2021年03月31日
<未来への発信>陽(強く前に進む)の力だけでは、自分の力を誇示して独善的になる。要注意!〜易経〜
<未来への発信>陽(強く前に進む)の力だけでは、自分の力を誇示して独善的になる。要注意!〜易経〜
3月31日、1年の年度末の訓示は、
「陰を生み出す」
でした。本『易経一日一言』によると、以下があります。
>陰の力の特徴は、従順・受容・柔和。人に従い、人の意見に耳を傾ける謙虚さを持つ。(『易経一日一言』)
出しゃばってばかりでは、人は離れていく。
俺が、俺がではなく、
>人の意見に耳を傾ける謙虚さを持つ。
ここ2日間、まさに耳を傾ける行動を学んだ気がします。世論の変化と自らの意志、どうコントロールするかは、未来へ向けた発信でもあると思います。
また陰の力とは、謙虚な姿勢で他人の意見に耳を傾ける行動が、リーダーの最大の力になる。
*参考資料:『易経一日一言』
3月31日、1年の年度末の訓示は、
「陰を生み出す」
でした。本『易経一日一言』によると、以下があります。
>陰の力の特徴は、従順・受容・柔和。人に従い、人の意見に耳を傾ける謙虚さを持つ。(『易経一日一言』)
出しゃばってばかりでは、人は離れていく。
俺が、俺がではなく、
>人の意見に耳を傾ける謙虚さを持つ。
ここ2日間、まさに耳を傾ける行動を学んだ気がします。世論の変化と自らの意志、どうコントロールするかは、未来へ向けた発信でもあると思います。
また陰の力とは、謙虚な姿勢で他人の意見に耳を傾ける行動が、リーダーの最大の力になる。
*参考資料:『易経一日一言』
2021年03月27日
<明鏡止水>咸は感なり。〜『易経一日一言』より〜
<明鏡止水>咸は感なり。〜『易経一日一言』より〜
自らに迷いがあると周りの出来事を見て感じない、意味が分からない、要は、物事を見て感応出来ない。
(以下、『易経一日一言』より)
感じ方月正しくないと、感情が乱れ、心が泡立つ。大波が立ち、揺れる場合もある。そうなると物事ははっきり見えてこない。
物事を真に心で感じ、受け止めたときは、まさに「明鏡止水」である。一瞬にして、心の目で物事の真相をはっきりと見通すことができる。
(以上、本より)
バタバタと日々を過ごしていると、我を忘れてミスを犯す。故事に「一日三省」がありますが、朝昼晩に、自らの姿を、省みる時間を持つことが必要と思います。
一日三省は、出版社「三省堂」の基となっていると言われていますが、企業もまた、好調の時にこそ、危機の事を考えることが必要なのだと思います。
>咸は感なり。
心静かに、周りの変化に注意しておくと、大きな危機を招く前に避けることができるものです。
自らに迷いがあると周りの出来事を見て感じない、意味が分からない、要は、物事を見て感応出来ない。
(以下、『易経一日一言』より)
感じ方月正しくないと、感情が乱れ、心が泡立つ。大波が立ち、揺れる場合もある。そうなると物事ははっきり見えてこない。
物事を真に心で感じ、受け止めたときは、まさに「明鏡止水」である。一瞬にして、心の目で物事の真相をはっきりと見通すことができる。
(以上、本より)
バタバタと日々を過ごしていると、我を忘れてミスを犯す。故事に「一日三省」がありますが、朝昼晩に、自らの姿を、省みる時間を持つことが必要と思います。
一日三省は、出版社「三省堂」の基となっていると言われていますが、企業もまた、好調の時にこそ、危機の事を考えることが必要なのだと思います。
>咸は感なり。
心静かに、周りの変化に注意しておくと、大きな危機を招く前に避けることができるものです。
2021年03月20日
辛亥革命のリーダー蒋介石の名は、以下の訓示から来ているもの言われています。
「介石」の訓示は『易経』の一文ですが、この言葉から中華民国初代総統、辛亥革命のリーダー蒋介石の名は、以下の訓示から来ているもの言われています。
介(かた)きこと石の干(ごと)し。日を終えず。貞にして吉な。〜『易経一日一言』より〜
【解説文】
「介」限界の界、境。「介きこと石の干とし」とは、物事に区切りをつけること。楽しむべき時は楽しむが、悦び楽しみにおぼれない。交際においても馴れ合わない。
(以上、『易経一日一言』より)
区切りも、進退も、ここ!と思ったら
、明日をまたずに実行する。
タイミングとは、そんなものかもしれません。
介(かた)きこと石の干(ごと)し。日を終えず。貞にして吉な。〜『易経一日一言』より〜
【解説文】
「介」限界の界、境。「介きこと石の干とし」とは、物事に区切りをつけること。楽しむべき時は楽しむが、悦び楽しみにおぼれない。交際においても馴れ合わない。
(以上、『易経一日一言』より)
区切りも、進退も、ここ!と思ったら
、明日をまたずに実行する。
タイミングとは、そんなものかもしれません。
2021年03月17日
変化の兆し(機微)を知るのは、努力精進して研かれた洞察力と直感力による。〜易経〜
変化の兆し(機微)を知るのは、努力精進して研かれた洞察力と直感力による。〜易経〜
物事が起こる時、何か兆しを感じることがある。
それは、報道の知らせでなく、
地震雲?
スズメバチが、地面に作る時、台風が多い?
今年の春は花々の開花の速さは、冬の寒波と2月末からの陽気が原因とは理解できます。
そんな理屈からくる知識ではなく、
土砂崩れの前の斜面から流れる泥水。
大雨に被害の前のどす黒い雨雲と雷、大粒の雨の多さ。
一人一人の経験の違いでも、命を落とす、落とさないことが起こる。
冒頭の言葉の元となる『易経一日一言』の訓示は、以下です。
(以下、【現代語訳】転載)
「機」とは物事が変化する兆し。兆しとは物事が動く前の機微であり、現象に先んじて吉凶の分かれ目が現れるものをいう。
物事が動き、変化する前にには、必ずそれを報(しら)さる兆候がある。
機微を知るのは、超能力ではない。努力精進して研かれた洞察力と直感力によるものである。
(以上、本より)
チコちゃんじゃないですが、日常に「ボーッ、したんじゃないよ!」と叱られないように、周りの変化や、言葉に関心を持って動くと、意外に目に、耳に入ってくるものです。
物事が起こる時、何か兆しを感じることがある。
それは、報道の知らせでなく、
地震雲?
スズメバチが、地面に作る時、台風が多い?
今年の春は花々の開花の速さは、冬の寒波と2月末からの陽気が原因とは理解できます。
そんな理屈からくる知識ではなく、
土砂崩れの前の斜面から流れる泥水。
大雨に被害の前のどす黒い雨雲と雷、大粒の雨の多さ。
一人一人の経験の違いでも、命を落とす、落とさないことが起こる。
冒頭の言葉の元となる『易経一日一言』の訓示は、以下です。
(以下、【現代語訳】転載)
「機」とは物事が変化する兆し。兆しとは物事が動く前の機微であり、現象に先んじて吉凶の分かれ目が現れるものをいう。
物事が動き、変化する前にには、必ずそれを報(しら)さる兆候がある。
機微を知るのは、超能力ではない。努力精進して研かれた洞察力と直感力によるものである。
(以上、本より)
チコちゃんじゃないですが、日常に「ボーッ、したんじゃないよ!」と叱られないように、周りの変化や、言葉に関心を持って動くと、意外に目に、耳に入ってくるものです。
2021年03月15日
<人生に休み必要>止まることは停滞ではない。「止まる」という行為・行動である。〜『易経一日一言』〜
<人生に休み必要>止まることは停滞ではない。「止まる」という行為・行動である。進むべき時に進むために、止まるべき時には止まる。その決断が大切である。〜『易経一日一言』〜
若い時には、それこそ"じゃんじゃん"突っ走る!
しかし、36〜38歳くらいになると、
"ん!、俺はこの先何をするのか?"
と、40歳を境として考えることが、誰しもあるのではないだろうか。
そんな時は休み、
人と語るのです。
本を読むのです。
旅も良いかもしれません。
冒頭の言葉の説明の前に書かれた言葉は、以下である。
(以下、『易経一日一言』より)
止まるべき時には止まる。行くべき時であれば、躊躇なく進む。「動静その時を失わず」動くにしても時にを得ていれば、「その道光明なり」道は明るい、と教えている。
(以上、本より)
忙中に閑有り、という言葉があります。忙しい時にこそ、寸暇を見付けて思考を巡らす。動き続けるだけでは、活路を見つけられないことも多い。
ちょっと泊まって、足下や周りを見渡して見ると、解決のヒントがあるものです。
動きと停止、人生は行きつ、戻りつです。七転び八起き、ずっとつま先立ちは続けられらない。
時々休んでみましょう。意外に、進む道が見つかるものです。
若い時には、それこそ"じゃんじゃん"突っ走る!
しかし、36〜38歳くらいになると、
"ん!、俺はこの先何をするのか?"
と、40歳を境として考えることが、誰しもあるのではないだろうか。
そんな時は休み、
人と語るのです。
本を読むのです。
旅も良いかもしれません。
冒頭の言葉の説明の前に書かれた言葉は、以下である。
(以下、『易経一日一言』より)
止まるべき時には止まる。行くべき時であれば、躊躇なく進む。「動静その時を失わず」動くにしても時にを得ていれば、「その道光明なり」道は明るい、と教えている。
(以上、本より)
忙中に閑有り、という言葉があります。忙しい時にこそ、寸暇を見付けて思考を巡らす。動き続けるだけでは、活路を見つけられないことも多い。
ちょっと泊まって、足下や周りを見渡して見ると、解決のヒントがあるものです。
動きと停止、人生は行きつ、戻りつです。七転び八起き、ずっとつま先立ちは続けられらない。
時々休んでみましょう。意外に、進む道が見つかるものです。
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2021年03月13日
本日は、宇土親子論語教室に参加しています。最初に、経書大講にまとめられた戦前の小林一郎先生の『中庸』の解説書から、
<政治とは何か?>本日は、宇土親子論語教室に参加しています。最初に、経書大講にまとめられた戦前の小林一郎先生の『中庸』の解説書から、
(以下、小林一郎講述『経書大講』より抜粋)
>魯の哀公が孔子に政の執り方についての根本を問うた?
>人の上に立つ者は人民を教え導いて、それぞれ生活の道を立てさせてやるようにするということが肝要である。(中略)
>政治の根本は人民を教化するということである。政治の執り方が善ければ悪かった者も善くなり、風俗の乱れたのが改って来るのであって、これがもっとも大切なことである。(中略)
>政治の執り方が善いと、人民が皆上の人に感化されて、今まで役に立たなかった者も役に立つようになり、今まで薄情であった者も人情に厚いようになるのである。何と言っても政治というものは教化が本であるということを忘れてはならない。(中略)
(以上、小林一郎講述『経書大講』より)
戦前の原書は読めない文字もあるので、塾長が開設されました。また、以下の説明もあります。
>地位ある人は、身を修めるということを務めなければならぬのであるが、身を修めるのには親に事(つか)へるということを第一としなければならぬ。(中略)
>真に親に事へて孝を尽そうと思ふならば、國を平らかにしなければならぬ。國を平らかにするには人を知らなけれる。(中略)
(以上、『経書大講』より)
今日は、政治とは何か、深い学びになっています。戦前の哲学者も、悩みながら講義をしていたのだ、と塾長が説明されました。




(以下、小林一郎講述『経書大講』より抜粋)
>魯の哀公が孔子に政の執り方についての根本を問うた?
>人の上に立つ者は人民を教え導いて、それぞれ生活の道を立てさせてやるようにするということが肝要である。(中略)
>政治の根本は人民を教化するということである。政治の執り方が善ければ悪かった者も善くなり、風俗の乱れたのが改って来るのであって、これがもっとも大切なことである。(中略)
>政治の執り方が善いと、人民が皆上の人に感化されて、今まで役に立たなかった者も役に立つようになり、今まで薄情であった者も人情に厚いようになるのである。何と言っても政治というものは教化が本であるということを忘れてはならない。(中略)
(以上、小林一郎講述『経書大講』より)
戦前の原書は読めない文字もあるので、塾長が開設されました。また、以下の説明もあります。
>地位ある人は、身を修めるということを務めなければならぬのであるが、身を修めるのには親に事(つか)へるということを第一としなければならぬ。(中略)
>真に親に事へて孝を尽そうと思ふならば、國を平らかにしなければならぬ。國を平らかにするには人を知らなけれる。(中略)
(以上、『経書大講』より)
今日は、政治とは何か、深い学びになっています。戦前の哲学者も、悩みながら講義をしていたのだ、と塾長が説明されました。




2021年03月05日
運命には法則がある。その法則をつかむと、それに支配されないようになる。〜安岡正篤〜
運命には法則がある。その法則をつかむと、それに支配されないようになる。〜安岡正篤〜
安岡正篤語録を集めた『安岡正篤一日一言』ですが、3月5日の訓示は、
(以下、本より)
運命の法則をつかむ
運命は動いて止まないが、そこにおのずから法則(数)がある。そこで自然界の物質と同じように、その法則をつかむと、それに支配されないようになる。自主性が高まり、創造性に到達する。つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
この訓示は、運命とは動かせないものと普通の人は考えるが、志を持って動けば、周りが変化して行く。私はこれを「志命」とかってに解釈しています。使命の文字は、自らを使う意味が込められいると思いますが、もっと自ら動く意味で「志命」としています。
長期のビジョンを持って、目の前の事象を分析し、自らの意志で判断し動く。法則(運命)に流されるのでなく、常に気を抜かず、志命を持って動かなければと、安岡正篤先哲の言葉を読み、背筋がピンと伸びました。
安岡正篤語録を集めた『安岡正篤一日一言』ですが、3月5日の訓示は、
(以下、本より)
運命の法則をつかむ
運命は動いて止まないが、そこにおのずから法則(数)がある。そこで自然界の物質と同じように、その法則をつかむと、それに支配されないようになる。自主性が高まり、創造性に到達する。つまり自分で自分の「命」を生み、運んでゆけるようになる。
(以上、『安岡正篤一日一言』より)
この訓示は、運命とは動かせないものと普通の人は考えるが、志を持って動けば、周りが変化して行く。私はこれを「志命」とかってに解釈しています。使命の文字は、自らを使う意味が込められいると思いますが、もっと自ら動く意味で「志命」としています。
長期のビジョンを持って、目の前の事象を分析し、自らの意志で判断し動く。法則(運命)に流されるのでなく、常に気を抜かず、志命を持って動かなければと、安岡正篤先哲の言葉を読み、背筋がピンと伸びました。