2011年09月27日
論語「仁は直ちに実現される」、「中途な論議は徳を棄てる」。
論語の教示から2訓-「仁は直ちに実現される」、「中途な論議は徳を棄てる」。
宇土市で親子論語教室が毎月開催される。論語を素読し、童謡を歌う。心洗われる時間がある。参加してみませんか。
「子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、ここに仁至る」
(解説)
孔子が説かれた、「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」
「子曰く、道に聴きて途に説くは、徳を之れ棄つるなり」
(解説)
孔子が説かれた、「道端で良いことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すのは、徳を棄てるようなものだ」
人のために成らんと、多くの人が思っていると思う。しかし、仁は生まれ持っているのですが、その行ないを実行するとなると、なかなかむずかしい。学びを深め、仲間と切磋琢磨する中で、自分を鍛えることが重要と思う。日々勉強と思います。
*参考資料:伊牟田学著「仮名論語」
宇土市で親子論語教室が毎月開催される。論語を素読し、童謡を歌う。心洗われる時間がある。参加してみませんか。
「子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、ここに仁至る」
(解説)
孔子が説かれた、「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう」
「子曰く、道に聴きて途に説くは、徳を之れ棄つるなり」
(解説)
孔子が説かれた、「道端で良いことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すのは、徳を棄てるようなものだ」
人のために成らんと、多くの人が思っていると思う。しかし、仁は生まれ持っているのですが、その行ないを実行するとなると、なかなかむずかしい。学びを深め、仲間と切磋琢磨する中で、自分を鍛えることが重要と思う。日々勉強と思います。
*参考資料:伊牟田学著「仮名論語」
2011年09月27日
ただ生きる「存在」ではなく、「生成」の気持ちを常に意識
ただ生きる「存在」ではなく、「生成」の気持ちを常に意識
おはようございます。うす曇りの我が家です。さて、昨日から自宅アトリエに籠もって作っている模型作りへのご意見ありがとうございます。今日は、1つ所用がありますが、一日模型制作です。
さて、中村天風氏の著書「叡智のひびき」 に、人生を積極的に生きる考え方があった。
(以下転載)
人生に対する心構えは、to be(存在) ではいけない、to grow (成る) でなければならぬということなのである。わかりやすくいえば、人生というものは、ただ単なる「存在」として活きるのではなく、「生成」 を心がけるべきである。
(以上、「叡智のひびき」より転載)
なかなか難しい言葉ではあるが、この年になると、何となくわかる気がする。昨日から期限のある作業中に、ふと「私は何をしているのか、これで良いのか」 と、思うことがある。私は、ものづくりが子供のころから好きで、建築士という職能の世界に入った。中村天風氏の「生成」のレベルには、まだまだ到底至ってはいないが、懲りず、諦めず、色々なことに興味を持ち続けることが大事と思います。ただ生きる「存在」ではなくて、「生成」の気持ちを常に意識して生きたものです。
おはようございます。うす曇りの我が家です。さて、昨日から自宅アトリエに籠もって作っている模型作りへのご意見ありがとうございます。今日は、1つ所用がありますが、一日模型制作です。
さて、中村天風氏の著書「叡智のひびき」 に、人生を積極的に生きる考え方があった。
(以下転載)
人生に対する心構えは、to be(存在) ではいけない、to grow (成る) でなければならぬということなのである。わかりやすくいえば、人生というものは、ただ単なる「存在」として活きるのではなく、「生成」 を心がけるべきである。
(以上、「叡智のひびき」より転載)
なかなか難しい言葉ではあるが、この年になると、何となくわかる気がする。昨日から期限のある作業中に、ふと「私は何をしているのか、これで良いのか」 と、思うことがある。私は、ものづくりが子供のころから好きで、建築士という職能の世界に入った。中村天風氏の「生成」のレベルには、まだまだ到底至ってはいないが、懲りず、諦めず、色々なことに興味を持ち続けることが大事と思います。ただ生きる「存在」ではなくて、「生成」の気持ちを常に意識して生きたものです。
2011年09月23日
何かあったときには最終的にプラスになるように考える-養老孟司
何かあったときには最終的にプラスになるように考える。-養老孟司-
おはようございます。昨夜早くに休んだ性で、早く目が覚めました。
先週、宮崎に行った折求めた9名の知識人が思いを綴った本『復興の精神」に、作家の養老孟司氏が次のことを語っている。
(以下転載)
何十年に一回はアクシデントがある、というのは人生においても同じことです。極端に運のいい人というのもいないわけではありませんが、普通は十年か二十年に一度ずつくらい何かあるものです。(略)
私はいつも、人生は「答え」だというようにしています。(略)
自分がいままでやってきたこと、社会とかかわってきたことの結果として表にあらわtれているのが、ただ今現在の自分である。(略) 生きていれば、さまざまな悪いことが起こります。しかし、何かあったときには最終的にプラスになるように考えるしかないのです。
(以上、『復興の精神』転載)
人生には色々な出来事、苦難が起こります。こんな私でも、5年、10年に一度大きな変化が起こる。それを受け入れ、知恵をしぼり、協力して切り抜けて来た。これからも同様と思う。
東北の方々の心情は、遠い九州に居てはなかなか理解出来ないことが多いが、春に現地を訪問し、被災した状況に触れてみて、その状況の中で生きようとされている姿に、自分の人生を重ねて考えることは実際にはできないが、学ぶことが多いと思う。
養老氏の言う「何かあったときには最終的にプラスになるように考える」、プラス志向の生き方が必要と思っています。
おはようございます。昨夜早くに休んだ性で、早く目が覚めました。
先週、宮崎に行った折求めた9名の知識人が思いを綴った本『復興の精神」に、作家の養老孟司氏が次のことを語っている。
(以下転載)
何十年に一回はアクシデントがある、というのは人生においても同じことです。極端に運のいい人というのもいないわけではありませんが、普通は十年か二十年に一度ずつくらい何かあるものです。(略)
私はいつも、人生は「答え」だというようにしています。(略)
自分がいままでやってきたこと、社会とかかわってきたことの結果として表にあらわtれているのが、ただ今現在の自分である。(略) 生きていれば、さまざまな悪いことが起こります。しかし、何かあったときには最終的にプラスになるように考えるしかないのです。
(以上、『復興の精神』転載)
人生には色々な出来事、苦難が起こります。こんな私でも、5年、10年に一度大きな変化が起こる。それを受け入れ、知恵をしぼり、協力して切り抜けて来た。これからも同様と思う。
東北の方々の心情は、遠い九州に居てはなかなか理解出来ないことが多いが、春に現地を訪問し、被災した状況に触れてみて、その状況の中で生きようとされている姿に、自分の人生を重ねて考えることは実際にはできないが、学ぶことが多いと思う。
養老氏の言う「何かあったときには最終的にプラスになるように考える」、プラス志向の生き方が必要と思っています。
2011年09月22日
頭は常に八方に気を配って一部の隙もあってはならぬ(吉田秀雄)
頭は常に八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ(吉田秀雄)
-「電通鬼十則」の第九章-
さて「気配り」という日本の生活用語がありますが、どんな印象をお持ちでしょうか。電通4代目社長の吉田秀雄氏の遺訓「電通鬼十則」の第九章は、
「頭は常に「全廻転」八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ、サービスとはそういうものだ」
とある。これは、すべての仕事や活動に必要な人との関わりと思う。電通鬼十則の解説本に、
1.気配りとご機嫌取りは似ているが、実は180度異なる対極の概念である。
2.気配り人間になろう。さあいますぐだ、気配りって、すごく創造的なことなんだ。
とある。また、
・気配りは心理学である。
・気配りは気持ちの先取りである。
・気配りは人間学である。
加えて、必要なビジネスマンの行動要素に「3S」がある。「Strategy」「Speed」「Simpl」とあった。
気配りとは、創造的につながりを強化しネットワークを広げる積極的な行動理念と思う。積極的に今日も、人とのつながりを考え、「気配り」に全身全霊を使い、日々の出会いを一期一会と思って言動に注意をはらいます。良き一日でありますように。
(*植田正也著『電通鬼十則』より)
-「電通鬼十則」の第九章-
さて「気配り」という日本の生活用語がありますが、どんな印象をお持ちでしょうか。電通4代目社長の吉田秀雄氏の遺訓「電通鬼十則」の第九章は、
「頭は常に「全廻転」八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ、サービスとはそういうものだ」
とある。これは、すべての仕事や活動に必要な人との関わりと思う。電通鬼十則の解説本に、
1.気配りとご機嫌取りは似ているが、実は180度異なる対極の概念である。
2.気配り人間になろう。さあいますぐだ、気配りって、すごく創造的なことなんだ。
とある。また、
・気配りは心理学である。
・気配りは気持ちの先取りである。
・気配りは人間学である。
加えて、必要なビジネスマンの行動要素に「3S」がある。「Strategy」「Speed」「Simpl」とあった。
気配りとは、創造的につながりを強化しネットワークを広げる積極的な行動理念と思う。積極的に今日も、人とのつながりを考え、「気配り」に全身全霊を使い、日々の出会いを一期一会と思って言動に注意をはらいます。良き一日でありますように。
(*植田正也著『電通鬼十則』より)
2011年09月20日
熊本県民体育大会報告、九電川内原発視察研修に参加
熊本県民体育大会報告、九電川内原発視察研修に参加
おはようございます。土日は、熊本県民体育大会のサッカー競技の応援に、県南の津奈木町へ出かけました。私は、今年度から宇土市サッカー協会の会長になり、初めての大会で、初日の夜は熊本県のサッカー関係者が一同に会し、色々な問題や、全国サッカー協会からの伝達事項の確認などなど、語りながら親睦を暖めた。
県大会の結果は、準決勝で3-3から延長戦で、相手のコーナーキックからのヘッドから得点され、3-4で惜敗した。決勝戦は、私たちの対戦相手が、熊本市を6-0で下したことが今日の新聞でわかり、宇土の対戦が実質的な決勝だったことが分かり、結果は3位でしたが、実力の確認ができ、来年へ向け大きな期待が膨らむゲームになった。
今日は、地元の小学校の区長会(振興会)の一泊研修に同行することになった。目的地は、鹿児島県の薩摩川内市にある、九州電力川内原子力発電所で、私自身初めての見学になります。きっかけは、区長会長の就任した伊藤氏が、「原発でも見て、勉強しよう」から始まったが、私は玄海原発は、一度子供たちを連れて行ったことがあるので、いつか川内原発を見に行きたいと思っていたので、好都合と思い同行し、みなさんの意見を聞きたいと思って参加します。
4月末に、熊本大学大学院の地球物理学部の渋谷教授に、九州周辺の海底地震の可能性を訊ねに行ったおり、川内原発、玄海原発は、どちらが津波被害の可能性があるか聞いた。 答えは、私の考えていたこととだいぶ違ったものだった。渋谷氏は、
「宮崎沖から連なるフィリピン海溝で、沖縄沖の海底地震は、300年~500年に一度大きな地殻変動を起こしている。東北並みの巨大地震は、その5倍~10倍の期間に一度起きる可能性がある。もし沖縄沖で大きな海底地震は発生すれば、川内原発には4~6メートルの津波が来る事があると思う」
と、あった。私は、玄海原発の津波が危険かと思っていたのですが、意外に川内原発で、その津波発生は、沖縄海溝の地殻変動によるものだった。
日本中が何処でも、地震の可能性を秘めているが、物理学的な歴史の数千年の長い期間を想定した地域の天災の検証はこれからと思いました。今日の原発視察で、九電がどんな説明をするか、また参加した方々の意見を聞き、これからの電力事業について考えて見たいと思います。
おはようございます。土日は、熊本県民体育大会のサッカー競技の応援に、県南の津奈木町へ出かけました。私は、今年度から宇土市サッカー協会の会長になり、初めての大会で、初日の夜は熊本県のサッカー関係者が一同に会し、色々な問題や、全国サッカー協会からの伝達事項の確認などなど、語りながら親睦を暖めた。
県大会の結果は、準決勝で3-3から延長戦で、相手のコーナーキックからのヘッドから得点され、3-4で惜敗した。決勝戦は、私たちの対戦相手が、熊本市を6-0で下したことが今日の新聞でわかり、宇土の対戦が実質的な決勝だったことが分かり、結果は3位でしたが、実力の確認ができ、来年へ向け大きな期待が膨らむゲームになった。
今日は、地元の小学校の区長会(振興会)の一泊研修に同行することになった。目的地は、鹿児島県の薩摩川内市にある、九州電力川内原子力発電所で、私自身初めての見学になります。きっかけは、区長会長の就任した伊藤氏が、「原発でも見て、勉強しよう」から始まったが、私は玄海原発は、一度子供たちを連れて行ったことがあるので、いつか川内原発を見に行きたいと思っていたので、好都合と思い同行し、みなさんの意見を聞きたいと思って参加します。
4月末に、熊本大学大学院の地球物理学部の渋谷教授に、九州周辺の海底地震の可能性を訊ねに行ったおり、川内原発、玄海原発は、どちらが津波被害の可能性があるか聞いた。 答えは、私の考えていたこととだいぶ違ったものだった。渋谷氏は、
「宮崎沖から連なるフィリピン海溝で、沖縄沖の海底地震は、300年~500年に一度大きな地殻変動を起こしている。東北並みの巨大地震は、その5倍~10倍の期間に一度起きる可能性がある。もし沖縄沖で大きな海底地震は発生すれば、川内原発には4~6メートルの津波が来る事があると思う」
と、あった。私は、玄海原発の津波が危険かと思っていたのですが、意外に川内原発で、その津波発生は、沖縄海溝の地殻変動によるものだった。
日本中が何処でも、地震の可能性を秘めているが、物理学的な歴史の数千年の長い期間を想定した地域の天災の検証はこれからと思いました。今日の原発視察で、九電がどんな説明をするか、また参加した方々の意見を聞き、これからの電力事業について考えて見たいと思います。
2011年09月17日
高齢者を狙った「足裏マッサージ機」の訪問販売注意を
高齢者を狙った「足裏マッサージ機」の訪問販売注意を
おはようございます。
昨日は、遅く宮崎から帰りました。ずぶぬれ引越しでしたが、無事に終了しホッとします。後半年、大学生活を終えてくれたらと思っています。
昨日、宮崎のイオンで妻たちのショッピング中に、マッサージ機のコナーを見ていて驚きと怒りを感じました。
私の父が地元に在る温泉センターに毎週一度通っているのですが、4日前、そこに来た訪問販売で足裏マッサージ器を売りつけられ契約をして来ました。その内容を聞き、どう考えてもおかしい、どう見ても高いと感じ、熊本の営業先へ連絡したが留守で、東京本社へ電話をしました。夜担当に来てもらい、解約をしました。
そのマッサージ機は、宮崎のイオンの機種とまったく同じで、イオンの販売価格は7980円。父が契約は76000円で、それも元値は130000円を値引きした値段。高齢者を狙った訪問販売はこんなものかと思いました。
今朝父にしたら驚いていました。みなさんの周りへも周知を願います。
おはようございます。
昨日は、遅く宮崎から帰りました。ずぶぬれ引越しでしたが、無事に終了しホッとします。後半年、大学生活を終えてくれたらと思っています。
昨日、宮崎のイオンで妻たちのショッピング中に、マッサージ機のコナーを見ていて驚きと怒りを感じました。
私の父が地元に在る温泉センターに毎週一度通っているのですが、4日前、そこに来た訪問販売で足裏マッサージ器を売りつけられ契約をして来ました。その内容を聞き、どう考えてもおかしい、どう見ても高いと感じ、熊本の営業先へ連絡したが留守で、東京本社へ電話をしました。夜担当に来てもらい、解約をしました。
そのマッサージ機は、宮崎のイオンの機種とまったく同じで、イオンの販売価格は7980円。父が契約は76000円で、それも元値は130000円を値引きした値段。高齢者を狙った訪問販売はこんなものかと思いました。
今朝父にしたら驚いていました。みなさんの周りへも周知を願います。
2011年09月14日
網津小学校新築で痛恨の設計ミス、施工不良、議会から追求される
網津小学校新築で痛恨の設計ミス、施工不良で、議会から追求される
晴天の熊本です。
さて、今日は議会の文教厚生委員会で、教育、文化、福祉、老人介護、国民健康保健、などなど、補正予算の検討、審査が1日続きます。今回の最大の関心と疑問が、地元の小学校の新築工事における県と協働する「アートポリス事業」について聞く予定です。県の事業で、都会や海外の建築家を選定し、デザイン性の高い建物を作る事業です。
その建築家のアトリエ事務所が設計した宇土市立網津小学校の新築間もない床が、盛り上り歩けない状態なった。状況を見に行って驚いたのは、床下に湿気を抜く「換気口」が無いこと、さらに床材が合板ではなく「むく材」で、湿度のよって伸縮する素材だった。
9月議会で、建築家、工事会社に説明求めると言い訳がばかり、建築の知識不足を反省する態度がまったく見えない。一人の議員が「言い訳はもういい、最後まで責任をとるのか」と詰め寄られたれ、言葉が出なかった。
建設会社いたっては、この状況に「びっくりした」と、言い訳が始まった。80年を越える老舗の建設会社が、これまで似たような経験をしてないはずはないし、まったくの建築の知識不足と思われるミスを犯すことに問題があると考えています。入札金額も、他を圧倒する安さで受注してます。今後、色々論議されなけばいけないと考えています。
ちなみに、この小学校は、権威ある建築雑誌「新建築」の表紙を飾った。
晴天の熊本です。
さて、今日は議会の文教厚生委員会で、教育、文化、福祉、老人介護、国民健康保健、などなど、補正予算の検討、審査が1日続きます。今回の最大の関心と疑問が、地元の小学校の新築工事における県と協働する「アートポリス事業」について聞く予定です。県の事業で、都会や海外の建築家を選定し、デザイン性の高い建物を作る事業です。
その建築家のアトリエ事務所が設計した宇土市立網津小学校の新築間もない床が、盛り上り歩けない状態なった。状況を見に行って驚いたのは、床下に湿気を抜く「換気口」が無いこと、さらに床材が合板ではなく「むく材」で、湿度のよって伸縮する素材だった。
9月議会で、建築家、工事会社に説明求めると言い訳がばかり、建築の知識不足を反省する態度がまったく見えない。一人の議員が「言い訳はもういい、最後まで責任をとるのか」と詰め寄られたれ、言葉が出なかった。
建設会社いたっては、この状況に「びっくりした」と、言い訳が始まった。80年を越える老舗の建設会社が、これまで似たような経験をしてないはずはないし、まったくの建築の知識不足と思われるミスを犯すことに問題があると考えています。入札金額も、他を圧倒する安さで受注してます。今後、色々論議されなけばいけないと考えています。
ちなみに、この小学校は、権威ある建築雑誌「新建築」の表紙を飾った。
2011年09月07日
田舎を活性化するのは、住む人、一人ひとりの決心にある。
田舎を活性化するのは、住む人、一人ひとりの決心にある。
今年は、旧盆から10日間九州は、どんよりとした天候でよく雨が降った。近畿は、八朔の時期に雨台風で甚大な被害を受けた。やはり、雨の多い日本と実感します。
今朝、ヒンヤリとした空気で目が覚めた。昼は暑いが、やはり初秋の朝は、目覚めが気持ちいい。与謝蕪村が秋を詠んだ一句がある。
「山は暮れて 野は黄昏の 薄かな」(やまはくれて のはたそがれの すすきかな)
かつてあった田舎の夕暮れ時のどこでにでもある風景と思います。都会では、なかなかこんな風情は見れなくなりましたが、わが家の周りではまだまだ在る、日常の風景です。
私の家は、熊本の宇土半島の中山間地にあり、いわゆる少子高齢化の進む過疎の町です。しかし、若い人は、熊本市や熊本市南部に努めに毎日出かけています。昼は車で走ると、40分で熊本市の中心市街地へいける距離。学生たちもJRを使い通学を当たり前にしています。大都会からすると゛贅沢゛と友人たちが話してくれます。
しかし、若い世代は、熊本市南部の住宅地域へどんどん移転していて、残っているのは熟年世代、高齢者世代ばかり、いっこうに人口が増える要素がありません。まして、インターネット環境が、まだメタル回線使用で、光通信の整備予定も無い状況、都市と地方の差どころが、地域内格差があり、これでは都会で過して熟年に帰郷して暮らすことすら出来ない環境と言えます。
我が家の大学生は、就職活動の情報集めのため、宇土市の都市部にある親戚の速度の速い(光)ネット環境を使っています。これまでの、行政というか、政治の時代感覚の鈍さを感じています。
私は、この情報格差をどうにか解消しないと、田舎の人口増は望めないと考えています。加えて、ネット環境を利用できるように住民に指導を続ける努力もまったくないこ。これまでの行政は、国が指導する通りでよかったが、そんなことをしていたら、私の住む地域は早々に限界集落になります。これを解決するのは、政治の力が必要と考えています。
田舎で頑張っている市民も、どんどん要求をすることが必要です。自分の地域を変えるのは、自分たち自身であること、その費用を獲得する要求を始めることが大事と思います。
生活改善の実現には、「思い立ったら、行動し、仲間を作って、継続する。そして一人ひとりが、向上心を持ち積極的に社会改善に関わること」が必要と思います。田舎を活性化するのは、住む人、一人ひとりの決心にあると思います。
今年は、旧盆から10日間九州は、どんよりとした天候でよく雨が降った。近畿は、八朔の時期に雨台風で甚大な被害を受けた。やはり、雨の多い日本と実感します。
今朝、ヒンヤリとした空気で目が覚めた。昼は暑いが、やはり初秋の朝は、目覚めが気持ちいい。与謝蕪村が秋を詠んだ一句がある。
「山は暮れて 野は黄昏の 薄かな」(やまはくれて のはたそがれの すすきかな)
かつてあった田舎の夕暮れ時のどこでにでもある風景と思います。都会では、なかなかこんな風情は見れなくなりましたが、わが家の周りではまだまだ在る、日常の風景です。
私の家は、熊本の宇土半島の中山間地にあり、いわゆる少子高齢化の進む過疎の町です。しかし、若い人は、熊本市や熊本市南部に努めに毎日出かけています。昼は車で走ると、40分で熊本市の中心市街地へいける距離。学生たちもJRを使い通学を当たり前にしています。大都会からすると゛贅沢゛と友人たちが話してくれます。
しかし、若い世代は、熊本市南部の住宅地域へどんどん移転していて、残っているのは熟年世代、高齢者世代ばかり、いっこうに人口が増える要素がありません。まして、インターネット環境が、まだメタル回線使用で、光通信の整備予定も無い状況、都市と地方の差どころが、地域内格差があり、これでは都会で過して熟年に帰郷して暮らすことすら出来ない環境と言えます。
我が家の大学生は、就職活動の情報集めのため、宇土市の都市部にある親戚の速度の速い(光)ネット環境を使っています。これまでの、行政というか、政治の時代感覚の鈍さを感じています。
私は、この情報格差をどうにか解消しないと、田舎の人口増は望めないと考えています。加えて、ネット環境を利用できるように住民に指導を続ける努力もまったくないこ。これまでの行政は、国が指導する通りでよかったが、そんなことをしていたら、私の住む地域は早々に限界集落になります。これを解決するのは、政治の力が必要と考えています。
田舎で頑張っている市民も、どんどん要求をすることが必要です。自分の地域を変えるのは、自分たち自身であること、その費用を獲得する要求を始めることが大事と思います。
生活改善の実現には、「思い立ったら、行動し、仲間を作って、継続する。そして一人ひとりが、向上心を持ち積極的に社会改善に関わること」が必要と思います。田舎を活性化するのは、住む人、一人ひとりの決心にあると思います。
2011年09月06日
九州電力の系列会社の仕事ぶり、怒り心頭に達する思いを感じた。
九州電力の系列会社の仕事ぶり、怒り心頭に達する思いを感じた。
電線に木の枝がかかると切る仕事がある。事の発端は、九電系の九州木材工業が、私の留守に親父に名詞を置いて行った。
数日後に電話があり「修一さんに了解を得たので枝を切らしてほしい」と。それに対して「私が修一です。切る前に、一度説明に来て欲しい。昼間は居ないで、連絡をして来て下さい」と伝えた。1週間経っても、ぜんぜん音沙汰なし。
今日は、朝から歯を抜き食事もできないので、自宅で休養しようと帰ると、勝手に家の横に高所作業車を停め、切る準備を始める直前だった。私が「相談無く、それも居ないのを判っていて切るとはどういう事か。今日は切らせない、一度説明に来てくれ」と言うと。そのまま、挨拶も説明も無く帰った。自宅居た娘に「何か連絡はあったか」と聞くと連絡なし。私は、九電の系列会社でありながら、「九電」と言う名前を使い、住民の資産を勝手に切る態度は、電力業界の体質のように感じた。
さっそく、九州電力熊本支店に状況を説明し、「兎に角、一般市民への対応が悪い。家の周りに植える木は、景観を考えてある。花の咲く木であり、打合せをして切って欲しいし、切るとき立会いたい。なぜそこまでするか、実は知人の家の木が電線にかかったの切らせたら、誰も居ないときに勝手に来て切ったので、とんでんもない形になった。市民を軽視した態度に、とても気分を害している」と伝えた。
実は、切る予定の一本は新築記念の桜、もう一本は百年を越える柿の古木で、家の新築時にベランダの中に切らずに残したもの。そんな気持ちは作業者には解からないから、こちらがしっかり伝えて切りたいと思っていた。
今回の状況は、他でも聞いたことがある、これが電力会社グループの実体なのだろうと思った。
電線に木の枝がかかると切る仕事がある。事の発端は、九電系の九州木材工業が、私の留守に親父に名詞を置いて行った。
数日後に電話があり「修一さんに了解を得たので枝を切らしてほしい」と。それに対して「私が修一です。切る前に、一度説明に来て欲しい。昼間は居ないで、連絡をして来て下さい」と伝えた。1週間経っても、ぜんぜん音沙汰なし。
今日は、朝から歯を抜き食事もできないので、自宅で休養しようと帰ると、勝手に家の横に高所作業車を停め、切る準備を始める直前だった。私が「相談無く、それも居ないのを判っていて切るとはどういう事か。今日は切らせない、一度説明に来てくれ」と言うと。そのまま、挨拶も説明も無く帰った。自宅居た娘に「何か連絡はあったか」と聞くと連絡なし。私は、九電の系列会社でありながら、「九電」と言う名前を使い、住民の資産を勝手に切る態度は、電力業界の体質のように感じた。
さっそく、九州電力熊本支店に状況を説明し、「兎に角、一般市民への対応が悪い。家の周りに植える木は、景観を考えてある。花の咲く木であり、打合せをして切って欲しいし、切るとき立会いたい。なぜそこまでするか、実は知人の家の木が電線にかかったの切らせたら、誰も居ないときに勝手に来て切ったので、とんでんもない形になった。市民を軽視した態度に、とても気分を害している」と伝えた。
実は、切る予定の一本は新築記念の桜、もう一本は百年を越える柿の古木で、家の新築時にベランダの中に切らずに残したもの。そんな気持ちは作業者には解からないから、こちらがしっかり伝えて切りたいと思っていた。
今回の状況は、他でも聞いたことがある、これが電力会社グループの実体なのだろうと思った。
2011年09月04日
八方美人は、徳をそこなうものだ(論語)
八方美人は、徳をそこなうものだ(論語)
今日午前中は論語教室に参加した。なかなか毎回の参加はできないか、行くと良い話を聞けるのが楽しみに参加している。今日は、仮名論語から一つ学んだ。
「子曰わく、郷原は徳の賊なり」:(解説)八方美人は、徳をそこなうものだ。
「子曰わく、道に聴いて途(みち)に説くは、徳を之れ棄つるなり」:(解説)道端でよいことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すには、徳を棄てるようなものだ。
正に至言と思います。ネットや先輩の話を信じ、つい人に語ってしまうことがある。酔った勢い、あるいは和気藹々の雑談で、ポロッと話半分の聞きかじりを語り、恥をかくことも凡人にはよくあることですが、そこでしっかり反省を忘れていけないを思う。
数日前も聞きかじり話が、みなさんから大きな反響を受けてしまいました。日々、反省が大事と思う。論語にも「一日三省」の教えがあるように、時々自分は今何を語っているか、常に検証が必要と思う。
今日午前中は論語教室に参加した。なかなか毎回の参加はできないか、行くと良い話を聞けるのが楽しみに参加している。今日は、仮名論語から一つ学んだ。
「子曰わく、郷原は徳の賊なり」:(解説)八方美人は、徳をそこなうものだ。
「子曰わく、道に聴いて途(みち)に説くは、徳を之れ棄つるなり」:(解説)道端でよいことを聴いて、さっそくその聞きかじりを途中で話すには、徳を棄てるようなものだ。
正に至言と思います。ネットや先輩の話を信じ、つい人に語ってしまうことがある。酔った勢い、あるいは和気藹々の雑談で、ポロッと話半分の聞きかじりを語り、恥をかくことも凡人にはよくあることですが、そこでしっかり反省を忘れていけないを思う。
数日前も聞きかじり話が、みなさんから大きな反響を受けてしまいました。日々、反省が大事と思う。論語にも「一日三省」の教えがあるように、時々自分は今何を語っているか、常に検証が必要と思う。
2011年09月02日
自分の力、人間の力を過信しない
自分の力、人間の力を過信しない
台風が接近、上陸しそうな地域は、心配と思います。災害には、十分すぎるほど用心が大事と思います。昨日、台風襲来が多い日「二百十日」、関東大震災の日、から防災の行事が多い日と知りました。台風シーズンはこれからです。危険と思ったときは遅いと言いますので、早めの避難が大事と思います。
朝の一言「自分の力、人間の力を過信しない」(曽野綾子『仮の宿』より)
‥‥、いつの間にか、私もまた「備えあれば憂いなし」ということばを半ば信じかけていた。しかし、備えさえすれば、憂うることがないなどということは、こと人間の心理に関するかぎり、あるわけはないのです。(略)
余談だが、この文の一節に神父の言葉がある。「今年集めたお金(寄付)は今年使う―もしその仕事が善きことであり、それが続けられるべきなら、神の配慮がある」と。過信ほど自分の判断を誤る、ご注意を。
台風が接近、上陸しそうな地域は、心配と思います。災害には、十分すぎるほど用心が大事と思います。昨日、台風襲来が多い日「二百十日」、関東大震災の日、から防災の行事が多い日と知りました。台風シーズンはこれからです。危険と思ったときは遅いと言いますので、早めの避難が大事と思います。
朝の一言「自分の力、人間の力を過信しない」(曽野綾子『仮の宿』より)
‥‥、いつの間にか、私もまた「備えあれば憂いなし」ということばを半ば信じかけていた。しかし、備えさえすれば、憂うることがないなどということは、こと人間の心理に関するかぎり、あるわけはないのです。(略)
余談だが、この文の一節に神父の言葉がある。「今年集めたお金(寄付)は今年使う―もしその仕事が善きことであり、それが続けられるべきなら、神の配慮がある」と。過信ほど自分の判断を誤る、ご注意を。
2011年09月01日
一人の人間の検証は、死んだ後に始まる。日頃の言動が大事。
一人の人間の検証は、死んだ後に始まる。日頃の言動が大事。
午後は建築の打ち合わせがあるが、午前中の予定が延期になった。
朝の読書から曽野綾子さんの本の一節を紹介します。
「正義の名を借りて、私怨(しえん)を晴らす人々とは」
(以下転載)
いつの時代でも、どの社会でも、いかなる個人でも、夢中になって要求するのは正義です。もちろん殺人犯を放置しておいていいとか、詐欺をしてもかまわないというものではありません。しかし、正義という名を借りて、どれほどの人が自分の私怨を晴らしているかわからないくらいです。もちろん晴らしても一向に構わないのですが、そのことを薄々わかってやっているのでないと、困るのですね。
むしろほんとうの正義というものは、自分がそのために損をしたり、傷ついたり、ひどい時には命の危険に陥れられることまであるということを納得してすることであって、正義の遂行によって、俗世で得をしたり、名声を得たりすることとは、多くの場合はほとんど一致していません。(略)
(以上、『聖書の中の友情論』より)
「人の人生の検証は、死んだ後(棺桶の蓋が閉まってから)始まる」
と、前熊本日日新聞者名誉会長の永野光也氏が、語っておられたのを思い出す。
また、偉人の歴史的検証は、親族、孫等が世を去った100年後くらいから始まると、郷土史家から聞いた事がある。坂本龍馬も100年くらい過ぎたころ、司馬遼太郎によって取り上げられ、全国も若者の心を動かした。
世には現世の名声を求める人がほとんどですが、地方の田舎で黙々と地域社会を支える
無名に人がたくさん居ることを忘れていけないと思う。龍馬みたいな人生は、一般人はできないが、死んだ後、良き話題にしてもらえるような生き方をしたいものです。
午後は建築の打ち合わせがあるが、午前中の予定が延期になった。
朝の読書から曽野綾子さんの本の一節を紹介します。
「正義の名を借りて、私怨(しえん)を晴らす人々とは」
(以下転載)
いつの時代でも、どの社会でも、いかなる個人でも、夢中になって要求するのは正義です。もちろん殺人犯を放置しておいていいとか、詐欺をしてもかまわないというものではありません。しかし、正義という名を借りて、どれほどの人が自分の私怨を晴らしているかわからないくらいです。もちろん晴らしても一向に構わないのですが、そのことを薄々わかってやっているのでないと、困るのですね。
むしろほんとうの正義というものは、自分がそのために損をしたり、傷ついたり、ひどい時には命の危険に陥れられることまであるということを納得してすることであって、正義の遂行によって、俗世で得をしたり、名声を得たりすることとは、多くの場合はほとんど一致していません。(略)
(以上、『聖書の中の友情論』より)
「人の人生の検証は、死んだ後(棺桶の蓋が閉まってから)始まる」
と、前熊本日日新聞者名誉会長の永野光也氏が、語っておられたのを思い出す。
また、偉人の歴史的検証は、親族、孫等が世を去った100年後くらいから始まると、郷土史家から聞いた事がある。坂本龍馬も100年くらい過ぎたころ、司馬遼太郎によって取り上げられ、全国も若者の心を動かした。
世には現世の名声を求める人がほとんどですが、地方の田舎で黙々と地域社会を支える
無名に人がたくさん居ることを忘れていけないと思う。龍馬みたいな人生は、一般人はできないが、死んだ後、良き話題にしてもらえるような生き方をしたいものです。