2012年06月29日

ただ俸禄を受けるために主君に漫然と仕えているだけではいけない

ただ俸禄を受けるためだけに主君に漫然と仕えているだけではいけない(山鹿素行)

~人は、人格と修養、人物の時間軸を加えて評価される~

おはようございます。今日は、視察調査で出かけるので、朝の日記だけになります。
長文ですが、ご意見をいただければ幸いです。

ここ2日間は、民主党の分裂、調整が、ニュースを独占。これは、果たして政界の真 の姿か不明だが、ニュースの視聴率を見ると、小泉淳一郎氏が「改革の邪魔をするものは自民党でもぶっ潰す」と息巻いたことを思い出す。

ニュースは、こんな話題が好きだなと思う。ただ政府のお金(予算)は、経済の米と言われる。国会が延長され、予算決定がずれ込む。冷え込んだ経済が、なかなか浮上できない。

政治家は、国会外の時間に費やす事も良いが、日中の国会審議は着実にこなしながら、民主党内の政局に対処して欲しいものです。

そもそも政治家、代議士は何をする役目かを考えてみた。江戸期の兵法家の山鹿素行が、上手く説明をしている。武士を政治家に読み変えてみるとわかり易い。

笠谷和比古氏の著書に『武士道、サムライ精神の言葉』の一節に、山鹿兵法の山鹿素行の教示があった。

(以下、転載)

「士として其の職分なくんば有るべからず。職分あらずして食用足しめんことは遊民というべし」(『山鹿語類 士道編』)

〈意味〉
武士たるものはただ俸禄を受けるためだけに主君に漫然と仕えているだけではいけない。漫然と仕えている武士は職にもつかずのらくら遊んでいる「遊民」と同じ。

山形素行は、「武士は、自分の職分を果すために、常に、道義的人格形成をしなければならい」と説く。その士道には、心術と道義を守らなければならない。

心術とは「大丈夫たる気性」(健全な気性:何ごとにもぶれない理念)を養うこと。
中身は、度量、志気、温籍、風度の四つである。
*注:風度は、現代の日本では聞きなれないが、古代中国の人格評価に使われた。

度量:天下の一大事も動じない器量と力量。
志気:些細なことを気にせず高い志を持つこと。
温籍:温和で包容力のある心を持つ。
風度:卑屈で卑しい風情を見せないこと。

この四つを修養するには、内面を正す事が必要と、山形素行は説く。

一、義理を弁ずる心:利を捨てて義を生きること。
二、天命に安ずる清廉の心:義に生き惑うことなく経済的にも潔癖に生きること。
三、正直の心:親疎貴賎によらず改めることは改め、糾すべきことは糾すこと。
四、剛操の心:強く志を持ち、変わらない道義心をもつこと。

また素行は武士の心の待ち方の要点として「自戒」をあげている。
言葉、視聴、行動、飲食、衣類、住居、持ち物などもなるべく慎むようにすることが、威儀を高める。このように心身を謹慎すれば、威儀の高い、思慮深く分別のある武士として人倫の指導者となることができると説く。
(以上、笠谷和比古著『武士道、サムライ精神の言葉』より)

江戸期は、士農工商の身分制度があった。武士は、ただ地位にあるだけでは、庶民は尊敬しなかった。人物の素養、人格、言動を、直接話はできないが、様々な情報や、時々見かける本人の素行を見て、評価したようだ。「君主(武士)は船、庶民は池。
池が荒れれば、船は揺れる」の故事があるように、日頃の言動が大事と思う。

現代は、武士を政治家に読み替え、今回の民主党騒動の検証を、国民一人ひりがやっていると思う。ましてネット社会、日々の政治家の言動が、現場感覚でタイムリーに伝わる時代になった。この人物評価は、一般市民も同様で、日常の行動そのものが、評価されていると思うことが必要だ。

人は、人格:度量、志気、温籍、風度の四つと、修養:義理を弁ずる心、清廉の心、正直の心、剛操の心の四つ。加えて、その人物が生きてきた時間軸を加えて検証される。政治家は、衿を正して国政の問題に対処して欲しい。

*参考資料:笠谷和比古著『武士道、サムライ精神の言葉』~節義の心得~  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:37Comments(0)リーダーの名言

2012年06月27日

異業種交流会「夏の会」~潮谷義子氏(前熊本県知事)講演会~

異業種交流会「夏の会」~潮谷義子氏(前熊本県知事)講演会~

第49回となります異業種交流会『四季の会』の夏の集い「夏の会」を8月10日の夜に開催致します。今回の講師は、今年3月まで長崎国際大学学長だった潮谷義子氏(前熊本県知事)です。4月から日本社会福祉事業大学の理事長に就任されました。東京へ、活動拠点を移され益々、ご活躍の幅が広くなれ、多用中に私どもの交流会で、講演をいただきます。貴重な機会ですので、たくさんの参加をお待ちしています。
 
異業種交流会「夏の会」
期 日  2012年8月10日19時~(開場18時30分)
場 所  全日空ホテルニュースカイ25階
講 師  潮谷義子氏(前熊本県知事、前長崎国際大学学長)
演 題  データから読み解く少子高齢化社会の課題」~そこでどうする?~
参加費  セミナー 1,000円(80名程度)
     交流会  5,000円
*会場の都合上、交流会の参加者を70名程度とさせていただきます。

主 催  環境共生施設研究所・異業種交流会『四季の会』
問合せ先 〒862-0913熊本市東区尾ノ上1丁目48-6 リブズ菊池1F
  FAX 096-381-0384 
  Eメール aande@lime.ocn.ne.jp
申し込みは、氏名、連絡先、講演会、交流会の参加内容を明記の上、FAXか、Eメールで申し込みください。

*現在、50名近い参加申し込みになっています。早めに、参加申し込みをお願い致します。

詳しくは、下記サイトを検索ください。
http://www.facebook.com/#!/events/231178610332766/異業種交流会「夏の会」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:27Comments(0)講演テーマ

2012年06月27日

「日々是好日」せっかく今日も生きているのだから!

「日々是好日」せっかく今日も生きているのだから!

~幸せかどうかは、あなたの「心」が決めるもの~

おはようございます。昨日の午前中は、熊本は晴れたのですが、午後は国会の暗雲のように、急に雲行きが悪くなり、梅雨の雨が戻って来た。

今朝は、梅雨の空気の中、静かに禅の解説本『禅 シンプル生活のすすめ』(枡野俊明著)に目を通して、国会の騒乱状態を考えてみる。(以下、抜粋)

前向きに受け止める

禅が広く支持された鎌倉時代、室町時代、武士は皆、常に死と向き合っていた。いつ戦いが始まるか、明日をも知れぬ命だからこそ、禅の精神がぴったりと当てはまったのだろう。

日々是好日(にちにちこれこうじつ)

嬉しいことがあった日も、嫌なことがあった日も、それは二度と繰り返すことのない大切な一日である意味。今日を「好日」とするのは、起る出来事でも、出会う誰かでもない、自分自身の心しだいです。
(以上、本より抜粋)

この人とほうまくやっていこう。この人と仲良くなろう。
と、あまり考えると、人間関係のストレスが生じてくる。無理は、続かない。

先輩に自然体で行動しろ、とよく言われるが、自然体とどんな振る舞いか考えます。

自然は、花が咲けば蝶々が集まる。木が繁れば、放っておいても鳥がやって来る。そして枯れれば再び離れていく。人間関係も、同じようなものかもしれません。

とらわれない、かたよらない、こだわらない。つまらない執着を捨て、悠々と生きる。

現代は、鎌倉時代、室町時代のような武士社会ではないが、競争と闘争はやはり起る。日々の出会いを、一期一会と思い「日々是好日」と思い、軽い緊張はあると思いますが、出来事を前向きに生きたいと思います。

※参考資料:枡野俊明著『禅 シンプル生活のすすめ』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:43Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月27日

「日々是好日」せっかく今日も生きているのだから!

「日々是好日」せっかく今日も生きているのだから!

~幸せかどうかは、あなたの「心」が決めるもの~

おはようございます。昨日の午前中は、熊本は晴れたのですが、午後は国会の暗雲のように、急に雲行きが悪くなり、梅雨の雨が戻って来た。

今朝は、梅雨の空気の中、静かに禅の解説本『禅 シンプル生活のすすめ』(枡野俊明著)に目を通して、国会の騒乱状態を考えてみる。(以下、抜粋)

前向きに受け止める

禅が広く支持された鎌倉時代、室町時代、武士は皆、常に死と向き合っていた。いつ戦いが始まるか、明日をも知れぬ命だからこそ、禅の精神がぴったりと当てはまったのだろう。

日々是好日(にちにちこれこうじつ)

嬉しいことがあった日も、嫌なことがあった日も、それは二度と繰り返すことのない大切な一日である意味。今日を「好日」とするのは、起る出来事でも、出会う誰かでもない、自分自身の心しだいです。
(以上、本より抜粋)

この人とほうまくやっていこう。この人と仲良くなろう。
と、あまり考えると、人間関係のストレスが生じてくる。無理は、続かない。

先輩に自然体で行動しろ、とよく言われるが、自然体とどんな振る舞いか考えます。

自然は、花が咲けば蝶々が集まる。木が繁れば、放っておいても鳥がやって来る。そして枯れれば再び離れていく。人間関係も、同じようなものかもしれません。

とらわれない、かたよらない、こだわらない。つまらない執着を捨て、悠々と生きる。

現代は、鎌倉時代、室町時代のような武士社会ではないが、競争と闘争はやはり起る。日々の出会いを、一期一会と思い「日々是好日」と思い、軽い緊張はあると思いますが、出来事を前向きに生きたいと思います。

※参考資料:枡野俊明著『禅 シンプル生活のすすめ』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:42Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月26日

【親友】苦に捨てず、貧賎なるも軽せず。密事を語り、他に語らず

【親友ー尚友】苦に捨てず、貧賎なるも軽せず。密事を語り、他に語らず。

おはようございます。今朝は、友について考えました。

昨日書いた福島の漁師仲間の地道な取組が、1年3ケ月経ち、タコと貝を市場に出した。素晴らしいと思います。

また、国会では政界再編の動きがあるが、これもまた仲間たちの結束が、国会の構成を大きく左右すると思います。

親友とは、何か?

修行僧が、仏に尋ねた。「どういうのが親友といたしますか?」仏は答えた。

一、与え難きを与う。
二、作(な)し難きを作す。
三、忍び難きを忍ぶ。
四、密事を語ぐ。
五、密事を他に向かって語らず。
六、苦に逢うも捨てず。
七、貧賎たるも軽んぜず。

誠に、四と五とに感銘を受けます。密事を語ぐは、別の語で言えば、包み隠さない。しかし、内密なことをべらべら他人にしゃべらない。周りにも居るとは思いますが、先人たちも親友とは何か、悩んでいたのだと思う。

福島の漁師たちの笑顔と、国会議員の渋い顔の集まり、その状況しだいで、友の意味がだいぶ違うと思いますが、公明正大に堂々と、自分の主義主張をできるようにすべきと思います。

親友とは、共同行動の書類に、約束の印鑑を押させるのではなく、密事を他に向かって語らず。書面は無くても、阿吽の呼吸で、行動を共にでき、責任も共に取るのが、親友ではないかと思います。

今日の新聞地面を見て、それぞれの写真をみながら、仲間とは何か考えました。これについて、ご意見をいただければ幸いです。

※参考資料:安岡正篤著『活眼 活学』
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:23Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月25日

自分にないものを求めない、地道な仕事ほど大事

自分にないものを求めない、地道な仕事ほど大事

今朝は、地域の社会福祉協議会の総会に参加しました。先輩方と語るのは、色々な気付きを頂けます。まちづくりには、時間軸の感覚が必要と、最近特に思います。

社会福祉協議会の最大の仕事は、高齢者、特に独居老人の安否と、災害等の非常時の避難と対策です。昨日の大雨は、冠水地域の民生員、区長、消防団員等で、避難所に連れて行ったとのことでした。日々の地道な、つながりが大事と語られました。

諺に「夏炉冬扇」ー夏の炉と冬の扇子ーその時期に必要で無いもの。しかし、季節が来れば、必ず必要になるものです。

仕事には、注目されるような仕事あれば、地道で目立たないが欠かせない仕事があります。

今をときめく仕事をしている人も、地道な仕事をコツコツと続けて今があります。一見、役に立たないようなことが、以外に役立つことも。興味を持って、何でもやってみることです。

実は、今日の午後は、少し時間がありましたので、以前から行きたいと思っていた、熊本県八代市に在ります、後醍醐天皇の皇太子「懐良親王」の墓を、訪ねました。

何のために行くのか?

私の歴史好きの興味から、訪ねたかったのです。私は、幕末の政治思想家の横井小楠の顕彰活動に20年関わって来ました。歴史は繰り返される、と何度も気づかされました。

その活動から、時々の興味に上がる歴史の現場に、足を運ぶようになり、それが数年経った後、人のつながりを強くしてくれたことが、度々ありました。類は類を呼ぶ、多くの素晴らしい方々に出会えました。

周りには、羨むような仕事をドンドンこなす人もおられますが、私には無理なことで、私はマイペースでしか、できません。自分に無いものは求めず、自分の実力を確かめつつ、仲間と協力しながら、出来ることをコツコツ進みたいと思っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:06Comments(0)私の意見

2012年06月24日

木下藤吉郎の清洲城燃料費削減(無料)と治山事業に、信長感動!

木下藤吉郎の清洲城の燃料費削減(無料化)と治山事業に、信長感動!

おはようございます。今日は、中学校のスポーツの県大会予選(中体連)が開催されます。午前は、その応援に行きます。

さて、朝の読書で、木下藤吉郎こと豊臣秀吉の若いころの仕事振りが、作家の童門冬二氏の著書『人望力の条件』で紹介されていた。

織田信長は、清洲城の燃料(薪代)が多いことに悩んでいた。そこで、藤吉郎を薪奉行にして調べさせた。前任者は、藤吉郎が自分の仕事を調べるは、気分が良いものではない。藤吉朗は、台所に入って食事を一緒に作り、燃料使用量を計算した。そして、前任者に愛嬌を振りながら、兎に角、購入ルートを聞き出し、段々調べて行く内に、薪の産地から城に納入に、仲介業者が5人介在していることが分かった。これを、信長に報告すると、ただの内部告発者で終わってしまう。

それから藤吉郎は、産地の山間の村々を回って考えた。村を回ると、枯れた木が数本あった。藤吉郎は、「枯れた木を、2本分を薪にして城に無料で納入させ。その替わりに、苗木5本を無料で配る」ことを思い立ち、その地区の庄屋に相談した。以外に、その庄屋は理解を示した。その方法を、山間の地区に申し出ると、みるみるうちに、城に薪が集まった。

この方法を、信長に提案をしたら、快諾した。この先に、さらに落ちがあります。薪奉行の前任者も、その部下も、5人の仲介業者から、賄賂を受け取っていた。ただ、藤吉朗の薪納入方は、仲介業者を通さない、新たな産直ルートを作り、さらに治山治水の公共事業も作り出した奇策(ビジネスモデル)でした。
 この仕組みに、織田信長は感心し、前例の薪納入ルートは、無きもになった。それに、関心した。

さらに、藤吉郎の心を掴む手法は、新たな薪納入システムを作ったので、さっさと薪
奉行を辞めて、信長に前任の薪奉行に復職を申し出た。信長は、これも含めて、木下藤吉郎の薪購入の行政改革及び不正の改善策に感心し、前任者の不正糾弾をしなかった。前任者は、薪奉行に復職し、益々仕事に励んだそうだ。

行財政改革、不正の改善、治山治水、組織の倫理、木下藤吉郎は、薪の購入ルートを徹底的に調査し、一石二鳥をはるかに越える一石四鳥の行革をやってのけた、なかなかの実務家であったと思います。

織田信長も、城の維持には苦労したようで、先人の知恵を垣間見た気がします。参考になれば、幸いです。

*参考資料:童門冬二著『人望力の条件』より  


Posted by ノグチ(noguchi) at 01:14Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月22日

学問は今生きている人々の役に立たなければならない(秋山玉山

学問は、いま生きている人々の役に立たなければならない(秋山玉山)

名君:上杉鷹山と細川重賢の人づくり

実は、もう一人いるが、幕府の宰相である老中筆頭だかったので、諸侯を評価する側で、名君に上げるのは、少し違うとのとことだか、やはり江戸時代の素晴らしい政治家と言えると思います。

米沢藩、肥後藩の両名君は、人づくりに力を入れた。

上杉鷹山は、「人はすべての世の中をよくする“火種“である」と唱え、興譲館という藩校を作った。

興譲というのは、「譲るという人間の徳を興す」の意味。「譲る」という考えがたいは、四書五経の中の『大学』という本を貫く根本思想だそうです。

細川重賢(しげかた)は、時習館という藩校を作った。名前の由来は、『論語』のなかの、「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」から取った。

時習館の校長の秋山玉山という学者は、「学問は、いま生きている人々の役に立たなければならない」という、「実学」を重視した。

私は、熊本の幕末の政治思想家だった、横井小楠の顕彰活動に、20年関わって来ましたが、小楠の理念は「実学」だった。脈々と200年近く、肥後学問の根幹に根付いていたと思います。

小楠の「君子の道は、身を修むるにあり」は、論語の教示を実践に移す、実学が強く詠われています。

先人の残した功績を学び、温故知新の気持で、新たなチャレンジをしたいものです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:47Comments(0)偉人

2012年06月20日

〈準備を怠らない〉チャンスを手にする人、逃す人

〈準備を怠らない〉チャンスを手にする人、逃す人

今日のオリーブ畑の視察は、まず私がオリーブの木を初めて見たことに意味があって、オリーブ畑、荒尾市のオリーブ推進の内容は、まだこれからだと思いました。しかし、新聞記事だけでは判らない、現地確認は怠ってはならないとつくづく学びました。

さて、数日前にリサイクルブック店で見つけた『禅、シンプル生活のすすめ』の最後の方のページに、次の一節がありました。(以下、全文転載)


「準備を怠らない」
  ~縁は万人に同じようにやってくる

チャンスを手にする人、逃す人

「因縁を結ぶ」と言う言葉があります。物事は、「原因」と「縁」が結びついて結果が出るということです。

 禅では、こういうたとえ話をします。

 二本の梅の木があり、一方の木は、春風が吹いたらすぐに花を咲かせられるように、寒い冬の間にも準備をしていた。もう片方の梅の木は、春風が吹いたら準備に取りかかろうと考えていた。まだまだ寒いと思っていたさなか、突然春風が吹いてきた。準備をしていた梅の木はパッとその縁をつかんで花を咲かせ、もう片方の木はその瞬間に花を咲かせる準備を始めた。

 ところが翌日には春風はすっかり影をひそめ、また真冬の寒さに戻ってしまった。結局準備を怠っていた梅の木は、その年に十分な花を咲かせることができなかった。

 人もまた同じです。

 縁という風は万人に吹いてくるもの。そのチャンスを活かせるかどうかは、日頃の心がけや準備によるのです。
(以上、『禅、シンプル生活のすすめ』より)

リサイクルブック店回りは、私の時間潰しの楽しみで、同時に元難民高等弁務官の緒方貞子氏の著書を、105円でゲット!これは、ラッキーでした。

リサイクルブック店回りは、2~3月に1度ぐらいのペースですが、思いがけない掘り出し物に出会います。本も出会いと思います。古本屋回りをするかしないか、私にとっては、準備の一つかもしれません。

※引用資料:枡野俊明著『禅、シンプル生活のすすめ』より  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:12Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月19日

「天下になくてはならぬ人になるか、・・」(河井継之助)

「天下になくてはならぬ人になるか、・・」(河井継之助)

おはようございます。台風が気になる一日になります。風の強い地域は、最善の準備を怠りなく願います。

幕末長岡藩は、財政赤字で苦しく破綻寸前だった。若く家老職に就いた河井継之助は、徹底した行財政改革と殖産振興を行った。

山田方谷に、陽明学、理財論を学んだ河井は、人びとを驚かせた。それまで慣例となっていた奉行への祝儀やわいろを一切受け取らなかったこと。また、汚職まみれの腐敗役人は容赦なく処罰した。

何か、現代日本の状況に、にているようにも思います。1000兆円の借金、官僚の天下り、族議員、等々、民社党政権は、これを打破するために、政権を取ったのではなかったか!

(河井継之助の訓示)
 天下になくてはならぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。
 牛羊となって人の血や肉に化けてしまうか、さい狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。

(意味)
 世の中に必要な人になるのでなければ、いっそ害のある人になるぐらいの気持ちで、あるいは人の血肉になるか、人を自分の血肉にするほどの意気込みで事をなせ。

(語釈)
沈香:ジンチョウゲ科の植物から取る香木。「沈香も焚かず屁もひらず」は、「いいことも悪いこともせず平々凡々な生き方」を指す。

(河井継之助の長岡藩改革)
財政改革は、手ぬるいものではなかった。融通の利かなさに嫌われる人からはとことん嫌われた。

 中途半端な毒にも薬にもならない人間を増やしたところで、混乱のこの時代を乗り切ることはできない。失敗や非常識を恐れず、一か八か行動せよ、いうことだろうか。

昨日、民主党の小さな反乱ではないが、野田内閣の大飯原発稼働許可に反発して、平智之衆議院議員が、民主党を離党した。平氏は 「修正不能までに国土を汚染した原子力災害への恐れと反省を欠く」と批判している。志士の志しを持つ議員かは不明ですが、気骨のある人と思える。

政治は、妥協の産物と言われるが、内政、外圧、もろもろの状況から、各代議士が考え行動し、後世の国民が困らないような社会へ進むようにと願います。

山田方谷、河井継之助が、現代に生きていたら、何を語るだろうか?
21日まで、国会の動向が気になるところです。

※参考資料:笠谷和比古著『武士道、サムライ精神の言葉』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:35Comments(0)リーダーの名言

2012年06月18日

「活眼 活学」(安岡正篤著)

「活眼 活学」(安岡正篤著)

久々に、安岡教学の教示を開き、読んでいます。本日の議会論議の中で、何でも鑑定団の収録が話題になり、「平成」を名付けた東洋哲学者の故安岡正篤先生の掛け軸を持っている方が居ると聞き、出展を薦めた。

ふと、安岡正篤先生の言葉に触れたくなり、古本屋で買っていた『活眼 活学』を読み始めました。

活学は、字面から分かるが、活眼は、何だ?と尋ねると思います。

(以下、転載)
潜在エネルギーと顕在エネルギー
~肉眼と心眼~

単なる肉眼では目先しか見えません。それではすこぶる危険であります。我々は外と同時に内を見、現在と同時に過去も未来も見、また現象の奥に本体を見なければなりません。

仏教の方でも「五眼」ということを説いております。肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼と申すが、とにかく肉眼以上のものを心眼といたしておましょう。(中略)

ーー、もう少し日本の政治家にも、活学ー生きた学問をしてもらって、今までのような通俗的な政治生活だけやっておるようでは日本は破滅しますので、文字通り真剣に努力勉強してもらわなければなりません。
(以上、『活眼、活学』より)

吉田松陰の「知識は、理解し高度してこそ知識」と、得た知識をどう実行するか!にかかっている。

安岡正篤先生の教示に、

知識、見識、胆識

知識:情報としての知識
見識:得た知識の賛否
胆識:見識で判断し実行する

単なる知識ては、世の中は変わらない。知識を理解して行動してこそ、見識が意味を持つ。賛同して、行動を起こしましょう。そこから、何かが始まります。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 18:45Comments(0)安岡正篤語録

2012年06月16日

学問は人間を変える(安岡正篤)

学問は人間を変える(安岡正篤)

昭和の儒学者、東洋哲学者の安岡正篤先生の教示を集めた『安岡正篤 一日一話』より、

人間を変えるような学問でなければならない。その人間とは、他人のことではなくて自分のことである。他人を変えようと思ったならば、先(ま)ず自分を変えることである。
(以上、渡辺吾郎三郎編著『安岡正篤 一日一話』より)

(私の感想)
 人間は、環境に影響されると言いますが、本当の学問を深めた人は周りを感化(善導)する。

この言葉は、私の著書『なかまづくり まちづくり』(花書院)中にも収めさせて頂いています。

素晴らしいリーダーは、多くを語らずとも、率先垂範の言動で、周りの方々を感化して行きます。自分の実力を誇張する人ほど、実際の中身は定方でないことも多く経験しました。

私などは、人を感化するほど能力もないが、せめて気分よくしたり、和やかな雰囲気を作れるようになりたいものです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 22:40Comments(0)安岡正篤語録

2012年06月16日

〈批判は自分に〉分を超えた上位者への批判は、秩序を破壊する。

〈批判は自分に還る〉分を超えた上位者への批判は、秩序を破壊する。

四所五経の一つ『孟子』にある言葉に、自分の地位を超えた意見(直言)は、職場や地域、仕事関係を壊してしまうことが、多いと思います。孟子の教示は、

「位卑しくして言高きは罪なり」

意味を現代語に訳すと、地位の低い(品格の足りない)人間が、それより低いの位の人間の仕事について、あれこれ批判めいたことをいうべきではない。

孟子は、上位の者は上位のものなりに、下位の者は下位の者なりに、その分をわきまえ、与えられた責任を果たしてさえいれば、世の中は平穏におさまる。

上司も人間だから、批判されて嬉しいわけがない。いきおい人間関係が悪化して、結局は上司に嫌われる。

自分の分を知れ!

と、人生訓にたくさんある。先に事業を始めても、後発組に追い越される。追い越されたことを、理解できないリーダーもよく居るが、謙虚に自分の仕事、言動の反省が足りないのだた思います。

高飛車に、下と思っている人間に、高圧的な態度と言葉で、語り続ける。第三者が、客観的に検証されれざ、茶番にしか見えて来ない。

謙虚に、自分を反省する。一日三省の気持が大切と思います。

※参考資料:守屋洋著『中国古典「一日一話」』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:31Comments(0)孟子の教え

2012年06月16日

〈批判は自分に〉分を超えた上位者への批判は、秩序を破壊する。

〈批判は自分に還る〉分を超えた上位者への批判は、秩序を破壊する。

四所五経の一つ『孟子』にある言葉に、自分の地位を超えた意見(直言)は、職場や地域、仕事関係を壊してしまうことが、多いと思います。孟子の教示は、

「位卑しくして言高きは罪なり」

意味を現代語に訳すと、地位の低い(品格の足りない)人間が、それより低いの高い人間の仕事について、あれこれ批判めいたことをいうべきではない。

孟子は、上位の者は上位のものなりに、下位の者は下位の者なりに、その分をわきまえ、与えられた責任を果たしてさえいれば、世の中は平穏におさまる。

上司も人間だから、批判されて嬉しいわけがない。いきおい人間関係が悪化して、結局は上司に嫌われる。

自分の分を知れ!

と、人生訓にたくさんある。先に事業を始めても、後発組に追い越される。追い越されたことを、理解できないリーダーもよく居るが、謙虚に自分の仕事、言動の反省が足りないのだた思います。

高飛車に、下と思っている人間に、高圧的な態度と言葉で、語り続ける。第三者が、客観的に検証されれざ、茶番にしか見えて来ない。

謙虚に、自分を反省する。一日三省の気持が大切と思います。

※参考資料:守屋洋著『中国古典「一日一話」』  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:30Comments(5)孟子の教え

2012年06月16日

至誠にして動かざるものは未だこれあらざる也(吉田松陰)

至誠にして動かざるものは未だこれあらざる也(吉田松陰)

国会では、税と社会保障の一体改革で揺れていますが、この様子を吉田松陰が見たら何というでしょうか?

正に、右往左往の民主党事情でしょうか?

冒頭の言葉は、「誠を尽くせば、人の心は動く」という意味ですが、幕末の長州で『松下村塾』という小さな私塾に通った幕末の若者が、260年続いた徳川幕府の信用を失墜させた。誠を尽くせば、天も味方した歴史の出来事と思います。

松下村塾は、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、河井継之介など、そうそうたる志士たちが育った学校です。先月、松陰神社の境内にある『松下村塾』を改めて訪問して、その狭さを確認したのですが、至高の教師吉田松陰はどんな世界を夢見て、若者に語ったかは定かでないですが、当時の世情の混乱をよそに、毎晩熱く語ったのだと思います。

吉田松陰と高杉晋作の師弟間で交わされた有名な書簡に一つに、獄中からの高杉に送った死生観についてのものがある。笠谷和比古著『武士道、サムライ精神の言葉』から、抜粋。

(以下、転載)
 松陰の行動形式は「やると決めたことは何を押してでもやる」という直情的ともいえるほど激しいもので、短い人生の間に脱藩、投獄、幽閉、密航の失敗などさまざまな挫折を繰り返している。
 しかし松陰は人間の尊厳を忘れず、至誠を貫き通した。その真直ぐな生き様が後世の人間に影響を与えるのだろう。獄中の吉田松陰が高杉新作に送った書簡の中にその死生観を見ることができる。
「死は好むものではなく、また、憎むべきものでもない。人生の道がつきて心安ずる時が死に所である。世の中には、生きながら心の死んだ人もいれば、その身は滅んでも魂の残る人もいる。人間とは、生死はどうであれ何かを成し遂げる心構えこそが大切なのだ。死して不朽の見込みがあれば、いつ死んでもよいだろう。また、生きて大事業をなす見込みがあれば、生きるべきなのである」
(以上、『武士道、サムライ精神の言葉』より)

吉田松陰は、安政の大獄の騒乱の中で、命を落としたが、松陰に学なんだ志士たちが、明治維新の扉を開いた。吉田松陰の辞世句がある。

「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ 大和魂」

至誠の人、吉田松陰の非業の死から10年経たない内に、明治維新に変わった。
人は、精神誠意、至誠を尽くせば、大業も成せる、の教えと思います。吉田松陰の死から150年、日本政府の混乱はありますが、松陰の教示を学ぶ市民の多さが、ぶれない日本社会を導いてくれることを信じます。
  


Posted by ノグチ(noguchi) at 11:24Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2012年06月14日

逆境こそ「先見性」をもって「夢」をかたる。(樋口陽太郎)

逆境こそ「先見性」をもって「夢」をかたる。(樋口陽太郎)

個人であれ、企業であれ、苦しい状況は度々起きる。その時どうするか?

大阪の通り魔事件についてのコラムがあった。刑期満了者の再犯の高さ、社会復帰の難しさについて書かれていた。

人は、窮地に追い込まれたときに何をするかで、その真価が分かると言われる。私もまた、同様に問われていると思います。果たして、厳しい状況に追い込まれた時、冷静に対処しているか、反省点を見つけてばかりでは、前に進めない。

アサヒビールの元社長の樋口陽太郎著『人材論』に、次のメッセージがあった。(以下、転載)

これからの時代に役立つ人材で、ありたいと思うなら、まずは、仕事を楽しむ姿勢を持つことでしょう。
「人と同じことをやっているのが楽しい」
などという人がいたとしたら、それはもうお話になりません。それは「楽しい」のではなく、単に「楽」なだけです。
楽をして、楽しい思いができるらけではありません。(略)

大阪の通り魔事件の犯人は、所持金が無くなるのが不安で、人を殺した。本当に、安易な考えだ。それで殺された人は、やりきれない。
窮地に追い込まれた時、前向きな思考で明るい未来を描けることが大事だし、その様な刑務所での人材教育が必要と思う。

樋口氏は、逆境こそ「先見性」をもって「夢」を語れと言っている。苦しいときは、心配が先に立つ。誰しもそうだと思います。
単純に話、心配性の上司が居たら、逆境の時職場の雰囲気を暗くしてしまう。しかし、先見性のある上司は職場を明るくすると、指摘しています。

だから状況が悪いときこそ、大きな夢を語ることで不安を吹き飛ばす必要がある。苦しい現実は現実として踏まえた上で、楽しいことを考えて「元気に明るく」前進しなければいけません。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:07Comments(0)リーダーの名言

2012年06月12日

〈夏の一句〉日本の風情を思い出し、新しい節電の知恵を考える

〈夏の一句〉日本の風情を思い出し、新しい節電の知恵を考える

おはようございます。

昨夜のNHKの『クローズアップ現代』で、今夏の節電の実情の厳しさから、2度目の夏は、企業も市民も、更なる節電の知恵と工夫しはじめた。
 更に発電所と市民・企業が共同して、新しい電気料金の体系を模索し始めたという報告だった。

高度成長期を支えた電力会社だったが、東日本大震災の後は、社会の不良債権的な見方をされた。現実の社会は、電力無しでは社会は動かない。

ふと数年前に買った、松尾芭蕉と与謝蕪村の句集を、思い出した。

松尾芭蕉

「夏草や兵どもの夢の跡」

『おくのほそ道』に入っている、東北の平泉で、読まれたものと言われています。平泉は、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の隆盛の跡といわれています。

旅の終りに詠んだ名句

「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」

実は、この旅の始めに詠まれた句があった。

「麦の穂を便りにつかむ別れかな」

初夏の収穫前の黄色く実った麦の穂の道端で、高齢を押して陸奥に旅をしようとする松尾芭蕉の決意が伝わる句のように思います。

与謝蕪村の夏の一句

「夏山や通いなれたる若狭人」

よく、松尾芭蕉と比較されるのが、与謝蕪村ですが、若さを感じる夏の北陸商人たちの生き様です。

今年は、昨年よりも厳しい節電の夏、冷房機器が無かった江戸時代の夏、様々な涼を工夫し楽しんだ習慣を学ぶ、よき機会と思います。

松尾芭蕉の爽涼の一句

「清滝や波に散り込む青松葉」

滝の水しぶきを浴びた松の枝が、暑い太陽の光をキラキラ反射している。その滝の近くは、木立の影もあり、周りより気温が数度下がっている。涼を感じる一句。

戦前の日本には、打ち水、行水、日よけ等々、江戸の夏を楽しむ工夫が、まだ残っていた。今年の夏、日本の風情を思い出し、節電を楽しみたいものですね。

※参考資料:竹西寛子編「松尾芭蕉集、与謝蕪村集」  


Posted by ノグチ(noguchi) at 05:22Comments(0)意見・異見

2012年06月11日

〈重職の振舞い〉挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。

〈重職の振舞い〉挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。

朝のウォーキングは、爽やかな朝の気分になり、一日の活気が湧いてくる気がします。今日は、定例議会の初日です。

江戸後期の儒家の佐藤一斎は、幕末の指導者を多く排出して来たのですが、元々幕府の学校の校長だったので、重要な役職の言動に、厳しく訓示しています。

重職心得の第一条は、(以下、抜粋)

心に油断なく、軽挙をつつしめ

自分の言動に威厳をもち、すべてを大所高所からとらえるために何をするか。

そもそも重職というのは、主君の代理として政治を執り仕切るべき大役(大臣)である。

言動すべてにわたって慎重に、どっしりと威厳を身につけていなければならない。

小さな問題にとらわれ過ぎると、かえって重大に目こぼし、手抜かりが生じるものである。
 重職たるものは、些細な問題はむしろ見過ごすぐらいにした方がよい。そうしていれば自然と大事な問題に抜かりがなくなってくる。
(以上、『佐藤一斎、人の上に立つ人の勉強』より)

西郷隆盛は、あまり語らなかったそうだ。ただ、自分部下をの多くを、大阪で陽明学を教えた梅田潜庵の塾へ、学びに行かせている。

中国の人物評価に「風度」なるものがあるそうだ。見た目、言動、知性、決断力、先見性、等々。どっしりと威厳を身につけた人物に、高い評価を付けた。

まず職分に応じた職務を果たす。そのためにも、重職の役割を尽くすことが大事になる。

地位が上がると、名刺を配り回る様子もみうけますが、先ずは職分で着実に実績を残すことが先。多くを語らず、率先垂範で、役割を果たしてほしいと思う。

私は、重職と言われる地位、役割をした経験はないですが、50代は判断を求められる場面が多くある。そんな時は、慌てず、騒がず、慎重に考え、言葉少なに思いを伝えれるようになりたいものです。


  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:52Comments(0)斉藤一斎「言志四録」

2012年06月10日

リーダーとは、社会的な責任を果たす個性的米粒

リーダーとは、社会的な責任を果たす個性的米粒

朝の読書から、童門冬二著『人望力の条件』から、適塾の教育方針に関心を持ちました。以下、抜粋です。


幕末の大阪に「適塾(適々済塾)」があった。経営者は、緒方洪庵。塾生には、大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉、など、そうそうたる人材を排出した。

緒方洪庵の教育方針は、「どうゆう人物になるか、あるいは何をやるかは学生一人一人が自分で判断すればいい 」と、学ぶ者の自主性や自立性を重んじた。

この教育方針は、言ってみれば、「お粥ではなく、にぎりめしの米粒になれ」と言うこと。お粥は、アイデンティティ、汁の中に溶け込んでしまう。集めるには、しゃもじを使わなければならない。
 ところが、にぎりめしの米粒は、握られてはいるが一粒一粒が、「自分は米粒だ」という主張をきちんとしている。(略)

洪庵が学生たちに、「それぞれの自主性を重んじなさい」というのは、「何をやってもいい」という、勝手気ままな生き方を認めたわけではない。「社会には責任を果たせ」ということを付け加えるのを忘れなかった。
(以上、『人望力の条件』より、抜粋)


この米粒という表現が、特に納得した。個性とは、こういうことか、と思いました。

洪庵は、日々の挨拶を重要視した。朝は、今日の一期一会で、夕方には教育会えた方と、さようなら。日々が、真剣勝負の意味を教えていたのかもしれません。

加えて、童門冬二氏の洪庵評価は、「師や先輩の価値観の枠の中に、後輩を全部取り込まない」、「弟子たち一人一人がそれぞれ一本の木だ」。

福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の発想が出てくるのかもしれません。

果たして、私自身、社会の米粒に成っているかは、定かではありませんが、自分自身の関心事を重んじながら、地域社会て何ができるか、常に考えながら生きなければならないと思います。

  


Posted by ノグチ(noguchi) at 06:54Comments(0)リーダーの名言

2012年06月09日

「腹立たずの会」、怒り上手ではなく叱り上手だった黒田如水

「腹立たずの会」、怒り上手ではなく叱り上手だった黒田如水

おはようございます。

今朝は、中学生の招待サッカー大会があり、開会式に参列し、開会の挨拶をしないと行けません。

昨日は、ワールドカップ日本代表の素晴らしい試合を、全国のサッカーファンが応援したと思います。本田選手のハットトリックは、圧巻でした。今日の中学生の試合が楽しみです。

朝の読書で、豊臣秀吉が恐れた武将黒田如水の人育ての知恵が紹介されている本を読んでいます。

まず、怒ると叱るの違いは、どこか?対応を間違うと、人は離れていく。

叱るーー
リーダーが、相手に愛情を持って潜んでいる可能性を引き出そうという気持ちを込め、厳しい態度で望むこと。

怒るーー
相手に悪感情をもって、憎しみや怒りの感情を露骨に表して相手に厳しく迫ること。

二つの感情を、分けて表現することが出来ないのは、凡人です。子どもを叱るとき、ついつい怒りのほうが先になることも多々あるように思います。

黒田如水の人育てに、「腹立たずの会」がある。黒田如水は、戦国時代を生き延びた、豊臣秀吉が恐れた武将の一人だが、その息子の黒田長政は、若いころは手のつけられな乱暴者で、如水亡き後を心配して、「腹を立てない会をつくれ」と長政に命じた。

長政がどんな会かの問に、如水が答えた。
「毎月日を決めて、何回会議を開く。その会には、だれが出席してもいい。そしてどんなことを言ってもいい。しかし、言われた相手は、絶対にその会では腹を立てないという会だ。思いきった意見が飛び交って、さぞかし黒田家の発展のために役立つだろう」
長政は考えこんだ。長政は、反省した。

こうして、黒田家に明治維新まで続いたと言われる「腹立たずの会(腹を立てない会)」が設けるられた。

黒田長政は、この「腹立たずの会」の意見会を大いに活用して、名将と言われるリーダーに育っていったそうです。腹立たずの会、皆さんも実践してみてはいかがでしょうか。

このことを紹介した本は、童門冬二著『人望力の条件』なるもので、第二章「世間通」の解説があった。

(以下、転載)
 人望力の要諦の第二は世間通である。情報を集め、分析し、世間の事情に明るくなければ、先の時代を見通すことはできない。いまの時代を読み、それからを見る先見力がなければ、人はついて来ない。世間通であってこそ、人は、その人の周りに集まってくる。(略)

週末、おこらず、いからず、爽やかになだめる叱り方を実践してみたいと思います。皆さんも、良き週末になることを願っています。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 07:21Comments(0)リーダーの名言