波。江戸中期に雲仙岳噴火活動で眉山が崩壊し有明海に起きた大津波、約1万5千人の死者。また江戸中期に沖縄県の八重山諸島などで、一万数千人死者を出した波高40m(石垣島では50mの記録も)の大津波。そに後にも、浅間山の噴火、富士山の噴火、火山灰で冷害になり飢饉も起きた。今でも、どれも世界が驚く自然災害の歴史です。
今騒がれる東海・南海トラフの連動大地震と大津波は、室町時代中期に実際に起きた歴史があります。当時よりも、はるかに人口が増え都市部に集中しています。昨日の震災報告で紹介したのが、地域力の差でした。いわゆる地域の世話役(リーダー)の存在が、津波から人の命を救い、被災地での命をつなぐ役割を果たした。
石巻市の市街地周辺の新興団地では、コミュニティが形成されておらず、震災4日後の夜にやっと大人3人にオニギリ1個だけが渡ったそうです。それに比べ、石巻市の半島部の55戸の集落が、津波で道が壊滅状況になり孤立した。3月11日夜に地区の世話役が集まり、地区にある全ての食料、薬、病人を調べたら1月は地区全員が生き延びれると分かり、翌日の朝から全員に温かい食事が出せた。
石巻市を震災直後の4月5日に訪れた時は、街は舟はもちろん様々な津波の瓦礫で埋め尽くされ、生活インフラは壊滅し、命をつなぐには避難所の炊き出し以外になかった。同じ石巻市内でもこれだけの地域力の差が現地で起こっていたことを知りました。
この地域力は、古い歴史を持つ田舎ほどあるように思います。最近特に、この田舎力が必要なことを気づくのですが、先人から伝承された災害の危機意識から、東北の今回の大津波で、明治の大津波からすると人命が多く救われています。
例えば、明治の大津波では小学生(当時は人口も少なく、尋常小学校3年制)が、東北全域で5500人が亡くなっています。今回の津波では、東北全域で300名弱の小学生(現在6年制)が亡くなった。大川小学校の小学生の被害は、見方を変えれば危機意識不足とも言えます。
現日銀総会の黒田氏が、アジア開発銀行頭取の時に、震災復興会議の五百旗部(いおきべ)議長に、(スマトラ沖地震の大津波被害に比べ)「どうしてこれくらい被害で済んだのか」と聞かれたそうで、五百旗頭氏は突然の質問にハッとしたそうだが、「それは、明治以来の教育だろう」と答えた、と講演で語られました。
スマトラ沖地震でも一人も死ななかった離島の少数民族がいるそうです。その村では、200年以上前に起きた地震と津波被害を歌にして語り(唄い)継いで来ていた。歌の中にある「地震が来たら高い所へ逃げろ!」の通り、全員が高台へ逃げた。都市住民は寄せ集めで、情報に頼り過ぎ、地震で情報インフラが壊れたので、逃げることもできず、多くが津波に呑まれた。
私は、中山間地(里山)に住んでいます。海からもそう遠くない場所、熊本市街地まで車で40分程度、見方を変えれば、東京なら関東経済圏の都心内に住んでいるようなものです。確かに、都会の華やかさはありませんが、熊本から深夜の列車もあるし、それなりの仕事はあります。地域にはまだまだ地域力(田舎力)が残り、マネー経済にはない支え合いもあります。
日本は、まだまだ人口(若者)が都市へ集まっています。確かにマネー経済(マネー資本主義)だけの視点では、満足(心の豊かさ)感を持てず、走り続けるしかないと思いますが、かつての里山や漁村にあった「厳しい生活ではあったが、おおらかで心の豊かな生活」は、底知れぬ地域力も持ち合わせていたと思います。
最近聞くようになった「里山資本主義」という言葉は、将来の日本再生に大きなスローガンになって行くように感じます。少子化の日本、東京都の出生率は1.1人を代表に都会は低く、沖縄県や九州は高い。
通勤時間と労働時間が長く、保育所が足りず、病気の時のバックアップもなく、子供を産む仕事を続けにくくなる地域ほど、少子化が進んでいる。保育所が完備し、子育てに祖父母や社会の支援が厚く、子育て中の収入が確保しやすい地域ほど、子供が生まれれている。
様々に考えはありますが、昨日の報告会と今朝の読書で思ったことを、思いつくまま長々と書きました。最後までお読みいただきありがとうございます。関心を持たれた方は、何かご意見をいただければ幸いです。
2014年05月13日
男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い。

男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い。
爽やかな朝です。おはようございます。朝ウォーキングは、格別に気持ち良い気分でした。さて、昨日からブラジル・ワールドカップの23名の代表発表で、大いにテレビが沸いている。日本サッカーも強くなって来ていると思います。
さて、今朝の共同通信配信の記事に、日本社会と先進諸国の格差についての記事がありました。タイトルは「母に優しい国」、日本は32位で、昨年より一つ順位が落ちた。上がる話なら良いが、下がる話は1つ順位を落とすことだが、先進国と言えるか疑問。
記事は読んでいただけると良いのですが、日本は男女共同参画法が施行されて14年が過ぎた。当初の勢いに陰りが見えて、特に政治参画ではどんどん先進国から取り残されている。特に地方は、市町村合併で議会へ女性の当選が難しくなっている。
地方分権が進む現代だからこそ女性の意見が重要と思います。ヨーロッパでは、市民社会の考え方が進み、生活重視の政策に重きを置かれている。福祉大国の北欧諸国が、女性の社会進出も進んでいる。比べて、韓国30位、米国31位、日本32位、・・中国61位。
米国は南北戦争後、人権問題が長く議論され多民族社会が常識化し、女性の社会進出も進んでいるように見えるが、世界の評価は低い。日本は、国家と言える体制になって150年あまりだが、女性の参政権は戦後になってから。故市川房枝さんの記念館を訪れた時、戦前から参政権、女性の権利を主張し続けて来た歴史を再確認した。
戦後69年になったが、あい変わらずテレビで議会答弁するのは背広姿の男性が目立つ。地方議会となると、さらに少なく、女性議員は希少価値と揶揄する市民の声もある。女性が女性の足を引っ張ると声もある。もっと市民意識の高い女性たちが集い、様々な生活問題、教育問題、地域課題を自由に語れる場作りが急がれるように思う。
女性活動=市民活動と、私の住む地域の婦人会の活動を見ると感じます。地域は、女性が支えている。政治家と地方で言われる方々は、もっと女性の声に耳を傾けることが必要です。
私は、ひょんなことから、熊本の男女共同参画社会づくりの活動に参加するようになって丸10年が過ぎた。男性社会は、男女共同参画条例を作るまでは熱心だが、その運用にはまったく関心が無い人がほとんどです。条例(形)はできても、本来の中身(女性の参画)に、力を注ぐことが大事と思う。
今日は一日外回り、日本中が7月並みの暑さになるとか、休憩と水分補給をわすれないようにして、乗り切りましょう。
2014年05月12日
今日は大雨か? ダイエー下通店閉店、太陽デパート火災の施設建て替えへ。
今日は大雨か? ダイエー下通店閉店、太陽デパート火災の施設建て替えへ。
おはようございます。今朝は、気温22.5℃のムッとする湿度の高い空気の中でウォーキングして来ました。今日は、大雨の予想で、雲が厚くなって来ました。
さて、昨日熊本市の市街地に在るデパート「ダイエー下通店」が閉店した。ダイエーは3代目の店で、かつては太陽デパートだった。私が中学3年生の時だった、1973年11月火災が発生し104名の方が亡くなった。
今回の閉店は、現在の耐震基準に合わないことが第一要因ですが、小売業界の変化から、売り上げはピーク時の1/2に低迷していた。地元紙に、この施設を当初建設した太陽デパートの大火災で亡くなった方の親族は、「デパート前にくると火災当時を思い出す」と語っていた。
また、火災現場で救助にあたった元消防士の小森英和さん(74才)は、「太陽デパートでは、防火シャッターが段ボールに阻まれて、機能しなかった。今後の施設でも、一人一人が防災意識を高めて欲しい」と話した、とあった。
最近も長崎の診療所で、防火ドアが古くなり火災時に閉まらなかった。私も建築に関わるものとして、施主には防災意識が必要と常々語るのですが、機器が発達した現在、センサー等に頼り、防火管理者の危機意識が薄れているようにも思います。
昔、冬になると「夜回り」で防火意識を喚起したことを忘れずに、現代人も火元の確認、タバコ火消し、基本を忘れずに防火意識を高める工夫を続けることが重要と思います。
今日の午前中は臨時議会、午後は宇土市主催のジュニアサッカー選手権の打ち合わせです。
おはようございます。今朝は、気温22.5℃のムッとする湿度の高い空気の中でウォーキングして来ました。今日は、大雨の予想で、雲が厚くなって来ました。
さて、昨日熊本市の市街地に在るデパート「ダイエー下通店」が閉店した。ダイエーは3代目の店で、かつては太陽デパートだった。私が中学3年生の時だった、1973年11月火災が発生し104名の方が亡くなった。
今回の閉店は、現在の耐震基準に合わないことが第一要因ですが、小売業界の変化から、売り上げはピーク時の1/2に低迷していた。地元紙に、この施設を当初建設した太陽デパートの大火災で亡くなった方の親族は、「デパート前にくると火災当時を思い出す」と語っていた。
また、火災現場で救助にあたった元消防士の小森英和さん(74才)は、「太陽デパートでは、防火シャッターが段ボールに阻まれて、機能しなかった。今後の施設でも、一人一人が防災意識を高めて欲しい」と話した、とあった。
最近も長崎の診療所で、防火ドアが古くなり火災時に閉まらなかった。私も建築に関わるものとして、施主には防災意識が必要と常々語るのですが、機器が発達した現在、センサー等に頼り、防火管理者の危機意識が薄れているようにも思います。
昔、冬になると「夜回り」で防火意識を喚起したことを忘れずに、現代人も火元の確認、タバコ火消し、基本を忘れずに防火意識を高める工夫を続けることが重要と思います。
今日の午前中は臨時議会、午後は宇土市主催のジュニアサッカー選手権の打ち合わせです。
2014年04月02日
水俣病を思い詠まれた天皇皇后両陛下の歌3首に感銘。
水俣病を思い詠まれた天皇皇后両陛下の歌3首に感銘。
おはようございます。約3週間ぶりに早朝ウォーキングを再開しました。気候も良くなり、夜明けが早くなったなと思います。
今朝の朝刊に、昨年開催された「全国豊かな海づくり大会」で、天皇皇后両陛下が詠まれた歌碑が建立された。その3つの歌は、水俣病に苦しむ患者へいたわりの心が滲み出るものでした。
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
「あまたなる人の患いのもととなりし海にむかいて魚放ちけり」
「患いの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし」
一昨日も、水俣病の判決が出て、患者に認められた人、認定を受けれなかった人、まだまだ揺れ動く水俣病認定の難しさがあるように思います。その状況を鑑み、両陛下は苦しむ患者のみなさんへ思いを伝えたかったのかもしれません。
蒲島知事は、水俣病認定の判定業務を国へ返そうと訴えているが、国の返事はまだ出ていない。昭和の公害は、平成26年になっても解決の目処が立っていない。豊かな海から発生した水俣病、苦しむ患者の方々へ、安息の日が来るのはいつのことだろうか。
*熊日朝刊の「読者の広場」に投稿された文中から両陛下の歌を引用しました。
おはようございます。約3週間ぶりに早朝ウォーキングを再開しました。気候も良くなり、夜明けが早くなったなと思います。
今朝の朝刊に、昨年開催された「全国豊かな海づくり大会」で、天皇皇后両陛下が詠まれた歌碑が建立された。その3つの歌は、水俣病に苦しむ患者へいたわりの心が滲み出るものでした。
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
「あまたなる人の患いのもととなりし海にむかいて魚放ちけり」
「患いの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし」
一昨日も、水俣病の判決が出て、患者に認められた人、認定を受けれなかった人、まだまだ揺れ動く水俣病認定の難しさがあるように思います。その状況を鑑み、両陛下は苦しむ患者のみなさんへ思いを伝えたかったのかもしれません。
蒲島知事は、水俣病認定の判定業務を国へ返そうと訴えているが、国の返事はまだ出ていない。昭和の公害は、平成26年になっても解決の目処が立っていない。豊かな海から発生した水俣病、苦しむ患者の方々へ、安息の日が来るのはいつのことだろうか。
*熊日朝刊の「読者の広場」に投稿された文中から両陛下の歌を引用しました。
2014年03月13日
聞く力は、これからの地域づくりに必要な人物の資質か。
聞く力は、これからの地域づくりに必要な人物の資質か。
おはようございます。昨夜の飲み会からか、早く寝て変な時間に目が覚めた。
昨夜の友人と語りながら晩餐で、色々なことを語ったが、なんの話も地域を活性化し、元気な町を作ることに行き着く。様々な話題が続いた。中心は献身的な人材の話題がいくつも出てきたが、自分の見識を誇示しようとする人物の話題はいくつか出るが、酒席を暗くするのですぐ消えた。
中国の諺に、「人の悪口は、回り回っていずれ自分に帰って来る」意味の訓示がある。私は、これを逆手に取れば、「人の良い意見(賛否)に耳を傾ければ、自分の考えが周りへ伝わる」の訓示になる、と変な考えを持っている。要は、語らずに自分の信条・考えを、伝心させて行く。時間のかかるやり方だが、私のような浅学の人間に合った方法と思っています。
多彩な経験の方は、物事や人物を即断し評価され、その場で口に出されるが、それが私には出来ない。これには、「悪口は自分に帰る」の自戒もあるが、聞き上手が会話の雰囲気も良くなり、人間関係も良好に保てると考えています。
また私は、「異見」なる言葉が好きで、よくブログ等で使わせてもらっています。自己の考えに固まって、物事や人物を批評(誇示)しがちだが、多様な視点で分析するには、人からの意見(異見)を謙虚に聞く姿勢が必要と思っています。特に、過去の人となった方の悪口は、聞く方は気分が良くなし、まして悪口が当人の耳にいずれ必ず伝わることも忘れてはならない。
昨年、聞き上手、聞く力、等の言葉が流行したが、人の意見(異見)を聞くことで、自分の考えを伝えることが可能と思うようになった。この聞くの意味には、相手に対して質問が大事で、どう会話を続けるか、話題の切り替えも含め、会話を続ける工夫が必要と思っています。
会話力は、質問力。数日前から紹介している『重職心得箇条』の第12条にも、
「大臣(重職)たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない」
なる訓示がある。部下の意見が正しければ、採用すればよい。ただし、責任は自分が取ることは変わらない。
悪口の逆は、聞く力(質問力)。ジョークも含め、場を気分良くする工夫を、最近楽しめるようになってきたように思います。年齢を問わず、気持ちが若ければ、色々な意見が出てくる。意見(発言)は、行動につながり仲間ができ、それが地域活性化(地域づくり)に発展することも多い。
今夜から、宇土市内の各地区での市政報告会が連日行われるが、なかなか質問が出ないのが現実ですが、いい質問は報告会を盛り上げます。聞く力は、宴会にしろ、市政報告会にしろ、これからの社会に必要な、リーダーの資質のように思います。どんな質問が出るか、楽しみな報告会です。
おはようございます。昨夜の飲み会からか、早く寝て変な時間に目が覚めた。
昨夜の友人と語りながら晩餐で、色々なことを語ったが、なんの話も地域を活性化し、元気な町を作ることに行き着く。様々な話題が続いた。中心は献身的な人材の話題がいくつも出てきたが、自分の見識を誇示しようとする人物の話題はいくつか出るが、酒席を暗くするのですぐ消えた。
中国の諺に、「人の悪口は、回り回っていずれ自分に帰って来る」意味の訓示がある。私は、これを逆手に取れば、「人の良い意見(賛否)に耳を傾ければ、自分の考えが周りへ伝わる」の訓示になる、と変な考えを持っている。要は、語らずに自分の信条・考えを、伝心させて行く。時間のかかるやり方だが、私のような浅学の人間に合った方法と思っています。
多彩な経験の方は、物事や人物を即断し評価され、その場で口に出されるが、それが私には出来ない。これには、「悪口は自分に帰る」の自戒もあるが、聞き上手が会話の雰囲気も良くなり、人間関係も良好に保てると考えています。
また私は、「異見」なる言葉が好きで、よくブログ等で使わせてもらっています。自己の考えに固まって、物事や人物を批評(誇示)しがちだが、多様な視点で分析するには、人からの意見(異見)を謙虚に聞く姿勢が必要と思っています。特に、過去の人となった方の悪口は、聞く方は気分が良くなし、まして悪口が当人の耳にいずれ必ず伝わることも忘れてはならない。
昨年、聞き上手、聞く力、等の言葉が流行したが、人の意見(異見)を聞くことで、自分の考えを伝えることが可能と思うようになった。この聞くの意味には、相手に対して質問が大事で、どう会話を続けるか、話題の切り替えも含め、会話を続ける工夫が必要と思っています。
会話力は、質問力。数日前から紹介している『重職心得箇条』の第12条にも、
「大臣(重職)たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない」
なる訓示がある。部下の意見が正しければ、採用すればよい。ただし、責任は自分が取ることは変わらない。
悪口の逆は、聞く力(質問力)。ジョークも含め、場を気分良くする工夫を、最近楽しめるようになってきたように思います。年齢を問わず、気持ちが若ければ、色々な意見が出てくる。意見(発言)は、行動につながり仲間ができ、それが地域活性化(地域づくり)に発展することも多い。
今夜から、宇土市内の各地区での市政報告会が連日行われるが、なかなか質問が出ないのが現実ですが、いい質問は報告会を盛り上げます。聞く力は、宴会にしろ、市政報告会にしろ、これからの社会に必要な、リーダーの資質のように思います。どんな質問が出るか、楽しみな報告会です。
2014年03月01日
【地方自治】住民が地域で 何ができるか。〜鷹山とケネディ〜
【地方自治】住民が地域で 何ができるか。〜鷹山とケネディ〜
キャロライン・ケネディ米駐日大使は、就任後初めての講演で、父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君上杉鷹山を尊敬し、「あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい」と述べた就任演説の考え方に影響を与えたと紹介したことを最近知った。
地方財政が厳しくなる中、江戸時代の政治が注目されている。領地を1/4に減らされ財政危機に陥った米沢藩を、若き上杉鷹山は「米沢にもまだ復興の種火残っている。これを大きく育てる」と決意を語り、率先して現地へ出向き官民協働の政治で復興させた。
鷹山を指導したのは儒家の細井平洲だが、その米沢藩が参考にしたのは、熊本の細川重賢公が行った「宝暦の改革」、その改革の指導した儒家の丸山玉山は、細井平洲と交友があった。
今後地方財政は、さらに厳しくなる予測。江戸期の熊本藩の行政官は、人口規模から考えても少なく、現代の1/10程度だった。その分、民間の力を使い、干拓や基盤整備を行い産業振興に成功した。ケネディ大統領の言葉ではないが、これからは「住民が地域で何ができるか考える」時代ではないかと思う。
キャロライン・ケネディ米駐日大使は、就任後初めての講演で、父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君上杉鷹山を尊敬し、「あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい」と述べた就任演説の考え方に影響を与えたと紹介したことを最近知った。
地方財政が厳しくなる中、江戸時代の政治が注目されている。領地を1/4に減らされ財政危機に陥った米沢藩を、若き上杉鷹山は「米沢にもまだ復興の種火残っている。これを大きく育てる」と決意を語り、率先して現地へ出向き官民協働の政治で復興させた。
鷹山を指導したのは儒家の細井平洲だが、その米沢藩が参考にしたのは、熊本の細川重賢公が行った「宝暦の改革」、その改革の指導した儒家の丸山玉山は、細井平洲と交友があった。
今後地方財政は、さらに厳しくなる予測。江戸期の熊本藩の行政官は、人口規模から考えても少なく、現代の1/10程度だった。その分、民間の力を使い、干拓や基盤整備を行い産業振興に成功した。ケネディ大統領の言葉ではないが、これからは「住民が地域で何ができるか考える」時代ではないかと思う。
2014年02月27日
【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。
【伝えたい】原子爆弾で父を失い、家は消失した。戦争放棄の原則を守る。
おはようございます。熊日のコラム【伝えたい 私の戦争】で、広島で被爆された森武徳さんの手記が今日まで掲載されている。(以下、抜粋)
学徒動員で働いていた軍事工場が原爆で閉鎖になり、爆心地から1kmのところに在る自宅へ帰る道には、累々と遺体があり、その中を縫うように自宅に着くと、家は跡形もなかった。原子爆弾で、吹っ飛んでいた、涙が止まらなかった。父は亡くなり、母とは翌日に再会した。原爆は、時間が経ってから原爆症で亡くなる人が増える。「自分も正月まで持たないかも・・・」と思った、数年間は死の恐怖がつきまとった。・・・・
とあった。末尾に、「改憲論が勢いづいているが、戦争放棄の原則はどこまで行っても変えちゃいけない。戦争にならなければ、原爆ような都市爆撃は避けられる」と訓示されています。
東アジアの緊張から、尖閣諸島へ上陸を予想した部隊ができるとか、防護空域の考え方の違いでスクランブル発信が重なるとか、小さな間違いが大問題になることある。森氏の「戦争放棄の原則」は、現憲法の9条を維持する強いメッセージと受け止めました。
政治は、人の心の問題とも言われます。地域の小さな小競り合いも、国家間の不協和音も、常に修復したいという思いを持っていれば、協調の可能性は充分にあると思います。敵対するだけでは、真の解決は見つからない。まして、暴力に訴えることは、人間として知性も品性の無くなります。
人の良識を信じる、と言えば弱腰と言われるかもしれませんが、常に意見の衝突はあって良いが、拳を上げる闘争は避けるべきだし、避けることの方がとても勇気と我慢が必要と思います。悲惨な歴史を活かせない行為は、けっしてやってはいけない。議論はあるが、平和を目指す意見の相違であって欲しい。森氏の3日日間の手記を読み、平和と戦争放棄の意味を深く考える機会になりました。
おはようございます。熊日のコラム【伝えたい 私の戦争】で、広島で被爆された森武徳さんの手記が今日まで掲載されている。(以下、抜粋)
学徒動員で働いていた軍事工場が原爆で閉鎖になり、爆心地から1kmのところに在る自宅へ帰る道には、累々と遺体があり、その中を縫うように自宅に着くと、家は跡形もなかった。原子爆弾で、吹っ飛んでいた、涙が止まらなかった。父は亡くなり、母とは翌日に再会した。原爆は、時間が経ってから原爆症で亡くなる人が増える。「自分も正月まで持たないかも・・・」と思った、数年間は死の恐怖がつきまとった。・・・・
とあった。末尾に、「改憲論が勢いづいているが、戦争放棄の原則はどこまで行っても変えちゃいけない。戦争にならなければ、原爆ような都市爆撃は避けられる」と訓示されています。
東アジアの緊張から、尖閣諸島へ上陸を予想した部隊ができるとか、防護空域の考え方の違いでスクランブル発信が重なるとか、小さな間違いが大問題になることある。森氏の「戦争放棄の原則」は、現憲法の9条を維持する強いメッセージと受け止めました。
政治は、人の心の問題とも言われます。地域の小さな小競り合いも、国家間の不協和音も、常に修復したいという思いを持っていれば、協調の可能性は充分にあると思います。敵対するだけでは、真の解決は見つからない。まして、暴力に訴えることは、人間として知性も品性の無くなります。
人の良識を信じる、と言えば弱腰と言われるかもしれませんが、常に意見の衝突はあって良いが、拳を上げる闘争は避けるべきだし、避けることの方がとても勇気と我慢が必要と思います。悲惨な歴史を活かせない行為は、けっしてやってはいけない。議論はあるが、平和を目指す意見の相違であって欲しい。森氏の3日日間の手記を読み、平和と戦争放棄の意味を深く考える機会になりました。
2014年02月01日
【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。
【縁と機】まず隣人から始める。「勘所」を活かす。
おはようございます。昨夜は、親友の交わりで、昼前の会話から夜の晩餐の話が急にまとまり、たのしい数時間でした。幼なじみとは良いものです。しかし、日頃はそれぞれに忙しく、3人が一緒に顔を合わせたのは数年ぶりでした。この年になり、色々な役割を務めていることを知り、互いに年を取ったなと思いました。
同じ地域で生まれたご縁で、交友が続いているのですが、同じ地域の者が必ず繋がって行くとは限りません。やはり気の合うこと、お相手を思う気持ちが、縁をつないで行くのだと思います。遠くても、とても心配をしてくださる方もいます。ありがたいことです。
いつも身近にある本『安岡正篤 こころに書き写す言葉』に、
「縁」ーー 先ず「隣人」から始める
人間活動は重要な問題に「縁」というものがある。すべては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかねばならない。
(以上、本より転載)
親子も縁、夫婦も縁、隣人も縁、友人も縁、さまざまな活動で出会う人たちも縁が繋がっている。「縁尋機妙(えんじんきみょう)」良き縁は良き縁につながる教えですが、人の縁は思いだけでなく、何か偶然性(後には必然的)に導かれているように思います。出会い、タイミング、機会、色々な言葉がありますが、「機」についても、安岡正篤先哲の言葉があります。
「機」ーー「勘所」を活かす
機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所(かんどころ)」というもので、そこをはずすと物事が活きてこないという一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍つながる。
(以上、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
人との縁も、タイミング(機)が人の心をつなぐ演出になるような気がします。昨夜の友人たちとの晩餐は、心豊かにする演出がいくつもありました。隣の宴会にも友人・先輩が居て、これもまた良い「機」でした。機会の妙と思います。
今日は早朝から、来月の「サッカー講演会」の会場予約をしに行くと、地元小学校のハンドボールの試合あってました。午後は、男女共同参画、人権をテーマにフォーラムに参加します。
今日もどんな出会いがあるか、「縁」と「機」を楽
おはようございます。昨夜は、親友の交わりで、昼前の会話から夜の晩餐の話が急にまとまり、たのしい数時間でした。幼なじみとは良いものです。しかし、日頃はそれぞれに忙しく、3人が一緒に顔を合わせたのは数年ぶりでした。この年になり、色々な役割を務めていることを知り、互いに年を取ったなと思いました。
同じ地域で生まれたご縁で、交友が続いているのですが、同じ地域の者が必ず繋がって行くとは限りません。やはり気の合うこと、お相手を思う気持ちが、縁をつないで行くのだと思います。遠くても、とても心配をしてくださる方もいます。ありがたいことです。
いつも身近にある本『安岡正篤 こころに書き写す言葉』に、
「縁」ーー 先ず「隣人」から始める
人間活動は重要な問題に「縁」というものがある。すべては縁に随って行うべきものだ。人を愛することも、世界や人類といった空虚な概念を弄する前に、先ず家庭や隣人から始めてゆかねばならない。
(以上、本より転載)
親子も縁、夫婦も縁、隣人も縁、友人も縁、さまざまな活動で出会う人たちも縁が繋がっている。「縁尋機妙(えんじんきみょう)」良き縁は良き縁につながる教えですが、人の縁は思いだけでなく、何か偶然性(後には必然的)に導かれているように思います。出会い、タイミング、機会、色々な言葉がありますが、「機」についても、安岡正篤先哲の言葉があります。
「機」ーー「勘所」を活かす
機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所(かんどころ)」というもので、そこをはずすと物事が活きてこないという一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍つながる。
(以上、『安岡正篤 こころに書き写す言葉』より)
人との縁も、タイミング(機)が人の心をつなぐ演出になるような気がします。昨夜の友人たちとの晩餐は、心豊かにする演出がいくつもありました。隣の宴会にも友人・先輩が居て、これもまた良い「機」でした。機会の妙と思います。
今日は早朝から、来月の「サッカー講演会」の会場予約をしに行くと、地元小学校のハンドボールの試合あってました。午後は、男女共同参画、人権をテーマにフォーラムに参加します。
今日もどんな出会いがあるか、「縁」と「機」を楽
2013年11月19日
【憲法9条】平和願う子供たち、【いじめ問題】協力し合う中学生。
【憲法9条】平和願う子供たち、【いじめ問題】協力し合う中学生。
さて、今朝の熊日新聞の投稿欄、小学生と中学生の文章に目が止まった。
小学生の10才の意見「けん法9条 変えるの反対」の見出しで、思い綴っている。山下清画伯の展示会で、花火の絵を見ているとき、山下清画伯の説明に心惹かれたとあった。山下画伯の「みんなが花火ばかりつくっていたら、戦争なんてなかったのに」の言葉が好きなったとあった。
この生徒は、「戦争はつみのない人々を殺し合うもの、だからぜったいにやってはいけないんじゃないか」と絵を見た後考えるようになったそうだ。世界には、戦争、紛争が絶え間無く続いている。愚かな人間の欲望が、その原因だろうが、変わらぬ状況は、小学生の目にどう写っているだろうか。
この文の末尾は、「私はけん法9条を変えることに反対です。これからもずっといまの平和なくらしがいいからです。みなさんはどう思いますか」で締められています。これは、大人たちへの問いだと思います。
絶えない紛争、国家間の緊張、特に日韓、日中の島の領有権等々で、子どもながらに不安を抱いているのだと思います。国の指導者は、未来を担う子供たちの不安を取り除く努力をして欲しいと願います。
もう一つ記事は、クラスの壁新聞作りの苦労話です。各クラスで新聞をつくりコンテストがあるのだろう。担当になり、どう協力者を集め完成させるか?、悩むばかりで時間が過ぎる。すると一人の男子生徒が絵を描く手伝いを申し出てくれた。素晴らしい出来に、思い切ってクラスの仲間に協力者を呼びかけた。すると、協力が増え、期限ギリギリだったが、どうにか間に合わせることができたとあった。
本人の頑張りはもちろんだが、ひたむきに完成させたい思いが周りへ伝わり、新聞制作班以外も協力してくれたとあった。こんなクラスには”いじめ”ということは起きにくいにではないか。一昨日ニュースで、カナダのネットいじめから自殺に追い込まれた女子高生のことが報道された。陰湿で匿名性の怖さを感じる事件(犯罪)と思います。
最近は、物事を協力して成し遂げる体験が少なくなっていると感じます。社会活動は、様々な人たちの協働で成り立っています。
私の先輩がある大学の講義で、社会について質問した時、ある学生が「私は、社会に世話になっていない」答えたそうだ。お門違いもはなはだしいが、公的な仕組みで、地域の協力で、若い世代は支えられていることを体験することが少なくなっているのかもしれない、と考えた出来事でした。
中学生の壁新聞づくりだが、人と人が協力して何か成し遂げる体験は、後の人生に多いに役に立つと考えます。知識蓄積の学習は確かに重要ですが、社会で生きるため準備に、様々な共同作業、職業体験等は、今後益々重要になると思います。
二つの新聞の投稿を読み、子供達も色々な経験をして、大人になるための準備をしていると教えられました。
さて、今朝の熊日新聞の投稿欄、小学生と中学生の文章に目が止まった。
小学生の10才の意見「けん法9条 変えるの反対」の見出しで、思い綴っている。山下清画伯の展示会で、花火の絵を見ているとき、山下清画伯の説明に心惹かれたとあった。山下画伯の「みんなが花火ばかりつくっていたら、戦争なんてなかったのに」の言葉が好きなったとあった。
この生徒は、「戦争はつみのない人々を殺し合うもの、だからぜったいにやってはいけないんじゃないか」と絵を見た後考えるようになったそうだ。世界には、戦争、紛争が絶え間無く続いている。愚かな人間の欲望が、その原因だろうが、変わらぬ状況は、小学生の目にどう写っているだろうか。
この文の末尾は、「私はけん法9条を変えることに反対です。これからもずっといまの平和なくらしがいいからです。みなさんはどう思いますか」で締められています。これは、大人たちへの問いだと思います。
絶えない紛争、国家間の緊張、特に日韓、日中の島の領有権等々で、子どもながらに不安を抱いているのだと思います。国の指導者は、未来を担う子供たちの不安を取り除く努力をして欲しいと願います。
もう一つ記事は、クラスの壁新聞作りの苦労話です。各クラスで新聞をつくりコンテストがあるのだろう。担当になり、どう協力者を集め完成させるか?、悩むばかりで時間が過ぎる。すると一人の男子生徒が絵を描く手伝いを申し出てくれた。素晴らしい出来に、思い切ってクラスの仲間に協力者を呼びかけた。すると、協力が増え、期限ギリギリだったが、どうにか間に合わせることができたとあった。
本人の頑張りはもちろんだが、ひたむきに完成させたい思いが周りへ伝わり、新聞制作班以外も協力してくれたとあった。こんなクラスには”いじめ”ということは起きにくいにではないか。一昨日ニュースで、カナダのネットいじめから自殺に追い込まれた女子高生のことが報道された。陰湿で匿名性の怖さを感じる事件(犯罪)と思います。
最近は、物事を協力して成し遂げる体験が少なくなっていると感じます。社会活動は、様々な人たちの協働で成り立っています。
私の先輩がある大学の講義で、社会について質問した時、ある学生が「私は、社会に世話になっていない」答えたそうだ。お門違いもはなはだしいが、公的な仕組みで、地域の協力で、若い世代は支えられていることを体験することが少なくなっているのかもしれない、と考えた出来事でした。
中学生の壁新聞づくりだが、人と人が協力して何か成し遂げる体験は、後の人生に多いに役に立つと考えます。知識蓄積の学習は確かに重要ですが、社会で生きるため準備に、様々な共同作業、職業体験等は、今後益々重要になると思います。
二つの新聞の投稿を読み、子供達も色々な経験をして、大人になるための準備をしていると教えられました。
2013年10月02日
食卓に虫がいる、実はテーブルゴミが虫に「幻視」。レビー小体型認知症!
食卓に虫がいる、実はテーブルゴミが虫に「幻視」。レビー小体型認知症!
今夜の試してガッテンで、新しい認知症「レビー小体型認知症」の詳しい解説があった。この認知症発見したのは、日本人の医師の小阪憲司氏によって発見された。
認知症の代表的病名「アルツハイマー病」だけでは、認知症の全容表せない。家族、親族に認知症の方が居られる方は、ぜひ一度現在の認知症科学的分析状況を確認ください。
(レビー小体型認知症〉
http://ja.wikipedia.org/wiki/レビー小体型認知症
>レビー小体型認知症は日本で発見されたとされ、1976年以降に医師の小阪憲司によって世界的に知られるようになった。レビー小体とはドイツの神経学者フレデリック・レビー(英語版)によってパーキンソン病変の脳幹で発見され名付けられた封入体であり、大脳皮質にこれが多く認められることから、小阪によってびまん性レビー小体病(びまんせいレビーしょうたいびょう、英: diffuse Lewy body disease; DLBD)と名付けられた。その後1995年イギリスにて行われた国際ワークショップにて現在の名称になった。・・・・
今夜の試してガッテンで、新しい認知症「レビー小体型認知症」の詳しい解説があった。この認知症発見したのは、日本人の医師の小阪憲司氏によって発見された。
認知症の代表的病名「アルツハイマー病」だけでは、認知症の全容表せない。家族、親族に認知症の方が居られる方は、ぜひ一度現在の認知症科学的分析状況を確認ください。
(レビー小体型認知症〉
http://ja.wikipedia.org/wiki/レビー小体型認知症
>レビー小体型認知症は日本で発見されたとされ、1976年以降に医師の小阪憲司によって世界的に知られるようになった。レビー小体とはドイツの神経学者フレデリック・レビー(英語版)によってパーキンソン病変の脳幹で発見され名付けられた封入体であり、大脳皮質にこれが多く認められることから、小阪によってびまん性レビー小体病(びまんせいレビーしょうたいびょう、英: diffuse Lewy body disease; DLBD)と名付けられた。その後1995年イギリスにて行われた国際ワークショップにて現在の名称になった。・・・・
2013年09月26日
3熱×1時間=1エクササイズ、脱藩の道17キロを100歳で完歩。
3熱×1時間=1エクササイズ、脱藩の道17キロを100歳で完歩。
朝ウォーキング中に聞いたラジオで、ウォーキングのススメで、面白い運動指標の話を聞きました。運動レベルを普通の散歩を3熱(静止状況を1熱)で、早歩きや自転車走行を4熱、ジョギング5熱、マラソン程度の走りを6熱、等。運動量を熱で表現し、その運動に1時間をかける計算。
例えば、散歩を30分したら、3熱×0.5=1.5エクササイズ(以後、esで表現します)。大人の男性に必要な一週間のes量は、13esだそうです。
今日の私の早歩き散歩計算すると、約7kmを1時間10分で歩くので、
4熱×1時間10分≒4熱×1.16=4.64es
私は週に平均5日程度なので、
4.64es × 5 =23.2es
大人男性平均から計算すると
23.2es ÷ 13es = 1.78倍
まあまあの運動量かなと思います。
日本の歩く歩数がどんどん減り続けていて、現在大人の男性が7700歩、毎年どんどん減っていると放送で語っていました。私の朝ウォーキングが9700歩前後で、日常の歩きを加えると、一日約12000歩〜13000歩になりそうです。これを加えると、もっとesの数値が上がると思います。
さて、朝のシャワーを浴びている時にラジオで放送されたのですが、毎年高知県の梼原町で、坂本龍馬が脱藩した峠越えの道17kmを歩く「脱藩の道ウォーク」が開催されていますが、この催しに100歳で参加し完歩した人がいると紹介されていました。この老人は、1日に1〜3時間散歩を欠かさないとありました。素晴らしいと思います。
私は、昨秋の坂本龍馬が薩長同盟直前に、熊本の横井小楠に会うために歩いた道を歩く歴史顕彰ウォークに参加しようと、昨年8月4日から歩き始めて、1年が過ぎた。きっかけは別として、歩くことは健康につながると今朝の放送で確信が持てました。
朝ごはんも美味しいし、朝ウォーキングは私の健康に、おおいに役立つと思っています。今日も元気に、歩くことに気をつけて一日過ごしたいと思います。
朝ウォーキング中に聞いたラジオで、ウォーキングのススメで、面白い運動指標の話を聞きました。運動レベルを普通の散歩を3熱(静止状況を1熱)で、早歩きや自転車走行を4熱、ジョギング5熱、マラソン程度の走りを6熱、等。運動量を熱で表現し、その運動に1時間をかける計算。
例えば、散歩を30分したら、3熱×0.5=1.5エクササイズ(以後、esで表現します)。大人の男性に必要な一週間のes量は、13esだそうです。
今日の私の早歩き散歩計算すると、約7kmを1時間10分で歩くので、
4熱×1時間10分≒4熱×1.16=4.64es
私は週に平均5日程度なので、
4.64es × 5 =23.2es
大人男性平均から計算すると
23.2es ÷ 13es = 1.78倍
まあまあの運動量かなと思います。
日本の歩く歩数がどんどん減り続けていて、現在大人の男性が7700歩、毎年どんどん減っていると放送で語っていました。私の朝ウォーキングが9700歩前後で、日常の歩きを加えると、一日約12000歩〜13000歩になりそうです。これを加えると、もっとesの数値が上がると思います。
さて、朝のシャワーを浴びている時にラジオで放送されたのですが、毎年高知県の梼原町で、坂本龍馬が脱藩した峠越えの道17kmを歩く「脱藩の道ウォーク」が開催されていますが、この催しに100歳で参加し完歩した人がいると紹介されていました。この老人は、1日に1〜3時間散歩を欠かさないとありました。素晴らしいと思います。
私は、昨秋の坂本龍馬が薩長同盟直前に、熊本の横井小楠に会うために歩いた道を歩く歴史顕彰ウォークに参加しようと、昨年8月4日から歩き始めて、1年が過ぎた。きっかけは別として、歩くことは健康につながると今朝の放送で確信が持てました。
朝ごはんも美味しいし、朝ウォーキングは私の健康に、おおいに役立つと思っています。今日も元気に、歩くことに気をつけて一日過ごしたいと思います。