2020年11月19日

天下の政治が正道に則り行われていたら、庶民からやかましい意見は出ない。〜孔子〜

天下の政治が正道に則り行われていたら、庶民からやかましい意見は出ない。〜孔子〜

晩秋の夜明けの異常な温かさ、福岡は未明の気温が20℃を超えているそうだ。先週の寒さからこの温かさから桜が開花した話を耳にする。温暖化は進んでいるのだろうと思います。

さて、昨夜は市政財政の研修会を開催した。地方でも税を増やす方法がこれからは重要になると感じました。

トップがしっかり庶民のことを考え、行政の事業が執行されているなら、大きな異論は出てこないのだなぁ、と思います。

これについて、何と2500年以上前の論語に説かれていました。

(以下、『論語』から)

 天下道有れば、即ち政大夫に在らず。天下道有れば即ち庶人議せず。
(以上、『論語』季氏第十六より)

【直訳】
 天下に道が行われてあれば、政治の大権を大夫が執り行うことはない。天下に道が行われて、よく治まっておれば、一般の民衆が、やかましく政治を批判することはない。
(以上、伊予田學訳編『仮名論語』より)

昨夜の財政の研修の中で、国頼りの地方財政を改めて確認したことと、地方にも財源確保の可能性があることも確認しました。

熊本地震、水害、新型コロナウィルス感染、と熊本県は災害続きです。この厳しい状況でも、自治体として新たにチャレンジできる可能性を、国も考えてくれているのか、と思いました。

新たな地方財政の改善につながると言われる「ふるさと納税」ですが、現在、全国の自治体が競争し凌ぎを削っている。抜け駆けは許さないと、昨年は裁判にもなった。

>天下道有れば即ち庶人議せず。

庶民の批判はどけだけ声が大きくなるか、です。しかし、国もやり過ぎには罰を与える。

>天下道有れば、即ち政大夫に在らず。

しかし、昨年の「ふるさと納税」の判決が出て、日本の地方支援の方向を示されたことで、ふるさと納税の取り組みは、ルールに従い、都市部からの寄付でもある納税の獲得競争が、実は地域の産物の売り込みにつながり、地域を潤すことになっている。

ここでのふるさと納税のルールを「天下道あれば」の"道"と見るなら、昨年の論争が、ふるさと納税を修正する議会となったのでは思いました。

>天下に道が行われて、よく治まっておれば、一般の民衆が、やかましく政治を批判することはない。

そういう国づくり、地方の活性化につながる政治を望んでいます。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 12:43Comments(0)孔子の教え

2020年11月15日

<大義(目標)を持って日常言動を>時には冷静に、時には熱情的に。〜『菜根譚』後58〜

<大義(目標)を持って日常言動を>時には冷静に、時には熱情的に。〜『菜根譚』後58〜

人間が生きていくには、良い時、不遇の時、当てもなくさまよう時、等々。いろいろ状況が起こり、変化している。

何をするにも、平時の仕事をなおざりにしていては、本来の信用を落としてしまう。

まず、身近な仕事に目処をつけて、本来(目標)の仕事に取り組むことが大事。

昭和の東洋哲学者の安岡正篤先哲は、長期の目標を持ち、目先にある雑事を治め、計画を立てて着実に進めていくことを示唆しています。

その取り組み方は、"時には冷静に、時には熱意"を持って行動する。

・・・・(菜根譚の解説本に)

【書き下し文】
熱閙(ねつとう)の中なかに一冷眼いちれいがんを着つくれば、
便すなわち許多きょたの苦心思くしんしを省はぶく。
冷落れいらくの処ところに一熱心(いつねっしん)を存そんせば、
便ち許多の真しんの趣味(しゅみ)を得うる。

【直訳】
多事多忙な時に、それに流されないで一つの冷静な目をもって対処すれば、そうしたら多くの苦しい思いを除くことごできる。また、落ちぶれた時に、力を落とさないで一つの熱情を持って対処すれば、そうしたら多くのほんとうの心の味わいを得ることができる。
(以上、『菜根譚』より)

人間は、落ちぶれた時が大事だと思います。

私の社会活動の師匠は、衆議院議員選挙に2度チャレンジして、2度とも思いは叶わなかった。しかし、その後の活動がすごかった。

そもそも、目標とする社会づくりのテーマが凄かったので、選挙に落ちた後、熊本県内を応援お礼していく中で、次なる"熊本おこし"の活動テーマが浮かび上がった。

それは、"有機農業"のリーダーたちの連携でした。

私は、その最大の集まりを開催し、それをまとめた本の出版後の環境政策の取り組みと横井小楠おこしの活動で出会いました。

「大義を四海に布かんのみ」

現代の大義とはなにか、私の大義とはなにか、それ実現するために何を実践しているか。

話が長くなりましたが、多忙な時は冷静(冷眼)に読み観る。落ちぶれた時は、情熱を持ってことに取り組む。

世辞訓『菜根譚』の教えは、現代に通じる意味(教示)があると思います。

堅い話になりました。お読みいただきありがとうございました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 21:14Comments(0)偉人安岡正篤語録

2020年11月08日

<60代の生き方>自らのことを他の人に押し付けがましく記憶させることを求めない?〜曽野綾子〜

<60代の生き方>自らのことを他の人に押し付けがましく記憶させることを求めない?〜曽野綾子〜

なんか意味不明な言葉にですが、私なりの理解から下記の曽野綾子の本『引退しない人生』から紹介しました。

(以下、『引退しない人生』より)

晩年の義務

 晩年の義務は、後に、その人の記憶さえ押しつけがましくは残さないことだ、と私は考えている。(『晩年の美学を求めて』)
(以上、本より)

私は、曽野綾子さんの講演を、肉声で聞いたのは8年前の長崎経済大学ででした。その時も"老い"についての話でした。

私も62歳になりました。

後の人に何を残すのか?

曽野綾子さんは、他人へ自分の記憶を押し付けない、とありました。

"記憶を押し付けない"とはどういうことなのだろう、と思います。

自らの体験や成功談等を、若いものに自慢げに語る古老の人をよく見ます。中には、少し認知がはじまっているのでは?と思うくらい、同じ自慢話をする人がいます。話を受ける方は、"またかー!"と思っているだろうな、と思います。

>その人の記憶さえ押しつけがましくは残さないことだ、

なるほど、と自省します。私も、飲み過ぎた時は、どうも同じ話をするらしい・・・

論語の訓示に、「四十にして立ち、五十にして天命を知り、六十にして耳従い、七十に・・・」があります。

私も60代になりました。若い人たちの意見や周りのアドバイスに耳を傾けているか?

曽野綾子さんの意見も参考にして、これから生きて行かねばと思いました。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 14:35Comments(0)孔子の教えリーダーの名言

2020年11月03日

人生最大の報酬は知的活動によって得られる。〜マリー・キュリー博士(2度ノーベル賞を受賞)〜

人生最大の報酬は知的活動によって得られる。〜マリー・キュリー博士(2度ノーベル賞を受賞)〜

ホーランド生まれの将来に物理学者となる女性、マリー・キュリーさんは、中学で終わるボーランドの女子教育を受け入れず、パリに出てソルボンヌ大に入り、2年間で物理の学位、さらに2年間で数学の学位を取得した。

マリーさんの興味は、当時レントゲンとベルクによって発見された謎の光線にあった。彼女は、その光線を放射能と名付けて研究を進めた結果、1898年に夫のピエール・キュリー博士とともにポロニウムとラジウムを発見し、その功績によってノーベル賞受賞した。

さらに研究を進め、その8年後、マリー博士はラジウムの精製に成功し、その功績で2度目のノーベル賞を受賞した。

ラジウムは、放射線治療に欠かせない物質だが、マリーは精製技術の特許を取得せず、万人に公開した。
(以上、『世界の名言100選』より)

他の者からは、「特許を取得しておけば、莫大な報酬が得られたはずなのに」という進言に対する答えが冒頭の言葉です。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 19:38Comments(0)偉人

2020年11月01日

先の先まで思いをめぐらせて日々の細事に向き合う。

先の先まで思いをめぐらせて日々の細事に向き合う。

子曰わく、人にして遠き慮無ければ、必ず近き憂有り。〜『論語』〜

【訳】
先師が言われた「目先のことに捉われず、先の先まで思いをめぐらさなければ、必ず身近なところに思いがけない心配事が起こるものだ」
(以上、『仮名論語』より)

この「先の先まで思いをめぐらす」には、私自身、何度か"俺は考えが足りない!"と痛感する事が、しばしば起こる。

特に、信頼している企業や中間が、実は、安易な返事や回答を鵜呑みにして、こちらが身動き取れぬことも経験した。

正に、最悪を想定して、先の先まで考えて準備が必要と思います。

>遠き慮無ければ、

ボーっと生活していれば、予想しない出来事が、突然発覚する。

朝から、行動の危機管理の話ですが、"先の先に起こる"かもしれないの「想定力」を磨いていきたいです。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:41Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ

2020年11月01日

自らの言行を省みよ。〜時々、我の言葉・行いを多面的に観察する〜

自らの言行を省みよ。〜時々、我の言葉・行いを多面的に観察する〜

〜少々長文です。お時間ある時お読みください。〜

今日の論語の勉強会での意見、幕末に活躍した貝原益軒の『五常訓』を学ぶ時間がありました。

音読した方が、感想を述べられたのですが、「歳を取り、人間もだいぶ"ねれてきた"ので。物欲、金欲は無くなった」と。

私が担当して読んだ内容は、

(以下、抜粋)

貧賤なる人も仁に志して行えば、其の身に応じ日々に人に利益あること多し。
飢えたる者に一飯を与え、
渇ける者に湯水を与え、
道路に茨からたち針ある物、
角ある石、
人の足をそこなう物を取りすて、
少なる溝に小橋をかくるほどのことは、
いかなる貧乏の人もすべきことなり。
(以上、『五常訓』の抜粋文より)

という部分でした。要は、金持ちで無くてもできる善行の話に、なるほどとうなづいた。

論語の勉強会から帰宅して、開いた佐藤一斎の『一日一言〜言志四録を読む〜』に以下の言葉がありました。

(以下、本より転載)

寒暑の節候、稍暦本(ややれきほん)と差錯すれば、人其の不順を訴う。我の現行、毎(つね)に差錯有れども、自ら咎むるを知らず。何ぞ其れ思わざるの甚だしき。
〜『佐藤一斎一日一言』(言志四緑)〜

この訓示の現代訳は、以下の文です。

(以下、本より転載)

 寒さ暑さの季節時候が少しでも暦とずれると、人は天候の不順を訴えて文句を言う。しかし、自分の言葉と行動にな?、といつも食い違いがあるけれども、自ら反省して咎めるということを知らない。なんと甚だしく考えのないことではないか。
(以上、本より)

貝原益軒の教えと、佐藤一斎の"反省をしない人"を指摘した言葉。

自らが正しい、と思い込んでいる人が多い。出来事、意見は、見方を変えると間違いの考えとなる、という発想をまたない人が、いかに多いか。それは、年配になればなるほど、反省をしなくなる。そこに権力欲が絡むと、ますます視野が狭くなる。

私も62歳、晩年の入り口に在る。一日三度、反省するくらいの謙虚な気持ちを、歳を取る度にしなければと、今日の学びでした。  


Posted by ノグチ(noguchi) at 09:40Comments(0)故事、名言、訓示、スピーチ