2008年12月29日
(旧友、先輩)人として為すべき三つの心得
(旧友、先輩)人として為すべき三つの心得
年末年始、故郷には色々な人たちが、帰省すると思います。古い友人と再会するのは、とても楽しい一時です。私も新年早々に、中学校の同級生が集まる○○才の集いをしますが、いくつになっても旧友に合えるのは嬉しいものです。恩師も参加する会で、益々昔話がはずむことと思います。
菜根譚に、次の一節があります。
・人として為すべき三つの心得
古くからの友人とは、つねに新しい気持ちで付き合いたい。
人に知られたくない、機密事項を処理するときは、とりわけ公明正大に態度で当たりたい。
現役を退いたお年よりは、以前よりもいっそういたわりの心をもって接したい。
(解説)
友は得がたいのである。だから古い友人を大切にせよということだろう。また、疑惑を招くようなことはするなというのは信頼に関わる問題であり、年寄りにはいたわりの心をもって接せよというのは思いやりにかかわる問題である。
これからもまた社会人の基本的なたしなみと言ってよい。
(感想)
「友遠方より来るあり、また楽しからずや。」は、論語の冒頭にある言葉ですが、旧友は懐かしさと、昔の自分を思い出させる気分を味合わせてくれる機会でもあります。
同級生、同窓会等は、その最たるもので、楽しさ半分、甘酸っぱさ半分、たのしい新年になりそうな予感を感じます。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
今回の話題とは関係ないですが、25,000アクセスを越えました。
皆さまに感謝です。これからもよろしくお願します。
年末年始、故郷には色々な人たちが、帰省すると思います。古い友人と再会するのは、とても楽しい一時です。私も新年早々に、中学校の同級生が集まる○○才の集いをしますが、いくつになっても旧友に合えるのは嬉しいものです。恩師も参加する会で、益々昔話がはずむことと思います。
菜根譚に、次の一節があります。
・人として為すべき三つの心得
古くからの友人とは、つねに新しい気持ちで付き合いたい。
人に知られたくない、機密事項を処理するときは、とりわけ公明正大に態度で当たりたい。
現役を退いたお年よりは、以前よりもいっそういたわりの心をもって接したい。
(解説)
友は得がたいのである。だから古い友人を大切にせよということだろう。また、疑惑を招くようなことはするなというのは信頼に関わる問題であり、年寄りにはいたわりの心をもって接せよというのは思いやりにかかわる問題である。
これからもまた社会人の基本的なたしなみと言ってよい。
(感想)
「友遠方より来るあり、また楽しからずや。」は、論語の冒頭にある言葉ですが、旧友は懐かしさと、昔の自分を思い出させる気分を味合わせてくれる機会でもあります。
同級生、同窓会等は、その最たるもので、楽しさ半分、甘酸っぱさ半分、たのしい新年になりそうな予感を感じます。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
今回の話題とは関係ないですが、25,000アクセスを越えました。
皆さまに感謝です。これからもよろしくお願します。
2008年12月28日
内面が充実していれば人生は楽しい (菜根譚)
内面が充実していれば人生は楽しい (菜根譚)
(現代語訳)
精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を吸収する事ができる。
心が充実しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡白な味わいを楽しむことができる。
(解 説)
極端な貧乏も困るが、あれもこれもと高望みしてもキリがない。食べていければいいやと居直ることができれば、気持ちもずいぶん楽になる。
足ることを知れば、心に余裕が生まれて、ゆったりとした気持で人生を味わうことができるかもしれない。
(感 想)
要は、その時受ける環境からの影響を、本人がどう受け止めるかにあると思います。熱い夏も、夕涼み、行水等の工夫で、真夏の盛りに涼の工夫をしていた日本人、果たして今の日本のその工夫を施すための、足るを知る発想があるか? 少々物足りない楽しみを感じる。
季節を楽しむ、境遇を楽しむ、心の持ちようでその時の苦境もだいぶ違ってきます。そして、励ましてくれる仲間も大きな力になると思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
(現代語訳)
精神が充実しているときは、粗末な布団にくるまっていても、天地の生気を吸収する事ができる。
心が充実しているときは、質素な食事をとっていても、人生の淡白な味わいを楽しむことができる。
(解 説)
極端な貧乏も困るが、あれもこれもと高望みしてもキリがない。食べていければいいやと居直ることができれば、気持ちもずいぶん楽になる。
足ることを知れば、心に余裕が生まれて、ゆったりとした気持で人生を味わうことができるかもしれない。
(感 想)
要は、その時受ける環境からの影響を、本人がどう受け止めるかにあると思います。熱い夏も、夕涼み、行水等の工夫で、真夏の盛りに涼の工夫をしていた日本人、果たして今の日本のその工夫を施すための、足るを知る発想があるか? 少々物足りない楽しみを感じる。
季節を楽しむ、境遇を楽しむ、心の持ちようでその時の苦境もだいぶ違ってきます。そして、励ましてくれる仲間も大きな力になると思います。
*参考資料:守屋洋著「新釈 菜根譚」
2008年12月25日
(萬燈行)一人一燈となり、万人が集まり世直しを
(萬燈行)一人一燈となり、万人が集まり世直しを
安岡正篤先生の「一日一言」の大晦日の言葉です。
(本文)
・萬燈行(まんとうこう)
内外の状況を深思しましょう。このままで往けば、日本は自滅するほかありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々がなんとするほか無いのです。我々は日本を易(か)えることが出来ます。暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈になれば、萬(万)人萬燈です。日本はたちまち明るくなりましょう。これ我々の萬燈行であります。
互に真剣にこの世直しを励もうではありませんか。
(安岡正篤語録集「一日一言」より)
今年も残り少なくなりました。慌しい年の瀬ですが、先人の教示をかみ締め、今日一日を生きたいと思います。
安岡正篤先生の「一日一言」の大晦日の言葉です。
(本文)
・萬燈行(まんとうこう)
内外の状況を深思しましょう。このままで往けば、日本は自滅するほかありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々がなんとするほか無いのです。我々は日本を易(か)えることが出来ます。暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。手のとどく限り、至る所に燈明を供えましょう。
一人一燈になれば、萬(万)人萬燈です。日本はたちまち明るくなりましょう。これ我々の萬燈行であります。
互に真剣にこの世直しを励もうではありませんか。
(安岡正篤語録集「一日一言」より)
今年も残り少なくなりました。慌しい年の瀬ですが、先人の教示をかみ締め、今日一日を生きたいと思います。
2008年12月24日
宇土高校「川柳甲子園」(12月24日熊日朝刊)
宇土高校「川柳甲子園」(12月24日熊日朝刊)
12月24日熊日朝刊に、宇土高校の「川柳甲子園」の記事が載っています。熊本の方は、ぜひお読み下さい。「あたま ゆらゆら 午後三時」、「となりの 授業で 復習中」。
中の記述に間違いがあります。私は広報委員長でなく、ただの広報委員の一人です。記者の方が間違えました。電話取材は難しいですね。
12月24日熊日朝刊に、宇土高校の「川柳甲子園」の記事が載っています。熊本の方は、ぜひお読み下さい。「あたま ゆらゆら 午後三時」、「となりの 授業で 復習中」。
中の記述に間違いがあります。私は広報委員長でなく、ただの広報委員の一人です。記者の方が間違えました。電話取材は難しいですね。
2008年12月23日
ちょっとした迷いも見過ごすな(菜根譚)
ちょっとした迷いも見過ごすな(菜根譚)
(現代語訳)
自分の心が私利私欲に走りそうだと気づいたときは、すぐ正しい道にひきもどさなければならない。迷いが起ったらすぐそれに気づき、気づいたらすぐ改める。
こうあってこそ禍を福に転じ、死を生に変えることができるのだ。ちょっとした迷いだからといって、けっして見過ごしてはならない。
(解 説)
「老子」にも、「いかなる難事であろうと、その発端はつねに単純な問題にすぎず、いかなる大事であろうと、その発端はつねに些細な事件にすぎない」とある。
(感 想)
JR西日本の尼崎の大事故、関西高速道路であった長距離トラック運転手の飲酒運転、海上自衛隊の衝突事故、等々、始は小さな遅れを取り戻したい気持ちや、ちょっとビール一口、室内(レーダー)の観察できるからと、小さな安心(不注意)から始まったと思います。
それが、だんだん心が弛み、ついに大事故へつながる惨事になりました。尼崎の事故では100名を越える方が亡くなり、500名を越えるけが人。プロの大型トラック運転手の追突は、一家の一生を台無しに。海上自衛隊のぬるま湯規律で、2艘の舟を聞きに落としいれ一艘を沈没させました。
大きな惨事は、小さな細事がたくさん重なって起ると先人たちも多くの訓示を残しています。日々に暮らしの中の小さなミスを見過ごさない目、反省の気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:守屋洋編「新釈 菜根譚」
(現代語訳)
自分の心が私利私欲に走りそうだと気づいたときは、すぐ正しい道にひきもどさなければならない。迷いが起ったらすぐそれに気づき、気づいたらすぐ改める。
こうあってこそ禍を福に転じ、死を生に変えることができるのだ。ちょっとした迷いだからといって、けっして見過ごしてはならない。
(解 説)
「老子」にも、「いかなる難事であろうと、その発端はつねに単純な問題にすぎず、いかなる大事であろうと、その発端はつねに些細な事件にすぎない」とある。
(感 想)
JR西日本の尼崎の大事故、関西高速道路であった長距離トラック運転手の飲酒運転、海上自衛隊の衝突事故、等々、始は小さな遅れを取り戻したい気持ちや、ちょっとビール一口、室内(レーダー)の観察できるからと、小さな安心(不注意)から始まったと思います。
それが、だんだん心が弛み、ついに大事故へつながる惨事になりました。尼崎の事故では100名を越える方が亡くなり、500名を越えるけが人。プロの大型トラック運転手の追突は、一家の一生を台無しに。海上自衛隊のぬるま湯規律で、2艘の舟を聞きに落としいれ一艘を沈没させました。
大きな惨事は、小さな細事がたくさん重なって起ると先人たちも多くの訓示を残しています。日々に暮らしの中の小さなミスを見過ごさない目、反省の気持ちを持ち続けたいと思います。
*参考資料:守屋洋編「新釈 菜根譚」
2008年12月21日
リーダーは、公平に親しみ、片よって交わらない
リーダーは、公平に親しみ、片よって交わらない
今日は、朝から九州は雨で、予定のキッズサッカー大会が23日に延期になり、久々に宇土で毎月一度、日曜日の午前開催の中国古典輪読会「中澄会」に参加した。年末の挨拶もあり、いつもより多くの参加者だったですが、孔子の教えはもちろんですが、参加者の方のお話を色々聞くことができ、とても有意義は時間をもてました。雨に感謝の日曜日でした。
その中で、会長から「今年、みなさんで輪読したところで、印象に残った部分、あるいは影響を受けた部分と紹介下さい」とありました。私は、丸10年続けてきた異業種交流会で1,000名を越える方出会い、人と交流が広がる中で、どんな付き合い・交流をして行くかで、心に留まっている言葉を紹介しました。
子曰わく、「君子は周して比せず、小人は比して周せず」
(意味)
孔子先生が語られた、「君子(リーダー)は、誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない。小人(一般人)は、かたよって交わるが、誰とでも親しく公平に交わらない」
会長が細くされたのは、周=あまねく、比=かたよる、
さらに、孔子の交流に関する教示を紹介してもらいました。
子曰わく、「君子は和して同ぜず、小人は同して和せず」
(意味)
孔子先生が語られた、「君子は、誰とも仲良くするが、強(し)いて調子を合わせたりしない。小人は誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない」
二つの教示を読むと、君子とは自分の理念(価値観)を持ち、群衆の中でもまれた時でも、人々をしっかり語り、意見を交わしても、社会を良き方向へ向かわせるような会話をする事ができるとうな「人」なのだと思います。
中澄会で以前の勉強した『孟子』にあった「浩然の気」や「大丈夫」と言う、生き方をしっかり持った人という印象を持ちました。
「君子」
周して比せず:誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない
和して同ぜず:誰とも仲良くするが、強(し)いて調子を合わせたりしない
「小人」
比して周せず:かたよって交わるが、誰とでも親しく公平に交わらない
同して和せず:誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない
これから、4つのキーワードを基に、人の行動を見てみるもの勉強になると思いました。
*中澄会:中国古典に思想の本を読む読書会で、毎月1回開催され、1回も休むことなく続けられ、今年100回を越えました。
私は、会に参加して7年目になりました。
今日は、朝から九州は雨で、予定のキッズサッカー大会が23日に延期になり、久々に宇土で毎月一度、日曜日の午前開催の中国古典輪読会「中澄会」に参加した。年末の挨拶もあり、いつもより多くの参加者だったですが、孔子の教えはもちろんですが、参加者の方のお話を色々聞くことができ、とても有意義は時間をもてました。雨に感謝の日曜日でした。
その中で、会長から「今年、みなさんで輪読したところで、印象に残った部分、あるいは影響を受けた部分と紹介下さい」とありました。私は、丸10年続けてきた異業種交流会で1,000名を越える方出会い、人と交流が広がる中で、どんな付き合い・交流をして行くかで、心に留まっている言葉を紹介しました。
子曰わく、「君子は周して比せず、小人は比して周せず」
(意味)
孔子先生が語られた、「君子(リーダー)は、誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない。小人(一般人)は、かたよって交わるが、誰とでも親しく公平に交わらない」
会長が細くされたのは、周=あまねく、比=かたよる、
さらに、孔子の交流に関する教示を紹介してもらいました。
子曰わく、「君子は和して同ぜず、小人は同して和せず」
(意味)
孔子先生が語られた、「君子は、誰とも仲良くするが、強(し)いて調子を合わせたりしない。小人は誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない」
二つの教示を読むと、君子とは自分の理念(価値観)を持ち、群衆の中でもまれた時でも、人々をしっかり語り、意見を交わしても、社会を良き方向へ向かわせるような会話をする事ができるとうな「人」なのだと思います。
中澄会で以前の勉強した『孟子』にあった「浩然の気」や「大丈夫」と言う、生き方をしっかり持った人という印象を持ちました。
「君子」
周して比せず:誰とでも公平に親しみ、ある特定の人とかたよって交わらない
和して同ぜず:誰とも仲良くするが、強(し)いて調子を合わせたりしない
「小人」
比して周せず:かたよって交わるが、誰とでも親しく公平に交わらない
同して和せず:誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない
これから、4つのキーワードを基に、人の行動を見てみるもの勉強になると思いました。
*中澄会:中国古典に思想の本を読む読書会で、毎月1回開催され、1回も休むことなく続けられ、今年100回を越えました。
私は、会に参加して7年目になりました。
2008年12月20日
理解に苦しむ程にならなければ、解決の糸口は示さない(論語)
理解に苦しむ程にならなければ、解決の糸口は示さない(論語)
久々に、仮名論語から教え方についての一節を紹介します。
(本文)
子曰わく、「憤せずんば、啓せず。悱(ひ)せずんば、発せず。一隅挙げて三遇を以て反らざれば、即ち復せざるなり」
(解説)
孔子先生が語られた、「自分で理解に苦しんで歯がみをする程にならなければ、解決の糸口をつけてやらない。言おうとして言えず口をゆがめる程にならなければ、その手引きをしてやらない。一隅を示して他の三遇を自分で研究するようなでなければ、二度と繰り返して教えない」
(感想)
最近の社員教育は、「マニュアル」とやらに頼りすぎて、社員に考えさせる事する時間を設けない。待つ事、本人で苦労し、答えを試行錯誤して見つけ出す工夫が大事と、孔子が語ったものと解釈をしました。
実際、一つを教えて、他の関連する三つのことが理解できる人は、そうそう居るものでありませんが、要は自分の持てる能力を最大限生かして、自分に与えられた仕事を理解し、日々工夫し、的確に終えることに努力を怠るなと言う事だと思います。昔も今も、漫然と日々の仕事をしていては、人間としての成長はないという教えと思います。
久々に、仮名論語から教え方についての一節を紹介します。
(本文)
子曰わく、「憤せずんば、啓せず。悱(ひ)せずんば、発せず。一隅挙げて三遇を以て反らざれば、即ち復せざるなり」
(解説)
孔子先生が語られた、「自分で理解に苦しんで歯がみをする程にならなければ、解決の糸口をつけてやらない。言おうとして言えず口をゆがめる程にならなければ、その手引きをしてやらない。一隅を示して他の三遇を自分で研究するようなでなければ、二度と繰り返して教えない」
(感想)
最近の社員教育は、「マニュアル」とやらに頼りすぎて、社員に考えさせる事する時間を設けない。待つ事、本人で苦労し、答えを試行錯誤して見つけ出す工夫が大事と、孔子が語ったものと解釈をしました。
実際、一つを教えて、他の関連する三つのことが理解できる人は、そうそう居るものでありませんが、要は自分の持てる能力を最大限生かして、自分に与えられた仕事を理解し、日々工夫し、的確に終えることに努力を怠るなと言う事だと思います。昔も今も、漫然と日々の仕事をしていては、人間としての成長はないという教えと思います。
2008年12月20日
宇土の文化を考える市民の会で、「小西行長」が話題に
宇土の文化を考える市民の会で、「小西行長」が話題に
~宇土の話題を紹介~
昨夜は、NPO法人宇土の文化を考える市民の会の理事会があり、宇土市民会館の運営を委託されているので、ここ3ヶ月の運営状況の話し合いがあったのですが、その中で大きな話題になったのが、「小西行長の顕彰」の活動のことでした。
今夏に、NPO法人宇土の文化を考える市民の「夏の集い」があり、冒頭に宇土市文化振興課の高木課長が、「小西行長について」というテーマで講話がありました。きっかけは、昨年から東北の劇団「わらび座」が、徳川幕府のキリシタン弾圧のために、多くの殉教者を出した天草島原の乱の英雄「天草四郎」を題材したミュージカルが上演され、その信者の保護していた小西行長を知ることとなります。
江戸期は、キリシタン監視のために、宇土には細川支藩が設けられ、以来、小西行長の顕彰が止まっていましたが、高木課長から「もう小西行長公の顕彰を始めていいでしょう」と語られ、秋になり色々な団体に、小西行長についての勉強会の動きが出始めています。
宇土の文化を考える市民の会も、新春早々に「小西行長公の功績を学ぶ」と題して、数回学習会を開催することになりました。まだまだ、大河ドラマまでは道筋が遠いですが、いつの日か、日曜の夜「小西行長伝」のドラマが流れると良いなと思いつつ、宇土での顕彰活動を広がれば良いなと思っています。
宇土での近況を報告しました。
(携帯論語)心を育てることば
http://keitairongo.otemo-yan.net/
12月20日 自分を高める友人を持つ
~宇土の話題を紹介~
昨夜は、NPO法人宇土の文化を考える市民の会の理事会があり、宇土市民会館の運営を委託されているので、ここ3ヶ月の運営状況の話し合いがあったのですが、その中で大きな話題になったのが、「小西行長の顕彰」の活動のことでした。
今夏に、NPO法人宇土の文化を考える市民の「夏の集い」があり、冒頭に宇土市文化振興課の高木課長が、「小西行長について」というテーマで講話がありました。きっかけは、昨年から東北の劇団「わらび座」が、徳川幕府のキリシタン弾圧のために、多くの殉教者を出した天草島原の乱の英雄「天草四郎」を題材したミュージカルが上演され、その信者の保護していた小西行長を知ることとなります。
江戸期は、キリシタン監視のために、宇土には細川支藩が設けられ、以来、小西行長の顕彰が止まっていましたが、高木課長から「もう小西行長公の顕彰を始めていいでしょう」と語られ、秋になり色々な団体に、小西行長についての勉強会の動きが出始めています。
宇土の文化を考える市民の会も、新春早々に「小西行長公の功績を学ぶ」と題して、数回学習会を開催することになりました。まだまだ、大河ドラマまでは道筋が遠いですが、いつの日か、日曜の夜「小西行長伝」のドラマが流れると良いなと思いつつ、宇土での顕彰活動を広がれば良いなと思っています。
宇土での近況を報告しました。
(携帯論語)心を育てることば
http://keitairongo.otemo-yan.net/
12月20日 自分を高める友人を持つ
2008年12月19日
道を志す者の七つの見識 「人情の識」
道を志す者の七つの見識 「人情の識」
安岡正篤先生の講話の中にあるもので、人情、物理、事体、事勢、事変、精細、闊大、と称する見識を説かれています。7回に分けて、本文を掲載し、感想等を書きたいと思います。
「人情の識」
(本文、転載)
まず人情の識というものがある。人間は単なる知性の存在ではなくて、非常に微妙複雑な感情を持っておる。またいろいろな意欲というものがある。特に知性と感情とは非常に微妙な対照をなもので、例えばパスカルなどは「理性が頭の理論であるのに対して、感情は胸の理論・心の理論である」というておる。
理論というのは大脳皮質の機械的な動きに過ぎないが、感情は内面的・全体的に動きまでこと複雑・微妙である。従って同じ理でも頭の理とでは内容も質も違ってくるわけで、その情の理を理解するのが人情の識であります。これはいろいろ浮世の経験を積み苦労したものでないとわかりません。(中略)
(感想)
私も50才になり、「頭の理」と「感情の理」の意味は、何となく理解できそうですが、こと自分の行動をコントロールするとなると、時々の事態、人間関係、等々で様々な言葉が、頭を駆け巡り、心を揺り動かします。
安岡先生の説かれる「浮世の経験を積み苦労したものでないとわかりません。」を読み、まだまだ経験、思考が足りないのかもしれません。
孔子の教えに、「四十にして迷わず、五十にして天命を知り、六十にして耳しがい、七十にして矩(のり)を越えず」とあります。やはり日々研鑽し続け、七十代になれば両方の理を気にせずとも生活できるには、これからの精進にかかっているのかもしれません。
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
安岡正篤先生の講話の中にあるもので、人情、物理、事体、事勢、事変、精細、闊大、と称する見識を説かれています。7回に分けて、本文を掲載し、感想等を書きたいと思います。
「人情の識」
(本文、転載)
まず人情の識というものがある。人間は単なる知性の存在ではなくて、非常に微妙複雑な感情を持っておる。またいろいろな意欲というものがある。特に知性と感情とは非常に微妙な対照をなもので、例えばパスカルなどは「理性が頭の理論であるのに対して、感情は胸の理論・心の理論である」というておる。
理論というのは大脳皮質の機械的な動きに過ぎないが、感情は内面的・全体的に動きまでこと複雑・微妙である。従って同じ理でも頭の理とでは内容も質も違ってくるわけで、その情の理を理解するのが人情の識であります。これはいろいろ浮世の経験を積み苦労したものでないとわかりません。(中略)
(感想)
私も50才になり、「頭の理」と「感情の理」の意味は、何となく理解できそうですが、こと自分の行動をコントロールするとなると、時々の事態、人間関係、等々で様々な言葉が、頭を駆け巡り、心を揺り動かします。
安岡先生の説かれる「浮世の経験を積み苦労したものでないとわかりません。」を読み、まだまだ経験、思考が足りないのかもしれません。
孔子の教えに、「四十にして迷わず、五十にして天命を知り、六十にして耳しがい、七十にして矩(のり)を越えず」とあります。やはり日々研鑽し続け、七十代になれば両方の理を気にせずとも生活できるには、これからの精進にかかっているのかもしれません。
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
2008年12月17日
ねたみは人の大罪(呻吟語)
ねたみは人の大罪(呻吟語)
(現代語訳)
自分に才能がないのに、才能があるものに譲らない。さらに酷いのは、これの害(じゃま)する。
自分が悪いことをして、人が善(良いこと)をするのをにくむ。さらに酷いのは、それをそしる(非難・中傷する)。
自分がびんぼうしているとして、金持ち(富貴)をにくむ。さらに酷いのは、ひっくり返す(引きずり降ろす)ことをたくらむ。
この3つ:ねたみは、人の大罪である。
(感想)
自分を磨くこと、向上させる努力をせずに、周りの人の才能、善行、富貴を「ねたみ」、色々その人たちの欠点を暴き、誹謗・中傷する人を、今でも時々見ます。
この「呻吟語」の著者・呂新吾は、中国の明末期(1536‐1618)に活躍をした儒家ですが、その教示を読むと、人の性格は今も昔も同じような人物がいつの世にも居るのだなと感じます。
でも、このような性格は、優秀な人が揃えば無いかと言うとそうでもなくて、大学の研究者や、大企業の優秀な社員にもいる(出てくる)と、経営の本、組織論の本で読みました。人間の性質の一つと言えます。
<ある組織の例>
例えば、ある病院のスタッフ、何も言わずに自分で工夫改善して仕事する人は1割、どんな指導してもなかなか動かない人が1割、後の言われればどうにか仕事している3割。の仕事活躍度の比率は、1:3:1(良:中:下)だったそうです。
そこで、下の部分を色々な方法で解雇して、中程度以上の人材を雇用したのですが、1年、2年経って行くと、前の1:3:1の仕事効率に戻ったと言います。その根底に、評価のねたみ、自分の役職への不満、周り仕事への配置要望、等々・・。
これは、組織がある程度の数になると、超優良企業であれ、大学の研究室であれ、なぜか人間の性としてグループが出てくると言います。これを解消することを常にやり続ける必要があると先輩から聞きました。
人間だけの性質のようですが、この現象が常に起こると思って、組織、グループを動かすことが重要と思いました。私のように、個人事業者は、その経験を余りませんが、まちづくりやボランチィア団体でも、長くなるとグループが進み、同じ状況を露呈したりします。
<ねたみは常に存在している>
「呻吟語」の教え(「ねたむ」と言う人)の真理は、常に存在すると思って、組織運営をして行くことが大事と思いました。直前の日記に、「自民党、首相の内部批判」のことを書いたのですが、何百人の議員組織ですが、優秀な人々の集まりと思いますので、1:3:1の状況を、国民の前に見せないような、発言、行動をして欲しいものです。
現在のアメリカは、挙国一致へ動いているというのに、日本の政権政党「自民党」が、右往左往していては、信用を失ってしまいます。国民もその状況に関心を持ち、もの申す行動を起して行くべきと思います。
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
(現代語訳)
自分に才能がないのに、才能があるものに譲らない。さらに酷いのは、これの害(じゃま)する。
自分が悪いことをして、人が善(良いこと)をするのをにくむ。さらに酷いのは、それをそしる(非難・中傷する)。
自分がびんぼうしているとして、金持ち(富貴)をにくむ。さらに酷いのは、ひっくり返す(引きずり降ろす)ことをたくらむ。
この3つ:ねたみは、人の大罪である。
(感想)
自分を磨くこと、向上させる努力をせずに、周りの人の才能、善行、富貴を「ねたみ」、色々その人たちの欠点を暴き、誹謗・中傷する人を、今でも時々見ます。
この「呻吟語」の著者・呂新吾は、中国の明末期(1536‐1618)に活躍をした儒家ですが、その教示を読むと、人の性格は今も昔も同じような人物がいつの世にも居るのだなと感じます。
でも、このような性格は、優秀な人が揃えば無いかと言うとそうでもなくて、大学の研究者や、大企業の優秀な社員にもいる(出てくる)と、経営の本、組織論の本で読みました。人間の性質の一つと言えます。
<ある組織の例>
例えば、ある病院のスタッフ、何も言わずに自分で工夫改善して仕事する人は1割、どんな指導してもなかなか動かない人が1割、後の言われればどうにか仕事している3割。の仕事活躍度の比率は、1:3:1(良:中:下)だったそうです。
そこで、下の部分を色々な方法で解雇して、中程度以上の人材を雇用したのですが、1年、2年経って行くと、前の1:3:1の仕事効率に戻ったと言います。その根底に、評価のねたみ、自分の役職への不満、周り仕事への配置要望、等々・・。
これは、組織がある程度の数になると、超優良企業であれ、大学の研究室であれ、なぜか人間の性としてグループが出てくると言います。これを解消することを常にやり続ける必要があると先輩から聞きました。
人間だけの性質のようですが、この現象が常に起こると思って、組織、グループを動かすことが重要と思いました。私のように、個人事業者は、その経験を余りませんが、まちづくりやボランチィア団体でも、長くなるとグループが進み、同じ状況を露呈したりします。
<ねたみは常に存在している>
「呻吟語」の教え(「ねたむ」と言う人)の真理は、常に存在すると思って、組織運営をして行くことが大事と思いました。直前の日記に、「自民党、首相の内部批判」のことを書いたのですが、何百人の議員組織ですが、優秀な人々の集まりと思いますので、1:3:1の状況を、国民の前に見せないような、発言、行動をして欲しいものです。
現在のアメリカは、挙国一致へ動いているというのに、日本の政権政党「自民党」が、右往左往していては、信用を失ってしまいます。国民もその状況に関心を持ち、もの申す行動を起して行くべきと思います。
*参考資料:安岡正篤著「呻吟語を読む」
2008年12月16日
(志・アイデア)閃きは、実行して意味を成す~小林秀雄~
(志・アイデア)閃きは、実行して意味を成す~小林秀雄~
今日は、わが家の高校生の保護者会に、半強制の要請で参加したのですが、9割近い保護者の参加に驚きしました。親が一生懸命であることです。
私は、たまたま学年の役員をしていて、学校からの説明を近いところで聞いていたのですが、言われるのは、「自宅での学習時間」「こつこつ学習」、「数週間、数ヶ月目標」、「志望大学は何処」、「地元大学の県出身者の占有率」等々、これでは高校生に「心おどらす言葉は出てきません」、学問と言うか、夢に向かうかには、きっかけ「衝撃」が必要と思いました。
つい学年保護者会の最後に、江戸の後期の儒家・佐藤一斎の「言志四録」の言葉を引用して、「目標を実現するには、発憤なければ成らず」と話をしました。意味は、
自分ふがいなさ省み、「なにくそ」と思いなさい。
自分に怒り、発憤しなければ目標は実現しない。
保護者会後、主任の先生、担任の先生から、「発憤」「発憤」ですね、・・・と言われました。人間、怒らないと最大のエネルギーが生まれないように思います。
これを言った後に、小林秀雄の言葉を思い出しました。人は、「こうすれば・・」、「ああすれば・・」と、アイデアややる気の言葉を、色々思い浮かべさっそく始めるのですが、なかなか長続きしません。なぜでしょうか? 小林秀雄氏しかり、孔子しかりです。
孔子に教えに在った、「性、相近し。習い、相遠し」とありました。意味は、
「性、相近し」:生まれた時は、皆同じような資質を備えている。
「習い、相遠し」:生まれた後の学習、習慣で、後の人生に大きな開き。
これを読み、2,500年の時を越えて、人の思い付き(志、アイデア)等は、要するに実行に移つさないと意味を成さい。それをうまく表現しているのが、昭和の批評家・小林秀雄氏の言葉です。
(本文)
経験によって強く頭に閃(ひら)く考えというものを、展開させ育て上げようとする人は実に少ないものだ。経験が、その都度教える考えの閃きは、その時その時の感想となって消費されて了(しま)う。宝石が磨かれないで捨てられて行く様なものだ。こういう無数の人々によって捨てられた無数の原石を掻き集めたら、どんな光り輝やく思想の殿堂も、光りを失ってしまうであろう。(以上、転載)
以前読んだ、半導体研究の先駆者、現首都東京大学総長の西澤潤一氏が以前の書かれた本「10年先を読む」の一節に、アイデアについてのことが書かれていた。
簡略に言うと、もし研究成果の発見から、素晴らしい次世代半導体の仕組みが閃いたとします。そこで、ヤッターと思い、もし夕方の閃きなら、早朝にプレス発表のために報道へ連絡し徹夜で論文の骨子をまとめ発表するとします。素晴らしい発明者になります。
もし、この発見に有頂天になり、ひとりほくそえみながら美酒を飲むとします。情報は世界に駆け巡ります。夜中にイギリスの研究者がソレに気付き、日本時間の正午に発表するとプレスを呼ぶとします。最初に閃いた人は、酒の酔いから早朝鈍い頭を揺り動かし夕方発表をしようと論文をまとめても、イギリスの発表より遅れをとります。
このことを常に言い続けた方が、「西澤道場」と言われた東北大学半導体研究所所長の西澤潤一氏です。これは、色々な研究分野、商業、工業においても「閃き」はあると思います。要は、実行するかどうかにあると思います。
今日は、親として、自分が高校生だった時を思い出し、色々考えた一日でした。
<コミュ>
・小林秀雄 (批評家)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2465984
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
・心を育てることば
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1186424
<携帯電話用・論語サイト>
・(携帯論語)心を育てることば
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(ゆとり)心の分かれ道 12/16
心の分かれ道 :(現代語訳)心が動揺しているときは、手にした杯(さかずき)に弓の影が映っていてもヘビかとおどろき、草むらの岩をみてもトラか、イノシシかと見まちがう。目に入るものが、すべておそいかかってくるように感じる。 しかし、心が平静であれば、乱暴者のトラや犬もおとなしくさせ、さわがしいカエルも美しい音に聞こえる。心にゆとりがあれば、ありのままを受け入れることができる。:(感想)あわてず、さわがず、時間にゆとりを持って暮らすこと。*出典:菜根譚
今日は、わが家の高校生の保護者会に、半強制の要請で参加したのですが、9割近い保護者の参加に驚きしました。親が一生懸命であることです。
私は、たまたま学年の役員をしていて、学校からの説明を近いところで聞いていたのですが、言われるのは、「自宅での学習時間」「こつこつ学習」、「数週間、数ヶ月目標」、「志望大学は何処」、「地元大学の県出身者の占有率」等々、これでは高校生に「心おどらす言葉は出てきません」、学問と言うか、夢に向かうかには、きっかけ「衝撃」が必要と思いました。
つい学年保護者会の最後に、江戸の後期の儒家・佐藤一斎の「言志四録」の言葉を引用して、「目標を実現するには、発憤なければ成らず」と話をしました。意味は、
自分ふがいなさ省み、「なにくそ」と思いなさい。
自分に怒り、発憤しなければ目標は実現しない。
保護者会後、主任の先生、担任の先生から、「発憤」「発憤」ですね、・・・と言われました。人間、怒らないと最大のエネルギーが生まれないように思います。
これを言った後に、小林秀雄の言葉を思い出しました。人は、「こうすれば・・」、「ああすれば・・」と、アイデアややる気の言葉を、色々思い浮かべさっそく始めるのですが、なかなか長続きしません。なぜでしょうか? 小林秀雄氏しかり、孔子しかりです。
孔子に教えに在った、「性、相近し。習い、相遠し」とありました。意味は、
「性、相近し」:生まれた時は、皆同じような資質を備えている。
「習い、相遠し」:生まれた後の学習、習慣で、後の人生に大きな開き。
これを読み、2,500年の時を越えて、人の思い付き(志、アイデア)等は、要するに実行に移つさないと意味を成さい。それをうまく表現しているのが、昭和の批評家・小林秀雄氏の言葉です。
(本文)
経験によって強く頭に閃(ひら)く考えというものを、展開させ育て上げようとする人は実に少ないものだ。経験が、その都度教える考えの閃きは、その時その時の感想となって消費されて了(しま)う。宝石が磨かれないで捨てられて行く様なものだ。こういう無数の人々によって捨てられた無数の原石を掻き集めたら、どんな光り輝やく思想の殿堂も、光りを失ってしまうであろう。(以上、転載)
以前読んだ、半導体研究の先駆者、現首都東京大学総長の西澤潤一氏が以前の書かれた本「10年先を読む」の一節に、アイデアについてのことが書かれていた。
簡略に言うと、もし研究成果の発見から、素晴らしい次世代半導体の仕組みが閃いたとします。そこで、ヤッターと思い、もし夕方の閃きなら、早朝にプレス発表のために報道へ連絡し徹夜で論文の骨子をまとめ発表するとします。素晴らしい発明者になります。
もし、この発見に有頂天になり、ひとりほくそえみながら美酒を飲むとします。情報は世界に駆け巡ります。夜中にイギリスの研究者がソレに気付き、日本時間の正午に発表するとプレスを呼ぶとします。最初に閃いた人は、酒の酔いから早朝鈍い頭を揺り動かし夕方発表をしようと論文をまとめても、イギリスの発表より遅れをとります。
このことを常に言い続けた方が、「西澤道場」と言われた東北大学半導体研究所所長の西澤潤一氏です。これは、色々な研究分野、商業、工業においても「閃き」はあると思います。要は、実行するかどうかにあると思います。
今日は、親として、自分が高校生だった時を思い出し、色々考えた一日でした。
<コミュ>
・小林秀雄 (批評家)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2465984
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
・心を育てることば
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<携帯電話用・論語サイト>
・(携帯論語)心を育てることば
http://keitairongo.otemo-yan.net/
(ゆとり)心の分かれ道 12/16
心の分かれ道 :(現代語訳)心が動揺しているときは、手にした杯(さかずき)に弓の影が映っていてもヘビかとおどろき、草むらの岩をみてもトラか、イノシシかと見まちがう。目に入るものが、すべておそいかかってくるように感じる。 しかし、心が平静であれば、乱暴者のトラや犬もおとなしくさせ、さわがしいカエルも美しい音に聞こえる。心にゆとりがあれば、ありのままを受け入れることができる。:(感想)あわてず、さわがず、時間にゆとりを持って暮らすこと。*出典:菜根譚
2008年12月15日
功績や学問なくても (菜根譚)
功績や学問なくても (菜根譚)
(現代語訳)
功績を誇りに学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけもとめている。
本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくても、それだけで立派な人生が送れることをりかいしていない。
(解 釈)
学問はともかく、功績や地位をひけらかす人は今でも跡を絶たない。誇りに思い、自信を持つのはいいのだが、それをちらとでも表に出したのでは、せっかくの功績まで台なしにしていまう。そういうことにこだわるより、もっと内面の価値に目をむけよ、というのである。
(感 想)
地域の先輩に、「偉い人より、立派な人を目指せ」と言われたことがあります。敬慕を集める方は、自らあまり多くを語らず、周りの人たちが本人のやられていることを教えてくれます。
私の小さな経験ですが、20歳の頃引越し会社にいた時、ある官庁の引越しの仕事をしました。大きな部屋で、机を廊下へ運び出す仕事でした。引越しの社員が荷物を持って階下へ行ってしまい、私と官庁の課長が残りました。机は残り一つ、一人では搬出できないの課長へ手伝いを頼んだのですが、窓の外を見たまま返事も無かったのを思い出します。少したって先輩社員が来て、二人で搬出したにですが、その課長は一度も振り向きませんでした。
引越しは、我々の仕事ですが、官庁職員が日ごろ使う道具を運び出しているのは、ほんの一瞬の心遣いもないのかと、地位が上がると何もしないのだなと感じたことを思い出します。先輩が言われた、「偉い人より、立派な人」は、この人間性のことなのかなと考えました。
(現代語訳)
功績を誇りに学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけもとめている。
本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくても、それだけで立派な人生が送れることをりかいしていない。
(解 釈)
学問はともかく、功績や地位をひけらかす人は今でも跡を絶たない。誇りに思い、自信を持つのはいいのだが、それをちらとでも表に出したのでは、せっかくの功績まで台なしにしていまう。そういうことにこだわるより、もっと内面の価値に目をむけよ、というのである。
(感 想)
地域の先輩に、「偉い人より、立派な人を目指せ」と言われたことがあります。敬慕を集める方は、自らあまり多くを語らず、周りの人たちが本人のやられていることを教えてくれます。
私の小さな経験ですが、20歳の頃引越し会社にいた時、ある官庁の引越しの仕事をしました。大きな部屋で、机を廊下へ運び出す仕事でした。引越しの社員が荷物を持って階下へ行ってしまい、私と官庁の課長が残りました。机は残り一つ、一人では搬出できないの課長へ手伝いを頼んだのですが、窓の外を見たまま返事も無かったのを思い出します。少したって先輩社員が来て、二人で搬出したにですが、その課長は一度も振り向きませんでした。
引越しは、我々の仕事ですが、官庁職員が日ごろ使う道具を運び出しているのは、ほんの一瞬の心遣いもないのかと、地位が上がると何もしないのだなと感じたことを思い出します。先輩が言われた、「偉い人より、立派な人」は、この人間性のことなのかなと考えました。
2008年12月14日
携帯で検索:(携帯論語)心を育てることば
ブログ:(携帯論語)心を育てることば
携帯電話で主にアクセスする、論語を中心とする中国古典の故事、遺訓、さらに日本の先人たちのことばを紹介するブログを解説しました。いつでも、どこでも携帯で検索できます。上記の「キーワード」で検索できるようになるには、年末近くになると思いますが、アドレスは下記です。
http://keitairongo.otemo-yan.net/
を登録しただければ、いつでも検索できると思います。論語、孟子、陽明学、菜根譚、呻吟語、陰隲録、さらに日本の偉人、世界の偉人たちの名言、メッセージ等々、ご紹介して行きます。ぜひ、ご意見を含めメッセージをいただければ幸いです。
文は、150文字以内程度の長さで毎日書いて行きます。携帯でも、PCでも検索できますので、お時間があるときにいつでも、どこでもご利用下さい。
管理人 清廉(ノグチ)
携帯電話で主にアクセスする、論語を中心とする中国古典の故事、遺訓、さらに日本の先人たちのことばを紹介するブログを解説しました。いつでも、どこでも携帯で検索できます。上記の「キーワード」で検索できるようになるには、年末近くになると思いますが、アドレスは下記です。
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文は、150文字以内程度の長さで毎日書いて行きます。携帯でも、PCでも検索できますので、お時間があるときにいつでも、どこでもご利用下さい。
管理人 清廉(ノグチ)
2008年12月12日
成功を勝ち取るコツ(菜根譚)
成功を勝ち取るコツ(菜根譚)
人々が、生き難い社会、誰が「勝ち組、負け組み」なる言葉を使い始めたのでしょう。
まず「成長産業を伸ばし、遅れた人たちをその後で伸ばす」といったキャッチフレーズで世を先導した政治家たちは、どこへ雲隠れしたのでしょう。労働市場と言う言葉も当たり前になっています。
ここ数ヶ月、派遣社員、季節社員の解雇が広がっている。日々の仕事は同じ、でも業績が悪化すると直ぐ解雇できる「派遣社員」、こんな考えは日本の商慣習には無かったように思います。
「丁稚奉公」、「番頭」、「のれん分け」等々、若い世代が夢を持ち、奮闘努力する仕組みがあったように思います。
現代の言葉、「金」「出世」「勝ち組」「・・」・・
人間味の無い社会に、日本がなって来た気がします。
菜根譚に、「成功を勝ち取るコツ」なる教示がありました。
(現代語訳)
せっかちで落ち着きがないのは燃えさかる炎のようなもの、周りを焼くつくしてしまう。
温情のないのは冷たい氷のようなもの、みんなの心を冷えびえとさせる。
頑固で融通のきかないのは溜まり水や朽木のようなもの、いきいきした活気を失う。
こんな人たちはみな、成功も幸せもかちとることができない。
(解説)
成功をかちとるコツは、
一つ、よく検討して慎重に事を運ぶ
一つ、温かい心で周りの支持を集める
一つ、柔軟で機敏な対応を心がける
ことだという。これなら周りの信頼も集めることができるにちがいない。
先人の教えは、今にも通じる至言と思います。
通信機器、自動車文化の発達は、人と人が密に語る場面を少なくしている感じを受けます。情報と知識の詰め込み(反乱)は、若者たちが進む道を見つけられず、さ迷う原因のようにも思います。
人が生きるとはもっとシンプルに考えることが大事な気がします。3つの心がけを大事に生きていくことも一つの方法と思います。
「検討し慎重に」「温かい心」「柔軟で機敏」
3つを読み替えると「謙虚」「優しい心」「工夫」とも言えます。
若い世代が、人生を投げやりにさせうるような教育・政治でなく、3つの心を育てる社会にして行くことが必要な気がしています。
人々が、生き難い社会、誰が「勝ち組、負け組み」なる言葉を使い始めたのでしょう。
まず「成長産業を伸ばし、遅れた人たちをその後で伸ばす」といったキャッチフレーズで世を先導した政治家たちは、どこへ雲隠れしたのでしょう。労働市場と言う言葉も当たり前になっています。
ここ数ヶ月、派遣社員、季節社員の解雇が広がっている。日々の仕事は同じ、でも業績が悪化すると直ぐ解雇できる「派遣社員」、こんな考えは日本の商慣習には無かったように思います。
「丁稚奉公」、「番頭」、「のれん分け」等々、若い世代が夢を持ち、奮闘努力する仕組みがあったように思います。
現代の言葉、「金」「出世」「勝ち組」「・・」・・
人間味の無い社会に、日本がなって来た気がします。
菜根譚に、「成功を勝ち取るコツ」なる教示がありました。
(現代語訳)
せっかちで落ち着きがないのは燃えさかる炎のようなもの、周りを焼くつくしてしまう。
温情のないのは冷たい氷のようなもの、みんなの心を冷えびえとさせる。
頑固で融通のきかないのは溜まり水や朽木のようなもの、いきいきした活気を失う。
こんな人たちはみな、成功も幸せもかちとることができない。
(解説)
成功をかちとるコツは、
一つ、よく検討して慎重に事を運ぶ
一つ、温かい心で周りの支持を集める
一つ、柔軟で機敏な対応を心がける
ことだという。これなら周りの信頼も集めることができるにちがいない。
先人の教えは、今にも通じる至言と思います。
通信機器、自動車文化の発達は、人と人が密に語る場面を少なくしている感じを受けます。情報と知識の詰め込み(反乱)は、若者たちが進む道を見つけられず、さ迷う原因のようにも思います。
人が生きるとはもっとシンプルに考えることが大事な気がします。3つの心がけを大事に生きていくことも一つの方法と思います。
「検討し慎重に」「温かい心」「柔軟で機敏」
3つを読み替えると「謙虚」「優しい心」「工夫」とも言えます。
若い世代が、人生を投げやりにさせうるような教育・政治でなく、3つの心を育てる社会にして行くことが必要な気がしています。
2008年12月11日
「無知なればこそ偶然に惑う」~呻吟語~
「無知なればこそ偶然に惑う」~呻吟語~
・人はいかにあるべきか (1)
昨日の寺山修司の本に出会ったのは偶然か、当然か、自然かを、少し考えました。中国古典の「呻吟語」の解説を安岡正篤先生が解説した本に、次の言葉がありました。
(現代語、解説)
みんな偶然ということになったら、本当の偶然というものがわからなくなる。自然というものをよく研究すると、自然の中に必然、あるいは当然の法則を発見する。
ところが、その自然の研究が足りないと、自然のなかの必然、当然の法則がわからない。人は当然を偶然と錯覚する。そこに偶然が起ってくる、要するに偶然は知識の欠如を表すものである。(中略)
つまり偶然が起っても、それは実は必然であり、当然なのである。(中略)
この項のテーマは、「無知なればこそ偶然に惑う」でした。
日々暮らしていると、「こんなところで、会えるとは・・」と思ったり、こんな本がないかなと、通りすがりの書店に寄ると在ったり、これを偶然とみるか、必然とみるか・・・、でもその偶然が、日々の生活に刺激を与え、変化を起こています。みなさんは、そんなことはありませんか。
また、午後30分ほど時間ができたので、(熊本県)近代文学館に「移民と父と言われた方の資料展」を見に寄ると休館、当てがはずれたのですが、帰宅途中に地元紙の支局に寄ると、「移民の父」を相当調査し勉強している、少しブラジル移民のことを教えてくれました。でも寄った要件は別のことでした。ラッキーでした。
「ちょっと、寄って見よう」の行動こそが、偶然である「必然」を、起こすのかもしれません。常に考え続け、求め続けていると、必然的に出会う。なんかそんな気分の今日一日でした。
今夜は、コタツにうたた寝をして、変な時間に日記を書いています。明日も、偶然(必然)を呼び寄せられるように、行動したいと思います。(では、みなさんお休みなさい)
*参考資料:安岡正篤編著「呻吟語を読む」より
<コミュ二ティ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む ~安岡正篤~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354
∞∞∞∞∞∞∞∞∞<イベント案内>∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
~ユニセフ熊本支部主催~
「アフリカの学ぶこと」 これからの家族像を考える
(主旨)
政界の中でアフリカは支援が必要な地域でありますが、経済発展のために多くのことを失ってきて日本にとって学ぶべき点が多くあります。地域での協力体制や地域での子育てなどアフリカの人々からの話を通して、日本の社会を見直したいと思います。
記
日 時 12月13日13:30~15:30
場 所 熊本県民交流館「パレア」、10階多目的ホール
テーマ 「アフリカの学ぶこと」~これからの家族像を考える~
パネリスト (対論形式に、意見を交わします)
フェイス・ムケムア氏(ジンバブエ出身、小児科医)
エボク・ラファエロ氏(ウガンダ出身、熊本大学留学生)
野口修一(熊本県出身、建築士)
参加費 無料(定員、40名程度)
主 催 ユニセフ熊本支部
申込み 096-356-4837へ、ファックスで
氏名、所属、連絡先と明記して申込み下さい。
・人はいかにあるべきか (1)
昨日の寺山修司の本に出会ったのは偶然か、当然か、自然かを、少し考えました。中国古典の「呻吟語」の解説を安岡正篤先生が解説した本に、次の言葉がありました。
(現代語、解説)
みんな偶然ということになったら、本当の偶然というものがわからなくなる。自然というものをよく研究すると、自然の中に必然、あるいは当然の法則を発見する。
ところが、その自然の研究が足りないと、自然のなかの必然、当然の法則がわからない。人は当然を偶然と錯覚する。そこに偶然が起ってくる、要するに偶然は知識の欠如を表すものである。(中略)
つまり偶然が起っても、それは実は必然であり、当然なのである。(中略)
この項のテーマは、「無知なればこそ偶然に惑う」でした。
日々暮らしていると、「こんなところで、会えるとは・・」と思ったり、こんな本がないかなと、通りすがりの書店に寄ると在ったり、これを偶然とみるか、必然とみるか・・・、でもその偶然が、日々の生活に刺激を与え、変化を起こています。みなさんは、そんなことはありませんか。
また、午後30分ほど時間ができたので、(熊本県)近代文学館に「移民と父と言われた方の資料展」を見に寄ると休館、当てがはずれたのですが、帰宅途中に地元紙の支局に寄ると、「移民の父」を相当調査し勉強している、少しブラジル移民のことを教えてくれました。でも寄った要件は別のことでした。ラッキーでした。
「ちょっと、寄って見よう」の行動こそが、偶然である「必然」を、起こすのかもしれません。常に考え続け、求め続けていると、必然的に出会う。なんかそんな気分の今日一日でした。
今夜は、コタツにうたた寝をして、変な時間に日記を書いています。明日も、偶然(必然)を呼び寄せられるように、行動したいと思います。(では、みなさんお休みなさい)
*参考資料:安岡正篤編著「呻吟語を読む」より
<コミュ二ティ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む ~安岡正篤~
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354
∞∞∞∞∞∞∞∞∞<イベント案内>∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
~ユニセフ熊本支部主催~
「アフリカの学ぶこと」 これからの家族像を考える
(主旨)
政界の中でアフリカは支援が必要な地域でありますが、経済発展のために多くのことを失ってきて日本にとって学ぶべき点が多くあります。地域での協力体制や地域での子育てなどアフリカの人々からの話を通して、日本の社会を見直したいと思います。
記
日 時 12月13日13:30~15:30
場 所 熊本県民交流館「パレア」、10階多目的ホール
テーマ 「アフリカの学ぶこと」~これからの家族像を考える~
パネリスト (対論形式に、意見を交わします)
フェイス・ムケムア氏(ジンバブエ出身、小児科医)
エボク・ラファエロ氏(ウガンダ出身、熊本大学留学生)
野口修一(熊本県出身、建築士)
参加費 無料(定員、40名程度)
主 催 ユニセフ熊本支部
申込み 096-356-4837へ、ファックスで
氏名、所属、連絡先と明記して申込み下さい。
2008年12月10日
徳によって得た評価は生き続ける(菜根譚)
徳によって得た評価は生き続ける(菜根譚)
(本文)
徳望によって得た富貴名誉は、野山に咲く花、自然に枝葉が生い茂る。
功績によって得た富貴名誉は、鉢植えに花、他所に移されたり捨てられたりする。
権力によって得た富貴名誉は、花瓶の花、根がないからたちまちしぼんでしまう。
(解説)
どちらに永続性があるかという問題である。権力の座というのは簡単にひっくり返ってしまう。功績も時代が変わると、とたんに色あせてしまうことが否めない。その点、徳望によって得た評価は時代を超えて行き続ける。「積善ノ家ニハ余慶アリ」(『易経』)ともいうではないか。
(感想)
地域の先輩に、「宣伝はする必要はない。伝染するような活動が良い」と教えられた。話題に急に上る人は、話題から消えることも早い。無理する行動は長続きしない。しかし、自分のできることを地道に続ける人を周りは認めて行くと思います。
「宣伝」より「伝染」、陰徳のすすめこそ、反対に自分(以下、一門)を評価してもらう早道と先人たちが説いています。無欲こそ、最大の影響を及ぼすと考えたいたようです。みなさんの周りにいるリーダーを検証した感想でも頂けるとありがたいです。
<関連コミュ>
・菜根譚
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
・論語の言葉
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2476660
・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3058451
<携帯からアクセス>
携帯電話からの「ブログ」へのアクセスが便利です。
・「宇土親子論語教室」で検索ください。
これから、ブログの文章を、携帯電話で読みやすいものにしたいと思います。
(本文)
徳望によって得た富貴名誉は、野山に咲く花、自然に枝葉が生い茂る。
功績によって得た富貴名誉は、鉢植えに花、他所に移されたり捨てられたりする。
権力によって得た富貴名誉は、花瓶の花、根がないからたちまちしぼんでしまう。
(解説)
どちらに永続性があるかという問題である。権力の座というのは簡単にひっくり返ってしまう。功績も時代が変わると、とたんに色あせてしまうことが否めない。その点、徳望によって得た評価は時代を超えて行き続ける。「積善ノ家ニハ余慶アリ」(『易経』)ともいうではないか。
(感想)
地域の先輩に、「宣伝はする必要はない。伝染するような活動が良い」と教えられた。話題に急に上る人は、話題から消えることも早い。無理する行動は長続きしない。しかし、自分のできることを地道に続ける人を周りは認めて行くと思います。
「宣伝」より「伝染」、陰徳のすすめこそ、反対に自分(以下、一門)を評価してもらう早道と先人たちが説いています。無欲こそ、最大の影響を及ぼすと考えたいたようです。みなさんの周りにいるリーダーを検証した感想でも頂けるとありがたいです。
<関連コミュ>
・菜根譚
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2310909
・論語の言葉
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・開運のすすめ「陰隲録」に学ぶ
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<携帯からアクセス>
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・「宇土親子論語教室」で検索ください。
これから、ブログの文章を、携帯電話で読みやすいものにしたいと思います。
2008年12月07日
<呻吟語> 己を修め人を修める ~第一等の人物とは~
<呻吟語> 己を修め人を修める ~第一等の人物とは~
久々に明末の儒者、呂新吾の教示「呻吟語(しんぎんご)」を、安岡正篤先生が解説した本を開いて見た。日々に暮らしで、常に頭に置きなさいと行く度々なく言われる「身を修める」と言う言葉ですが、その解説を読んでみた。
(本文)
学問というものは常にその時代と自己というものに切実に徹してやらなければ、それこそ空論というか、単なる知識・雑識になってしまいます。(中略)
安岡先生は、後漢書の「楊震」の故事を例に挙げ、深夜、賄賂を携え新長官である楊震のもとを訪ねた王密は、「夜のこと誰も見ていません」に対して、楊震は「天知る、神知る、我知る、子(あなた)知る、何をか知るものなしといわん」と答え、王密は自分を恥て帰った故事を例にして、
(本文)
人間にとって最も大事なものは敬恥の心でありまして、その敬恥の心が悪い法に働くと忌憚(きたん)の心になる。(中略)
忌憚の心を失っていない間は、まだ人に知られては困るという良心が死に切っておらぬからである。
「天徳は只是れの無我、王道は只是れ箇の愛人」
意味は、無我こそ至上の徳。王道も、人間に徹して人間を愛することより外にない。
「学者の大病痛は只是れ器度の小なるなり」」
(本文)
学者の一番の弱点は器度(人物のスケール)が小さいことである。この場合の学者はいわゆる学者ではなく、凡そ学問をするものという意味です。今日は学校教育制度が発達しておるからみな学者でありますが、その学者の器量が小さい。これが学者の最大の弱点だというのであります。(中略)
そういう点からいいますと、どうも学者や技術者といった人達は自分だけの世界に安じて、書物を読んだり理論に携わったりあるいは専門の技術に打ち込んで、生きた人間を相手にせずにすみますから、とかく独りよがりになる。(中略)
私も建築士という技術者の端くれですが、厳しい指摘を受けた気分です。同じ分野(穴のむじな)ではなく、多様な分野の人々と交流し、議論し、考え、さらに交流を深め、多様化することこそ、専門の学問を深めることにつながるように思います。
異業種交流会を開催するようになって11年、世には色々な仕事と、人材がいかに多いことを知り、日々の出会いの中での気付きが、一番の私の刺激なっています。
「己を修め人を修める」と域には、まだまだ遠い私ですが、遠いからこそ面白いと思い、時間を見つけては、故事を読み、個性ある人を求め、語って行きたいと思います。
*参考資料:安岡正篤編著「呻吟語を読む」~第5講「己を修め人を修める」~
<関連コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354
久々に明末の儒者、呂新吾の教示「呻吟語(しんぎんご)」を、安岡正篤先生が解説した本を開いて見た。日々に暮らしで、常に頭に置きなさいと行く度々なく言われる「身を修める」と言う言葉ですが、その解説を読んでみた。
(本文)
学問というものは常にその時代と自己というものに切実に徹してやらなければ、それこそ空論というか、単なる知識・雑識になってしまいます。(中略)
安岡先生は、後漢書の「楊震」の故事を例に挙げ、深夜、賄賂を携え新長官である楊震のもとを訪ねた王密は、「夜のこと誰も見ていません」に対して、楊震は「天知る、神知る、我知る、子(あなた)知る、何をか知るものなしといわん」と答え、王密は自分を恥て帰った故事を例にして、
(本文)
人間にとって最も大事なものは敬恥の心でありまして、その敬恥の心が悪い法に働くと忌憚(きたん)の心になる。(中略)
忌憚の心を失っていない間は、まだ人に知られては困るという良心が死に切っておらぬからである。
「天徳は只是れの無我、王道は只是れ箇の愛人」
意味は、無我こそ至上の徳。王道も、人間に徹して人間を愛することより外にない。
「学者の大病痛は只是れ器度の小なるなり」」
(本文)
学者の一番の弱点は器度(人物のスケール)が小さいことである。この場合の学者はいわゆる学者ではなく、凡そ学問をするものという意味です。今日は学校教育制度が発達しておるからみな学者でありますが、その学者の器量が小さい。これが学者の最大の弱点だというのであります。(中略)
そういう点からいいますと、どうも学者や技術者といった人達は自分だけの世界に安じて、書物を読んだり理論に携わったりあるいは専門の技術に打ち込んで、生きた人間を相手にせずにすみますから、とかく独りよがりになる。(中略)
私も建築士という技術者の端くれですが、厳しい指摘を受けた気分です。同じ分野(穴のむじな)ではなく、多様な分野の人々と交流し、議論し、考え、さらに交流を深め、多様化することこそ、専門の学問を深めることにつながるように思います。
異業種交流会を開催するようになって11年、世には色々な仕事と、人材がいかに多いことを知り、日々の出会いの中での気付きが、一番の私の刺激なっています。
「己を修め人を修める」と域には、まだまだ遠い私ですが、遠いからこそ面白いと思い、時間を見つけては、故事を読み、個性ある人を求め、語って行きたいと思います。
*参考資料:安岡正篤編著「呻吟語を読む」~第5講「己を修め人を修める」~
<関連コミュ>
・呻吟語(しんぎんご)を読む
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3045354
2008年12月06日
天の意志をもはね返す志を持て
天の意志をもはね返す志を持て
(意訳)
天が冷遇して幸福をさずけてくれなければ、わが徳をみがいて幸福をかちとるがよい。
天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして苦痛をいやすがよい。
てんが苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道を守って初志を貫徹するがよい。
これなら、天といえども、どうすることもできない。
(守屋洋先生 注釈)
もともと天の意志に逆らえないのだが、はね返す策がないでもない。それは他でもない、ガードを固めて付け入る隙間を与えないことだという。
(感想)
良心に従い、学問をつづけることが大事なのかと思います。苦境に立っても笑顔で頑張っている人を見ると、こちらが励まされてしまします。「おい、がんばって」と応援していながら、こちらが元気をもらう方は、自分と真正面から対峙して、自分を苦境から脱しようと頑張っていると感じます。
古人の言葉から、苦境にあるときは、学問を深め、スキを見せない心構えが大事なようです。
(意訳)
天が冷遇して幸福をさずけてくれなければ、わが徳をみがいて幸福をかちとるがよい。
天が苦役を課して肉体を苦しめてくるなら、わが心を楽にして苦痛をいやすがよい。
てんが苦境に突き落として行く手をはばむなら、わが道を守って初志を貫徹するがよい。
これなら、天といえども、どうすることもできない。
(守屋洋先生 注釈)
もともと天の意志に逆らえないのだが、はね返す策がないでもない。それは他でもない、ガードを固めて付け入る隙間を与えないことだという。
(感想)
良心に従い、学問をつづけることが大事なのかと思います。苦境に立っても笑顔で頑張っている人を見ると、こちらが励まされてしまします。「おい、がんばって」と応援していながら、こちらが元気をもらう方は、自分と真正面から対峙して、自分を苦境から脱しようと頑張っていると感じます。
古人の言葉から、苦境にあるときは、学問を深め、スキを見せない心構えが大事なようです。
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2008年12月06日
(苦中に楽有り)「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城作
(苦中に楽有り)「冬蜂の死にどころなく歩きけり」村上鬼城作
苦しさこそが人生と語っていた俳人・村上鬼城の代表作、
「冬蜂の死にどころなく歩きけり」
(本文より)
一匹の蜂が冬の寒さの中をまだ生き存(ながら)えてよたよたとさまよっています。生と死の間(はざま)を彷徨(ほうこう)する蜂は、もはや自らの余命を悟っているかのようです。が、命が続く限り生きていなくてはいけない。老残の身を晒(さら)しつつも、死ぬべき場所をさがして歩きつづけなくてはいけないのです。゛死゛のさびしさ、厳しさを詠った掲句に、私はそのまま゛生゛のさびしさ、厳しさに感じいります。(中略)
ものさびしい蜂の命消える直前の行動を、多分自分の境遇と照らし、呼んだ句では無いかと思います。
村上鬼城(1865~1938)は、若いころ司法官を志が耳を患い断念、裁判所の代書人で生活をし、22才で結婚し、二女をもうけますが、わずか数年で妻が他界。31才で再婚し二男六女をもうけますが、貧しさはますます厳しく、正岡子規に共感し「ホトトギス」に入門する。
耳の病、妻の死、貧困と、苦しさの連続だった鬼城を再び不幸が襲います。昭和2年、61才の時、自宅が火災で焼失。しかし弟子や賛同者の支援で自宅を再建します。
(本文より)
このように、73年の生涯にほっと息つく間もなく絶えず゛生の苦しみ゛と向き合っていた鬼城は、著作「杉風論」の中で、゛人生の解釈は、ソレただ、苦しみの一事に帰す゛と帰しています。苦しさの身を置くこと。そしてそこから逃れようとするのではなく、苦しさこそが、人生なのだと言い切っていた鬼城の境涯俳句は、いつの時代も、私たち人間の゛生きる゛ということの根源と、深く関わり続けているのです。(中略)
12月2日比叡山の高僧・酒井雄哉氏の講話にも、現実を受け入れることを何度も解かれていました。その苦しさの中に見出す幸福感こそが大事とも説かれていました。
鬼城の俳句をいくつか紹介します。
・生きはわり死にかはりして打つ田かな
・夏草に這い上がりたる捨蚕かな
・闘鶏の目つぶれて飼われけり
大正6年に発刊された「鬼城句集」の序文に大須賀乙字の書いています。
「古来境涯の句を作った者は、芭蕉を除いては僅かに一茶あるのみで、(略)然るに、明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優つた作者がある。実にわが村上鬼城其人である」
安岡正篤先生の「六中観」のに「苦しさの中に、楽しさを見出す」の教示がありますが、正に一生を通じ、日々の暮らしを句に詠い続けた生き方に多くのことを学びます。
*参考資料黛まどか編「知っておきたいこの一句」より
<以前の日記>
・「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」
苦しさこそが人生と語っていた俳人・村上鬼城の代表作、
「冬蜂の死にどころなく歩きけり」
(本文より)
一匹の蜂が冬の寒さの中をまだ生き存(ながら)えてよたよたとさまよっています。生と死の間(はざま)を彷徨(ほうこう)する蜂は、もはや自らの余命を悟っているかのようです。が、命が続く限り生きていなくてはいけない。老残の身を晒(さら)しつつも、死ぬべき場所をさがして歩きつづけなくてはいけないのです。゛死゛のさびしさ、厳しさを詠った掲句に、私はそのまま゛生゛のさびしさ、厳しさに感じいります。(中略)
ものさびしい蜂の命消える直前の行動を、多分自分の境遇と照らし、呼んだ句では無いかと思います。
村上鬼城(1865~1938)は、若いころ司法官を志が耳を患い断念、裁判所の代書人で生活をし、22才で結婚し、二女をもうけますが、わずか数年で妻が他界。31才で再婚し二男六女をもうけますが、貧しさはますます厳しく、正岡子規に共感し「ホトトギス」に入門する。
耳の病、妻の死、貧困と、苦しさの連続だった鬼城を再び不幸が襲います。昭和2年、61才の時、自宅が火災で焼失。しかし弟子や賛同者の支援で自宅を再建します。
(本文より)
このように、73年の生涯にほっと息つく間もなく絶えず゛生の苦しみ゛と向き合っていた鬼城は、著作「杉風論」の中で、゛人生の解釈は、ソレただ、苦しみの一事に帰す゛と帰しています。苦しさの身を置くこと。そしてそこから逃れようとするのではなく、苦しさこそが、人生なのだと言い切っていた鬼城の境涯俳句は、いつの時代も、私たち人間の゛生きる゛ということの根源と、深く関わり続けているのです。(中略)
12月2日比叡山の高僧・酒井雄哉氏の講話にも、現実を受け入れることを何度も解かれていました。その苦しさの中に見出す幸福感こそが大事とも説かれていました。
鬼城の俳句をいくつか紹介します。
・生きはわり死にかはりして打つ田かな
・夏草に這い上がりたる捨蚕かな
・闘鶏の目つぶれて飼われけり
大正6年に発刊された「鬼城句集」の序文に大須賀乙字の書いています。
「古来境涯の句を作った者は、芭蕉を除いては僅かに一茶あるのみで、(略)然るに、明治大正の御代に出でて、能く芭蕉に追随し一茶よりも句品の優つた作者がある。実にわが村上鬼城其人である」
安岡正篤先生の「六中観」のに「苦しさの中に、楽しさを見出す」の教示がありますが、正に一生を通じ、日々の暮らしを句に詠い続けた生き方に多くのことを学びます。
*参考資料黛まどか編「知っておきたいこの一句」より
<以前の日記>
・「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」
2008年12月05日
「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」
「尽心(心を尽くす)」、「忙心」、「存心」
現代は忙しい、日々忙殺されると言う人の多いこと、しかし、その一日を振り返ると、欲に駆られて雑用が多いことか、欲を減らし、自分の心と向き合う時間を持つと、意外と日々に無駄が見えてくる。
(高校、強歩会)
今日は、いっさいの諸用を断り、高校生に歩く姿を見ていた。わが家の子どもが通う高校、年に一度ある30kmを歩く強歩会でした。標高差が約200mあり、日ごろ歩いていない人は後で筋肉痛もでる歩け歩け大会です。
しかしそこは高校生、いちばん早い子は3時間ちょっとでゴール、遅い子でも7時間で歩き通します。初めて参加した1年生が、正門に着くと「ヤッター!」と歓声を上げてゴールしていました。トップの子は、多分記録を狙っていたようで、給水所の準備をしてうる最中に、チェックポイントに到着、慌ててスタンプを押したそうです。ひた向きに、歩く姿あり、しゃべりながらグループで歩く生徒、先生も一緒に歩く姿はとても良いなと思いました。
なぜか、校長先生がジョギングペースで、1年生のトップグループとゴールしたのは、日ごろのトレーニングのなのでしょうか。
・尽心
自然の中を一人歩くと、自分自信を見つけめることができると言います。安岡正篤先生の「孟子」の解説の中に、「尽心」について語られたものがあります。「心を尽くす」、現代にイメージだと、人に対して心を尽くし、感謝するとか言いますが、安岡先生の「尽心」は、己れ自身の心を向きあい、自分の心について理解深めていくこととありました。
(本文より)
「尽心」とは、心を尽くすということは、われわれの心というものを十分に解明することを言う。一所懸命に精神力をふうることじゃないんです。それは枝葉末節、解釈の単なる一つにすぎない。もっともっと深い意味があるわけです。われわれの心というものがどういうものでるか、心というものを十分に解明すれば、物事の性、個性、本質というものがわかる。(中略)
言葉がむずかしいのですが、自分なりに考えると、自分の心と向き合う、反省し、何を求めるているか、どんな時に動揺するか、どんな場面で感動するか、自分の心の動きを謙虚に観察する「ゆとり」が必要な気がします。
今日、8時~15時まで高校生たちを見ていて、それぞれに個性があり、走るこ生徒、早足の生徒、マイペースを崩さず一人歩く生徒、グループで歩く生徒、先生と一緒に話しながらあるく生徒、その生徒は自分の心と向きあいながら、30kmを歩きとしたと思います。
・「忙心」と「存心」
人生は、日々に積み重ねですが、欲に駆られているときは、なかなか心が無くなり、「忙心」になっています。自分をしっかり保ち、自分と向き合った居る状態を「存心」とありました。
この日常も、非日常でも、自分の心をしっかり保つ努力が必要な気がします。孔子の教えに「中庸」というものがありますが、心を平静保ち、事に対処する事、そこに欲(私心)を居れず、状況判断することのできる「存心」の状況を常に修正できるように、自分の心と向き合う「尽心」に努めたいものです。
説明が長くなりました。今から、強歩会の支援をした保護者の反省会に行きます。どんな感想は聞けるかとても楽しみです。
ちなみに私の担当は広報で、来週は強歩会の号外を出す予定です。
*参考資料:安岡正篤著「孟子」より
現代は忙しい、日々忙殺されると言う人の多いこと、しかし、その一日を振り返ると、欲に駆られて雑用が多いことか、欲を減らし、自分の心と向き合う時間を持つと、意外と日々に無駄が見えてくる。
(高校、強歩会)
今日は、いっさいの諸用を断り、高校生に歩く姿を見ていた。わが家の子どもが通う高校、年に一度ある30kmを歩く強歩会でした。標高差が約200mあり、日ごろ歩いていない人は後で筋肉痛もでる歩け歩け大会です。
しかしそこは高校生、いちばん早い子は3時間ちょっとでゴール、遅い子でも7時間で歩き通します。初めて参加した1年生が、正門に着くと「ヤッター!」と歓声を上げてゴールしていました。トップの子は、多分記録を狙っていたようで、給水所の準備をしてうる最中に、チェックポイントに到着、慌ててスタンプを押したそうです。ひた向きに、歩く姿あり、しゃべりながらグループで歩く生徒、先生も一緒に歩く姿はとても良いなと思いました。
なぜか、校長先生がジョギングペースで、1年生のトップグループとゴールしたのは、日ごろのトレーニングのなのでしょうか。
・尽心
自然の中を一人歩くと、自分自信を見つけめることができると言います。安岡正篤先生の「孟子」の解説の中に、「尽心」について語られたものがあります。「心を尽くす」、現代にイメージだと、人に対して心を尽くし、感謝するとか言いますが、安岡先生の「尽心」は、己れ自身の心を向きあい、自分の心について理解深めていくこととありました。
(本文より)
「尽心」とは、心を尽くすということは、われわれの心というものを十分に解明することを言う。一所懸命に精神力をふうることじゃないんです。それは枝葉末節、解釈の単なる一つにすぎない。もっともっと深い意味があるわけです。われわれの心というものがどういうものでるか、心というものを十分に解明すれば、物事の性、個性、本質というものがわかる。(中略)
言葉がむずかしいのですが、自分なりに考えると、自分の心と向き合う、反省し、何を求めるているか、どんな時に動揺するか、どんな場面で感動するか、自分の心の動きを謙虚に観察する「ゆとり」が必要な気がします。
今日、8時~15時まで高校生たちを見ていて、それぞれに個性があり、走るこ生徒、早足の生徒、マイペースを崩さず一人歩く生徒、グループで歩く生徒、先生と一緒に話しながらあるく生徒、その生徒は自分の心と向きあいながら、30kmを歩きとしたと思います。
・「忙心」と「存心」
人生は、日々に積み重ねですが、欲に駆られているときは、なかなか心が無くなり、「忙心」になっています。自分をしっかり保ち、自分と向き合った居る状態を「存心」とありました。
この日常も、非日常でも、自分の心をしっかり保つ努力が必要な気がします。孔子の教えに「中庸」というものがありますが、心を平静保ち、事に対処する事、そこに欲(私心)を居れず、状況判断することのできる「存心」の状況を常に修正できるように、自分の心と向き合う「尽心」に努めたいものです。
説明が長くなりました。今から、強歩会の支援をした保護者の反省会に行きます。どんな感想は聞けるかとても楽しみです。
ちなみに私の担当は広報で、来週は強歩会の号外を出す予定です。
*参考資料:安岡正篤著「孟子」より