2016年08月24日
<三種の孝>小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず。〜『礼記』〜
<三種の孝>小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず。〜『礼記』〜
昼食後に、安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』の第1章・第1編に、三種の孝についてのことが書かれていました。
(以下、転載)
・・・。力を用いることはやさしい。労(心を砕いて働くこと)を用いること、すなわち仁を尊び、義に案ずることは容易ではない。けれど、せっかく父母からこの身を戴いた以上、動物的生活をして酔生夢死(酒に酔うように、夢を見るように、何のなすところもなくいたずらに一生を終えること)するのでは、間違いなく父母を辱めることである。是非とも我々は自らの特性(徳義をわきまえた立派な品性)を養って、才能を磨かなければならない。その極みは、自己の徳沢(徳が及ぼす恵み)を博く他に及ぼし、縁に随ってできるだけ多くの人物を活用し、それぞれにその存在意義をフルに発揮させてゆく(博施備物(はくしびぶつ:ひろく慈悲を恵み与え、そのためのものを用意できること))様にならなければならない。
(以上、『「人間」としての生き方』より)
現代では使わない戦前の言葉が並びますが、意味はなんとなく伝わると思います。理解しなくても、感じがつかめれば良いと思っています。
この項の冒頭の言葉から、「小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず(とぼしからず豊かで楽しいこと)」の3つの孝についてあります。
<三種の孝>
さらに大孝とは「親を尊くす、その次は辱めず、その下はよく養う」、一般的な孝行をもっと深く考えてあるなと思います。
『礼記』は、孔子の教えなのですが、2500年以上も前に生きた偉人の言葉ですが、現代にも十分使える人生の指針と思います。
*参考資料:安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』
昼食後に、安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』の第1章・第1編に、三種の孝についてのことが書かれていました。
(以下、転載)
・・・。力を用いることはやさしい。労(心を砕いて働くこと)を用いること、すなわち仁を尊び、義に案ずることは容易ではない。けれど、せっかく父母からこの身を戴いた以上、動物的生活をして酔生夢死(酒に酔うように、夢を見るように、何のなすところもなくいたずらに一生を終えること)するのでは、間違いなく父母を辱めることである。是非とも我々は自らの特性(徳義をわきまえた立派な品性)を養って、才能を磨かなければならない。その極みは、自己の徳沢(徳が及ぼす恵み)を博く他に及ぼし、縁に随ってできるだけ多くの人物を活用し、それぞれにその存在意義をフルに発揮させてゆく(博施備物(はくしびぶつ:ひろく慈悲を恵み与え、そのためのものを用意できること))様にならなければならない。
(以上、『「人間」としての生き方』より)
現代では使わない戦前の言葉が並びますが、意味はなんとなく伝わると思います。理解しなくても、感じがつかめれば良いと思っています。
この項の冒頭の言葉から、「小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(つ)きず(とぼしからず豊かで楽しいこと)」の3つの孝についてあります。
<三種の孝>
さらに大孝とは「親を尊くす、その次は辱めず、その下はよく養う」、一般的な孝行をもっと深く考えてあるなと思います。
『礼記』は、孔子の教えなのですが、2500年以上も前に生きた偉人の言葉ですが、現代にも十分使える人生の指針と思います。
*参考資料:安岡正篤講義録、現代語訳『東洋倫理概論』を読む『「人間」としての生き方』
Posted by ノグチ(noguchi) at
15:08
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