2016年08月30日

お念仏を唱えて、手ぶらで帰る。〜本日参列した葬儀のご挨拶〜

お念仏を唱えて、手ぶらで帰る。〜本日参列した葬儀のご挨拶〜

本日は、地元お寺の住職の葬儀に参列しました。それこそ50年住職を務めたお坊さんの葬儀は、昨夜の通夜も含めて大きな葬儀でした。

私が初めて選挙に出たころは、まだまだお元気で、時折挨拶回りした時などは、わざわざ玄関まで出てこられ、お話をしていただきました。平成23年に住職を息子さんに譲られてからは、葬儀等でお見かけすることもなく、旧盆を前にした8月9日に亡くなりました。

今日の葬儀後に住職のご挨拶があり、入院前の前住職の様子を話され、入院の日まで朝のお務めをされてから、入院されたとのことでした。

生涯一僧侶を全うされた姿に感銘を受けました。その挨拶の最後の言葉が「お念仏を唱えて、手ぶらで帰る」と語られ、「最後父は、法衣ではなく寝巻きで静かに逝きました」と。

「お念仏を唱えて、手ぶらで帰る」の言葉は、有名なお坊さんの言葉だそうです。身体一つでこの世に生を受け、また身体一つで後浄土へ行く。お念仏を唱えて、手ぶらで帰る(行く)の言葉が、心に残りました。

時折参列する地域のお通夜での現住職のお話しは、毎回印象に残るお話をされるのですが、本日の葬儀後のご挨拶は、また違って印象に残りました。  


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2016年08月29日

「生きながらの死」はダメ!、英雄哲人に対する私淑〜安岡正篤講義録より〜

「生きながらの死」はダメ!、英雄哲人に対する私淑〜安岡正篤講義録より〜

(以下、『「人間」としての生き方』より抜粋)

人間にとって最悪は死である。「生きながらの死」である。人間は常に何事かを為し、何ものかを創造してゆこうとする力に溢れていなければならない。そこに真の自由がある。すべてのことから逃れて、俗にいわゆる「沈香も焚かず屁もひらず」(良いこともしなければわるいこともしない)にいることは決して自由ではない。それは枯死である。(中略)

欲求の無限の放肆(勝手気ままで乱れていること)はしまいには人間生活の破綻をまねくことになるからこそ、人の生まれつき持っている性質の自然そのものは、また一面に克己の本能を与えて人生を渡るための梶としたのである。したがって欲求があっての上での克己である。欲求を無視して克己が有るもいう道理はない。
(以上、本より抜粋)

>「生きながらの死」である。

>沈香も焚かず屁もひらず

自由とは何もしないことではなく、欲求があっての上で自らの欲を克己し、高い見地からさまざま条件・要件を考慮し、こだわらず自由な発想で、解決に導く言動を、実践しているか?

>欲求があっての上での克己である。

自らの欲求を抑制し、関わる方々がより良き方向へ向かうように、頭と心を自由に働かせ、事を為すことだと、安岡正篤先哲は教示され、先人たちはさらに、歴史の英雄哲人に、惚れ込み、その人となりを学び、その偉人を真似て、さらに超える発想を考える人間に成ることを、安岡正篤先哲は語っておられます。  


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2016年08月29日

事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。

<起業と企業>事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。

起業して25年、企業家になかなかなれません。日々、努力と思います。

作家の谷沢永一氏の『名言の智恵、人生の智恵』より、西郷隆盛の名言を紹介します。

<西郷隆盛訓>
・・・、総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。・・・、

<現代語訳>
すべからく人は己れに克つことによって成功し、己れを愛することによって失敗する。歴史上の人物をよくみるがよい。事業をはじめる人の大半かその事業の七・八割まではよく成し得るのに、残り二、三割までは成しとげる人は少ないのは、はじめはよく己れを慎み、事に対して慎重に行うから成功もし名も顕(あら)われてくる。・・・、
(以上、『名言の智恵、人生の智恵』より)

己れに勝つは、謙虚に自らを検証できるか? そこにあるように思います。  


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2016年08月25日

<先哲の訓示>志を立てるためには〜吉田松陰〜

<先哲の訓示>志を立てるためには〜吉田松陰〜

静岡へ行ったときに見つけた観光パンフレットで、下田港での幕末の志士で指導者でもあった長州藩の吉田松陰が、アメリカ密航を試みて失敗したのが下田港でした。吉田松陰は、教育者であり、行動すふ志士でもありました。

下田市の「吉田松陰先生・幕末・開国の歴史」のリーフレットに吉田松陰が、若い世代に送った言葉がありました。

「志を立てるためには、人と異なることを、忘れてはならない。世俗の意見に、惑わされてもいけない。死んだ後こ業苦を、思いわずらうな、また目前の安楽は、一時しのぎと知れ。百年の時は、一瞬に過ぎない。君たちは、どうかいたずらに、時を過ごすことの、ないように」

読むに、背筋がピンとなる気を持ちます。

>百年の時は一瞬、どうかいたずらに、時を過ごすことのないように。

時の過ぎるのは、アッと言う間。「光陰矢の如し」です。吉田松陰は、29歳で亡くなりましたが、その志は今でも輝き続けています。

志を立てることで、他と違う目標が起きても恐れるな!

松陰村塾の志士たちの教育方針は、吉田松陰の生き様そのもののように思います。自ら行動し、身をもって教えたからこそ、後に続く若者が出てきたのだと思います。

今の教育者に欲しい、吉田松陰の志なのかもしれません。  


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2016年08月24日

<三種の孝>小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず。〜『礼記』〜

<三種の孝>小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず。〜『礼記』〜

昼食後に、安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』の第1章・第1編に、三種の孝についてのことが書かれていました。

(以下、転載)

・・・。力を用いることはやさしい。労(心を砕いて働くこと)を用いること、すなわち仁を尊び、義に案ずることは容易ではない。けれど、せっかく父母からこの身を戴いた以上、動物的生活をして酔生夢死(酒に酔うように、夢を見るように、何のなすところもなくいたずらに一生を終えること)するのでは、間違いなく父母を辱めることである。是非とも我々は自らの特性(徳義をわきまえた立派な品性)を養って、才能を磨かなければならない。その極みは、自己の徳沢(徳が及ぼす恵み)を博く他に及ぼし、縁に随ってできるだけ多くの人物を活用し、それぞれにその存在意義をフルに発揮させてゆく(博施備物(はくしびぶつ:ひろく慈悲を恵み与え、そのためのものを用意できること))様にならなければならない。
(以上、『「人間」としての生き方』より)

現代では使わない戦前の言葉が並びますが、意味はなんとなく伝わると思います。理解しなくても、感じがつかめれば良いと思っています。

この項の冒頭の言葉から、「小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず(とぼしからず豊かで楽しいこと)」の3つの孝についてあります。

<三種の孝>

さらに大孝とは「親を尊くす、その次は辱めず、その下はよく養う」、一般的な孝行をもっと深く考えてあるなと思います。

『礼記』は、孔子の教えなのですが、2500年以上も前に生きた偉人の言葉ですが、現代にも十分使える人生の指針と思います。

*参考資料:安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』  


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2016年08月22日

人を玩べば徳を失う



人の非難は、自らの徳を下げることになることを、意外に本人は自覚がない。ないから、愚痴も出るのかもしれませんが、だんだん人心が離れていくことになります。

江戸後期の儒家の佐藤一斎の訓示録「言志四録」に次の訓示、

「人を玩(もてあそ)べば徳を失う」

傲慢に人を見下す

物事を軽視する

侮り笑う態度

人をあざれる、からかう

人との交際するときの大切な道は、「愛と敬」の二字。

自らの立場、関わるサッカー愛好者として、少年サッカーに関わるものが、小さなサッカー協会の大会準備を非難する前に、協力を自らの進み出る行動が必要ではないか、と私自身も反省する中傷の言葉は、いかがなものだと思います。

「人を玩べば徳を失う」

心して生きたいと思います。  


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2016年08月19日

内発の力

内発の力

昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲の本『安岡正篤一日一言』より、

内発の力

思想とか信念とか信仰とかいうものは他から与えられたものでは駄目て、個人の魂、個人の人格わ通して発してくるものでなければならない。どんな立派な理論信仰でも、それが自分の中を通じてこなければ、決して生きた力にならない。(中略)

国民の中から一人でも多くの大覚者、志士、仁人が出て真剣にものを考え、行動することである。そうすれば必ずやがてそれは大きな力になり、組織になり、時勢を動かす。それよりほかに道はないのである。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)

学ぶことは、初めは真似ることから始まると思います。しかし、ある時期(出来事や機会)から、オリジナルの発想が出てこなければならない。社会を動かすような大きな仕事でなくても、自分から生まれる考えや発想(ひらめき)を大事に育てることこそが、未来を切り開くパワーとなります。

安岡正篤先哲の唱える大覚者や志士には成れないですが、せめてその志に近づけるように、日々精進をすることに意味があると思っています。  


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2016年08月19日

反省は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきもの〜中村天風〜

反省は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきもの〜中村天風〜

今朝の読書は、昭和の哲人・中村天風氏の訓示録『叡智のひぴき』より、

「何人と雖(いえど)も反省を強うる権利はない、反省という事は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきものである」

中村天風氏の解説によると、

「反省ということは、その人自身が、自己の心の成りゆきや推移に対する現在状態を、その人の本心良心に反映せしめて、熟考する心意を指していうものである。
したがって、反省という心意は、厳密にいうなれば、どこまでも自発的なもので、決して他発的なものでないというべきである」

まだまだ、熟年世代から“青い”と言われているような言動があるのですが、私にとって「反省」は、日々必要な日課なのだと自覚します。

「優れた人は、自分を責めて、人(他人)を責めない」

これから1年、この言葉を念頭に置きつつ、日々の行動を反省し、暮らしていきたいと思います。

*参考資料:中村天風著『叡智のひぴき』  


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2016年08月19日

人のなすことをほめ、みだりに人を批判しない。〜西洋哲学の教え〜

人のなすことをほめ、みだりに人を批判しない。〜西洋哲学の教え〜

顔が異なるようにそれぞれに考えも異なるものです。自分の気持ちと合致するような人は、そうやたらといません。気持ちの会う友人は、人生においても稀なことと思い、大切な存在と思います。そういう知友とは、なかなか会えませんので、今いる場所でおおらかに生きるには、どうするか?

西洋哲学の教えが次の言葉です。

「できるだけひとのなすことをほめることにつとめ、みだりに人を批判しないように心がけ、万一、人の失策を見出したら、それを許すと同時に、忘れるようにしよう。そうすることで、汝(なんじ)の人生のもっとも幸福な日が楽しめる」

人の言動を批判している人に限って、他から批判される欠点の多い人が多い。中村天風氏の著書『叡智のひびき』に次の言葉があります。

「清濁併せ呑むという事の出来得ない人は広い世界狭く活き調和ある人生を知らず識らず不調和に陥れる人である」

中村天風氏は、この章の最後に、

「常に人生事情のすべてに超越して、心して清濁併せ呑むという因縁尊重こ完全人生に活きることに努めよう」

と結んでおられます。なかなか出会えない知友の存在が居ないならば、今の周りに存在する方々との縁を活かすことに努めることも大事な人生を謳歌する方法とも言えます。縁ある方々に感謝することを忘れず、今日一日を大切に生きなければと思います。

*参考資料:中村天風著『叡智のひびき』  


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2016年08月19日

失敗を恐れて何もしない人間は、最低なのである〜本田宗一郎〜

失敗を恐れて何もしない人間は、最低なのである〜本田宗一郎〜

私はホンダの創業者・故本田宗一郎氏の生き方が好きで、いろいろと足跡を辿る本や番組を見て元気づけられてきました。

(本田宗一郎氏のエピソード)
小学生の時に、親の自転車を借りて、背が届かないので、サドルに座らず、いわゆる“三角の乗り”で隣町に飛んで来た飛行機を見に行ったり、戦時中にプロペラ製造時間を短縮するアイデアを出したり、社長自らイギリスのバイクレース「マン島TTレース」に挑戦したり、チャレンジする生き方に、とても惹かれていました。

本田宗一郎氏の自叙伝『やりたいことをやれ』の1節に、冒頭の言葉がありました。日本人の“コトナカレ主義”を批判した一文です。

(以下、抜粋します)

日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。失敗するよりもじっとしていたほうが賢明という考え方が、身についている。(失敗)完全なロスである失敗も、向上の芽生えである失敗も、区別する合理的な見識がない。
失敗すれば、「馬鹿なやつだ」「出過ぎた真似をするからさ」と冷たい嘲笑と非難を買う。これでは日本人のあらかたが去勢され、「コトナカレ主義」にちぢこまるのも不思議ではない。(中略)
(以上、本より抜粋)

別の言葉に「出る杭は打たれる」なる、新しい行動、新しい人材、新しいアイデアを、まず否定する諺がまかり通り、右へ倣え、前例踏襲の風潮(思惑)社会の罵声を、何度も味わってきました。そんな中、鈴木善幸首相の下で、政治臨時調査会を率いた故土光敏夫氏の言葉に嬉しくなった。

「出る杭は打たれるなら、(叩けないほど高い)出過ぎた杭になればよい」

失敗を恐れず、やるときは徹底してやり抜くことが必要。本田宗一郎氏の文の続きは、

(以下、本より転載)

しかし、これ(コトナカレ主義)ではいけないのである。なんとかして、日本人の根性からこんな無気力な考えを追放しなければいけないのだ。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
(以上、『やりたいことをやれ』より)

本田宗一郎氏の“締めの言葉”に感動します。

>失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。

プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が、高齢者としてチョモランマ(エベレスト)登山に挑戦されたことを知り、いくつになってもチャレンジする生き方は、魅力を感じます。

人の行動には“常に批判”はつきもの、批判する人は、その行動をできないから批判の対象とする人間と思い、『やりたいことやれ』の本田宗一郎氏のスピリットを肝に銘じ、今日も暑いですが、今できることを実践したいと思います。

*参考資料:本田宗一郎著『やりたいことやれ』(PHP出版)  


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2016年08月19日

反省は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきもの〜中村天風〜

反省は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきもの〜中村天風〜

今朝の読書は、昭和の哲人・中村天風氏の訓示録『叡智のひぴき』より、

「何人と雖(いえど)も反省を強うる権利はない、反省という事は自分自身に粛(つつまし)やかに為すべきものである」

中村天風氏の解説によると、

「反省ということは、その人自身が、自己の心の成りゆきや推移に対する現在状態を、その人の本心良心に反映せしめて、熟考する心意を指していうものである。
したがって、反省という心意は、厳密にいうなれば、どこまでも自発的なもので、決して他発的なものでないというべきである」

まだまだ、熟年世代から“青い”と言われているような言動があるのですが、私にとって「反省」は、日々必要な日課なのだと自覚します。

「優れた人は、自分を責めて、人(他人)を責めない」

これから1年、この言葉を念頭に置きつつ、日々の行動を反省し、暮らしていきたいと思います。

*参考資料:中村天風著『叡智のひぴき』  


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2016年08月19日

だれかをほめると「あんなことならオレもやった」と思う人が必ずいる。ほめることはむずかしい。〜本田宗一郎〜

だれかをほめると「あんなことならオレもやった」と思う人が必ずいる。ほめることはむずかしい。〜本田宗一郎〜

人間ほめられると気分がいい!

だが、“どんな時、どんな場面で、どんな風に”ほめるかは、なかなか難しい。

日本発の自動車メーカーの一つ「ホンダ」は、経営陣の後継者に、直系家族や親族を排除?してきたように思います。“1社員でも、頑張れば重役になれる”の夢を持てる会社は、本田宗一郎という、エンジニアで発明家が創業し、現在は、世界各地に工場を有するグローバル企業となった。

その本田宗一郎氏の言葉を集めた本『やりたいことをやれ』にある「ほめることはむずかしい』の一節に、“ほめる”、について書かれていました。

(以下、抜粋)

私はあんまりほ人をほめませんね。ほめるほうがしかるよりむずかしい、とよくいわれますが、ほめるのがむずかしいのは、だれかほめると、「あんなことならオレもやった。あいつをほめて、オレの時にはなぜほめないんだ」と思う人が必ずいるからです。
(以上、本より)

本田氏は、「そういうヤキモチを焼きかねない第三者がいることを考慮しなくてちゃいかん。逆に怒るときはそんなことを考えていたら本気で怒れない」と。

創業者一族の経営と現場からの叩き上げの経営と、どちらが良いか?の評価は難しいですが、一般的な庶民感覚からすれば、“ほめる、しかる”の視点からすれば、人をほめて育てる、社風を育成した方が、社員の士気は上がると思います。

荒れたクラスを立て直すプロフェッショナル教師の菊池省三氏は、“子どもはほめて育てる”という明確なコンセプトを持ち、多くの崩壊クラスを立て直してこられました。官僚的な権威主義より、ホンダの創業時のような“和気藹々”のほめ、しかり、育てる、やる気(士気)を起こす社風(地域)にしたいものです。  


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2016年08月19日

人生所感〜30才以下「視」、30〜50才「観」、50〜70才「察」

人生所感〜30才以下「視」、30〜50才「観」、50〜70才「察」

久しぶりに、江戸後期の儒家・佐藤一斎の『言志四録』から、

(以下、現代語訳文より転載)
『論語』の為政編に「其の以す所を視、其の由る所を観、その安んずる所を察す」とある。

・・・、三十歳以下は、見る目が浅いから「視」の時代に似ている。三十歳から五十歳に至るまでは、それ以前より念を入れて世間を見るから「観」の時代に似ている。五十歳から七十歳に至るまでは、さらに精しく内省しながら見るから「察」の時代に似ている。

この「察」の時代にはまさに天命を知り、人生を楽しむ境地に達するべきである。

*参考資料:『佐藤一斎一日一言』  


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2016年08月19日

私は、過去忘れる天才〜本田宗一郎〜

私は、過去忘れる天才〜本田宗一郎〜

本田宗一郎の著書より

私は非常に忘れることがうまくなって、過去のことをどんどん切り捨てて生きてきた。そうしないと新しいものが頭に詰まってこない。(中略)

それ(革新的技術・発想)をわかったふりをしていれば、それはうそです。そんなところからは何も生まれない。もうこうなったら潔くやめるしかない。過去の自分にしがみついていたって仕方ないんだ。私の過去を忘れる天才ぶりは大したもんだろう。
(以上、『ヤりたいことをやれ』より)

最近、日本の自動車メーカーの不祥事が、テレビを賑わせている。特に、後期高齢者のCEOの言動に、世論も一喜一憂している?

私は、発明家で技術者の本田宗一郎の生き方が好きで、ホンダの車に若い頃は乗っていました。実は、今は軽自動車を利用していて、テレビ報道がとても残念です。

ホンダは、技術開発の激論の中で“古い技術者は去る”と副社長ともども一緒に経営から退いた。あとは、若い技術者の総合力を活かした自動車メーカーに変わって行きました。

未来の技術は、革新的な発想が必要です。過去にこだわっていては、壁を越えれない。何事始めないと始まらない。できない理由より、できることを探すことがこれからの未来を拓くのかもしれません。  


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2016年08月19日

血気老少有り、志気老少無し。〜言志四録〜

血気老少有り、志気老少無し。〜言志四録〜

(原文)
血気には老少有りて、志気には老少無し。老人の学をこうずるには、当(まさ)に益々志気を励まして、少壮の人の譲るべからざるべし。

(現代語訳)
身体が発する血気には老人と青年で違いはあるが、精神を源とする志気には老人も青年も違いはない。だから、老人が学問をしようと思えば、ますます志気を奮い立たせて、青少年や壮年に負けてはいけない。

幕末の儒家、佐藤一斎の訓示を学ぶことは、おおおに今の「熊本地震」の行政区の復興には、参加されると思い
ます。  


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2016年08月19日

人生で重要なのは「間」だ。よく人間を観察しなければならない。〜田中角栄〜

人生で重要なのは「間」だ。よく人間を観察しなければならない。〜田中角栄〜

本日、参議院議員による震災対応の説明会、意見交換会が開催されました。それぞれに挨拶があり、それぞれの立場で語るのですが、この話をこの場面で語る“流石だ”と感じる人というのは、用意された挨拶文をよむのでは、その感情は起きない。中身よりも、その場の空気みたいなものに合わせて、“語る"ことのできる人が、心を掴むようです。

10分は長い、5〜6分程度で語るには、空気を読めるかにかかっているな、と今日も思いました。

今朝読んだ本『田中角栄100の言葉』に冒頭の一文があります。(以下、転載)

「人生で重要なのは“間”だ。イノシシのように一本調子なのはうまくいかない。よく人間を観察しなければならない」

〜この言葉の解説〜

一流の落語家に必ずリズムと抑揚かあるように、人にリラックスして話を聞いてもらうためには間を考えないとうまくいかない。
その間を取るためには、それなりの人生経験が必要になる。大衆の興味や関心、目標の高さを的確に読み取り、何をどうはなせば良いのか臨機応変に語り口を変えていかなければならない。それは話し方のみならず「生き方」にも通じることである。
(以上、『田中角栄100の言葉』より)

落語家にはなれませんが、その場、その時、その参加者に合わせて、リラックスして語れるように、知識も経験も積まなければ思うばかりで、なかなか成長しません。

ふと、思い出した故田中角栄元総理の訓示は、今朝の読書と本日の参議院議員の報告会を検証すると、さらにしっかり心に響きます。  


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2016年08月19日

心がほっとする日本の名詩100から「雑草」

心がほっとする日本の名詩100から「雑草」

〜人間は、まさに“雑草のごとく”のたくましさがあります。〜

6月24日に東日本大震災後の心の問題を取り上げたNHK-BSの特集「風の電話」の再放送を見ました。ふと、金子みすずの『私と小鳥と鈴と』の最後のフレーズ「みんなちがって、みんないい」の言葉を思い出した。

その詩が最初の詩として取り上げである本『心がほっとする日本の名詩100』を、ほんと久しぶりに開きました。読みながら、20日深夜から21日未明の大雨に、最初は驚きましたが、とにかく、目の前の課題を、あらゆる知恵を絞って行動しました。

日々続く自然災害、とても尋常しゃないと思います。これを乗り切る知恵の詩を読み、“ハッ!” としました。

(以下、『心がほっとする日本の名詩100』より)

「雑草」
〜大関松三郎作〜

おれは雑草にはなりたくないな、
だれがもきらわれ、
芽を出しても すぐにひっこぬかれてしまう。
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」とひっこぬかれてしまう
だれからときらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草にはなりたくないな
しかし どこから種がとんでもくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草
(以上、本より転載)

自然界を人間の営みに合わせるように変化させてきました。人間は、まさに“雑草のごとく”のたくましさがあります。これからも、天変地異が何度も起こることでしょうが、その度に悲しみに打ちのめされることがあろうが、立ち直らなければなりません。  


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2016年08月18日

誠で禍を打ち払う

誠で禍を打ち払う

【現代語訳】
態度や行動について嫌疑を受けたときには、口先で弁解しても効果がない。思い当たる節もなく受ける禍は、智慧を用いても免がれることはできない。ただ誠の一字を槌のように振るって、嫌疑を晴らす以外に方法はないのである。
(以上、佐藤一斎『言志四録』より)

目立つ存在になれば、いろいろな噂話を立てられることもある。真意と違う話題が、巷を回り、あらぬ疑いをかけられれることが起きたときは、『言志四録』の教えの通り、誠意を持って言動に努めるしか方法はないと思います。  


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2016年08月18日

病人や不運の人には恒に同情ある善道を行うべしそもそも善道とはその人々を力強く勇気づけてやることである〜中村天風〜

病人や不運の人には恒に同情ある善道を行うべしそもそも善道とはその人々を力強く勇気づけてやることである〜中村天風〜

バタバタとアッと言う間に一日は終わります。これは、誰にも与えられた24時間なのですが、今日が終われば明日は来ます。

しかし、地震、洪水に被災すると、気持ちも乗らず、前向きな気持ちが湧かない。

そんな時は、支援する者もされる者も、前向きな気持ちを取り戻すためにもがくが、時をお知らせ過ごさないとなかなか、その気持ちにはなれないものと思います。

きつい状況にある人に、励ましの言葉は、良さそうだが、逆効果の方が大きいように感じます。

さすがに、天風先生の教示は、的を得ているなと納得させられます。

冒頭の言葉の解説の一部を紹介します。

(以下、転載)

その同情を表現する場合、おおむねその多くは、宛然(えんぜん)首くくりの足を引っぱるのと同様な言動に気づかずにあえて行っている。いいかえるとその人を失望させ、落胆せしむるような言葉や行いを、同情の表現のように考えているのが事実において多い。
これでは真の同情とはいけない。
(以上、『叡智のひびき』より)

上記の答えが、冒頭の中村天風先生の言葉です。同情する言葉は難しい、話しを聞いてあげることの方が、寄り添うことをなるのかもしれないと、天風先生の言葉から感じます。  


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2016年08月18日

事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。

事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。

起業して25年、企業家になかなかなれません。日々、努力と思います。

作家の谷沢永一氏の『名言の智恵、人生の智恵』より、西郷隆盛の名言を紹介します。

<西郷隆盛訓>
・・・、総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能く古今の人物を見よ。事業を創起する人其事大抵十に七八迄は能く得れ共、残り二つを終るるなり。・・・、

<現代語訳>
すべからく人は己れに克つことによって成功し、己れを愛することによって失敗する。歴史上の人物をよくみるがよい。事業をはじめる人の大半かその事業の七・八割まではよく成し得るのに、残り二、三割までは成しとげる人は少ないのは、はじめはよく己れを慎み、事に対して慎重に行うから成功もし名も顕(あら)われてくる。・・・、
(以上、『名言の智恵、人生の智恵』より)

己れに勝つは、謙虚に自らを検証できるか? そこにあるように思います。  


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